曇りのち晴れとの予報に反し、今日も朝からぐずぐずと厚い雲が空を多い、今にも雨が降り出しそうな気配だった。ここしばらく悪天候が続き、気分的にも滅入っていたので、たまっていた洗濯物だけ片付け、自宅でだらだら過ごす。
最近は展示もパットしない感じで、先日もとある公共美術館で展示を鑑賞したものの、自分の抱いていた印象や感覚を再確認するだけの結果に終わってしまい、いささか消化不良気味のまま会場を後にしている。ただ、これは既に評価の確定した作家なり作品なりでないと展示が極めて困難という、公共美術館のもつ宿命から来ている部分が多々あり、だからこそ石棺などと陰口も叩かれたりするのだ。しかし、もちろん全ての公共美術館がそうとは限らないし、むしろ意欲的な展示を企画しているところも少なくないのだから、その点に関してはなんとももどかしいところではある。
むしろ、公共美術館といえどもスポンサーというか、上の意向には逆らえない悲しさというか、そういう大人の事情を感じてしまった。平たく言うと、展示についても予算執行権限を持つ国家なり自治体なりの意向に従わざるを得ないわけだし、表立って口を出さなかったとしても所轄官庁なり自治体首長の意向を「意識せずに企画を立てることは出来ない」のだから、現在の状況を考えればキュレーター諸氏は日々努力を重ねているとさえいえよう。
それにしても、こと写真というメディアについては「恵比寿より竹橋」という感が強く、それはやはり東京の殿様があんな調子だからなのかと思ってしまいたくなる。もちろん、写真というメディアそのものの抱える難題にも因る部分は少なくないのだが、それにしてもいささか落差が激しすぎやしないかとは思う。
とりあえず、写真についても現代美術という立場からアプローチしたほうが興味深く、かつエキサイティングなのは間違いないし、その意味では旧来のいわゆる「写真」という世界からはますます縁が遠くなってしまうのも、仕方のないことではないかと思う。