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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DON QUIXOTE - ABT (Thurs, Jun 12, 2008)

2008-06-12 | バレエ
日本のオペラヘッドなら知らぬ人はいないNHKイタリア・オペラ。
NHKエンタープライズのオンラインショップのサイトからの説明を借りれば、
”文化事業の一環としてNHKが1956年から20年間に8回にわたって行った「イタリア歌劇団公演」は、
本場から演出家、指揮者、ソリストを招聘して大規模に催され、
オペラファンの間で今なお伝説の名演として語り継がれています。”となっていますが、
これは決して大げさな説明ではない。
本場=イタリアのソリストなら誰でもいいだろう、というのりではなく、
デル・モナコ、テバルディ、ゴッビ、シミオナート、トゥッチ、
タリアヴィーニ、ベルゴンツィ、コッソット、スコット、クラウス、ギャウロフ、などなど、
登場したソリストの顔ぶれたるや、錚々たるものだったのです。
そして、さらに素晴らしいことには、NHKがこれらの公演をテレビで放映し、
その映像をきちんとアルカイブしていたのです。
1950年代といえば、欧米でも、オペラのフル公演がきちんと映像で残っている例なんてそう多くはない時代。
この映像がNHKから正規版のDVDとして発売され、日本の市場で出回って以来何年か経ちますが、
ご存知の通り、日本のDVDは欧米とフォーマットが違うため、欧米のオペラヘッズたちは、
そんな映像があると聞いてはいても、ただハンカチの裾を食わえて悔しがっているしかなかったのでした。

それを去年か今年あたりからでしょうか?どのような経緯か、VAI(Video Artists International)という
NYにある会社が、次々とオール・リジョンのフォーマットでリリースをはじめ、
いまや、アメリカのオペラヘッズの間では、『NHK』といえば、宝の山と同義語。
新しい演目の商品化が首を長くして待たれている状態です。
ただ、”ソリストは素晴らしいが、オケと演出がなんとも貧弱、、”という苦言がちらほら聞かれるのですが、
日本出身のオペラヘッドとしては、一言、”それはポイントを履き違えているだろう!”といいたい。
当時、日本ではオペラの公演そのものが珍しかった時代。
レコードでしか聞いたことのない演目を、初めて生で、しかも一級のソリストで聞いた時の
聴衆の驚きはいかほどだったでしょう?
実は当時20代だったと思われる私の叔母もその聴衆の一人だったので、話を聞く機会があるのですが、
すべての聴衆がとにかくぶっ飛んだ、といいます。
そして、このNHKイタリア・オペラが、今の日本でのオペラ人気の基礎を作る一つになったことは
間違いないと思われ、
ということは、このNHKイタリア・オペラがなければ、オペラヘッドという私のアイデンティティも
存在しえなかったかもしれないわけで、むしろそんなしょぼいオケと演出ということも顧みず、
日本の聴衆にもオペラを知ってほしい、という思いで登場してくれた歌手たちに
本当に感謝したい気持ちでいっぱいです。
このあたりについて当の歌手たちがどのように感じていたかについては、
『ファウスト』のDVDに挿入されたレナータ・スコットとのインタビューにも明らかですので、
お時間のある方はぜひ。

さて、前置きが長くなりましたが、このNHKという宝の山の発見に気をよくしたVAIは、
日本にしかないお宝映像に目をつけたらしく、NHKに続き今度はジャパン・アーツをもまるめこみ、
(NHKでの放送用に収録されたものかもしれませんが、ジャパン・アーツの名前もジャケットに入っています。)
ニーナ・アナニアシヴィリが東京で出演したバレエの公演のDVDも最近同社からリリースされました。
先日観た『白鳥の湖』でのニーナに感銘を受けた私は、早速そのうちの一枚、
ロシア国立アカデミー・チャイコフスキー記念ペルミ・バレエの1992年の公演の『ドン・キホーテ』の
DVDを購入&鑑賞。
ここでの彼女のキトリがまたおきゃんで可愛い!!
年齢がまだ若かったせいもあって、テクニックもしっかりしているうえに、
それでいて、それだけに頼らない彼女独特の円さと溌剌とした感じがあって、
本当に素敵なキトリなのでした。
そのニーナがキトリとして出演し、しかも相手役がコレーラという、6/14(土)の本命の公演が控えているうえ、
5/28の『白鳥~』での、ドヴォ・マキ(イリーナ・ドヴォロヴェンコとマキシム・ベロセルコフスキーの夫妻)は、
どちらかというと、テクニック重視に私には思えたせいもあって、
正直、今日のドヴォ・マキの公演は、ニーナ&アンヘルコンビとの表現面での比較に参考にさせてもらおう、
くらいな気持ちで出かけたのです。
ドヴォって、どちらかというと白のバレエっぽい雰囲気だし、
DVDでのニーナ以上のキャラ作りが、特にこのキトリ役について、ドヴォから出てくるとはちょっと
想像しにくいし、、。
しかし。またやってしまったのです。私は。
あれほど、思い込みはいかん!と何度も自分を戒めて来たはずなのに。

結論。一言、ノックアウトされました。本当に、本当に、素晴らしかった。
特にドヴォのキトリ。彼女のこの役は、これから観る機会のある方は絶対に見逃さないで欲しい。
彼女は白より、むしろ、こういう役の方がいい!
バレエ鑑賞の師匠、yol嬢が、ドヴォ・マキコンビについて、
”彼らの確かな技術”で”上手くノッた時の舞台はとても素敵”
とおっしゃっていたのは、このことだったのね!!と、強く強く実感した舞台でした。

まず、DVD鑑賞時から実感して得た私なりのこの演目についての感想は、
どの演目でもそうなのだけど、特にこの『ドン・キ』のような演目では、
テンポの速い音楽にあわせて踊る場面で、細かいステップと振りが、
”折り目正しく”、”奏でられている音楽にぴったりと合って”、また複数のダンサーが踊る個所では、
”ばっちりと動きが揃っていること”がポイントで、
これのどこかが狂うと、急激にだらしのない場面になる、ということでした。
なので、この点に特にフォーカスして、この公演と土曜の公演を鑑賞したことを付け加えておきます。

第一幕、ドヴォが登場した瞬間から、扇子まで手の一部のように見える
完璧な体の各部位のコントロールに目を奪われる。
『白鳥~』の時とは比べ物にならないテンションの高さを感じます。
それから何よりも私が今日のドヴォの踊りで素晴らしいと思ったのは、
オケの演奏のリズムと彼女の踊りがこれ以上ありえないくらい一致していたこと。
特に、ドヴォとマキが街のみんなを従えて踊る、この幕の中の一シーンでは、
テンポが速かったせいもあって、群舞のメンバーはもちろん、
マキですら、ほんの少し拍が遅れていた中で、ドヴォ一人だけが、完全に正しいリズムで、
しかも、踊りのディテールを端折ることなく、見事に踊りきっていたのには感嘆。
『白鳥~』のときに感じた膝がゆるい感じも、今日は一切見当たりませんでした。
そして、何よりも、彼女はコミカルな演技が実に上手い。
コミカルな演技が上手い理由の一つは絶妙な間のとり方にあるのでは?とも思われ、
上で触れた彼女の極めて高いリズム感と無関係ではないでしょう。
また、ニーナがおきゃんでありながらどこか可愛い感じという路線なのに対して、
ドヴォはもっと切れモノっぽいシャープな街娘の雰囲気。
親しみやすさとあたたかさのニーナ・キトリ vs 超美人で頭のいい輝くばかりのドヴォ・キトリといった図。
このドヴォ・キトリから放射されるオーラは、あのキーロフの公演でのロパートキナのメドーラをも
彷彿とさせるところがありました。
この役では彼女の美貌とスタイルの良さが嫌味になるどころか、
完全なプラスになっているのも非常に面白いと思いました。
しかし、それは、しっかりとした演技がそれを支えているからで、こうしてみると、
彼女の持っている強みが連鎖的に良い結果を生み出す方向に回っていることがよくわかります。
今日はコンディションもよかったのか、彼女のテクニックの強さが、これでもか!これでもか!と
噴出する場面が続出。このレポは土曜のニーナの公演も観た後で書いているので、
開陳してしまいますが、テクニックの見せ場となっているほとんどあらゆる場面で、
ニーナよりも、高度な技が加わっており、しかもそれがただの技の垂れ流しに終わらずに、
きちんと音楽に合っているところが本当に素晴らしく、強引にスーパーな技を入れると
リズムに遅れると判断したときには、技のレベルを落としてきちんとリズム内に収まるものを持ってくるところなど、
本当に小憎らしいくらい。

一方のマキ。
ドヴォが隣で鋼鉄のようなリズム感と正確さで踊っている事実も多少不利だったと思われ、
観ているときには、心もちテンポを少し内にとってくれるだけで、
ドヴォや音楽と完全にリズムが合うのにな、、惜しい!と思っていたのですが、
二公演とも見終わった今、彼の踊りは決して悪くはなかった、
いや、むしろ、とても良かったのでは、、とまるでするめのように噛めば、噛むほど、、というのりで、
素晴らしさを噛みしめているところです。
というのは、今までコレーラの踊りが大好きだった私ですら、
土曜の彼の踊りは、残念ながら、正直、全く感心できなかったので。理由は次の土曜のレポで詳しく。
簡単にいうと、私はオペラでも、自分の技を誇示するために、
作品や音楽を犠牲にするような歌い方が大嫌い。
素晴らしい技は、まず、作品や音楽を尊重したうえで - それは、具体的には、リズムの正確さ、
振りや歌唱へのディテールへのこだわりという形などで現れるわけですが -
その上にのっかっていてこそエクストラの評価が得られるものなのであって、
技のために作品を犠牲にするのは本末転倒です。

それを考えると、マキのこの日の踊りはどんな振りもポーズも本当に丁寧。
これも、白状するなら、その時は、ふーん、綺麗だな、としか思っていなかったのですが、
土曜にコレーラがスーパージャンプの隙間隙間の振りで、実に適当なポーズしかとっていないのを観て、
”こらこら!マキがとってたポーズはもっと綺麗だったぞ!!そんな適当じゃなかったぞ!!”と、
憤慨し、言ってみれば後づけで気付いたことなのですが、、。
それから、マキはスーパーな技を入れるためにパートナーとのコンビネーションを犠牲にすることが一切ない、というのも、美点の一つだと思います。
先に、”複数のダンサーが踊る個所では、ばっちりと動きが揃っていることがポイント”
と書きましたが、これをきちんと実践し、常にドヴォにそっと寄り添うように踊っている姿は泣けます。
土曜のコレーラの”スーパージャンプ&ターンを見せてあげるから、それ以外はこれで我慢してね。”
とでもいうような、適当ポーズの数々を見てしまった今、あの、マキの、
”細部にこそ美が宿る!”の精神で、どこを切っても美しいポーズを見せようと努力する姿勢は美しい!
特に、私はつい大技に目が向いてしまいがちな当作品でこそ、
彼らの貫き通す姿勢の貴重さとユニークさが浮き彫りになるように感じられ、
『白鳥~』よりも、こちらの『ドン・キ』での彼らを強力プッシュする次第です。

エスパーダを踊ったマシューズ。
この人は、準主役級の諸役で、土曜にエスパーダを踊るラデツキーと役をわけあうことが
多いような気がするのですが、小柄なラデツキーに比べ、
すらーっとした細身(少なくとも舞台ではそう見える)で、
舞台に登場した最初のシーンは素敵!と思わせたのですが、ドヴォ・マキの回の『白鳥~』で
見せたベンノ役でのシャープな踊りに比べると、少し今日は不調なのか、
エッジが甘いような気がしました。

また、メルセデス役のリチェット。
彼女にはこの役はちょっと荷が重かったような雰囲気が漂いまくっていました。
技術よりもむしろ気持ちの問題かもしれませんが、踊りが縮こまってしまっています。
一部には体型のせいもあるのでしょうが、踊りが軽過ぎて地味に見えるのも今後の課題かもしれません。


第二幕。
ABTの『ドン・キ』は、先にジプシーのキャンプ~あの風車のシーンを含む夢の場面が先にあって、
続いて酒場でのシーンという順序。
この夢の場面のようなゆったりした音楽になると、どうもドヴォの持ち味が100%は生かされていないように
感じるのは私だけでしょうか?
彼女の良さが、このシーンといい、『白鳥~』といい、どうしてコミカルな場面に比べると
ややトーン・ダウンしてしまうのか、説明がつけがたいのですが、、。
”きちんと踊っている”圏の外へもう一歩ブレイクして欲しい気がするのです。
ドルシネア姫として踊る彼女、もちろん踊りは極めて丁寧なのですが、
むしろ、同じ振りで踊る部分では、森の女王を踊ったメリッサ・トーマスの方が味があるように
思えた個所もあったほど。
トーマスは特に腕の使い方になんともいえない優雅さを備えつつも、
くせのない伸びやかな踊りで、この役での踊りでは非常に存在感があったと思います。

酒場のシーン。ここからは、またキトリが復活。
そうそう、今日のキトリ父は、あの、グロテスクな半魚人、ズルビンです。
ABTのサイトを見ると、少年のような可愛らしい顔で、昨シーズンの『マノン』では、
踊りの方も決して悪くなかったのに、どんどん増える(ように見える)体重のせいか、
すっかり踊りの少ない演技系のキャラクテール役専門になりつつある彼。
しかも、ヒロインの親父の役まで請け負うとは、どんどん年齢の上限が上がってる、、。
今回、やや腕の使い方にオーバーアクティングな部分があり、改良の余地は見られるものの、
特に立ち方、歩き方を初めとする腰から下の表現は見事におじいになりきっており、
相変わらず、私の気になるダンサー・リストに鎮座し続けています。

さて、バジルが狂言自殺をするシーン。ここは、今日の公演の中でも最も唸らされた場面の一つ。
ここでのバジルの床への倒れ方は本当にダンサーにより十人十色ですが、
マキは、コレーラほどばったーんという大げさな倒れ方ではなく、
地味に、美しく、しかし滑稽に絶妙なタイミングで転げて見事。
そして、その後に続く、ドヴォが剣をバジルの体から抜き取ろうと四苦八苦するシーン、
気付け酒を飲ませようとするシークエンスは本当にすばらしい。
特に、バジルの体にがに股に片足をかけて、
土木工事に従事するおやじが地面にドリルを入れるような姿勢で両手で剣をひっこ抜こうとする仕草、
狂言であることを理解した途端、グラスに残った酒をすーっと飲み干す仕草、、。
いわゆる踊り本体でないこういった部分に私がこだわるのは、こういった事実が、
いかに彼女がよく自分の体がどのように観客に見えているか、ということを良く理解しており、
しかも、観客の笑いを引き出す絶妙のタイミング、芝居心といってもいいかも知れませんが、を、
兼ね備えていることを示しているからです。
彼女がこんなコメディエンヌとしての才能に長けているとは予想だにしませんでした。
『連隊の娘』のデッセイとも共通する天然の素質を感じます。

三幕。

一幕から全く勢いが衰えないドヴォ。
とにかく、あまりに生き生きとキトリを踊り演じているので、写真で見ると、つん!としたお澄まし美人の
ような印象があったのですが、地はこういう砕けた人なのではないか、という気がしてくるほど。

これまで失念(失礼!)しておりましたが、タイトル・ロールのドン・キホーテについて。
素顔が素敵なバービー氏、『海賊』のパシャの素晴らしいコミカルな演技に続いて、
再度拝見しましたが、今日のドン・キホーテは、少し颯爽としすぎていたように個人的に感じました。
とても、気がふれているおやじに見えないし、足腰もあまりに丈夫そうで、
もう少し初老な雰囲気のドン・キホーテをイメージしていた私には違和感がありました。
(この役に関しては、ペルミ&ニーナのDVDで描かれている雰囲気こそ、断然マッチ!
そういえば同DVDでエスパーダを踊っている男性の、70年代の頃のデヴィッド・ボウイを思わせる
妙な髪形とメイクも必見です。公演は90年代なのに。)

いよいよグラン・パ・ド・ドゥ。
ああ、これは!!!
本当はどんな世界でも、夫婦がコンビを組むのってあまり好きではない私ですが、
(このドヴォ・マキしかり、ゲオルギュー&アラーニャしかり、賢也&ルミ子しかり。)
こんなコンビネーションが夫婦だからこそ可能なのだとしたら、許す!!
まず、この二人は立った時のお互いの体型のバランスといい、
キャラクターのバランスといい、がすごくいい。
キーロフの時のテリョーシキナ&コルサコフも技術は素晴らしかったけれど、
均整のとれたわりとがっちりとした体型+超おねえさんキャラのテリョーシキナと、
ちょっと頭が大き目で、弟くんのようなキャラだったコルサコフと比べると、
断然このドヴォ・マキコンビは見た目からして素敵。
二人ともすらっとしていて、頭が小さいからか、実際の身長は知らないけれど、背が高く見える。
だから、最初に二人が踊る場面で、マキがドヴォをリフトする個所では、
舞台でものすごく大きく見えて映えるうえに、マキががちっと微動だにしなければ、
ドヴォがこれまた空中で、微動だにしないポーズを決めているという具合で、
とにかくリフトに関しては、小柄なコレーラがたくましいニーナをリフトしながらよれよれしてしまった
土曜日に比べると圧倒的な安定感。
もう本当に今日はドヴォの踊りについては、ドルシネア姫の場面をのぞいて、
ほとんどネガティブな部分がないので、書いていて褒め言葉ばかりになってしまうのだけれど、
マキに支えてもらいながら回るスピンのキレも鋭いし、きめの場面のメリハリも素晴らしい。
まさに、くるくるくるくるくる(しかも早い)、スパッ!という感じで完全停止するのである。

終わり近くで、二度、マキの手を離して完全に静止状態で止まるドヴォも、
ほとんどすぐにマキから手を離し(バランスがとれた状態に入るのが早い)、
びくともしないポーズの完全静止とその時間の長さに、思わず観客から溜息がもれた。
フィッシュ・ダイブも綺麗に決まり、二人のパートナリングは難点のつけようがないほど。

マキのソロも素敵なのだけれど、とにかくドヴォのオーラが上を行く。
はじめに触れたように、彼女は扇の使い方もすごく上手で、扇の骨の中にまで
神経が通っているのではないかと錯覚するほど。
なので、ハープで始まるソロの部分もすごくコケティッシュでかつエレガントさを失っていない。

最後の連続32回転は、見間違えでなければ、ダブルはもちろん、
頭にトリプルも入っていたのではないかと思う。
テリョーシキナのそれも凄かったが、ドヴォのそれには、加えて滑らかさとつややかさとオーラもあるのだ。
本当に凄い。
今も、再度、ニーナ出演のDVDを見ながらこのレポを書いており、
その全盛期のニーナの踊りももちろん素晴らしいのだけど、
それと比べても、いかにこの日のドヴォの踊りがスーパーだったかを再度実感しているところでです。

技と演技が絶妙なバランスで二時間ほど静止してくれた、魔法のような公演。
土曜のニーナとアンヘルの公演は連れと二人で鑑賞なのだけれど、これだけが人生で最大の不覚。
ドヴォ・マキコンビの公演こそ、チケットを二枚購入するべきだったのだ!!
この素晴らしい公演を見せてあげたかった、、。
バレエのチケット購入ってやっぱり難しい。

(写真は、ドヴォ・マキコンビの『ドン・キ』が見つからないので、マーフィーとスティーフェルのコンビ。
同じプロダクションなので衣装およびセットのデザインは同じです。)

Irina Dvorovenko (Kitri)
Maxim Beloserkovsky (Basilio)
Victor Barbee (Don Quixote)
Arron Scott (Sancho Panza)
Jared Matthews (Espada)
Maria Riccetto (Mercedes)
Roman Zhurbin (Lorenzo)
Craig Salstein (Gamache)
Melissa Thomas (Queen of the Dryads)
Anne Milewski (Amour)
Renata Pavam, Isabella Boylston (Flower Girls)
Luciana Paris, Carlos Lopez (Gypsy Couple)

Music: Ludwig Minkus
Choreography: Marius Petipa and Alexander Gorsky
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Grand Tier F Odd

*** ドン・キホーテ Don Quixote ***

SWAN LAKE - ABT (Thurs, May 29, 2008)

2008-05-29 | バレエ
コンラッド役で意外に苦戦するゴメスを”ダックス王子よ、どうした!?”と叫び出しそうになりながら、
臍を噛む思いで見守った5/20の『海賊』

今日はそのゴメスが王子(ダックスではなく、ジークフリート)を努める『白鳥』。
昨シーズン、ヴィシニョーワと組んだ『白鳥』でのあまりに素敵な王子様ぶりに、
お互いに(といっても、ゴメスが私の存在を露ほど知らないのは言うまでもない)
ダックスフントの飼い主仲間であるという理由のみならず、
彼のダンサーとしての資質からも、ベタぼれに走ったのでありました。
その後の秋シーズンのコンテものでの気迫こもる踊りも本当に素晴らしく、
それだけに、『海賊』での不振はにわかに信じられないものがありましたが、
今日の白鳥の王子では、きっと挽回してくれるはず。
しかも、相手がヴィシニョーワだもの!と、余裕をかましていたら、衝撃の事実発覚。
ヴィシ、怪我のため、降板。代わりを務めるのはニーナ・アナニアシヴィリ。

恥ずかしながら、昨シーズンにバレエ鑑賞デビューを果たしたばかりの私なので、
生でニーナを観る機会がこれまで一度もなかったのですが、
CD屋では、彼女が出演しているDVDを手に取り、ジャケ写を眺めるたびに、
”バレエのダンサーにしては、ものすごい太ももの太さだなあ、、、”と、なかなか購入する気が起きず、
購入したらしたで、画面で見てもやっぱり思った通りの太さだった・・。
もう完全にプライムは過ぎていると聞くし、もう彼女の舞台は観なくてもいいかな、くらいな
猛烈に失礼なことを考えていたのです。

しかし、今シーズン、どの公演に行くべきか、ご意見を私のバレエの師匠、yol嬢に尋ねたところ、
意外とニーナの推薦率が高い。
さりげなく、”でも彼女の太ももが、、、、。あんな足で踊れるんでしょうか?(←全然さりげなくない。)”
と師匠にメールしてみたのだが、返ってきたのはこんなアドバイス。
”たしかにニーナは丸太棒。だけど、あんなに観客を幸せに出来るダンサーは他に少ない。
故郷のバレエ団の芸術監督に就任して、いつABTで見れなくなってもおかしくない。
観れるうちに観ておくように!”
というわけで、今シーズン、これから先に上演される別の演目で
ニーナの公演日を抑えてあるのですが、
やっぱりあの太ももが脳裏に焼きついている私なので、一演目以上買うのがためらわれたわけです。
という状況だったため、ヴィシの降板にはかなりがっくり来た私ですが、
まあ、初ニーナが白鳥というのもいっか、、。

”初ニーナが白鳥というのもよいかな”
今ならば、そんな言葉を吐いた自分の口にホチキスを当ててやるところ。
その理由はこれからゆっくりレポートで説明していきます。

ここでネタばらしをしてしまうと、この『白鳥』、観に行く公演日が水曜と木曜、
連日になってしまったので、どちらのレポとも両方の公演を観た後に書いています。
いつもは、その公演の、その場で感じたことをそのまま書くようにしているのですが、
今回だけは、この木曜日の公演の素晴らしさをきちんと説明するために、
あえて、水曜日の公演のレポは、木曜日の公演のことを念頭に置いて書いています。
水曜日のドヴォ・マキの公演については、”綺麗だなあ”と思いながらも、
心が動かないのはなぜだろう?と思っていたのですが、
この木曜の公演を観た後では、その理由がほとんど全て明らかにされたような気がし、
それを効率よく説明するには比較という方法が一番いいのではないかと考えました。
なので、ドヴォ・マキの公演を観ている時点では漠然としか感じていなかったこと、
もしくはほとんど意識していなかったことが、ゴメスとニーナの公演を観てから、
はっきりと見えた、という部分が多いです。
なので、ドヴォ・マキの公演のレポについては、その場で感じたこと、と
いうのとは、厳密には少し違っていますが、ご了承ください。

まずプロローグ。
ニーナという人は舞台上で強力な磁場を発する人だということが、この短いシーンですでに感じられ、
もうこのしょっぱなの場面から私はニーナの踊りに胸ぐらをつかまれて引きずり込まれる感覚を持ちました。
あと、舞台で観ると、あの太ももが全く気にならない。なぜだろう?

今日の音楽はABTオケにしてはだいぶまし。
私が”おむすび”と名づけたオルムスビー・ウィルキンズは、一応首席指揮者のような立場にあるようなので
(ABTオケの首席指揮者というのも微妙な気分だと思うが、、、)そのせいもあるのか?

ゴメスの登場。
ああ、彼はやっぱりこういう王子様キャラがいい!!
海賊なんて柄じゃないのだわ!!
しかし、今日のゴメスはただそれだけではない、並々ならぬ気合を発してます。
振り付けのどんなに細かいニュアンスも逃さないぞ!という、ほとんど偏執的な執念のようなものまで感じる。
なんだか、この役に関しては、一年でさらにものすごく成長したような気がします。
舞台上の彼のまわりに金の輪が見える、、。まじで。
妄想とでもなんとでも呼んで下さい、私にはそう感じられたのだから。
しかし、踊りが端正なのは去年もそうだった。
それよりも、今シーズン、彼が成長したなあ、と感じる由縁は役作りにかける気持ち、とでもいいましょうか。

まず、出てきた瞬間から、この王子がどういう人間か、というのががんがん伝わってくるのです。
見目麗しく、礼儀も正しくて、みんなに愛されている王子。
蝶よ花よ(男だけど)で育てられて、母上の溺愛ぶりがこれまたすごい。
こんな状況で育っているから、悪い子になれず、ついみんなを幸せにするような行動をいつもとってしまうが、
本当はそんな自分が少し嫌だったりもする。
解説書などで、王子のマザコン気質にふれたものもありますが、
ほんの少しだけ、そんな側面も感じさせる。この、ほんの少しだけ、は重要で、
本当にどうしようもないマザコンだと、観ている女子は引いてしまいます。
つまり、ゴメスが描こうとしている王子にとって、この白鳥の物語は、
愛の物語でもあると同時に、自分の自立の物語にもなっているのです。

昨日の公演のレポで、

母親に”あなたもそろそろ結婚を、、”と促され、(中略)
マキのそれはメランコリックさを前面に押し出した表現。
逆にいうと、メランコリックさ以外はほとんど何も伝わってこなかった、ともいえます。

と書きましたが、同じ場面でのゴメスは、メランコリックさはもちろん、
失望、そのうえに、焦燥感まで表現していたのが見事だと思いました。
”どうして僕には心から愛せる人がいないんだろう?
このままで、自分は、真の意味で独立した人間/男性となれるんだろうか?”という、
絶え間のない問いが聞こえてくるのです。

そこにどんぴしゃで現れるのが、オデット。
ニーナが演じるオデットには、そこはかとない母性を感じる。
二人が抱き合う様子も、どちらかというと、オデットが王子を抱きしめているような、
聖母をも思わせる姿で、だからこそ、ちょっぴりマザコン気味の王子でも、
抵抗なく彼女に魅かれることができたのかも、と思えてきます。
美しく、孤高感をたたえる白鳥もいいですが(今までに観たドヴォやヴィシの白鳥はどちらかというと、
この美しい白鳥路線)、このニーナの白鳥は、物語の流れとして強烈に説得力があります。
綺麗な白鳥よりも、温かさを感じる白鳥。目からうろこでした。

王子としては、やっと心から愛する人を見つけられて、これで自分もようやく、
一人の人間、男性として完成するんだ!という喜びを感じている。
ゴメスの踊りからはそれがきちんと伝わってきます。

第二幕でのパ・ダクシオンをはじめ、ニーナとゴメスが二人で踊るシーンは、
とにかく二人のエネルギーが同じ方向に向かって流れているのをひしひしと感じます。
次々と決まるポーズに思わず溜息が。
ヴィシと組んだ時も、綺麗だなあ、とは思いましたが、
今日のニーナと組んだゴメス、この二人が生み出す美は、まさに二人で一つ・
もはや、二人の人が綺麗なポーズをしているのではない。
(ヴィシと踊ったときは、ややそういう感じがあった。)
まるで一つの彫刻を見るような気が、それも何度も、しました。

ニーナとゴメスが白鳥で以前組んだことがあるのか、今回初めてなのかは良く知りませんが、
少なくとも今シーズンに関してはほとんどいきなり組んだに等しい状態であるのに、
まるでずっと一緒に踊って来たかのような素晴らしい息の合い方。
ゴメスについては、私が今まで観た中で、最も素晴らしい踊りでしたが、
これを引き出したのはニーナだったのでは?という気がします。

それを裏付けるような出来事が三幕にありました。
オディールが王子の腕に飛び込んでから、二人の複雑な振り付けになだれこんで行く個所があるのですが、
ここでニーナは本気で思いっきり宙をダイブしながら、ゴメスの腕に飛び込んで来たのです。
そのあまりの勢いに、私は一瞬、これはいくらたくましいゴメスでも、
よろめくのではないか、と息を呑みました。
だって考えてみてください。
私に”太もも、太もも”と呼ばれ、私の師匠には丸太棒呼ばわりすらされているニーナが、
全体重をかけて飛び込んでくるんですよ!!!
組んでまだ日が浅いから、、などという躊躇とか、手心を加えるというようなことが一切なく、全力で。
だけど、もしも、ゴメスがよろめいたりしたら、いや、よろめくだけですめばいいですが、
双方に怪我でもあったら、、。
しかし、彼女には一切そんなことを心配している風がない。
これがゴメスに対する最大の信頼でなくて何でしょう?
そして、その信頼にこたえるかのように、しっかりと彼女を受け止めて微動だにせず、
そのまま美しく振りを続けたゴメス。
お互いに相手を信じて全力を出し続ける二人の姿は感動的ですらあり、
私は胸が熱くなる思いで見守っていたのでした。




この幕でおそらく一般的な意味で最も目を引いてしまったのは、
ニーナ=オディールの32回転フェッテの場面かもしれません。
残念ながら一つ目の回転を周り始めたときから、例えばドヴォと比べても、
明らかなスピード不足。
回転を重ねるうちにどんどん失速していっているのに、
その上に、おそらくダブルを入れようとしたのか、これが命取りになって、
完全に回転の勢いが死んでしまい、正面を向く前の、270度くらいのところで止まってしまったのは、
いくら彼女がすでに技術の衰えを指摘されているとわかっていても、
観客にとっては観ているのが辛い場面でした。

しかし、この後を引きついだゴメスが、まるでニーナの失敗を自分が取り戻そうとでもするかのように、
素晴らしいソロを見せて、またここでも、私は胸がじ~~~ん。
こんなに主役の二人の間で、熱いコンビネーションとか互いへの思いやりを感じた公演は
今までにありませんでした。

ロットバルトに”じゃ、永遠の愛を誓うね?”と言われ、”誓います!”と答えるときのマキ。
また、誓った途端、舞台奥に囚われた白鳥オデットの姿が映し出されて
自分がとんでもない過ちを犯したと知った王子が、オデットに近づいたものの、
大きな木の扉がしまって、扉を叩きながら泣き悔やむ場面。
いずれの場面も、これは彼の踊りのスタイルなのでしょうが、良くも悪くも形式的。

昨日のドヴォ・マキの公演では、上のように書いた場面について、ゴメスはどうだったかというと、、。
まず、ロットバルトに誓うときは、まるで、”うん!うん!誓う!”とまるで子供のよう。
すーっと美しく二本指をあげたマキに比べると、まるで子犬かきかん坊の子供のようですが、
不思議と王子というキャラクターを考えたときに、後者の方が説得力があるのはなぜなのでしょう?

そして、扉をたたくシーンでは、あくまで型として静かに扉を叩いていたマキに比し、
ゴメスは段々閉じられていく扉の向こうに消えていくオデットの姿になりふりかまわず追いすがり、
閉じてしまった扉に身を投げ出すようにして、何度も何度も扉を拳で叩く、
その音がオペラハウスに響き渡っていました。
バレエに詳しい人の中には、こんなベタなヴェリズモ的な表現に引く人もいるかもしれませんが、
私は個人的にはずっとずっとこちらが好き。
胸がかきむしられる思いがしたというものです。
しかし、それは、彼がきちんとここに至るまでに、王子の性格描写をきちんと行ってきたから。
いきなりこんな芝居をされても安っぽいソープオペラの世界になってしまいますが、
彼の王子は、人生に対して抱いている焦燥をきちんと表現してくれていたので、
このシーンも、オデットに追いすがる、という恋愛模様もさることながら、
やっと一人前になりかけた自分が、また半人前の自分に逆戻りするのか??という、
自己存在の崩壊への恐怖というもっと大きなテーマも見えるのです。
だから、見ていて決して安っぽくならず、胸が痛む。

そして、自分というものをきちんと持ちながら、生をまっとうするには、オデットを追って死ぬしかないのです。
このABT版の演出との整合性も見事だと思います。
そう、今日確信したのは、
ゴメスは、自分が踊る役の心理を理解するところから入るタイプのダンサーだということ。
だから、一旦、役を完全に理解すると、今日のような、(そして以前、他の演目でも見せてくれた)
素晴らしい踊りを見せてくれますが、『海賊』のコンラッドの時のように、
役の心理の流れを掴み損ねると、一気に冴えない踊りになってしまうのです。
踊りそのもののスタイルに美があるマキなんかは、どんな役でもそれなりにきちんと見せてくれるでしょうが、
ゴメスは決してそういうタイプではない。
『海賊』のときの踊りを、”彼らしくない”とこれまでに何度か書いてしまいましたが、
むしろ、このことを頭に置き、彼の解釈が役に追いついてなかったと仮定すれば、
あの結果は非常に”彼らしかった”といえるでしょう。
『海賊』のコンラッドが解釈によっては掘り下げようのある奥深い役なのか、
どうしようもなく元からつまらない役なのか、は今の私には何ともいえません。
前者であれば、いつかゴメスがこの役をきちんと解釈する時期がくれば、
きっと素晴らしい踊りを見せてくれることでしょう。
後者であれば、、、彼はこの役を踊るのはやめた方がいいかもしれません。

このように、役について考え、掘り下げることで輝きの出るタイプのゴメスなら、
『オテロ』なんかは非常に見てみたい作品。
彼がどのようにタイトル・ロールを演じるか、非常に興味があります。

第四幕。

昨日のドヴォについては、

オデットを追って森を抜け、湖畔に現われた王子を、岩場でそっと立って待っているシーン。
この彼女の立ち姿には、そこはかとない悲しみと失望が溢れ出ていました。

と書きましたが、ニーナのそれは、、、恐るべし!
もう、王子を目の前にする前から、ニーナ=オデットは彼を許してる、、。
それも全面的に、、、。最後まで聖母のようなオデットなのでした。

最後に岩場から湖に飛び込む場面は、ニーナがそれこそ葉っぱがくるくるくる、、と
舞い落ちるような感じで落ちていったのが印象的でした。
そして、それを追って飛び込むゴメスは、彼女を追って死ねることが
喜びであるかのように、胸を張って(去年の跳躍もすごかったですが、今日のそれはさらにものすごかった!
背中の反りがただものではない!!)凛々しく飛び込んで行ったのでした。
これも正しい。だって、彼は仕方なく死ぬのではない。死ぬことを選択して死んでいったのだから。

その首の長さを”首男”と私にあだ名される憂き目にあっているホールバーグですが、
その気持ち悪いまでの首の長さと彼のひょろんとしたたたずまいが、
他の役では苦手な私ですが、これが、このロットバルトという、
この世のものではない人物の役には素晴らしくマッチ。
気障な雰囲気も上手く出していて、彼は普通の王子キャラよりも、
こういったクセのある役とか、コミカルな役の方が持ち味を発揮できているような気がします。
昨日のズルビンによる、キモこわい半魚人版ロットバルトに比べると、
今日のクラウチェンカはすらりとした体型もあって、こんな格好でもあくまで優美。
まあ、こちらがスタンダードに近いないのは間違いないでしょう。
きちんと細部を閉めた踊りで安心してみていられました。

ベンノ役を踊ったサヴェリエフは少し不調だったのか、
昨日のマシューズに比べると、やや見劣りがしました。

ニーナがどうして多くの人に愛されるのか、その理由を確認できた素晴らしい公演でした。
あの32回転の失敗が、私にはどうでもいいことのように思えたところに、
彼女のアーティストとしての真の強さがあるように思います。
師匠の言葉、”あんなに観客を幸せに出来るダンサーは他に少ない”、本当にその通りでした。
そして、ゴメス。
ダックス王子の素晴らしさは本物だった!私はこれからもあなたについていきます!!
(師匠に、”それは良かったけど、でも、あなた、あんなに盛り上がっていた
ファジェーエフ
はどうしたの?”と鋭いつっこみを受けたので、
”だって、彼、ダックスフント飼ってないんだもん、、”と訳のわからない答えをしておきました。
ファジェーエフも素敵だけど、そう簡単にNYで見れないのが、、。遠距離恋愛は厳しい!)

公演の翌日、同じアパートに住むABTで踊りのない役で舞台に立っている例の知り合い/俳優に遭遇。
自転車を抱えながら、”今からメトでABTの舞台だよー!”と言ってますが、もう7時半、、。
観客として見るだけの私でも、そろそろ家を出ようという時間に、これから出勤?!
しかも自転車で、、、?!間に合うのか?!
”『白鳥』二回観たよ!”と言うと、”女王の隣に立ってた僕、見えた?”
ごめん、気付かなかったわ、、。
この後は、『バヤデール』、『ジゼル』にも駆り出されるそうです。本当にご苦労様です。
最後に立ち去りながら、彼が一言。
”オペラ・ニュース見てくれた?”
やっぱり、あの二人目のフローレスは彼だったんですね。どうもありがとう!!

Nina Ananiashvili replacing Diana Vishneva (Odette/Odile)
Marcelo Gomes (Prince Seigfried)
Vitali Krauchenka / David Hallberg (von Rothbart)
Gennadi Saveliev (Benno)

Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Grand Tier F Odd

***白鳥の湖 Swan Lake***

SWAN LAKE - ABT (Wed, May 28, 2008)

2008-05-28 | バレエ
結局、マキ(マキシム・ベロセルコフスキー)の負傷により、彼のみならず
ドヴォ(イリーナ・ドヴォロヴェンコ)までキャンセルしてしまった5/20の『海賊』
(ただし、20日以外のドヴォ・マキペアが予定されていた『海賊』の残りの公演は、
ドヴォがメドーラを踊り、スターンがマキの代わりにドヴォの相手役を務めたものもあったそうです。)

その『海賊』の翌週の『白鳥の湖』。マキの怪我の程度がわからないので、
もう何があってもおかしくない!でも、ドヴォだけでも観たい!と思っていたのですが、
今日の『白鳥』、きちんと予定通りにドヴォ・マキ二人揃って踊ってくれることになりました。
パチパチ。
ということで、今日は私のドヴォ・マキ デビュー。

作品そのものからして、全幕通しで見るのが初めてだった『海賊』とは違い、
去年、ゴメス・ヴィシニョーワ組の公演を見る機会があったので、
少しは比較の拠り所となるものがあるので、ドヴォ・マキ組からどんな印象を受けるのか楽しみです。

ABTで現在かけられている『白鳥』では、冒頭の部分でプロローグ的な踊りがあって、
人間の姿のオデットが、ロットバルトの毒牙にかかり、白鳥の姿で飛び立っていく、、
という振り付けがあるのですが、
ここでの、ドヴォの踊りが、去年観たヴィシニョーワ、
それからこの公演の翌日の木曜日の公演で観たアナニアシヴィリに比べると、
ドヴォは、ロパートキナと動き(特に腕から手の扱い方)がよく似ていると思いました。
身についたスタイルのせいで偶然似ているのか
(でもロパートキナと同じキーロフのヴィシニョーワは私にはとても違って見える)、
やはり当代随一の白鳥といわれるロパートキナを意識しないでおこうとしてもそうなるのか、、。
そこのところはよくわかりません。

このプロローグのオケは、、、弦や木管くらいまではまあまあだったのですが、
金管と打楽器が入ってきて、思った。
これ、鼓笛隊、、、?
この安っぽい音は一体なんなんでしょう?
ラ・マルシュなる指揮者によるABTオケ、今日はいつもにも増してひどい演奏でした。
もう先に書いてしまうと、この作品の一番の見せ所とも言えるニ幕では、
ヴァイオリン・ソロの最後の音は思いっきりぶら下がってるし、
本当にこのオケはまじめにてこ入れした方がいいと思います。
優れたダンサーたちへの冒涜です!

さて、気を取り直して。
マキが踊る王子は非常に軽やかでスマート。
どんなときでもクールで慌てず騒がず、、。
素敵ではあるのですが、しかし、こんなに頭の良さそうな王子が、
どうして、あんなロットバルトの簡単な企みにコロリとだまされてしまうのか、
いや、それこそが恋愛の怖さ、人間の弱さ!と解釈することもできるのかもしれませんが、
私にはどこか、彼の役作りとこの役が完全にぴったりとははまっていないような、
釈然としないものを感じました。
彼のスマートなたたずまいと踊りは、この王子の高貴さを表現するにぴったりなので、
一瞬とてもはまり役!と思うのですが、ずっと見続けているうちに、
段々と役の奥深い部分を演じる、また王子の気持ちの変化を描きだす、という点で、
少し物足りない気がするのです。が、その点についてはまた後ほど。

さて、王子の誕生日の宴に招待されている客や農民の踊り。
うーん、、、ABTは、例えばキーロフなんかと比べると、
踊りのスタイルに統一感がないと言われているようで、それに関連するのかも知れませんが、
最大の問題点は、各人の拍の感じ方の違いにあるような気がします。
同じ拍の中でも、微妙に出が早い人、遅い人が混じっていて、
これではどんなに足の角度や腕を出す方向を直したところで、
結果に結びついてこないのではないでしょうか?
逆に全員の拍を感じるタイミングが同じであれば、ある程度個人の技術の不備があったとしても、
全体としてはもっとまとまって見えるのではないかと思います。

そして、今日、またしても発見してしまいました。ABTの危険人物。
農民の男性として、濃い緑の上着を着て踊っている男性なんですが、
ステップのとり方、ポーズの決め方、どれをとっても、ありえないくらい適当。
これはもしや去年の『マノン』のときと同じ男性??!!と胸がどきどきしてしまいました。
もうそうなのだとしたら、怖いくらいに成長の後が見られません。
そんな彼が、隣の男性ダンサーに女性ダンサーを空中で投げ渡したりするのですから、
見てるこちらがひやひやします。
大体このシーン、かなりの数のダンサーが一緒になって踊っているのに、
一瞬にして目を引いてしまうとは、かなりやばい適当さ加減です。
まさか、人数が足りなくなって大道具の人でも借り出したんじゃ、、?と思うくらいに。

王子の友人役を踊ったジャレッド・マシューズ。
この人は地味ながら、いつも非常に安定した踊りを見せる究極のお友達キャラ。
去年の『ロミオとジュリエット』のベンボリーノ役で、
コレーラ、コルネホとの息のあった踊りも記憶に新しいのですが、
今日のベンノ役でもきっちりと脇を固めていて、好印象でした。

それに比べると、一幕のパ・ド・トロワを踊る女性ダンサーの片割れである、
ミスティー・コープランドのそれは、レイエスの予備軍のような踊りで、
私は全く好きになれませんでした。
彼女も、腕から手にかけての動きが美しくなく、踊り全体に、
ほとんど妙なクセともとれるものがついてしまっているように思います。

母親に”あなたもそろそろ結婚を、、”と促され、友人や農民たちが楽しげに踊る中、憂鬱げな王子。
ここは結婚しなければいけないのが嫌なのではなく、結婚したいと思える相手がいないことに
ブルーになっていると理解するべきだと思うのですが、
マキのそれはメランコリックさを前面に押し出した表現。
逆にいうと、メランコリックさ以外はほとんど何も伝わってこなかった、ともいえます。

第二幕の湖畔のシーン。
プロローグの踊りがロパートキナに似ていたことと、ドヴォ自身のルックスの良さもあって、
どちらかというと、優雅な孤高の白鳥というラインで行くかと思ったのですが、
意外と、王子に自分の身の上を話すマイムでは、
”あのね、あのね、こうなってね、そんで、ああなってね”と、
まるで少女が一生懸命大人に話しかけているようなけなげさとこの状況から逃れたい必死さが
伝わってきます。
彼女のマイムは美しさと表現としての濃さのバランスがとてもいいです。

第ニ幕のパ・ダクシオンでは、さすが夫婦!息の合ったところを見せてくれたのですが、
ドヴォの踊り全体について、一点不満があるとすれば、膝が少し緩い感じがするときがあること。
曲がってはいないのですが、膝に力が入っていないように見えるというか、。
そして、それは、なぜだか特にソロで踊るときよりも、マキと一緒に踊っているときに多いのです。
ここの振り付けでも、男性が女性持ち上げて、肩越しにまわすようにして着地させるという振りが
数回続く個所がありますが、ここが彼女の緩んだ膝のせいで全く美しく見えなかったのは残念。

しかし、コーダ。ここは、ドヴォが素晴らしかったです。
生き生きした中にも、気品があって、恋を見つけたこと、呪いが解けるかもしれないこと、
その喜びが全身に溢れていました。

コール・ド。
去年よりはよくなっているような気がしたのは気のせいでしょうか?
特に白鳥が全部出てきた後に、オデットがすっと全員の前に立って王子と向き合うところまで。
ここのドヴォの立ち姿はまるで見得を切る歌舞伎役者のよう。
私たち、白鳥ですのよ!とでも言っているかのように。
さっきまでの少女っぽさはどこへやらで、突然気位が上がったような気がするほど。
主役はあくまでドヴォ=オデットで、まわりの白鳥は引き立て役。
それはある意味そうだし、かっこいいのだけれど、これ以上やると、決めすぎになってしまう
微妙なところで踏みとどまっていました。



三幕で少しマキの踊りが不安定になった個所がありましたが、
それを吹き飛ばしたのがドヴォ=黒鳥のフェッテ。
無理にダブルを入れようとせず、シングルを基本に忠実に踊るアプローチで、
その軸のしっかりしていることと回転そのものの丁寧さと速さは素晴らしかったです。
ただ、あまりに模範的に綺麗すぎて、このフェッテにオディールの勝利の高笑いという側面があったか、と言われれば答えに窮します。

かようにドヴォの技術に関しては、先ほどの膝が時に緩いこと以外は言うことがなく、
非常にレベルが高いのですが、彼女は断然オデットの方が合っている。
彼女のルックスから言って、オディールの方がいいんだろうな、と予想していたのですが、
見事に裏切られました。
ドヴォ、オディールに関しては、32回転などの大技をはじめ、ものすごく綺麗に踊っているのですが、
フェッテから高笑いが聞こえてこない、というところとも重なってくるのですが、
このオディールをどういう人物として描こうとしているのか、というのがあまり伝わって来なかった。
ドヴォ=オディールは高飛車でもあまりないようだし、
なんだかオデットがそのまま黒い服を着て踊っている、という感じに近いように私には思えました。



すっかりオディールに心を奪われ、彼女を妃として選ぶことを心に決める王子。
ロットバルトに”じゃ、永遠の愛を誓うね?”と言われ、”誓います!”と
答えるときのマキ。
また、誓った途端、舞台奥に囚われた白鳥オデットの姿が映し出されて
自分がとんでもない過ちを犯したと知った王子が、オデットに近づいたものの、
大きな木の扉がしまって、扉を叩きながら泣き悔やむ場面。
いずれの場面も、これは彼の踊りのスタイルなのでしょうが、良くも悪くも形式的。
つまり、どちらかというと現実味よりも美しさに比重がかかった踊りなのです。
そのような”あえて形式的”な踊りから立ち上る独特の美もあるとは思うのですが、
オペラヘッドの私としては、もう少し熱く、ヴェリズモチックに攻めてくれてもいい。
いや、攻めてほしい、むしろ。

私が今日のドヴォの中で一番素晴らしいと思ったのは四幕で、
オデットを追って森を抜け、湖畔に現われた王子を、岩場でそっと立って待っているシーン。
この彼女の立ち姿には、そこはかとない悲しみと失望が溢れ出ていました。
王子を愛する気持ちには変わりないけれども、何かが決定的に変わってしまって、
もう二度とそれは元には戻らない、とオデットが思っているような。
このABTのプロダクションでは、オデットを追って王子も湖に身を投げ、
あの世で二人は結ばれる、その愛の力にロットバルトも滅びる、という構成になっていますが、
彼女のオデットには、どこか指一本分だけにせよ、
完全には王子を許さないままに、湖に身を投げて命を絶ってしまったようななんともほろ苦い後味がありました。

さて、ここでふれておきたいのがロットバルト。
このプロダクションでは、三幕の大広間に現われるダンディーなロットバルトと、
湖のまわりにいるときに現われる半魚人のようなロットバルト
(衣装は翌木曜の公演のレポの写真でチェック!)を、
二人の別々のダンサーが踊ります。
ダンディーなロットバルトを踊ったのはラデツキー。
彼はもう一回り踊りが大きくなるともっと良くなるのにな、と思うのですが、
まずは手堅くこの役をまとめていました。
しかし、ものすごいインパクトだったのは、ズルビン演じた半魚人版ロットバルト。
この人は去年の『マノン』で、フェリを相手に堂々とGM役を踊り、
(しかも、本人はまだすごく若そうなのに、エロじじいの役とは、、)
私からエロ貴公子との名を献呈されましたが、
一年見ない間になんかものすごく太ったような気がするのは気のせい?
というか、『マノン』の頃もポチャッとしていたので危ないぞ、、と思っていたのですが、
いまや危ないどころの騒ぎじゃありません。
この半魚人の衣装は、全身タイツ系なのですが、ものすごく恰幅よくなったおなかまわりといい、
立派な太ももといい、ものすごくグロテスクな半魚人になってしまってます。

本人もそれを意識してか、しないでか、踊りも、あのGMの時の若いに似合わない
妙な色気のあるおやじっぷりから一転、怖いくらいに自分をかなぐり捨てての
キワモノ系へ大変身。
ものすごいゲテモノっぷりに、終演後には彼にブーを飛ばす人もいましたが、
私は、やや一本調子だったマキの演技よりも、この半魚人ズルビンのものすごいインパクトに、
四幕は目が釘付け。
彼の半魚人ロットバルトを見ていると、”なんて醜いんだ!!!”と
ものすごい嫌悪感が起こって来たのですが、
ある意味、この役の邪悪さをこんなにわかりやすくビジュアルで表現した、という才能は大変面白い。

もうちょっと痩せないと踊りに支障が出るまでになって来ているように思いますので、
大いに減量の努力をして欲しいものですが、
この人には毎回、良くも悪くもぎょっとさせられ、非常に気になるダンサーの一人です。

Irina Dvorovenko (Odette/Odile)
Maxim Beloserkovsky (Prince Seigfried)
Roman Zhurbin / Sascha Radetsky (von Rothbart)
Jared Matthews (Benno)

Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: David LaMarche

Metropolitan Opera House
Grand Tier E Odd

***白鳥の湖 Swan Lake***

LE CORSAIRE - ABT (Tues, May 20, 2008)

2008-05-20 | バレエ
昨シーズンはバレエ鑑賞デビューの年で、何もわからない状態で、
バレエ鑑賞のメンター、yol嬢にすすめられるままに観に行ったABTの公演ですが、
フェリの最後の公演のいくつか(『マノン』『ロミオとジュリエット』)、
またヴィシニョーワのいまだ強い印象が残り続けている公演(特に『ロミオとジュリエット』)など、
本当に素晴らしいものを見せて頂きました。

あれから一年。その間には、ABTの秋シーズンの公演、キーロフ・バレエのNY公演などもあって、
ほんのちょっぴり鑑賞歴が増えたので、今年のABTのメト・シーズンは
いっちょこまえに、行きたい公演を何とか自分でピックアップできるかと思いきや、
これが大間違い。

悩ましいキャスティングの妙に、まだ見た事のない演目とダンサー達、
そして、何よりも、知れば知るほどもっと観たくなる、という究極のパラドックスのために、
シーズン・カレンダーを片手に、耳にペンをさして、通勤列車の中でどの公演を観に行きたいか
チェックしているうちに、気が付いたらほとんどの公演に○がついていた。
いくらなんでもこれは行きすぎだろう!
ということで、順位をつけて、下のものはどれか削らなきゃ!と思うのだけれど、
これが簡単に行かない。
結局、やっぱりyol嬢に大変お世話になってしまいました。

さて、昨シーズンの公演を見て絶対今年もまた見たい!という人を組み入れるのと同時に、
おすすめを聞くと、ドヴォ・マキ組はぜひ観ておいてほしい!というyol嬢の話。
ドヴォ・マキとは、イリーナ・ドヴォロヴェンコとマキシム・ベロセルコフスキーご夫妻のペア。
なぜ、ドヴォは苗字で、マキは名前から来ているのか?それは聞かないでほしい。
単なる語呂の問題だから。
この二人、いずれもウクライナはキエフの出身。
ABTの中でも比較的数少ない、ロシアン・スタイルのバレエが身についているダンサーなのだそう。
(ここでいうロシアとは国の名前としてではなく、もう少し広い意味で使っています。)

しかも、今シーズンのプリ・オーダー用の演目カレンダーは
この二人が表紙だったのだけど、本当にフォトジェニックで美しい。
同じ写真が見つけられなかったので、2006年のメト・シーズンの『ジゼル』の写真をかわりに。



追記:演目カレンダーの写真見つけました!
      



ということで、今メト・シーズンはこの二人を中心に据えて、他に見ておきたいキャストを加えていく形で、
なんとか観に行く公演を決定できました。

さて、今日のこの『海賊』の初の全幕公演鑑賞は、メドーラにドヴォロヴェンコ、
コンラッドにベロセルコフスキー、アリにコレーラ、
ランケデムにコルネホ、ギュリナーラにレイエス、ビルバンドにラデツキーという、
強力なキャストで、とっても、とーっても楽しみにしていたのに、
公演前日にウェブサイトを見ると、キャスティングが、
メドーラがヘレーラに、コンラッドがゴメスに変わってる、、、。
な、なぜ、、??!!
ダックス王子、ゴメスは好きだけど、でも、私のドヴォ・マキ初体験は、、?!

メトに着くと、ひらひらしてました。キャスト変更の紙片がプログラムの間で。
それによると、ベロセルコフスキー 負傷のため 云々、、、、。
ドミノ式にパートナーであるドヴォロヴェンコも交代になってしまったようです。
しかし、、、ドヴォ・マキ組を中心に組んだスケジュールなので、
来週の白鳥もドヴォ・マキ組のチケットを購入済みなんですけど!!
マキ!!!復帰できるのっ?それまでに!!!???
これで白鳥もキャンセル、代わりにあまり好きでないダンサーに変更になったら私は泣きます。

パロマ・ヘレーラは秋シーズンのコンテもの、『From Here on Out』でダイナミックな踊りを見せていたし、
ゴメスは、去年のメト・シーズンで、私のお気に入りになり、
(多分、ダックスフントを飼っている事実だけでお気に入りになってしまった。
しかし、付け足しのようで何ですが、踊りも端正で素敵。)
秋シーズンのコンテもの(『From Here on Out』と『C. to C.』のド迫力の踊りで、さらに二重丸が加わったので、
今日の変更は、ショックが少なかった方ではあります。

なんですが、このゴメスのコンラッド。
これが期待したほどには、ぴんとこないのです。なぜだか、、。
彼は『白鳥の湖』の王子キャラも悪くないし、『シンデレラ』のまじめゆえの滑稽さはさらにいい感じだったし、
何よりも真髄はあのコンテポラリーもののパッショネートなダンス。
聞くところによれば、『オテロ』のような熱いキャラも良いようなのですが、、。
なのに、このコンラッド。この役はどうもしっくりしない。なんだろう、、?



