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夏至生まれの仔猫たち

2011-08-01 04:23:15 | Cat 猫族の甘い生活


7月と8月をまたぐ静かな新月の夜、二週間ばかり前のパーフェクトな満月の残像を探す。
半月ほど前に見た江の島の昏い海は、まるで大きな魚の胎内のようだった。

今日から8月。ぐらぐら容赦なく揺れた、あの凍えるような日々から4か月あまり。
喪失と再生の途上で、ほんのちいさなちいさないのちが、密やかに生まれ育っていた。

きゅーん
この仔は、夏至の朝、腰越の友人宅で生まれた。
名前は、まだない。性別も、まだ判らない。
うっすらと“まろ眉”があるので、さしあたり「暫定まろこ」と呼んでいる。
名前は思案中だけど、「まろこ」は間違いなくこの子のあだ名になりそう(いいのか?!)
この「暫定まろこ」を、8月末頃に拙宅に連れてくる予定。
これは、自分でも驚く決断。


――遡ること夏至の夜明け、なんとなく空の写真が撮りたくなって外に出た。

東からカーテンを捲るようにみるみる明けていく朝焼け。南天には眠たげな猫の瞳のような半月。
その瞳と目があった瞬間、妙にわくわくした。何か不思議に快い胸騒ぎ。



朝方に眠り、昼ごろに目覚めてメールチェックすると、
腰越の友人から「仔猫が生まれた!」という速報メールが。

生まれたのは、黒茶シマリス柄1匹、白1匹、グレイ縞3匹の、計5にゃんこ。
母猫は純白の可憐な「しろい」さん。これは生後5日目にいそいそ撮影に行ったときの聖母子の図。


誰にも教わっていないのに本能的におっぱいをあげる母猫と
まだ目も開かないのに無心にしぱしぱおっぱいを吸う、生命力の化身のような仔猫たち。
儚くもしたたかな生きものの営みに、うっとり見惚れずにはいられなかった。

2週間目に友人宅を再訪した時にはみな目も開き、驚くべきスピードで成長していた。
母猫しろいさんに遠慮しながら、フラッシュをたかずにそっと里親さん募集ショットを撮影。
ついでに、美少女しろいさんの雪隠ショットもパパラッチ。失礼!(右)



友人はしろいさんの里親になってまだ日が浅く、
5月末に引き取って間もなく、お腹に仔猫がいることが発覚した。
でも友人夫婦は出張取材が多いため、多頭飼いは難しい。
かといって野良猫として野に放つのも忍びない、とひどく悩んでいた。

その時点では、どんな猫が 何匹生まれるのかさえわからなかったけれど、
困り果てた様子の友人と電話しながら、とっさに「1匹は私が引き取るよ」と口走っていた。
残りの仔も愛猫家の友人たちに協力してもらって里親を探すから…などと
あたふたやりとりしていたさなか、しろいさんは んなのは取り越し苦労とばかりに
おっとり顔で、たまのような5匹の仔猫を産み落とした。


情深い友人たちのお蔭で、懸案だった里親さん候補も続々現れ、
7月末に5匹全員の受け入れ先が決まった。私もその里親の一人だけど、
わくわく心ときめく一方、生きものの命を受け入れる重みをひしひしと感じずにはいられない。

かつて、ニキと暮らすと決めたときもそうだった。
3年前、腕の中でニキの心臓が止まったとき
あの日預かったいのちのおもさを全身全霊で感じた。


ニキ(↓)が星になって3年余り。その間、何度も仔猫を紹介されたけれど、
17年近く一緒に暮らしたニキの存在がまだ大きすぎて、お断りし続けてきた。
なのに、今回は、暫定まろこが生まれる前から、一緒に暮らすことを迷わなかった。
未だ白猫とも黒猫ともわからなかったのに、
なぜかうちに来るその仔は、きっと白猫なのだろうと思っていた。

じつは生前のニキには よく「生まれ変わってくるなら今度は白猫ね」と、云い聞かせていた。
あれは半ば冗談で、半ば本気だった。ニキはいつも神妙な顔でそれを聞いていた。
在りし日のニキ



腰越の友人宅に猫を見に行った折、遊びに来たご近所のお子さまと一緒に
友人宅の近所で蛍がほわほわ舞う姿を見た。言葉にならない声で驚嘆するお子さま。
ヒトもネコも、子どもって柔らかくて熱くて、エネルギーのかたまりだね。


猫たちの眠る部屋の隣で一泊させていただいた翌朝、友人夫婦と一緒に葉山辺りをドライブ。
あいにく曇っていたが、海の家をトンカン作る音が響く中、
夥しい数のサーファーが波間に浮かんでいた。

その数日後、お世話になっているディレクターさんのライブに伺った際
クライアントさんのおしゃまな息子さん(右)がきゃふきゃふはねまわっていたのでパチリ。
子どもってやっぱり、無尽蔵の熱いエネルギーのかたまりだなあ。


・・・
七夕は過ぎたけど、旧暦の七夕は8月。これは代々木公園でたまたま目についた短冊。
その昔、どこかの神社で「絶世の美女になれますように」という絵馬を見たことがあるけど、
それ以来のインパクト。ちょっとぐらい変顔でも味わいがあっていいのに。



・・・
7月半ば、久々にお逢いする素敵なマダム千鶴子さんのお誘いで
六本木の泉ガーデンタワー高層階にあるオフィス設計ホールのピアノトリオコンサートへ。
都心のパノラマを借景に、ドビュッシーやフォーレのピアノ三重奏曲に身を委ねていると
α波が出まくって温泉にでも浸かっているように心地よかった。
震災後に初めて会う千鶴子さんから、当日の壮絶なエピソードを伺い、
その彼女と昼下がりの静かなカフェで、なにごともなかったかのように
共有する平穏な夏の午後。それは、決して当たり前の時間ではないのだと思った。



・・・
薄紫色の昼顔が、今年もベランダジャングルにて開花。
一見儚げだけど、例年、山手通りに向かって、灼熱の真夏から北風舞う晩秋まで、
じつにしたたかに咲き続ける。グリーンカーテンにもぴったり。
でも凄い勢いでぼうぼう繁茂するので、うっかりするとお化け屋敷化する。

でも、ぼうぼうの葉っぱ越しに染み込んでくる夏の木漏れ陽が、私は大好き。

うちのはす向かいにはミラーウォールのビルがあるので、東側の窓からは、朝陽だけでなく、
夕陽もビルの窓に反射して、ベランだジャングル越しにきらきら射し込んでくる。
この前、その夕陽の長いビームがスーッと部屋に入って来たなと思ったら、
一角にかけてあった白いリネンのワンピースに、光の十字架を浮かび上がらせた。

そういえば、この夏は、ピーター・フォークに原田芳雄にレイ・ハラカミに小松左京に、
そして敬愛するアゴタ・クリストフの訃報が相次いだ。。
この「ルナスービトの悪童日記」も、もちろんアゴタ・クリストフの傑作
『悪童日記』へのオマージュ。彼女の作品をまた読み返してみよう。


逝くいのちと、生まれるいのち。どちらも愛しく。
うちにもあと1か月ほどで、生まれたばかりのちいさな白い“悪童”がやって来る。
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紫陽花の饒舌

2011-07-08 05:31:28 | Scene いつか見た遠い空

この初夏は、旧交を温めたり、新しいご縁が生まれたり、そんな時間がとても多く。
懐かしい笑顔や新鮮な世界に触れた帰りに、梅雨で洗われた都内の公園をしばしば漫ろ歩いた。
湿った木立の間を抜けながら、ここ2,3か月の間に書棚から発掘しては読み散らした
濫読のかけらが、アブクのようにふつふつ浮かんでくる。

「科学技術が鳴らす警笛の破壊的な音に包まれ、
グローバリゼーションという新たな奴隷制度と貪欲な権力争いに侵略され、
収益優先の重圧の下に崩壊する世界であっても、友情と愛情は存在する」

――アンリ・カルティエ=ブレッソン 1998.5.15
『こころの眼 写真をめぐるエセー』(岩波書店)より

どんな過酷な世界にも、友情と愛情は存在する。
だから私はこうして生きていられる。
 

夏闇の中で出逢う花の色は、どこか青褪めていて、
夕暮れや夜明けの空色がそのまま染み込んだように見える。


そういえば、先日 カラーコーディネーターの人にみてもらったら、
私に合うカラーは四季でいうと青みがかったサマー系なのだそう。
クリアなシルバーやラベンダー、サックスブルー、ローズピンク、オフホワイト…みんなすきな色。
  



すっかり葉桜となった代々木公園のソメイヨシノ(左)にはかわいい実がぷくぷくと。
自力では結実しない筈なので、別の桜の花粉を受粉したらしい。烏のいいおやつになるね。

拙宅のベランダの枇杷の木も今年は去年より豊作に(右)。何度もブログに書いているけど、
12年前に食べて植木鉢に捨てた茂木枇杷の種が、私の背丈より伸びてここまで成長したしだい。
まだ小ぶりの時に烏が味見しに来たけど、2粒と食べなかったので、よほど渋かったのかと
思っていたら、、実がふっくら熟した頃、うっかりしている間に全ての実が忽然と消えていた。
烏の冷静かつ手際のいいシゴトっぷりには、実に学ぶべきものがあるなぁ。(ぽかん)

・・・


少し遡るけれど、6月直前、取材で今年3度目の軽井沢STUDO TORICO合宿に。
到着日はまたもや霧模様。それでも軽井沢は訪れる度に新緑が深まり、花の彩りが増していた。
恒例の星野温泉トンボの湯であったまり、ストーブを囲みながら
キムリエさん&キムナオさんたちと夜更けまでお喋りする時間はとても愉しく。
目覚めは、木立に響き渡る小鳥たちのさえずり。


取材翌日はキムリエさんの案内で雨上がりの旧軽井沢を散策。昔ながらの別荘地の小径には
アジェ風の二股道が多い。アラーキーじゃないけど、“旧軽アジェ”な光景が現れる度、わくわく。
雨に濡れた新緑の間に間に見える別荘は、年季の入った昭和モダンな匂いのするものに魅かれた。


今春逝去したソニー元会長大賀典雄氏が建てた 軽井沢大賀ホールの前を通ると
ちょうどホール内で演奏中だったらしいレクイエムが聴こえてきた(左)。
美智子さんの皇室ロマンスで知られるテニスコートの横には、ヴォーリズなどが設立に尽力したと
いわれる木造の「軽井沢ユニオン・チヤアチ」があり(右)、染み込む光がふうわり柔らかかった。



軽井沢時間ともいうべきゆるやかなときは、東京の街なかに戻ると
魔法がとけてしまうようにあっという間に消えてしまうのだけど、
なにかいい夢を見て目覚めたような清々しい後味だけは、不思議と残る。

・・・

毎年楽しみにしていたギャラリー五峯の北欧アンティークフェアが、今年で終わりと聞き
6月最終日に駆けつけた。大好きなスティグリンドベリやロールストランドなどの掘出物に包まれ、
しばし忘我。『かもめ食堂』に出てくるキノコみたいな柄の絵皿はアラビアのアンティークとか。
ウィンクしているフクロウはリサ・ラーソンの猫より好みだった。刺繍や硝子、陶器オブジェの
モチーフも、蝶や小鳥など小動物系が多く、とにかくツボ。友人への贈り物用に幾つか入手した。
自分用には大好きなグスタフスベリのカップ&ソーサー〈ROSA〉を連れ帰り、家で早速コーヒーを
いれてみた。〈ADAM〉や〈ROSENFALT〉なども愛用しているけど、北欧のアンティークは
実用的なアートだと思っている。実際に使うことでますます魅力が増してくる。

 

・・・
6月は、うれしいことにイタリア料理店にしばしばご縁があり。
VMDの山川さんのお誘いで、神楽坂にできた
「トラットリア フィオリトゥーラ」のオープニングパーティへ。
オープンキッチンを囲むカウンター席が目を引くお店のデザインは、
マリメッコ(表参道)などの店舗を手掛ける小林恭氏とか。ここではなかなか面白い方々と出逢った。
レイちゃん&オーリエさんとも久々に合流した勢いで、表参道に移動して朝までお喋り。



さらにその翌週、赤坂の南イタリア魚介料理店「ラ・スコリエーラ」で行われた、
プロのバリスタさんによるカッフェ教室へ。実際に淹れていただいたエスプレッソを
クレマ、アロマ、ボディ、フレーバー、アフターテイストの5点に留意してテイスティングしたり、
カプチーノにお絵かきしたり。イタリア取材経験も豊富な“Signora”と、すぐに歌いだすバリスタさんの
トークも楽しく、南イタリアの雰囲気溢れるお店でのフレッシュな魚介満載のランチもBuonissimo!!

