変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




24年経つと、色んなことが大きく変化するもんだ。
前回の東北漫遊(?)記録に引き続き、今回は北海道編。
おいらが始めて津軽海峡を越えた頃、JRは国鉄だったし、青函トンネルは未だ
無く、青函連絡船が海峡越えの手段だった。
例によっての貧乏旅行。大阪から鈍行を乗り継いで、青森に着くまでに丸々
1日かかり、それから夜中の連絡船に乗り、翌朝になってやっと函館の大地を
踏んだ。季節は春3月。
あちこちに未だ雪が残っていて、兎に角寒いからー! 関西じゃもう春の足音が
響き渡っていたので、北国に出掛けるにあたって厚着はして来たんだけども、
明け方の函館は、とても寒かったのを覚えている。

持参した切符は「道南ワイド周遊券」。だったと思う。
札幌周辺から南側は、期間内乗り放題。道内は特急の自由席もOK。
この切符を片手に、北海道での5日間が始まった。

何をしていた訳ではない。
ぶらぶらしていただけ。札幌か函館の周辺を中心に観光し、夜になると列車に
乗る。当時は、函館と札幌の間を走る夜行鈍行があった。夜出て朝着く。この
列車を宿代わりにしていた訳さ。安上がり~! 
空いていたので、酷いときには駅の洗面所で洗濯して、列車の網棚に洗濯物
を干していた。やるね~、おいら。
ボロいけど味のある客車に毎晩ゆられていたんだ。この列車にもサプライズ。
窓が2重な訳さ。関西では有り得ない! おまけに、列車がボロいので、冷風
は2重の窓をもすり抜けて、安眠を阻害してくる。ムカつくったらありゃしない。
そんな思い出深い夜行列車も、今はもう無いという。

何か寂しい。

そして、当時はスパイクタイヤが全盛の頃。そりゃもう大サプライズでしたよ。
走り去る車達がもうもうと巻き上げる粉塵たるや、後のトラックが見えなくなる
程の凄まじさ。スタッドレスが必要になる訳さ、と妙に納得したのはこの後何
年経ってからだったか。
お陰でアタマはえらいことになってました。どんな強力なワックスやスプレー
でも、あそこまで毛髪を固定することはできまい。それ位ゴワゴワで、汚れが
髪を茶に染める。ちょっとしたロックンローラーでした。
なわけねぇか。

今では考えられないが、そんな状態だったにも関わらず、風呂に入ったのは
たったの1回!!!
札幌からちょっと西? 北? に行った、北広島とかいう所で入った銭湯のみ。

札幌でラーメン食ったのも1食だけだったし、小樽では魚介を食ってないのだよ。

あほちゃうか。

でも車窓から眺めた景色。
本州のそれとは明らかに違う風情。
今でも覚えている。
地域が変われば環境が変わるってことを、少年おいらが初めて味わった時。
今なら北海道じゃなくても、本州の中でも地方地域によって主張する微妙な
差異に気が付くだろう。
それも、あの時の経験が発端なのだ、きっと。

旨いモノに目がなく、温泉が好きで、努力が嫌いで、幸運を夢見る。
そんな動く退廃と化したおいら。
そのどれにも目もくれず旅した頃があった訳だ。

これって成長なのか、退化なのか。
またまた評価尺度の立場による、という結論か。

何だ、つまんねぇ。

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