4月22日(金)。
朝起きてメールをチェックすると、最初の2年の派遣元であるJICAから、ケニアでの研究は、安全管理のため許可されないとのこと!
おいおい、4月7日には具体的に伝えていたし、昨年12月の段階でもケニアでの研究は示唆しておいたじゃないか!?全く何のために根回ししたんだか。
慌てて東京のJICAに電話して確認しました。だってILRIには、現在でもJICA専門家が入っているはず。おまけにナイロビにはJICAの在外事務所だってあるし、協力隊員だって派遣されているじゃないか?
回答は、安全基準にも業務目的と研修目的があり、僕の場合は研修なのでわざわざ危険地域に行く必要などないということでした。危険地域?イラクやガザ地区ならいざ知らず、何でケニアが?まあ多分、2年ほど前の米国大使館へのアルカイダによる攻撃があったからでしょうけど。
この日本の「安全基準」というものには、以前もさんざん泣かされました。妻もその一人です。
ネパール青年海外協力隊時代、マオイストというテログループの活動が盛んになってきたため、首都待機を命じられ、今か今かと待っているうちに3ヶ月経ち、帰国になってしまったのです。
村からは村長自ら、「村の安全は私が保証する。マキタを返してくれ。」とJICA事務所へ直訴に来てくれました。僕の活動も軌道に乗って、村も活気付いていた矢先のことでしたから。しかも他国ボランティアは普通に活動していたこともありました。
しかしJICAも、人材養成課の課長代理は味方についてくれています。これから安全管理課を説得しなければなりません。
大学にメールを送った後、11時に妻子をワクチン相談に連れて行き、その後すぐ大学へ向いました。大学に着くと、センター内のみならずILRIとも協議してくれたようで、すぐ指導教授と対策を協議しましたが、大学とILRIからのレターなどの準備がすでに検討されており、僕が一通り考えた対策はすでに手が回っていたので、協議はすぐ終わりました。
センター長の大ボスは、「大丈夫。ILRIに専門家を派遣しておいて学生はダメ、というのは筋が通ってないだろ?」と笑顔で声をかけてくれました。
確かにネパールの時は僕の村でもヘリコプターが爆破されたし、妻の村でも中心部で爆弾事件が多発していたので、それに比べれば状況は全く違います。ただただ人事を尽くして待つのみですね。
朝起きてメールをチェックすると、最初の2年の派遣元であるJICAから、ケニアでの研究は、安全管理のため許可されないとのこと!
おいおい、4月7日には具体的に伝えていたし、昨年12月の段階でもケニアでの研究は示唆しておいたじゃないか!?全く何のために根回ししたんだか。
慌てて東京のJICAに電話して確認しました。だってILRIには、現在でもJICA専門家が入っているはず。おまけにナイロビにはJICAの在外事務所だってあるし、協力隊員だって派遣されているじゃないか?
回答は、安全基準にも業務目的と研修目的があり、僕の場合は研修なのでわざわざ危険地域に行く必要などないということでした。危険地域?イラクやガザ地区ならいざ知らず、何でケニアが?まあ多分、2年ほど前の米国大使館へのアルカイダによる攻撃があったからでしょうけど。
この日本の「安全基準」というものには、以前もさんざん泣かされました。妻もその一人です。
ネパール青年海外協力隊時代、マオイストというテログループの活動が盛んになってきたため、首都待機を命じられ、今か今かと待っているうちに3ヶ月経ち、帰国になってしまったのです。
村からは村長自ら、「村の安全は私が保証する。マキタを返してくれ。」とJICA事務所へ直訴に来てくれました。僕の活動も軌道に乗って、村も活気付いていた矢先のことでしたから。しかも他国ボランティアは普通に活動していたこともありました。
しかしJICAも、人材養成課の課長代理は味方についてくれています。これから安全管理課を説得しなければなりません。
大学にメールを送った後、11時に妻子をワクチン相談に連れて行き、その後すぐ大学へ向いました。大学に着くと、センター内のみならずILRIとも協議してくれたようで、すぐ指導教授と対策を協議しましたが、大学とILRIからのレターなどの準備がすでに検討されており、僕が一通り考えた対策はすでに手が回っていたので、協議はすぐ終わりました。
センター長の大ボスは、「大丈夫。ILRIに専門家を派遣しておいて学生はダメ、というのは筋が通ってないだろ?」と笑顔で声をかけてくれました。
確かにネパールの時は僕の村でもヘリコプターが爆破されたし、妻の村でも中心部で爆弾事件が多発していたので、それに比べれば状況は全く違います。ただただ人事を尽くして待つのみですね。