私の初挑戦お絵かきカプチーノ(右)。奥の性悪そうなウサギは『時計仕掛けのオレンジ』のイメージ。
(実はお絵かきするより、淹れたら一刻も早く飲んだ方が、より美味しくいただけるそうですが)


お店の厨房にあるエスプレッソマシン(左)は、例えるなら「フェラーリ級」のスペックだそう。
それを使ってプロのバリスタさんが淹れるESPRESSOは、鼻に抜ける力強いアロマも
飲み終えた後の余韻も見事。やはり自宅で私が使い込んだビアレッティのマキネッタ(右)で
淹れるMOKAとは全然違う。マキネッタはそれはそれで味わい深いのだけど、
例えるなら、F1とは無縁の少しへこんだ旧型チンクエチェントといったところか。


さらにこの翌週には、上京したキムリエさんやカッシー、レイちゃんと
予約のとれない店の予約がとれたので、久々に「ベットラ」へ。おなかいっぱい。


これはベットラではなく、オーリエさん&レイちゃんと打ち合わせ帰りにお茶した
原宿のラヴァッツアァで食べた南イタリアの名物焼き菓子スフォリアテッラ。
三葉虫みたいな外形だけど、甲羅のような皮はカリッ、中はリコッタチーズがトロリで美味。
…と、まるで食べ歩きライフを送っているかのように見えたら、それは誤解なので念のため。
この蒸し暑い中、日々最もよく食しているのは自宅で作る蕎麦&ソーメンと茗荷&新生姜のピクルス。
シンプルなのが夏の信条です。

・・・

3.11後、自分のなかで時間の流れ方がどこか変わった気がする。
自分の内奥へ内奥へと掘っていく流れと、自分の外にどんどんコミットしていく流れ。
いまはまだうまくつかめないのだけど、もうすぐ身近に新たな動きもある。
続きは週末に。
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「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは」

2011-05-21 04:48:33 | Scene いつか見た遠い空

5月。誕生日の翌々日、小雨上がりの夕刻。
急いでシャワーを浴びて友人の誘いに外へ繰り出すと、
雲の裂け目から天使が舞い降りてきそうな夕映えが広がっていた。
放射能雲といってしまえば、ミモフタモナイけど。
ただ、自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。



春先までの息もつけない仕事漬けの日々とは打って変わって
ご褒美のような休日を満喫することができた黄金週間。そのほんの断片を。


5月2日、友人夫妻の住む江の島へ。海は本当に久しぶり。
3.11の津波映像のショックから、海を以前のように見られるか自分でもよく分からなかった。
が、海は拍子抜けするほどあっけらかんと長閑だった。
じゃれては逃げる仔猫のような波が、獰猛で巨大な獣と化す。理屈では分かるけれど、
自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。


海には 無数のサーファーが浮かんでおり、浜には名産のシラスがずらり干されていた。
町には 屋根より高い鯉のぼりが 仲良くたなびいたり、ややこしく絡み合ったり。
将来、コイノボリ的アートな風力発電装置ができたら面白いだろうな、と夢想。
(明和電機さん、どうでしょう?)


家々の軒先には藤や小手鞠が満開で、ほんのりいい香りがした。
(拙宅のベランダの小手鞠も開花中)



腰越の友人宅では、旬の野菜満載のフルコースをいただき、久々に会うご学友たちと
愉しい時間を満喫。うれし恥ずかし十代の頃を知る間柄というのは、つくづく貴重です。


ひだかのお言葉に甘えて一泊させていただいた翌朝、目撃したご近所猫。
ゴハンが出てくるまでお行儀よく玄関で待つ まあるい後ろ姿にじーん。。




5月4日は、オーリエさんと邂逅@国立新美術館。
地震で行くのがのびのびになっていた「シュルレアリスム展」へ。
遠い学生時代の授業をなぞるような懐かしい気持ちで、作品たちと対峙した。

「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは、
おまえが容赦しないということなのだ」

1924年 アンドレ・ブルトン著『シュルレアリスム宣言』(巖谷國士訳)より
――ポスターやチラシに引用されたブルトンの言霊、みるたびにぞくぞくする。

今展のポスターの顔となったのは、ルネ・マグリットの〈秘密の分身〉(左)。
ブルトンとはそりが合わなかったマグリットをシュルレアリスムに走らせたのは、
ジョルジョ・デ・キリコの絵だった。そのキリコが無名の頃、いち早く彼の才を見出したのが、
詩人のアポリネール。キリコ初期の傑作〈ギョーム・アポリネールの予兆的肖像〉(右)は、
今回の出展作の中でもやはり傑出していた。絵の巧い下手ではなく、天才度の濃さという点で。

余談ながら、この絵が描かれた1914年、キリコは最高傑作〈通りの神秘と憂愁〉を描いている。
キリコが最も輝いていた時代を代表するこの絵(今展には出ていないけれど)は、
中学生時代の私に強烈な影響を与え、芸術の概念を決定的に変えた。

「もしうちに持って帰っていいなら、これ欲しいねえ」と、オーリエさんとハモったのが
マックス・エルンストの〈キマイラ〉と、ジョアン・ミロの〈シエスタ〉↓ 

エルンストの寓話的世界観、ミロの無垢なインファンテリズム。
色彩感覚もあまたのシュルレアリストたちとは比べものにならない突き抜け方。
それにしても、個人的に十代の頃にシュルレアリスムにどっぷりはまった体験から、
どうしてもシュルレアリスム作品を見ると、十代ちっくな胸騒ぎに回帰してしまう自分。
初めて見る作品も、デジャヴのように懐かしかった。


国立新美の後は、ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開催中の
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」へ。’80sイタリアの革命的なデザイン集団
「メンフィス」のエッセンスを詰めこんだタイムカプセルみたいなこの企画展もまた、
うれしはずかしポストモダ~ンな’80s気分に回帰しながら、懐かしく堪能した。
安藤忠雄の空間と、ソットサス&倉俣作品のマリアージュも、いとをかし。


左は倉俣の「KYOTO」、右は倉俣の「Miss Blanche」、下はソットサスの「Carton」
あの頃も激しく魅了されたけれど、21世紀に見てもオーラは失われていない。
どれも どこか演劇を匂わせる存在感。それが置かれた場所を、
瞬く間に“舞台”と化してしてしまうような魔力がある。
デザインとかアートとか どっちでもいいじゃない――そんな声が聴こえてくるような。



会場で流れていたソットサスと倉俣のインタビュー映像にも、いたく感動した。
当時、メディアで見るソットサスや倉俣は、もっとキザな印象があったのだけど
映像の中の二人はどちらも凄く人間臭くてチャーミングだった。

映像の中で倉俣は、戦時中、米軍機が電波妨害のために錫の破片を落とすさまを目撃し、
月光に照らされた錫がきらきら幻想的に舞っていた光景を、「不謹慎かもしれないけれど、
あまりの美しさに子供心に魅了された」と語っていた。その瞳の輝きは、まさに子供だった。
倉俣の作品に息づく澄んだインファンテリズムの所在を目の当たりにしたような気がした。
'91年に急逝した倉俣について、ソットサスはこんな風に述懐していた。
「彼は本当のエンジェルになってしまった」
ソットサスの表情はまるで、息子を失った父親のようだった。



5月連休明け、再び取材で軽井沢へ。1か月前に訪れた時はまだ裸木の森だったけれど、
この時は透き通った新緑がわっと芽吹き、つつじや梅や水仙や芍薬が一斉に開花していた。


あいにく濃霧と雨続きだったが、幼少期に初めて軽井沢を訪れた時もやっぱり
霧雨の5月だったことを懐かしく思い出した。当時、持ってきた服を全部着込んでも
寒いと震える私のコートの背中に、母が仕方なく弟の未使用紙オムツを入れたという笑い話が。
5月でも朝晩はストーブがないとまだまだ冷える軽井沢だけど、あの頃もいまも
変わらず心地よい。木立に抱かれた風景は、どんなに寒くても心融かす。


取材先のおうちは、北アルプスを見晴らす絶景ビューだった。
現れたアビシニアンの美少女マキちゃんを、取材そっちのけで撮影しまくる私。


そのうちに、美少女マキちゃんをテラスからむーんと眺める外猫さんも登場。
しかしそんなことはおかまいなしで、カメラに鼻ちゅうしまくるラブリーマキちゃん。



翌朝は、東御市の「梅野記念絵画館」へ。湖沿いに佇むここのロビーホールもまた絶景。
キムリエさんとコーヒーを飲みながら打ち合わせ。



館内では黒澤映画の美術監督も務めていた画家・久保一雄展を開催していた。
大好きな『素晴らしき日曜日』の美術コンテを思いがけず目の当たりにできて感動!
別の展示室で開催していた「早世のアーティストたち展3」でも、ぞくぞくするような
眼差しを秘めた油絵や版画と出逢い、思わず見入ってしまった。

上は後藤六郎「猫と鳩」、下は島村洋二郎「少年と猫」。
特に黒猫を描いた作品が胸に深くささった。



5月18日は、故ニキータの三周忌、ニキキだった。
あのふわふわあたたかな黒猫はもういないのだけど、
私の中でニキは永遠にふわふわあたたかい。
それは、「愛しい想像力」であり「容赦しない想像力」でもある。

在りし日のニキータをひとつ。
背景は、奇しくも世界中のあらゆる発電所が示されたポスターです。
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4月ESCAPE(軽井沢、自然教育園、東京ジャーミィ、アースデイ)

2011-05-09 04:18:34 | Tokyo 闊歩・彷徨・建築探偵

昨日、フォトグラファーみっちゃん宅のパーティで、心理学を勉強しているという女性に
「木」を描くという心理テストをしてもらった。ほろ酔いの私が紙いっぱいに描いた木は
ちょうどこの写真のような構図だった。ただし葉はなく、実だけがぶら下がった早春の木を描いた。
一見 裸木のようだけど、神経のように伸びた枝々には新芽が内蔵されている、というイメージ。

描いた木は、実は描き手自身が投影されたメタファーなんだそう。なるほどー。
「枠にはまらない世界観があるんですね。あ、でも、最近辛いことがあった?」と訊かれた。
図星。だって3.11後の世界を生きるのは、耳をびんと立てて尻尾がマックスに膨らんだ
臨戦状態の猫のような(あるいは耳をマックスに倒して後ずさる猫のような)気分だもの。

自然に対する愛しさと畏怖。自然(人も動物もいきもの全部)が穢されることへの底知れないいたみ。
絵だけじゃなくて、写真にもそういう気分が無意識に表れているかもしれない。


黄金週間が始まる二週間ほど前、打ち合わせに乗じて軽井沢に脱出した。
まさに、新芽を内包した木立の中で、1か月ぶりに大深呼吸。空気がおいしすぎる。
スタジオトリコチームとのお仕事なので、心底なごむ。


テラスにはいろんな野鳥が続々と!これはイワツバメ?
お皿についている飾りの疑似鳥には目もくれず、餌にまっしぐら。かわいすぎる。



心理テストで描いた裸木の実のイメージは、これに近い。何の実かな?



翌朝、星野温泉に浸かった後、急坂をふうふう上って2つの教会に足をのばした。
北原白秋や島崎藤村、内村鑑三が集った芸術自由教育講習会の流れをくむ
「軽井沢高原教会」(左)の入口には、花で覆われた巨大なイースターエッグが飾られていた。
内村鑑三記念堂「石の教会」(右)は、ジブリ映画に出てきそうなオーガニックな佇まい。


キリスト教をはじめ、全てのイズムから解き放たれた純粋な祈りの空間は、恐ろしく心地よい。
自然と寄り添う造形は、あのジェフリー・バワ建築を彷彿させる。
 



軽井沢から戻った翌日、母が遊びに来たので、3.11当日に内覧会を見る予定だった
国立西洋美術館のレンブラント展へ。薄暗がりに細密なリトグラフが並んでおり
目がしょぼしょぼに。。わずかな光を描くために描写される、圧倒的な闇の分量。
レンブラントが20世紀に生まれていたら、天才写真家になっていたような気がする。


翌日はお仕事冥利で、母とウェスティンホテル東京でプチバカンス。
汗ばむような陽春の都心は、自粛ムードからそっと解き放たれたゆるさを湛えていた。

夕刻前、白金の自然教育園を散策。透き通った新緑の遊歩道を漫ろ歩きながら
山野草に詳しい母が、楚々とした花々を指差してはその名を教えてくれた。
私が幼稚園児の頃、家族でここに遊びにきた時のことを母とあれこれ回想する楽しいひととき。
武蔵野の植生が息づく奥深い森は、めまぐるしく変化する東京にありながら
そこだけ時間が止まったような別世界だった。


園内でもひときわ目を引く「物語の松」と名付けられた巨木に、なぜかとても心惹かれた。
さながら双頭の竜が天にぐんぐん昇っていくような 伸びやかな枝ぶり。
漆黒のうろこのような木肌に触れると、ほっと温かく優しかった。




翌日は、母とさくっとイスタンブールへ。


…というのは嘘で、代々木上原にある東京ジャーミィへ。うちの近所なのに
なぜか中に入ったことがなく、今回、母と初めてモスク内に潜入してみたしだい。
ちょうどお祈り中で、女性見学者はスカーフで髪を覆うよう指示があった。
右の女性は敬虔なイスラム教徒…ではなく、母。なぜかすっかりなりきっている(笑)

思えば、9.11直後に故・筑紫哲也氏がこのモスクの前から生中継していたなぁ。。
(ビンラディン暗殺についての筑紫さんの異論反論オブジェクション、聞きたかったなあ)


この夜、いとこの伊東家から美しい満月写真がメールで届いたので転載させていただきます。
アイフォンと双眼鏡のコラボ(?)によるミラクルショット。月に手が届きそう!




4月末には代々木公園でアースデイ。初夏めいた陽気の中、音楽を奏でる人、踊る人、午睡する人。。
草木も人も犬も烏も、園内はやんわりゆるいパラダイスと化していた。



そんな中、エネルギーシフトのデモ行進に遭遇。汚染された土壌を浄化するともいわれている
アブラナがアイコンになっていた。内田樹氏いうところの“荒ぶる神”は決してすぐには
鎮められない。だからこそ、徐々に別の自然エネルギーにシフトしていくべきと私も思う。



震災関連のNPOなども目立った。福島避難地域の動物たちを果敢に保護している支援団体の人から
いろいろ話を伺った。その行動力にありがとう!と感謝してささやかな募金や保護活動に賛同する
署名などをするものの、残された動物たちのあまりに理不尽な状況にやりきれないかなしみを覚える。

ガイガーカウンターで代々木公園の土の放射線量を計測していた人がいたので見せてもらった。
35CPM(≒0.28マイクロシーベルト)だから、この日の文科省発表数値の約4倍。
雨の翌日ということもあったかもしれないけど、地表の線量は東京でも結構高いらしい。
(ふと妄想…。もしも放射性物質が大好物で、体内で無害化してくれる猫がいたら、
至る所が「猫町」と化すわけで、それはちょっと見てみたいかも…不謹慎で恐縮です)


なんとも長閑な代々木公園を回遊しながら、不意にある光景を思い出した。
震災直後の週、原発の爆発と計画停電の報道で、みな蜘蛛の子を散らすように
家路に散って行った夕刻、血が滲んだような空に覆われた代々木公園は、
同じ場所とは思えないほど、人々が落としていった暗澹たる吐息に包まれていた。


それから何週間も経ったアースデイの代々木公園は、
かつてよく目にしてきた平和そのものの世界に戻っていた。
現実なのに、ひどく懐かしい夢をみているような気がした。
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越境3.11。「せめて頭を」

2011-04-13 04:11:04 | Scene いつか見た遠い空


まるで何ごともなかったかの如く、東京の桜は2011年も満開を迎えた。
春を春として謳歌する森羅万象。それを穢す存在は毛ほども見えず無味無臭。
とまれ、咲き誇る桜に何の罪もなく。梢を見上げ、果敢に生きようね、と励ましあう。


東日本大地震で被災された方々 ならびに被災地に所縁の深いみなさまに
心よりお見舞い申しあげます。あなたに、私に、世界中のいきものに、
ひねもすのたりのたり平穏なときが訪れることを心底祈っております。

東京は一部を除き比較的軽微な被害で、私自身は怪我もなく無事でしたが
地震後にお見舞いのご連絡をくださった方々や、長らくブログを休止していることに
ご心配いただいたみなさまのお心遣いに感謝いたします。



3.11から1か月。
日々暗澹と憂える情報津波の渦中で、心の整理はつかない。けれど、
さしたることもできないと自分を卑下してうじうじ落ち込んだり
現実の辛さから誰かの思想にうっかり乗っかって思考停止したり
すべて見て見ぬふりのカラ元気でけろりと現実逃避し続けたり
凄絶な映像や悲痛な声に愕然と涙することでちゃっかり自己浄化したり
税金や株価の変動とか経済効率だけにちくちく目くじら立てたり
全て誰かや何かのせいにして 自省なく天や他者をどろどろ恨み続けたり
まして対岸の火事目線で社会をしれっと論じたり、
――そんなことだけは 決してしたくない、と思う。

今日も元気に生きのびているというシンプルな奇跡に感謝し、
はかり知れない恐怖と喪失のいたみのなかにいるひとの心に
温かな光が灯るような世界をつくっていく一助になりたいと願ってやまない。
たとえそれがどんなにささやかな灯であったとしても
この気持ちの灯をずっと絶やさないようにしていきたいと思う。

・・・

都心の地下鉄構内やビルの内部は、いまやローマのメトロみたいに薄暗いけど
外はうららかな陽気に包まれ、一見、大震災も原発事故も幻だったのでは?
と錯覚するような「日常的」のどかさだ。


だけど、ちがう。
3.11の昼下がりを境に、ゆるゆると緩慢に永続するように思われた世界は、一変した。
破滅の恐怖と復興への希望にゆれるアンビバレントな日々の中で
かつての「日常」は、突如目覚めた獣のように別の時代に飛び移った。
映像でいうならば、情緒的なフェイドアウトではなく、容赦ないカットアウト。
まるで、三島由紀夫の短編小説のラストシーンみたいな、唖然たる幕切れ。
まさか、自分が子供の頃から享受してきたこの国の「平和ゆるボケ」な時代が、
こんなカマイタチみたいなカットアウトによって、ばっさり暗転するとは!

・・・
取材と原稿の嵐でブログを全然更新できないまま3.11以降の世界に突入してしまったが、
極私的な3.11当日のことと、3.11の3日前にたまたま出張で訪れた
福島のことを書いておこうと思う。
――いま思うと、3.11直前には幾つも不思議な暗示があった。


3月8日、私は福島に日帰り取材に行っていた。せっかく福島に行くのだからと、
福島の観光情報をネットであれこれ調べていたものの、忙しくて結局トンボ帰りとなった。
取材を終え、福島から東京に帰る新幹線やまびこの中で、野坂昭如の『終戦日記』を開き
「日本人は戦争を天災の類とみなしている」という一文を反芻しながら
車窓に映る逆光のなだらかな山容を眺めて思った。
「福島にまた来たいなぁ」と。


連日の寝不足続きでうつらうつらしているうちに夕暮れが迫り
ふと目を上げると、気怠い寝ぼけまなこに澄んだ夕陽が沁みこんできた。
なんだかあったかい気持ちになって いつまでも車窓をぽーっと眺めていた。

この穏やかな黄昏どきには夢にも思わなかったことだが
この日に取材した歌人の朝倉富士子さんから伺ったお話は、
奇しくも その後の福島の運命を暗示するものだった。    

翌3月9日、まさのそのインタビュー原稿に着手しようとしていた矢先
三陸沖を震源とする震度3の地震が福島で起こって新幹線が止まったというニュース知った。
自分の中の見えない弦が幽かに鳴るような不安に駆られた。


3月11日朝。朝から取材が入っていたため、珍しく早起きをした私は
出がけにコーヒーカップを水道でじゃぶじゃぶ洗いながら、ふと思った。
「水を平気で使えるなんて、ありがたいことだなあ」と。
自分でも不思議だった。なんでこんなことを思うのだろう、と。

その日の取材場所は、神保町の学士会館だった。私好みの昭和初期 傑作レトロ建築だ。
(かつて私のいとこもここで結婚式を挙げた。とても素敵だった)
学士会館が着工したのは、1923年の関東大震災後。
設計者は、耐震工学のエキスパート佐野利器と、
彼の門下生であり、震災復興に貢献していた高橋貞太郎。
当時の耐震・防災技術を結集した重厚かつモダンな学士会館は、
まさに震災復興を象徴するモニュメントでもあったらしい。取材でも、そんな話を伺った。
後になって思えば、この取材も極めて暗示的なものがあったような気がする。


13時半過ぎに取材を終えた私は、その足でレンブラント展の内覧会@国立西洋美術館に
向かう予定だった。が、この日はちょうど昨年末のスリランカ取材をまとめた
地球の歩き方gem stoneシリーズのスリランカ本の発売日でもあり
せっかく神保町に来たのだからと、書店を幾つか回ってみることにした。
(奇しくもスリランカといえば、2003年のスマトラ島沖地震の津波で壊滅的な被害を受けた国。
私が昨年末取材したのは、まさにその被害から復興した南西海岸沿いのリゾートだった。
この話はまた別の機会に詳しく触れます)


大きな揺れを感じたのは、まさに書店の中で本を探しているときだった。
あまりの激しい揺れに、本の雪崩に遭いそうな危機感を覚え、
側にたまたま居合わせた見知らぬおばさまと手をとりあって神保町の交差点に飛び出た。
歩行者はみな立ちすくみ、地面が大きく揺れる度に悲鳴があがった。
細長いペンシルビルが、羊羹でも振ったみたいにぶるんぶるん揺れており、
そのてっぺんのアンテナにとまったカラスだけが、
左右に大きく揺れながらも平然と下界を見おろしていた。

とっさに、これは東北の方はただごとではないのでは、、と直感した。
携帯で速報をチェックしていた見知らぬ人がいち早く「震源地は東北みたい」と教えてくれた。
猛烈にいやな予感がした。
とまれ一刻も早く家に帰ろうと思い、交差点に居合わせた見知らぬ人たちと
「電車止まってるから歩くしかないですね」「気を付けてくださいね」と言い合って別れた。
ああいうときって、他人同士でも本能的に気持ちが寄り添うんだなあと思った。

途中、九段会館の前を通ったとき、救急車や白バイが何台もやってきて
異様にものものしい雰囲気だった。ここで命を落とされた方がいたことを
その数時間後にニュースで知った…。心よりご冥福をお祈りいたします。


靖国神社の狛犬の側を通った時、再び大きく揺れ出し、警察官に「神社に逃げなさい!」と
叫ばれたけど、靖国にはどうしても足が向かず、逆の半蔵門方向に走って逃げた。
道路にはビルから避難してきた人が溢れ、イタリア文化会館の前やイギリス大使館の前でも
毛布をかぶった人などがみな不安げな表情でひそひそ話をしていた。

これは千鳥ヶ淵の側の交差点。一見、お花見の行列のようだけど
ヘルメットを被ったり、非常持ち出し袋を背負った人がかなりいた。

青山通りに出ると、「地震情報やってまーす!」とカフェの呼び込みをしている人や
道の縁にへたり込んでピンヒールから室内履きに履き替えている女性がいたり。。
その辺りまでは目立った損傷を感じるビルは見当たらなかったが、
表参道のルイ ヴィトン前を通過した時、軒先から水がぽとんぽとん零れていた。
原宿駅から明治神宮にも人がわらわらいた(写真だと土日の原宿にしか見えないけれど)


ずっと冷たい風が吹きまいていたけれど、
2時間ずっと足早に歩き通しだったせいか、寒さをまったく感じなかった。
代々木公園に入ると、樹木のしじまでほっと気がゆるんだのと
自宅に近付いた安心感で、目尻に涙がにじんできた。


拙宅は無駄にちまちました飾りものが多く、本棚の9割はガラス戸付なので、
大惨事になっているのではないかと戦々恐々でマンションに入った。
戸棚に置いてあった蓮の花と葉の陶器が床に砕け堕ちており
本棚代わりに重ねてあったワインの木箱が2つばかり崩落し、本が100冊位飛び散っていたけれど
あれだけ揺れたにもかかわらず、この程度で済んだことに むしろほっとした。
三陸沿岸の被災地の惨状を思えば、こんなのは被害ともいえない。

・・・
3月8日に取材した福島市に住む歌人 朝倉富士子さんの安否が気になり電話したけれど
まったくつながらなかった。心配になって編集のさとうさんに確認すると、
被害もなくお元気というメッセージがあったそうで、ほっとした。

富士子さんは古希を過ぎているとは思えないほど心身若々しくチャーミングな方で
石川啄木、室生犀星などをテーマに今まで何度もインタビューさせていただいている。
3月8日のインタビューのテーマは「戦争と広島」。
福島で彼女から伺った話は、その後のことを思うと、
あまりにも暗示的で衝撃的といわねばならない。


「40年前、近所に広島出身の女性が嫁いできたのですが、被曝差別が怖くて
 出身地を秘密にしていたことを告白され、非常にショックを受けました。
 実は、福島にも原爆が落とされる可能性があったという説があり、
 紙一重の違いで福島と広島は命運を分けたのです。
 もし福島に原爆が落とされていれば、私の命もなかったでしょう。
 そう思うと、偶然にも幸運のくじを引いて恐ろしい難を逃れた福島は、
 広島に対して贖罪をしなければならないだろうと感じました。
 また、戦時中は日本でも原爆の研究をしていたわけで、
 これは敵味方ではなく人間全体の連帯責任ではないかと思いました。
 私たちは、何も手を汚さなかったわけではないのです」

そうした思いから、約40年前に富士子さんは広島を訪れ、戦争と広島をテーマにした
「せめて頭(こうべ)を」という一連の歌を詠んだ。

〈流灯のうるみて美しき水の面明日へひそかに怒りをつなぐ〉
彼女は云う。「美しい水が流れる自然の中で、苦しみを抱えつつ明日も生きていく時、
人の痛みを理解しない人間の傲慢さに対して怒りを秘めていなければ」と。

〈あかつきのひかりも冷えて降るものを せめて頭をあげて発つべし〉
 この歌も、40年前に詠まれた歌。でも、思いは今も一貫して変わらないと彼女は云う。
「私たちは何もできないかもしれない。けれど、せめて頭をあげて
 前を向いて生きていくべき。単にかわいそうねと同情して涙を流したり、
 憐れむことによって優越に浸るのではなく、生きものとしてどうあるべきか
 という哲学と敬虔な姿勢を持つことが大切。どんなに悲惨な事態に直面しようと、
 人間はうなだれてはいけない。花が咲けば、散って、実って、地にこぼれていく。
 今という現実の時間が永遠に続くわけなどないのです。
 だから、死を恐れるのではなく、せっかくいただいた命を精いっぱい生きたい」

40年近く前に富士子さんが無我夢中で詠んだという歌。そこに込められた深い洞察。
3.11直前に福島で彼女が話してくれたことは、戦争という過去の話ではなく、
実は目前の未来に向けて語られた、本人も意識せざる予言的な「言霊」だったのだと思う。

「今という現実の時間が永遠に続くわけなどないのです」
「私たちは何も手を汚さなかったわけではないのです」
富士子んさんのこの言葉に、あのとき私は深く深く頷いた。
どこかでこのカタストロフを無意識に予知していたのかもしれないけれど
想像をはるかに超える現実の残酷さに、いまはまだ愚かに動揺するばかりだ。

いま、富士子さんがこよなく愛し、歌にも詠んでいる福島の里山を思うと
はげしく憂えるけれど、そのたびに彼女の言葉を思い出す。
彼女は数年前にも広島で被曝しながら生き残った木々を樹木医と共に見てきたようで、
「人間が一番悪さをした木にも、ちゃんと新芽や美しい実がなっていたのよ!」と
目を輝かせて話してくれた。いま、すべての森羅万象に どうか人間の悪さに負けないで
果敢に生きてほしいと切に切に願う。

震災一週間後、地球に最接近したという巨大なスーパームーンは
自然のごく一部である人間に、無言で多くを語りかけていた。
それは、暗く深い穴で震える私たちを、
いままでとはまったく違う世界へといなざう
眩しい出口のように見えた。
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スリランカ ロードムービー3 砦と猫の街ゴールフォート編

2010-12-30 15:56:27 | Travel 国内外猫の目紀行

ゴールロードを南へ南へ ひた走ってきたスリランカ取材の後半、
ようやくゴールの街に辿り着いた。ゴールの旧市街であるフォートは、
インド洋に向かって猫足状に突き出た半島で、1日もあれば街中のストリートを
網羅できるほど小さな街。でも、そこにはリノベーションされたコロニアル建築や、
風格ある教会、モスク、ミュージアム、洒落たカフェやショップがひしめいていて、
東西の歴史と文化が絶妙に融けあったハイブリッドな異空間になっている。


一角には、なにげにアマン系ホテルもあったり。大変エレガントだったけど、
私はバワの弟子がリノベーションしたホテルの方がどこかお茶目で好みだった。


美しい卵色の城壁に似せた色彩の家々が多く、ゴールにあるバワリゾートの傑作
「ジェットウェイング・ライトハウス」(右下)も、サマラカラーと呼ばれる明るい卵色が印象的だった。
左下は、フォートの突端にそびえる本物の灯台(ライトハウス)。




ゴールでは、道で住人と目が合うと みな「どこから来たの?」とあたたかく微笑みかけてきた。


お土産品は手仕事の美しい品が多い。スリランカの人はカレーを指ですくって
巧みに食べる習慣があるからか、手先が実に器用。50本以上の針を駆使して
緻密なレースを編んでいたお婆さんに「1枚どのくらいかけて仕上げるんですか?」と訊ねると、
「早くても一週間以上よ。でも仕上がるとすごく幸せよ!」と嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。

「手作りハンモック、売ります」というコピーにも魅かれたけど、
売り子もハンモックもまるで見当たらなかった。

それにしてもゴールは、とりわけ私を嬉々とさせてくれる街だった。それは、妙に猫が多いのだ。
街の人に理由を訊いても「なぜかしらね」という顔をされるけど、少なくとも南西海岸一の猫街。
もしかしたら、列強の支配時代にネズミ除けに飼われていた猫たちの子孫なのかな?
見かけるのはブチ、三毛、トラばかり。みんな、雨の中でも平気で道をタッタカ走っていた。 


オランダのアンティーク店の売り物の戸棚でちゃっかり午睡している猫たちもいれば、
お土産やさんの軒先で メス猫をしつこくくどいては猫パンチされているオス猫もいて。。


・・・
ゴールフォートのぐるりには、ポルトガルやオランダの植民地時代に外敵から街を守るために
築かれた砦が張り巡らされている。奇しくも、その砦がこの街を津波から奇跡的に護った。
砦に上って海を見下ろすとちょっと足がすくんだ。「マダム、2000ルピーくれたら
ぼく、ここから海にダイブしてみせますよ!」と少年が言い寄ってきたので
「危ないからやめて」と断ったが、かつて商談が成り立ったことがあるのか謎だった。


砦の上で死んだように横たわっている犬がいたので心配になってじーっと見ていたら
向こうから団体旅行客がなんだなんだと近寄ってきた。訊けば、全員家族なのだという。
右端がママ。中央の青い人がパパ。ゴッドファザー&マザーも孫たちの間に紛れている。
スリランカの北の方から、一家総出で遊びに来たらしい。数えると全部で16人。
妊婦さんもいるから、もうすぐ17人になる勘定。なんだか、いいな。
日本ではこんな大家族自体珍しいし、全員集合するなんて、冠婚葬祭以外ないような気がする。

ぼんぼやーじ、あーゆるぼわん。みなさんお元気で~


そんなわけで、スリランカロードムービー3部構成ブログ、これにておしまいです。
しばらく書いていなかった反動で、筆が走ってしまいました。
とりとめのない旅日記を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

帰国早々、打ち合わせ帰りに見た代々木公園の薔薇と紅葉が目に染みた。
わずか一週間でも、濃い旅の後は、いろんなことが妙に沁みます。


それでは、どうぞよいお年をお迎えください。
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スリランカ ロードムービー2 ジェフリー・バワ編

2010-12-29 21:15:46 | Travel 国内外猫の目紀行

スリランカの世界的建築家ジェフリー・バワが晩年を過ごした
自作の理想郷ルヌガンガ ガーデン。これは、その中にあるバワの執務室での1枚。
最初、ラフなTシャツに短パン姿だったガイドの男の子が「ちょっとお待ちください」と
そそくさ奥に消え、しばしのちに息せき切らして「着替えてきました!」と
バワが愛した白い上下で正装して再登場し、バワの素晴らしさについて
それは熱心に説明してくれたのが、とても印象的だった。
手前にある長椅子は、バワがデザインしたラブチェアー。
なんともバワらしい、ユーモラスであたたかなフォルム。


うっかりしていて ガイドくんの名は失念しちゃったけど、、ありがとう!
ガーデンに茂っていたシナモンの葉やオリーブの実を齧る仕草がチャーミングだったなぁ。
右はバワ建築のひとつカニランカ・リゾート&スパのスタッフ、リシニーさん。
私がバワのリゾートを巡っていて、唯一 日本語が話せた人。とってもフォトジェニックで
かわいかったので、いろいろなスポットでモデルになっていただきました。ありがとう!



アマンをはじめ、世界中のリゾート建築に影響を与えたジェフリー・バワ。
今回、バワ建築のホテルやヴィラ、ガーデンを相当数巡ったが
バワの空間は、体験すればするほど 虜になる。

かつて、タヒチやモルジブ、バリ、ハワイ、オーストラリア、フィジーなどなどの
熱帯リゾートを取材させていただいたり、個人的に見学したことがあるけれど、
バワ建築はオリジナリティという点で、「別格」という感想を持った。
単にびしっとスタイリッシュで、超然とかっこいいホテルなら、ほかにいっぱいあると思う。
でも、バワ建築は、そういう“気取り”や“威嚇”や“選民性”の対岸にある。 
地球にも宇宙にもそのままスーッとつながっていくような自然との親密さという点で、
バワの空間は見事なまでにフラットでボーダーレス。ゆえに恐ろしく快い。

バワ建築の魅力については、来年出るスリランカの旅本の特集でじっくりご紹介いたしますので
来春、本が無事に発売になったあかつきに、あらためてご案内させていただきます!






ちなみにバワはホテルだけでなく、お寺や大学などの建築も手掛けている。
そしてバワ建築のある所には必ずどこかに、彼の愛したテンプルフラワー(プルメリア)が香っている。



奇しくも津波がスリランカ南西海岸を襲う直前に、84歳の生涯を閉じたジェフリー・バワ。
彼が永眠するルヌガンガ ガーデンは、「ほんとにここでいいの?」と不安になるような
ジャングルと沼地と小さな村を幾つも越えた細い1本道の奥に、ひっそりと広がっていた。
ルヌガンガ ガーデンを作るのに影響を与えたともいわれる
バワの兄べヴィス・バワ(彼も多彩なアーティスト)の作ったブリーフ ガーデンも
やはり密林の奥の奥のまた奥に、眠れる蛇のようにそっと潜んでいた。

あのじゅじゅっとした湿気を孕んだ熱帯樹林の一本道を そろそろと進むさなかにも、
車中にエンドレスで流れていたのは、やっぱり ビリー・ホリデイだった。

次回は、スリランカロードムービー3 城塞都市ゴール散策のお話をしたいと思います。
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スリランカ ロードムービー1 南西海岸編

2010-12-29 00:15:54 | Travel 国内外猫の目紀行

一週間というのは、普段通りに過ごしていたら、記憶の渦潮に呆気なくのまれていってしまう。
けれど、もしそのとき琴線に触れる「旅」をしていたとしたら、それがたった一週間だったとしても、
心身に刻まれて決して消えない。うつくしい瑕のように――

この12月に訪れたスリランカの旅は、まさにそんな体験だった。
旅本の取材で行ったので、私的旅行のように気のおもむくままというわけにはいかず
しかもスケジュールはてんこ盛り。ジェフリー・バワ建築の取材担当だった私は
他の取材チームと完全に別行動で、深夜、コロンボ空港に到着するなり ひとりぼっちに。
ナビ役の現地ドライバー チャミンダさんがいい人で ほっ。(ちょっとチャーリー・ブラウン似)