多分、この海賊という特異な職業のせいで、どこかこのコンラッドという役には、
おかしさと粋さが同居していて、それでいてロマンチストでもあり、、という、
作品自体の筋立ては滅茶苦茶単純なのに、いや、ある意味、それゆえに、
非常に難しいキャラになってしまっているのかもしれません。
そして、ゴメスは、素敵だけど、私から見ると、軽妙な粋さみたいなものが欠けているような気がします。
まあ、それゆえに、あの『シンデレラ』での王子は逆におもしろかったわけですが、、。
ゆえに、彼の演じるコンラッドは残念ながら、ちょっと退屈だし、あまり魅力的でない。
もし、この役で初めてゴメスを見ていたなら、決して私のお気に入りリストには入らなかったことでしょう。
他の作品で、あんなに生き生きと役を演じられる彼が、このコンラッドに手を焼いているのは、
非常に意外でした。
秋シーズンの時に比べると、少し痩せたかな?と思ったのですが、
踊りもやや迫力を欠いていて、彼にしては凡庸な結果になってしまったように思いました。



ヘレーラも、秋シーズンのコンテでのキレのあるダンスとは対照的に、
この演目では、どこかスタイルのない、おさまりの悪い感じが拭えません。
彼女は見た目はおきゃんな可愛らしさもあるし、スタイルも、ロシアのダンサーのような
すらーっとした体型ではないものの、ラテン系のダンサーにしては、非常に均整のとれた方だと思うのですが、
なぜか、彼女が踊っているのを見ると、ディズニーランドでのダンス・ショーを思い出してしまう、、。
技術の話ではないのです。雰囲気が。

そして、今日は言わないでおこう、と思ったのですが、やっぱり言ってしまいますと、
それを冗長しているのがオケの演奏。もう、本当にへぼすぎます。
演奏のヘボさが、ディズニーランド・ショー化に加担しているとしたら、ヘレーラには気の毒ではあるのですが、
相互作用という面もあるので、分けて考えることは私にはできません。
ああ、しかし、あの適当なヴァイオリンのソロを思い出しただけで泣けてくる、、。
キーロフはやっぱり、これに比べると、踊りはもちろんですが、音楽の演奏は百万倍上。

そう!私はこの『海賊』の二つの場面を、キーロフのNY公演で見てしまったのでした。
それも、ロパートキナのメドーラ、コズロフのコンラッド、そしてコールプのアリという強力キャストで。
これはABTには痛すぎたですね。

そう、ヘレーラには、あの時のロパートキナのような燦然とした輝きがないのです。
どこか隣のお姉ちゃん風。
さっき、”技術の話ではないのです”と言っておいて、矛盾するようですが、彼女は技術にも
やはり鍛錬の余地があるように思います。
特に腕の使い方。少し彼女流のくせがあって、これが十全に役を表現する妨げになっているように感じました。
あとは、回転するときに、少し上半身が前のめりになる傾向も。
一生懸命丁寧に踊ろうとする意志は感じるので、あまりこきおろしたくはないのですが。

それに比べると、レイエスのギュリナーラは、、。
うーむ。私ははっきり言ってしまうと、彼女の踊りが全く好きでないのかもしれません。
まずそれ以前に、首がやや肩に埋まってしまっているような体型も気になるし、
(もちろん、バレエのダンサーにしては、という括りつきです。)
ケロンパのような表情も、役次第ではちょっとどうなんだろう、、と思える。
まあ、このギュリナーラのような役には悪くないのですが。
踊りのことを言うと、この人の踊りには、ためというのがまったく存在しない。
ずっとずっと動きっぱなしで、ポーズを堪能させてくれないのです。
ものすごくフラストレーションがたまります。

とコンラッドと女子陣がやや冴えなかったのですが、それを補って余りあったのが、
男性の脇役軍。

まずは、パシャ役のバービー。踊りらしい踊りはありませんが、
要所要所で笑いをとらなければいけない大切な役。
これを絶妙なタイミングで、しかも”可愛らしく”演じてくれました。
”生ける花園”の前で、召使がもってきたクッションに顔から突っ伏して
寝に入るのはかわいかったなあ。

そして、ランケデム役のコルネホ。




彼は、本当にABTでものすごく大切な存在になっていることを実感。
彼が登場すると舞台が締まります。
高いジャンプにすばしこい動きに、と、その身体能力はすごい。
憎めないこの役を好演していました。

しかし、そんなコルネホでさえ一瞬にしてかすむのがコレーラ。
というか、彼が他のダンサー全員と舞台に立っていると、そのオーラで、
見るほうの目は彼だけを追ってしまう。
コルネホはもちろんのこと、主役のゴメス(コンラッド)も、余裕で食ってしまいました。
バレエ鑑賞超初心者なので、彼の昔の踊りというのを見た事がないゆえ、
比べるということが出来ないのが残念ですが、
おそらく年齢とかキャリアの長さからして、少しずつプライムを過ぎ始めているのでは?と感じさせる部分はあります。
しかし、それを意志の力ではねかえそうとするような、強力な意欲を彼の踊りから感じ、
それが彼の踊りの最大の魅力となっているように思います。
彼の踊りを見ていると、こちらも元気が出て、思わず笑みが出てしまうのですが、
それは、この彼の意思の力が、踊りという媒体を通して、観客に伝達されるからではないでしょうか?
yol嬢によれば、スペインで自らバレエ団の設立に奔走しているということで、
ABTで踊るのがいつ最後になってもおかしくないから、機会があるうちにたくさん見ておくように!ということですが、
こんな踊りをもしABTで見れなくなるとしたら、NYの観客には、本当に大きな損失です。
さて、プライムを過ぎ始めていたとしても、彼はもともと技術のレベルが非常に高いので、心配無用。
今日のニ幕のパ・ド・ドゥ(キーロフのレポにも書きましたが、
なぜコンラッド、メドーラ、アリの三人で踊るのにドゥなのか
よくわかりませんが、キーロフのプログラムにならってこのように表記しました。)、
コレーラのアリがソロで踊るシーンでは、何と高速回転しながら(そう、彼の回転は、
滅茶苦茶早いのを一年ぶりに思い出した!)
そのうえに、膝を曲げたり伸ばしたりするというひねり技を、
後半の回転のいくつかに投げ込み(こんなのは、キーロフの時はなかったはず、、)
観客から、”うおーっ!”というどよめきと歓声がわきあがり、
踊り終わった後は轟音のような歓声と拍手。
昨シーズンの『ロミオとジュリエット』の空が切れるのが見えるような回転もすごかったですが、
今日のこれはまた、、、!!!!!
ああ、この人は本当に凄すぎます。
この果敢に技に挑戦する気持ちと、それを成功させた、そのために積んでいるはずの鍛錬を思うと、
本当にひれ伏したいような気持ちになってしまいます。



こんな技が入りつつも、(舞台を遠くから見ていると)割と華奢でしなやかに見える彼の体型もあってか、
彼の演じるアリは、少年のよう。
素敵な兄貴的存在のコンラッドを強烈に慕っている感じの。
だから、メドーラへの思慕はやや希薄な感じもします。
という意味では少し、ホモセクシャルな雰囲気すら漂っているかも知れません。

一方で、キーロフのNY公演の時のコールプ演じたアリは、
もっともっと年齢的にもアリに近い感じで青年風。
そして、メドーラへの思いも本物。
少しだけ年上のリーダー(海賊の、、)の彼女に恋焦がれて苦しむせつなさが、
私はあのキーロフの公演のときに伝わってきて、とても素敵な表現だと思ったので、
役の描き方という意味では、コールプの表現の方が好きかもしれません。

ただ、あのコールプの表現は、輝くような存在のロパートキナのメドーラがあったからこそ、だったかも。
ヘレーラ演じる隣の姉ちゃん風のメドーラでは、
仮にコレーラがコールプ風に演じたところで、”なんでそんなに恋焦がれるの?”と、
逆に違和感が生じる結果になっていた可能性もあります。
そう考えると、舞台というものは、一つ一つのこと、一人一人の登場人物が
全体のダイナミックスを変える大切な要素なのだ、ということを痛感します。
一人だけでは完全に役を演じきることはできないのです。



最後に、第三幕の生ける花園について言うと、キーロフが踊ったそれとは全く別物。
パシャだけではなく、退屈さに私も夢の彼方にとんでしまうのではないかと思いました。
幼児ダンサーを投入し、彼らのかわいさだけでもった感じ。
あの場面の本来の美しさがまったく損なわれていました。
厳しい意見かもしれませんが仕方ありません。

そうそう、オダリスクの中で、一番最初に踊った女性(おそらくリチェットだと思われます)は、
やや小柄で一瞬レイエス系か!とこちらを身構えさせますが、
踊りの方はずっと柔軟で、丁寧で、見所がありました。
期待していた、同じくオダリスクの一人だったヴェロニカ・パートよりも
私は彼女の踊りの方が良いと思いました。
これからの公演でも活躍してほしいものです。


Marcelo Gomes replacing Maxim Beloserkovsky (Conrad)
Paloma Herrera replacing Irina Dvorovenko (Medora)
Angel Corella (Ali)
Herman Cornejo (Lankendem)
Xiomara Reyes (Gulnare)
Sascha Radetsky (Birbanto)
Victor Barbee (Seyd)
Maria Riccetto, Kristi Boone, Veronika Part (Odalisques)

Music: Adolphe Adam, Cesare Pugni, Leo Delibes, Riccardo Drigo and Prince Oldenbourg
Choreography: Anna-Marie Holmes after Marius Petipa and Konstantin Sergeyev
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Grand Tier D Odd

*** 海賊 Le Corsaire ***


KIROV BALLET (Tue, Apr 15, 2008)

2008-04-15 | バレエ
約三週間にわたるキーロフ・バレエのNY公演もとうとう最終週を迎えてしまいました。
今週はフォーサイス・プログラムとバランシン・プログラム。
古典もののプログラムで始まったこのNY公演ですが、
フォーサイスはNY生まれ、バランシンもNYシティ・バレエと縁が深いということで、
今週のプログラムはキーロフからのちょっとしたNYへのトリビュートともなっています。

そして私が鑑賞する公演は、今日のフォーサイス・プログラムが最後。
すべて、80年代から90年代に初演されたコンテンポラリーもので構成されています。
やっとダンサーの名前と顔が一致し始めたところだったのに、これでまたしばらく
ダンサーの皆さんとお会いできないのだと思うと万感の思い。
しかし、今日の公演は、私のバレエの師匠のアイドル、コールプが出演するわ、
今回のNY公演で私がコールプと同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に
盛り上がってしまった(もちろん、師匠には言えない。)ファジェーエフ
も出演するわ、で、
とにかくしっかりと、その踊りを瞼に焼き付けなければ、と今日もかなり必死です。


 STEPTEXT

フォーサイスの作品は英語での語感を大切にした、和訳しにくいタイトルばかりなので、
そのまま英題で行きます。
(そもそも和訳があるのか、ない場合、カタカナでの標準表記もよく知らないゆえ。)

バッハのパルティータ第二番ニ短調 BWV1004の”シャコンヌ”が用いられているこの作品。
今日はちなみにオケの演奏はなく、すべて録音された音楽にのせて踊られる。
プレイビルには仰々しく、ヴァイオリン演奏 by ナタン・ミルシテインと書かれているが、
ものすごいサンプリングの嵐で、これじゃ、ミルシテインだろうが、ハイフェッツだろうが、
誰だろうが関係なーい!!と思うのは私だけか?

一フレーズ、いや時には数音だけで音楽が止まって空白の時間があって、
また音楽が始まって、、という繰り返しが何回かあってから、
少し長めの演奏があって、またストップ、という感じで、
この作品は静と動の対比が中心軸にあります。
とくに動に入るときが、一気にアクセルをぶおん、と吹かす感じ。
また動モードの時の振りがかなり速いです。
ということで、この作品の良さを引き出すには、動モードをアクセル全開で踊れるダンサーが
必要不可欠だと感じました。

この動の部分でのリズムを的確に踊りきっていたのはヴィシニョーワが一番。
とにかく彼女の踊りのキレは、他の男性ダンサー3人に囲まれても群を抜いていて、
ほとんど全編を通して、音楽のリズムから一度も遅れずに正確に踊りぬいていたのはさすが。
彼女の身体能力の高さが際立ったパフォーマンスとなりました。
ただ彼女の踊りを持ってしても、この作品がおそらく求めているようなスタイルの
激しさは出切っていない気もします。
やや気の毒だったのは、動の部分の表現がのって、火の玉のような踊りになりかけると、
それはそれで、サポート、特にセルゲーエフがついていけてなかった点。
彼は、一度など、中腰になって構えた姿勢の腕に、彼女が飛び込んで来た瞬間
バランスを失って、あわや後ろ向けにひっくり返りそうだったほど。

作品のスタイルを一番追求していたのはコールプでしょうか?
彼の踊りは、4/9のそれとは違って、ほとんど雑とも見えるほど。
しかし、4/9にはあんな純愛アリを演じ踊れた人ですから、この一見乱暴と見える動きも故意としか思えません。
確かに、この作品のみならず、今日の公演全作品を通していえるのは、
キーロフが踊るフォーサイスは少し、綺麗すぎてこじんまりして見える、ということで、
その中で、このコールプのアプローチはそれを打開する可能性のある、
たいへん興味深いものではあるのですが、
いかんせん、他のダンサーたちが彼ほどには突き抜けていないので、下手をすると、
比較として彼が単に雑に踊っているようにしか見えなくなる瞬間があるのは残念。
ダンサーたちの間でこの作品に対する解釈とアプローチの仕方にややずれがあるのかな?と
いう後味が残ってしまったパフォーマンスでもありました。

一番サポートの面でヴィシニョーワと息が合っていた(ということは、彼らのアプローチが
比較的近い、ということになるのかもしれませんが)のは、ターザン男、ロブーヒン
最後のカーテン・コールでも、ヴィシニョーワが唯一、”やったわね!”という感じで
視線を投げていた相手がロブーヒンでした。

コールプは、ちらちらとすごいダンサーであるという片鱗が見えるものの、
”そう簡単には全部見せないよ~~~ん!”とばかりに、私の見た公演では、
まだまだ彼の実力はこんなもんじゃないだろう、、という不満がありました。
実際、師匠から送っていただいたyou tubeの映像の数々と比べると、その感を強くします。
そんなにじらすんなら、ファジェーエフに本当になびいちゃうわよ!と思う私なのでした。
師匠、すみません。
次回彼を観れることがあったなら、その時こそは彼のベスト・オブ・ベストを見たい!!


 APPROXIMATE SONATA

曲はトム・ウィレムズのもの。トリッキー(注:マッシブ・アタックの初期のメンバーで、
トリップ・ホップのジャンルを確立した人)の曲『パンプキン』もフィーチャーされています。
ニュー・ヨーク・サン紙は、この作品がこの日の公演で最もつまらなかった一品、と
こきおろしていますが、私は全然そうは思いませんでした。

まず、最初からすごいインパクト。
イワーノフが顔をくちゃくちゃにしながら、まるで化け物のような歩みで登場。
サイ・ファイ映画、もしくはホラー映画で、段々人間が顔をくちゃくちゃにしながら、
別の星からの生物、もしくはモンスターに変身していく過程が描写されることがありますが、
それに近い。
まるで顔の筋肉が麻痺しているような、すごい動き。
そう、この場面で踊るダンサーには、体の筋肉はもちろんのこと、
顔面でも、ものすごい筋肉の動きを要するのです。
イワーノフ、その状態でだんだん舞台の前面に少しずつ歩み寄ってくるので、観客も思わずしのび笑い。
いや、笑ってはいけないんでしょうが、あまりのインパクトについ、、。
私も思わず下を向いて笑ってしまったです。

しかし、ふっと、その麻痺がとれて、手がなめらかに動きだす、、
その自由に体を動かせる、という思いがけない喜びをダンサーが表現するところから、
私は一気にこの作品に引き込まれてしまいました。

そして、さらに仰天はその後、すぐに登場する女性ダンサー、シェシーナ。
今日の公演まで、多分一度もお目にかかっていないと思うのですが、
この体型は、、、!!??
本当にキーロフのダンサーなんだろうか、、。
なんだか遠目に見ても、歳をだいぶ食っているように見えるし、
それよりも何よりも、このピーマンのようなお尻とたぷたぷした太ももはどうでしょう??
偉そうに人の体型のことを言えるような私ではありませんが、しかし、私はバレエを、
それも天下のキーロフのバレエを見に来ているのであって、そこでこんな強烈なお尻を
目にすることになるとは、、。
で、そんな体型であるからして、当然踊りも重たい。
あまりのショックに、最初は座席で固まっていた私ですが、ふと気付いたのです。
そういえば、このシェシーナとコンビで踊っているイワーノフも、
わざとなのか、体育の先生のようなだっさい衣装を着て、他のダンサーと比べると、
なんだか鈍重な感じ、、。
これは、もしかして、わざと、、、?

と思っているうちに、次のペア、ジ・ヨン(と読むのでしょうか?)とポポウが登場。
二人ともすらーっとしていて安心。ああ、これでこそキーロフだわ。
しかし、ジ・ヨン、針金のように細いのはいいとしても、骨盤が異様に目立つ体型で、
何だかじっと見ていると、体がムズムズっとしてきたのは私だけでしょうか?
また、彼女は後に踊った他のダンサーに比べると、少し股関節が固いのか、動きが若干不自由な感じがしました。

最初のインパクトを切り抜けて、彼らの踊りを見ているうちに、
気持ちが落ち着いたのと同時に、少しテンションが下がったのも事実。
しかし!ここからこの作品は上に向かっていくのです。

3組目のヤーナ・セリーナとピモノフ。セリーナが本当に素晴らしい。
この彼女の美しい動きを見ていると、あの1組目の強烈ペア、シェシーナとイワーノフと、
まさに対極に置くためのこの第三組であることがわかります。
セリーナは、その完璧な動きのなかにもどこか優雅な持ち味があってそれが素敵。
私は彼女が舞台にいる間、目が釘付けになりました。
よって、ピモノフの踊りがどんなだったか、全く覚えていません、、。



そして、第四組目のコンダウーロワとジュージン。コンダウーロワは
大柄なゆえのスケールの大きさが、こういったコンテものではとてもよく生きています。
彼女はもしかしたら、コンテの方がいいくらいかもしれません。
しかし、彼女の足はすごい筋肉ですね、、。古典ものではタイツで見えませんでしたが、
こうやって生足を見ると全脚筋肉!という感じでびっくり。
セリーナのそれに比べると、少し男性的な雰囲気すら漂う踊りではありますが、
踊りにほとんど厳しさのようなものまで漂っていて、見事。
こうやって順に追ってみると、まるで、同じダンスが段々と進化していく
その過程を追っているようで、大変面白い。
また、拡大解釈すれば、二人の人間の関係性の進歩を表現しているようでもあり。
トライアル&エラーを繰り返して、成長していく二人、、というような。
最初はぎこちなく、だんだんよそよそしくはありながら、それでも二人は近づき、
やがて完全にお互いを理解し、その先には厳しいまでに研ぎ澄まされた関係が完成する、、。

最後に、また衝撃の一組目、シェシーナとイワーノフが出てきて、
ダンスの練習をし始め、”いやいや、そうじゃない”とストップしたり試行錯誤を繰り返す場面があるのですが、それを見ると、余計、そのようなストーリーを連想しました。

もし、このストーリー性を構築するために組んだキャストであるとすれば、
最高のキャスティング。
というか、このメンバーでなければ、このストーリーは絶対に見えてこない。
そうでなく、たまたまのキャスティングであるならば、、、
うーん、シェシーナ。こんな体型の人がキーロフ・バレエにいるということが衝撃的です。
ということで、この演目では、いつもこのように一組目に
少しださめな二人をキャスティングするのか、確かめたい気持ちでいっぱいにさせられました。


 THE VERTIGINOUS THRILL OF EXACTITUDE

これまでの二作品が非常に研ぎ澄まされた振りで、
ダンサーの体型と踊りのスキルを暴露する恐ろしい作品であるとするならば
(で、音楽もそれを反映している、、)、
この作品は、シューベルトの交響曲第9番を使用、
振り付けも打って変わって何も考えずに見れる美しさで、とても楽しい作品。
フォーサイスの振り付けは、3人が舞台にいる時のそれぞれのダンサーの扱い方に
ユニークさがあるように感じましたが、この作品ではそれが特によく見られるように思います。
もう少し行き過ぎると、ばらばらに見え過ぎるぎりぎりの線でとどめた
三人三様に違った腕の使い方やらは、大変魅力的でした。
ああ、こんな振り付けもフォーサイスは出来るんだなあ、と、その間口の広さを確認。



しかし、なんといっても今日のこの演目の魅力はダンサー全員の間のケミストリー。
全員がとにかく楽しそうに踊っていて、しかも、本当によく一緒に踊っている相手を見ている。
今日の全演目の中で、最もオーガニックな印象を受けたのがこの演目でした。

特に、男性陣、ファジェーエフとサラファーノフの素晴らしさは特筆もの。
4/6の『薔薇の精』ではユニ・セックスとも違う、そもそも性の存在そのものすら
感じさせない不気味な子供版薔薇の精を踊り演じたサラファーノフが、
今日は幕が上がった瞬間から、持ち場にぴったりはまった若々しい満面の笑みで、
踊るのが楽しくてしょうがない!
といった表情。しかも、その笑みが作品中ずっと絶えることはありませんでした。
そして、ファジェーエフは、なんといったらいいのでしょう、、。
さりげなくサラファーノフをひっぱりつつも、ずっと彼のことを目で追いながら、
合わせるところは合わせていて、それでいて、自分が出すぎることは決してなく、
あくまでアンサンブルを大切にしています。
もう、まさに素敵なお兄様!という感じ。私にもこんなお兄さんが欲しいー!!
サラファーノフからのファジェーエフへの信頼もひしひしと感じられ、
実の兄弟のような素晴らしいコンビネーションでした。

二人がユニゾン(バレエでもユニゾンというのでしょうか?)で踊る個所は、
もう、あまりの美しさに見とれっぱなし。
二人のジャンプやポージングがまた本当に綺麗なんです。。
本当に申し訳なく、私のボキャ貧ではこれ以上説明のしようがないのですが、
それくらい、素晴らしかったということで、、。
サラファーノフは、実際の公演で見た中でも最高の、
今日のような踊りこそは、私が彼をyoutubeなんかで見て楽しみにしていた、
彼らしい踊りそのものでした。

女性陣も全員きちんとこなすべき仕事をこなしていて、さらに、嬉しかったのは、
ずっと初日から降板続きだったノーヴィコワが、この公演から復活、
遅れを取り戻さん!とばかりに、気合の入った踊りを披露してくれたこと。

全員から漂ってくるポジティブな”気”のようなものに浸っているだけで癒される、
というような大変魅力的なパフォーマンスでした。大満足。
ファジェーエフお兄様、またいつかお目にかかれる日を楽しみにしております。

さて、In the Middle,~ の前のインターミッションで、
お隣の、眼鏡をかけて伊達ひげを生やした同年齢くらいの男性と会話。
この男性はコンテものがお好みらしく、今回のキーロフの公演も古典ものは一つも見てなくて、
このフォーサイス・プロとバランシン・プロを鑑賞するのみだそう。
フォーサイス・カンパニーが踊るフォーサイスものは、もっとfluid(滑らか)で、
エネルギーとパワーに溢れているけれど、それに比べると、やはりキーロフが踊るフォーサイスものは、
スタイルのせいもあって、ややお行儀がよいというのか、
少し堅苦しい感じがある、という印象を持たれたそうです。
とにかく、今日は、In the Middle, ~を最も楽しみにして来られたようですが、
メインを踊ることになったテリョーシキナの名前を聞いたことがない、とおっしゃったので、
”彼女の技術は素晴らしいですよ!”と、私も数週間前までは全く知らなかったくせに、
太鼓判を押しておきました。

さて。そういえば、Approximate Sonataのピーマン尻のダンサーについて尋ねるなら、
彼なんかいいかも、、、と、この作品はいつもこんな風に、
最初の組に衝撃のダンサーを持ってくるものなのか?と尋ねると、
彼も、この作品は初めて見たそうで、
”ボクも同じことを疑問に思ってたんだ!彼女、年増だし、太くて踊りも重たかったもんね!”
やっぱり、みんなそう思ってたんですね。

やがて、彼の逆隣りの席に、ややお歳を召したふくよか気味の、
バレトマンと思しき女性が戻って来たのですが、
なんとしたことか、髭面の彼は、無邪気にも、彼女にも同じ質問を、、!!

”あの、シェシーナというダンサー、年増で、太ってますけど、
あの作品では、わざとそういうダンサーを起用するものなんですか?”

同じく”年増”で、”太り”気味のその女性は、憮然とした表情で、
”別に。私は彼女、年増とも太っているとも思わなかったけど!”とプイ!
あっちゃー。聞いちゃいかんだろう、そんなどんぴしゃな人に、、と思ったけれど、時すでに遅し。
でも、私の疑問のために、そんな爆弾を発してくださったのだから、髭面の男性に感謝。
ということで、もしその彼女の発言が正しいとすれば、
わざとしたキャスティングではないということ、、。
恐るべし、シェシーナ!なのでした。


 IN THE MIDDLE, SOMEWHAT ELEVATED

もともと予定されていたイリーナ・ゴルプが欠場、ノヴィコーワもその前の公演まで
降板続き、ということで、どんなメンバーで踊られることになるのか、
やきもきさせられたIn the Middle,~ですが、
ノヴィコーワが先にも書いたとおり今公演から復帰のため予定通り出演、
そして、ゴルプの代わりに、強力な技術で定評があるテリョーシキナ姉さんが入るという幸運。

まず、悲しいくらいの80年代的なこの音楽に、まさにその頃に中高生時代を過ごした
世代の私としては、少し赤面してしまうのですが、しかし、この作品は、
最初の二作品と似たややストイックな雰囲気を醸しだしながらも、
それらよりはずっとThe Vertiginous~寄りの、見ているだけでも十分楽しめる世界をつくりあげていて、
そのバランスが非常にいいな、と思いました。
エイティーズしてますが名作!



技術のしっかりしたテリョーシキナをはじめとするダンサーたちが踊っているので、
悪かろうはずがないのですが、ただ、敢えていうなら、髭面のお兄さんが言っていたことに
つながっていくのかもしれませんが、少しスタイルの違和感というのはあるかもしれません。

この作品のみならず、フォーサイスの作品は静と動の切り替えというのが、
一番振り付けの中で大事なファクターになっているように思うのですが、
その動が止まって静に入るところ、ここはもっとぴしっ!!としている方が私は
この作品らしいのかな、と思います。
このIn the Middle, ~の映像を見た事があるのは、ギエムのそれだけですが、
彼女の踊りはまさにその静と動のギアの入れ替えがダイナミックで、
これこそ!と思わされるのですが、キーロフのダンサーたちは、
そこまでぱきぱきっとした切り替えではなく、もう少しゆるやかな
じわーっとした切り替えになっています。たおやか、と言ってもいいのかもしれませんが、
これがフォーサイス作品とうまくミックスするか、と聞かれれば、
ちょっと躊躇するものがあります。
せっかく振り付けに備わっているスピード感が少し減速してしまうような印象を受けました。

また、ポーズをとった端々に、どうしても古典ものを連想させる雰囲気があり、
たとえば、テリョーシキナがIn the Middle, ~の中でとったポーズの一つは、
まさに『ドン・キ』!という感じでした。

どんな作品をやっても、ア・ラ・キーロフになってしまう、
その強い個性が、このカンパニーの良いところでもあり、またネックともなるのかもしれません。
しかし、このスタイルの違和感を除いては、非常に丁寧な、技術面では申し分のない
パフォーマンスだったことは強調しておきたいと思います。
(私は先にも書いたとおり、他のバレエ団が踊るこの作品を見たわけではありませんが、
作品の良さが若干損なわれている、と感じさせること自体が
スタイルの違和感のせいではないか、と考えさせる理由になっています。)

髭面のお兄さんも、公演後、
”テリョーシキナ、いいダンサーだね。
名前を覚えて、今日家に帰ったら早速googleしてみよっと。”とじっとプレイビルとにらめっこ。
続いてピーマン尻のダンサー、シェシーナの名前を指で弾きつつ一言。
”それから、彼女。ボクにもバレエが出来るんじゃないか、って気にさせてくれたもんなあ。”
確かに(笑)。


Kirov Ballet Forsythe Program

STEPTEXT
Diana Vishneva, Igor Kolb,
Mikhail Lobukhin, Alexander Sergeev

APPROXIMATE SONATA
Elena Sheshina, Andrey Ivanov, Ryu Ji Yeon, Sergey Popov,
Yana Selina, Anton Pimonov, Ekaterina Kondaurova, Maxim Zyuzin

THE VERTIGINOUS THRILL OF EXACTITUDE
Elena Androsova, Olesia Novikova replacing Nadezhda Gonchar, Ekaterina Osmolkina,
Leonid Sarafanov, Andrian Fadeev

IN THE MIDDLE, SOMEWHAT ELEVATED
Victoria Tereshkina, Ekaterina Kondaurova, Olesia Novikova, Elena Sheshina,
Yana Selina, Ksenia Dubrovina,
Mikhail Lobukhin, Alexander Sergeev, Anton Pimonov

Orch J Even
New York City Center

***キーロフ・バレエ Kirov Ballet***

KIROV BALLET (Wed, Apr 9, 2008)

2008-04-09 | バレエ
4/3および4/6の二つの公演をもってしても、後者でのキャスト変更という思いがけない出来事で、
我がバレエの師匠のアイドル、コールプの御姿を一度も拝むことが叶わなかったので、
”コールプとは縁がないのかも、、”と、泣き言メールを師匠に送ったところ、
では、御姿が現われるまで通うのみ!とさらにおすすめの公演日を二つ挙げて頂きました。

今日はその一つ目。
全てが予定通りに運べば、いきなり一演目めの『海賊』のアリ役でコールプとご対面!となるはず、、。
しかし、実際に彼が舞台上に立っているのを、しかとこの目で見るまで、全く気が抜けません。

たまたま平土間よりもグランド・ティアーに比較的良い座席が残っていたので、
今日は舞台を上から見る形になりましたが、これが正解。
幸運なことに私の真後ろ数席は誰も座っていなかったため、持参したコートで即席座布団を作成。
ものすごく座高の高い人になって鑑賞できたので、ダンサーたちの足元までも良く見えました。
しかも、4/6に座った平土間の6列目よりも、ダンサーの顔の表情なんか、よく見えるくらい。
どういう構造になっているのか、NYシティ・センター、、つくづく謎のホールである。

今日は、プティパ/ワガノワ/ゴルスキーのミックス・プログラム。


 『海賊』より 生ける花園(第三幕)とパ・ド・ドゥ(第二幕)

この作品を全幕で見た事がないのはもちろんのこと、ガラ公演にも行ったことがないので、
この二つのシーン、しかも時系列からいうと逆になった組み合わせが一般的なのかはよく知らないが、
その全幕を知らない私のような人間にとっては全く気にならなかったし、
むしろ、この花園のシーンは、非常に華やかなのでオープニングにぴったり。
これはみんな、かつらなのだと思うが、そろいのピーチがかったプラチナブロンドのような
色の髪に、衣装も映えてとっても素敵。
しかし、このキーロフのNY公演も、二週間目に突入して、皆少し疲れが出ているのか、
コール・ドは今まで観た公演より、やや乱れがち。

しかし、そんな中現われたメドーラ役のロパートキナには溜め息もの。
この人は、私、あまりに両白鳥(『白鳥の湖』と『瀕死の白鳥』)のイメージが強いのか、
いつも悲しそうな表情をしている人、という勝手な思い込みがあったのですが、
今日のこのはじけぶりはどうでしょう!!
溢れんばかりの笑顔を湛え、そのうえにこの上ない気品が漂ってます。
この人は、みんなお人形さんのように可愛らしいコール・ドのメンバーに囲まれても、
なお頭一つも二つも別格に見える、すごい存在感の持ち主だとあらためて実感。



で、そんな風に表情ははじけているのだけれども、踊りは極めて丁寧で、
時には、私のようなとーしろのために、一つ一つの技をゆっくりめに踊ってくれているのではないか、と、
(まあ、ロパートキナが私のためにそんなことをする必要がないことは言うまでもないのだが、、)
錯覚するほどに、端々まで踊りに神経がこもっているのでした。

そして、いよいよ、コズロフ演じるコンラッドと、コールプ演じるアリの登場!!
ああ、生コールプ!!!!
これが実物なのね!!!!!

