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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MANON -ABT (Sat, Jun 16, 2007)

2007-06-16 | バレエ
当ブログにもたびたびコメントを返していただいている私の東京のお友達。
彼女のブログは、私のはじまったばかりのバレエ鑑賞のメンターともなっていますが、
その彼女より、この公演に行かないとは何たること!と嘆きのメッセージを頂くこと数回。

そのドラマティックな演技力と確かなテクニックで長らくバレエ界のディーヴァとして君臨してきたフェリ。(ABTに加わったのが1985年で、すでにそれ以前にロイヤル・バレエでスターとしての地位を確立していたそうですから、すでに相当長いキャリア。)
マノンとジュリエットは、彼女のシグナチャー・ロールと言われており、
今年をもって引退の予定の彼女の、最後のマノンが今日の公演。
私のお友達に毎日、なぜチケットをとらないのか?!としかられるのも無理からじ。。

しかも、(公演中、私のそばに座っていた超バレエ・ファンと思しきおばさまの話しているのを盗み聞きしたところでは、)
フェリのご指名により、今回ボッレが相手役を務めることに。
このボッレは、スカラ座のDVD、『白鳥の湖』でそのお姿を拝めるとおり、超美形&長身なゆえにその人気もすさまじい。こんな人、ちなみにテノールではいません。。
(フローレスが最右翼か?)
オペラ・ファンには悔しいことに、スカラ座では、”アラーニャよりもスター”な事件もありました。。
そして、マノンの兄、レスコーを演じるのが、イーサン・スティーフェル。
こんな豪華なキャスト、見逃してどうする!!と、バレエファンの方が嘆くこと、無理からじ。。

そんなわけで、私、勉強不足を覚悟で急遽、行って参ることにいたしました、フェリの最後のマノン。

オペラでは、マノン/マノン・レスコーを見に行ったことがあるので、
若干違いがあるとはいえ、大まかなストーリーはすでに知っているのが何よりのなぐさめ。
あとは、最近購入したバレエの本でにわか勉強。
見所を一夜漬けで頭に叩き込みましたが、今まで実演を鑑賞した経験がないのでそこが不安。

座席は、なぜこんな席がいきなり出てきたのかよくわからないが、
B列(前から二列目)のセンターブロック横の通路をはさんで、二、三席、上手に近い側。
メトで、きちんとダンサーのつまさきまで見るには多分N列とかO列(前から15列目くらい)あたりが理想で、
B列は普通に着席していると、着地時、微妙につま先の頭が切れてしまうのが難ですが、そのかわり、
顔の表情から、手の表情は、もうこれ以上はっきり見れません!というくらいにはっきり見えるので、
それはそれで面白かったです。
ただし、オペラでも同じですが、少し近すぎて、全てに注意を向けるのが難しい。。
なので、誰かをじっと見ていると、その他の部分を見るのがおろそかになり。。という感じ。
この席は、誰かはっきりとお目当てで見たいダンサーがいるような場合には、良いかも知れません。

今、読んでいるBallet 101という、辞典のようなバレエの本に、
現役のWall Street Journalのバレエ評論家である筆者が、
”バレエファンにとって、音楽は踊りの、二の次。極端な話、たとえば、音楽を全て消して、
踊りだけ見たとしても、バレエファンはかなりの確立で満足できる”というような趣旨のことが堂々と書いてあって、
”えーっ!”と驚いたのですが、
確かに、そこまで極端ではないとしても、その傾向があることを今日の公演の観客のリアクションから感じて、二度びっくり。
ここがオペラと全く違うところかも知れません。

ボッレが登場すると、観客から大きな拍手が。
舞台で見ると、本当に大きくて、確かに華があります。
少し、第一幕第一場、不安定な部分がなきにしもあらず、でしたが、
(静止するはずのポーズがバランスを失いそうになって、アジャストする場面も。。)
尻上りによくなっていきました。

