台風10号が今までにない程ゆっくりペースで北上しているようで、
まだ遠く離れた淡路島の瓦屋さんの工場は大雨で浸水してしまう被害があったとか。
皆さんのところは大丈夫ですか?
少しでも怖く感じるところがありましたらまずは避難してくださいね。
先ずは生きることが大切です。
こんな時ですが休暇のお知らせです。
9月2日~4日の3日間、遅い夏休みを頂きます。
今年は色々とあり過ぎて、ふとこのところ疲れを感じましてね。
思えば自分ももうじき50才ですし、若いときのように無理ができな世代になってきました。
という事で束の間の休日を頂き、リフレッシュをしてまいります。
実はお休み明けの9月7日より今度は砥部焼の展示会が始まります。
その準備が戻ってきてからすぐにあるので本当にドタバタしてしまうのですが、どんな作品が届くのか楽しみです♪
今日は東京会館で会社として父のお別れ会を行ったそう。
これで父が病に伏してから亡くなり、そしてお別れ事も全て終わりです。
寂しさに暮れていた母も少しずつ前を向き始めて、泣くときもあるけれど元気を取り戻しつつあります。
自分も今でも父のことを思い出すし、また会いたいなって思うけれど、それは叶わぬ願い。でも生きている間にできる限りのことをしたし、沢山会ってお話もして、そして沢山の感謝を伝えられたから満足。あの時にカナダに移住しないで日本に帰ってきていて本当に良かったと思う。じゃなければ心残りのままだったに違いない。
母と父は社内恋愛だったのだけれど、詳細を先日父が亡くなってから聞いた。
祖父の兄が立ち上げた会社は、その後祖父が継ぎ、そして父が入社した。
その時に総務に居たのが母だった。母は高校を卒業すると長野から出てきて父の会社に入社して、いつからか二人は恋仲になり、都内でデートをしていたんだって。若いころの二人は可愛いね♪
しかしその恋愛は父の厳格な両親とその家族に猛反対されたのだとか。
田舎から出てきて、学も無い品も無い小娘の事を気に入らなかったらしい。
ところが一緒に新宿御苑とかにピクニックデートに行くとおむすびやお弁当を手作りして持ってきてくれる、そして天真爛漫に笑顔を振りまくそんな母の事がとても好きだった父。そのうち家の事情で退社して長野に戻った母を、出張とかこつけて何度も長野に会いに行って結婚にいたったのだとか。
社長の息子だった父は有給休暇も取らずに働いた。それをいつもサポートしたのは母だった。俺は子育てやら家の事は全くしなかったんだ。全部母のお蔭だ、本当にありがとう と晩年は母を労い家事もこなすし買い物も何でもできるようになった父。いつも母にありがとうと言っていた。
二人の人生は本当に二人で支えあった人生なのだなぁ。
結婚した後も父方の祖母や二人の姉妹からいじめを受けていた母。それを守ってくれたのは父。いつも味方だからね、と優しく守ってくれたのだとか。
どこへ行くのも二人は一緒。いつかは旅立つ日が来るけれど、実際にあると辛いよね。
父が亡くなったのは凄く悲しかったけれど、一度も泣いていない。それは男が泣くもんじゃないと我慢している事もそうだし、泣いても別に亡くなった人が戻ってくるわけでもない。父も涙を見せるような人じゃなかったし、泣いているところを一度も見たことがない。でも告別式で喪主の兄がスピーチをしている時に兄が涙で言葉を詰まらせた。その時に自分も静かに涙した。でも鼻をすする音を他人に聞かれるのが嫌だったから直ぐにぐっとこらえた。
さっ、これで全てのお別れが終了だ。
だから短い旅にでる。