師匠は、”彼の中には緑の血が流れているに違いない(それほど怪しい魅力の持ち主)”、
そして、”もしかすると(そのあまりの個性に)気持ち悪い、と思うかもしれないけど、
それはそれで正直な感想を教えてね。”とおっしゃいましたが、どっこい、全く気持ち悪くなんかない。
いや、気持ち悪いどころか、端正なルックスと踊りだと思ったくらい。
初めて彼を見るのが他の役だったとしたら、また違った感想を持ったかもしれないですが、
私の場合、このアリ役での彼の踊りと演技が彼のデフォルトとなったので、
(というか、人生で、今のところ、これ一回きりのコールプ体験なのだから無理もない。)
彼の特徴としてよく言及される”怪しさ”とか”色気”よりも、
”純粋さ”とか”せつなさ”の印象が強かったです。

今日は少しバランスなんかでも苦労していて、もしかすると絶好調ではなかったのかもしれないですが、
私が気になったのは、その時に彼の演技がふっと技術の方に一瞬神経がとられるその点だけで、
むしろ、それを気にせず(といっても無理なんでしょうが、、)、がんがん突き通してくれれば、
それ以外の点で、たくさん美点があったパフォーマンスだったと思います。



特に、メドーラとコンラッドが絡む横で、すっとひざまづいてメドーラを見上げる様子からは、
(そして、その背中は、師匠が言うように、柔らかい、、)
まなざしはもちろん、体のすべての部分から、彼女を崇拝している気持ちが溢れていて、
その彼の気持ちを知ってか知らずか、あいかわらずはじけた表情で、
コンラッドと愛を交わすのが楽しくてたまらない様子で踊るロパートキナ=メドーラへの
届かない恋心が、本当にせつない、、。
男性ダンサーの踊りから、こんなやるせない片思いの苦しみが、
そして、それでもなお愛する女性を目で追わずにはいれない悲しみが感じられるというのは驚き。
コールプ、技術もあるのでしょうが、それよりもその役が表現しようとしていることは何なのかを考え、
そして、役が求める以上のことをしない、その清さと真摯さに、師匠同様、私も惚れましたです。

コンラッドを踊ったコズロフ。
コンラッドの衣装の一部である、頭に巻いたバンダナのような布切れに、
彼の田舎臭いヘアスタイルがはまって、まるで80年代から抜け出てきた人のよう、、。
コールプの垢抜け方とどえらい違いです。
まずは、そのダリル・ホール(*80年代を中心に活躍したデュオ、ホール&オーツの白人の方。)の
ような髪を、もうちょっと短く切るところからはじめましょう!
体がやや重たく見えてしまうのが難ですが、サポートは非常に丁寧だったと思います。
ただ、ロパートキナ、コールプという面子にはさまると、一番存在感が薄いのもまた事実。
他の二人に比べると、何も考えずに踊っているように見えてしまうのです。
まあ、ロパートキナとコールプの二人が凄すぎるので、気の毒ではあるのですが、、。

そのロパートキナについては何をかいわんや。
そのキラキラ度は本当にすごい。
もう、こんないい男二人に挟まれて踊った日には、キラキラにもなるというものでしょうが、
喜びを爆発させて、くるくると回りながら、舞台の上手奥から下手手前に向かって来た時は、
その回転の軸のぶれなさと、まるで定規で線を引いたような対角線を舞台上に描いた移動に、
観客から大きな拍手。

このパ・ド・ドゥ(プレイビルではパ・ド・ドゥになっていますが、三人で踊っているのにこれはいかに?)、
愛し合う二人(メドーラとコンラッド)と、その女性の方をそっと思い続けている男性(アリ)という、
私にとってはバレエで初めて見る、3人の心理模様を巧みに盛り込んだシーンで、
大いに楽しませてもらいました。これも、全幕でぜひ見てみたい作品。
そういえば、二ヶ月後に迫ったABTの公演で見れるのでした!楽しみ!!

 『ディアナとアクタイオン』

今日のこの公演にあたって、師匠が鑑賞のポイントをまとめたeメールを送って下さったのですが、
そのメールでも、そして私的にも、今日、最も期待値の低かったのがこの作品。
出演者もこの綺羅キャストの中では、一番アピール度が少ないし、
作品自体も今日の他の演目に比べると、やっぱり一番アピール度が少ないのである。

始まってすぐ、今までのキーロフの衣装からは異色に思える、どぎついオレンジ色の衣装に
身を包んだ女性たちにぎょっとする。
ディアナを踊ったオスモルキナは、ロパートキナの後に見ると顔のつくりもあってか、
なんだか、もっさりしている。
技術はきちんとしているのに、このもっさり感のせいでだいぶ損をしているように思います。

さて、女性たちの衣装の色なんかに驚いている場合ではありませんでした。
舞台に飛び出してきたアクタイオン、、、あれ?『ターザン』ですか、、?
ヒョウ柄と思しきふんどしを見につけて舞台をとびまわるロブーヒンに、
私の斜め後ろに座っている女性もいきなり吹き出してます。
このロブーヒンが見た目も少しお猿さんっぽい上に、この衣装のインパクトの強さですから、
観客が神話が題材などということを忘れて笑い出したとしても誰も責められまい。



しかし、段々とその笑っていたはずの観客の顔が真剣に、、。
なぜならば、このつながりそうな一文字眉の男、ロブーヒンが衣装のインパクトも超える
ジャンプを見せ始めたから。
体ががっちりしているので、下手をすると重く見えがちになるところですが、
今日は彼のコンディションが良いのか、動きに非常にきれがあって、
この体の大きいのがむしろ迫力となってプラス要素になっています。

むしろ、オスモルキナと一緒に踊る場面で、彼女の方が彼ほどのれていないために、
サイド・ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるような、
ひきずるような重さが出てしまったのが残念。というわけで、二人一緒の場面が終わった後、
拍手がやや少ないまま、オスモルキナがはけて、ロブーヒンのソロが始まる個所。
ここで、彼がきっ!と観客を見据え、まるで、
”そうかい、拍手がそんなに少ないか?じゃ、俺のこれを観た後でも
そんなに拍手が少ないか、とくと見てみようじゃないか!”とでもいうような表情。
ちょっと!何、何?この人、観客に啖呵切った?!

では、見せてもらおうじゃないですか。というわけで始まったそのソロ。
それが、もう、すっばらしい出来だったのであります。
狭いNYシティ・センターの舞台で、それを感じさせない思い切ったジャンプの連続に、
まるで飛び出す本を見ているよう、、。
ジャンプしたまま、グランド・ティアーに飛び込んできそうな勢いでした。
曲が終わるか終わらないかのうちから、猛烈な拍手と口笛の嵐!
啖呵を切ったものの、これほどまでの出来になるとはちょっと本人も思っていなかったのか、
相当に嬉しそう。
全演目を終えて、オスモルキナと手をたずさえてカーテン・コールに現われたときも、
明らかに観客の拍手はロブーヒンに向けたもの。
本人も十分にそれを感じ取っていたような表情でした。
気品というものはほとんど欠落状態、実にヒョウ柄のパンツを履いた男にぴったり!な、
ダイナミックなパフォーマンス。しかし、この演目では、それが大いなる魅力になっていました。
一番弱いと思っていた演目での思わぬ拾い物。伏兵ロブーヒン、大活躍の巻なのでした。

 『ドン・キホーテ』よりグラン・パ・ド・ドゥ

さて、『ディアナとアクタイオン』のところでふれた師匠のeメール。
その中で、こんなくだりが出てきて、私は思いっきり固まりました。

”扇子を持ってテリョ(テリョーシキナを表わす符牒)がソロで踊る場面があったら、
どっちのパターンか確認してね。
① 足をウンパッと開け閉め(エシャッペ)
② 片足を膝まで上げるのを交互に繰り返す (ルティレ)
②の場合、トゥでルティレした瞬間静止したらブラヴォーです。”

ひゃーっ!指令だーっ!!!これは責任重大ですう!!!
エシャッペ、ルティレといった言葉は説明してくださっているのでそれは全く問題ではない。
この私でも、膝が上がっているか、上がっていないかくらいはわかるのである。
それよりももっと深刻な問題が。
師匠!!私、この演目見た事がないんです。
音楽もどんなのか知らなければ、振りもどんなのか知らないし、
いつその確認する場面とやらが出てくるのか、まったく暗闇に手探り状態。
これはきっと、その場面がいつ来るか、いつ来るか、とずっと緊張状態で、
いや、それでその場面がいつか現われればまだいいとしても、
そのまま曲の最後まで来て、”えーっ!!!どこだったの?!”ということになるのではないか、
それが恐怖、、、どうしよう、、、。

『ドン・キ』が始まる前のインターミッション中、
プリントアウトし持参した師匠メールの、この部分を多分500万回くらい繰り返し読んだはずです。
で、一か八かでのぞんだその『ドン・キ』、テリョーシキナのキトリとコルサコフのバジルの組み合わせ。

ヴァリアシオンを踊るはずだったソーモアの姿が見えず、代わりに踊ったのは、
4/3の『パキータ』が印象的だったコンダウーロワ。
彼女はもしかすると、『バヤデール』のようなしっとりした作品より、
こういった明るさを感じさせる作品とか場面での方が断然映える気がします。
鮮やかな色づかいの衣装も、彼女の背の高さと調和されるのか、着負けせず、本当に素敵。
もう一歩つっこんだ細やかさが加わると、もっともっと良くなると思うのですが、
看板となっているダンサーたちと比べると、やはり少し粗い部分があるのかな、とは思わされます。
しかし、この彼女の踊りに備わったのびやかさは、他のダンサーたちとの差異化を図れる、
彼女の最大の資産。

さて、テリョーシキナの技術をしっかり見ること!という師匠のお言葉でしたが、
もう、今日のテリョーシキナは、本当に楽しそうに踊っていて、こちらまで気持ちが高揚してくるほど。
とにかく、その師匠の言葉どおり、ゆるぎない技術が次々とオンパレードで披露され、感動もの。
同じく4/3の『ライモンダ』より、私は全然こっちの彼女の方が好き。

で、そのゆるぎない技術をバックに、ものすごいお姉さん光線を発しているテリョーシキナの横で、
一生懸命踊っているコルサコフがいじらしい、、。
テリョーシキナの”お姉さんについてらっしゃい!!”の言葉に、
”はいっ!!”と必死になってついていっているコルサコフ、という図です。
コルサコフもきちんとした踊りをするダンサーだと思いますが、
テリョーシキナと比べてしまうと、まだまだ足のついていない感じがするほど。
コルサコフが駄目というよりは、それくらいテリョーシキナがすごい、ってことです。

しかし、このグランド・ティアで見ると、多分平土間からでは見ることの出来ない、
テリョーシキナをリフトするたび、彼女のチュチュのお皿の部分に顔が埋まって
苦しそうなアントン君の表情が堪能できます。



テリョーシキナのグラン・フェッテ、これがもう、言葉を失くすほど凄かった。
こんなに最後まで綺麗で、ぴしーっと芯の通ったグラン・フェッテを生で観たのは初めて。
昨シーズンのABTの『白鳥の湖』でのヴィシニョーワのそれも悪かったであろうわけはありませんが、
インパクトでいうと、断然今日のテリョーシキナの方が上。
当然のことながら、観客から猛烈な喝采の嵐。

舞台上を対角線上に回転して来たときも、どんどん最後に向かって高速スピンに。
女性でこれほどのスピード感をもって踊れる人がいるんだ、と、これまた感動もの。

コルサコフがグラン・ピルエットの最後で、バランスを大幅に崩したのは痛恨。
でもそのあとは、またがんばってテリョーシキナお姉さまについていってました。
彼はまだ踊っている間、気持ちの上での余裕が若干ないのか、特に大技の前後で
顔から全く笑顔が消えてしまう瞬間があるのですが、
この『ドン・キ』のような楽しい演目ではちょっとそれは痛い。
本人もそれをよく注意されているのか、突然思い出したように、”にかーっ”と笑うのがご愛嬌でした。

案ずるよりは産むが易し、で、心配だった”その場面”はすぐにわかりました。
そして、結果はエシャッペ。
ルティレ・バージョンも見たかったけれど、エシャッペのそれもテリョーシキナの手にかかると
異様に完成度が高くて大満足。
バレエ・ファンの方から彼女がなぜこれほどのリスペクトを得ているかが納得、の内容でした。
彼女の良さが100%出きった素晴らしいパフォーマンス。
作品そのものも楽しく、大好きになったので、これも全幕で観る日が楽しみです。

 『ラ・バヤデール』より”影の王国”

相変わらず、ややお疲れの雰囲気のコール・ド。
ミスやらがあるわけではないのですが、少しテンションが低め。
それでも、この7日の公演からの写真でも伺える、見事に調和のとれたポーズと、
全員が舞台に揃ってからの一糸乱れぬ動きは健在で、これは本当に何度見ても、
世界にそうは存在しない、ものすごく貴重なものを見せてもらっているようで、
崇高な気持ちにすらなります。



さて、ニキヤ役のダンサーが登場して、おや?
これは首がずれてるソーモワでは?

どうやら、ニキヤを踊るはずだったノーヴィコワが降板し、
もともとは、Shadesの一人で出演予定だったソーモワがカバーに入ったようです。
ドン・キのバリアシオンを彼女が踊らなかったのは、このニキヤを踊るためだったのか、、。
しかし、相変わらず空に浮かんだお月様のように顎を出しながら踊るソーモワ。
ここまで観客が気になる癖を持っているというのは、、、うーん、どうなんでしょう?
また、それ以外の点でも、彼女の踊りには連続性とか滑らかさといったものが欠けているように思います。
はい、これ、決まりました、はい、次はこれも決まりました、という風に、
動きが提示されている感じがして、ラジオ体操じゃないんだから、、と言いたくなる。
この連続性・滑らかさを獲得しない限り、本当の意味で踊りによって
ドラマを演じるということは、できないんではないでしょうか?
その時にこそ、彼女は顎の癖を直すよりももっと芸術家として大変な
壁にぶちあたってしまうような気がします。

しかし、ソーモワでがっくり来た私を救ってくれたのはソロル役のファジェーエフ。
いやー、この人は本当に素敵!たたずまいが王子様風でおっとりしていて、
男性の、いや人間の愚かさの一面をデフォルメ化したようなこのソロルという役に、
なんともいえぬリアリティを与えていました。
そして、何よりも素晴らしいのは、ソーモワをサポートしているときでも、
彼自身の動きにも一切無駄がなく、とにかくいつ何時も綺麗な体勢をとっていること。
やや羽毛を思わせる軽さが動きにあるので、向いている役、
そうでない役がはっきりしてしまうのかも知れませんが、私はコールプに続いて、
このファジェーエフにもやられてしまいました。
全然タイプが違うのに惹かれる、、、
あら?私もソロルのこと愚かだなんて言えた義理ではなかったです、はい。

(注:この作品で、ソロルはニキヤという心優しい相思相愛の恋人がいながら、ガムザッティという高慢ちきだが絶世の美少女になびいてしまうのである。)


Kirov Ballet & Orchestra Vaganova/Gorsky/Petipa Program

LE CORSAIRE / Le Jardin anime and Pas de Deux
Uliana Lopatkina (Medora)
Igor Kolb (Slave)
Ivan Kozlov (Conrade)
Svetlana Ivanova, Yana Selina, Nadezhda Gonchar (Odalisk Girls)

DIANA AND ACTEON / Pas de Deux
Ekaterina Osmolkina (Diana)
Mikhail Lobukhin (Acteon)

DON QUIXOTE / Grand Pas de Deux
Victoria Tereshkina (Kitri)
Anton Korsakov (Basilio)
Variation: Ekaterina Kondaurova replacing Alina Somova

LA BAYADERE / The Kingdom of Shadows
Alina Somova replacing Olesia Novikova (Nikiya)
Andrian Fadeev (Solor)
Shades: Elizaveta Cheprasova, Nadezhda Gonchar, Ekaterina Kondaurova replacing Alina Somova

Kirov Ballet with the Orchestra of the Mariinsky Theatre
Conductor: Mikhail Sinkevich

Grand Tier Center D Odd
New York City Center

***キーロフ・バレエ Kirov Ballet***



KIROV BALLET (Sun, Apr 6, 2008)

2008-04-06 | バレエ
4/3のプティパ・プログラムには大満足だった私ですが、家に持ち帰った
プレイビルにはさまった紙片をよくよく読んでみるに、驚愕の事実が発覚。
私は、悲しみにくれています。いや、それどころか、憤死してしまうかもしれません。

そもそも、このキーロフ・バレエを見たかった理由は、通常NYで見れないものを見れるから。
すなわち、
1)世界一とも言われるコール・ドを堪能する
2)ABTでは踊らないダンサーのバレエを堪能する
というのが二つの大きな目的です。

2でも一際楽しみにしていたのは、ロパートキナとコールプの二人。
特にイーゴリ・コールプに関しては、私のバレエの師匠のアイドルであり、
来日しては素晴らしい舞台の数々を披露しているという噂を聞くにつけ、期待は高まるばかり。
もともと、4/6の『シェエラザード』の金の奴隷はそのコールプが踊る予定になっていて、
遂にその勇姿を拝めると心をときめかせていたというのに、紙片には無情な一文が。

SCHEHERAZADE On April 6 at 3pm, The Golden Slave will be danced by Igor Zelensky.

ちょっと!!!! それ、どうゆうことーーーーーっ??!!!
ゼレンスキーって誰よ?コールプはどうしたっ!?

4日に金の奴隷を踊るはずだったコルスンツェーフがコールプに変わり、
繰り上がりで、6日に踊るはずだったコールプが、このゼレンスキーという人に変更。
コルスンツェーフ、あんたの仕業だな。
しかし、バレエのファンの人って、よくこんな交代劇にも暴動が起きませんね。
オペラヘッズなら、多分、NYシティセンターが軽く倒壊するくらい暴れまくると思います。

しかし、さらによく考えてみれば、4日は『薔薇の精』にもコールプが出演するんじゃ、、。
(これがまた彼の怪しいキャラクターにマッチしているようで、ぜひ見たかった作品なのだ。)
4日に見る人は、超ラッキーじゃないですか!!
しかし、その4日の金曜日はメトの『賭博師』、5日の土曜は同じくメトの『ラ・ボエーム』。
ああ、コールプ様が遠のいていく、、。

今日のプログラムはフォーキン・プログラム。
私のバレエ・あんちょこブックによれば、フォーキンは、”プティパの作品で分離していたマイムと
キャラクター・ダンスとクラシック舞踊を融合させて「語り」の舞踊を復活させた”とあります。
ま、百聞は一見にしかず、で、とりあえず、見るざます。
今日も、先日オペラよりもバレエの方が好きらしいと発覚した(←根に持ってる)連れと一緒。

 『ショピニアーナ』

ショパンのピアノ組曲をオーケストラ用にアレンジした演奏にのせて
踊られるこの『ショピニアーナ』は、目に優しい作品。


(4/4の公演から、アントン・コルサコフとエカテリーナ・オスモルキナ)

ダンサー達が身につけているこの特徴的なひざ下丈の長さの優雅な衣装は、
”ショペンキ chopenki ”と俗に言われるそう。
(冒頭の写真で、コール・ドの方が身につけている白い衣装がそのショペンキ。)
ショペンキ。響きがおもしろくて、連れと何度も連呼してしまいました。
もちろん、ソロのダンサーは皆さん、きちんと端正に踊っておられるのですが、
むしろ、私はそのソロのダンサーが踊っている間に、ずっと舞台の両端に控えつつ、
次々とポーズやフォーメーションを変えていくコール・ドの踊りに惹かれました。
4/3の公演の”影の王国”よりも、一層揃っているように思えるくらいで、
今日のこのショピニアーナのコール・ドは本当に美しい。
なんだか、高級な手描きの陶器のカップやお皿の縁に、丁寧に描かれた図柄を思わせます。
このように端々まで神経が行き渡った公演とか作品というものは本当に気持ちがよい。
ただし、絵画の中の妖精のように、ちょっと首をかしげるような風にして爪先立ち、
手を口元に持っていくポーズは意外とバランスが難しいのか、なかなか皆さん、
ぴしーっと決まらないようで、苦労していらっしゃいました。


(4/12のマチネより、ヴァスネツォワとコルスンツェーフ)

作品としては、たいへん美しくはあるのですが、
みんな一緒(多少胸のデザインは違ったりするのだが)の衣装=ショぺンキがいけないのか、
優雅な振付に何かが仕込まれているのか、ずっと観ていると催眠効果のようなものがあります。
『ラ・バヤデール』の”影の王国”には人をトリップさせるものがある、といいますが、
このショピニアーナも、なにげなくトリップ系ではないでしょうか?
見かけは優しげでいて、人をトリップさせるとは、恐ろしい演目です。

インターミッションに入っての連れの言葉、
”踊りは綺麗だし、アパタイザーの演目としては最高だったと思うけど、曲がなあ、、。
いや、ショパンのピアノでの原曲の方はすごくエモーショナルな曲なのに、
オケ版になった途端、なんで原曲に比べてこんなに味気のない曲になってしまうんだろう?”に、
どこのどいつだ!そんな編曲をしたのは!!と、プレイビルをあけると、そこには、
オーケストラ用編曲 by グラズノフ&ケラー とあるではないですか!
グラズノフ、またあんたか!!!
『ライモンダ』といい、この『ショピニアーナ』といい、
どうやら、このグラズノフという男はこっそりバレエ界の足をひっぱろうとしていたに違いない、
そういう結論に我々は達しましたです。


 『薔薇の精』

そんなグラズノフの謀略に比べると、こちらは安心。
フォン・ウェーバーの『舞踏への勧誘』をベルリオーズが編曲。
パリ・オペラ座でオペラ『魔弾の射手』が上演されるにあたり、
バレエシーンが挿入されることになり、そのために行われた編曲だそうです。
この作品では、薔薇の精を踊る男性ダンサーが着る薔薇の花びらがちりばめられた、
赤い着ぐるみ系の衣装がポイント。
だいたい、この衣装が似合うか、似合わないかで、すでに、
50メートル走で、3メートルほどスタートの位置がずれているほどの違いがある。
だから、この役は存在そのものが怪しげな(失礼!)コールプのような
ダンサーで観たかったのである。しかし、今日はサラファーノフなのである。
このサラファーノフは、you tubeで、凄い踊りを披露しているのを見せて頂いた事があったので、
楽しみだったのだけど、私のバレエの師匠が、”でこっぱち”というので、
そう言われて顔写真を見てみると、確かにそうなので、あの衣装(しかも、
赤ちゃんがかぶるようなキャップまでかぶるのである、、もちろん薔薇の花びらつきの、、)を
付けたら、どんなことになってしまうのか、、と幕が開くまで気が気でなかったのだが、
実際に舞台に登場してみれば、意外と似合っていて安心した。
しかし、彼は細いです!というよりも、キーロフのダンサーは、
(多分アントン・コルサコフの太ももを除いて)みんな細いので、”筋張って見える”と
形容したほうが妥当なのかもしれません。ただ、この役で、
筋張って見える体と童顔(サラファーノフ、かわいらしい顔をしていらっしゃるのです)は、
ちょっと損かなあ、という気がなきにしもあらず。
you tubeで観たときに比べて、少し踊りのキレを欠いているようにも思えましたが、
それよりも以前に、その容貌と表現の仕方が、あまりに色気がなくて、
なんだか、子供の薔薇の精、という感じでした。
この作品の面白さは、せいぜい十代前半くらいの純真そうな少女が、
性に目覚めつつあるのだけど、いきなり男性とふれあうのは怖いので、
この薔薇の精という中性的な存在を夢に見る、という、
”あら、こんなかわいらしい女の子がこんなこと妄想しちゃって!”と思わせる部分にあるのに、
こんな子供の精がひらひら舞っていた日には、作品の意味が伝わりにくくなってしまう。
やっぱり、コールプで観たかった、、。
なので、写真はコールプで。そうそう、この怪しげな雰囲気が欲しいのです、絶対。



ほとんどの時間を居眠りをこいて過ごすこの少女の役は、しかし、
その夢の中で薔薇の精とたわむれる短い時間と、最後に目を覚まして、
薔薇の精が落としていった薔薇を一輪手にとって、
”あれは夢だったのか、現実だったのか、、”とたたずむ、
このシーンだけで勝負せねばならないので、侮れません。
それに、椅子で寝ている時の様子。これも大事です、とっても。
上のコールプの写真のお相手の方は誰だかわかりませんし、
なんだかちょっと”とう”が立ってますが、
今日の公演で少女を踊ったGoncharは、ちょっとした仕草も少女らしく、
また最後の薔薇を持って立つシーンにそこはかとない叙情性を感じさせて○。
さらには寝ているときの様子がなんともいえず自然で、しかし微妙な緊張感があるのです。
たまたまABTがこの演目を上演したときの写真を見ましたが、少女役を演じるレイエスの、
椅子で寝ているポーズがあまりに弛緩しすぎていてだらしなく、
なんとこのGoncharと違うことか!と驚いた次第です。
こういうさりげないポーズにこそ、キーロフの底力があらわれているような気がしました。

サラファーノフは一人で踊る個所はまあまあなのですが、このGoncharと踊る場面では、
少しもたもたしてしまったのみならず、振りそのものも、
ややおろそかになっていたことを付け加えておきます。



 『瀕死の白鳥』

コールプに見放されはしましたが、彼女は見放さなかった!
ロパートキナ、この方も今回絶対絶対見ておきたかったダンサー。
今、世界最高の白鳥と言われている彼女なので、
昨秋、キーロフのアメリカでの全幕公演ツアーで、
彼女が『白鳥の湖』をボストンなどで踊るらしい、と聞いた時、
まじめにボストン行きを考えた私ですが、すでに隙間さえないほどのいっぱいいっぱいに
オペラのスケジュールが入っていたため、残念ながらあきらめることに。
今回は、白鳥と言っても、『瀕死の白鳥』という短い作品ですが、
これも彼女のシグネチャー・ロール。まばたきは一度もしないくらいの勢いで今日は観るのです。



バレエに関しては、一つ一つの作品の内容についてあまり知らないものが多いのはもちろん、
とにかく観た回数が少ないので(というかこれまで鑑賞回数ゼロの作品がほとんど)、
タイトルからある程度内容の予想はつくものでさえ、自分の体の中に染みこんでいないので、
作品が始まってから、”はて?これは何の話だっけ?”なんてことがよくあります。
この『瀕死の白鳥』も、タイトルにきちんと”瀕死の~”なんて言葉が入っているのにも関わらず、
なぜだかわからないのですが、作品が始まるとそんなことはすっとんでしまいました。
でも、それはそれでよかったかもしれません。
おかげで彼女の動きが何を表現しようとしているかを先入観なく感じられたので、、。

まず、最初にどうしてこんなにこの白鳥は苦しそうなのだろう?と思いました。
そして、羽もぼろぼろになった白鳥が目に浮かびました。
しかし、彼女の表現している苦しみは、悶絶するような苦しみではなくて、
静かな苦しみで、どこかあきらめに似たものも混じっているような。
ロパートキナが細かく刻むステップは、物理的な目で見るとしっかりしてるのに、
心の目でみるとまるでよろよろとおぼつかない足取りのようにも見え、、。
どうして、このきちんと踏んでいるステップが、こんな風に見えるのか不思議。
でも、一番見ていて悲しくなるのは、今一度、白鳥が空に飛び立とうと、
全身の力をつかって羽ばたこうと試みるところ。
でも、その次の瞬間には、”ああ、やっぱり駄目だ”という、最初と同じあきらめが支配して、
やがてそのあきらめに身を任せるようにして、体を折り畳み、死を受け入れていく、、。
この短い時間でどうしてこんなに濃密な描写が出来るのか。
私は、彼女の演じるこの白鳥、もっと美しい感じなのかな、と予想していたのですが、
あんなに真っ白な衣装を身に着けているのに、最初から、彼女の表現に、
泥で羽毛が汚れた白鳥が目に浮かび、見ているのが辛くてたまりませんでした。
動物の、そして人の死を、綺麗事の次のレベルで表現している人。
ロパートキナは、やっぱりすごい人でした。


