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黒猫来訪、イタリア映画、黄金週間サイクリング

2010-05-06 09:27:54 | Cinema

初夏めいた黄金週間のあいだに、100本の薔薇はしずかに花びらになっていった。
昨日、ベランダのオリーブやぐみの木の根元にきれいにまいた。
そういえば、『薔薇の葬列』っていう映画があったっけ。



黄金週間は思いがけず毎日のように誰かが拙宅に遊びに来た。
そのひとりが、ムギオくん。3歳。
帰省するふくちゃんの愛猫をお預かりしたのだ。

ニキが星になってから今月18日でまる2年、
うちに猫が、しかも黒猫がやってくるのは初めてのこと。
ニキがいつもいたソファーにいる姿を見つめているうちに、不意に涙がこぼれた。


が、彼をだっこして猫トイレの場所を教えようとしたとたん、ふくちゃんの予言通り
物陰に隠れてしまった。この瞬間から彼とのかくれんぼごっこがスタート。よくもまあこんな所に!
というような隙間にこもっては気配を完璧に隠してしまうので、見つからないこと甚だしい。
うちの何処かに別世界に通じるワープゾーンがあるんじゃないかと本気で疑ったほど(笑)


そんなムギちゃんも徐々に慣れて散策しはじめ、ちよさん姉妹にいただいた猫じゃらしに
またたびをまぶして誘惑したら、ようやく私にすりすりしたり、リラックスポーズになってくれた。

たった3泊4日だったけど、久々に猫がいた暮らしを思い出した。
でも、私はまだ猫と暮らすことはないのだろうな、とあらためて思った。



むぎちゃんが来る前夜はオーリエさんと朝までお喋り。相変わらず彼女は心豊かで話は尽きない。
そして3日はちよさん姉妹とまいかさんが来訪。早めのお誕生日を祝ってもらって楽しかった!
ちよさん手作りのスコーン&苺ロールケーキも美味でした。ご馳走さまです!

夜は久々にみんなでNEWPORTへ。アート・リンゼイの甘い歌声がかかっていてめくるめく。。



4日はあんまりにもお天気がいいので、「イタリア映画祭」や「イタリア映画ポスター展」を
観に行くのに、愛用のビアンキを発進。お堀端を一度 サイクリングしてみたかったのだ。
実際、花の咲き乱れた水辺を疾走するのは快感!


渋谷から青山通りを抜け、お堀沿いをすいっと行けば、九段も有楽町も東京駅もすぐだった。



東京駅前に出ると、復元工事中の駅舎が 遂にクリスト作品みたいになっていた。
これはこれで貴重な風景だけど、やっぱり赤煉瓦の外壁が見えないと物足りない。



昨年物議をかもした東京中央中便局も、3割復元(?)工事中。
この昭和モダニズム、個人的には全部遺してほしいんだけどなぁ。

針のない時計が刻む 無言のときが、建物をそっと押し抱いていた。


オアゾの丸善書店にある松岡正剛氏監修の「松丸本舗」も覗いてみた。
つい2週間ほど前に取材に伺ったセイゴオ氏の事務所を彷彿するような本の迷宮。
一見脈絡がなさそうでも、よく見るとテーマごとに唸るような本たちが蒐集されている。
氏の名サイト「千夜千冊」に採り上げられた本も ほぼ網羅されているよう。必見。

書棚には時々セイゴオ氏自身の“落書き”が。これがなかなか面白い。
たとえば「バロックとロシアアバンギャルド。この解読がアートの秘密」とかね。
最近増殖している本のセレクトショップとしては、個人的にダントツと思う。
ここに一生幽閉されても退屈しないでしょう。



九段のイタリア文化会館で開催中(~5/7)の「イタリア映画ポスター展」は
1930年代~1990年までのイタリア版(一部フランス版あり)のオリジナルポスター70点が
一堂に会しており、吸い込まれるように見入ってしまった。

図録などがなかったので、ここには画像をアップできないけど
『太陽はひとりぼっち』『ボッカチオ’70』『狂ったバカンス』『欲望』『赤い砂漠』『昨日・今日・明日』
『アマルコルド』『愛の嵐』のオリジナルポスターはとりわけ魅力的だった。全部好きな映画だし。


そしてこの日のトリは「イタリア映画祭」。

私が観たプログラムは『EX』。邦題は『元カノ/カレ』とミモフタもないけれど(直訳ですが)、
元夫婦や元恋人たちが繰り広げる群像劇は、シナリオが絶妙で 涙が出るほど笑った。
監督のファウスト・ブリッツィはTV出身の気鋭の若手。テンポも実に小気味よかった。
アレッサンドロ・ダラトーリの『彼らの場合』や、
ジョヴァンニ・ヴェロネージの『イタリア式恋愛マニュアル』、
あるいはヴィットリオ・デ・シーカの『昨日・今日・明日』に通じる、いかにもイタリア的な
恋愛どたばた劇は ひたすらばかばかしくて愛おしく、そしてひどくせつなかった。
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戦後フランス映画ポスターの世界&ヴィスコンティ展

2010-04-02 06:23:22 | Cinema

気がついたらエイプリールフールも呆気なく過ぎ、桜がぶわっと満開。
ここのところ、とってもいい満月が上がっていたなあ。


さて、先月に遡るけど、「戦後フランス映画ポスターの世界」展の第二期が3月末まで
京橋の国立近代美術館フィルムセンターで開催されていたので行ってきた。
ちょうど軽井沢から来ていたキムリエさんと打ち合わせがあったのでお付き合いしてもらった。

年始に見た第一期は1940年代の作品が主だったけれど、今回は1950-60年代の作品が中心。
ルネ・クレマンの「太陽がいっぱい」’60は、仏版のタイトルロゴの雰囲気を
日本版のロゴでも なんとなく踏襲していたのね。
この映画は特にあっと驚くラストがかなしい。ナポリの海岸で束の間の美酒に酔いしれるリプリーこと
アラン・ドロンの満面の笑みと、それにかぶるニーノ・ロータの音楽がたまらない。

小6年の図工の授業でオルゴール用の箱を制作した際、
中身は好きな音楽のオルゴールを注文できたのだが、
私は迷わず「太陽がいっぱい」をオーダーし、
箱の蓋にも「PLEIN SOLEIL」と彫刻刃で彫った。
ルネ・クレマンとニーノ・ロータはその頃からツボだった。



キムリエさんに指摘されて初めて気付いたのだけど、仏版ポスターには必ずデザイナーの
サインが入っている。商業ポスターもアートとして認知されていたフランスならではなのかもかも。
ただ「オルフェ」はデザイナーのサインより監督ジャン・コクトーのサインの方がが断然大きい。

仏版デザインはジャン・ハロルド、日本版は野口久光。どっちも素晴らしいアーティストだけど
「オルフェ」に関しては、ハロルドさんに軍配。構成が秀逸。コクトーがディレクションしたのかな。
この映画を最初に観たのは、高校時代にライブハウスで。以来、コクトーが大好きになった。



ロジェ・バディムの「危険な関係」’62はわりと大人になってから観た。
バディムの感性は理屈抜きで楽しめる。「素直な悪女」も「輪舞」も「バーバレラ」も。



ロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」’50は、よくもまあ配給会社がOKしたなたぁ(笑)
と思うような斬新(?)な仕上がり。前に紹介した「マノン・レスコー」と同じポール・コランの作品。
ゴダールの「勝手にしやがれ」’59も、その邦題 よくゴダールが許したなぁ(笑)と今さらながら思う。
「盗みや殺しは平気だが、惚れた女にゃ手は出せねえ!」という和キャッチもしかり。にゃ、って。。



同じゴダールの「女は女である」’61のポスターは、この企画展のアイコンにもなっていた秀作。
ゴダールのミューズ、アンナ・カリーナの一挙一動&ファッションがひたすらチャーミング。
デザインはチカことマルセル・チカノヴィッチ。日本公開版(右)のデザイナーは不明ながら、
アンナ・カリーナのコケティッシュさが妙に強調されている。これはこれでキュート。
「若いあなたにピッタリ!セックスと愛がいっぱい!」というミモフタもない煽りコピーはさておき。。


こちらは少し前に再見した「女は女である」より。
アンナ・カリーナとジャン・ポール・ベルモンドの飄々としたやりとりは
「気狂いピエロ」のアナザーワールドみたいで、なんとなくめくるめく。



カリーナのこの真っ赤なカーディガンに憧れて、
私もよく似たカーディガンを密かに愛用している。




週半ば、ナクロプさんのお誘いで「コロンブスの航海」の試写を観にまたもや京橋へ。
コロンブスを巡る微笑ましいロードムービーなのだが、100歳を超える監督の長回しに、
少々眠気を覚えた。ちなみに、コロンブスは最後まで登場しないので、念のため。

