goo

早春トリップ 軽井沢

2010-02-26 03:03:25 | Travel 国内外猫の目紀行

零度の空気。迷走をのみこむ青空。
冬木立の向こうの半月が「サイレントにゃあ」のかたちをしていた。


先週末、ユミさん&セイジさんちで、いつものユニークなメンバーと春の宴を夜遅くまで楽しんだ翌朝、
珍しく早起きして高速バスで一路、「STUDIO TORICO」のキムリエさん&キムナオさんが棲む
軽井沢へ。(トリコは昨秋、麻布十番から軽井沢にお引越ししました)


ふたりの新居は木立の中にある心地よいおうち。
広いデッキテラスに掛かっているキムナオさんの写真が目印。
テーブルやカウンター、戸棚などなど、どれもキムナオさんの手作り。とても温かな仕様。
大きな硝子ベースにキムリエさんが近所で拾ってきたという いろんな小枝たちがいた。


お昼はキムナオさんの快適なキャンピングカーで小諸へ。ランチは当然、小諸蕎麦。
懐古園前のお蕎麦やさんに近所の猫さんが遊びにきていた。にゃあにゃあ語でご挨拶。
食後はキムリエさんおすすめの「べにや喫茶」で珈琲タイム。
久しぶりにいろんなことを差し向かいで話した。冬の陽だまりのような心ゆるむ時間。



昼下がり、ふたりの案内で、小諸駅方面へてくてく。
融けかけた雪の中にドライフラワーになった紫陽花(?)が。なんだか草月流の作品みたい。



旧い町並みが残る北国街道小諸宿に出ると、無数の雛人形や吊るし雛を
道沿いの商家に飾ったイベント「お人形さんめぐり」(2/20~3/7)の真っ最中だった。
江戸時代からある享保雛も間近に拝めた。お人形たちもなんだか喜んでいるように見えた。



明治や大正の趣ある佇まいをそのまま残した建物が多く、独特の陰影が美しい。
掘出し物が眠っていそうな骨董店も、元は和洋折衷様式の銀行だったのだとか(一番下の写真)。






小諸から追分の古本屋さん「追分コロニー」に寄り道。なかなか掘出し物多し。
町の方々で見かける薪の山に近寄ると、清浄な木の香りがした。



そんな中、ひょんな話からあさま山荘事件の現場が改築されつつ現存しているという話題になり
酔狂にも見に行くことに。。。'70年代当時に別荘地として開拓されたそのニュータウンエリアには、
うねうねした山道のえぐれた谷間に沿うように 保養所や別荘が点々と佇んでいた。
しかしオフシーズンで人けもなく、ちょっとしたゴーストタウンだった。「シャイニング」っぽくもあり。。

アイスバーンになった山道の傾斜はかなり激しく、みんなで滑らないよう慎重に歩を進めていく。。
結局、旧あさま山荘は特定できなかったけど、類似した建物も多々。。
奇しくも2月末といえばまさに事件と同時期。その凍るような空気感に背筋がぞぞっとした。

実際、軽井沢は日が落ちてくると、昼間とはうってかわって恐ろしく寒かった。

キムリエさん&キムナオさんちに帰り、薪ストーブと石油ストーブであったまりながら
美味しいお鍋&赤ワイン。ふたりの心づくしに何よりほこほこあったまる。
スクリーンにはフェリーニの「道」。でも肝心のラストシーンがぶちっと切れてた!!(笑)


それにしても薪が燃える匂いや、煌々とゆらめく焔、時折りぱちんと薪が鳴る瞬間というのは
不思議なほど快い。ふと、むかし取材でモンゴルのゲルに泊まった時のことを思い出した。


あまりに楽しくて夜更かししてしまったせいで、翌朝はすっかり朝寝坊。
うす曇りの木立の向こうに、月のように白い朝の太陽が覗いていた。



朝食後、敷地内にせせらぎが流れる星野エリアの温泉へ。
入口付近でぽつんと寒そうにしていた雪だるまも入れてあげたいほど(?) いいお湯だった。



24時間余りの滞在だったけど、まさに命の洗濯。
ここ一カ月ほど迷走していた心が木立にとけていった。
キムリエさん キムナオさん、ありがとう!
 帰りのバスの車窓より。