 『シェエラザード』

『瀕死の白鳥』で、”うーん、素晴らしいものを観た!”とまったりする我々。
この『シェエラザード』で、ヴィシニョーワはどんな踊りを見せてくれるのか?
この記事のしょっぱなに、”ゼレンスキーって誰よ?”と大変失礼なことをのたまった私ですが、
そのキャスト変更発覚後、すぐにmyバレエの師匠に身元確認をお願いしたところ、
ゼレンスキーはゴリラのようであるということを聞かされる。
師匠からして失礼なのだから、弟子が失礼でも何の不思議もないのである。
しかし、それと同時に、彼はキーロフを支えてきた男性ダンサーであること、
やや、最近少し技にキレがなくなってきているらしい、ということも教えて頂く。なるほど。

さて、今日は指揮者が見えにくい席なのだけれど、
この『シェエラザード』を振りに出てきた指揮者の後頭部に見覚えが、、。
なんか、ゲルギエフちっくじゃないですか??
いやいや、4/3のレポでは、彼の目が会場中に光っているような、、なんて書きましたが、
まさか、ね、、。今はメトの『賭博師』の本番で忙しいし、バレエまでは指揮できないだろう、、。
だが、彼が指揮台に立ってしまった今、顔はおろか、後頭部のそれも先っちょしか見えない、、。
しかし。音が出てきて、ややっ!!!こ、これはまじでゲルギエフでは??
出だしがマシンガン(だだだだだ、、)のように各楽器バラバラに出てきていたり、
木管のアンサンブルの微妙な合わなさぶりに、若干迷わされますが、
でも音に独特の力強さがある。とてもゲルギエフっぽい、、。
まじですか?!
コンサート&オペラ仕様のメンバーとは違うとは言え、キーロフのオケであることには変わりなく、
それも、こんなNYシティセンターみたいな見世物小屋で聴けるなんて、
本当だったらすごい贅沢です!!
ちなみに、この『シェエラザード』、曲はリムスキー・コルサコフによるもの。

さて、ゼレンスキー。
私はものすごいゴリさんを想像していたので、舞台に登場してきた彼を見て驚く。
あれ?かっこいいじゃないですか。
特にこの人は体のつくりのバランスがいい。
引き締まってはいるけれど、決してぎすぎすしていなくて、見ていて心地よい体型。
特に、この黄金の奴隷役のような色男は絶対にぎすぎすしていたり、でぶっていてはいけない。
体型が第一印象になってしまうのである。その点、ゴリさん合格。
しょっぱなに出たジャンプも非常に大きく、観客から、おお!と歓声が。
しかし、段々、舞台の手前に彼が近づいてくるにしたがって、師匠の言葉に納得。
確かに、そばでみると、ゴリさんだ、、。
また、時間がたつにつれて、段々疲れが出るのか、最初のジャンプを頂点に、
あとはひたすら技のキレは下降線を描いていきます。
結局、最後には、”うーん、まあまあだったのかな”という印象になってしまいました。
あの最初のような技が持続すれば全然違う印象になるんでしょうが、、。



ヴィシニョーワ。
私見ですが、もしかすると、この役はあんまり彼女に向いていないのかもしれません。
テクニックの素晴らしさは彼女の場合、言わずもがななのですが、
このゾベイダ役、ものすごいエロティックな女性のはず、、なんですが、
なんだかそれを感じないのです。
色っぽさとかエロティックさとは、”隙”から出るものじゃないか、と個人的には思うのですが、
彼女のほとんど完璧主義ともいえるテクニックと気迫で完全武装した踊りに、
この隙&エロのコンセプトは、相性が合わないからでしょうか?
ものすごく技術としては完成度の高いものを見せてもらったとは思うのですが、
物語になんだか最後まで入りきれませんでした。
『ロミオとジュリエット』なんかの時は、涙が出るほど彼女の踊りに感情移入できたし、
3日の『ラ・バヤデール』でもそうだったので、彼女が感情表現にたけていない、というよりは、
単に役との相性の問題なのかな、という風に思います。

プログラム全体の出来としては、私は4/3のプティパ・プログラムの方が楽しめました。
一つには、このフォーキンの振付は、私には、少し躁的過ぎるように思えるというか、
あらゆる場所を色で塗りつぶさないと気がすまない、というのに近い、
ちょっと強迫観念に近いものを感じました。
今日のプログラムでは、唯一、『瀕死の~』がそれを感じさせず、
心理的にマージンを残してある振付で、私なんかはこれくらいの方が心地よくみれます。

特にこの最後の『シェエラザード』は、そこまで振付でがちがちに埋められると、
息苦しいー!という箇所があり、あまりに色々なものを一気に与えられる場合に起こる常で、
これ以上続いたら飽きる、という一歩手前でした。

最後にヴィシニョーワが見せた笑顔が、
ゾベイダ役の時とは全く違う可愛らしい表情だったのが印象的。
そして、そのヴィシニョーワに手を引かれ、現われたのは、ゲルギエフ!
やはり、『シェエラザード』を指揮していたのは彼でした。
コールプにはお目にかかれなかったけど、代わりに、ゲルギエフ、、。
だまされたような複雑な気分。
でも、こんな場所で、ゲルギエフ指揮のロシア・バレエものの生演奏を聞けるなんて
大変に幸運なことでした。オケは先に述べたような乱れはありましたが、
金管がパワフルで力が安定していて、バレエの公演のための演奏としては一級品。
つくづく、贅沢なものをこのキーロフの公演は提供してくれているな、と感謝の念でいっぱい。

しかし、オペラやクラシックのファンの間でなら湧いたであろうゲルギエフの登場にも、
わりと観客全員大人しいもの。
バレトマンはお上品だからなのか、あまりゲルギエフに興味がないのか、いずれかは不明。
そのあたりの空気を察してか、ゲルギエフが一歩下がって、
ひたすらヴィシニョーワを讃えていたのが、ちょっぴりかわいらしかったです。
って、だからといって、コールプを見れなかったのを帳消しにはしなくってよ!


Kirov Ballet & Orchestra All Fokine Program

CHOPINIANA
Daria Vasnetsova, Mazurka Op. 67, No. 3
Daria Vasnetsova replacing Yulia Bolshakova, Valse Op. 64, No. 2
Yulia Bolshakova, Prelude Op. 27, No. 7
Nadezhda Gonchar, Valse Op. 70, No. 1
Yevgeny Ivanchenko (Young Man)
Corps de Ballet

LE SPECTRE DE LA ROSE
Nadezha Gonchar replacing Irina Golub
Leonid Sarafanov

THE DYING SWAN
Uliana Lopatkina

SCHEHERAZADE
Diana Vishneva (Zobeide)
Igor Zelensky replacing Igor Kolb (The Golden Slave)
Vladimir Ponomarev (Shah Shahryar)
Andrey Yakovlev (Shah Zeman)
Igor Petrov (The Chief Eunuch)
Ksenia Dubrovina, Ryu Ji Yeon, Maria Lebedeva (Odalisk Girls)

Kirov Ballet with the Orchestra of the Mariinsky Theatre
Conductor: Mikhail Sinkevich, Valery Gergiev

Orch G Odd (Left)
New York City Center

***キーロフ・バレエ Kirov Ballet***

KIROV BALLET (Thurs, Apr 3, 2008)

2008-04-03 | バレエ
ABTの秋シーズンの公演(例えばあれとかこれ)で、
はじめて足を踏み入れたニューヨーク・シティ・センターのあまりのせせこましさに、
まるで見世物小屋のようだわ、、と思った記憶も新しいのですが、
(特に二階席からの眺めは、オケピットの上にかぶさらんかのような錯覚すら覚える。)
天下のキーロフ・バレエ(サンクト・ペテルブルクにあるマリインスキー劇場のバレエ団)が
NY公演の場所としてその見世物小屋を選んだと知って私は超びっくりしました。

NYよ、世界で最もすぐれたバレエ・ダンサーたちをこんなところに呼んだりして、
はずかしくないのか!!??
私は恥ずかしい。

しかも、コンテンポラリーものオンリーだったそのABTの秋シーズンとは違って、
今回のキーロフ・バレエの公演は、ガラ形式とはいえ、一応全幕ものの各幕を舞台に持ってくるわけで、
ABTだって、春シーズンの全幕公演は、メトのオペラハウスで上演するというのに、
今回、セットやコール・ドの人たちが本当に全部舞台に乗りきるのか、
私が上演するわけでもないのに心配になった次第です。
メトはオペラのシーズン中なので使用不可としても、もうちょっとマシな場所がありそうなもんです。
去年の夏、リンカーン・センター・フェスティバルで京劇を上演したローズ・シアターなんかどうなんでしょう?

今日は、連れとその見世物小屋へ。
しかし、開演前、軽く食べ物をつまみながらおしゃべりをしていると、
彼がこのような聞き捨てならぬ言葉を発したのであります。
”ボク、オペラとバレエならどちらかというとバレエの方が好きかも、、。”
ちょっと!このオペラヘッドの前でそんな暴言吐いて、生きてこの見世物小屋から出られると思う??

いえいえ、オペラ、バレエ、いずれも甲乙のつけがたい素晴らしい芸術フォーマットです。

そんな見世物小屋なので、音楽は録音したものかと思いきや、”マリインスキー劇場オーケストラ”が担当。
マリインスキー劇場(=キーロフ・オペラ&バレエ)は、呼称やシステムが非常にまぎらわしいのですが、
キーロフ・オケと同義かと思われ、先日のカーネギー・ホール・コンサートのメンバーと比べてみると、
コンサートの時のメンバーと重複しているのは、各セクションせいぜい一名で、
また首席を担当した人は今日のメンバーには入っておらず、編成自体もコンサートの時より小さめ。
ということで、一応同じオケのようではあるけれども、バレエ仕様のメンバーになっているようで、
このあたり、どのようなシステムになっているのか非常に興味があります。
よく考えれば、メトではしばらくゲルギエフが指揮の『賭博者』を上演中、
今日は別の演目の日なので、このバレエ公演、ゲルギエフが指揮してくれないかなー、なんて
思ったのですが、さすがにそれはなく、シンケヴィッチという指揮者でした。

しかし、同じNYに滞在しているはずの総監督ゲルギエフ、
あのギョロ目がじっと監視しているかのような空気がこの見世物小屋には流れているのでした。
つくづく、濃いキャラクターだと思います。
今、ジョン・アードインが書いた、"Valery Gergiev and the Kirov - A Story of Survival"という、
いかにしてマリインスキー劇場が今の隆盛を見るようになったかということを述べた
興味深い書物を読んでいるのですが、とにかくゲルギエフの精力的なこと!
まあ、それもあの濃いキャラクターあってこそのことなのでしょう。

今回のキーロフ・バレエのNY公演は、全部で6つのプログラムをひっさげており、
カバーされた作品はなんと19!
このプログラム全てを鑑賞すると、バレエ史の教科書を一通り読むような感じに近いのではないでしょうか。
今日の公演は、オール・プティパ・プログラム。
プティパは、19世紀の後半このマリインスキー劇場で活躍したバレエ史上最も重要な振付家の一人で、
現在、バレエの古典名作といわれているもののほとんどを手がけた人です。

 『ライモンダ』より第三幕

下のキャスティング表の通り、今回、私のバレエ・メンターかつ友人のブログでも名前をよく耳にし、
観るのを楽しみにしていたイリーナ・ゴールプの出演が、
理由は不明ですが、少なくとも4/6の公演までは全てキャンセルになってしまい、
そのために若干キャスティングがシャッフルされました。

ライモンダを踊ったのはテリョーシキナ、ジャン・ド・ブリエンヌはコルスンツェーフ。
この幕は二人の結婚式の場面ということで、客人によってチャルダーシュやマズルカが踊られ、
民族舞踊的な要素が濃い。
男性の内股ハの字から、ぱしっとかかとを上げて立つ動きが印象的で、
書いている今もあのポーズが頭から離れません。
こんな動きがさまになるのはやっぱりロシアのダンサーしかいないなあ、と思ってしまいます。
これ、日本人とかがやったら絶対似合わないし、鳥肌が立つと思うもの。
(日本人男性バレエダンサーの方、暴言をすみません。バレエに関しては、知らないことをいいことに、
いいたい放題!でも、オペラだって違った理由でどうせいいたい放題なんだから、これでよいのです。)
いや、それを言ったら、ラテン出身のダンサーだって、鳥肌は立たないと思うけど、何だか似合わなさそう。
なのに、ロシアの男性がこれをやるとかわいいんだなあ。

テリョーシキナは、まわりの方の反応を見るに、人気のダンサーのようなのですが、
確かに技術は周りのダンサーからも群を抜いてしっかりしているように感じました。
たとえば、男性に持ち上げられたまま、両足の膝をまげ、
若干上下にずらして、空中で座っているかのように見せるポーズがあるのですが、
(最後のポーズもこれだったと思います。)
他の女性ダンサーたちは、下に位置している足が、筋力が不足しているのか、
軒並みつま先が下がりがちだったのに対し、彼女だけは、両方のふくらはぎがぴたーっと
ほとんど平行に横に維持されているのがすごい!と思いました。
不足している、といったって、みんなものすごい筋力でしょうから、
逆にこのポーズがいかに大変か、ということなのでしょうが、
それを綺麗に決めたテリョーシキナの足の筋肉って一体、、?と人体解剖したくなります。

ただ、彼女は、後の演目で踊る二人のメインの女性ダンサーに比べると、
やや花がない、というか、オフィスで黙々ときちんと仕事をこなす地味な女性をイメージしました。
でも、悪いことではないのかもしれませんね。
カンパニーには色んなタイプのダンサーがいていいのであって、
彼女なんかは、仕事を任せておくと安心できる貴重なタイプなのは間違いなさそうです。

コルスンツェーフ、どこかで見た顔だと思ったら、去年DVD化されたキーロフの『白鳥の湖』で、
ロパートキナを相手にジークフリート王子を踊っていた人でした。
これは、コルスンツェーフのみならず、男性のダンサー全般に言えたことなのですが、
とにかくこの見世物小屋は舞台も小さいうえに、今回の公演のために、フルではないのでしょうが、
ちょっとした舞台セットも置いてくれているため、とにかく、踊る場所がない。
跳躍や舞台上を動くのに、思い切り動けなくて窮屈そうにしているような印象を持ちました。
もちろん、空間の感覚がある方たちなので、セットや人にぶつかったりということはないのですが、
大きい舞台なら、もっと思い切った技を見せてくれたのではないかと思うと、それが残念。
ちょっと思い切ったことをしたなら、そのままオケピットにまっさかさまに落ちてしまいそうな
こんなへぽい小屋は、彼らにはかわいそすぎます。
しかし、そんな中でも、空中にいる間に足を軽く打ちつけるような動作では、このコルスンツェーフ、
その足が数秒ロックしたような錯覚を覚えるような、滞空時間を披露してくれたのでした。

この演目は、結婚式という設定もあってか、どの役の人も衣装が美しく
(というか、マリインスキー劇場の衣装は本当にセンスがよくて、美しい!)
踊りも楽しくはあるのですが、私としては今ひとつ乗り切れなかった。

その大きな理由の一つは音楽。あまりにつまらなくないですか、この音楽!?
なんだか踊る拍子をつけるためだけについてる音楽みたい、、。
幕の後、連れは”味のついていないオートミール”、
私は”誰かが噛んで捨てた後のガムを拾って食べた感じ”と、
さんざん悪態をついた後で、”誰が作曲したのか?”とプレイビルを開けると、
作曲 by グラズノフの文字が。
連れは、”グラズノフ?他では結構良い曲も書いているのに何でこんな、、”と驚いていました。
ちなみに私は初めて名前を聞いたので、”ふーん”ってなもんです。失礼な女。


 『パキータ』よりグラン・パ

と、そんな『ライモンダ』の味のない音楽に比べると、
以前はチャイコフスキーのバレエ音楽と比してなんと無味乾燥な!と思っていた
ミンクスのこの『パキータ』の音楽が良く聞こえてくるから不思議。
このシーンは私、気に入りました。見所満載だし、古典といわれるにふさわしい、
しっとりとした美しさが漂ってます。


(この写真は初日の公演の『パキータ』で、ヴィシニョーワとファジェーエフ)

この方も良く名前を聞く、アリーナ・ソーモワとアントン・コールサコフ。
コールサコフは、、、バレエでこんなにぽちゃっとした体型の男性ダンサー、初めて見ました。
髪の後ろを短く一つに束ねていて、子豚ちゃんみたい、、。
三つ編をした女の子の子豚(ミス・ピギーのイメージか?)ってキャラクターなんかでありますが、
その男の子版のよう。

しかし、言っておきますが、これは悪口でないのです。
単に”豚”ではなく、”子豚ちゃん”と親しみをこめて言っていることからもおわかりのように、
非常にかわいらしい人なのです。
身体能力があるので、今はなんとかぎりぎりの線でもってますが、
私の基準から言うと、もうこれ以上太ったら、どんなに身体能力があっても、
動きに重さを感じさせてしまうぎりぎりのところまで来ているので、
いくらかわいいとは言っても、これ以上は太らないことを望みます。
もしかすると足なんかの太さではこれ位のダンサーは結構いるのかもしれないですが、
このアン豚くん、いえ、失礼、アントン君の場合は、つく肉の性質が、
筋肉というよりも、脂肪っぽいルックスをしているような気がします。
実際には筋肉なのかもしれませんが、脂肪のように見えやすい。
(たとえばABTのコルネホなんかもごっつい足をしてますが、彼の場合は、
見た目も全てが筋肉という感じがします。)

ソーモワ。
この人は人気もあるけど、嫌いな人も多いようで、大いに評価が分かれているような印象を
今日の観客からだけでも持ちました。
私の斜め前に座っていた超バレトマン(オペラで言うオペラヘッドにあたる)と思しき男性は、
彼女が踊るたびに、oh no!! そうじゃないんだってば!!というように首を振っていました。

彼女はキーロフに次期スターとしての扱いをされているせいもあってか、
たたずまいにカリスマティックな部分があるのはいいのですが、
私には、彼女の踊り、大変根本的な問題があるように感じました。
まず、顎を上に向ける癖。ポーズを決めているときにもややそれは感じますが、
特に回転しているときに、それは耐えられないほどに気になります。
それから、首が少しエジプトの踊りのように肩の中心から軸がずれるのも気になりました。
私たちは今回、ほとんど彼女が踊っている場所の真正面に座っていたのですが、
最後に何回転もまわっているうちに、だんだん首が横にずれてきて、
それが結果として体の中心の軸をもぶれさせることになり、舞台の上手上手に
立ち位置が流れていってしまいました。
こういう微妙な癖を一旦とって、もう一度くせのない踊りに直していくには、
白紙の状態のダンサーよりもさらに時間がかかる作業と思われ、
この方に未来のキーロフを託すのはどうなんだろう?と、とーしろの私ですら思わされました。

で、そんな彼女の踊りの後で、テリョーシキナの踊りを見ると、
やっぱり地味なんだけど上手なんだな、と実感します。


(初日の公演からヴィシニョーワ)

しかし。この『パキータ』で湧いたのは、ソーモワでもテリョーシキナでもなく、この人。
エカテリーナ・コンダウローワ (でいいんだろうか?英語の綴りではEkaterina Kondaurova)。



目も覚めるような青いチュチュであらわれ、その長身と美しいルックスを生かした踊りに
観客はみなほれぼれ。
私がインターミッションで購入した有料のプログラムはなんと2006年の米国公演の際の売れ残りで、
招聘元のアルダーニ・アーティスツ、やりやがったな!と思わされましたが、
しかし、彼女、そのプログラムには顔写真も載っていないノー・マークぶりなので、
最近一気に実力をつけた人なんでしょうか?

テクニックの堅固さでは、テリョーシキナに譲るのかもしれませんが、
このコンダウローワは、動きにスケールの大きさを感じさせるのがいい。
しかも、本当に背が高くて、下手をするとその長い手足がばたばたして見苦しくなるリスクもあるのですが、
アーティスティックなセンスもしっかりしているのか、微塵もそんな印象はなく、
とにかく見惚れてしまいました。
帰り道、どのダンサーが良かったか?という議論を連れとしましたが、彼の断然一押しは彼女でした。


 『ラ・バヤデール』より影の王国

で、私もコンダウローワに一票!としたいところですが、しかしヴィシニョーワの踊るのを見てしまうと、、。
私、まだ日数浅いバレエ鑑賞歴ですが、ヴィシニョーワの踊りが好きなんだと思います。
歌手でもそうですが、自分の心にヒットする人というのはすぐにわかる、
何十人という他のアーティストと比べなくっても、直感というのがあります。
で、彼女は多分そういう自分の心に訴えるタイプの人なんだな、と今日確信を持ちました。

まず、私が彼女の踊りで好きなのは、ものすごい真剣勝負というか、
見る側にも緊張をせまるような必死感があるところ。
もっと情感豊かな踊りになれば、、と感じる人もいるのかもしれませんが、
私はむしろ、その彼女の情感べたべたではなくって、まずテクニックありき!というような、
ストイックな姿勢が好きなのかもしれません。
考えてみれば、オペラでも、ストイック系のデヴィーアなんかの方が、
感情で押してくる歌を聴かせる歌手よりも好きなので、
(マリア・カラスは、私が崇拝している歌手ですが、
そのストイックさの中にドラマティックさも持ち込めた唯一無二の人なので、
あまりの特殊さゆえ、あえてデヴィーアを例にとりました。)
その技術を突き詰めた中に芸術あり、というアプローチが心に訴えてくるのかもしれません。

とにかく、ヴィシニョーワの舞台での動きはあまりに美しくて、
その純粋な動きだけでここまで心をとらえられる人はあまりいないのではないかと思います。
特に前半のソロ・パートは、あまりに動きが美しくて、人間ではないものを見ているような気すらしました。

その後に続くソロル役のイワンチェンコと絡む振付で、緊張の糸がほんの少し緩んだ気もしましたが、
まあ、それは、かみそりに顔を当てているようなソロの場面の緊張感と比べれば、の話です。

イワンチェンコは、私が勝手にイメージしていたソロルよりは、やや動きが鈍重な感じもしましたが、
見た目は素敵。

話が前後しますが、この場面、セットと衣装のシンプルさがものすごく活きています。
セットは黒いバックドロップのみ。
二枚の板を組み合わせた形になっていて、中心からダンサーたちが登場できるよう、
少し前後して舞台上に板が組まれています。
その板と板(壁と壁)の間から、一人、また一人、、と、精霊が出てくる個所は圧巻。
正直言うと、『ライモンダ』では複数のダンサーのアンサンブルが今ひとつで、
この調子だと、この影の王国のシーンはそんなに期待できないのかしら?と一瞬不安になったのですが、
いやいや、それは杞憂というものでした。
もちろん踊っているのは人間なので、何もかもコンピューターで合成するような同時さではないのですが、
少しタイミングがずれたとしても、何かダンサー同士がシンクロしている感じがあって、
むしろそういったコンピューターで合成しても生まれ得ないような、統一感があるのでした。
上手くいえないのですが、統一感というのは物理的な同時さとか動きの相似だけから
生まれるのではなくって、それ以上のファクターがあるんだな、と思わされた場面でした。

ソロの場面が始まる直前の、斜めに出した足がずらっとならんだその角度の美しいこと!
ロシアの人の肌の色って、全員白っぽいと思い込んでいたのですが、
意外と濃い人もいて、タイツ越しでも足の色の違いがわかるのですが、
その、足の色がこんなに色々違うのに、向いている角度がこんなにも同じ!
というのがまたシュールで、一層、角度の揃いっぷりが引き立ちました。

先ほど『パキータ』で大絶賛したコンダウローワは、このバヤデールにも、
ソロの踊りを披露していまして、こちらもなかなかの出来でしたが、
やはりヴィシニョーワの直後に踊ると、こんなに素晴らしいコンダウローワですら、
まだまだ先の道のりは長い!と思わされます。

今年のABTの春公演では、ヴィシニョーワが出演するものは一演目しか見ない予定だったのですが、
彼女はまさにこれからキャリアのプライムに入ろうとしているようなオーラを感じるので、
これは他の演目も見ておかねば!とチケットの買い足しを考えているところです。

ああ、こんな出演者で、この『ラ・バヤデール』の全幕を観てみたい、、、。

オケは、ゲルギエフが振るコンサート&オペラ仕様のオケに比べると、
少し迫力には欠けるかもしれませんが、サウンドのスタイルはやはりまぎれもないキーロフのもの。
演奏の技術も安定していて、どこぞのオケ(ええい、実名で!NYCBやABTオケだ!)とはえらい違い。

最後にヴィシニョーワによって舞台に引き上げられた指揮者シンケヴィッチが、
ヴィシニョーワの華麗なお辞儀に答えるように、ぐにゃーっとお辞儀をかましたのにはびっくり。
しかもそれが、冗談でしている風ではなく、本気な風なのに二度びっくり。
おっさんがバレリーナ仕様のお辞儀とは、おそるべし、キーロフ・バレエ!!
やっぱりバレエの本場は違う!

(冒頭の写真は、初日の公演より、ソーモワとサラファーノフによる『バヤデール』)


Kirov Ballet & Orchestra All Petipa Program

RAYMONDA / Act 3
Victoria Tereshkina (Raymonda)
Danila Korsuntsev (Jean de Brienne)
Vladimir Ponomarev (Rene de Brienne)
Mazurka: Ksenia Dubrovina, Konstantin Zverev
Hungarian Dance: Alisa Sokolova, Andrey Yakovlev
Variation: Nadezhda Gonchar replacing Irina Golub
Grand Pas: Yana Selina, Valeria Martynyuk, Maria Shirinkina, Svetlana Ivanova, Olga Androsova,
Yulia Bolshakova, Daria Vasnetsova, Ekaterina Kondaurova, Vasily Shcherbakov, Alexey Nedviga,
Anton Pimonov, Grigory Popov, Maxim Zyuzin, Denis Firsov, Andrey Ermakov, Sergei Popov

PAQUITA / Grand Pas
Alina Somova, Anton Korsakov
Ekaterina Kondaurova, Valeria Martynyuk replacing Irina Golub,
Ekaterina Osmolkina replacing Nadezhda Gonchar, Victoria Tereshkina

LA BAYADERE / The Kingdom of Shadows
Diana Vishneva (Nikiya)
Yevgeny Ivanchenko (Solor)
Shades: Olesia Novikova replacing Ekaterina Osmolkina, Nadezhda Gonchar, Ekaterina Kondaurova
Corps de Ballet

Kirov Ballet with the Orchestra of the Mariinsky Theatre
Conductor: Mikhail Sinkevich

Orch L Center
New York City Center

***キーロフ・バレエ Kirov Ballet***



ABT FALL REPERTORY SEASON (Sun Mtn, Oct 28, 2007)

2007-10-28 | バレエ
26日に続いて、ABTの秋シーズンの公演に行って参りました。
今日は日曜のマチネということもあって、子供たちの姿が多く見られました。

前回にもお話したとおり、プログラムの組み方がなかなかABT、心憎いものがあり、選ぶのが一苦労。
同じ演目でキャスト違いとか、見たい演目が入っていると思えば、以前見たものとのコンビだったり。。
他にも見たい演目はいろいろあったのですが、
今日は26日とキャスト違いの"Ballo della Regina"と、もう一つのワールド・プレミアもの、”C to C”、
そして、”ファンシー・フリー”というプログラム。

まず、Ballo della~でスタート。
なんと、ショッキングなことに、見比べを楽しみにしていたBeloserkovskyが、
怪我のために、26日と同じ首男ホールバーグに交代。
ただし、ワイルズは、予定通り。
あいかわらず首が気になるホールバーグ。特にこの演目の衣装のように、
首元が全開になっていると、余計目立つのかも知れません。
今日は26日よりも、ジャンプ、ターンともにキレを欠いており(少々お疲れか?)、
あきらかにテンポに乗り遅れている場面も。
ワイルズに関しては、私、以前に東京在住のmyバレエ・メンター、yol嬢が、
わざわざNY出張時に、日本から私の教材として手荷物で持ってきてくれた雑誌、スワン・マガジンの中に載っていた、
彼女のインタビューが衝撃的で忘れられない。
白鳥の湖における、オデットとオディールの心理についてきりこむインタビュアーの質問に対し、
さらっと、
”だって、そういう風に書かれているからとしか、いいようがないんじゃないかしら?(笑)”

すごい。。。解釈ゼロだ。。
と思った記憶があるのですが、
今日は、初めてその彼女の踊りを見せていただきました。

で、この役に関して言うと、彼女は26日のマーフィーより、ずっと、生き生きと役を演じていたように思います。
技術はというと、ターンで軸がぶれたり、踊りの詰めが甘い部分があったり、と、問題もあったのですが、
しかし、役の本質を捉えている、という意味ではずっと彼女の方が上だと思いました。
何も解釈をしようとせず、役の本質を捉えるとは。やるな、ワイルズ。
かたや、マーフィーは、今、思い起こしてみると、技術は丁寧なのだけど、
なんともうっとうしい感じの表情で、高ビーな女王様風。
それに比べて、ワイルズのそれは、かわいらしい、茶目っ気たっぷりの女王様。
それぞれ、全然雰囲気の違う女王でした。
私は、音楽や振り付けとの調和から、ワイルズの方に好感を持ちました。

休憩をはさんで、ワールド・プレミアものの”C. to C.”。
26日の、もう一つの新作、”From Here On Out"が素晴らしかったのと、
なんとラッキーなことに、今日のこの"C. to C.”でも、ゴメス様の踊りが観れるとあって、
私は今日は、やる気満々で座席についておりました。

楽器はピアノのみ。フィリップ・グラスの無機的な音楽にのって、踊る6人のダンサーたち。
バックは、男性(これがチャックなのか?)の、眼鏡をかけた顔の、
その眼鏡の上の縁から、鼻のすぐ下までを、荒目をかけてひきのばした写真を使用。

衣装は、男性女性ともにほとんど床下まで届くフレアのスカート。
男性が着ている上着を、女性のダンサーが、脱がせて上半身裸となったところで、
腕を少し前に出すのですが(まるで、格闘技のおっす!のポーズ)、
ゴメスとコルネホの肩の上の筋肉がすごくてびっくり。
女性は、胸と腰のまわりに黒い生地が巻かれた以外はシースルーの生地のレオタードを
そのロング・スカートの下につけていて、レオタードになったところは、
少しミュージカルの『シカゴ』風の雰囲気。

この作品も、非常に未来的な感じがする仕上がりになっているのですが、
ジュリー・ケント、この方は、こういうちょっと血の通った人間らしくない人造人間のようなキャラがものすごくぴったり。
『シンデレラ』で、なんとなく居心地悪そうな雰囲気だったのが記憶に新しいですが、
こっちの方が全然いいではないですか!