空港にほど近い漁港ニゴンボの鄙びたビーチサイドホテルで、暗闇から聴こえてくる波音をBGMに
きしむ天井扇を眺めながら眠りに落ち、翌朝目覚めたら、ホテル前のビーチに ニゴンボ名物の白い
カタマランが、生あたたかな潮風に帆を膨らませているのが見えた。その瞬間から、スリランカの
南西海岸沿いを北からひたすら南下する ロードムービーな旅がはじまった。

宿泊ホテルでは、国土がマンゴーの形をしたスリランカのマップを花の置かれたベッドに広げ
走った道筋をペンで辿りながら毎晩うたた寝。。滞在中は、持参した音楽もほぼ聴かなかった。
毎晩天気が悪く、熱帯樹の大きな葉っぱを打つ激しい雨音が、不思議と心地よかったから。



ニゴンボからゴールまで、南西海岸沿いに走る道の名は、ゴールロードという。
ゴールロードと並行して線路が走っており、時おり汽車(電車ではない)がガタゴト。。
6年前のクリスマス明けに大津波の災禍に遭ったのもこのエリアだが、今はその痕跡も薄れ、
大渋滞のコロンボを過ぎれば、ひたすら長閑な風景が連なるご機嫌な一本道だ。
そんなゆるドライブの途上でしばしば目にしたのが、牛、牛、牛。みーんな、瞳がやさしい。
あんまり目が合っちゃうと何だか申し訳ない気がして、現地滞在中はビーフを一切口にせず。


リスもよく見た。シンハラ語では「レナ」と呼ぶ。恐ろしく鋭敏だが、やっぱり目がかわいい。
思うに、スリランカの人は生きものにとても寛容だ。もちろん、人に対しても。
昨年訪れた時もしみじみ感じたことだが、そのおっとり穏やかな国民性と
日本人観光客ずれしていないピュアさが たいそう新鮮で心地かった。


野良犬も大勢いる。ハイクラスホテルのカフェテラスにもちょろちょろ遊びにくる。
一方、蒸し暑いのが苦手な猫は、家の中で飼われていることが多いそうで、
牛や犬や蚊ほど多くは見なかったけれど、出逢えばどの子も人懐っこくて。
猫はシンハラ語で「プーサ」という。猫を見つける度に「プーサ!」と叫ぶ私に、
行き交う人はみなおかしそうに笑った。↑写真の妙にリラックスしたわんにゃんは、
ビーチサイドのレストランでランチ中に遊びに来た子たち。ただし、彼らもさすがにカレーはNG。
ちなみに、現地の人たちは、三食カレーが基本。私も少なくともランチは100%カレーだった。
でも、野菜豊富で何種類もの多彩なカレーをお好みでいただけるので、とってもヘルシー。
「これ辛い?」と訊くと、相当辛いものは現地の人が一瞬ニヤッとするので避けやすいし(笑)



南下しながら幾つかホテルを転々とした中で、最後の宿泊地となったのは、ゴールのやや東にある
ウェリガマの港に面したホテルだった(冒頭写真はそのバルコニーからの早朝風景)。
早起きして砂浜に出ると、漁師さんが「ウニ食べる?日本人、ウニ好きでしょ」と
その辺にぼこぼこ転がっているウニを気さくに勧めてくれたり。ちなみに、この漁師さんの
愛用しているトゥクトゥクの座席には、ボブ・マーリーの特大七色シールが貼ってあった。


このウェリガマビーチの側には、タプロベーンアイランドと呼ばれるそれはそれは小さな島がある。
島に行きたいというと、濡れてもいい恰好で来なさいという。干潮時には歩いて渡れるけれど、
満潮になると、泳いで帰るしかない島なのだ。私は一眼レフをジップロックに封印し、
コンパクトデジカメを片手に、短パンに裸足で浅い浜をとことこ。想像したほどは濡れなかったが。

タプロベーンアイランドはかつてポール・ボウルズが所有し、ここに滞在しながら『蜘蛛の家』を
執筆したといわれる。八角形の建物が連なる不思議なヴィラは、リニューアルの真っ最中で
廃墟のような様相を呈していたが、それがかえって美しかった。ポウル・ボウルズが愛用していた
部屋には半壊した古いベッドがあり、そのヘッドに施された黄色い蝶のレリーフが妙に印象的だった。


タプロベーンのガーデンで、白い蝶を見かけた。
ふと、なぜだかこの島にひどく心奪われている自分にきづいた。
ポール・ボウルズが、このひそやかな島に魅了された理由が、理屈ではなく解る気がした。
この日の夜、初めて夕刻になっても天気が崩れず、ゴールロードから夕陽を拝むことができた。


ちなみに、南西海岸をひた走ったドライバー チャミンダさんの愛車は、中古の日産ツインバード。
ナビも思いっきり日本語。インド洋沿いを走っているのに、表示はなぜか太平洋だったり、
川崎をしれっと表示していたりして、見る度に大爆笑(ナビの横に鎮座するプチ仏像もナイス)


そんな道中、チャミンダさんがかけてくれたビリー・ホリデイが
今も写真を眺めていると頭の中にぐるぐる回る。。。
次回は、スリランカロードムービー2として、取材で廻った建築家ジェフリー・バワの世界を。
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猫とハートと疾風怒涛の日々

2010-12-26 05:26:05 | Tokyo 闊歩・彷徨・建築探偵

ものすごくいろんなことが起きているのに、ものすごいスピードで過ぎ去っていく日々。
みるみる暮れていく晩秋から初冬の宵口は、ときおり残酷なくらい美しかった。

もう一か月も前に書こうと思っていたブログを書くのは、夏休み終了直前の小学生が
空白の絵日記を一気に埋めるような気合がいる。でも、撮りためた写真を眺めていたら
昨今の慌ただしとは無縁ののほほん写真ばかりで、我ながら ばかみたいな能天気さ。

そんなわけで「ルナスービトの悪童日記」、晩秋フラッシュバック編です。

10月末の休日、素敵なマダムちづこさんたちと谷根千散歩。
子ども時代に界隈で遊んでいたというまりこさんのナビで、見知った谷根千にも思わぬ発見が多々。
つつじ祭りの時しか訪れたことのなかった根津神社も、秋はまた別の風情が。
ちなみに根津神社は時代劇の撮影スポットだそう。そういえば、見覚えのあるやなしや。
旧安田邸では、ちょうど重陽の節句中で、雪のような真綿をかぶった菊が飾られていた。


谷根千は猫の町としても知られるが、昨今はあちこち観光地化していたりして、猫たちもちょっと
肩身が狭そうだ。地元のこんなやさしい人たちに見護られて果敢に生きのびてほしいなあ。。



10月末~11月にかけて開催された中国国際映画祭。そのオープニングパーティに行ってきた。
おりしも世は尖閣報道のピーク時だったけど、会場内は至ってなごやかな友好ムード。
ちなみに、会場は来年3月に閉館する赤プリこと、グランドプリンスホテル赤坂。
奇しくも、昨日12月25日に有楽町西武が閉店したが、いずれもバブル時代を象徴する
西武系の牙城。絶頂期から20年余りの諸行無常を思いつつ、泡のお酒をたしなむ聖夜哉。



11月頭、軽井沢から上京したキムリエさんと青山でランデヴー。
このブログでも何度も紹介していますが、スタジオトリコで制作した
アレックスモールトン自転車展記本『ALEX MOULTON BICYCLES EXHIBITION 2010』
キラー通りに面した「on Sundays」のウィンドーに飾られていて感無量!
アート本の老舗である同店でも評判が良いそう。うれしい限りです。
この日は父の命日でもあり、何か後押しされているように楽しい発見がたくさんあった。


11月半ば、お世話になっているデザイナーやぶきさんのお誘いで、彼女が宣伝美術を担当している
「花組芝居」の最新作「花たち 女たち」を観劇。昨年の「夜叉が池」以来だったのだが、
相変わらず猛烈なテンポで、展開の早いこと早いこと、小気味よいことこの上なし(笑)
暗転もほぼなく、場面が見事な切り返しで あれよあれよという間に変わる変わる。。。
有吉佐和子の原作は未読なのだが、花組芝居は歌舞伎のように女役もすべて男性が演じており、
演出は例によって きわめて斬新で大胆不敵。しかも、どたばたスラップスティックの中にも
人間の複雑怪奇な情念がグロテスクなまでに深く麗しく描かれている。いやぁ名人芸でした。
観劇後に、このゴージャス&ラブリーなイメージ画(左)を描いたイラストレーターの大谷リュウジさん
合流して、やぶきさんたちとゴハン。初めて会う方々と深夜までわいわい楽しかったー。

同じ週には、東京都庭園美術館で開催していた「香水瓶の世界」展を取材かたがた見学。
あいにく展示物はすべて硝子ケースの中なので香りまでは確認できなかったけれど
くらくらするほどエレガントで蠱惑的な香水瓶のデザインに、かなり深酔いしました。
特にルネ・ラリックの作品、えぐすぎる! たとえば、香水瓶の四角に胴体のながーい蝉が4匹、
みっちり張り付いているラリックの香水瓶を使っていたのは、いったいどんなマダムだったのかな?
ちなみに、庭園美術館の入口には、朝香の宮がウエルカム用に使っていたという巨大香水塔が。



同じく11月半ば、お世話になっている雑誌編集者の渡辺さん&土澤さんと、
猫特集ページの件で 恵比寿の猫カフェにて 猫打ち合わせ。実は猫カフェは初体験の私。
結局、打ち合わせのほとんどは 猫遊びに終始。。でも至福でした。


久々に猫を抱きしめてうるうるする私(左)と、やはり猫を抱く土澤さん&渡辺さん(右)
来年、本が出たらまたここでご紹介いたします。

この数日後、5年間愛用(酷使)したノートPCが不意に壊れた。
バックアップを完璧にとっていなかったため、随分と肝を冷やしたが
火事場の馬鹿力的な機転で、奇跡の如く締切ピンチをなんとかクリア。
リスクヘッジの大切さをしみじみ実感&反省しつつ、なにか腑に落ちない。
文章だけなら、紙とペンがあれば書けるのだから、本来は。
(あ、携帯やiphoneとかでは私は長文が書けない性分です)



11月の祝日、ぱつぱつスケジュールの間隙をぬって、お仕事冥利でウェスティンホテル東京の
レディースルームに叔母と一泊。話には聞いていたけれど、実に快適至極でした。
ベッドに転がった足元に東京タワーの夜景ビュー。朝食のブッフェもパーフェクト。
あえてPCを持っていかず、半日仕事を忘れて呆けたせいで、帰るなり徹夜仕事。
優雅なヘブンリーベッドから、一気に締切無限地獄へと雪崩れ込んでいった。。

。。。のだが、その途上に撮ったのは、ほっと一息モードの写真ばかり。

左はまいか社長の会社設立3周年目のお食事風景。青山の新進仏料理店フロリレージュ、
メニューも盛り付けも唖然とするほど斬新で、かなり気に入りました。まいかさん、ありがとう!

右はたぶん外苑前の裏道のカフェでランチ打ち合わせした時のマッキアート。
イリーのヒップなカップ&ソーサーに泡ハートがキュート。こういうちょっとした絵づらが
締切続きの緊迫した日々の緩衝剤になるわけです。


これは恵比寿での打ち合わせ帰り、恵比寿在住のオーリエさんを誘って
バールでお茶したとき。ベージュのベレーがとっても似合っているオーリエさん。
尽きない会話の余韻のように、カプチーノのハートが最後までくっきり消えなかった。


そしてこれは、スリランカに発つ直前、学芸大で童門冬二氏の取材をした後
編集者のしばたさんとお茶したとき。やっぱり、ハート♡
久々にお会いしたこともあり、ついつい長話。お元気そうでほんとよかった。

高速で過ぎ去った晩秋の日々。息をつく間もなかったけど、どれも大切な瞬間。
あれこれ忙しくても、関わる多くの方々とのご縁をずっと大切にしてきたいなあと心から思う。

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Merry Christmas!

2010-12-24 17:06:58 | Scene いつか見た遠い空


6年前のクリスマス明け、インド洋の津波から奇跡的に救われた城塞都市ゴールフォート。
写真はゴールフォートのそばにある海岸で、この12月、帰国する日の朝に珍しく早起き散歩した時のスナップ。
そこで言葉を交わした人に、砂にメールアドレスを書いて教えてあげたのだ。

ぁあ、すっかりクリスマスですね!