高速バスの降車地はなぜか下落合。池袋駅は大きすぎて苦手なのでこちらを選んだのだけど
むかしよく訪れた懐かしい場所でもあり、ちょっとめくるめいた。

軽井沢から帰ってきてから、随分あたたかくなったが
自分の中でも何かがやんわり変った。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

如月猫、冬季五輪

2010-02-18 02:15:49 | Cat 猫族の甘い生活

また都心に雪予報。寒いのは苦手ゆえ、取材や打ち合わせ以外はひたすら家で冬猫状態。
窓から見えるにび色の空がいかにも冷え冷えとしているので
部屋のあちこちにオリーブの枝とポピーを飾った。


そんな中、昨日は午後からずっと外で取材。昼過ぎ、日比谷で女優さんのインタビュー。
木枯らし吹く中、春の装いで撮影中も凛としていたプロ魂に恐れ入る。

夜の取材まで随分間があったので、日比谷公園にぶらり。この寒さの中、野良猫たちは
どうしているかなぁと心の字池辺りを漫ろ歩いていたら、足下に何かふわっと触れた。
にゃあ

茶とらくんが私のブーツに頭すりすり。撫でてあげると、ますます すりすり。
被毛の表面は冷たいけれど、その奥の身体はふっかりあったかい。

ふと気づくと、もう一匹 茶とらくんが登場。この子は鈴のついた首輪をつけていて
さらに人懐こい。額と額がくっつかんばかりに近づいても目を細めてふがふがしている。



暖をとりにきた猫でしばし暖をとる私。頭上のカラスも寒そうに身体を膨らませていた。
首輪の子は私の大きなトートバッグに入ろうと何度も何度もバッグに挑んでいた。
そういえば、故ニキも時々このバッグをクッション代わりにしてもたれていたなぁ。。



日比谷公園を後に、後日取材予定の丸の内仲通をてくてく歩き、
通り沿いの「丸の内カフェ」にて読書休憩。
このカフェは図書館のラウンジみたいで時間を忘れる。

カフェの入口には、カウパレードの名残りの牛くんたちが。


夕刻、新丸ビルの「四川豆花飯荘」にて食育イベントの取材。
同じビルの仏料理店「サンス・エ・サヴール」シェフとのコラボレーション料理、奥が深い。。
ちょうどチャイニーズニューイヤー期間だったので、茶芸師のパフォーマンスも目の当たりに。
1m以上ある注ぎ口からアクロバティックな動作で器用に湯を注ぐさまは
日本のミニマムなわびさびとは真逆の世界観。



実はつい先日も、丸の内に出没しており、ブリックスクエアに今春OPENする
三菱一号館美術館にて打ち合わせ。1894年にコンドルが設計したオリジナルを復元した建物、
なんちゃってレトロ洋館とはやはり違う。必見です。




週末、バレンタインデー前日

バンクーバーオリンピックが開幕した。

前回のトリノ五輪開会式のイタリア的演出があまりに私のツボだったのと、
徹頭徹尾ど派手だった北京五輪が未だ脳裏に鮮明に残っているせいか、
今回はほどよく肩の力の抜けた淡白な演出だったように感じた。
ハイチの選手は参加していなかったが、ハイチ出身というカナダ初の黒人総督が、
挨拶でハイチ地震の被害者にも思いを寄せたコメントをしていたのが印象的だった。



翌14日は新月だったが、会場には麗しい満月が。


ごく幼いときからオリンピックは大好きなのだが、とくに冬季五輪は
白い氷雪の中で躍動するアスリートたちの滑走感がたまらなく快い。


どの国が何個メダルを獲ったかにはあまり興味がない。
ただ、ぎりぎりまで鍛え抜かれたアスリートたちの、ひょっとすると神の領域かもしれない
極限を超えたパフォーマンスを目の当たりにすると、心底ぞくぞくする。

昨日はそんなオーラふんぷんたるこのひとに目が釘付けだった。


エフゲニー・プルシェンコ。かなり少年時代から凄い天才であることは一目瞭然だったけど
こんな異次元のいきものになるとは。眼差しが、標的を定めた猫のそれ。迷いがない。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

Romantic Forever!内藤ルネ「かわいい」の源流

2010-02-10 03:10:15 | Art

ラヴもロマンティックも フォーエヴァーです。もう 臆面もなく。
予告通り、先週末行った内藤ルネ展「“ロマンティック”よ、永遠に」@大丸ミュージアムのお話。


中原淳一に心酔し、19歳のとき彼に招かれて上京し、「それいゆ」や「ジュニアそれいゆ」で
華々しく活躍した昭和7年生れ(私の父より1つ上)の内藤ルネ。本名は功。いさおさん。
ルネとは、憧れの映画監督ルネ・クレマンにちなんだペンネーム。