こんなとーしろが言うのもなんですが、私個人的には、しかし、
一幕に関しては、スティーフェルの踊りが素晴らしいと思いました。
この方の強みは、普通に立っている、立ち姿までが美しい。
それぞれのダンサーの持ち味というのもあるでしょうから、一概にどちらがいい、というものではなく、好みの問題もありますが、
ボッレが、ただ立っているときには、少し弛緩してしまう時があるのに比べて、
スティーフェルは、どんなときも常に全身に神経が行き届いている感じ。
踊りの折り目も正しくて、とても小粋なマノン兄でした。
しかも、写真で見るよりも舞台で見るほうが素敵に見えるという幸運な方。
(この方も長身なので、本当に男性陣、映えました。)
オペラでは、いやらしい感じのマノン兄しか見たこと、聴いたことがないので、
このスタイリッシュな兄は大変新鮮でした。
でも考えてみれば妹が魅力的なのですから、兄だって魅力的な方が、
生物学的にも確立が高そう。

ケネス・マクミランの振付は、オペラで言うところのヴェリズモに相当する、
と前述の評論家が言っていたのですが、確かに。
バレエってもっと抽象的、シンボリックな動きが多いのかと思っていましたが、
マクミランの振付は、もっと直接的、というのか、生々しい動きが多くて、
特にこのマノンに関しては、官能的な振りが多く、私のクラシック・バレエのイメージが覆されました。
これは、表現力に定評のあるフェリが演じていたので余計にそう感じられた面も大きいかと思われます。

第一幕第二場の”寝室のパ・ド・ドゥ”はその官能的な部分もさることながら、
マノンの、恋に落ちた喜びが本当にうまく表現されていて、思わずため息。
この場のマノンは、ニ幕以降に、本人がどんどん無意識にファム・ファタル風な雰囲気を身につけていく前の、
まるで子供のような無邪気な喜びがあふれていて、本当にかわいらしい。
全幕通して、官能性をあらわすのに、足のなまめかしい動きが多用されていて、
この幕でも、そういった動きがあるにはあるのですが、
ここでは、まだ自分の性的な魅力を完全には理解しきっていない、
ましてやそれを利用することなど、まだ思ってもいないような無邪気さをフェリがうまく表現しています。
おぼこいデ・グリューと二人、こちらがつい微笑んでしまうような、初々しさを感じさせるラブ・シーンなのでした。

しかし、デ・グリューが手紙を出しに外出してしまって(デ・グリューの馬鹿、馬鹿!!)いる間に、
GMというすけべ爺とレスコー(マノン兄)が現れたところから、どんどん話が暗転します。

GMをマノンのパトロンにして、一財産儲けようとたくらむレスコー。
GMを演じたダンサーがまたいやらしい顔で、これ以上ない適役。
GMがマノンを品定めし、金銭で彼女の心をつろうとするあたり、
マノン兄も加わって、三つ巴で、とても印象的な振りなのですが、
(マノンの足先をつかんで1回転ねじるetc)
この三人がそれぞれ巧者で、それぞれのキャラクターをうまく演じ分けていて、
見ごたえがありました。
ここでもスティーフェルのレスコーが本当にエレガントでため息もの。
兄なのに、こんなに色気があるんですもの、ホント、罪作りです。
先ほど見せていた無邪気さに変わって、だんだん金銭に目がくらむマノン。
マントを身につけて、二人につきしたがって行くときには、
さっきの無邪気な少女とは、顔の表情まで違っているのでした。

さて、いよいよ第二幕が始まるというところで、場内アナウンス。
”レスコー役のスティーフェルが負傷のため、ニ幕以降は、サシャ・ラデツキーが演じます”
これには観客一同、失望大。
”彼、良かったのにねー。”
”いつ怪我したんだろう、わからなかったよね?”とまわりでもざわざわ。
結構、ここまで、彼が出たシーンはぐっとしまるというか、
彼がドライブしていた部分も大きかったので、このあとどうなっていくのか不安も。
でも、怪我では仕方がありません。じわじわと、代役の方を迎える拍手があがって、
いよいよ幕があがりました。

レスコーの愛人役を演じているステラ・アブレラという方、見た目がアジア人っぽくって、
体の線は痩せているのにぎすぎすしていなくて、とっても綺麗だし、
踊りもとっても丁寧なのだけれど、
顔がいかんせん、あまりにアジアンで、これはオペラ歌手にもいえることですが、こういった西洋もののお話のとき、かつらなんかかぶると、あまりにもバタ臭く見えて、
ちょっとげんなり、ということがよくあるのですが、
一幕はまさにそんな雰囲気で、とくに、ここまで舞台に近い席で見ていると、
本当に気になってしようがなかったのです。

ところが、高級娼館を舞台に踊られる、このニ幕の”酔っ払いのパ・ド・ドゥ”では、
そのバタ臭さが、一層の滑稽さを引き出す結果となって、成功。
彼女の踊りもこのシーン、よほど踊りこんだのか、代役のラデツキーとのコンビネーションもすばらしく、見せてくれました。
ラデツキーは、”レスコー、あなた突然ものすごく縮んじゃったのね。。”というくらい背が低くて、
もちろん、とてもスティーフェルのあのエレガントさの比ではないのだけれど、
小さい体の割にはジャンプ力を駆使して、一生懸命踊っている姿が大変けなげで、
観客もつい応援したくなるような雰囲気がありました。
確かに、この場面を怪我をした状態で踊るのは無理だな、とは思いましたが、
スティーフェルで見たかったこともまた事実。。残念!

このあと、娼館を訪れている男性客3人が踊るシーンがあるのですが、
この中の一人がちょっとにわかに信じられないくらい、あまりにあまりな踊りでびっくり。
他の二人がぴたっと息があっているのに、役を覚えていないのか何なのか、
遅れまくるわ、ジャンプやポーズは適当だわ、で、
ABTのメンバーに突然どこかのとーしろが混じったよう。

あまりにもびっくりしたので、この後、じっとウォッチしていると、
なんと、その後、女性男性共に群舞で踊るシーンでは、
アジア系の女性と思しきダンサーの方とペアになっていて、これまた適当な踊りを披露。
適当のみならず、結構女性を放り投げてキャッチ、みたいな場面もあったのですが、
女性を取り落とすのではないかと思うぐらい危なかしく、みているこっちがはらはらしました。
ホント、下手すると怪我にもなりかねない、超危険人物です。

マノンが男性を従えて踊るシーンは、先にも触れた、足を駆使した振付。
特に男性数人(だったと思う)にリフトされながら、スカートの中から、
天井に向かって一本だけあがっている足の角度で、マノンの性的魅力を全部表現している部分は、
これはもう表現力、テクニックのない踊り手の方が演じたら惨憺たる結果になりかねないのでは?と思わせました。
しかし、そこはフェリ。足がこんなにエロティックとは。
どうしたらこのようにまるで観客にどのように見えているかわかっているかのように踊れるのか。。。

デ・グリューのソロでは、少し一幕で不安定だったボッレがいよいよ、
なるほど、これが評価の高い理由か!と納得させる、ソリッドな踊りを披露。
大技をばんばん、綺麗に決めてくれました。
特にあの長身から繰り出される跳躍は本当に美しく、またこの人の踊りには、
嫌味にならない程度に男性らしさがきちんと感じられるところが持ち味ではないかと思いました。

女性に往々にしてありがちな、自分が振った男には冷たい、という、
薄情な態度をとっていたマノンもだんだんデ・グリューの熱意に打たれ、
ついに心を動かされます。
このあたりのフェリの巧みな心理描写は絶品でした。

いかさま賭博のシーンは、トランプのカードが大きくて、
ボッレが上着のジャケットに隠し
入れるのに四苦八苦している様がおかしかったです。
多分遠くの席でもトランプであることがわかりやすいように大判にしたのだと思いますが、
その分上着のポケットも大きくしようよ!っていう。。

第二場、いかさま賭博がばれて逃走したマノンとデ・グリューがパリの宿屋で二人踊るシーン。
ついてきてくれたマノンのことが嬉しかったのか、うきうきのデ・グリューとマノンとのロマンチックな掛け合いと、
その後、この場においてまだ高価なブレスレットに執着するマノンに気付いたデ・グリューの失望と、怒りと、どうしたらいいんだ?という悩みにいたるまで、
ここは、もちろんフェリの力もあってのことですが、ボッレがものすごい表現力を見せて、実は私が今日一番心を動かされた場面かもしれません。
短いなかに、ロマンティックな要素、突然にわきあがる失望、彼女は一生変わらないのでは?という疑惑、
そして、でもついにはほれた弱みからマノンを許してしまう男心、とめまぐるしく変わる感情の機微を踊りで表現尽くしていたのは素晴らしかった。

いよいよ第三幕。
オペラの”マノン・レスコー”では、アメリカに出航する前の、フランス側での港が舞台になっている、
また最後、命を落とすシーンは沼地ではなく、砂漠(この違いはどうよ!)である、等の違いがありますが、
何といっても最大の違いは、オペラには、看守にマノンが乱暴されるというシーン(どころかそんな言及すら)がない点。
考えてみれば、(皆無なわけではないですが)、オペラには、
直接的な性描写が描かれているスタンダードなレパートリーがほとんど皆無なのに気付きました。
両者合意系なら、蝶々夫人とか、トリスタンとイゾルデとか、その描写である、と言われているシーンがなくはないのですが、
それも、もっとオブラートに包まれている、というか、気付かなければ気付かないですんでしまう、というケースもなきにしもあらず。。。
両者非合意系だと、トスカが頭に浮かびますが、彼女の場合はなんとかスカルピアの魔の手を逃げて、
最後には彼の手に落ちる前に殺害してしまうし。。
なので、第二場のマノンが乱暴されるシーンでは、ちょっとあまりにもあからさまで、
オペラファンであるところの私は少し引いてしまいました。
バレエ版ヴェリズモの実践者であるところのマクミランのこのシーンの振付は、
かなりリアルで、
マノン、ひいてはデ・グリューとの二人の悲劇がこれで一層強調され。。ということなのかもしれないですが。
フェリの演技力があるだけに、ちょっと見ていて辛いシーンでもあります。
映画なんかとも共通するのだと思いますが、乱暴される、ということを表現するのに、
直接的な描写というアプローチが一番なのか?という問題がつい頭に浮かんでしまいました。

第三場、いよいよ、”沼地のパ・ド・ドゥ”。
この場面についてはくだんのお友達が送ってくださったyoutubeでの画像(ロミオとジュリエットのコメント内にあります。)を先に見ていたので、
その印象がとっても強かったのですが、
今日の二人の踊りは、それともまた違っていて、
いかに表現には無限の可能性があるかということを痛感。
まず、今日のこの場面の踊りのキー・ワードはへろへろ感でしょうか。
港を脱出し、ろくに飲み食いしないままに沼地にまぎれこんで、
二人で死んでいく場面なので、へろへろであたりまえなのですが、
youtubeで見た画像では、へろへろ感がありつつも、踊りの美しさも重視しているように感じられたのですが、
それに比べると、今日の踊りはもっとエモーショナルで、
マノン、デ・グリューとも、まさにへろへろで、それを描写するために、あえて踊りの美しさをも犠牲にしたとでもいうか。
どうしたの?というくらいに、あえて、時にフォームを崩すボッレとフェリ、
それまでを見るに、この二人なら、このシーンで、美しく踊ることもたやすく出来たと思うのですが、
そこであえて感情表現を優先させた英断に、二人の心意気を感じました。
”崩しの美学”とでもいいましょうか。。
ボッレのサポートはさすが。フェリが心おきなくその乱れ放題を出来たのも、ボッレのサポートがあってこそ。
youtubeのような表現を好むか、こちらの表現を好むか、はもはや見る人の好み次第。
素晴らしい公演でした。

