goo

夏至生まれの仔猫たち

2011-08-01 04:23:15 | Cat 猫族の甘い生活


7月と8月をまたぐ静かな新月の夜、二週間ばかり前のパーフェクトな満月の残像を探す。
半月ほど前に見た江の島の昏い海は、まるで大きな魚の胎内のようだった。

今日から8月。ぐらぐら容赦なく揺れた、あの凍えるような日々から4か月あまり。
喪失と再生の途上で、ほんのちいさなちいさないのちが、密やかに生まれ育っていた。

きゅーん
この仔は、夏至の朝、腰越の友人宅で生まれた。
名前は、まだない。性別も、まだ判らない。
うっすらと“まろ眉”があるので、さしあたり「暫定まろこ」と呼んでいる。
名前は思案中だけど、「まろこ」は間違いなくこの子のあだ名になりそう(いいのか?!)
この「暫定まろこ」を、8月末頃に拙宅に連れてくる予定。
これは、自分でも驚く決断。


――遡ること夏至の夜明け、なんとなく空の写真が撮りたくなって外に出た。

東からカーテンを捲るようにみるみる明けていく朝焼け。南天には眠たげな猫の瞳のような半月。
その瞳と目があった瞬間、妙にわくわくした。何か不思議に快い胸騒ぎ。



朝方に眠り、昼ごろに目覚めてメールチェックすると、
腰越の友人から「仔猫が生まれた!」という速報メールが。

生まれたのは、黒茶シマリス柄1匹、白1匹、グレイ縞3匹の、計5にゃんこ。
母猫は純白の可憐な「しろい」さん。これは生後5日目にいそいそ撮影に行ったときの聖母子の図。


誰にも教わっていないのに本能的におっぱいをあげる母猫と
まだ目も開かないのに無心にしぱしぱおっぱいを吸う、生命力の化身のような仔猫たち。
儚くもしたたかな生きものの営みに、うっとり見惚れずにはいられなかった。

2週間目に友人宅を再訪した時にはみな目も開き、驚くべきスピードで成長していた。
母猫しろいさんに遠慮しながら、フラッシュをたかずにそっと里親さん募集ショットを撮影。
ついでに、美少女しろいさんの雪隠ショットもパパラッチ。失礼!(右)



友人はしろいさんの里親になってまだ日が浅く、
5月末に引き取って間もなく、お腹に仔猫がいることが発覚した。
でも友人夫婦は出張取材が多いため、多頭飼いは難しい。
かといって野良猫として野に放つのも忍びない、とひどく悩んでいた。

その時点では、どんな猫が 何匹生まれるのかさえわからなかったけれど、
困り果てた様子の友人と電話しながら、とっさに「1匹は私が引き取るよ」と口走っていた。
残りの仔も愛猫家の友人たちに協力してもらって里親を探すから…などと
あたふたやりとりしていたさなか、しろいさんは んなのは取り越し苦労とばかりに
おっとり顔で、たまのような5匹の仔猫を産み落とした。


情深い友人たちのお蔭で、懸案だった里親さん候補も続々現れ、
7月末に5匹全員の受け入れ先が決まった。私もその里親の一人だけど、
わくわく心ときめく一方、生きものの命を受け入れる重みをひしひしと感じずにはいられない。

かつて、ニキと暮らすと決めたときもそうだった。
3年前、腕の中でニキの心臓が止まったとき
あの日預かったいのちのおもさを全身全霊で感じた。


ニキ(↓)が星になって3年余り。その間、何度も仔猫を紹介されたけれど、
17年近く一緒に暮らしたニキの存在がまだ大きすぎて、お断りし続けてきた。
なのに、今回は、暫定まろこが生まれる前から、一緒に暮らすことを迷わなかった。
未だ白猫とも黒猫ともわからなかったのに、
なぜかうちに来るその仔は、きっと白猫なのだろうと思っていた。

じつは生前のニキには よく「生まれ変わってくるなら今度は白猫ね」と、云い聞かせていた。
あれは半ば冗談で、半ば本気だった。ニキはいつも神妙な顔でそれを聞いていた。
在りし日のニキ



腰越の友人宅に猫を見に行った折、遊びに来たご近所のお子さまと一緒に
友人宅の近所で蛍がほわほわ舞う姿を見た。言葉にならない声で驚嘆するお子さま。
ヒトもネコも、子どもって柔らかくて熱くて、エネルギーのかたまりだね。


猫たちの眠る部屋の隣で一泊させていただいた翌朝、友人夫婦と一緒に葉山辺りをドライブ。
あいにく曇っていたが、海の家をトンカン作る音が響く中、
夥しい数のサーファーが波間に浮かんでいた。

その数日後、お世話になっているディレクターさんのライブに伺った際
クライアントさんのおしゃまな息子さん(右)がきゃふきゃふはねまわっていたのでパチリ。
子どもってやっぱり、無尽蔵の熱いエネルギーのかたまりだなあ。


・・・
七夕は過ぎたけど、旧暦の七夕は8月。これは代々木公園でたまたま目についた短冊。
その昔、どこかの神社で「絶世の美女になれますように」という絵馬を見たことがあるけど、
それ以来のインパクト。ちょっとぐらい変顔でも味わいがあっていいのに。



・・・
7月半ば、久々にお逢いする素敵なマダム千鶴子さんのお誘いで
六本木の泉ガーデンタワー高層階にあるオフィス設計ホールのピアノトリオコンサートへ。
都心のパノラマを借景に、ドビュッシーやフォーレのピアノ三重奏曲に身を委ねていると
α波が出まくって温泉にでも浸かっているように心地よかった。
震災後に初めて会う千鶴子さんから、当日の壮絶なエピソードを伺い、
その彼女と昼下がりの静かなカフェで、なにごともなかったかのように
共有する平穏な夏の午後。それは、決して当たり前の時間ではないのだと思った。



・・・
薄紫色の昼顔が、今年もベランダジャングルにて開花。
一見儚げだけど、例年、山手通りに向かって、灼熱の真夏から北風舞う晩秋まで、
じつにしたたかに咲き続ける。グリーンカーテンにもぴったり。
でも凄い勢いでぼうぼう繁茂するので、うっかりするとお化け屋敷化する。

でも、ぼうぼうの葉っぱ越しに染み込んでくる夏の木漏れ陽が、私は大好き。

うちのはす向かいにはミラーウォールのビルがあるので、東側の窓からは、朝陽だけでなく、
夕陽もビルの窓に反射して、ベランだジャングル越しにきらきら射し込んでくる。
この前、その夕陽の長いビームがスーッと部屋に入って来たなと思ったら、
一角にかけてあった白いリネンのワンピースに、光の十字架を浮かび上がらせた。

そういえば、この夏は、ピーター・フォークに原田芳雄にレイ・ハラカミに小松左京に、
そして敬愛するアゴタ・クリストフの訃報が相次いだ。。
この「ルナスービトの悪童日記」も、もちろんアゴタ・クリストフの傑作
『悪童日記』へのオマージュ。彼女の作品をまた読み返してみよう。


逝くいのちと、生まれるいのち。どちらも愛しく。
うちにもあと1か月ほどで、生まれたばかりのちいさな白い“悪童”がやって来る。
goo | コメント ( 3 ) | トラックバック ( 0 )