試写後、九段下のイタリア文化会館へ。千鳥が淵を通過する際、一瞬 桜に目を奪われる。
イタリア文化会館の前にも八部咲きの桜がふるふると。
ここには先月も訪れたが、白日の下で見るとまた赤さが眩しい。



入口に飾ってあったボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を恭しく中に運び入れていた
イタリア人スタッフの姿を見て、一瞬、ロマン・ポランスキーの「タンスと二人の男」を思い出した。



イタリア文化会館では、3/26~4/11までイタリアブックフェアを開催しており、
建築、デザイン、料理などの本をはじめ、掘出し物の映画DVDやCDも販売していた。
私のお目当ては、同時併催の「映画評論家・柳澤一博氏のヴィスコンティコレクション特別展」。

ヴィスコンティはミラノの貴族出身。晩年の顔も瞳がいかにも芸術家のそれで魅力的なのだが
若い頃のポートレイト(右)のエレガント&アブノーブルなこと!
(※アブノーブル=アブノーマル×ノーブルの造語。かつて盟友えとうさんが作った)


左は「夏の嵐」のイタリア版ポスター。主演のアリダ・ヴァリは名演だったけど、
私が彼女を初めて見たのは「サスペリア」の怖い先生だったので、そのイメージが未だ消えず。。
右は「ヴェニスに死す」でダーク・ボガード扮する教授を虜にする美少年タジオくん。
まあ、本当に虜になっていたのはヴィスコンティそのひとだったのだと思うけど。



「家族の肖像」は大学時代に観た時はいまいちピンとこなかったけど、
近年観直してみたら、溜息が出るほど心酔した。深い。。。
↓このパンフレットはむかし亡き父からもらったもの。



「ルードヴィヒ 神々の黄昏」は高校生の時に、名画上映会みたいなので観たのだが
上映直前まで友人とお喋りに興じており、盛り上がっていたら、後ろの大人に注意された記憶が。。

高校時代には少々難解だったが、後年観たら、ヴィスコンティの美意識の炸裂にうっとりした。
衣装も背景もキャストもワグナーの音楽も、なにもかもが ぐったりするほど重厚な作品。
ただ、クレイジーキングなルードヴィヒことヘルムート・バーガーのインパクトがあまりに強烈で、
卒業旅行でノイシュヴァンシュタイン城を訪れた時、どうしてもヘルムート・バーガーさん本人が
住んでいた城としか思えなかった。


「イノセント」も高校時代に観た映画。当時、自室にポスターも貼っていた。
ヴィスコンティの遺作となったこの映画は、そのタイトルとは真逆のどろどろと
ヘヴィなドラマなのだが、エゴイストな男爵役ジャン・カルロ・ジャンニーニの怪演がポイント。


男爵を見棄て、黒いドレスを翻して逃げ去っていく愛人ジェニファー・オニールの
美しい後姿のラストシーンを思い浮かべると、決まってニキのことを思い出す。




今週、少し春めいた陽気の夕刻、時々訪れる近所の神社を散歩した。とても心が落ち着く場所。
暮れなずむ夕陽がやさしかった。狛犬の下には、ここでしばしば見かける黒猫がいた。
夕暮ともなると肌寒かったけれど、大きな樹の幹に触れると不思議とあたたかかった。
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満月の言霊

2010-01-31 04:52:36 | Cinema

何もかも射抜くような黄金の月があがっている。懐かしくてあたたかい。
こんな月の下では、ほんとうは何も言葉にしなくていいのかもしれない。



。。とか云って、また間が空いてしまった。。


☆ プレイバック。
先週、恵比寿でとても懐かしいひとと邂逅。ひとは変るけど変らない。
一皿毎にうきゃあとなるようなアートなメニューと念願のSalonをいただく。感涙。
@Joel Robuchon
「大人は判ってくれない」から、自分たちも大人に。なったのかな。



週半ば、一寸、カオス。夕暮が泣きたくなるほど美しい。バッハ、エンドレス。。



校正待ちのエアポケットのような日、
オーリエさんのお誘いで市ヶ谷のミヅマアートギャラリーへ。
「天明屋尚展」の作品のひとつである黒い畳が敷かれた小部屋で、しばしアート談義。
その後、側にある東京日仏会館へ。ブラスリーがお休み時間で残念!
ターコイズブルーのコートのオーリエさん、プチパリな背景にかわいく融け込んでいた。


週末、再びオーリエさんと、今度は渋谷にヴァンタンが主催する講座を聞きに行く。
「日本的アート ローカル/ナショナルの可能性」というテーマで、
ミヅマアートギャラリーの三潴末雄氏とART iT編集長小崎哲哉氏が繰り広げた対談は
微に入り細に入り非常に興味深かった。遂に結論は出なかったけれど。

その後、オーリエさんとうちで夜明けまでお喋り。彼女と話すといつも自分が広がる。
日曜夜、まいかさん&ちよさんのお誘いで青山でゴハン。そんな楽しい週が明けたとたん
月曜から幾つか重なって瞬間原稿ラッシュ。隈研吾氏の原稿にもやっと手をつけられた。
なかなか濃密な作業だったけど、とても有意義だった(本が発売になったらまたご紹介します)

そんな間隙を縫って火曜夜、原野先生の集いへ。スリランカ取材の件でお世話になった
まりさんとの旅話や、清水さんとの映像談義も楽しく、メグちづこさんとも久々にお話できてよかった。


週末は少し手が空いたので、「戦後フランス映画ポスター展」@国立フィルムセンターへ。
アイコンになっているのはゴダールの「女は女である」のキュートなアンナ・カリーナ。
残念ながら、今回見た第1期(~2/14)は1940年代末までの作品が中心だったので
かの傑作ポスターと会えるのは、2/17~3/28の第2期になる。


こちら、京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンター前。
しかし、かわいいアンナ・カリーナをよそに、妙にインパクトを放っていたのが――


――こちら、大島渚の「青春残酷物語」のバイオレントなワンシーン。
これだけ見ても、なぎさ、あらためて凄すぎる!


と、気を取り直して、ポスター展へ。会場は「常設展 映画遺産」と併設になっており、
日本映画の黎明期に活躍していた人々やアンティークなカメラ機材などが紹介されていた。
しかし会場には私一人きり。警備帽のおじさんが慌てて電灯を点けてくれたりして可笑しかった。

ポスター展は、洋画配給会社 新外映の旧蔵コレクションからの初展示らしく
マニアックなオリジナルポスターがずらり。

特に好きだったのは、「情婦マノン」(1949)のポスター。仏アール・デコの第一線で活躍した
ポール・コランの作品。ただ、映画はデートリッヒが主演した方しか観ていないのだけど。
アヴェ・プレヴォーの原作を読んだのは高校時代。あの頃はあの頃なりに結構心酔していた。


ジャック・タチの「のんき大将 脱線の巻」(1947)は、こじゃれたカフェとかにも
時々飾ってあったりするけど、ルネ・ペロンの脱力系描写がなんだか憎めない。
タチが台詞のない幽霊役で出演したという「乙女の星」(1946/中央は仏版、右は日本版)とかは
もう'70年代の少女漫画の扉絵みたい。「睫毛のかげの黒い瞳に揺れる恋のあこがれ」なんていう
キャッチもやっぱりクラシカルな少女漫画風味。まあ、オリジンは映画の方なんだけど。


「ラ・ボエーム」(1945)もルネ・ペロンの作品。流麗。巨大薔薇がすてき。


先週18日のニキの月命日に供えた薔薇、なかなか長持ち。
だいぶくたびれてきたけど、すぐ棄てずにさいごまでちゃんとみてあげたい。

実は、ポスター展の後、広尾の旧フランス大使館で開催中(~2/18)の
アートイベント『No Man’s Land』も観てきたのだが(冒頭の満月も@大使館)
これは写真てんこ盛りになりそうな予感もりもりなので、次回に!(週明けには更新したいなぁ)

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トラファマドール星へ

2009-12-25 22:28:06 | Cinema


ここへきて忙しさがぐんと加速。
そんな中、トラファマドール星へちょっと逃亡していました。

トラファマドール星とは、カート・ヴォネガットの小説を映画化した
「スローターハウス5」にも登場する架空の惑星。
トラファマドール星人は、そこに思いを馳せるだけで、人生のすべての瞬間を追体験できる。
「スローターハウス5」では、この星にさらわれた主人公が
バックミンスター・フラーのドームみたいな硝子の動物園で、アダムとイブになる。
幸福を密閉したドームの上で花火が弾けるラストシーンの美しいこと。

もちろん、BGMはグールドのゴルトベルク変奏曲。


そんなわけで(どんなわけですか)メリークリスマスをいうのが遅れてしまいました。
あらためて、メリークリスマス。


宇宙の何処にいようと 何年経とうと あたたかいものはずっとあたたかい。
夜空を見上げるたび、スマイリーな半月がニコッと微笑み返してくれる。
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ポランスキー、アニエスの浜辺、ポー川のひかり

2009-07-11 04:21:23 | Cinema
             
今日、病院の帰りに見た夕暮れ。実は週半ば、暑さと卵にあたってちょっとぐったりしていた。
点滴をしたのはむかーしエジプト旅行から帰って来た時以来。もう脱水症状は脱して復活傾向。

そんな中、今週はいい月を何度も目撃した。

と、これは私の撮影した月ではなく、ロマン・ポランスキーの映画『吸血鬼』の冒頭シーンの月。

最近、スカパーでポランスキー特集をしていたので、久々に観たのだが、スタッフ名にぽたりぽたり
血のしずくがしたたるアニメーションのオープニングと、それにかぶさるコメダのジャズにぐいぐい
引き込まれた。すっとぼけた助手役で出演している若き日のポランスキーも、
後に彼の妻となるシャロン・テートも実に初々しくて。


シュールな『タンスと二人の男』や、不条理でアンニュイな『水の中のナイフ』の後に
ドラキュラを換骨奪胎した『吸血鬼』みたいなお笑いスラップスティックを作った多才ぶりはさすが。
他にも、カトリーヌ・ドヌーブの怪演が光った『反撥』(‘64)や、ドヌーブの姉である
フランソワーズ・ドルレアックのコケットリーな魅力溢れる『袋小路』(‘66)を久々に再見。
反撥
袋小路

いずれもポランスキーお得意の 閉鎖的な空間で次第にひずんでいく人間関係や
スリリングな緊張感が絶妙。ドヌーブの狂気の演技も実に怖い。
ちなみにフランソワーズは『袋小路』の翌’67年に交通事故で急逝しており、
ポランスキー映画においてフェリーニとニーノ・ロータのような関係だったコメダも
『ローズマリーの赤ちゃん』の音楽を手がけた翌’69年に夭折している。さらに同年、
妻のシャロン・テートもC.マンソン一味に殺害されており、現実は映画より奇なり。。


在りし日のフランソワーズとカトリーヌ姉妹が共演した『ロシュフォールの恋人たち』も
私の大好きな作品。この映画のメガホンをとったジャック・ドゥミの妻であり、
彼をテーマにした映画も撮っているアニエス・ヴァルダの最新作『アニエスの浜辺』の試写会に、
今週行ってきた。かねがね「何歳だからどうだ」と人を齢で横切りにするのは筋違いと思っているが、
80歳でこの瑞々しく清新な感性には驚いた。全然枯れていない。それが彼女のナチュラルなのだ。

彼女が出逢った浜辺を軸に語られる、戦争、ヌーヴェルヴァーグ、フラワーチルドレンという時代や、
夫ドゥミをはじめ、ゴダール、ドヌーブ、ジェーン・バーキン、ジム・モリソンなどなど多彩な
面々とのエピソード。それらが過去映像とキッチュな再現映像との大胆なコラージュでテンポよく
描かれており、アニエス クロニクルにして、映画を巡る20世紀カルチャー史ともいえる珠玉作だ。
10/10~岩波ホール他で公開予定。映画館で観た後は、DVDでも持っておきたい1本。


若き日のアニエスが映画を撮るのをサポートしたのはアラン・レネ(映画にももちろん登場する)。
彼は5月に開催された第62回カンヌ映画祭で功労賞を満場の拍手と共に贈られていた。
私はたまたま授賞式を深夜に生放送で観ていたのだが、この人もダンディで枯れていなかった。
レネの『去年マリエンバードで』は、私が十代の頃から愛してやまない映画のひとつでもある。


カンヌで女優賞を受賞したシャルロット・ゲンズブールも両親と共にアニエス映画に登場している。
シャルロットは授賞式の時も 母ジェーンと父セルジュへの愛に満ちたコメントでしめくくっていた。



『地下鉄のザジ』に登場するガブリエルおじさんことフィリップ・ノワレも
アニエスの映画『ラ・ポワント・クールト』(‘54)がデビュー作だったよう。
『ザジ』は作品誕生50周年を祝して完全修復ニュープリント版が今秋公開予定らしく、
その試写も先日観た。その昔ビデオで観たことはあったけど、相変わらずばかばかしくて楽しい。
50年前のパリ観光を楽しんでいるみたいな気分になるし、何もかもがキッチュでチャーミング。

ルイ・マルは、あのアンニューーイでメランコリックな『死刑台のエレベーター』や『鬼火』の間に
この『ザジ』を撮っていたわけで、先のポランスキーのどたばた『吸血鬼』しかり、
天才とは決して自分のスタイルに溺れないものだなぁと、再認識。



今週前半、もうひとつ試写を観た。
エルマンノ・オルミの最新作にして人生最後の長編劇映画『ポー川のひかり』だ。
↓は鑑賞後にカフェでカプチーノを飲みながら資料を眺める私を久々に会ったナクロプさんが撮影。
どんなアングルですか。

『ポー川のひかり』には、まさに大河の流れに衝き動かされるかの如く、心揺さぶられた。
ボローニャの大学の古い歴史図書館で、夥しい神学書が床や机に太い釘で磔にされているのが
発見されるという サイコサスペンスじみたショッキングなシーンから映画は始まる。
書物を生きがいとしていた老司教は「殺戮」と嘆き、駆けつけた検事は「天才芸術家の作品のよう」と
呟く。私も検事とまったく同じ感想で、その磔にされた書物の群がヴェネツィア・ビエンナーレの
アペルトのインスタレーションといわれても大いに納得する「作品」と思った。

原題は『百本の釘』。本に釘を打ったのは、キリストに似た風貌の哲学教授。彼が全てを棄て、
ポー川沿いの朽ちた小屋で過ごす中で出会う人々とのエピソードが、新約聖書の寓意に重なっていく。
よく作品にハクをつけようとして聖書の物語にオチをいただく粗末な映画があるが、この映画は違う。
書物や教義だけを愛し、人や自然を愛さないのは本末転倒だというメッセージが根底にある。
「人間が中心にいないならば、宗教は世界を救えない。人間の価値とは知識ではなく、他人と分かつ
愛と真の人生を理解する能力によって決まる」とオルミはインタビューで云っている。
試写直後、後ろにいたイタリア人の女性が「Troppo bella!(美しすぎる)」と呟いていた。
8月1日~岩波ホールで公開されるので、ぜひ。知識と情報に疲れた人に観ていただきたい1本。


東劇に行く道すがらにある築地川公園に群生したローズマリーに白い小花がたくさん
ついていた。こんなにいい香りの公園で、なぜみんな煙草を吸うのかな。もったいない。
試写室の冷房があまりに寒かったので、身体を温めるために東銀座から日比谷までてくてく。
数寄屋橋公園の噴水前に出た頃にはすっかり汗ばんでいた。
 

泰明小学校の裏道で、暑さにすっかりだれきっている猫たちに遭遇。
近寄っても小首を一寸あげるだけ。そこから日生劇場前まで歩いてメトロで帰宅。



これはもう過ぎちゃったけど、近所のカフェの七夕飾り。願う前にまず感謝。いいね。
七夕の夜は眩い十五夜だったが、アルタイルやベガはどこにも見えなかった。


私が最後に天の川を見たのは、もう十年以上前、ケアンズ郊外の高台だったと思う。
零れるような無数の星々の連なりを目の当たりにし、涙腺が壊れたみたいに涙が流れた。
それは自分の中から湧き溢れてくるというより、天から滴ってくるもののようにも思えた。



最後に、暑い日々が続いているので、一服の清涼剤に、レニ・リーフェンシュタールの遺作
『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を。これも最近スカパーで観たのだが、
レニの美への無邪気な歓びに溢れた作品。魚たちと戯れているのは100歳のレニその人。
アニエスといい、オルミといい、レニといい、彼らの年齢を語ることこそ愚かなんだろうな。

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明日へのチケット、マルゲリータ、Coolie’s Creek

2009-04-20 08:16:59 | Cinema
これは、十年ほど前に南イタリアを列車やバスで旅したときのチケット。
先日、家で『明日へのチケット』(原題『TICKET』)を観て、ふと出してきてみたしだい。
アルベロベッロからバーリへ、バーリからマテーラへ――そんな旅の断片たちだ。
チケットを手にすると、あのときのあの風景の中へ、不意に迷い込んでしまう。

映画『明日へのチケットは』、第1話 エルマンノ・オルミ、第2話 アッバス・キアロスタミ、
第3話 ケン・ローチというカンヌ受賞系の名匠揃い踏みのオムニバス映画。
インスブルックからローマへと向かう列車内を舞台に、各話がさりげなくつながった
秀逸な群像劇となっており、気づくと自分もその列車の乗客のひとりみたいな気分に。

ローマ在住中に列車でヨーロッパを方々旅した経験のある姉が絶賛していた通り、
こういうシニョーラ(おばさま)確かにいるなぁ。。とか、こういうツーリストもいるねぇ。。
といった絶妙なリアリズムに裏打ちされたコメディなのだが、移民、人種、階級などの問題が
そこに巧みに織り込まれており、一筋縄ではいかない各話の滋味深さに感嘆の溜息が出た。

とくにケン・ローチの3話が好きだった。チャンピオンズ・リーグを観に行くと浮かれている
スコットランドの労働者階級の若者たちと、アルバニア系移民家族のチケットを巡る
かなしくも痛快なエゴと良心の応酬劇。

世界と世界の隔たりは、本当のところ、WEBやTVや印刷物だけでは知るよしもないのだ。
それは、ささやかな紙切れであるチケットの先に、生々しく広がっている。
ローマのテルミニ駅に到着するラストシーンを観ながら、そんなことをしみじみ思った。

この時季に発症しがちな“旅に出たいシンドローム”がどうやら今年も発症しつつあるらしい――


そんなことを呟いている間にもときは過ぎ。。さて、例によって先週末からさくっとプレイバック。
木曜はシンシマさんたちと中目黒の聖林館で、マルゲリータをいただきながら打合せ。


食後はスマイリーなカプチーノ。飲み干す直前まで、笑顔は消えず。



お店のエントランスに居た手乗り犬と極小マルゲリータ。か、かわいいぞ!
 Che piccolino!!!

その後、キムリエさんとカッシーがいる武蔵小山のチュニジア料理店「イリッサ」へ。
6ヶ国語に堪能なメリティさんにチュニジアの話をあれこれ伺い。また行きたいなぁ、北アフリカ。



土曜は、キムリエさんとクラスカで開催中の塩川いづみ「ドーブツ展」へ。
2月にNEWPORTで観た「ネコ展」に続き、今度はフクロウやゾウやパンダなど
さまざまなドーブツたちが、塩川さん独特の疎にして密な筆致で描かれていた。
どのドーブツもいとをかし、です。(~5/1)。


帰りにキムリエさんと学大前の古本屋さんなどに立ち寄った後、
駅前のお菓子屋さんでスイーツ休憩。



夜は「アダン・オハナ」のケンさんたちが白金に開店したレストラン・バー「Coolie’s Creek」の
オープニングパーティへ。この店は、ケンさんが30年前に店長をしていた伝説の店と同名だそう。
会場には、その当時を匂わせる筋金入りの大人の遊び人たちが続々と。。

3階建ての民家を改装したお店は、渋谷の「アダン・オハナ」に通じるテイスト。


会場では、インドの打楽器ターブラやフラメンコギター、ヴァイオリンなどのライブ演奏も。
ちなみにスパイラルのCayも、元はケンさんたちが立ち上げたお店だそう(今は別物ですが)。
大人の遊びを知っている彼らの試みなので、新しいお店の料理もライブも期待大。
「Coolie’s Creek(クーリーズ・クリーク)」港区白金1-2-6 ℡ 03・6459・3313

その夜はさらに、クーリーズで合流したキムナオさんやカッシー、ライターのドイさんたちと5人で
中目黒の焼肉屋さんへ。にわか肉食女子と化す。

帰りに目黒銀座の寿司店前でキムリエさんがこれを発見!
 

奇しくもこの日は、ニキの11回目の月命日だった。来月18日には一周忌を迎える。
「おまかせにき」、ぜひ注文したい。

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ベルサイユの子/パリ,ジュテーム/イタリア的,恋愛マニュアル

2009-02-18 07:12:23 | Cinema
不思議なほどあたたかな週末から一転、さむさむの週明け。
月曜は朝まで校正に追われ、夕方からはアイロンママさんでロング打ち合わせ。
あまりの寒風に週末のことが少し飛んでしまったけど。。。


先週のあったかな土曜は、ご近所newportでレイさん、ハカセ、キムリエさんとゴハン。
ここの料理やワインはお店で普段かかっている音楽同様、心身に快い。
この日のDJはBEAMS青野さん。フェイバリットな曲満載で自室に居るみたいな心地よさだった。


店内では、塩川いずみさんのネコドローイング展も開催していた。昨春、三軒茶屋で観た
「AURORA展」にも参加していた方。入口の猫群像画は必見。2月末までなので、ぜひ。


バレンタインチョコもやっぱりネコで。



翌日曜は、仕事にかかる前に、ついうっかりスカパーで映画を何本か。。
面白かったのは、ゴダールやロメールが参加したオムニバス映画『パリところどころ』の
現代版ともいうべき『パリ、ジュテーム』。18名の監督たちによる愛をテーマにした約5分ずつの
短編オムニバスで、舞台はすべてパリ。

テーマソングはFeist。マレ地区を舞台にしたガス・ヴァン・サント作品のBGMには
GonzalesのGogleが流れるなど、選曲もいちいち よい。

5分とは思えない傑作揃いだったが、顔だけでも凄いインパクトのスティーブ・ブシェミが
散々な“パリのお上り外国人”を演じるコーエン兄弟のブラックな作品には大爆笑。

出色は、たった5分間に恋愛の生々流転を見事に凝縮したトム・ティクヴァの作品。
彼の傑作『ラン・ローラ・ラン』や『パフューム』同様、音と映像のシンクロも天才技。
<『パフューム』もまた観たいな。

(トム・ティクヴァの『HEAVEN』も先日観たが、ダンテの『神曲』をモチーフにした
キェシロフスキの遺稿を、独自の美学で見事に料理していた。
トリノのシュールな俯瞰ショットや、トスカーナのヘヴンリーな描き方にも、
外国人監督にありがちな絵葉書的な異国情緒とは一線を画するものが)


翌日も、仕事の間隙を縫って映画鑑賞。 今度はパリではなく、ローマを舞台に
恋愛のさまざまな局面を描いたオムニバス『イタリア的、恋愛マニュアル』。
4つの短編の登場人物たちが微妙に関わり合う、ひとつの洒脱な群像劇になっていた。
恋愛の至福と残酷、悲愴と滑稽のダシが絶妙に効いたズッパ・ディ・ペッシェの如し。
1話目に出てくる黒猫もキュート!


そして火曜も映画モード。東京日仏学院で開催された『ベルサイユの子』のマスコミ試写会へ。
タイトルに「ベルサイユ」とあるが、華やかな光景はほぼ皆無。
宮殿の内と外を隔てる栄華と貧困の光と闇を象徴するように、描かれているのは
トラベル誌やファッション誌の素敵なグラビアには決して登場しない、もうひとつのフランス。

主人公の子どもは、失業、ホームレス、社会不適応、家族崩壊…フランス現代社会の亀裂から
生まれた被害者。しかしどんなに薄汚れても、奇跡的なほど天使性を失わない。
彼自身が、彼を取り巻く人々の再生を促すイノセントなメディアに思えた。
決して涙を流さない子役の澄んだ大きな瞳に、すべてが映っていた。

3月の「フランス映画際2009」でも上映されるようなので、ぜひ。


東京日仏学院は、昨年のvonちゃんwedding以来だったが、相変わらず心地よく。
ル・コルビュジエの愛弟子 坂倉順三設計ならではのエレガントなモダニズムがツボ。
館内や庭ではちょっとした写真展も開催されていた。




帰りに、明治の木造2階建校舎を復元した東京理科大学資料館を通り過ぎ、


アグネスホテルのバーでしばしコーヒーブレイク。


ホテルの一角にある「ル・コワンヴェール」で、メレンゲのスイーツをお土産に。
このアブストラクトなルックスがハートに刺さった。味や食感にもアブストラクトなハーモニーが。



帰り、公園で夜の芳香を放っていた梅の残像が、いつまでも消えなかった。
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ヨコハマ、蝶の歌、ジャンヌ