この作品、少し振り付けが凝りすぎたか、観客からすると非常に追いづらい箇所もありました。
舞台下手でコルネホがすごいターンを決めているかと思えば、
上手ではゴメスがこれまた複雑な振りを披露していて、
両方見たいが、これは、私の目が、かえるのように、顔のように左右についていない限り、絶対無理。
それに比べると、From Here On Outの方が、常に観客の視線の位置を意識した仕上がりになっていて、
一度たりともそういうフラストレーションがなかったことに思い至りました。

さて、この"C. to C.”では、ゴメスが大フューチャーされていて、
コルネホも見せ場はいっぱいあるのですが、わりと、あいだあいだで、
幕に引っ込む機会があるのですが、ゴメスはほとんど出ずっぱりで、
しかも出ている間中、次々と続く女性のリフトを含め、激しい振りのオン・パレード。

途中、一瞬、沈黙が訪れた後、ゴメス一人が舞台で、
まるで、病気かなにかに冒されたように体をゆがめ、客席に背を向けて立つシーンでは、
その本数が数えられるほど、背中の筋肉がくっきり。
虫か何かを思わせるその姿が私はこわかったです。
ダックス王子よ、あなたは虫になっちゃったのね。。
怖いといえば、途中で、指から血が噴き出すのを表現しているような振りもあるのですが、
彼のあまりの熱演に、思わず、”あいたたた!!”と私が劇場内で叫んでしまいそうになりました。

さて、次々と荒技をこなすうちに、次第に汗びっしょりになりながら踊りまくるゴメス。
ポーズが決まるたびに、しゅぱーっ!!と汗が飛び散り、いつの間にか真っ黒のバックドロップ(背景)に代わってしまったその背景に、
飛び散る汗も芸術作品のよう。
そのうち、心なしか、劇場内に充満する汗のにおい。
これはもしや、ゴメス王子の汗の匂いかしら?と思わずくんくんしてしまった私でした。

さて、そんな汗しゅぱーっ!で踊り狂うゴメスのそばで、
涼しい顔して踊り続けるジュリー・ケント。
汗ひとつかくでもなく、まるでマネキンかサイボーグのよう。。
この二人の絵は、あまりにシュールすぎます。
しかし、こういう感情の起伏の少ない役柄でこそ、彼女のポージングの美しさが生きてました。
どの動きもおろそかにしていないのが素晴らしかったです。

コルネホは、本当に芸達者というのか、
他のダンサーがどこかやはり動きの中にクラシックのダンサーっぽい雰囲気を残しているのに対し、
完全にそういうスタイルとか、らしさとかを一度全てとっぱらって、
新たにこの作品のために踊り方を構築したような動きでした。
もうジャンルを越えてしまっているというのか、
こんなたとえもどうかと思いますが、「この人が昨日まで、マドンナのバック・ダンサーをしていたコルネホさんです」、
と紹介されたなら、はい、そうですか、と納得してしまいそうな雰囲気があるのです。
ジュリー・ケントや、ゴメスの場合は、それを言われると、「いや、まさか!」と言わずにはおれないのですが。
しかも、踊りに、他のダンサーにないビートがある。ラテンの血、おそるべし。




最後は、バックドロップが、ピンクの幾何学模様と、チャックの顔のコラージュになり、
3組が、くるくると、止まらなくなったレコードを思わせるターンを続けるなか、
突然暗転して、ジ・エンド。

各ダンサーの技量を見るにはいい作品ですが、少し振り付けや演出に自己満足的なものが底に流れているのが私には少しきつかったかも。
(もちろんダンサーの責任ではまったくない。)
作品そのものは、From Here On Outの方が、私はずっと好きです。

さて、この演目の後のインターミッションで、女子化粧室の列に並んでいると、
前に立っていらした小柄な、おそらくニューヨーク以外の地方都市からいらっしゃった主婦の方風で、
大変気さくな感じの方が、
”ABTは全幕ものとか昔やってなかったかしら?”
とおっしゃるので、こんなバレエ初心者の私に質問して大丈夫?と心配になりつつも、
”春にありますよ。”と言うと、
”あの、幕の後に出てきた男性はどなたかしら?(多分、振り付けの方だと思います。)”などと、
会話が始まったのですが、
”あの今の作品でメインで踊っていた男性の名前、ご存知?”とおっしゃるので、
”ダックス王子です。”といいそうになるのをこらえ、”マルセロ・ゴメスです。”と申し上げると、
”彼はよかったわねー。”
”はい、全幕ものでも素敵でしたよー”と言うと、
”黒髪に、あの肌に、あの体、飛び散る汗!フー!”と、
手でパタパタと顔を仰ぎながら、興奮モードに。
こんな上品そうな奥様から、こんな言葉が飛び出るとは。。
ダックス王子、おそるべし。世の女性をめろめろにしております。

しかし、確かに、考えてみれば、全幕ものの『白鳥の湖』、『シンデレラ』、
今回のコンテンポラリーものと、毎回違うタイプの役でありながら、
すごい説得力でもってねじふせる彼の力量、なかなかと言わねばなりません。

さて、ちょっぴりエッジーだった”C. to C."から一転、
”ファンシー・フリー”はアメリカらしさ全開、かつ小粋な作品。
何を言わんとしているのだろう??と、ずっと考えねばならなかったCと比べると、
こちらは、まるでお芝居を見るかのように、はっきりとして、かつわかりやすいストーリー・ラインがあって、
観客席のキッズたちまで、大声で笑うシーンが続出。

時は1944年の夏。
NYに寄航中の3人の水兵が、マンハッタンの裏道の酒場で、女の子をひっかけようとするところから物語は始まります。
”俺はグラマーな子といちゃいちゃしたいな”とか言った会話が耳元で聞こえてきそうな、
ロビンスの振付け、下世話と見る人もいるかもしれませんが、私は結構好きかも。
しかし、問題は、ひっかかった女の子が2人しかいないこと。
この2人の女の子をめぐって、3人の水兵がくりひろげるハチャメチャが物語りの全てで、
NYのみならず、世界中のあらゆる街で、何度となく繰り返されたに違いないこの他愛無い日常の一ページを、
どこか最後にふっとせつなさがよぎる素敵な作品に仕上げています。

女の子を前にすると、つい事実を百万倍にして話す男の子、
それぞれのスタイルで女の子を口説きおとそうとやっきになる3人、
そんなこんなありふれた全てが、
しかし、1944年といえば、太平洋戦争の真っ只中。
まさにこういった若者たちが対日戦に送り込まれていったことを思うと大変せつない。
声高に反戦を叫ばずとも、このような日常を若者からとりあげていいの?という、
メッセージをこめたこの作品、
いまだ若者を戦地に送り続けるアメリカという国に対する、ABTからのやんわりとした批判、
と見るのはうがちすぎでしょうか?

この作品では、とにかくカレーニョのきらめきが群を抜いていました。
3人のうち、最もしたたかそうでいて、なのにどこかぬけている、という憎めないキャラを、隙のない踊りで熱演。

しかし、Salsteinの、まじめキャラも捨てがたいし(私が娘を持つ親で、この3人の水兵から娘のつきあう相手を選べ、と言われれば、相当悩んだ後に、きっと彼になるだろうと思われる。)
ホールバーグも、3人のうち、最もおつむのめぐりが悪いキャラを熱演、
クールに見える外見からは意外なまでに、役との相性がよく、
この作品、私は大変楽しく鑑賞しました。

(一枚目の写真は初日のガラから、キャスト違いで、左よりコルネホ、ラデツキー、ゴメス。
二枚目の写真は"C. to C."より、左からブーン、コープランド、ゴメス。
ジュリー・ケントのアンドロイドぶりが見れないとはなんと惜しい!)


BALLO DELLA REGINA
Michele Wiles
David Hallberg replacing Maxim Beloserkovsky
Misty Copeland/Maria Riccetto/Hee Seo/Jacquelyn Reyes
Choreography: George Balanchine
Music: Giuseppe Verdi
Conductor: Charles Baker

C. TO C. (CLOSE TO CHUCK)
Julie Kent
Marcelo Gomes
Misty Copeland
Herman Cornejo
Kristi Boone
Jared Matthews
Coreography: Jorma Elo
Music: Philip Glass
Pianist: Bruce Levingston

FANCY FREE
Julio Bragado-Young(Bartender)
Craig Salstein/David Hallberg/Jose Manuel Carreno (Sailors)
Stella Abrera/Gillian Murphy/Leann Underwood (Passers-By)
Choreography: Jerome Robbins
Music: Leonard Bernstein
Conductor: Ormsby Wilkins

New York City Center
ORCH H Odd

ABT FALL REPERTORY SEASON (Fri, Oct 26, 2007)

2007-10-26 | バレエ
今日はABTの秋シーズンの公演。

実は年間でも、NYで公演する週の数が大変限られているABT。
秋は、コンテンポラリー・プログラムを、場所をニューヨークシティセンターに移して公演。
いくつかのプログラムが組み替えで公演されるのですが、
このコンビネーションがまたいろいろあって、とーしろの私は行きたい日を選ぶだけで
また一苦労、という感じだったのですが、今回は、
ヴェルディのオペラ、『ドン・カルロ』からの音楽に合わせて踊られるという、Ballo della Reginaと、
テューダーの振付である、The Leaves are Fading (”葉は色あせて”)は絶対見たいと思ったので、
この26日をとりあえず選択。
どの公演日にも、必ず入ってしまっているワールド・プレミアものに関しては、
オペラで昨シーズン、『ファースト・エンペラー』による痛い目を味わったばかりなので、期待せずにおく。
今回のシーズンでは、このワールド・プレミアものが確か二作あったと思うのですが、
今日のそれはMillepied振り付けによる、”From Here On Out"。

この公演順序が、私の楽しみ度順と同じだったのですが。。

まず、Ballo della Regina。
しっかり、受け取ったダイレクト・メールに、『ドン・カルロ』の音楽にのせて、云々と書いてあったのに、
チケットを申し込んでから何ヶ月も経つうちに、記憶がうすれ、
なぜだか、『仮面舞踏会』(Un Ballo in Mascheraというタイトルのせいに違いない。)と、『ドン・カルロ』など、
ヴェルディのオペラのメドレーかと思い込んでいた私。
で、そんな奇特な編曲を行う人が当然いるわけもなく、曲はメドレーでなく、『ドン・カルロ』だけでした。
しかも、曲も、一部のフレーズを除き、どこのシーンなのかぴんとこない。
『ドン・カルロ』にはたくさん版があるので、一般によく演奏される版とは違う版のものからとられたものか、
詳しい情報がまったくプログラムに載っていないので、よくわかりません。

しっかし、相変わらずひどい演奏のABTオケ。
助けてくれ~~~~。

肝心のバレエの話をすると、まず、ホールバーグ。この人は大変評価が高く、
期待の星、みたいに言われているようですが、
うーん、私にはあまりぴんと来なかったです。
確かにジャンプ力なんかはすごいのですが、一番気になったのは、
首から肩にかけての線が美しくないこと。
どんなポーズや動きをしていても、なんだか首がとっても目立つのです。
マーフィは、悪くないのですが、どこか花がない、というのか。。
一生懸命踊っているのですが。。
そして、最も気になったのは、登場するダンサー全体、特に女性ダンサーの体型。
ABTの女性ダンサーにはラテン系の方が結構多いのか、
体に厚みのある人が多くて、このバランシンが振付けた踊りを踊るにはあまり美しく見えなかった。
中に一人アジア人の女性がいて、彼女なんかは結構雰囲気にマッチしていたので、
こういう体型の人を取り揃えたら、また雰囲気も違うだろうにな、と思いました。
そして。。またこんな暴言を吐いていいものか。。ええい、言ってしまおう。
私、あまりバランシンの振り付けが好きでないみたいです。
DVDで、彼の他の作品も観てみたのですが、なにかちょっと冷たい、よそよそしい感じがあるように思うのは私だけでしょうか?
オペラ好きの典型にもれず、あついもの好きの私なので、どうしても苦手意識が。
ちなみに、私の友人にそれを話すと実は全く同じことを感じるそうで、
しかし、それは絶対に、バレエをしている人には言っちゃだめよ!と言われました。
その人は、バレエをしている友達に”バランシンが好きでない”とカミング・アウトしたところ、
軽蔑のまなざしはもちろん、半殺しにされかねないほどの罵倒にあったそうです。
ということなので、私もこの辺でやめときます。

The Leaves are Fading。
これは素晴らしい!
ドボルザークの弦楽四重奏”糸杉”にあわせて踊られるのですが、
衣装、背景、なにもかもがいたってシンプルなのに、そこはかとない叙情を感じさせる作品。
非常に複雑なフォーメーションが次々と展開し、
(今、あらためてプログラムを見ると、男性と女性の人数が違うのですね。
それもその複雑さに厚みを増す役割を果たしているように思えます。)
複数のペアが舞台上にいるときに特に、そのそれぞれの動きが有機的にかみ合っていて、
大変よく出来た作品だと思いました。
また、どこかしらかわいらしい動きがたくさんあって、もぞもぞもぞっ!と蓑虫が蓑から出てくる様子を思わせる動きがあるのですが、
私の後ろのおばさんはよほどその動きが、かわおもしろい(’かわいい’+’おもしろい’)らしく、
ずっとくすくす笑っていらっしゃいました。
この演目に、日本人のメンバー、加治屋百合子さんが出演していたのですが、大活躍でした。
彼女は、アンサンブルで踊っているとき、少しためがありすぎて、
他の人からずれて踊っているように見えてしまうのが唯一の欠点。
彼女だけに注目していると、その”ため”が非常に優雅で、
どうしてそのように踊っているのか、わかるのはわかるのですが、
アンサンブルの場面だけは、イン・テンポにしたほうがよいかもしれません。
しかし、この”ため”が、ソロで、もしくは男性と二人だけで踊るようなときは、
大変効果的で、体もまるで羽のように軽そう。
ラテン系のダンサーのような体のキレはないかもしれませんが、
彼女だけにしかない、おっとりとした美しさのようなものがあり、
観客からもメインで踊ったReyesとSavelievの組に続いて拍手が大きかったです。

Reyesについていうと、おそらく彼女はそのラテン系だと思われ、
体育会系的に、技を次々と繰り出してくるのですが、
確かに、すごいなーとは思うものの、芸術的なところで感じさせられるものがあまりに少なく、
段々、踊りに飽きが来てしまうというか、その点、加治屋さんのほうが、
テクニック的に足りない部分があったとしても、もっと長く見ていたくさせる何かがあるように思いました。
また、Reyesは顔の表情にも問題があるかも知れません。
彼女は目がくりんとしていて、非常にかわいいのですが、
あの、笑っているような表情でずっと踊り続けていたのが、私には非常に違和感がありました。
この作品って、そういうんじゃないんじゃないかしら?と。。
加治屋さんは、その点でも、どこか、微笑みながらも、心ここにあらず、といった表情で、
どこかはかなさを感じさせ、この作品の雰囲気とよくシンクロしていました。
Ballo della~に比べると、こちらのメンバーはずっと多国籍軍的だったのが幸いしたか、
各ペアが、それぞれの持ち味を生かして踊っていて、大変見ごたえがありました。

FROM HERE ON OUT。
いやー、期待していなかったワールド・プレミア作品が、この日一番の収穫になるとは!
もちろん、すでに私の贔屓と化したゴメス
(my飼い犬と同じ、ダックスフントを飼っているのが入り口だったが、今や、彼の踊りの美しさにはまっている。)
が出演すると知った時点(劇場の中でプログラムを開いてから知った。)で、
期待がやや膨れあがってはいたのですが、この作品は本当に、本当にすごい!!
今までの二作とはかなり雰囲気が違って、近未来的ですらあり、
まるでプラダ・スポーツのデザインか?と思わせる三色の全身レオタード
(ところどころに四角く別の生地になっていて、色は、黒、紫、青。)
に身を包んだダンサーたちが踊るのですが、振り付けが大変ユニークで格好いい。
ゴメスとヘレーラをはじめ、登場するダンサー全員がものすごく気合の入った踊りを披露。



ダックス王子、超、超、かっこいいっす!!!
あの、シンデレラ白鳥で見た時とは、また全然雰囲気が違って、
まるで未来の世界からやってきたレプリカントのよう。。
男性が後ろ向きになって横一列で、同一の振り付けを見せる場面では、
同じ動きなのに、彼だけ後光がさしてました。

ヘレーラは、実家から送られてきた日本でのフェリ引退記念公演時の『海賊』からの映像を見て、
あんまり好きじゃないかも。。なんて思っていたのですが、
彼女は、こういうシャープなコンテンポラリーものの方が断然いいと思います。
もう表情まできりっとしているし、動きもびしびし決まっているし、で、彼女も猛烈に格好よかった。
音楽は、安っぽい映画音楽に聴こえるような瞬間が若干あったものの、
全体的には大変よくできていて、私は、全然ジャンルは違いますが、
『ファースト・エンペラー』の何倍もスリリングだと思いました。
とにかく、新作でこういうものが出てくるバレエ界、羨ましいなあ、と思いました。
ぜひABTの定番レパートリーに加えていただきたい傑作。


BALLO DELLA REGINA
Gillian Murphy
David Hallberg
Misty Copeland/Maria Riccetto/Hee Seo/Jacquelyn Reyes
Choreography: George Balanchine
Music: Giuseppe Verdi
Conductor: Ormsby Wilkins

THE LEAVES ARE FADING
Xiomara Reyes
Gennadi Saveliev
Mellisa Thomas/Carrie Jensen/Anne Milewski/Melanie Hamrick/Veronica Part
Jacquelyn Reyes/Maria Bystrova/Yuriko Kajiya
Roman Zhurbin/Jeffrey Golladay/Arron Scott/Tobin Eason/Cory Stearns
Choreography: Antony Tudor
Music: Antonin Dvorak
Conductor: Charles Barker

FROM HERE ON OUT
Paloma Herrera
Marcelo Gomes
Isabella Boylston/Maria Riccetto/Jacquelyn Reyes
Cory Stearns/Alexandre Hammoudi/Sascha Radetsky
Sarawanee Tanatanit/Simone Messmer/Blaine Hoven/Thomas Forster
Choreography: Benjamin Millepied
Music: Nico Muhly
Conductor: Ormsby Wilkins

New York City Center
GTRC D Odd

CINDERELLA - ABT (Sat Mtn, July 7, 2007)

2007-07-07 | バレエ
私のバレエ鑑賞のメンターであるお友達が出張でNYにいらっしゃることに!!
成田からJFKに到着した後、ほとんどホテルに荷物を置いたその足でリンカーン・センターに向かう、
という無謀なスケジュールにもかかわらず、
バレエファンの執念に神も微笑むしかないと観念したか、
万事、スムーズにすすみ(といっても、あわてて日本を発った彼女は化粧品やら携帯やらかなり肝心なものを持ってくるのを忘れてしまったらしい。。)、
集合時間の開演30分前にメトのオペラハウスに向かうと、すでに懐かしい彼女の顔が!
喜びの再会を果たし、そして、全く疲れている表情すらない彼女のパワーに感服。

直前の出張決定だったため、残念ながら残っていた連番の座席はいまいちなものばかり。
よって、今回は別々の席で鑑賞することに致しました。
彼女のパーテールの座席も、私のグランド・ティアの座席も、いずれも見やすい座席で安心。
と思ったら開演間近であることを知らせる鉄琴の音が響いてきたので、おのおのの座席へ。

今シーズンのABT、『マノン』、『ロミオとジュリエット』、『白鳥の湖』と、
鑑賞した演目がひたすら王道のクラシック・バレエ演目であるばかりか、
演出も王道クラシックだったので(そして、私、オペラもバレエも、その王道クラシックな演出が大好きなのであります。)
この『シンデレラ』も深く考えず、同じくコンサバ路線かと思いきや。。

とんでもない!!!!
これは、何っ??!!!!

まず、シンデレラといえば、ディズニーやら、小さい頃に読んだ絵本のイメージがものすごく強いので、
姫は長いドレスにティアラで、王子はタイツに剣の王子ルックかと思いきや、設定が思いっきり20年代風。
国は不明ですが、シンデレラがこき使われている意地悪姉妹の家のインテリアからすると、
アメリカのような気がする。。。
でも、ん??アメリカに王子??!!
でも、気にしない、気にしない。
なぜならば、彼は全幕ずっとスーツかタキシードで、タイツ、一切なし!!
女性はフル・レングスのドレスはこれまた一切なく、
夜会のシーンも、ひざ下くらいの長さのドレスで、
最後の結婚式の招待客の衣装は、ココ・シャネル系。
なので、途中から、私は勝手に、”彼”は王子なのではなく、
アメリカのどこかの金持ちのぼんぼんで、シンデレラは王女になるのではなく、
単に金持ち息子と玉の輿にのる話なのだ、と解釈することにしました。

さて、myメンターより、男性が意地悪姉妹を演じる版もあると聞きましたが、
今回はいずれも女性のダンサー。
ただし、姉と思われる側を演じた方が、やたら背が高くてたくましく、
初登場の場面では、”あれ?男??”と一瞬舞台を凝視してしまいました。
よーく見ると女性ですが、しかし、あの、異様な背の高さと、プラチナブロンドのウィッグとあいまって、
ドラッグ・クイーンのような雰囲気を醸しだしてました。
めがねをかけた妹の方は間違いなく女性でしたが、踊りも確かなら、芸も達者。
この二人がかなり狂言まわし的な役で重要なのですが、
この妹がすっかり姉を食ってました。

さて、シンデレラ役のジュリー・ケント。
舞台写真などから察するにものすごくエレガントな踊りを披露してくれるのではないかと期待していたのですが、
この役、特にこの演出に合わないのか、終始動きは綺麗なのだけれど、
感情を伴わない踊りで少し意外。
”ああ、綺麗だなあ”とは思うのだけれど、全く一度として心に訴えてくるものがなかったです。

それに引き換え、わがダックス王子のマルセロ・ゴメス!!
彼がかわりにいい味を出しているのであります!!

彼の好青年なところと、妙に律儀っぽいところ(キャラクター的にも、踊りも。。)が、
この演出とうまくはまっているというか、
おかしなことをまじめな人が一生懸命やっていると、
面白さ倍増に感じられることがありますが、まさにその公式を地でいっているのです。

例えば、意地悪姉妹に夜会で見初められて(そう、王子の方が。。)、おびえる王子。
まさにとびかかっていきそうな勢いの姉妹から逃れようと、椅子にあわてて飛び乗るところなんか、
まじめな顔で、まじめに美しく椅子に飛び乗っているのが笑える。
また、靴を片方落としたシンデレラを探しに、世界一周の旅に出るゴメス。
(しまいには、日本まで行ってしまうのですよ、これが。。)
このあちこち飛び回ってます!という表現をするのに、舞台を何度も
右から左へ、左から右へといろいろなジャンプやら技を入れつつ移動するのですが、
いちいちその技がまた綺麗なもので、おかしさ百倍。
このシーン、こんなにまじめにやるところなの?とつっこみたくなるくらいに、
突き抜けて丁寧に踊っているのが、さらに笑いを誘う。。

いいです!この役は、彼にとっても合ってる!!
しかし、残念なのは、ボッレと並んで二大ギリシャ彫刻と私が呼んでいるゴメスのお体が、
この20年代衣装では全く見えない。。泣いちゃいますよ、本当に。

Ballet 101という私のバレエ鑑賞のお供の本を読み始めたばかりの頃、
バレエの歴史で、男性がタイツをはいたり、女性がチュチュを着るようになった意味は、
体の動きがよく見えるよう、云々と書いてあって、
”えー、そんな違いあるかー??!”と笑っていた私ですが、声を大にしていいましょう。

おおありです!!!!!

普通のスーツで踊られることが、こんなにフラストレーションの溜まるものだとは思いませんでした。
特にゴメスは本当に細かいところが丁寧で、体の動きが美しいので、なんだか、とっても損した気分。
かろうじてシンデレラは、ひざ丈のやわらかい素材の衣装を着けてくれていたので、何とか我慢。

さて、衝撃のシーンは第一幕のお庭のシーン。
魔法使いのおばあさんが連れてきた手下たちが踊るシーンですが、
いよいよ、12時になると魔法が解けてしまう、ということを説明する場面で、
おもむろに頭にかぼちゃをかぶった黒いスーツの男性ダンサーが12名登場。
円陣を作って座ったかと思うと、一人一人立ち上がって、びよよよよーん、とその場でジャンプするのです。
そのジャンプがみなさん渾身のジャンプで、高さもすごい。
先ほどの論理と同様に、真剣なのが、おかしすぎる。。
いや、本当にすごいインパクトなのです。
私は、椅子から転げ落ちるかと思うほど、笑いをこらえるのに苦労しましたが、
周りの人、誰も笑ってないー!!!!
そうなの?ここで笑っちゃいけないのっ??
そう思うと余計笑えるのだけど、お友達は全然違う席に座っているし、
どうやってこの笑いを発散すればいいのーーー!!!??
一幕目がはけた後の休憩時、私はお友達に会った開口一番、
”ねえ、あのかぼちゃ、何??!”と聞いてしまいました。
お友達は、すでにパンフレットを見て、12人の名前がPumpkinsのところにあったので、
なんだろう?かぼちゃって、馬車だけのはずなのに?と不思議に思っていたそうです。
さすが!
しかし、彼女のまわりではみなさん、ちゃんとお笑いになっていたそうです。
何なの、私の席のまわりの人。寝てんじゃないでしょうね!!

次の夜会のシーンで、実際に魔法が解けるシーンで、またこのかぼちゃチームが登場するのですが、
こちらはもうすこしわかりやすく、
かっこ、かっこ、と時計の音が鳴るのにあわせて、時計盤の数字のように、
1時から12時まで順にかぼちゃが飛び上がるので、
ああ、時間が経っていることをこれで表現したかったんだ、とやっと納得。

さて、先ほど少しふれたゴメス世界一周のシーンでは、
ゴメスが世界中を行脚。
なぜだか、女性飛行士Amelia Earhartを思わせる女性やら、
スペインからはカルメンチックな女性、そして、オランダ、アラブ、日本
(しかし、ここでの日本女性の扱いは結構ひどいです。
ゴメスが差し出す靴に、くすくすっとうつむいて笑うばかり。
本当、アメリカ人の持ってる日本人のイメージって、いつまでこうなんでしょう?)まで、
あらゆる女性に、片方の靴を試させようとするのでした。

一体、何年かかったことか、シンデレラを見つけるまでに。。。

しかし、ここでふと気付いた。
シンデレラは運で玉の輿にのっただけだけれど、
実は王子のほうは、彼女を探してそれこそ火の中、水の中。苦労しているのです。
(その間、シンデレラの方は、今までと同じように、意地悪姉妹にいじめられながら働いているだけ。。)
この話、実は、王子が真の恋を手に入れるまでの涙の物語なのでは?と思いました。

だから、最後、小汚い女中姿なのにもかかわらず、
シンデレラを目にした途端、すでに王子は、
”もしや彼女では?!”と感じとるのです。(ここが、またゴメス、いい演技!)
そして、おつきのものが靴を履かせる間、その間ももどかしいといわんばかりにそわそわ。
そして、彼女こそが夜会の美女だということを確認したときの王子の喜びよう。



”よかったねー!!!王子!!”と、いつの間にか、
我々は、すっかり、シンデレラにではなく、王子に共感している!!
これは、シンデレラのいわゆる”シンデレラ・ストーリー”に女心が反応するから、
この話は人気があるのだ、と思い込んでいた私には、コロンブスの卵的な発見でした。

この後、シンデレラと王子二人が踊るシーンは、
背の高さ、体格や、踊りのスタイルなど、見た目という点では、
割と相性がよい二人と思われ、美しかったです。
ただ、もともと慎重派のゴメスに、ジュリー・ケントもその傾向があるように思われました。
なので、美しいのだけれど、少し安全運転すぎるかな?という不満もなきにしもあらず。
でも、この演目ではそれもいいのかも知れません。

最後になってしまいましたが、王子の4人のおつきの方、良かったです。
ジャンプの高さ、きれ、4人のコンビネーションともに、なかなか見せてくださいました。

いわゆるトラディショナルなクラシック・バレエをイメージしていくと肩透かしをくらわされますが、
全く別物のエンターテイメントとして割りきると、結構楽しめました。

そうそう、オペラのカーテン・コールは歌手が割と素に戻ってしまう過程なのに比べて、
バレエは最後の最後まで役になりきっているのが楽しい。
最後、シンデレラと手と手をたずさえて現れたダックス王子ゴメスに、
いきなり意地悪姉妹のめがねの妹が、だっこちゃんのようにへばりつき、
そのだっこちゃんを肩に背負ったまま、ゴメス、全キャストと共にお辞儀。
迷惑がりながらも、育ちのよさゆえにつっぱねきれない王子様特有の微笑みを浮かべつつ。。
この人、正真正銘、天然の王子キャラだわ!と確信いたしました。
ダックス王子、万歳!!!!