大変ながらくブログを放置していたにもかかわらず
多くのみなさまに日々閲覧していただき、心から感謝いたします。

11月半ばにそろそろブログをアップしようか、と思ったまさにその夜に
愛用パソコンが不意に意識混濁して立ち上がらなくなってしまい、
PCは速攻で買い替え、旧PCものちに無事回復して戻ってきたものの、
年末進行の激務が容赦なく訪れ、さらに12月頭にはスリランカ出張に一週間出ており
ブログを落ち着いて書く気持ちになれないまま、年の瀬を迎えてしまいました。
ふぅ。

ようやく出口が見えてきたので、晩秋以降の徒然ブログと
スリランカの回想ブログを年内に書きたいと思ってます。

ではでは、こころあたたまるクリスマスを!
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オリーブ、二十世紀肖像、猿楽祭

2010-11-01 03:16:58 | Book 積読 濫読 耽読

ベランダから南天に向ってぼうぼう伸び放題だったオリーブの枝を思い切って剪定したら
伐った枝先にコロンと大粒のオリーブが2粒ばかりなっていた。
今年はならないなぁと諦めていただけに、むしょうにうれしい。
指でつまめるほどのささやかな緑の小宇宙――この実が人知れず つやつやぷくぷく
膨らんでいたであろう 初夏から晩秋の日々に思いを巡らす。

・・が、そんな悠長なことをしている間に、怒涛の年末モードにのまれつつある。
お陰でブログ更新がさらにさらに滞りがちに。。
(云いたいことがあり過ぎるがゆえになかなか書けないメールみたいなもの?<言い訳)

そんなわけで、11月の暖簾を潜りつつ、神無月をざっくりプレイバック。


一気に初冬めいた空気感になったが、つい2、3週間ほど前は
金木犀アロマがたいそう心地よい秋日和が続いた。
それは、都心が排気ガス臭から唯一逃れられる 貴重なひとときだ。
246沿いを歩いている時、満開の金木犀が香る垣根を見上げると、
メタリックな高層ビルのしじまに超然と佇むフクロウとミミズクが。
一瞬、『ブレードランナー』のタイレル社を彷彿。



夕暮の打ち合わせ帰り、雨上がりの代々木公園を歩いて帰る。
この季節は秋蟲たちのスティーブ・ライヒ的アンサンブルと
樹々の湿った息遣いが恐ろしく快い。
酷暑で青息吐息だった薔薇たちも、葉脈の上に
澄んだ甘露を湛えて「ふうぅ」と和んでいた。





この秋は打ち合わせや取材で代官山や恵比寿にビアンキでしばしば出没。
ライター稼業はうっかりすると運動不足になりがちなので、
近場はできるだけ自転車で動くことにしている。
机上でただじーっと考え込んでいるより、サイクリングとかお散歩とか適度な運動をした方が
リアルで胆力のある言葉が湧いてくるような気がするから。

恵比寿ガーデンプレイスの一角で、チャーミングなニットを纏ったベンチを見つけた。
(その時は少々暑くるしそうに見えたけど、あっという間にニットが恋しい季節に突入した)


恵比寿の東京都写真美術館で10月から始まった
「二十世紀肖像 全ての写真は、ポートレイトである」を取材した折には
寛大な広報担当者さんのはからいで、一人貸切状態で見せていただいた。
お仕事で書いている別のブログでも紹介したのだけど、
この企画展は写美ならではの秀逸なコレクションを贅沢に堪能できる絶好のチャンス。
毎度ながら、展示の編集も絶妙です。

膨大な作品の中でも 個人的に特に惹かれたのは、植田正治をはじめ、セバスチャン・サルガドの
[エチオピア(毛布にくるまる3人の子供)] 1984(左)や、須田一政 [秋田 湯沢] 1976(右)。
陽光に浮かび上がる毛布のケバ、陽を透かした夏帽子のツバ、そして図らずも
子供の印象深いカメラ目線。その圧倒的な瞳と光の力、もはや理屈じゃない。


島尾紳三 [生活 1980-1985より] 1980-85シリーズにも いたく惹かれた。
やはり子供のカメラ目線。猛烈なスピードでメタモルフォーゼしている子供の一瞬の瞳には、
「?」や「!」の銀河がきらっきら渦巻いている。



10月半ばの連休には ヒルサイドテラス一帯で開催された
「猿楽祭 代官山フェスティバル2010」を覗いてきた。



ヒルサイドテラスの間にひっそりと佇む「猿楽神社」は、古墳時代の円墳に立つお社。
そのこんもりした塚山が「猿楽塚」と呼ばれていたことから、代官山一帯の地名が
「猿楽町」になったらしい。千数百年以上も昔の名残が今も渋谷区にひっそり息づいているなんて
奇跡に近いことかもしれない。実際、この塚に足を踏み入れると、空気がまったく違う。



広場の出店を覗きつつ、ヒルサイドライブラリーにも立ち寄ってみた。


このブログでも何度か紹介しているけど、今夏ヒルサイドテラスで開催された
アレックス・モールトン自転車展をコンプリートした『モールトンBOOK』(スタジオトリコ発行)
ライブラリーに早速登場していた。素晴らしい本なので、ぜひ手にとってみてね。

このライブラリーの奥には、アーティストや文化人が選ぶ「私の10冊」というコーナーもある。
絞り込まれた10冊に、選んだ人の本質が垣間見えるようでとっても興味深い。
例えば、森山大道氏が選んでいた本のひとつは「アッジェ 巴里」。なんだか妙に納得する。


隈研吾氏は、10冊の中に自著『負ける建築』を選んでいた(左)。今年、隈さんの取材をした折には
『自然な建築』も気に入っていると仰っていた。どちらも非常に明快でラジカルな氏の傑作。
(10冊には選ばれていなかったけど、『新・都市論TOKYO』の隈さんの代官山論
「凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア」も膝を打つ面白さ。必読)

敬愛する陣内秀信氏(右)が選んでいた芦原義信の『街並みの美学』『続・街並みの美学』は、
亡父が私に薦めてくれた本でもあり、私自身の愛読書でもある。うれしいシンクロニシティ。
以前、陣内さんに「世界中で一番好きな街は?」と伺った時、「南イタリアのチステルニーノ」と
即答されていたが、そのチステルニーノのこともこの本にはしっかり書いてある。


代官山の旧山手通には大使館が幾つか集中しているが、
いつも気になるのが、このデンマーク王国大使館のエントランス。

どう見ても秘密倶楽部のような怪しさ。駐日大使の趣味なのかなぁ?
麻布の中国大使館前のピリピリ張り詰めた物々しさなんかと比べると、同じ大使館でも別世界。


帰り、旧山手通沿いのカフェでカプチーノ休憩。西郷山公園に寄り道して帰る頃、
夕映えを呑みこんだインクブルーの空に、くりっとしたプチ三日月が見えた。



三日月が半月になり、オーリエさんとうちで夜通し映画鑑賞会したのを境に
仕事がごごっと密度を増してきた。その間隙を縫って先週末、ちづこさんたちと谷根千散策。
谷中のスカイバスハウスに向う途上、谷中墓地の中空に ふわっと発光する満月を目撃。
日々出くわす月の満ち欠けで、月日の素早さを思い知る。(谷根千散策日記は長くなるので次回に)

と、右は 谷中発祥の珈琲豆専門店「やなか珈琲」のビジュアルでもおなじみ本多廣美画伯の
版画 [薔薇と珈琲]。今夏、銀座のGKギャラリーで開催された本多さんの個展で心酔し、
先週、とうとううちに連れてきたのだ。円いテーブルに赤い薔薇と珈琲、円い窓に円い月。
何気ないけれど、モチーフが全部ツボ。恐ろしいほど幸福な瞬間の縮図。
画の前に立つと、つい微笑んでしまう。猫撫で声ならぬ、猫撫で顔とでもいうのかな。



追記。先日、レイちゃんの取材に便乗して下北沢散策した折、とあるカフェで売っていた
80年代のミュージックマガジン。背表紙に並んだ固有名詞の濃さにくらくら。。

例えば‘83年1月号は「坂本龍一/横浜銀蝿/三波春夫/ジャム/アラブ歌謡」って(゜o゜
懐かしいやら、恥しいやら、愛おしいやら。どこかに「Phew」の名前も見えた。
そうそう、Phewが今秋リリースしたオールカバーアルバム「FIVE FINGER DISCOUNT」は、
‘80年に出した坂本龍一プロデュース「終曲/うらはら」の水脈を思わせる怪作。
Thatness and Therenessのカバーを聴いていると 一寸気が遠くなる。
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ネイチャー・センス展、黒澤画コンテ、R70

2010-10-10 04:37:15 | Art

9月末、打ち合わせ帰りに恵比寿でオーリエさんと久々邂逅した折には
東京中の雲という雲が秋風に一掃され、ミニチュア模型のような東京が
ディテールまでくっりきりパキッと眼下に広がっていた。

が、10月頭に母と海抜250mの東京シティビューから見下ろした東京は
ミルキーホワイトな霧雨の海に首までたっぷり浸かっていた。
でもそれはそれでミスティックなあやなし眺め。


そんな中、森美術館で開催中の「ネイチャー・センス展 吉岡徳仁 篠田太郎、栗林隆」
母とみて来た。森羅万象を感知する潜在的な力=ネイチャー・センスを喚起させる
3人3様のインスタレーション、非常に冴えていた。
(ちなみに森美術館はフラッシュ&三脚さえ使わなければ写真撮影もOK)


のっけから、吉岡徳仁作品に引き込まれた。
吉岡徳仁「スノー」2010

雪のように舞うのは羽毛。アクリルに映る人影も、作品の一部と化している(左)。
写真のシルエットは母。母も私も雪国出身なので、雪にはことのほか深い思いがある。
雪は、昏く美しく恐ろしい。ふしぎなことに、この作品の雪はとても温かく感じられた。

同じく吉岡徳仁の「ウォーターフォール」(右)は、
外界との境界を美しく蕩けさせ、曖昧化する絶妙な作品。
素材はスペースシャトルにも使われている特殊ガラスなのだそう。
このガラスも、なぜか視覚的に温かく感じられた。


京都の東福寺にある重森三玲設計の庭「銀河」をモチーフにした篠田太郎の「銀河」(左)も、
凛と研ぎ澄まされた作品だった。天井から時折り注ぎ降る滴によって、
液面に星座が一瞬浮かび上がり、即座に消える。あの重森三玲の枯山水の宇宙観を
こんな風に解釈するなんて、心ふるえた。ただ、上から注ぐボトルが視界から見えないように
セッティングしてくれたら、もっとよかったような。

一番最後は、ジャンクな家具とネイチャー関連本(閲覧OK)がインスタレーションされた
「ネイチャー・ブックラウンジ」(右)。こんな図書館があったらいいのにな。

現代アートとかデザインとか、狭量なカテゴリーをしなやかに軽やかに超越して
新鮮に愉しめる企画展だった。 小雨降るなか 行ってよかったねー、と母娘でしみじみ。


先週は写美の学芸員さんと打ち合わせした後、仕事冥利でご招待いただいた
秀逸な企画展を幾つか堪能。一つは「オノデラユキ写真の迷宮へ」。

非常に深淵でコンセプチュアルなアプローチながら、インターフェイスがコマーシャルと見紛うほど
エレガントでスイート。それらのエレメントは、ガーリィともいえる。
でもパリ発のお洒落さんで終わっていないところが、この人の真髄。美しくて、深い。
初めてちゃんと対峙したけど、かなり好きになりました。

古着のポートレート 1994(左) Transvest 2009(右)

ピンクの背景にキッチュなオブジェ群が並ぶ12枚の連続写真は、
よく見ると、オブジェに紛れた中央の丸鏡にフォンテンブローの森が映っている。
一見スタジオ写真と見まごうが、実は森の中で撮影されていることを
“鏡像の森”が唯一証明している。この人のギミックはどこか痛快だ。

12 Speed 2008

同じく写美で10/11まで開催中の「黒澤明生誕100年記念画コンテ展 映画に捧ぐ」も観てきた。
昔、父に見せてもらった『影武者』の画コンテ集で、黒澤のただならぬ画才に驚愕したものだが
生でみると、さらに迫力。黒澤の脳内にはクランクイン前からパーフェクトな映像が
存在していたということだ。黒澤映画は捨カットが無く、1カット1カットの画作りの濃密さたるや
いちいち溜息ものだが、画コンテの段階で既に溜息ものの完成度だったわけだ。
会場をじっくり巡りながら、黒澤フリークだった亡父に、心の中で何度も話しかけた。
『乱』より
『影武者』より

