今日は朝から日が照っていたものの、空はもやっとしてどうにもすっきりしない。
去年もこんな調子だったなぁと思いつつ、撮影はあきらめて事務所へ向かう。
事務所でこまごました雑用を済ませ、昼過ぎにアダルト系のスタッフと会う。会うといっても、特になにか仕事の話をするわけでもなく、遊び半分の世間話に終始する。
その人物とは比較的最近知り合ったのだが、お互いにかなり強烈なカメヲタだったこともあり、時間のあるときはだらだらと話をするようになった。ただ、カメヲタが2人そろっても機材の話はあまり出ないというか、あまり出ないからこそ話し相手になっているという部分も無くはない。
というのも、お互いに「機材自慢や機材の話しかしないカメヲタが大嫌い」という、かなりへその曲がったところがあって、またそれだからこそ安心して話が出来るというわけなのだ。
まぁ、へそ曲がりといってもオタクにはありがちな傾向だが、もちろん決してほめられた話でもないので、やはり話す相手を選んだほうがよいのは間違いないよね。
ともあれ、その人物が語る機材の話は極めて実践的な内容を含んでいるため、自分としては往々にして「おいしい」ことがある。以前にも「その機材でなにができるかではなく、その機材ではなにができないかが大事だ」と言われ、全く素直に感心させられたことがあった。ただ、今日は珍しく自分の持ちネタがメインになったので、その辺のお買い得感はなかったけど、まぁそれこそギブアンドテイクってやつだろう。
いずれにしても、機材が作家の能力を拡張するという考えははっきりと「誤り」であり、機材は「作品の方向性を決める」ものだと思う。つまり、機材は作品の可能性を制限するもので、ある意味で機材は「牢獄」でさえあると思う。だが、現実問題として本当に無限の可能性を前にしつつ、自由自在に制作できるほどの能力を有していない人間にとって、牢獄とは安全地帯を意味してもいるだろう。
なにしろ、出来ることとできないことが「半ば物理的に決まっている」のだから、その意味では非常に気が楽でもあろうし、制約があるからこそ集中できるという側面もある。
なんちゅうか、作家的にはファインダの外まで視野に収めなければならないのだけど、外まで見えすぎると気が散ってしまうこともあって困るというところだろうか…
ただ、カメヲタってのは「ファインダのごみや見え具合」に引っかかって、ファインダの隅にすら目が届かなかったりするもんだけどね~