↑1959年

彼をいまだ女性と思っているファンもいるのだそう。確かに晩年の彼のポートレートは、
お婆さま以外のなにものでもない。しかも全身からラヴを発している老淑女にして、永遠のガールな。
アートの世界でゲイは珍しくないが、彼もトランスジェンダーな表現者のひとりだった。

↑ジュニアそれいゆ表紙1960年


会場には、ルネが「それいゆ」などで提案した手芸も再現されており、
そのかわいさにかなり萌えた(笑) 彼の作品に度々登場する黒猫モチーフも萌えポイント。
しかし、、彼の描く男子の髪型の多くは あろうことか角刈りやリーゼントや短髪系で、
長めの前髪が額にはらり系が好きな私としては残念ながらスルー。

左:それいゆ 1955年/右:それいゆ ジャズムードのれん 1958年


ルネは「私の部屋」や「服装」といった女性誌ではインテリアコラムも連載。
白塗りにした医療戸棚を流行らせるなど、’60年代 白い家具ブームの火付けとなった。
彼がデザインしたテーブルウエアの原型はヨーロピアンなものだが、
どこかファンシーになるのがルネ風。

1966年 ↑あ、これ、草間彌生作品じゃないので、念のため。。


ルネが「それいゆ」や「ジュニアそれいゆ」で活躍していた時代はさすがにリアルタイムでは
知らないけれど、'70年代のルネには馴染みがある。このパンダ貯金箱、確か姉が持ってた。
でも実はこのパンダキャラ、'70年代に日中国交回復でパンダブームが来る前に考案していたよう!

商品化される前の原画(右)にも、ファンタスティックな人柄がにじみ出ている。。。


でもって、このシール!! これは幼児期に姉におねだりしてもらった覚えが…。
'70年代少女だったひと、絶対これ持ってたでしょ?壁とかに貼ってお母さんに怒られてたでしょ?



そんなファンシーグッズで一世風靡する一方、こんなアンリ・ルソーの画のような、或いは
澁澤龍彦んちに飾ってある金子國義の画のような世界観の幻想絵画や絵本も手がけていたルネ。
1973年


図録も充実内容でした。裏はトレードマークの黒猫さん。


図録に収録されていた精神科医 香山リカ氏の文章(ルネ没後直後の2007年の朝日新聞記事)に
私の言いたいことが集約されているので、少々長くなるけれど、下記に要約引用します。

〈'50年代~'70年代のルネブームと最近のブームとでは、その意味合いがかなり違ってくる。
最初のルネブームのとき、日本の少女たちは自分の価値が「美しく、しとやか」ではなく、
「かわいく、元気」であることに気づいたが、あくまで本人たちの間だけにとどまっていた。
しかし今、未成熟で自由で元気な少女たちを描いたその作品世界は改めてアートや文化として
解釈されようとしている。’80年代半ば以降の日本を特徴づける「カワイイ文化」の
原形がここにあると考えられている。~中略~「カワイイ」には、成熟や責任を回避するという
マイナスの側面もあると同時に既成の価値観やヒエラルキーを無視して同じ土俵で「カワイイ/
カワイクナイ」という単一基準で格付けしようとするという 破壊的な力も秘められている〉

同じく図録に掲載されていた美術評論家・椹木野依氏の文章も
21世紀における内藤ルネの価値をもっとも簡潔に明言していると思うので、下記に引用します。

〈少女ポップにおいて戦前と戦後を、美術からサブカルチャーへ、サブカルチャーから
ネオポップへと円環させる回路を開いたのは、ほかでもない内藤ルネである。〉


たぶん、ルネの全盛期はまだ、「カワイイ」がイノセントだったのだ。
海外のブティックの店員までもが「カワイイネ」とカタコト日本語を操るようになるずっと前のこと。。



ルネ展の後、同じ大丸東京店の10アートギャラリーで、新進気鋭の画家 渡邉貴裕の
花札をテーマにした日本画展を開催していた。ローマと東京を拠点に活躍する彼の作品は、
卑俗なオリエンタリズムとは一線を画すパワーとエレガントさがある思った。