『影武者』や『乱』で主役を務めた仲代達也のインタビューを、昨日たまたまスカパーで見たのだが
彼は『七人の侍』に通行人のエキストラで登場していたよう。監督からなかなかOKが出ず、
そのわずか3秒ほどのカットのために、スタッフ数百名で半日を費やしたという。。恐るべし、黒澤。
仲代氏いわく「役者は楽器。役柄に合わせ、声色も当然変える。役者は芸術家ではなく、芸人だから」
写美の会場には、F.F.コッポラとJ.ルーカスの“黒澤を語る”みたいな映像も流れており、
これもかなり興味深かった。特に『影武者』におけるコッポラの勝新太郎と仲代達也論、必聴です。



少し遡るけれど、銀座で開催していた「前衛★R70展」も拝見。赤瀬川源平、秋山祐徳太子、
吉野辰海などなど、70歳以上の前衛芸術家たちの“前衛”っぷりを、たっぷり堪能した。
池田龍雄に至っては、17歳で敗戦を迎えた80代の元特攻隊員。存在自体があるいみ“前衛”だ。
みなさん、全然枯れていない。悠々自適なアヴァンギャルド爺たち。恐るべし、R70。

その足で銀座ライオンへ。日本で初めて飛行機を操縦した女性・原野先生も、
元NHK大河ドラマのディレクター清水さんもやはり70代ながらへたなU30よりきらきらパワフル。
そういえば、清水さんのお父様は黒澤映画『野良犬』に刑事役で出演されていたっけ。
大好きな原野先生が喜寿を迎えた記念のお誕生日ケーキ、美味でした。
ちなみに 私の母も古希を過ぎているけれど、心身ともに劇的に若い。
足るを知るR70の在りようは、歳を経ることの豊かさを身を持って教えてくれる。



先週末、プチ取材かたがた代官山の西郷山公園へ。
ただでさえ香る金木犀のアロマが ここは一段と濃密だった。
加えて、所々にオシロイバナも満開で。拙宅のベランダにもあやのさんから分けていただいた
かわいらしいオシロイバナが楚々と咲いているけれど、公園のは もっと獰猛な咲き乱れ方だった。
日が高いうちは蕾だが、夕暮になるといつの間にか開花。ジャスミンのような香りを放って。


遊歩道を下っていくと、幼稚園の裏に猫さん。そっと近づくと、随分甘えん坊だった。
黄昏時には、方々にぽっと灯るように咲いている彼岸花の朱が一段と艶やかに見えた。




幾つか原稿を書かせていただいている熊野&南方熊楠特集の文芸誌『Kanon』vol.20 が発売に。
南方熊楠顕彰館の理事 田村義也氏の熊楠についてのインタビューは、私自身も目からウロコでした。
論旨が非常に鋭利かつ明快なので、熊楠初心者にも熊楠マニアにもおすすめ。
また、東大前の喫茶「こころ」でお話を伺った哲学者 内田節氏の森についてのお話も
たいへん興味深い内容です。お読みいただくと、ちょっと世界観が変わるかも。
「自分を捨てきれない人に“悲しきもの”を見る日本人の自然観」――実に奥深いです。
高橋大輔さんの写真集を撮りおろした斉藤ジンさんの熊野フォトにも吸い込まれます。




夏に代官山のヒルサイドフォーラムで開催されたモールトン自転車展の図録も遂に完成!
キムナオさんの撮りおろし写真も、キムリエさんの編集も、早川さんのデザインも完璧です。
私も幾つかのインタビュー記事などを書かせていただきました。
詳しくはスタジオトリコのモールトンBOOKサイトを要check!


書きたいことがまだまだあるけれど、長くなるのでまた追って――
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うみ・ねこ・くらげ

2010-09-27 07:28:23 | Scene いつか見た遠い空

9月も半ば過ぎになって、やっと海に行けた。辿り着けた、という方が近いかも。
ここ数年、恒例になっている夏の終わりの くれない埠頭にて
潮風にふきっさらされる快感。♪泣きながら 泳げ スイマー by Moon Riders



右に夕陽、左にお月さま。波の向こうにラッコみたいに浮ぶサーファーのシルエット。
鵠沼海岸て、ゴールドコーストみたいなのね。昔、オーストラリア取材の時、
ゴールドコースト在住の真っ黒に日焼けした人に云われた。「あなた、とけちゃいそうだね」
ええ、たぶん私は灼熱の太陽の下では生き延びにくい生きものです。海月みたいに。

だからこそ、先日の失速した夏と覚醒した秋のはざ間の夕暮れの海は、恐ろしく快かった。
裸足を洗う波は思いのほか冷たく、胸がきゅっとなった。


8月頭から何度も「今週は原稿が終わらない…でも、くらげが出る前に必ず海に!」と
メールし続けてかれこれ一ヵ月半、やっと海辺に住むご学友ひだかに逢えた。
この日も随分陽射しが強く、日除けにストールを顔に巻いて歩くひだかは
どうみてもマレーシアの人のようだったw



本鵠沼で落ち合い、レトロな商店街をぶらり散歩。味わい深い看板や建物が多く、ツボること多々。
創業60年という「スワン洋菓子店」もそう。いまどきの洒落たスイーツ店じゃないところがみそ。
ここで、当時のままの味というシュークリームとエクレア、マドレーヌを入手。


その足で昭和レトロな「あとりえ梅庵」へ向かい、
縁側でカスタードクリームたっぷりのシュークリームを頬張る至福。


向田邦子ドラマの舞台みたいな和室でいただいた元喫茶店の古本屋「余白や」さんの珈琲も美味。
「銀幕の夢」をテーマに往年のハリウッド映画本が並べられていたが、これが和室に妙にしっくり。
写真、藍染め、古書、カフェなどなどが集まった期間限定のイベント中だったのだが、
親戚の家に遊びに行ったみたいな心地がした。


この夜はひだか&まきさんと地もののおすしを肴に
心底なごめるひととき。夏おさめに最高の一日でした。
ありがとうう!!!!! 



「うみ」の翌日は、ちよさんちに「ねこ」三昧。ちよさんちにやってきた黒仔猫のヤマトくんと
スウィートなこなみ嬢にたっぷり遊んでもらった。ヤマトくんはすばしっこすぎて
撮影が極めて困難だったけど、仔猫時代の故ニキを思わずにはいられなかった。
ヤマトくんはまたたびを思いっきり猫またぎしていた。お仔ちゃまにはまだわからない味?!

この日初めてお逢いしたMさんもどこか猫っぽくて、即なついてしまった私。
夜には映画ライターのたがやさんも参入。秋の名月にちなんだご馳走をいただきながら
「永遠のゼロ」を映画化した場合の架空の配役トークで散々盛り上がって楽しかった!

そして、久々に仕事を離れたこの2連休の後、夏は急激に断末魔を迎えた。


夏が去る直前、御茶ノ水での取材帰りに、市ヶ谷のミヅマアートギャラリーで始まった
松蔭浩之「KAGE」展に寄ってみた。彼の作品にちゃんと対峙するのは、
コンプレッソ・プラスティコ名義で出品していた1990年のヴェネツィアビエンナーレのアペルト以来。
エントランスのインスタレーションに使われていた’80sな12インチアルバムの数々
(JAPANのNight Porter、ロバート・ワイアットのNothing can stop usなどなど…)にいきなり
もっていかれ、個人的には大変興味深かった。賛否両論ありそうだけど、それこそが彼の持ち味かと。

まだほのかに蒸し暑い内堀通りをてくてく漫ろ歩きながら、1990年のちょうど同じ頃に訪れた
ヴェネツィアをぼんやり追想。。お堀が運河に見え、ボートがゴンドラに見えた。
ついでに、当時ビエンナーレでスキャンダラスに取り沙汰されていた
ジェフ・クーンズとチッチョリーナのキッチュな微笑が重なって見えた。



秋分の日とその前夜は、近所の神社で恒例の秋祭り。今年もお神輿にたくさん遭遇した。
毎年、家の真下を通るお神輿を、まんまる目で凝視していた故ニキの姿が今も愛しく懐かしい。


お祭りの帰り、箱根に向うロマンスカーが通り過ぎるのを待ちながら
踏み切りで満月と目が合う。まさに中秋の名月。
心の奥底まで照射するように冴えた光輝。



月が膨らみ、月が欠け、また膨らんで欠けて――
気がつけば もう今年もあと3カ月。唖然とするほど早い。
せつないほど早い。不思議に濃く澄んだ一季節がまた過ぎて行く。
ここのところ、ずっとリピートしているのは
『ドニー・ダーコ』のエンディングソング。うーせつない。
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エンドレスサマー2010

2010-09-13 02:14:50 | Scene いつか見た遠い空


ひまわりもぐったりするような酷暑の余韻がなかなか消えない。
台風で一気に終息したかに思えたが、晩夏の尻尾はおもいのほか太い。

7/11のブログにも載せた、代官山に突如出現したひまわり畑の
ひまわりたちも 旺盛に咲き誇った末、もはや青息吐息というのに。


東京都心では8月末に熱帯夜の日数が1994年以来の最多記録を更新したそう。
エンドレスサマー。もはやこの暑さをどこかで愉しんでさえいるような気がする。
とまれ、恐ろしく暑かった夏のことはいつまでも鮮烈に覚えているけれど、
冷夏のことはとんと覚えていなかったりするから
あと10年もすれば、この夏がきっと猛烈に懐かしくなったりするのかもしれない。ふぅ。


それでも、9月頭に恵比寿や代々木公園を行き来した折、
秋めいた羊雲が頭上にぽこぽこ群れなしていた。
薔薇園には、かわいた薔薇の代わりに、
夕陽に翅をきらきらさせた蜻蛉の群れが
羊雲の海を泳ぐようにすいすい飛び交っていた。




実は最近、仕事で別のブログを始めたこともあり、自分のブログ更新がめっきり遅れがち。
思いも写真も日々溜まり続けてはや9月。つらつら思い出しつつ、晩夏をプレイバック。



8月最後の週末、吉祥寺でコーチングの先生をインタビューした後、井の頭公園をしばし散策した。
といっても、この日も獰猛なまでの陽射しと熱気で、歩いている人はほぼ皆無。
鴨さんたち とても気持ちよさげだったけど、池もきっととろとろのぬるま湯にちがいなく。


晩夏の白昼に広い公園をそぞろ歩くと、懐かしさがふうっとこみあげてくる。
幼い頃、夏休みに家族とよく行楽に出かけた時の光に どこか似ているからなのか。



さかのぼることお盆あけ、木下ときわさんのライブ@クーリーズクリークへ。
レイちゃんてば、やっぱり「海へ来なさい」で落涙していた。
バックにピアノも入って一段とエレガントなパワーを増したときわさんのボッサと
クーリーズならではのモヒート&ゴハンで、仕事三昧の頭と身体に一服の涼と滋養。

この3日後、キムリエさん、ちよさん、マイカ社長と久々に集合。みんな、5年前に
とあるWEBサイトや雑誌の仕事で意気投合して以来のかけがえのないお仲間。
夜はうちでキムリエさんとまた夜明けまでお喋り。なんだか女子高生みたいな楽しい夜。



9/1、仕事で先日お世話になった南村さん(写真左。撮影してる金髪の方はアイロンママ田形氏)が
主宰する「Kitchen DOG!」のリニューアルオープンパーティへ。
骨董通り側にある心地よいお店には、「Red Lily Magnolia」も併設されています。
写真中央の方は会場で知り合った東京わん!Lifeペットシッターの國分さん。
バッグのわんちゃんは保護した子なのだそう。いい人に保護されてよかったね。

しかし、猫と長く暮らしてきた身としては、猫よりずっと華奢なわんちゃんたちが
みんなぬいぐるみみたいにお行儀よくしているのにびっくり! 
これがもし猫なら、パーティ会場はまさに 猫ふんじゃった状態で大騒ぎになりそうだもの。



とっくに終わっちゃったけど、銀座松屋で8月に開催していた「ゲゲゲ展」にも行ってきました。
エントランスから、デザイナー祖父江慎さんのワンダーチャイルドなアートワークが炸裂。


チケットブースも、ぬりかべ。

子供の頃は、墓石や卒塔婆の画も鬼太郎も怖くて、漫画もTVも横目でしか見ていなかったのだけど
あらためて水木ワールドを俯瞰すると、もの凄いクリエイターだなあと、今さらながら。
会場ではやっぱり号泣してるお子様がいたけど、水木しげるの描く目玉って
子供には妙に怖いのよね。


会場に隣接したグッズ売場には、猫娘の無添加ミスト、一反もめんタオル、目玉おやじプリンetc…
その見事な商魂と、グッズを大量に抱えてレジに並ぶ長蛇の列にびっくり。
ちなみに、ねずみ男グッズがほぼ皆無に等しかったのだけど、なぜ?所属事務所が違うの?



会場では、鬼太郎の原画の背景が恐ろしく細密で目を見張ったけれど、
帰宅して水木しげるの『猫楠』を改めて見ると、熊野の森の描写が驚くほど緻密。


そういえば、鈴木慶一が映画版「ゲゲゲの女房」の音楽を作ったよう。聴いてみたいな。



これも8月、近所のラムフロム・ザ・コンセプトストアで開催していた佐藤健寿「新・奇怪遺産」を
観てきた。世界中の奇怪な建造物を撮りおろした写真集の作品が中心だったが、これみよがしに
その奇天烈ぶりを暴くという作風ではなく、キッチュな建造物に実に淡々と向き合っている印象。


被写体としては既に見慣れた場所も多く、むしろ懐かしかったりもした。
イタリアのボマルツォオ怪物庭園もそのひとつ。ボマルツォへは澁澤龍彦も1970年に
嬉々として訪れており、「ヨーロッパの乳房」の冒頭でその仔細を語りつくしている。

と、これは随分昔にボマルツォ庭園に行った時のマイスナップ。佐藤氏の作品じゃなくて恐縮です。
下半身がないように見えるのは、黒いパンツが背景の黒にとけてしまったからです、念のため。
怪物くんの唇には「OGNI PENSIERO VOLA(全ての思考は飛び去る)」と彫られている。いいことかも。


ちなみにこの怪物くんを中から撮影すると、こんな感じ。案外かわいいのです。


この庭園の怪物たちはどれも、バロック萌えの私にはちっとも怖くなく、
むしろ飄々と牧歌的にすら見えた(遠い目)。




ラムフロムの斜向いにある図書館の隅に、夕涼みの猫さんが一匹。
この夏、野良猫たちを真昼にみかけることは皆無だったけれど、
みんなどこで涼んでいたのだろう。



――と、梨を食みながら久々にブログを書いているうち、
日付が変わる前はまだ蒸し暑かった夜風が
随分心地よくなっていることに気付いた。

ここのところ、母が贈ってくれた初秋の風物詩、
幸水を朝な夕なにありがたくいただく日々。
身に染み通るようなみずみずしく澄んだ果汁が、
体の内側から小さな秋を報せているのを感じる。
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マン・レイ展、こころ、東大総合研究博物館

2010-08-22 08:51:58 | Art






黄金の唇、青いハート、眼球のオブジェ――
先日、新国立美術館でみてきた「マン・レイ展」の残像は、いかにも“マン・レイ”なのだが
今展のサブタイトルが「知られざる創作の秘密」だったことを、私は行くまでうっかり忘れていた。
そこでみたのは、私がよく知っていると思っていた写真家マン・レイとはまったく別の芸術家だった。
(*引用作品はマン・レイ展図録より)


遡ること、学生時代に観たマン・レイ展は、ポストカードになるような代表的写真が中心だった。
当時は、大辻清司先生の授業に触発されて写真を撮り始めたばかりだったので、マン・レイが好んだ
「ソラリゼーション」(モノクロ写真を現像する際、通常より過度の露光で白黒が反転する現象)や
「レイヨグラフ/フォトグラム」(カメラを用いず、印画紙上に直接物体を置いて感光させる表現)の
写真を1作1作穴があくほど眺め、最後は眩暈を覚えるほどへとへとになった記憶がある。
大人のためのアルファベット(レイヨグラフ1970)


これはパリ時代、マン・レイの愛人だったキキ・ド・モンパルナスを
モデルにした有名な実験フォト「黒と白」(1926)

現代なら、フォトショップで瞬時に加工できてしまうのかもしれないが、
もし現代にマン・レイが生きていたら、もっと凄い実験フォトを編み出していたのかもしれず。
芸術上の“実験”は、常に時代と共に存在価値じたいが変容していく。


ちなみにマン・レイが手がけた肖像写真は、キキをはじめ、ピカソ、ピカビア、サティ、
ジャコメッティなどなど時代の寵児ばかり。なぜかカメラ目線でないショットが多い。
あくまでも私見だが、アンリ=カルティエ・ブレッソンの肖像写真と比べると、
人物を瞬時にとらえるブレッソンの圧倒的な迫力に、マン・レイの肖像写真は遠く及ばない気がした。
まあ二人とも、時代も畑も違うのだけれど。


マン・レイは写真でも絵でも立体でも、しばしば「手」をモチーフにしている。
デッサンは、その人の“天才度”を最も端的に示すもの、と私は勝手に思っているのだが
彼の素描はひどく魅力的ながら、決して天才の域には届かない。
ただ、マン・レイの描く「手」にはどれも、不思議な生命力が宿っている。
手の習作(年代不詳)

マン・レイとマックス・エルンストによるフロッタージュ(1936)も非常に魅力的。
NYからパリに移って来た時代のマン・レイ作品の多くには、あたらしい勢いがある。



1920年代に、棄てられていたランプシェードをヒントに創ったオブジェ(当時、美術館のスタッフに
ゴミと間違われて棄てられてしまった……といういわくつきの作品)を、彼は1960年代に
「未解決の耳飾り」という名のアクセサリー作品としてリメイクしている。
ちなみに、「未解決の耳飾り」を着けて微笑んでいるのは、カトリーヌ・ドヌーヴ。

マン・レイは生涯を通じて、自作のリメイク作品を乱発するが、
それはミロやキリコが晩年に自作を模倣したようなアイデアの枯渇に起因するものではなく
常にオリジナルにこだわらず、スタイルに溺れず、人生が実験道場であり続けたマン・レイという
永遠のダダイストであり、永遠のシュルレアリストの“実験”の延長だったのかもしれない。


ピカソ同様、麗しきファム・ファタルたちとの蜜月と別離を多くの作品に転じてきたマン・レイだが、
彼の最後のミューズとなったのが、LA時代に出逢ったモデル、ジュリエット。

最後のコーナーには、ポップなサングラスをかけて、マン・レイの晩年を実に幸福な面持ちで語る
お婆さんになったジュリエットの秀逸なドキュメント映像が上映されていた(これ、必見)。
会場では他にも 20年代の実験映画「ひとで」「エマク・バキア」などが同時上映されていた。
高校時代に観て以来 内容はすっかり忘却の彼方だったのだが、改めて観るとひどく懐かしかった。


今回のマン・レイ展、もの凄くざっくり言ってしまうと、商業写真で稼ぐことをよしとせず、
一つのスタイルに拘泥することなく、アートとしての実験映像や絵画、立体作品などを模索し続けた
芸術家マン・レイの試行錯誤の足跡を体感できる絶好の企画と思った。
(ちなみに8/16まで併催していたオルセー美術館展は長蛇の列だったが、マン・レイ展はそんなに
混んでいなかった。ただ、作品保護のため会場が冷蔵庫並みに寒いので、薄着に注意です)



暮れなずむ生温かな夏の黄昏時、新国立美術館を後に、オーリエさんと六本木から恵比寿へ。
メトロの中で、キュートな眠り姫たちに遭遇した。2010年、終戦記念日前夜の平和な一瞬。

恵比寿の心地よいレストランで、畏友オーリエさんとささやかなお盆休みナイト。
実に一カ月以上ぶりのオフに、安息の乾杯。


マン・レイ展に触発され、帰宅してから不意に懐かしくなって学生時代の写真ファイルを探すと
あったあった、ソラリゼーションやレイヨグラフを試して遊んでいた頃の印画紙がわさわさと。
ベタ焼きに写っている当時の風景や友人たち、下手っぴなセルフポートレートに、しばしくらくら。。

自分でフィルムを現像したり、印画紙に焼いたりしたのは、結局この頃だけ。
デジタル化した今では、貴重な体験だったのかもしれない。
暗室の酸っぱいにおいが懐かしいな。。




残暑たけなわの先週半ば、本郷にある東大前の老舗喫茶店「こころ」にて、
40年間この店に通い続けているという哲学者 内田節先生のインタビュー。
創業55年のこのお店、名前の由来はもちろん漱石。
戦前はここに新宿中村屋本店があったのだとか。
店のご主人は、私が店内のステンドグラスを撮っていると、
「これ、東大の先生に描いてもらった贋物なのよ」と教えてくれた。



東大の赤煉瓦を臨む窓辺の席で 内田先生から伺った森のお話はとても深く印象的だった。
7月に取材した南方熊楠関連の記事と共に、9月発売の季刊誌「Kanon」の熊野特集に
掲載されるので、また追ってご紹介します。



取材後、少し暑さが和らいだので、東大の中を久々に散策。駒場といい、本郷といい、
旧前田公爵家阯はつくづく贅沢だなあ。内田祥三による図書館や医学部系の建物も存在感が違う。




「東京大学総合研究博物館」も東大の穴場だ。常設展「キュラトリアル・グラフィティ」に加え
「火星 ウソカラデタマコト」展と、「昆虫標本の世界」展も併催していたので寄り道。

エントランスにいきなりリアルなスカルがどーんと展示されており、それが妙にスタイリッシュだった。
大森貝塚から出土された土器の破片の展示も、アイウエイウエイのアート作品のような風情だし、
真っ赤な壁にずらりと並んだ人骨も、静謐なインスタレーションの如し。
考古学的な専門知識がないので恐縮だが、秀逸な展示デザインだけでも一見の価値あり。
ただ、骸骨にはやっぱり最後にそっと合掌してきました。


その奥の「火星」展もまたシャープな展示だった。
ちなみに火星人がいるという言説の源は、19世紀イタリアの天文学者スキャパレリが火星観察図に
「Canali(溝)」と書いたところ、仏語や英語に「Canal(運河)」と誤訳されてしまったことから、
「火星には運河を作るような高度な文明があるに違いない」という妄想に発展したのだとか。
非常に知的でクールな展示の中で、なぜか古典的なイカorタコ型宇宙人の模型が
ひたすらくるくる回っていたのに大変うけました(笑)



「昆虫標本の世界」展は、入口にいたスタッフが「蟻の標本、ぜひ見てくださいね。
ぱっと見ると何もないように見えるけど、よーーく見ると1mm以下の蟻がちゃんといますからね」と
悪戯っぽく教えてくれた通り、米粒に文字を書く芸に匹敵するほど細密な蟻標本に呆然。。

幼い頃、父が採取したオオムラサキを丁寧に標本にしているのを目の当たりにしたことがあるが
標本とは残酷な棺桶ではなく、生の形を永遠に留めておく魔法の箱なのだと その時理解した。
それにしても、かつてオオムラサキが世田谷区にも飛んでいたとは驚きだった。

しかし、蟻といい、骸骨といい、子供時代にはいずれも一番苦手だったものたち。
前者は映画『黒い絨毯』の、後者は手塚治虫の短編漫画によるトラウマなのだが、
実は今もスカルのデザインは大の苦手だし、蟻がうっかり手についたりすると悲鳴をあげてしまう。

けど、蝉は大好き。博物館の入口に、生きている蝉がいて少しほっとした。
といっても、もう飛び立つ力もなく、短い生をここでまっとうしようとしているようだった。
辺りに鳴り響く激しい蝉時雨の下で、この蝉に なぜだか ありがとう といいたくなった。




帰りに本郷通りで薬局前で今度はインコに遭遇。カゴの前にはなぜかペットボトル入りの
ペンペン草が供えてある。サトちゃんも含めたこの絶妙な配置、何かのインスタレーション?



帰途、「ルオー」の前を通ったら、つい寄り道したくなり、アイスクリーム休憩。
2階には私以外誰もおらず、ルオーの複製画のピエロだけが所在なさげに佇んでいた。


店を出る頃には頭上に夕暮が迫っていた。
まだ蒸し暑いのに、生温かな風からは うっすら秋の匂いがした。
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