とうとう終わってしまった今年のABTのシーズン。
来シーズンまでにさらなる精進を積んで、来年もバレエ鑑賞に励みたいと思います。

Julie Kent (Cinderella)
Marcelo Gomes (Her Prince Charming)
Carmen Corella (Her Stepsister)
Marian Butler (Her Other Stepsister)
Matthew Golding, Blaine Hoven, Jared Matthews, Luis Ribagorda (Four Officers)

Music: Sergei Prokofiev
Choreography: James Kudelka
Conductor: Charles Barker

Metropolitan Opera House
Grand Tier C Even

***シンデレラ Cinderella***

SWAN LAKE -ABT (Tues, June 26, 2007)

2007-06-26 | バレエ
今日は短足倶楽部(私が設立したダックスフントとその飼い主の会。現在会員は私一名。)により、
名誉会長に任命されたゴメス
(当然のことながら、本人は任命されたことを知らない。任命された理由はこちらを参照。)
とヴィシニョーワによる白鳥。

ダックスを飼っている、という事実だけで、もはやポイント高いのですが、
そんな贔屓目が必要ないほど、端正で美しい踊りを披露してくださったゴメス、さすがダックス王子。

ボッレをギリシャ彫刻にたとえる例を目にしますが、
それをいうならゴメスこそ彫刻っぽい。
舞台で見る限りでは、ボッレよりもさらにがっちりした感じで、
その存在感ともあいまって、舞台に登場した途端、思いました。”でかい。”
しかし、ゴメスの良いところは、その大きさが決して鈍重さを感じさせないところ。
どんな細かい動きでも、ものすごく細やかな神経を使っていて、折り目正しい。
例えば、第一幕の誕生日のパーティーの場面。
パ・ド・トロワが始まる前に椅子に着席するところの足裁きとその後の足の置き方、
常に王子であることを忘れず、とっても優雅。
また、その椅子が、私はなぜそんな位置にあるのかとっても気になったのですが、
舞台上手の、踊り手からかなり前方に飛び出た場所に、客席に向かって置かれているのでした。
つまり、パ・ド・トロワの間、王子はずっと着席しながら首はななめ後ろをむいたまま、という、
見ているだけでこちらまで辛くなってくるような体勢。
しかし、その首のつりそうな体勢のまま、顔には優雅な笑みを浮かべて、
じっと王子らしく着席していたのだから、すごい。

また、技を繰り出すときも、きっちりと端を合わせて折られた折り紙のような、気持ちよさ。
回転時の軸もしっかりしているし、回転が止まるときもだらだら終わらずに、すぱっと終わる。
もしこのゴメスに、なんらかの欠点らしきものが仮にあるとしたら、
あまりに踊りが端正すぎるところ、といえるかも知れません。

と、このように端正なお方なので、大きいから踊りががさつなのでは?という心配は無用のようです。
休憩時間中、女子のお化粧室で、前に立っていた少し年配の女性の二人連れの方も、
”ゴメスは体格が立派なので、この役、またヴィシニョーワの相手役はどうかしら?と思っていたけれど、
意外にも、とってもいいわね。”
とおっしゃっていました。

そう、その丁寧さが、ヴィシニョーワと二人で踊る際にはとてもいい方向に働いていて、
全体的には、ヴィシニョーワも心おきなく踊れているように見受けました。

このプロダクションのロートバルトは、真の悪魔の姿をさらしている時のKrauchenkaと、
舞踏会にオディールと登場する際の、人間の姿をしたRadestkyの二人でわけて演じられました。
この悪魔悪魔した側のロートバルトが黄色い衣装で出てくるのですが、あまりにもディズニーランディッシュなデザインで少し興ざめ。
実は悪魔が滅びてしまう最後といい、この真の姿系ロートバルトが結構熱演だっただけに、
この衣装デザインはもったいない。

数週間前に新演出で物議を醸しだしたABTの”眠れる森の美女”。
ものすごく悪評が高くて、その理由の一つとして、衣装とセットデザインの悪さが取りざたされていたのですが、
それとは対照的な、美しいスタンダードな演出、ということで、
この白鳥が引き合いに出されていたので、とっても楽しみにしていたのですが、
うーん、私は正直、セットデザイン、衣装、それから多分振付の一部も込みで、
このプロダクション、少し疑問が残りました。

まず、この白鳥のお話自体が持つ神秘的な雰囲気と、オデットと王子の悲恋の側面の二つには、
静粛な雰囲気の方が合っていると思うのですが、
特にロートバルト絡みのシーンで、
あまりにディズニーランド的な衣装や雰囲気、仕掛けが多く、(ということは、踊りもそう見えてしまう。。)
厳しく言うと少し子供っぽいのではないかと思いました。
確かにバレエと言えば誰もが白鳥を思い浮かべるくらいなので、
あらゆる層の観客に対応せねばならない、という現実的な理由があるのかも知れませんが、
元の話自体、大人な解釈にも十分耐えうる懐の大きさを持っていると思うので、
もっと大人な白鳥を見たいのだけどなー、と感じてしまいました。

そういう意味では、もっともワークしていたのが、
二幕の白鳥のシーン。
ここは、余計なものを全て排したのが功を奏して、
湖とその岸にある大きな岩のみというシンプルなセットをバックに
オデット、王子、群舞の踊りが本当に生きていました。

特にここのオデットと王子のデュエットは圧巻でした。
端正なサポートでゴメスが支える中、ヴィシニョーワが思いのままに技を繰り出し、
それはもうため息ものの美しさ。
しかし、私がヴィシニョーワに感激したのは、むしろ、途中のマイナーミスの部分でした。
ヴィシニョーワがゴメスの手を離して、両手をあげた状態で、
片足を後ろに上げる場面(すみません、またポーズの名前がわかりません。。)、
コンマ何秒の世界だと思われるのですが、ヴィシニョーワが完全にバランスを取る前に、
ゴメスの手が離れてしまったようで、
私のような素人が見ていると、いつも全ての動きが高度なうえに、
ほとんどノーミスのように見えるヴィシニョーワが、珍しく、
少しバランスを失いかけた場面がありました。
かなりバランスを欠いて右に左に動いてしまったので、いろいろ誤魔化す方法もあったかと思うのですが、
あえて彼女はその姿勢で歯を食いしばって持ちこたえたうえ、
さらにはそこからさらに背中の反り返りと上がっている足の角度を大きくするという根性のパフォーマンスでその場を乗り切り、
しかもその大きくした時点で、そのポーズをためて見せたのですから、すごい!

もちろん、失敗はないにこしたことはないのだけれど、
失敗したときこそ、パフォーマーとしての器量が問われるというもの。
この方の失敗に対する対処の仕方にはなみなみならぬ根性のようなものと、
そして、どんなことがあっても振りを犠牲にしない誠実さのようなものが感じられて、
私は感動を覚えました。
観客も失敗に落胆するどころか、彼女のど根性に大拍手。
失敗によっても何かを表現する舞台魂。すごい人です。

この場面が唯一の、傷と呼びたければ傷と言える以外は(そして、私はあえて呼ぶ気は全くないのですが)、
気が遠くなるほどの完璧さ。

今日はヴァイオリンのソロが音を外しまくりで、
金管のあとは弦ですか!と青筋が立ちそうになりましたが、
その弦の雑音(って、ソロが雑音になってしまうって、どういうことよ。。)が
ほとんど耳に入らなくなるほど、二人の踊りに引き込まれてしまいました。

ヴィシニョーワの素晴らしいところは、超絶技巧でものすごくクールに踊っているように見えるのに、
間違いなく演じている役の本質をきちんと観客に伝えている点。
だから、『ロミオとジュリエット』のジュリエットも、オデットも、オディールも、
漂っている雰囲気が違う。
そして、ゆっくりした繊細な踊りもさることながら、この幕でソロで踊るシーンでは、
ものすごく切れ味が鋭くて、なのに力強さもある重量戦車のような踊りを披露。
(ああ、映像は頭に浮かぶのに、ボキャ貧。。
その場で足のポジションをがんがん組みかえるのですが、
すごいパワフルで早いので、まるで地面にフォークをぶすぶすさしているような。)

当然のことながら、舞踏会のシーンでは、
火を噴く32回転のグランド・フェッテで、観客を興奮の坩堝にたたきこんでくださいました。
しかも、さきほどまでの可憐な様子はどこにもなく、
おほほほほ。。と高笑いがどこかから聞こえてきそうな、
だけど、表立ってはいたってクールに振舞うオディール。
こんな女の人、怖いです。

残念だったのは、舞踏会で、人間の姿で現れたロートバルト。
Radestkyといえば、『マノン』で、途中から怪我をしたスティーフェルの代役としてマノン兄を演じた方ですが、
このロートバルト役は少し彼には荷が重たかったか、
全く悪魔的な雰囲気が出せていなかった。
もっと、人間という仮の姿から滲み出る微妙な悪の香りを醸しだしてほしかったのだけれど。

王子がロートバルトのわなに落ちたことを悟り、
生きる望みを失ったオデットは、あの湖のそばの岩から身を投げます。
空には大きな月が。
そのオデットを追って続いて身を投げる王子。
この身投げのシーン、観客からは空中の動きしか見えず、
湖のセットのうしろにマットレスか何かがあって、
そこに二人はジャンプしているのですが、
ゴメスのジャンプが背中を反らせながら、あまりにも美しいポーズのまま
湖の向こうに消えていったのには、
観客から、”すごい!!”の声が。
端正で、慎重すぎるダックス王子ゴメスが、この公演で初めて見せた情熱的な跳躍に、
こんなことができるのなら、ぜひこの先この路線で行ってほしい!
と願う身勝手な短足倶楽部会員の私なのでした。
幕が降りはじめると、月の中に二人の姿がかすかに映っていました。
(かすかすぎて、気が付いていなかった人もいたようですが。。下をよく見てください!見えますね。)



さて、少し群舞の場面に触れておくと、
振付自体は、ものすごく複雑で、幾何学的なフォーメーションが組まれていて、
(特に奇数のダンサーを動かすときに顕著だと思いました)
これが、一糸乱れぬ踊りを披露できるコール・ドの方たちだと、
ものすごく見ごたえがあったかと思うのですが、
残念ながらABTは、プリンシパルの人たちのレベルは世界第一級なのですが、
少し群舞が弱いのかな、と感じました。
なので、その複雑で面白いフォーメーションとか、
色んなダンサーが違った振りを同時にするその掛け合いの面白さとかが、
微妙な踊りのタイミングのずれのせいで、遠くから見ていると、
混沌状態になってしまっている場面が散見されました。
ただし、4羽の白鳥のシーンのダンサーの方たちの、
足の方は相当そろっていて、かなり見ごたえがありました。
(ただし、顔の向きに少し不揃いな部分があったのが残念。)

主役二人の踊りが本当に素晴らしかったので、
これでもう少し大人の演出ならば、なおよかったのにな、と少し残念。
白鳥、奥深いです。


Diana Vishneva (Odette/Odile)
Marcelo Gomes (Prince Seigfried)
Vitali Krauchenka / Sascha Radetsky (von Rothbart)
Gennadi Saveliev (Benno)

Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
Grand Tier C Odd

(上の写真はPaloma HerreraとMarcelo Gomes。下の写真は6/27の公演より。)

***白鳥の湖 Swan Lake***

ROMEO AND JULIET - ABT 後編 (Sat, June 23, 2007)

2007-06-23 | バレエ
後編 <そして幕が上がり。。>

こうして、いよいよ熱気むんむんの中、フェリのABT引退公演の幕があがりました。

今日は指揮者が違っているのも関係があるのか、多少のミスはあったものの、
オケは18日の公演よりだいぶまし。
そういえば、今日の指揮者はマノンの時と同じ指揮者なんですね。
もしかすると、フェリの公演の時はすべてこの指揮者で、
彼が指揮するときはみんな気をひきしめろよ!という指示が入っていたのかも知れません。
結構熱くて、指揮の方向自体は悪くないと思いました。
18日の指揮者がだらだら演奏させていたところもきびきびしていてよかったし。
ただ、ところどころ、指揮についていけないオケを一生懸命指揮者が煽る姿が見られました。
苦労してる姿が、泣ける。。


第一幕 第一場
さて、いよいよボッレが現れて会場の拍手。
ところが、どうした?ボッレ。少し踊りがもたつき気味。
頭でロミオ、マキューシオ、ベンボーリオ三人で踊るシーンでは、
エルマン・コルネホ(お友達に発音を教えてもらったので、日本語で書いてみたくてしょうがない!)演じるマキューシオと、
ベンボーリオの息が合っているだけに、ボッレが一人乱れているのが目立つ。
この役が得意でないからか、あまり踊りこなしている役でないからか、
これは詳しい方にお聞きしたいところですが、
途中では、振りが心もとなく、微妙に他の二人から遅れる部分も。。
18日のコレーラが、体から振りが自然に流れ出すように、
しかも他の二人とも完璧な調和で踊っていたのを観ているので、
これはちょっと、驚きでした。
これで最後まで、大丈夫かしら。。と不安が募る。
また、マノンの時でも感じ、今日一層強く感じられたのは、
特に振りらしい振りが付いていない場面で、少し動きがもたつく、というのか、
何をしていいかわからない手持ち無沙汰的な雰囲気をかもし出すのが、
観ていて少し気になるときがあります。
それに比べると、コレーラの場合、どんなシーンでも、
意味があって動いていて、それでいて無駄な動きがなく、
役の体への入り方が一回りも二回りも違っているように感じられました。

第二場、フェリが登場。
観客のすごい拍手で、音楽が長らく聞こえないほど。
DVDで見られたのと少し違って感じたのは、動きの軽さ、というのか、
DVDでは、まるで羽毛が舞ってるか、と思うような浮遊感があったのが、
今日の踊りでは、少し重みが出てきていて、これは長年踊るうちに意図的にこうしていったのか、
年齢によるやむを得ない事情なのか、興味あるところです。
この役のフェリは、先ほどロミオのコレーラについて述べたのと同様、
もうジュリエット役そのもの。
私の座席から見える彼女の動きは、どう見ても10代の少女にしか見えません。(顔ははっきりとは見えないので。)
マノンを演じたときとは、歩いているときの動作など、
何気ない動きを含め、体の根本的な動きが違うというか、
全然違うキャラクターになっているのだ、ということがはっきりわかるのがすごい。
例えば、立っているときの微妙な足の角度なんかの違いで、
その10代らしさが出ているのですから、驚異的です。

第四場の舞踏会で二人が出会うシーンは、やはり、ボッレのサポートが少し不安定。
なんとか微妙にしのぎましたが、バルコニーのシーン、不安が残る。。。

そして、第六場のバルコニーの場面。
18日のヴィシニョーワのあまりにも美しい冒頭のポーズでいきなり頭をかち割られた私ですが、
あれはデフォルトのポーズかと思いきや、少しづつ、踊る人で振りが違うのだということを発見。
フェリの場合は、少し音楽を流したあと、観客に向かって横を向いた姿勢で窓から現れて、
その後、伸びをしたり、バルコニーの手すりによりかかる、という振りでした。
10代の少女らしい動きに徹したのがフェリ版、
そのリアリティを犠牲にして、感情をシンボリックに表現し、見た目の美しさを重視したのがヴィシニョーワ版。
これは、もう見る人のテイスト次第なのでしょうが、
とにかく私は18日のバルコニーのシーンは最初から最後まで息がつけないかと思うほど、かつ、
途中では涙が出てしまった人なので、ヴィシニョーワ版に一票。
さて、悪い予感的中で、このシーン、ボッレのサポートが不安定なゆえに、
フェリとしても、少し不本意な出来になってしまったのではないかと思います。
まず、ボッレがどこかもたもた、ばたばたとした(時々、振りがうろ覚えなのではないか?と思えるくらい)動きであることと、
リフトなどで、あの大きい体でフェリみたいな小さな(小さく見える。。)女性を抱えるのだから、
もうちょっと力強く抱えてよ!と思うのですが、
なんだか、よろよろ~よろよろ~と、心もとない。
彼女がベストに見える角度に彼がリフトしていないせいで、
せっかくそうでなければ、ものすごく綺麗に見えていたはずのポーズが乱れていたのが、悔やまれ。。。
フェリが一生懸命踊っていただけに、至極残念!!
また、コレーラが虎バターとなった、超高速回転シーンでは、
おったまげるほど回転がスローで、
全然熱い思いが表現されていない。
うーん、この場に関しては、ヴィシニョーワ&コレーラ組にかなり水をあけられる形となりました。
お客さんはそれでも大歓声だったので、これだけ見ればそれはそれで良かったのかも知れませんが、
あのヴィシニョーワ&コレーラの火花の散るような、エモーショナルな踊りを見た後では、
残念ながら物足りなく感じてしまいました。(なんて贅沢な。。)
例えば、二人がバルコニーのシーンで初めて体をふれる場面をとっても、
ヴィシニョーワ&コレーラはまさに”ひしっ!”と抱き合う感じだったのに比べて、
フェリ&ボッレは少しそのあたりの温度も低いというか。。なんだか、雰囲気的には、
ロミオが、ちょんちょん、とジュリエットの肩をたたいて”もしもし。。”と言っているような。。。
大恋愛してる二人ですよ!そんな遠慮勝ちしてる場合?!と私は思ってしまったのでした。

また、ジュリエットが片足を上げたまま、ロミオが彼女を支えて、
床に残っている足を滑らせるシーンの、止め方のセンスも、ボッレ、コレーラにかなわず。
あの独特の、ずっと一直線に滑って、最後に一瞬ほんの少しもどるかのような絶妙なリードは、
コレーラの力でしょう。

インターミッションで隣の男性とおしゃべりしながら、お菓子をほおばる。
彼はとにかくものすごいフェリ・ファンで、フェリがやめたらこの後ABTはどうなってしまうんだ?と嘆いていました。
しかし、その彼がしゃべる間、私は、この公演、この後持ち直すといいのだけど。。と思っていたのでした。

第二幕 第一場。
ここもジュリエット結婚承諾という幸せな知らせを受け取るロミオの反応がぬるめ。
コレーラが生き生きとしていたのとは大違い。
結論をいうと、この後、ボッレが尻上りによくなっていくのですが、
今日の公演を見る限り、脳天気なくらい元気で、少し切れ物的なキャラ(またはある人物のそういう側面)というのは、
少しボッレの苦手とするところなのかな、と思いました。
同じ脳天気でも、デ・グリューのようなぼんぼん的な脳天気さは、うまく表現できるし、
ノーブルな感じも表現できる人だとは思うのですが、
元気で生き生きしたキャラ、というのはちょっと今の彼に描ききれない盲点キャラであるように感じました。
しかし、気を吐いたのが、コルネホ。
途中で、その場で(助歩、助走なしの)ジャンプをするシーンで、
突然ありえない高さのジャンプ。あまりにすごくて、観客から、
おーっ!!!という声が。
あまりに高かったので、私など、人間が飛んだとはとても思えず、
カンガルーか何かが混じっていて、突然跳躍したのかと、ぎょっとしました。
すごい!
しかもその後の、連続回転(すみません、技の名前がわかりません。。)、
ものすごい切れ味と安定感ぶりで、最後のポーズが決まったときには、
観客から、大、大歓声!!

第二場、結婚式。
また金管失敗。何度演奏しても駄目らしい。。
このあたりから、少しボッレが立ち直りはじめました。
(もしかすると、コルネホの大活躍が彼の心に火をつけたのかもしれません。)

第三場、市場のシーン。
ボッレ、剣を使った踊りはうまい!
コレーラのそれが、本当の闘いのように一途!(下手するとちゃんばら的になりかねない微妙なところでふみとどまっている)なのに比べると、
ボッレのそれは、踊りの一部であることを忘れていないかのような、
優雅さが身上。
コルネホが最後まで緊張感のある踊りで我々を圧倒した後、
(コルネホに関しては、18日も安定した踊りでしたが、今日の踊りはより、パッションがあって、よかったです。)
ロミオがティボルトを殺害するシーンで、ティボルトが、最後、
ロミオに飛び掛ってくるのですが、その飛び方がおかしかったのか、
(たしかに、大砲の弾のようにこちらに向かって飛んできた。)、
周りの席の女性が噴き出してました。
今日のキャプレット母はいまいちだなーと思ったら、やはり前回とは違うダンサー。
前回キャプレット母を演じたVeronica Partは、今週一日、白鳥で主役を演じるようです。
こういう小さな役でも技量が伝わるところがバレエのこわいところ。
Veronica Partはこの小さな役の割りにすごい存在感でしたから。。

第三幕。
ここから、フェリとボッレが本領を発揮して、この公演、すばらしいものになっていきました。
まず、第一場の寝室のシーン。
ここは、フェリとボッレの息が、バルコニーのシーンとはうってかわって、
ぴったりと合って、素晴らしいシーンに。
特に、フェリが跳躍しながら、ボッレにリフトされる、その一回目の跳躍が、
足さばきも含め、ありえないくらいに美しい動きで、観客からため息が。
このシーンは、すぐ後に訪れる悲しい二人の運命を予感させるような重苦しさをフェリが動きで描き出したうえに、
ボッレのサポートもよく、胸があつくなりました。

第三場のジュリエット仮死状態。
ここも、バルコニーのシーンの冒頭と同じ意味合いで、フェリとヴィシニョーワの対照的なアプローチが際立った部分でした。
フェリの、あくまで役に徹した寝姿(かわいらしい10代の女の子そのもの)に比べ、
ヴィシニョーワのそれはある意味、少し役を逸脱した、ヴィジュアルの美に焦点を置いたポーズでした。

第四場。
ここはもう、ボッレとフェリが素晴らしい踊りで、とにかく観客を圧倒しました。
これは、あの、私のお友達が送ってくださった、マノンの沼地のシーンの映像に匹敵するすごさ。
マノンのデ・グリューといい、このような悲劇的な役では、ボッレ、大変良い。
ジュリエットが死んだと勘違いしたロミオが毒薬を一気飲みするシーンでは、
ボッレがフェリの片手を握り締めながら、別の手で一気飲み。
一緒に死にたいんだ!という熱い気持ちがその何気ない動作に表現されていて、
心を打たれます。
ロミオがジュリエットのそばに倒れた後、フェリが目を覚まして起き上がるシーンからは、もう金縛り状態。
よーく考えると、この場面、ジュリエットはまず、パリスが死んでいるのをみつけ、
それからロミオの死に気付き、そして自らも自害、と、
ものすごくたくさんのことが押し込められているのに、音楽が異常に短い。
しかし、フェリのジュリエットで見ると、このシーンがまるでスローモーションを見ているように、
一つ一つの動作が味わいを持って演じられており、時間がゆっくり経っていくように感じるのがすごいです。
(もちろん、もっと見ていたい、という観点では、レトリックな意味で、
”早すぎる!”と感じる人もいるでしょうが。。)
最後は、コレーラとのDVDとはまた違って、ヴィシニョーワと基本的に同じポーズで死んでいくのですが、
最後の息絶えたときのポーズが、曲線の美の極みというのか、
もう、絶妙なラインで、これまた、言葉で上手く言えません。
しかも、のたうちまわる、その回転の絶妙の滑らかさ、スローさが、
一つ一つ花びらが散るかのような、ジュリエットの薄命さを表現していて、
この公演では、私、ここで涙してしまいました。
この死のシーンに関しては、フェリ版ジュリエットが圧倒的な説得力で、
こんな風に踊れる人が早くも舞台から去ってしまうとは、残念でなりません。

幕が降りたあと、ものすごい拍手と歓声。
そして、カメラを手に、舞台近くに走り寄る人々。
フェリとボッレが登場した瞬間、雷が百万回落ちたかと思われるほどの、
すごいフラッシュの嵐。
こんなフラッシュの数は、今まで、メトで見たことがありません。
周りでは本当にたくさんの人が涙してました。
私の隣の男性も。。
各ソリストのバウイングが終わったあと、
再び幕が上がって、ボッレやコルネホと抱きあうフェリ。
観客からの花束の数もおびただしく、
さらにその後、ABTのメンバーの多くが花束を持って舞台に現れて彼女の引退を惜しみました。
(ジュリー・ケントやカレーニョと思しき姿を確認。)
また、夫と思われる男性と、二人のお嬢さんも。
お嬢さんが一生懸命花を拾い上げている様子が笑いを誘っていました。
最後には舞台の両サイドから、メタリック色の紙ふぶきを噴出する機械を使用。
舞台上に虹のように紙ふぶきが舞いました。
しめっぽいのが嫌いなのか、一瞬こみ上げるものがあるように見えたものの、
それ以外は始終微笑みを浮かべて、手を振りながら全身で観客に応えるフェリ。
まっすぐに自分のキャリアを生きてきた人だけができる充実した表情を浮かべて、
何度とない観客からのコールに応えてくれました。

私の件のお友達が教えてくださったところでは、彼女がこのように言っていたといいます。

「あでやかにお辞儀をして舞台から去りたいの、ローラン・プティのバレエの登場人物のように、
シャンパン・グラスを手にして。今最高の踊りが出来るこの時に。」

まさに、その思い描いたとおりの理想の形で、最後の舞台を終えたのではないでしょうか。
舞台に立つ人間として、最高の幸せを手にしたフェリ。
最後の最後、彼女の舞台姿に間にあってよかった。
観客として、また最高の幸せを体験させていただきました。

追記:私のバレエ鑑賞のメンター/東京のお友達が、NYタイムズのウェブで、この公演の映像を発見!
いつまで見れるのかわかりませんが、こちらからどうぞ!

Alessandra Ferri (Juliet)
Roberto Bolle (Romeo)
Herman Cornejo (Mercutio)
Isaac Stappas (Tybalt)
Jared Matthews replacing Sascha Radetsky (Benvolio)
Gennadi Saveliev (Paris)
Victor Barbee (Lord Capulet)
Georgina Parkinson (Lady Capulet)
Maria Bystrova (Rosaline)
Susan Jones (Nurse)
Frederic Franklin (Friar Laurence)
Jennifer Alexander (Lady Montague)
Roman Zhurbin (Lord Montague)
Wes Chapman (Escalus, Prince of Verona)

Music: Sergei Prokofiev
Choreography: Kenneth MacMillan
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
ORCH X Even

(写真は終演後、観客の拍手に答えるAlsessandra FerriとRoberto Bolle)

***ロミオとジュリエット Romeo and Juliet***

ROMEO AND JULIET - ABT 前編  (Sat, June 23, 2007)

2007-06-23 | バレエ
前編 <チケットへの長い道のり>


数週間前まで思ってもみなかった、私のバレエへのはまりぶり。
私のお友達の”フェリの最後のマノン全幕公演に行かないとはこのあほが!”
(って、優しい彼女はもちろんこんな口調ではなく、”行かなくっていいの?”という質問調でしたが。)
という私のブログへの書き込みが発端でした。

NYCBのくるみやロミ・ジュリでちょっとがっかりだったのもあって、
バレエにはご縁がないのかも。。と思っていたので、
すでにその後のヴィシニョーワ&コレーラのロミ・ジュリ、ヴィシニョーワ&ゴメスの白鳥に行く予定もあるし、
そんなとーしろの私が一気にたくさん見ても真価がわかるのかしら?というのもあって、
迷いに迷っていた6/16のNY時間0時(はい、公演当日です。。)、
彼女のお友達から彼女経由で送られてきた沼地のパ・ド・ドゥ(マノンのなかの名場面です)の映像が決定打となり、
当日チケットをゲットして観にいったのがすべてのはじまり
この日の夜の公演はもともとレイエスがマノン役に予定されていたのが、数日前に怪我をしてフェリと交代したために、
(レイエスには申し訳ないですが、フェリを見たい人には幸運にも)チケットがまだ残っていたようです。
そのマノンの公演にすっかりノック・アウトされ、バレエって素晴らしい!と開眼。

そして、その翌週(っていうか、つい5日前。。)に見たヴィシニョーワ&コレーラのロミ・ジュリで涙がでるほど
(というか、実際に出た。)感激し、
これにて、私の場合はもっぱら鑑賞だけですが、すっかりバレエのとりこになってしまったのでした。

結論。オペラも同じですが、とーしろこそ、優れた公演を見るべき!
いまいちの公演をどんなにたくさん見るよりも、たった一本の真に優れた公演を見るほうが、
その芸術を理解する助けになるとはまさにこのこと!!