最後、観客の拍手を受けてあらわれたフェリ。観客に愛されている、というのはまさにこういう人のことを言うのでしょう。
パフォーマーとして、もっとも幸せなことではないかと思いました。
また、ボッレがあくまでフェリをたてまくっているのには、
アラーニャ事件によって、ものすごく生意気な雰囲気の人を想像していた私としては、意外にもの好青年ぶり。
また、レスコーを代役で演じたラデツキーは、全員一列でバウイングしているときでも、この二人よりも一歩下がってお辞儀。
まるで、”僕はこの二人とはまるで違うクラスなので。。”と言っているよう。
バレエの世界はものすごい謙譲の精神が残っているのだ、と驚きました。

はじめてフェリの舞台を見たにもかかわらず、つい周りの皆さんの熱い声援に、
あたかも今までずっと彼女を見続けてきたかのように、目頭が熱くなり。。
観客からの彼女に対するリスペクトには並々ならぬものがありました。
ロミオとジュリエットのDVDで見た彼女の初々しさも素敵でしたが、
あれから年月もたって、今日の、踊り手として、本当にストイックな、
強さのようなものを感じさせる彼女の表情には心を打たれるものがありました。

また、踊っているときにはあれほど男らしかったボッレが、挨拶に出てきた瞬間、
結構素で、その素がなんだかかわいらしいのに拍子抜け。
全然イメージと違いました。

さて、余談ですが、インターミッション中、配られたプログラム内におさめられた記事に、私の注意は釘付けになったのでした。
”Petit Paws"というタイトルのもと、ABTのスタッフやダンサーたちがどんなわんこを飼っているのかという特集。
ABTでは、お稽古の時などに犬を同伴してくる人たちも多いらしく、うらやましい限り。
その記事の中、来週観にいく白鳥で王子を踊るマルセロ・ゴメスが、わたくしの二匹の愛息(プロフィール欄参照)と同じ、
ダックスフント(それも超かわいい!)を飼っていて、勝手に親近感倍増!
床でウォーム・アップしながら、そのダックスと戯れる白黒の写真がまた絵になってる。
うちのわんこと遊ばせたい。。


Alessandra Ferri (Manon)
Roberto Bolle (Des Grieux)
Ethan Stiefel/Sascha Radetsky (Lescaut)
Stella Abrera (Lescaut's Mistress)
Roman Zhurbin (Monsieur G.M.)

(写真もAlessandra FerriとRoberto Bolle)

Music: Jules Massenet
Choreography: Kenneth MacMillan
Conductor: Ormsby Wilkins

Metropolitan Opera House
ORCH B Even
***マノン Manon***

ROMEO + JULIET -NYCB (Fri, May 11, 2007)

2007-05-11 | バレエ
今日はニュー・ヨーク・シティ・バレエのRomeo + Juliet。
(なぜだか表記がandではなく、+。)
はっきり言ってバレエは超がつくとーしろの私なので、
いまいちNYCBの位置づけがよくわからないのですが、
ABTの方がスター・ダンサーてんこ盛り、という感じで、
ABTがオペラでいうメトに相当するなら、NYCBはNYCO(シティ・オペラ)って感じなのかしら?と勝手に想像しているのですが(劇場もABTがメトのオペラハウスを共有しているのにたいして、NYCBはNYCOと同じState Theaterでの上演ですし。)、
6月にそのABTのVishneva(すみません、ロシア語苦手なもので。。)とコレーラによるRomeo and Julietを見る予定なのもあり、
そちらが本命と勝手に決めていたので、
こちらのNYCBの上演は新しいプロダクションということもあり、
あえて、購入してあったDVDを一切見ず、予習なしで劇場に向かいました。
・・・。
さて、帰宅後。
フェリとコレーラによるスカラ座のDVDを見て、
”ああ、こんなにも一緒でありながら、こんなにも違うのね”と実感。
それは。。

まず、DVDのほうは、マクミラン版によるものなのですが、
正直、このNYCBの新プロダクション、どこがマクミラン版と違うんでしょう?っていうくらい、ベースが同じ。
もちろん、細かい振付とかは違うんですが、
剣による闘いのシーン、ジュリエットの仮死場面、最後の二人の死の場面、
どれをとっても、ぱくりまくってます。

そして、オペラ界にもひしひしと押し寄せる予算の問題、バレエ界でも同じく深刻なのか、
セットが、悲しくなるくらい、しょぼい。。
振付師のPeter Martinsが同郷(デンマーク)のよしみで呼んだとしか思われないこのPer Kirkebyというデザイナー(舞台も衣装も)、
一応著名なアーチストってことになっているのですが、
少なくともこの作品のデザインに関しては、こんなの、私の小学校の学芸会のセットに毛が生えたようなもんだ!と怒りを感じずにはいられませんでした。
岩塀みたいのが組み変わって、街になったり、お屋敷になったり、
はたまたバルコニーになったりするのですが、
そのたんびにがたぴしと動く様がまた悲しい。寒すぎます。
それに比べ、スカラ座のセットの豪華で、しかもよく練られていること!

さて、今日のキャストはどうやらプレミエの日と同じだったようです。
ジュリエット役のHyltinは、なかなか渾身の演技。
フェリのそれが無邪気な女の子から恋を通して強さを感じさせる女性に成長していくのにくらべて、
彼女のジュリエットは最初から最後まで、徹頭徹尾、はかない、運命に翻弄されるティーンエイジャーという感じで、
こんなたとえはどうかとも思いますが、フェリは最初の無邪気な12歳位から最後の16歳くらいまで、と、なんだかこの作品内で一気に4歳くらい歳をとったような印象を与えるのですが、
Hyltinの場合は、ずーっと14歳、といった感じとでもいいましょうか。。
フェリがずっと大らかに役柄を演じているのにくらべて、
この人の細部への執着ぶりはすさまじく、
足の角度とか、手先とか、細かいパーツに、
ちょっと内気な感じが滲みでる役作りでした。
演じる人でこうも役の印象が違うか、と大変興味深く感じました。
ただ、これがスターと言われる人との差なのか、
ひとつひとつのポーズはきれいなのですが、
なんだか、そのポーズの間の動きがせわしない感じがするのが残念。
フェリの場合、どこを切っても優雅で、同じことをしていても、
Hyltinよりもゆっくり動いて見えるのがすごい。
そして、やはり感情表現には残念ながら天地の差が。。
特に最後の死の場面、先ほども申し上げたとおり、
マクミラン版と基本のコンセプトは同じなのですが、
Hyltinが死の間際に、ロミオににじり寄っていく様子は、あくまで振りの一部という感じが否めないのに比べ、
フェリの、最後に手をのばしても、ロミオに数センチの差でとどかない絶妙の間は、
この世で添い遂げられなかった彼らの運命を象徴するかのようで、
つい胸が熱くなってしまうのでした。
ロミオと出会って恋に落ちる場面も、これはコレーラの力もあって、
ものすごく情熱的なシーンになっているのにくらべて、
NYCBのそれは、”えっと、あなたたち、恋してるんでしたよね?”と、
ついたずねてしまいたくなるくらい、感情のほとばしりにかけるというか、
ちょっとお行儀よくなりすぎていたように思いました。

気をはいていたのが、マキューシオ役のUlbricht。
ちょっと背も低くてずんぐりしているし、王子系のキャラではないかもしれませんが、
身体能力に恵まれて、技のきれと大きさはぴか一。
観客の拍手を一人でかっさらっていきました。

プロコフィエフの音楽がまたよい!
こんなによい音楽だとは知りませんでした。
上手く演奏されれば、ものすごく感動的だと思うのですが、
これはNYCBも、DVDのスカラ座も、今一歩(スカラ座が今一歩なのは意外!)
いいオケで聴いてみたい!
オペラと同じく、ダンサーも、衣装も、セットも、オケも、なんていうと、
バレエもお金のかかる芸術です。。