2008-11-30 12:11:52 | Cinema
明日から師走。この時季になると、地球の自転が1.5倍ほど加速しているように思えて仕方がない。
先週26日と28日は、元町界隈の取材で横浜もうで。
↑は山手外国人墓地ごしに見えた、紗のカーテンがかかったような黄昏目前の空。

横浜ってあまりなじみがなく、特にみなとみらい辺りは建物が見えてんのになかなか辿り着けない!
といったジレンマが多く、街がヒューマンスケールじゃないので 実は少々苦手だった。
けど、今回 山手地区から元町通り界隈の路地や坂を猫の目散歩してみて、印象が変わった。

初日はキムナオさん&キムリエさん&カッシーと一緒に
エリスマン邸など高台に連なる山手西洋館エリアを散策。
ドールハウスの箱庭に迷い込んだような感覚。

元町の外国人墓地で数匹の猫を発見。キムリエさんによると、この界隈は猫遭遇率が高いそう。
思わず撮影していると、「クロちゃん!」と呼ぶ声。「え、黒猫?」と思い、嬉々として振り向くと
鈴木清順にそっくりな白髭のお爺さんが、猫ではなく、烏に餌をあげていた。
円らな瞳で「清順」をうるうる見つめる純情「クロちゃん」。その奥に白猫が…(わかる?)
一瞬の白黒三角形

この子。右の瞳が金色、左の瞳がアイスブルー。さらっていきたいほどチャーミングでした。


28日は、キムリエさんと元町通り付近のショップやカフェを取材。夕方には終わるつもりが、
気がついたら夜に。。でも開港時から歴史あるお店は独特の佇まいで実に興味深く、楽しかった。
その時に撮った拙写真や記事は来年2月初旬発売の『和福美』をお楽しみに!

帰り、魔女の人形がたくさんぶらさがった元町仲通りのお店前で、ニキ似のもこもこ黒猫に遭遇。

撫でようとしたら、軽く猫パンチされた。
一寸痛かったけど、なんだか懐かしい感触だった。


翌29日 土曜夕方は、キムリエさんとHOYA CRYSTALのショールームへ。
秘密の花園をテーマにした空間は、青褪めた貴族が棲んでいそうな隠微な佇まい。
その後、阿部海太郎さんのLIVE@EATS and MEETS Cayへ。

先月、NIKI Gallery冊でみた時のゆったり感とは逆に、会場はぎうぎうだったけど
内容もそのぶん濃密だった。映像に合わせたピアノ演奏も面白かったし
オーボエ、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどの演奏も素晴らしく。
タップダンスとの絡みも新鮮だった。大好きな『Chanson du Papillon(蝶の歌)』を生で聴けて大満足!


遡ること27日。朝から雨模様だったこの日、取材を翌日に雨天延期したため、ゆったり朝食を摂りつつ
何気にスカパーのシネフィルイマジカをつけたら、「アクターズ・スタジオ・インタビュー」が始まり。

この番組は、俳優や演出家を養成するアメリカの名門アクターズ・スタジオの学生たちを観客に
副学長のジェームズ・リプトンが多彩な俳優を迎え、深い演劇論から出演作の驚愕エピソードまで
実に巧みに引き出すので、つい見入ってしまう。クールな精神科医のような面持ちで、
時おり茶目っけをにじませつつ、言葉少なに核心に迫っていくアプローチは、もはや芸の域。
私も取材でよくインタビューをするが、このヒトの絶妙な間のとり方はぜひ会得したいもの。

ゲストはジャンヌ・モロー。「ヌーヴェル・ヴァーグの俳優を迎えるのは初めて。光栄です」と
うやうやしくのたまうリプトンに、流暢な英語で含蓄のある応酬をするジャンヌ。

この収録は2000年なので、彼女は当時72歳。圧倒的にエレガント。それは凄みですらある。

ジャンヌ「ねえ、煙草吸ってもいいかしら?」 リプトン「貴女なら何をなさってもかまいませんよ」
時おり紫煙でくゆるカメラの向こうで、哲学者のような面持ちで語ったかと思えば、
不意に少女のような笑顔を見せるジャンヌ。貴重なエピソードも尽きず、
『突然炎のごとく』では、予算が少なかったため、スタッフの食事まで彼女が作ったそう!

インタビューに続き、映画『死刑台のエレベーター』が始まったので、またつい見入ってしまう。
(これで午前はつぶれる。フリーランス冥利。<後でしわ寄せが来るんだけど。。)



1957年、若き日のジャンヌ。マイルス・デイビスの即興をバックに、夜のパリを彷徨する名シーン。
ヌーヴェル・ヴァーグのファム・ファタルであるジャンヌも、共演のモーリス・ロネも危険なほど魅力的。
ただ、これを朝から観るのは別のイミで危険かも。
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きつね、グーグー、ポニョ 映画雑感

2008-09-29 03:12:42 | Cinema
ここ数週間、間隙を縫って数本の試写へ。睡眠削っても映画は別腹。
まずは、来年1月公開予定のフランス映画『きつねと私の12か月』

監督リュック・ジャケの少年時代の体験を基に、フランス・アルプスの四季を背景に繰り広げられる
野生のきつねと少女の友情物語…と映画紹介記事風に書いちゃうと、なんだかミモフタモないけど。。
私は映画を観ている間中ずっと、危ういほど無垢な生きものたちの交信を 密やかに見護る
森の精霊みたいな気分だった。

時に親密で、時に牙を剥く自然の営みへの畏敬が、ワケ知り顔の大人の観念的な視線ではなく、
きつねと少女の心情と瑞々しくオーバーラップして描かれていた。
野生の生きものと心通わせることの歓喜と禁忌。愛するとは、相手を所有することではない。
「大好きだから、さようなら」――単なる友情譚を超えた深遠な哲学がそこにはあった。


お次は、只今“ニャンダフル全国ロードショー”中の『グーグーだってネコである』。
これは晩夏になぜか中野サンプラザで試写を観た。原作は下手な純文学より数段深い大島弓子。

監督は大島漫画ファンの犬童一心。映画は原作を基に 良くも悪くも脚色されていたが、
大島弓子がグーグーと暮らす前に13年連れ添った猫サバが冒頭でそっと亡くなるところは同じ。
大島さんは実際、サバの死をきっかけに食べられなくなり寝られなくなる。いわゆるペットロス症状。

映画では、サバの後にやってきた仔猫グーグーの愛らしさをこれでもかと見せるが、
その実、映画の本題は“サバとの内的訣別”にある。主人公は夢の中でサバと邂逅し、サバは云う。
「ありがとう、たのしかった」と。主人公はそこで酷い自責の念から救われ、初めて涙をおとす。
(ニキも亡くなる数日前、同様のメッセージを全身全霊で伝えてくれた。
寝たきりのままサイレントにゃあを繰り返し、涙で潤んだ瞳でまっすぐ私を見つめて)
そんなわけで、このシーンにはちょっときました。シンプルなことばに宿る、ピュアな思い。

映画のラストで、主人公は漫画のモノローグと同じ台詞を云う。

寿命の違う生きものの生を慈しむ もうひとつの生きものの 最もシンプルな思い。


続いて、先週観た『崖の上のポニョ』。これは試写ではなく、カッシーのお誘いでキムリエさんと
3人で観にいった。宮崎アニメを映画館で観たのは正直これが初めて。んー、押井守が云っていた通り
因果律も何もめちゃくちゃ。でも、物語は5歳児の目線で語られているのだから、当然てば当然。
私も5歳の頃からあるイミ変わっていなかったりする生きものなので、実はかえってしっくりきた。

宮崎駿いわく「世界は生き物だ。それを小さな子供はみんな直観的に分かってる」と。すごい核心。
物語の破綻も確信犯。ただ、ポニョの母がポニョを「半魚人だけど」呼ばわりしたり
ポニョがその「半魚人」から人間になりたがったりするのは、個人的には相容れず。異種のまま
堂々と交流すればよいのに、って。 あ、矢野顕子が演じたポニョの妹たちの「声」は必聴(笑)

ちなみに、5歳児の主人公は随分と理知的な子なのだが、ポニョが失神した時は激しく動揺する。
「ポニョォーっ!死んぢゃったのぉおっ?」って。死は、とくに子供にとって、底知れぬ恐怖なのだ。
『きつねと私の12か月』では、血まみれで失神したきつねを前に、少女は激しく放心する。
『グーグー』では大島弓子がサバの死に際し、猫と人の寿命が違うことを嘆息するモノローグがある。

寿命の違う異種の生きもの同士には、蜜月があれば 必ず惜別もある。
『動物の寿命』(ズーラシア園長 増井光子監修/素朴社刊)によると
ホンドギツネは6~12年、猫は12~18年(最高齢は36歳とか!)、半漁人ぽいジュゴンは70年。

驚いたのは金魚10~30年、イエバト35年、中・大型インコ20~80年!という小動物の長寿ぶり。
ロバ26~31年、ワニガメ47~58年といった妙に細かな数値が時々あって気になりますが。。


これは先週、日本橋で撮った青銅の「麒麟」。古代中国では幸をもたらす聖獣だったとか。
明治末期設置のこの麒麟は、今年で御年97歳(しかも重文)。デモーニッシュな翼がかっこいい。


同じく日本橋にて伝統工芸展を観た後、メグ千鶴子さんといただいた まさかの「お子さまランチ」。
サンプルにはケチャップライスの中央に傘があったけど、お店の人が変に気遣ってか付いておらず。


日本橋中央通りにも秋の風が。いつもは人工的に植えられた花がただお行儀よく並んでいるだけの
退屈な花壇が、ぼうぼうたるエノコロ草(猫じゃらし草)に見事なまでに占拠されていた。
壮観。よほど秋らしい。


週末は一気に秋の気配が深まった。朝と夜の間に間に、またしても家にコモって原稿三昧。
ベランダ越しに染み込んでくる、あかい木漏れ日。ふと気づけば、暗くなるのが随分早くなった。

土曜は秋の空気が気持ちよくて、窓を少し開けて仕事していたところ
夜半にソファでうっかりうたた寝してしまい、ぞくぞくする寒さで目醒めた。

寒くなると、よくニキを懐に入れて天然湯たんぽにしていたな。。
これは仔猫時代のニキ。最初は抵抗するけど、しばらくすると気持ちよくなってくるのか
ごろごろいいながら、だぶだぶの古着カーディガンの懐にすっかり収まっていた(遠い目)。


これは件の『きつねと私の12か月』のワンシーン。巣穴で眠るきつね親子。

一緒にまるまりたいー
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映画TOKYO!感想メモ

2008-08-17 06:29:20 | Cinema
土曜から公開されている映画『TOKYO!』。先日その試写を観たので、独断と偏見による感想を。
私がこの映画に最初に魅かれた理由は、“東京”をお題にしたオムニバス映画であることと
レオス・カラックスの9年ぶりの新作がそこに含まれていたこと。

実際に観終わった後、いいイミで裏切られた気分に。
まあ 映画は予定調和ではなく、観客を裏切ってこそ。あくまでも持論ですが。

第一話の監督はミッシェル・ゴンドリー。彼の作品はビョークの『Human Behaviour』しか
知らないのだけど、日本人若手監督の作品といわれれば、すんなり納得しそうなテイスト。
キッチュでチープで寓話的。その実、恐ろしく繊細なお話。アンビバレントな感情が導く変身譚。
観ながら、ボリス・ヴィアンの『日々の泡』をなぜか思い出した。
『インテリア・デザイン』というシニカルなタイトルが、ボディーブローのように効いてくる。

第二話は、件のカラックス作品。その名も『メルド(隠語で糞)』。
東京に突如現れた謎の怪人メルドが銀座や渋谷を疾走して人々を恐怖に陥れ、
やがて捕えられ裁かれるという、まるで『ゴジラ』と『東京裁判』をシャッフルしたみたいな
超C級テイストの怪作。三池崇史が撮ったという方がしっくりするほど(?)
しかし何が謎って、ドニ・ラヴァン演じた怪人メルドの正体より、カラックスの狙いが謎。
深読みすると怖いことをいろいろ想像してしまう…。個人的には、この裏切り方 嫌いじゃないけど。

第三話は、ボン・ジュノ作品。韓国映画はキム・ギドクくらいしか知らず、まだ未開で恐縮ながら。。
これも、1作目同様、気鋭の日本人監督が撮ったといっても違和感がない。
静謐なSF漫画みたいなカメラアングルやカット割。無人の山手通りや世田谷の住宅街辺りを
引きこもりの主人公が漫ろ歩くシーンで、カメラは初めて“東京”を映し出す。

3作をざっくりくくってしまうと、3監督ともどこか穴ぐらのような東京をクローズアップしている。
まるでソフィア・コッポラへのアンチテーゼのように、メディア好みのお洒落な名所などほぼ皆無。
“クール”なトーキョーという通俗的な言説に対し、図らずもこの3監督は
いずれも東京をダークなファンタジーのカオスに沈めた。

東京に棲む人がこの映画を観るのと、パリやN.Y.やコロンビアやカンボジアやグルジアに棲む人が
この映画を観るのでは、意味合いが全然違う(映画観るどころじゃない国も多いかもだが…)

ちなみに、エンディング曲はHASYMO。あの3監督&HASYMOをセレクトした
2人の日本人プロデューサーのキュレーションセンス、興味深し。
The City of Light
HASYMO,Yukihiro Takahashi,Kyoko Amatatsu,Ryuichi Sakamoto
エイベックス・エンタテインメント

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↑YMOという奇跡が終わっていないことを再認識する悦びに浸れる1枚。


余談ながら、映画を観る時、その舞台となった都市で選ぶことがよくある。多くはローマと東京。
例えばグリーナウェイの『建築家の腹』が好きなのは、舞台となったローマの切りとり方に痺れるから。
東京を舞台にした映画では、私の知らない時代の風景が垣間見られる作品に俄然魅かれる。
黒澤明の『野良犬』しかり、『素晴らしき日曜日』しかり。
後者は焼け跡も生々しい新宿や上野、日比谷を漫ろ歩く恋人たちがたまらなくせつない。
素晴らしき日曜日<普及版>

東宝

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そういえば、カラックスが敬愛する成瀬巳喜男の描く東京もやるせない。。
父に昔もらった佐藤忠男の『映画の中の東京』によると、
成瀬は、ロケハンで徹底的に東京の路地裏を歩き廻ったのだとか。


先週は映画のような事件もなく、仕事もそこそこゆるめで平穏なお盆ウィークだった。
木曜、ミッドタウンのレストラン971でラウンジーなDJや演奏に耳を傾けつつ友人たちと夜話。


金曜、渋谷道玄坂裏の怪しく細い階段の途上にあるバー「あなぐま」で、ふくちゃんとゴハン。
マスターの怒話芸にカウンターで抱腹絶倒。しかし料理は天才技。これはグラタンが失敗したからと
シチューを添えてくれたのだけど、どちらも絶品。夏に熱い料理をふうふう食べるのって爽快。


週末は煌々たる十二夜、十三夜だった。

今日は満月。しかも月蝕とか? 雨曇予報、はずれたらいいな。
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映画「My Blueberry Nights」

2008-03-24 08:54:42 | Cinema
CDだけ一足先に聴いていた、ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の最新作
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を日曜に観てきた。カーウァイ初の英語作品にして、
本人も「デビュー作」と云うほど、隅々までみずみずしい。そして甘酸っぱい。

観た後はきっと、熱々ブルーベリーパイにバニラアイスを添えて食べたくなる(断言)。
アイスの滴りに胸きゅん

この映画は、“失恋からの立ち直り”といった取り上げられ方が目立つが、
単に失恋の痛手を癒すためだけの傷心ロードムービーでは決してなく
“遠回り”を主題に、幾つもの“喪失と再生の旅”を描いた映画、と思う。
カーウァイいわく、「2人を隔てる距離は見た目には僅かでも、時として彼らの心はひどく離れている。
そうした隔絶感を克服する道のりを描きたかった」と。

カーウァイ作品との出逢いは『欲望の翼』。その才能に驚き、『恋する惑星』でまさに恋に堕ち、
以後『楽園の瑕』、『 天使の涙』、『ブエノスアイレス』、『花様年華』、『2046』と、公開される度、
ジャンルや国境を軽々と超越し、映画史をさらりと塗り替える感性に いつも陶然とさせられてきた。
←『花様年華』より

過去の作品たちが微妙に角度を変え、時空を変えつつ、人物も物語も有機的につながっている
というのが、ウォン・カーウァイ ワールドの大きな特徴。
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』で旅に出るヒロイン ノラ・ジョーンズは、
『恋する惑星』でやはり旅に出るヒロイン フェイ・ウォンに重なるし(どちらも稀代の歌姫だし)、
カフェで待ち続けるジュード・ロウも、やはり『恋する惑星』の待つ男トニー・レオンに重なる。
そして、カフェという舞台装置も、クールな選曲も、カーウァイ映画にやはり不可欠な存在。

この作品では、「上質な楽器の音色のよう」と、カーウァイがタクシーのラジオで耳にして
ヒロインに抜擢した歌姫ノラ・ジョーンズの声ばかりが取りざたされる(実際とても心地よい)が、
ジュード・ロウのしなやかな滑舌のハスキーヴォイスも絶妙。
今公開されているケネス・ブラナー版『スルース』の試写を観たときも、そう感じた。
←リメイク版『スルース』
ジュード・ロウは『スルース』で、かつてマイケル・ケインが演じた愛人役を、
今度は夫役のマイケル・ケインを相手に見事に怪演していたが、その妖艶な声の演技には舌を巻いた。
ジュード・ロウは、そのアンドロイドめいた美貌も手伝って、エキセントリックな役が目立つが、
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』では、ひたすらピュアでチャーミング。
いつかカーウァイ映画でトニー・レオンと競演してくれたら大歓迎。万が一駄作でも無問題(笑)
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「アニー・リーボヴィッツ/レンズの向こうの人生」

2008-03-10 00:50:58 | Cinema
先月、試写を観た後すぐに書いておきたかったけど、慌しい波にさらわれ、
今さらながらの拙感想メモ。

ローリングストーン誌の表紙になった、暗殺直前の裸のレノン&ヨーコの写真から
ローリングストーンズのツアー・ドキュメントのレアショット、さらにハリウッドスターや
政治家、王族まで、ありとあらゆる時代の「顔」を大胆不敵に“斬り撮った”フォトグラファー、
アニー・リーボヴィッツのエネルギッシュなモンスターぶりがコラージュされた映画なのだが、
効果音としてありがちな「カシャカシャカシャッッッ」という軽快なシャッター音が、
アニーの辻斬りのような(笑)豪快な撮影スタイルとオーバーラップすると俄然心地よかった。
           
           Photographsⓒ2007 by Annie Leibovitz

実姉が監督のため、他者がモンスターにぐいぐい肉迫するというドキュメントではなく、
「姉さんて、こうなのよ。怪物でしょ。呆れちゃうわよまったく。まあ見てよ」みたいな
ほどよくあたたかな距離感があり、アニー自身のコメントもラフな親密トークながら深い。

今渦中のヒラリー・クリントンが作中で「彼女はアメリカの心を撮っている」とのたまっていたが
まさに、アニーの膨大な傑作ポートレートには、
“アメリカ”というモンスターの魂が濃密に宿っている。

セレブリティが(この言葉を私は仕事で要求される時以外は使わないことにしているが)、
消費社会のアイコンとして異様にもてはやされる昨今、アニーのレンズの向こうには、
裸の王様としてのセレブリティが、裸になることで再生する彼岸があるのかもしれない。

今週来週は、幾つか写真展を観に行くつもり。
レンズのこちら側と、あちら側。彼岸と此岸を行き交うあやうい眼差しと出逢うために。


☆☆☆ 本日のおやつコーナー for ニキ(ロンパールームか)。

前回、ニキのおやつをお預けにしていたけど、今日は、ニキの大好物のミルクを少々。
というか、カプチーノをつくるのにミルクを温めていたら
匂いを嗅ぎつけたニキがキッチンのテーブルに上って大興奮。
身体にはあまりよくないので…、ほんの少しだけおすそわけ。
無心。※当然、猫舌なので、さめてから一気飲み。

顎にミルクの白い雫をつけたまま、大満足の一声。「なぉおおんっっ」
思うに、お酒を飲み干したヒトの第一声に近いのかも。 「くーっ」みたいな。



しかし好物を与えるとすぐに味をしめ、部屋中すりすり着いてきてミルクを催促。
「ちょっと奥さん、もっとミルクよミルク」

※足元が妙に派手で失礼(笑)。姉から数年前にもらった
モロッコ土産のバブーシュで足だけ地中海。ああ、地中海行きたい。。

☆☆
本日、新月明け。日没後、西の空に一瞬上がった繊月を、ぐみの木越しにぱちり。
にこっと、スマイリームーン=^^=
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暗殺のオペラと軽蔑

2008-01-19 05:03:36 | Cinema
年明けノンストップ2週間の週末、一瞬、解放の兆しが。
「終わらない仕事はないから」と、よく同業者が自嘲気味に云うけど、まったくで。
本日、約束の原稿2本をメール入稿したのち、私的解放祭り(笑)。
仕事のためにお預けになっていたことを、ここぞとばかりに!

しかし、こういうときは、ひたすら心身が弛緩に向かっているので、
たとえ半眠りでも、次のカットも台詞もすべてそらんじられるくらい
慣れ親しんだ映画でも、ぼーーっと眺めるのがいちばん。

そんなわけで、本日の上映作は「暗殺のオペラ」と「軽蔑」。
ベルトルッチが「暗殺の森」を撮る1年前に創った傑作にして、私の私的映画ベスト3に入る作品。
暗殺の森」同様、ビットリオ・ストラーロの撮影が恐ろしく流麗かつ深遠。オペラも重要な要素。
そしてどちらの映画も、極めてざっくりいってしまうと
“父と息子、ファシズム、屈折した順応主義または英雄主義、裏切り”が主題になっている。

↑これは、父親そっくりの主人公が父の故郷を訪れ、父の愛人宅の中庭で午睡に耽るシーン。
「映画がこれほど深い眠りを描いたことがかつてあっただろうか」という蓮實重彦のコメントは
けだし名言。それは、ほんとうに、深く、昏く、限りなく死に近い眠りなのだ。

原作は、ボルヘスの暗喩的な哲学的コント集「伝奇集」の一篇「裏切り者と英雄のテーマ」。
わずか10頁ほどの短編なのだが、これまた濃く、深く、底知れない。
10年ほど前、南イタリアを旅した時、グロッタ・カステッラーナからアルベロベッロに戻る
単線列車をひたすら待ちわび、疲れ果て、羊の群れの鈴しか聴こえない無人駅で
ふうっと眠りにおちてしまった夕暮れ、「暗殺のオペラ」をふと思い出した。
映画では、列車は遂にやってこず、主人公は町に閉じ込められてしまうのだが…。

もう1本の「軽蔑」は、1963年のゴダール作品。
うちのリビングにも引っ越し当初から「軽蔑」の大型ポスターがなんとなく下がっている。

舞台はカプリ島にあるアダルベルト・リーベラが1930年代に手がけた名建築マラパルテ邸。
断崖に沿って超然と佇む邸宅には、コクトーやカミュなども集ったそう。
昔、カプリに行った時に探したけど、残念ながら見つけられなかった。

原作は、私が学生時代から敬愛するアルベルト・モラヴィアの「IL DISPREZZO」。
ちなみに「暗殺の森」の原作(「IL CONFORMISTA」)も、モラヴィア爺。
イタリアのブルジョアジーの退廃と憂愁を描かせたらぴか一の実存翁(たぶん)。
↓これはレイさんが古本屋でゲットしてプレゼントしてくれた、昭和40年のペーパーバック。

原作では妻役はエミリアなのだが、映画ではカミーユとフランス名に。
演じているのは、絶世期のブリジット・バルドー。パーフェクトに美しい。
原作ではラストに夫が“青の洞窟”で、自分を捨てた妻の妄想をみて愕然とするのだが、
映画では夫を捨てて愛人と去るバルドーが自動車事故で呆気なく死ぬ。
ヒロインをラストに頓死させるのはゴダールのおはこだから、これはこれでありかと(笑)。

映画の冒頭で、バルドーが夫(ミッシェル・ピコリ)に「私の鼻は好き?」「私のお尻は好き?」
…とコケティッシュに訊ね続ける印象的なシーンがあるが、
昨年、CHANELがこれをかなり忠実に再現したCMを放映していた。
CMで流れていたのは、映画の冒頭でも流れていたジョルジュ・ドルリューの「カミーユ」。
AIRの一昨年のコンピ「Late Night Tales」でも、この曲がセレクトされていたっけ。

2週間ぶりのオフ前夜、好きな映画と文学と音楽で、ゆるゆる至福の時間。。。
久々にマリア・カラスでも聴いてみよう。
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音楽無用? 映画『アース』

2007-12-27 06:57:06 | Cinema
来年1月12日から公開される映画『アース』の試写会に行ってきた。

今月は、『スルース』『つぐない』『胡同の理髪師』と来年公開映画の試写があれこれ。
先日はスカパー放映の6時間近いイタリア長編映画『輝ける青春』も観た。
どれもなかなかの見ごたえ。詳細レビューは、追々書いていきます。

「主演、地球 46億歳。」 というのが『アース』のキャッチ。
登場するのは、ホッキョク熊、アザラシ、カリブー、オオカミ、アフリカ象、ザトウ鯨、オシドリ、
ツル、チーター、ライオン、オオヤマネコ、アムールヒョウe.t.c  ヒトは一切登場しない。
5年の歳月をかけ、北極から北米の氷河、赤道直下の熱帯雨林、アフリカのサバンナ、
南極など、40名のカメラマンが地球の一瞬一瞬を命がけでとらえた
スペクタクルな大自然ドキュメンタリーだ。

この手のBBC制作ネイチャードキュメンタリーは、NHKなどでも時々放送しているけれど
大画面用に撮影された恐ろしくクリアで精緻な映像は、大きなスクリーンで観てこその大迫力。
広大な氷河や大瀑布も、鳥や動物たちのめくるめく群れも、移ろい行く四季の樹木の彩りも
リアルな自然そのものの造形ゆえ、CG依存のSFやアニメの比ではない。
俯瞰で追うオオカミとトナカイの非情な追跡劇や、暗視カメラがとらえた巨像とライオンたちの
昼と夜のかけひきなど、へたなサスペンスホラーより手に汗握る。

なかでも、弾道実験用に開発されたという2000分の1秒のハイスピードカメラがとらえた
チーターとカモシカのこどもの死走を、スローモーションで見せるサバンナのシーンは圧巻。
ゆっくりと転げていくカモシカのこどもを、背後からしなやかに抱きすくめ、もがく首筋にスーッと
口を寄せ、一瞬の迷いもなく喉笛に牙をたてるチーターの一切無駄のない洗練された動きは
乙女を魔手にかけるエレガントなドラキュラ伯爵のようにすら見えた。

残酷にみえるが、食物連鎖の世界にヒーロー映画のような勧善懲悪はない。
生きていくことは、残酷の集積の上に成り立っている。
血抜きされ、きれいにパックされた切り身の肉や魚を買って、家族の夕飯をこしらえる
母親たちを誰も残酷とはいわないけれど。

冒頭に登場する冬眠からさめたホッキョク熊の赤ちゃんは抱きしめたくなるほどかわいいけど、
最大の肉食獣である大人の雄のホッキョク熊は、セイウチの赤ちゃんを狙って、
かばう母親を襲う。でも逃げられて力尽き、やがて飢え死ぬ。温暖化で氷が融け、
従来の捕食活動ができなくなっているがゆえの歪みが、そこに縮図としてあらわれている。

ここに出てくる多くの動物たちは、餌を求め、水を求めて、みな旅している。
ある種の、地球ロードムービーともいえるが、この原型は数年前に話題になった仏映画
『WATARIDORI』(ジャック・ペラン監督)にあるのではないかという気がする。
この映画もCG一切なしで世界中の渡り鳥たちの生態を克明に描き出しており、
そのリアルな鳥瞰アングルには眼を見張った。

が、この2つの映画の決定的な違いは、音響のセンス。
『WATARIDORI』はロバート・ワイアットやニック・ケイブなどの曲を効果的に用いていたが、
『アース』はベルリン・フィルの壮大な交響曲が、のべつまくなしベタベタに流れる。
また、たとえば鳥たちの羽音やライオンの群れの唸りなどは非常にリアルだったが、
ホオジロ鮫やザトウ鯨などの海中シーンに、ハリウッドのアクション映画ばりの
派手な効果音は無用だと感じた。水中はそもそも音のない静寂の世界のはず。
子供向け映画の側面もあるので、ナレーションを否定はしないが、
なくても全然構わない。試しに耳を塞いでみたら、一段と映像が際立ってみえた。

音楽もナレーションも一切カットし、生音だけでみせるという選択肢もあったはず。
音楽も、坂本龍一氏とかに頼めば、もっと映像を邪魔しないものになったのでは、という気も。。
もし、お正月明けに観にいくひとは、耳栓を持っていく、というのもおすすめ。


「もちもーち、こちら地球星」©シロ <『アース』のキャッチに推薦。
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アメリカ VS ジョン・レノン

2007-11-29 23:55:07 | Cinema
歳末に向けて、微妙にぱたぱたした日々で、少々更新が遅れてしまったが。
今週、神保町で『PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン』の試写を観た。

古巣の神保町を久しぶりにぶらぶらしてから試写に臨む予定が、
電話攻勢で出遅れ、試写にも危うく遅れそうに。でも、遅れるわけにはいかなかった。

なにしろ、“アメリカ VS ジョン・レノン”である。副題だけで もう必見。

余談ながら、1980年代に『ジョン・レノン対火星人』という小説が話題になった。
『さようなら、ギャングたち』に先んずる高橋源一郎の幻のデビュー作『すばらしい日本の戦争』を
書き直したという、暗喩的な記号がてんこ盛りの迷作だった。
ただし、小説にジョン・レノンは出てこなかった、はず(20年以上前の記憶なので怪しいが)。

本題。『PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン』は、ネーミングのはったりではなく
文字通り、レノンとアメリカの苛烈なガチンコ対決が主題となっている。
世界平和を切望するいっかいのミュージシャン VS 世界一の巨大な国家権力、というと
あたかも天使VS悪魔的な二項対立みたいだが、
ジョン・レノンは決してことさらに神格化されて描かれてはおらず、
瞳孔を見開いて辛辣に憤ったり、やんちゃでかたくなでお茶目でおろかで夢想的な
子供のような面をたくさん見せている。

ビートルズ全盛期に「ビートルズはイエス・キリストより人気がある」と発言して
アメリカのラジオ局でビートルズが放送禁止になったことや、米国のベトナム侵攻を批判したことで、
60年代後半のカウンターカルチャーのアイコンと化していったジョン・レノン。

ベトナム戦争はもとより、世界の貧困や暴力、人種差別に抗うため、
1969年、ジョンとヨーコはパパラッチが群がるハネムーン先のアムステルダムのホテルで
「戦争をする代わりにベッドで過そう 髪を伸ばそう 平和になるまで」と、
ベッドでの取材パフォーマンスを敢行。それは、彼らの一挙一動にメディアがたかるのを逆手に、
「HAIR PEACE BED PEACE」という彼らの切実なメッセージを世界に伝播させる手段としての
確信犯的なメッセージ広告であり、大胆不敵なメッセージアートでもあった。

こうしたパフォーマンスが若者の反戦パワーを鼓舞し、大きなムーブメントとなっていったことに、
当時のニクソン政権は脅威を感じ、ジョン・レノン夫妻へのFBIの盗聴や監視が始まった。
米国移民局からも国外退去を迫られるなど、その理不尽な国家権力の迫害に対し
口角泡を飛ばし機関銃のように意見をまくしたて 断固闘うレノンと、常に傍らで見守るヨーコ。

「I Don’t Want To Be a Solder」「Imagine」「New York City」といったレノンの
メッセージソングをバックに、当時のニュースフィルムや、関係者の貴重なコメントを歯切れよく
つなぎながら、非常にスリリングで濃密なドキュメンタリーが展開する。

私がジョン・レノンの存在を知ったのは小学4年生の時。
既に解散していたBeatlesの「Let It Be」をTVでたまたま聴いてはまったのが、きっかけ。
しかし当時、レノンの「Imagine」だけはどうにも好きになれずにいた。
子供心に、他のBeatlesの曲よりなにか妙に異質に聴こえたのだ。

1980年12月8日、レノンが凶弾に倒れた日のことは、いまも鮮明に覚えている。
寒い朝だった。トップニュースで報じられていたので、学校でもその話題で持ちきりだった。
が、私はその頃YMOに夢中で、レノンの政治的な闘いについてはまるで無頓着だった。
だから、死を悼むというより、スーパースターでも呆気なく射殺されてしまう
アメリカの銃社会への恐怖の方が先立った。それでも、ローティーンの小娘だった私は
アメリカは自由の国だと盲信していた。

それから約10年後。或る日、私はむしょうに「Imagine」が聴きたくなり、初めてCDを買った。
9.11の直後、「Imagine」がアメリカで放送禁止になった時、
甘い旋律で、夢想的に語られるこの曲が持つ 底知れない怖さを逆説的に思い知った。
絶対的に君臨する既成概念を破壊する“想像力”というパワー。
反戦ソングと決め付けるのは想像力をちゃんと使ってないことのまさに現れだと思うが。。

この映画に全面協力したというオノ・ヨーコは云う。
「彼ら(米国)はジョンを殺せなかった。だって彼のメッセージは生きていますから」
大学時代の友人の母親が彼女と同姓同名だった…という余談はさておき、
この発言が示す極めてシンプルな事実に、
おっきなくにの えらいえらいひとたちは もっと早く気付くべきだったのにね。
その口さえ封じれば、その音楽さえ流さなければ 思い通りになるってものではないということに。

BGM: Strawberry Fields Forever/The Beatles
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