ルネ展も渡邉貴裕展も、今週で既に終了。あしからずです。。



ルネ展に行く前に、渋谷の喫茶店ParisにてNODE編集部の宮崎さんと打ち合わせ。
北風吹きすさぶ窓辺に並んだシクラメンやテーブルの上のカランコエの生真面目さが愛しい。



これは先日、目黒駅のお花やさんの軒先で見つけた生ガーベラ図鑑。
スリラー、ギャラクシー、スタスキー、ヌーベルヴァーグ、ミッドナイト、サガ、ウィズアウト・ユー…
ガーベラって、こんなにいろんなキャラがいたのね。



先月のニキの月命日に飾っていた薔薇が、とうとうこんなドライフラワーになった。
でもこれはこれで うつくしい。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

医学と芸術展、 木村伊兵衛とブレッソン展

2010-02-08 06:21:06 | Art

昨日はすごい突風が吹いていた。いろんな思いがびゅんびゅん飛んでいく。
自分ごと飛ばされないようにしないと。

先週はシゴト的には、ほっと一息だったので比較的ゆるゆる過ごした。
日曜はオーリエさんと幾つかの企画展を見て回った。
まずは「ミナ ペルホネン と トラフの新作/習作」@クラスカのギャラリー&ショップ ドー。



ファブリックはもちろん、リンゴみたいなコネクティングシェルフや、
温かな手触りのテーブルウエアまで、ミナの世界観そのままのインテリアがとても心地よかった。
ちなみに、クラスカの2Fはトップ写真のようにスカーンと何もないスタジオになっていた。
なんにもない空間というのは、実は奇妙なほど雄弁。勝手にいろんな思いがフラッシュバック。


クラスカを出て、今度は六本木の「G tokyo 2010」@森アーツセンターギャラリーへ。
アイコンになっていたのは、杉本博司《放電場128》ギャラリー小柳


東京の先鋭的な15のギャラリーが一堂に会すアートフェアゆえ、日本の現代アートの今をさくっと
俯瞰できて便利なのだが、各々まったく異質の尖り方をしているので、一気に見ると
ビュッフェ料理をてんこ盛りにして食べてしまったみたいに、少々胃もたれする。
個人的に印象に残ったのは、先述の杉本博司、タカ・イシイギャラリーの畠山直哉、
アラタニウラノの横山裕一でした。昨夏見た越後妻有トリエンナーレの「FUKUTAKE HOUSE」
(廃校になった学校の各教室がアジアの先鋭ギャラリーになっている)をちょっと思い出した。


せっかくなので、さらにその上にある森美術館で開催中(~2/28)の
「医学と芸術展 生命の愛と未来を探る」にも足をのばした。

もっとも身近かつ未知な身体を、〈医学と芸術〉〈科学と美〉という切り口で問いかけた
森美術館らしい野心的な企画展で、3部構成の第1部「身体の発見」では、
芸用解剖学の先駆的なダ・ヴィンチ(中央:頭蓋骨の習作15c)も、
円山応挙(右:波状白骨坐禅図18c)も、ウォーホールの描いた《心臓》も並列で見せていた。大胆!


第2部「病と死と闘い」では、アート作品と見まごうような奇天烈な医療装置や器具に並んで、
デミアン・ハーストや やなぎみわの作品が展示されていた。これまた独自解釈で大胆不敵。



ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」2003-2005(↑)は
ホスピス患者の許可を得て、亡くなる直前の顔と亡くなった直後の顔を左右に並べた写真作品。
眠るような死顔のリアリズムに、しばしその場を動くことができなかった。
さらに、頭蓋骨を擦って描いたというフィリピン人作家の作品は、視覚より何よりその骨の匂いが
辺りに充満していて絶句した。凄絶な「メメント・モリ(死を想え)」。


第3部「永遠の生と愛に向かって」は(「未来館」の企画展みたいなネーミングかも?)は、
デカルトからF.ベーコン、ヤン・ファーブルなどなどが時空を超えて蒐集されており、
あまりにジャンルも解釈も超越的で面食らったが、全体的には非常に興味深かった。

最後の最後に、この企画展に多大な医学資料や美術作品を提供した英国のウエルカム財団の
コレクションを使って、あのクエイ・ブラザーズ(!)が作成した短編「ファントム・ミュージアム」
を上映していて、個人的にすごくうけた。


この作品は大好きなDVD「QUEY BROTHERS SHORT FILM COLLECTION」にも
収録されているのだけど、よもやあのマニアックな迷宮的映像と
ここで再会するとは ゆめゆめ思わなかった。


帰りに、マドラウンジでオーリエさんとゴハン。
ここのところ、彼女と深遠な会話をする機会が多い。

月はどっちに?


