変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




夜空に星が輝いている。
最も明るいのは月。満月の明るさ、そして独特な波長は、人に何らかの
影響を及ぼしているように思う。でも、自分で輝いている訳ではない。

子供の頃、夜空を飾る月の月齢に応じて、概ねの太陽の方向を想像し、
何とも言えないロマンを感じたものだ。上空の下弦の月を見て、足元の
遥か彼方から月を照らす太陽に思いを馳せる、とか。

確かに、如何に光り輝いても、月は陽の光を反射しているに過ぎない。
しかしその美しさは、月が反射する光の波長によって演じられたものだ。
つまり、自ら輝く術を持つ太陽は力強く貴重な存在だが、その光を美しく
彩るのは月自身の魅力なのだ。

恒星と惑星(衛星)。
当たり前の光の連鎖。

これは人間にもあてはまる。
自ら輝く人もいれば、輝く人の光を反射させる波長の技で光る人もいる。
前者を『恒星な人』、後者を『惑星な人』と定義しよう。

恒星な人の光は、いつも同じではない。強さも種類も。
惑星な人の波長だって変わっていく。反射率も屈折率も。
人間の方が難しい所は、光を放ったり反射したりする側だけじゃなくて、
見る側も感じる波長を変えてしまう、ということかな。同じ光でも見えなく
なっちゃったりするもんだからややこしい。
それら全て、心の状態で変化するんだろう。あるいは人間性の変化かな。

キラキラと輝いていた人が、突然光らなくなったように見えることがある。
要因は幾つもある。
その人が恒星な人だった場合。
  その人の光が弱まったか。
  その人の光の波長が変わり、見る側に感じられなくなったか。
  その人は変わらないのに、見る側が感じる波長が変わったか。
その人が惑星な人だった場合。
  その人を照らしていた人の光が弱まった(いなくなった)、あるいは
  波長が変わったか。
  その人が反射させる光の波長が変わったか。
どれも有り得るし、複合的な変化であることも多いだろう。

それが何故か、というところに心を砕くべきなんだろう。でも、それは
しんどいことな気がする。

だったら目を瞑るかな。

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