さて、そんなわけで、『ロミオとジュリエット』、激しくフェリ&ボッレの公演のチケットも取っておかなかったことを悔やむも、
時すでに遅し。
当然オフィシャルのチケットは全てソールド・アウト。
フェリのABTでの最後の舞台姿を見たい!と、インターネットやらでチケットの転売を求める人も見られ、
そういう私もcraiglist(求人、友達募集、貸アパート情報など、あらゆる種類の情報を載せられるweb掲示板)やら、
アメックスのチケット・サービスなど、考えられる手は全てうったものの、
とうとう公演前日までチケットは手に入りませんでした。
公演当日の朝10時配布開始の立見席を狙う手もありましたが、
この年齢で、3時間立ちっぱなしの辛さはすでにオペラで何度か経験があったので、
もう、こうなったら、お得意の”あれ”しかない!!
そう、”あれ”とは、開演直前オペラ・ハウス前でのチケット強奪戦(ダフ屋からの入手も含め。。)です。
今まで『蝶々夫人』やら『マイスタージンガー』プッチーニ『三部作』で磨いてきたスキルを駆使する時が来たっ!!!
武者震い。

今日は、チケットの人気沸騰ぶりも考慮に入れ、1時間半前に会場であるオペラハウスに到着。
いい席のチケットを売りたい人はわりと身なりがきちんとしている人に最初に話しかける、
という傾向があるということが分析済みだったので、
今日はできるだけドレッシーに(パンツでしたが。。)、
そして、こちらの表情を見られぬうちに相手の観察が出来るよう、
夏日だったのもあって、サングラスを持参。
家を出る前には、わんこのえさやりをしながら、その合間に画用紙に"NEED ONE TICKET"と書かれたサインも作成。
なぜならば、以前の経験により、もっとも困難な部分は、
いかにチケットを売りたい人に、”ここに買いたい人がいますよ!”ということを伝えるか、という部分であることを学んだので。
オペラファンはバレエファンに比べ、なりふりかまわぬ、それこそオペラ”きちがい”な人が多いので、
こんな画用紙のサインは当たり前。むしろ、そんな準備をして行かなかった私は、前回、本当に苦労したのでした。

さて、いよいよオペラハウス前に到着。
サングラスを装着して、まずはまわりを観察して作戦を練るところから開始。
ここは、全身耳&目となって情報収集。
ところどころ聞こえる会話から、夕方の4時からチケットを求めて立ち続けているおばさまがいることも把握。
その横に立つ気さくなゲイっぽいおじさんもやはりチケットを探してます。
今日は不利なことに、リンカーンセンターの広場ではサマーフェスの一貫か、
音楽が流れて、大勢の人がたむろ。
こんなに人が多いと、チケットを売りたい人を探し出すのも困難であれば、
売りたい人が買いたい人を探すのも困難。

しかし!!うふふ、そのために、このサインがあるのよね!と、
画用紙を取り出そうとしたところに、
まだ開場前のオペラハウスから、見覚えのある男性が。。
向こうは私がサングラスをかけているので、気付かぬよう。
それは、80年代はモデルをしていたという、私のアパートの部屋の真下に住む男性。
今はパーソナル・トレーナーみたいな仕事をしていて、
そういえば、引っ越してきたばかりのころに、会話の中で、
ABTのダンサーのトレーニングもしたことがある、と言っていたっけ。
(ああ、当時は興味がなかったので、耳をほとんど素通り。。)
”あなた、ここで何してるの?”と声をかけると、気付いてくれたようで、
”働いてるんだよ!!”との答え。
なんと、彼はダンサーではないのですが、芝居だけのエキストラの役で、
ABTの公演に何年も出演していて、
何と今シーズンはほとんどの公演に参加しているというではないですか!!
マノンの公演では、GMにお供する従者を演じて、フェリの肩から外套を外したり、
ロミ・ジュリでは、冒頭のヴェローナの大公が両家にぶちきれるシーンで、
大公のとなりで旗を持って立っている鎧をつけたお付きの騎士が彼だし、
それから、ジュリエットのなきがら(まだそのときは実際には死んでいないのですが)のまわりを取り囲む僧の一人もそう、と、
たくさんの役を持ち回りで演じているそう。
”知らなかったわよー”というと、
”白鳥もボールルームのシーンで、ピンクのタイツ履いて立ってるからチェックしてよね。”ですと。
今日は土曜日でマチネと夜の二つのパフォーマンスがあって、その間白鳥のリハもあったので、
ずっとオペラハウス周辺でたむろっていたそうです。
この彼、日ごろからとっても話好きでエネルギッシュ。
アパートでも顔を合わす度、弾丸のようなトークをぶっぱなし、
最後にはきちんと自分のビジネスのセールスも怠りません。
”君もいつまでも若くないからね。今からちゃんと体を鍛えておかないと。。
で、そこで、僕のトレーニング・システムは。。”とセールス・トークへ。
しかし、ただでさえ、オペラやらなんやらでいっぱいいっぱいなうえ、
ヨガのように自分のペースでできるものが好きな私は、彼のトレーニング法は若干ストイックすぎるように思われ、
話がセールス・トークになると、いつも、”うーん。。”とお茶を濁していたのでした。
”僕ね、ABTのダンサーにもアプローチしてみたんだけどさ”と、
いきなり言い出したので、
アプローチって何?誰かとお付き合いでもしようっての?と聞くと、
”そうじゃなくって、僕のトレーニング・システムさ!”
。。。あ、あのトレーニング・システムですね。。。
だけれども、残念なことに、みんなに”時間がないから。。”とことごとく
断られてしまったそう。まあ、確かにABTの皆さん、忙しいですものね。
ひとしきり嘆いた後、彼。
”おっと、そろそろ行かなくちゃ。
バックステージに入れてあげたいのはやまやまなんだけど、
一応、特にこういうハイ・プロフィールの公演では入れてはいけないルールになってるからね、
がんばってチケットゲットして。こんなところに立ってちゃだめだよ。もっと前に出なきゃ!!”
と励まされ、彼とはとりあえずお別れ。

確かに彼の言うとおり!と、高々と例の画用紙を掲げ、
同じくチケットを求める人たちの前に出てみました。
ふふふ、広場の人がみんな見てる、見てる。
指差して笑ったり、微笑んでいる人も。。
効果抜群だわね。

しばらくすると、少し年配の女性が、”チケットを探しているの?”
と聞くので、はい、と答えると、
”ファミリー・サークルでよければ。。”と一番上階の7列目の席のチケットを見せる。
万が一、他にチケットが出てこなかったときのことを考え、額面で購入することに。
これで一応保険を買ったように、少しだけ気分が楽になったけれど、
でもできればもうちょっといい席で見たい!!

先ほどのゲイのおじさんが、
”その紙、効果あるわね。今までそれで何回チケットゲットしたの?”
と聞くので、今日が初めてなの、実は。と答える。
確かに、紙の効果、絶大。

そのすぐ後、ファミリーサークルの第一列目のチケットや(ファミリーサークルなら、
7列目も1列目も同じこと、とパス。)、
パーテールのボックスの後ろの座席(前にどこかでのべたように、
ボックスの前はいいけれど、後ろはやめたほうがよい。
特にバレエは見えてなんぼ、はっきり言っていい席じゃありません。よってパス。)
などが出てきましたがすべてパス。

すると、少し離れたところで、狂喜乱舞する我々の仲間の女性。
どうやら、かなりいい席をゲットできたよう。
画用紙パワー、どうした??!!
と自分に自信をなくす。
いよいよ開演一時間前。

すると、Tシャツにジーンズのいでたちというお兄さんが来て、
”君、チケット探してんの?”というので、”そう。”と言うと、
”僕にまかしとけ!僕はここで働いてるから、絶対誰かからチケットもらえると思うから。”
と、いきなり同僚に電話を始める。
多分服装や雰囲気から、大道具の人じゃないかと思われ。。
しかし、ありがたい話ですが、今日のチケットがいかに人気が高いか知らないのね。。
色んな同僚に確認している間、”もしチケットがなければ、バックステージに連れて行ってあげられるかもしれないし。。”
と言うので、それはありがたい話かも知れないけれど、
さきほどの同じアパートの男性の話もあるし、面倒なことにまきこんではいけないので、辞退。
そうしてこのお兄さんが同僚からの返事を待っている間、
例のゲイのおじさんがまた寄ってきて、
”あなた、ペン持ってる?”
おっ、このおじさんも私のサインの真似する気ね、だけど、お気の毒さま、
”いえ。このサインはもう家で書いて来ちゃったからペンはないのよ。”
(実際、そうでした。)
というと、
”そう、あなたのサイン、ticketのeが抜けてるから、直してあげようと思ったのだけれど。。”というので、
”ええええっっっ!!”と画用紙を見ると、
なんと、NEED ONE TICKTになってるーーーーーーーー。はずかしーーっ!!!
わんのえさやりの隙間に急いで書いたから、確認しなかったのね、私の馬鹿、馬鹿!!
我ながらあまりにおかしくって、へなへなとおじさんにもたれかかると、横で電話してくれていたお兄さんも、周りでチケット探していた人も大笑い!!
もしや、みんなが注目していたと思ったのは勘違いで、
これを見て笑ってたのかしら?
しかし、間違いを認めるのは悔しいので、
”これも私の作戦よ。綴りが違うとみんなの注意を引くでしょ?”と言うと、
おじさんが、
”そうよね、あのかわいそうな子、綴りも知らないのね、ってね!”と切り返され、みんなでさらに爆笑。

大笑いした後、恥ずかしいので、ちょうどほんとはeがくるはずだったあたりに、
親指をおくことに。
結局お兄さんも、”ごめんね。チケットは全然ないみたい。。”
そんなことは予想範囲内だったので、
丁重にお礼を申し上げて、
どんどん時間が迫って来た今、さらなる活動に励む!

この後、一番つらいスランプが訪れ、全然チケットを売りたそうにしている人すら見当たらない状態に。
ちゃんとチケット購入済みで、時間に合わせて現れたお客さんの姿が多くなり、
我々の姿をみて、”よくやるわねー”と言う感じで、微笑む人、
あきれる人、そんな人気公演に苦労せず入れて嬉しそうな人、などさまざま。
日本人も結構いましたが、冷たい目で見られました。
”まあ、無理だと思うけど、頑張ってね。”みたいな感じで。
気が付けば、一本指(チケット一枚希望)、二本指(二枚希望)、画用紙(私だけ。。)を掲げた人が、
それこそ何十人という単位でうようよ。。
これではスランプのまま終わってしまう!と場所がえを決意。
今までいたよりももっと玄関の中央よりに寄ってみました。

そこで、隣に立った、その話しぶりからイギリス人と思われる私と同い年くらいと思われる男性が、これまた品が良くて、素敵な方。
話しはじめてみると、私の殺気立った様子とは違い、
”今日の天気はすごく気持ちいいし、仮にチケットがとれなくっても、
まあ夕涼みしに来たと思えばいいし。。”なんていうので、
ああ、こういう余裕のある人、素敵と感激。

とうとう開演15分前。ある女性が、我々のそばに来て、
”まだ立ち見の残券があるみたいだから、行って来たら?”と情報を下さる。
ファミリーサークルと、立ち見。。
ある意味では立ち見の方がよく見えるので微妙。。
くだんのイギリス人男性と相談するも、それは最後の手段にしよう!との同意に達し、引き続き売り手を物色。

すると、小柄で感じのよい、これまた私と同じ年くらいの男性が、
”チケット、105ドルで譲りますけど、払う気ありますか”と私に尋ねるので、
”座席にも寄りますけど。。”と言って、チケットを見てびっくり!!
オーケストラ(平土間)19列目。
しかも端じゃない!!!105ドルは額面通り。
”買います!!!買います!!!”と狂喜乱舞の私。
彼が二枚チケットを持っているので、二枚売る気があるのかと思ったイギリス人男性が、
もう一枚は?とたずねると、
”一枚は僕が見るつもりなので。。”と申し訳なさそう。
”もしかして、二人ご一緒ですか?それなら残念ながら。。”
と売り手の方がチケットを引っ込めようとするので、
私、その素敵なイギリス人男性のことを指差して、
”いえ、この人とは関係なんてありません、今日あったばかり!!(←我ながら、事実だけど、冷た。。)”
と言い放ち、他の人にこのチケット取られてなるか!と財布を取り出す。
事情は知らないけれど、とにかくこんな良い席で見れることになるなんて夢のよう。
お金を渡して、”では座席でお会いしましょう”と隣席となるこの男性と別れる。
そこで、ふと、ファミリーサークルのチケットが余っていることを思い出した私。
どうせ、私が使わなければ、無駄になってしまうじゃない!と思い、
イギリス人の男性に差し出す。
”だけど、僕、お金、払ってないし。。”というので、
”どうせ、このままだと、誰も座らなくて無駄になってしまうのだから、
立ち見よりはましだし、とりあえず、キープにとっといて!”と、
開演前にトイレに行きたかったのもあって、押し付けるように渡すと、
大感激してくださって、
”ではせめてお礼に公演の後、飲み物でもご馳走しましょう”というので、
今考えると、こんな素敵な男性のお誘いをお断りするとはなんてもったいないことか、
と思いつつ、
”いいえ、開演後、我が家では愛しのわん(犬)が私のことを待っているので!”と、辞退し、
”それではお互いに公演を楽しみましょうね!”と約束しつつ、お別れしたのでした。
サングラスで顔を大幅に隠していると、男性が良くしてくれる、という新たな法則も今日発見。

さて、いよいよ座席に向かうと、例の売り手の男性が隣席に登場。
あらためてお礼を申し上げ、辛い事情を聞くことになりませんように
(例えば、チケットを購入したあと、彼女と別れたとか。。)
と思いながら、好奇心からなぜチケットが余ったのかを質問したところ、
彼は長年のバレエ・ファンで、今日スケジュール的にも急遽公演に行けることになったので、
朝の8時から並んで立見席をゲットしたところ、
帰ろうとしたところに、イタリア人と思しき女性が何枚かチケットを持って立っているので、
だめもとで売るつもりなのかたずねたところ、そうだというので、
席種を見て、彼もびっくり。
必要なのは一枚か、二枚か、と言われて、一緒に行くあての人もいないけれど、
これだけの人気公演なら、絶対土壇場でも額面で売却できるはず、ととりあえず2枚を購入。
その一枚が私のもとに来たというわけです。
そう考えると、いくつもの偶然が重なって私の手元に来たチケット。
なんて愛しいのー!!!
私の件の友人が日本から念力で送り続けた願いと、私の執念が実をむすび、
かくして、この、フェリ最後の全幕『ロミオとジュリエット』、
素晴らしい座席で鑑賞できる幸運に恵まれたのでした。

(補足:ちなみに、今日は本職と思われるダフ屋は一切おらず、
売り手はほとんど、なんらかの事情があってチケットを手放した
普通のバレエファンの方のようにお見受けしました。
また、NYではチケットの額面から一定以上(5パーセントだったか。。)
の金額を上乗せして転売することは法律で禁止されていて、
警察に違反行為を見咎められると厳しく罰せられるため、
日本にくらべて圧倒的にダフ屋文化というものの存在が希薄です。)

後編 <そして幕が上がり。。> に続く。

Alessandra Ferri (Juliet)
Roberto Bolle (Romeo)
Herman Cornejo (Mercutio)
Isaac Stappas (Tybalt)
Jared Matthews replacing Sascha Radetsky (Benvolio)
Gennadi Saveliev (Paris)
Victor Barbee (Lord Capulet)
Georgina Parkinson (Lady Capulet)
Maria Bystrova (Rosaline)
Susan Jones (Nurse)
Frederic Franklin (Friar Laurence)
Jennifer Alexander (Lady Montague)
Roman Zhurbin (Lord Montague)
Wes Chapman (Escalus, Prince of Verona)

Music: Sergei Prokofiev
Choreography: Kenneth MacMillan
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
ORCH X Even

(写真はAlessandra Ferri)

***ロミオとジュリエット Romeo and Juliet***

ROMEO AND JULIET -ABT (Mon, June 18, 2007)

2007-06-18 | バレエ
2007年はなぜだかひそかにロミ・ジュリイヤーになってました。
NYCBシェイクスピア・イン・パーク(演劇)につづく第三弾は、
ABTのヴィシニョーワとコレーラのペアによるバレエ。(第四弾はネトレプコ、ヴィラゾンペアによるメトでのオペラ。)

おとといの土曜に見たフェリとボッレのマノンがあまりに素晴らしく、
その興奮の冷めやらぬうちに、
ヴィシニョーワとコレーラのロミ・ジュリが見れるとは。

今日は、少し前もってチケットを入手していたので、
勝手にマイ・セクションとさせて頂いているGrand Tierで鑑賞。
階の最後列でしたが、もともとGrand Tierには7列しかないうえに、
勾配がかなりかかっているので、Orchestra(平土間席)より断然見やすい。
しかも、左右ど真ん中で、マノンの時と違って、一人一人のダンサーの顔まで裸眼で確認することはきびしいですが、
舞台全体を見るという意味では大変良い席でした。

しかし、幕が開いて、超びっくりだったのが、オーケストラの演奏。
木管もぴりっとしませんが、ひどいのは金管。
どの楽器とは敢えて申しませんが、あまりのひどさに、私の中では、打ち首の刑確定!
ここまでひどければ、本人も気付いているはずで、次回からは自主的に辞退していただきだいくらい。
なぜならば、舞台で、世界第一級のダンサーが、渾身の力で芸術的な踊りを披露しているときに、
ぱーすかぱーすかしょぼい音を横でたてまくって、美しい瞬間を台無しにするとは、
これが犯罪でなくてなんでしょうか!!
いくらバレエ・ファンの方が音楽については寛大とはいっても(Ballet 101の著者の言葉参照)、
許容範囲を超えてます。
なんと一応、このオケ、ABTオーケストラという専属になっている。。
土曜のマノンではここまでひどくなかったような気もするのですが。。
ABT、踊りが第一級なのですから、オーケストラもそれに見合ったものにグレードアップしてほしいです、本当に。

と、のっけからこのような厳しい指摘で始めた理由は、
それは、この公演、オケ以外があまりにも素晴らしかったから!!!
いやなことは早く済ませてしまいたかったのです。

いやー、本当に、私、不覚にも涙してしまいました。
それは以下に詳しく述べるとして。。

ミラノ・スカラ座のDVD(フェリとコレーラが出演のもの)と、
建物などの細部まで同じとは言いませんが、
おおむね似たステージ・デザインを想像していただければ、遠くありません。

おもしろかったのは、衣装に使われている布地の微妙な色味の違い。
イタリア(スカラ座)の方がすこし、スモーキーというか、あの色の微妙な感じは、さすが。
その点、アメリカ(ABT)は同じ色でもトーンが少し明るめでした。

また、このプロダクションでは、ライティングが本当に素晴らしく、後述しますが、
各所で、ヴィシニョーワの姿が彼女のポージングの美しさとあいまって、
本当に厳かなくらい、まるで絵画のように舞台に浮かびあがっていたのが、特筆ものでした。

第一幕第一場の市場のシーン、コレーラの登場でわきかえる観客。
もう何度もこの役を踊っているからか、DVDの頃より一層確信を持って踊っているような、そんな自信が感じられました。
しかし、後で考えてみるに、この場面は後のシーンのために、まだ少し余裕を持って踊っていたようにも思えます。
マキューシオ役のプリンシパル、Herman Cornejo(読み方がわからない。。)と、
ベンボリーノ役のジャレッド・マシューズ共、安定した踊りなうえに、
お互いのキャラクターの相性もよいのか、本当にいきいきと、
一緒に従兄弟、友達として育ってきた親しさが描き出されていて楽しいシーンになりました。

第二場、いよいよヴィシニョーワのジュリエットの登場。
いやあ、本当におもしろいですね。
振付は同じなのに、フェリとはまた趣が違う。
ヴィシニョーワは、フェリと比べると、まろやかな動きとか滲み出るような叙情には欠けるかもしれませんが、
ものすごくシャープな踊りが身上のように見受けました。
また、動いた後、一瞬ポージングをして、それを解くまでの、その間がほんの少しフェリより長いのですが、
特にまっすぐな線(足をまっすぐに伸ばすとか)を基調とするポーズでは、本当にありえないくらい綺麗に決めてくるので、
まるで、写真集か何かをぱらぱらとめくっているような、
完璧なポーズが次々と繰り出されるのでした。
流れ重視のフェリと、コマっぽいヴィシニョーワとでもいいましょうか。。
それぞれに持ち味が違いますが、それぞれに素晴らしい。

第四場、舞踏会で二人が出会うシーンは、少し静止状態を長めにとって(二人の視線が出会うところです)、
あえて、その後動き出すところで、ヴィシニョーワが少しぎこちなさを感じさせる動きにしたのは上手い!!と思いました。
そう、運命の出会いをしたのだから、歩く行為すらぎこちなくなって当然なのです!!
ロミオとジュリエットが一緒に踊りはじめ、あまりにお互いに夢中になるあまり、
回りの目も忘れてしまうまでの場面は、
もうあまりの優美さにうっとり。
コレーラのサポートがまた素晴らしくって、
ほんとに何もかも楽チンにこなしているように見えるのだからすごいです。

そして第六場のバルコニーのシーン。
バルコニーにたたずむジュリエット。
片方の腕は天に伸びていて、もういっぽうの手でその腕をかかえるようなポーズなのですが、
後ろから月が逆光になっていて、片側の体の線だけが白く浮き上がっている他は、
それ以外の体の部分は黒くて、まるで影絵のよう。
このポーズのとり方が、ヴィシニョーワ、また絶妙で、
このポーズだけで、真の恋に落ちてすっかりアンニュイになっているジュリエットの様子が手にとるように伝わってくるのでした。
そして、ロミオが現れたのに気付いて、もどかしさで気も狂わんばかりの勢いで、階段をかけおりるジュリエット。
この二人がお互いを求めて走り寄って抱き合う場面は、
もう、初恋のことなど普段はとうに忘れた、下手すりゃ”おばさん”のカテゴリーに入りかねない微妙な世代の私でさえ、胸がきゅんとなりましたです。
特に二人の恋の結末を知るだけに。。
燃え上がる恋心を表現するコレーラのターンの、ありえないほどの早さ
(いや、本当にどんどん早くなって、しまいにはすごいことになっていたので、
ちびくろサンボに出てきた虎のように、このまま溶解してしまうのではないかと思いました。
これ、本当に大げさでなく!!
しかも、芯がずっとぶれないのだからすごい!!
ここはもう、観客、大熱狂でした。)
まさに空をナイフで切るような鋭さ。
しかも、それが、テクニックの見せびらかしに終わらず、
あくまでロミオの恋心を表現する手段として、きちんと機能していた点がなおすばらしい。



そして、その熱いロミオの思いに応えるヴィシニョーワの、一見クールそうでいて、その奥に炎を感じさせる動き。。
ヴィシニョーワのその動きをきちんと揺らぎなく支えるコレーラのサポート。。
もう、この場面の踊りはただただ素晴らしすぎて、言葉というちんけな媒体では、とてもその真価をお伝えできない!!!
なんてもどかしい!!!
これは、もう本当に見て感じるしかありません!!!
ブログを書いていてこんなことを言うなんて、それこそ卑怯の何者でもありませんが、
それほど素晴らしくて、あまりの美しさに気が付いたら涙が出ておりました。
悲しさではなく、美しさで涙が出たのは私、舞台鑑賞上、初めての経験かも知れません。
これは、ヴィジュアルのバレエ、ならではのことだとしみじみいたしました。

興奮さめやらぬまま、インターミッション。
私の連れが一言。
”なんでNYCBと同じ演目で(そういえば、一緒にNYCBのロミ・ジュリも見に行った。あまりにNYCBのロミ・ジュリが、???だったので、
今日のABTの公演、全く期待していなかったようなのですが、
私と同様、すっかり興奮+感激しておりました。)、こうも違うものになるのか?”
それは、私が聞きたいです。

第二幕、第一場。
乳母がジュリエットからことづかった手紙をロミオに手渡し、
ロミオは、ジュリエットが、秘密に結婚することに同意したことを知ります。
ここの部分、演劇だと、結構ながながとして感じられるのですが、
バレエはとってもスピーディー。
コレーラ演じるロミオの本当に幸せそうな様子がほほえましい。

第二場、結婚式。
ここの踊りもまた二人がものすごくエモーショナルな踊りを披露してくれたのに、
ここですよ、ここ!!最大の犯罪現場。
司祭が二人が夫婦であることを告げる大事な場面で、金管、音がへしゃげた。
ありえない、本当にありえない!!!!
ところで、この司祭を演じた方、ものすごい拍手をもらっていたのですが、
往年の名ダンサーか誰かでしょうか?
(後日、この方がバレエ=リュス・ド・モンテ・カルロのダンサーであったことが判明。)

第三場、市場でティボルトがマキューシオを、そしてロミオがティボルトを殺害する場面。
剣のシーンは、ダンサーの息が合っていて、観客に息をもつかせぬテンションの高さ。
マキューシオ演じるCornejoの、壮絶な死に、ロミオ、とうとう切れた。
そのロミオの、正気を失って、ティボルトに食ってかかって行くシーンは、コレーラ、迫真の演技。
あまりの迫真の演技のため、剣の先が折れて空中に飛んでいくというハプニングも。
(いやー、でも、これ危ないです。後ろのダンサーの人の頭に直降下して刺さりでもしたら。。)
マノンで、スティーフェル負傷後、元気一杯のレスコーを演じたラデツキーの演じるティボルトも、
最後、ロミオの剣に、見事にふっとびながら、事切れました。
キャプレット家母を演じたVeronica Part、
いわゆるバレエらしい動きの少ない、しかも出番の少ない難しい役ですが、
見事に母親の嘆きを表現していて、よかったです。
(おお、そういえば、マノンでGMを演じた若エロの貴公子、Roman Zhurbin、
今日は、モンタギュー家父として登場。親父役、専門なのかな。すごい。)

二回目のインターミッションをはさんで、第三幕。
第一場。
ジュリエットとロミオが一夜を過ごした後、別れの時が来るシーン。




ロミオを見送って、窓から外を見続けるジュリエットの姿がせつない。
父親からパリスとの結婚を強制されるジュリエット。
昔のように何も考えずに親の操り人形になれないことを知る彼女ですが、
しかし、ロミオがジュリエットのいとこであるティボルトを殺してしまった今、
八方ふさがり。
パリスと踊るシーンでは、その破れかぶれな気持ちがうまく表現されていました。
また、パリス&父親に追い詰められるシーンでは、窓に寄ったその立ち姿で、
”これ以上強制したら、この窓から飛び降りるわよ!”という台詞が聞こえてきそうでした。

第三場の、ジュリエットが薬によって仮死状態に入るシーンも、
またヴィシニョーワの面目躍如。とにかく、どんなポーズをしても絵になる。。
ベッドがヘッドボードを舞台奥に向けて、足側が舞台手前に向くように設置されているのですが(なので、客の視線と平行)、
うまく腕の角度を使うことで、観客から見てもっとも美しいポーズになっていました。

なぜ、このベッドの向きについて言及したかというと、そのベッドがそのまま、第四場の、
遺体安置所のシーンにつながっていくからです。(舞台真ん中に下りていた薄い幕をあげることで、
ジュリエットの部屋から遺体安置所の背景に変更。)
ジュリエットが死んだと勘違いしたロミオ、パリスを殺害し、毒薬で自害するシーン、
これがまたノーブルな死に際で、我々の心を締め付けます。
そして、目を覚ますジュリエット。パリスの命を絶ったナイフで自害。
DVDでのフェリの、ロミオに手を伸ばしつつも届かず、という演技も涙ものでしたが、
ヴィシニョーワのジュリエットは、この世で一緒になれなかったのだから、
この時だけは、と、しっかりとロミオの腕をつかんで死んでいく、という、
これまた涙を誘う演技。
彼女は、ベッドに登ったあと、ベッドに対して垂直(なので、舞台の下手と上手を結ぶ線に平行。)になって、
上半身を、ほとんどベッドに沿わすようにえびぞりになって息絶えました。
まさに、直線の美を実践して。。

私の連れはちなみにこの最後のシーンで涙しておりました。
あのインターミッションでの質問の答えは、私的にはこうです。

素晴らしい振付と、真摯な、奇をてらわない演出&プロダクション・デザインに、
とんでもない才能を持ったダンサー達の妥協のない努力、テクニック、表現力、
これらすべてが有機的に、うまくかみあった例がこの公演。
これらの一部または全部が欠けていたり、かみあわなかった例がNYCBと申しておきましょう。

このような公演を見れて本当に幸せでした。

Diana Vishneva (Juliet)
Angel Corella (Romeo)
Herman Cornejo (Mercutio)
Sascha Radetsky (Tybalt)
Jared Matthews (Benvolio)
Gennadi Saveliev (Paris)
Victor Barbee (Lord Capulet)
Veronika Part (Lady Capulet)
Maria Bystrova (Rosaline)
Susan Jones (Nurse)
Frederic Franklin (Friar Laurence)
Jennifer Alexander (Lady Montague)
Roman Zhurbin (Lord Montague)

Music: Sergei Prokofiev
Choreography: Kenneth MacMillan
Conductor: Charles Barker
Lighting: Thomas Skelton

Metropolitan Opera House
Grand Tier G Odd

(写真もDiana VishnevaとAngel Corella)

***ロミオとジュリエット Romeo and Juliet***