2月2日の朝、東京にほんのり雪がトッピングされたが、
翌日には全部消えてしまった。




日曜、「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン――東洋と西洋のまなざし」@写美の
最終日に滑り込み。2007年に竹橋の近代美術館でブレッソン展を見た時も最終日目前で
大混雑だったが、今回もかなりの混みようだった。でも彼らの写真と対峙していると
スーッとその世界に入り込んでしまうので、意外と気にならなかった。


木村伊兵衛(左:ブレッソン撮影)も、ブレッソン(右:木村伊兵衛撮影)も
非常に共通点が多いが、通常は見られないフィルムのベタ焼きも含め
あらためてふたりの作品とじっくり向き合ううちに、ふたりの足音が聞こえてきた。

伊兵衛の足音は「たたた、つつつ」、ブレッソンの足音は「ひたひたひた」。
木村伊兵衛の視点は、軽快な黒子を思わせ、
ブレッソンの視点は、流麗な透明人間のよう。


(左:浅草1953年/右:江東界隈 1953年 木村伊兵衛)



(上:セビーリャ、スペイン 1933年/下:イエール、フランス 1932年  ブレッソン)

伊兵衛の空間はブレッソンに比べると、快いゆるさがある。
ブレッソンの構図は伊兵衛に比べると、より絵画的な快さがある。
過去の写真展や写真集などで見知っている作品も多いのだが、
それでも、何度見ても、彼らの写真からは 写真の根源的な快さを感じる。


実は、恵比寿の写美に行く前日、
内藤ルネの「“ロマンティック”よ、永遠に」(~2/8)にも足を運んでいました。
この話は 次回に。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

NO MNA'S LAND 創造と破壊@旧仏大使館

2010-02-02 00:57:56 | Art
窓外に雪が舞っている。明朝、東京は白く浄化、あるいは白く糊塗されているのだろう。
ゆきぐにうまれゆえ雪に驚きはないけれど、東京が白く染まる風景にはやはり心ゆれる。
ただ、雪雲の奥にある満月に、今夜は逢えない。


今日は予告通り、先週末行った「NO NAN'S LAND」創造と破壊@旧フランス大使館の話を。
これはフランス大使館の建替え移転に伴い、1957年にジョゼフ・ベルモンが設計した旧庁舎を
内外のアーティストに全館隈なく開放したアヴァンギャルドなアート企画展。


作品数は(作品と呼べるか否かのキワモノも含め)実に膨大で、
3時間以上かけてじっくり周ったけど、果たして全部見られたのか否かは判らない。


まあ、あだこだ言うより、写真をざっと並べたほうが一目瞭然かと。
(個々の作品やディテールを語ってもあまりイミがないような気がしたので、
あえて作家名や作品名は挙げないことにしました)


天才も秀才も凡才も玉石混交。個々の作家や作品云々ではなく、
主役はあくまで取り壊し寸前の旧フランス大使館。既に廃虚化した空間は
時に先鋭的なギャラリーのようであり、時にサイコ映画の舞台のようでもあり、
まさに創造と破壊の獰猛なせめぎあい状態だった。
キモは各アーティスト(或いはその卵たち)が、この〈時空〉をどう解釈したか。


もちろんトイレ(中央)も例外なくキャンバスになっていた。
見学に来ていた女子高生も なんだかマイクロポップの作品のように見えてしまい。。



階段の一角に、ニキのふわふわ尻尾をデフォルメしたみたいな黒いファーの尻尾オブジェ(右)が
電動でぐるぐるぶんぶんうねっていて、極私的にちょっと萌えた(笑)



観客が思いつくままにフランスのイメージを書いた紙片が壁にびっしり貼られた「日本フランス屋」
という部屋があり、あるいみ最もイージーな手法なのかもしれないけど、シンプルに面白かった。

個人的には、おフランスといえば〈シニフィエー〉かな('80sなひとだなぁ..笑)

創造と破壊は2/18までです。ぜひ。
それじゃ、ボン ニュイー。


雪の夜、ひとひらの甘い夢を。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )