町田・相模原の司法書士・行政書士の宮下です。
あり得ないんだけど。
なんでそんなことするの?
どうして?
他人の言動に対して、こんな感情を抱くことは誰しもあるかと思います。
確かに、誰がどう考えても”おかしい”ことはある。
しかし一方で、自分はそれを受け入れられない、考えられない、と思うような事でも、他の人の意見を聞いてみたら案外自分の視野が狭かったことに気づくこともある。
他人を受け入れるとはどういうメカニズムなんでしょう。
僕が出した答えは「愛」と「経験」です。
いや、大まじめですよ。笑
「愛」と言ってもいろいろな愛がありますから、愛について語るのはまたにしましょう。(誰だよ。)
さて、他者の言動を受け入れるということには「経験」が大きく関係しているんじゃないかと考えました。
それを前提として考えると、若者の言う「あり得ないんだけど( 一一)」と、ご年配の方が言う「あり得ないんじゃが。( 一一)」はかなり意味合いが違うような気がします。
前者は経験不足によるもので、後者は経験したことによるもの、という意味合いを持つんじゃなかろうか。
もちろん、若者でも経験豊富な方はいるでしょうし、ご年配でも経験の乏しい方はいるでしょう。
ここではあくまでも一般的なイメージです。
経験から他者を受け入れる時、一番受け入れやすい状況はそれが「自分も経験したこと」ということだと思います。
そして、自分が経験したことのないことでも、自分の経験したことから派生させて考えられるかどうか、これが他者を受け入れる上で最も大事になる能力だと思ってます。
自分が経験したことが、他の人と一致することなんてなかなかありません。
しかし、その自分の経験から派生させることはできる。
もし自分がその立場だったら。
もし自分の経験したあの事が、違った結果になっていたら。
自分の経験したあの事と似ている。この人もそんな状況なんじゃないだろうか。
そんな思考回路が、他者を受け入れる、受け入れないまでも理解する一歩に繋がるんじゃないか。
「受け入れられない」と考えていたこと、その受け入れられないと考えていたことをひょんなことから自分がしてしまった時、浅はかだった自分に気づくでしょう。
きっと、本当は受け入れられないことなんてないような気もします。
全てを経験したわけではないですし、全ての環境や状況に立ったこともない。
そう考えると「無差別殺人をするような人間を受け入れないといけないのか?」という、非常に難しい問題が出てきます。
ここは学者にお任せです。
ただ、僕はそれを受け入れないし、受け入れたくもありません。
家族や友達がその無差別殺人の被害にあったら、その犯人の動機、生い立ちや家庭環境、そんなこと関係なくその犯人を殺したいと思います。
受け入れられるはずがない。
僕は死刑廃止論者でもないですから、即日死刑にしてほしいと願うでしょう。
「受け入れられること」、「受け入れられないこと」、「受け入れるべきこと」、「受け入れてはダメなこと」、言葉にするだけでもパッとこれだけ出てきますが、感情的な部分ではもっと多くの種類があるんでしょうか。
”受け入れる”ということは、受動的な作用に感じますが、そこには能動的な要素が多く含まれているんだと思います。
それはある種「ゆるす(許す・赦す)」ということなのかもしれませんが、それをできる人間を見ると非常に興味をそそられます。
そして、他者を受け入れられない時、それは自分の経験不足かもしれない。
そんな時、自分を疑うことを忘れないようにしたいです。
弊所HP↓
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あり得ないんだけど。
なんでそんなことするの?
どうして?
他人の言動に対して、こんな感情を抱くことは誰しもあるかと思います。
確かに、誰がどう考えても”おかしい”ことはある。
しかし一方で、自分はそれを受け入れられない、考えられない、と思うような事でも、他の人の意見を聞いてみたら案外自分の視野が狭かったことに気づくこともある。
他人を受け入れるとはどういうメカニズムなんでしょう。
僕が出した答えは「愛」と「経験」です。
いや、大まじめですよ。笑
「愛」と言ってもいろいろな愛がありますから、愛について語るのはまたにしましょう。(誰だよ。)
さて、他者の言動を受け入れるということには「経験」が大きく関係しているんじゃないかと考えました。
それを前提として考えると、若者の言う「あり得ないんだけど( 一一)」と、ご年配の方が言う「あり得ないんじゃが。( 一一)」はかなり意味合いが違うような気がします。
前者は経験不足によるもので、後者は経験したことによるもの、という意味合いを持つんじゃなかろうか。
もちろん、若者でも経験豊富な方はいるでしょうし、ご年配でも経験の乏しい方はいるでしょう。
ここではあくまでも一般的なイメージです。
経験から他者を受け入れる時、一番受け入れやすい状況はそれが「自分も経験したこと」ということだと思います。
そして、自分が経験したことのないことでも、自分の経験したことから派生させて考えられるかどうか、これが他者を受け入れる上で最も大事になる能力だと思ってます。
自分が経験したことが、他の人と一致することなんてなかなかありません。
しかし、その自分の経験から派生させることはできる。
もし自分がその立場だったら。
もし自分の経験したあの事が、違った結果になっていたら。
自分の経験したあの事と似ている。この人もそんな状況なんじゃないだろうか。
そんな思考回路が、他者を受け入れる、受け入れないまでも理解する一歩に繋がるんじゃないか。
「受け入れられない」と考えていたこと、その受け入れられないと考えていたことをひょんなことから自分がしてしまった時、浅はかだった自分に気づくでしょう。
きっと、本当は受け入れられないことなんてないような気もします。
全てを経験したわけではないですし、全ての環境や状況に立ったこともない。
そう考えると「無差別殺人をするような人間を受け入れないといけないのか?」という、非常に難しい問題が出てきます。
ここは学者にお任せです。
ただ、僕はそれを受け入れないし、受け入れたくもありません。
家族や友達がその無差別殺人の被害にあったら、その犯人の動機、生い立ちや家庭環境、そんなこと関係なくその犯人を殺したいと思います。
受け入れられるはずがない。
僕は死刑廃止論者でもないですから、即日死刑にしてほしいと願うでしょう。
「受け入れられること」、「受け入れられないこと」、「受け入れるべきこと」、「受け入れてはダメなこと」、言葉にするだけでもパッとこれだけ出てきますが、感情的な部分ではもっと多くの種類があるんでしょうか。
”受け入れる”ということは、受動的な作用に感じますが、そこには能動的な要素が多く含まれているんだと思います。
それはある種「ゆるす(許す・赦す)」ということなのかもしれませんが、それをできる人間を見ると非常に興味をそそられます。
そして、他者を受け入れられない時、それは自分の経験不足かもしれない。
そんな時、自分を疑うことを忘れないようにしたいです。
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