今年も両家のお墓参りに行きました。
その時久しぶりに私の弟とも会い、
よもやま話の流れで
子育ての話になりました。
弟いわく、結婚相手を探している女性が、
「育児は男女平等」を前面に出し、それが
結婚の前提条件だなどというのを聞くとがっかりすると。
「え?平等ではないの??」
『イクメン』がもてはやされている今日この頃、
育児は女の役目だ、
男は外で仕事をしているんだから…。なんて、
あなたって、そういう融通のきかない考えのタイプだっけ?
そう思って、よくよく言い分を聞いてみると…。
動物の飼育が仕事である弟。
動物はいつだって命がけの子育てをしているのを
彼は目の当たりにしているのです。
動物の母というものが、損得勘定なしに無条件の愛を
子供に注いで必死で育て上げるのを見ているので、
人間が自分の都合でまるで子育てを「面倒なこと」のように
役割分担だとかいうのを聞くと、
とても悲しくなるのだそうです。
ああ、そういう意味か~。
「平等」という言葉の使い方が、
人によって意味合いが違うので、
誤解を生む前によく話をすることって、
大切だなあと思いました。
中には弟の言うように、
男女の性差も考えず、
すべてに於いて男女平等だという考えの方もいるでしょう。
でも多くの女性は、
子育てに全身全霊で取り組んでいます。
できるならずっと、子供の世話だけをしていたいけれど、
母であるとともに、妻でもあり
炊事・洗濯・掃除など、家事もしなければなりません。
すべてを完璧にこなすなどというのは神技。
どこかにシワ寄せがきます。
だから、旦那さんには
臨機応変に、その時できることを手伝ってもらいたい、
ご飯を作っている時に、
子供がつまらなそうなら相手をしてくれるだけでいい、
子供が泣いてお母さんがあやしている時には
お皿を洗ってもらうだけでも
どれだけ助かるか…。
そういう「協力」的な広い意味で
「平等」という言葉を使うかたが多いのではないかしら。
「そうかもしれないね。
そういう意味で言ってる人もけっこういるのかな…。」と弟。
思わず熱い議論へと発展しましたが、
お互いの考えに理解が深まり、
なんだか心地よい気分でした。
その時久しぶりに私の弟とも会い、
よもやま話の流れで
子育ての話になりました。
弟いわく、結婚相手を探している女性が、
「育児は男女平等」を前面に出し、それが
結婚の前提条件だなどというのを聞くとがっかりすると。
「え?平等ではないの??」
『イクメン』がもてはやされている今日この頃、
育児は女の役目だ、
男は外で仕事をしているんだから…。なんて、
あなたって、そういう融通のきかない考えのタイプだっけ?
そう思って、よくよく言い分を聞いてみると…。
動物の飼育が仕事である弟。
動物はいつだって命がけの子育てをしているのを
彼は目の当たりにしているのです。
動物の母というものが、損得勘定なしに無条件の愛を
子供に注いで必死で育て上げるのを見ているので、
人間が自分の都合でまるで子育てを「面倒なこと」のように
役割分担だとかいうのを聞くと、
とても悲しくなるのだそうです。
ああ、そういう意味か~。
「平等」という言葉の使い方が、
人によって意味合いが違うので、
誤解を生む前によく話をすることって、
大切だなあと思いました。
中には弟の言うように、
男女の性差も考えず、
すべてに於いて男女平等だという考えの方もいるでしょう。
でも多くの女性は、
子育てに全身全霊で取り組んでいます。
できるならずっと、子供の世話だけをしていたいけれど、
母であるとともに、妻でもあり
炊事・洗濯・掃除など、家事もしなければなりません。
すべてを完璧にこなすなどというのは神技。
どこかにシワ寄せがきます。
だから、旦那さんには
臨機応変に、その時できることを手伝ってもらいたい、
ご飯を作っている時に、
子供がつまらなそうなら相手をしてくれるだけでいい、
子供が泣いてお母さんがあやしている時には
お皿を洗ってもらうだけでも
どれだけ助かるか…。
そういう「協力」的な広い意味で
「平等」という言葉を使うかたが多いのではないかしら。
「そうかもしれないね。
そういう意味で言ってる人もけっこういるのかな…。」と弟。
思わず熱い議論へと発展しましたが、
お互いの考えに理解が深まり、
なんだか心地よい気分でした。