Sterling Hyltin (Juliet)
Robert Fairchild (Romeo)
Daniel Ulbricht (Mercutio)
Antonio Carmena (Benvolio)
Joaquin De Luz (Tybalt)
Darci Kistler (Lady Capulet)
Jock Soto (Lord Capulet)
Gwyneth Muller (The Nurse)
Jonathan Stafford (Paris)
Ask La Cour (Friar Laurence)
Albert Evans (The Prince of Verona)
Choreographer: Peter Martins
Director of Production: Perry Silvey
Designer: Per Kirkeby
New York State Theater
Sec Ring E odd
***ロミオとジュリエット Romeo + Juliet***

THE NUTCRACKER -NYCB (Fri, Dec 15, 2006)

2006-12-15 | バレエ
ニューヨークシティバレエのくるみ割り人形を初めて見に行きました。
同じ舞台芸術とはいえ、雰囲気がオペラとはまったく違います。
まず、客層。バレエは子供が多い!(特にくるみ割り人形がそうなのかもしれませんが)
そして、音楽が始まっても、ダンサーが踊り始めても、しゃべる。
まねしてくるくる座席そばで踊りまくる。。
大人はあたたかくそれを見守る。
誰も、”しーっ!”とか言って叱るような無粋な真似はしません。
メトでは、すぐ叱られます、ちなみに。
そして、かくいう私もどちらかというと叱るほうの部類です。

長いヴァイオリンのソロも、誰も拍手しないし、
ああ、オケの人たち、報われなくってかわいそう。。

さて、オペラでも、どんなにすぐれた歌手が束となっても
素晴らしい演奏を約束するわけではないのと同様に、
バレエもどんなに個々のダンサーが素晴らしくても
全体としては、いまいち熱さに欠けることがあるのですね。

特に、このくるみ割り人形はバランシンの振り付けで、
初演から50年以上上演されているもの。
歴史があるのはいいことですが、なんとなく、マンネリ化したゆるいムードが
漂っているのもまた事実。
歴史をとるか、エキサイトメントをとるか(まあ、失敗する可能性もあるわけですが)
バレエ団にとっては難しい選択なのでしょう。

しかし、バレエの世界もきびしい!
NYCBは一般的に、背の比較的高いすらっとしたダンサーが多いようなのですが、
(これは、バレリーナが背が低いと思い込んでいた私には驚きでした)
どんなにテクニックにすぐれていても、体型が少し重厚感があるだけで、
本当に印象が違います。実力以前に、体型で淘汰される世界!厳しすぎ。。。

しかも、この公演のあとで、たまたま日本の新国立劇場のバレエ団に関するテレビを見てなおびっくり!
日本人、ずんぐりしてる。。。
(もちろん、日本人の中では抜群にスタイルのいい方たちのグループなのに!)
ということで、NYCBのダンサーたちのスタイルのよさに今更ながら感心したのでした。

ソリストたちの中では、さいごの二人が抜群にすばらしく、
観客も大喜び!
何気ない、それでいた洗練されつくした動きのそれぞれの裏には、
ものすごい努力があるのだと思うと本当に感謝の念が起こります。

さて、昔の昔、テレビで、どこのバレエ団だったかは忘れてしまったのですが、
海外のバレエ団によるくるみ割り人形の公演を見たとき、
確か、すべては子供の夢の中の話だった、というようなおちになっていたように記憶しているのですが、
NYCBの演出では、子供がそりに乗って空に飛んでいってしまいました。
このそりの部分も含め、少し子供を喜ばすことにおもねりすぎて、
大人の鑑賞に若干耐えなくなくっている部分も散見されました。

バレエ好きの知り合いの方が、バレエを見るならくるみ割り人形以外の方がいいよ、
と言ってましたが、今、納得。
Sleeping Beauty(眠れる森の美女)が新年からかかるようなので、
そちらも見に行こうかと思います。


New York City Ballet
New York State Theater
FR left C
***くるみ割り人形 The Nutcracker***