変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




こんなおいらでも、40年も生きれば色んな出来事に遭遇して来た。殆どは
忘れちゃったんだろうけど、いや、本当に昔の友人と会話しても、そんな事
あったっけ? と言うのは大概おいらです。
それはいいとして(?)、印象深かった記憶を掘り起こそうとしてみた。

ところが。
余計なというか、違う思考がアタマをよぎりーの、捕われちまったーよ。

自分のスタンスというが、仮に自分だったら、と仮定する位置が劇的に変化
したのは何時だったか、ということ。
例えば。
死刑制度というのがある。おいらが子供の頃から、その是非が議論されて
いたように思う。子供心に、難しい問題なんだろうなー、と感じたのを覚えて
いる。そこで、だ。
おいらだけじゃなく多くの人は、自分に例えてみた時にどう感じるか、という
ことを考えるんじゃないかな。おいらの場合、ある時までは自分が死刑囚な
ら、と考えていたのが、ある時から自分が被害者、もしくは被害者の家族だ
ったら、と考えるようになった。劇的な変化だ。

ま、守るモノの有無の差って言えば、それだけのことなんだろうけど。

この変化の訪れが何時だったのか、思い出せないんだよねぇ。。
記憶障害あるよ、きっと。

さてさて。
何がそんなに大切で、何を守りたいのよ、おいらは。
これまでに、今までに、蓄積したモノは当然のように増大する。その上に未来
が立脚する。大した過去が無ければ、未来も無味乾燥なものでしかない。
そんな未来のための今の自分、これからの自分、とても大切だ。おいら程度
でもここまで来るのは決して楽じゃなかったってのもある(本当にご苦労され
ている方々、生意気言って申し訳ありません)。
しかし、ありきたりだけども、家族がより大切だ。なのに、年齢を重ねることで
己の限界もある程度は見えて来ちゃって、大切なモノが自分だけでは守れな
いこと、即ち、自らの弱さを思い知る。
社会、社会性、制度、道徳、法律、規則、そういったものが如何に大事か、
ということに気付く時だ。

大人になるってことの一つの要素なのかな。
怖がりで保身に走り、保守的なこと。ある程度は止むを得ないよ。殻を破る
勇気。ちょっとだけ分かるようになった気がする。
大切な存在があり、そして何某かから頼られいていること≒居場所がある
こと&見つけられること。
これで人は生きられるのかな。

尚、ここでは死刑制度の是非は掘り下げません。


にほんブログ村 趣味ブログへ
にほんブログ村 日記ブログへ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )