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スリランカ ロードムービー3 砦と猫の街ゴールフォート編

2010-12-30 15:56:27 | Travel 国内外猫の目紀行

ゴールロードを南へ南へ ひた走ってきたスリランカ取材の後半、
ようやくゴールの街に辿り着いた。ゴールの旧市街であるフォートは、
インド洋に向かって猫足状に突き出た半島で、1日もあれば街中のストリートを
網羅できるほど小さな街。でも、そこにはリノベーションされたコロニアル建築や、
風格ある教会、モスク、ミュージアム、洒落たカフェやショップがひしめいていて、
東西の歴史と文化が絶妙に融けあったハイブリッドな異空間になっている。


一角には、なにげにアマン系ホテルもあったり。大変エレガントだったけど、
私はバワの弟子がリノベーションしたホテルの方がどこかお茶目で好みだった。


美しい卵色の城壁に似せた色彩の家々が多く、ゴールにあるバワリゾートの傑作
「ジェットウェイング・ライトハウス」(右下)も、サマラカラーと呼ばれる明るい卵色が印象的だった。
左下は、フォートの突端にそびえる本物の灯台(ライトハウス)。




ゴールでは、道で住人と目が合うと みな「どこから来たの?」とあたたかく微笑みかけてきた。


お土産品は手仕事の美しい品が多い。スリランカの人はカレーを指ですくって
巧みに食べる習慣があるからか、手先が実に器用。50本以上の針を駆使して
緻密なレースを編んでいたお婆さんに「1枚どのくらいかけて仕上げるんですか?」と訊ねると、
「早くても一週間以上よ。でも仕上がるとすごく幸せよ!」と嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。

「手作りハンモック、売ります」というコピーにも魅かれたけど、
売り子もハンモックもまるで見当たらなかった。

それにしてもゴールは、とりわけ私を嬉々とさせてくれる街だった。それは、妙に猫が多いのだ。
街の人に理由を訊いても「なぜかしらね」という顔をされるけど、少なくとも南西海岸一の猫街。
もしかしたら、列強の支配時代にネズミ除けに飼われていた猫たちの子孫なのかな?
見かけるのはブチ、三毛、トラばかり。みんな、雨の中でも平気で道をタッタカ走っていた。 


オランダのアンティーク店の売り物の戸棚でちゃっかり午睡している猫たちもいれば、
お土産やさんの軒先で メス猫をしつこくくどいては猫パンチされているオス猫もいて。。


・・・
ゴールフォートのぐるりには、ポルトガルやオランダの植民地時代に外敵から街を守るために
築かれた砦が張り巡らされている。奇しくも、その砦がこの街を津波から奇跡的に護った。
砦に上って海を見下ろすとちょっと足がすくんだ。「マダム、2000ルピーくれたら
ぼく、ここから海にダイブしてみせますよ!」と少年が言い寄ってきたので
「危ないからやめて」と断ったが、かつて商談が成り立ったことがあるのか謎だった。


砦の上で死んだように横たわっている犬がいたので心配になってじーっと見ていたら
向こうから団体旅行客がなんだなんだと近寄ってきた。訊けば、全員家族なのだという。
右端がママ。中央の青い人がパパ。ゴッドファザー&マザーも孫たちの間に紛れている。
スリランカの北の方から、一家総出で遊びに来たらしい。数えると全部で16人。
妊婦さんもいるから、もうすぐ17人になる勘定。なんだか、いいな。
日本ではこんな大家族自体珍しいし、全員集合するなんて、冠婚葬祭以外ないような気がする。

ぼんぼやーじ、あーゆるぼわん。みなさんお元気で~


そんなわけで、スリランカロードムービー3部構成ブログ、これにておしまいです。
しばらく書いていなかった反動で、筆が走ってしまいました。
とりとめのない旅日記を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

帰国早々、打ち合わせ帰りに見た代々木公園の薔薇と紅葉が目に染みた。
わずか一週間でも、濃い旅の後は、いろんなことが妙に沁みます。


それでは、どうぞよいお年をお迎えください。
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スリランカ ロードムービー2 ジェフリー・バワ編

2010-12-29 21:15:46 | Travel 国内外猫の目紀行

スリランカの世界的建築家ジェフリー・バワが晩年を過ごした
自作の理想郷ルヌガンガ ガーデン。これは、その中にあるバワの執務室での1枚。
最初、ラフなTシャツに短パン姿だったガイドの男の子が「ちょっとお待ちください」と
そそくさ奥に消え、しばしのちに息せき切らして「着替えてきました!」と
バワが愛した白い上下で正装して再登場し、バワの素晴らしさについて
それは熱心に説明してくれたのが、とても印象的だった。
手前にある長椅子は、バワがデザインしたラブチェアー。
なんともバワらしい、ユーモラスであたたかなフォルム。


うっかりしていて ガイドくんの名は失念しちゃったけど、、ありがとう!
ガーデンに茂っていたシナモンの葉やオリーブの実を齧る仕草がチャーミングだったなぁ。
右はバワ建築のひとつカニランカ・リゾート&スパのスタッフ、リシニーさん。
私がバワのリゾートを巡っていて、唯一 日本語が話せた人。とってもフォトジェニックで
かわいかったので、いろいろなスポットでモデルになっていただきました。ありがとう!



アマンをはじめ、世界中のリゾート建築に影響を与えたジェフリー・バワ。
今回、バワ建築のホテルやヴィラ、ガーデンを相当数巡ったが
バワの空間は、体験すればするほど 虜になる。

かつて、タヒチやモルジブ、バリ、ハワイ、オーストラリア、フィジーなどなどの
熱帯リゾートを取材させていただいたり、個人的に見学したことがあるけれど、
バワ建築はオリジナリティという点で、「別格」という感想を持った。
単にびしっとスタイリッシュで、超然とかっこいいホテルなら、ほかにいっぱいあると思う。
でも、バワ建築は、そういう“気取り”や“威嚇”や“選民性”の対岸にある。 
地球にも宇宙にもそのままスーッとつながっていくような自然との親密さという点で、
バワの空間は見事なまでにフラットでボーダーレス。ゆえに恐ろしく快い。

バワ建築の魅力については、来年出るスリランカの旅本の特集でじっくりご紹介いたしますので
来春、本が無事に発売になったあかつきに、あらためてご案内させていただきます!






ちなみにバワはホテルだけでなく、お寺や大学などの建築も手掛けている。
そしてバワ建築のある所には必ずどこかに、彼の愛したテンプルフラワー(プルメリア)が香っている。



奇しくも津波がスリランカ南西海岸を襲う直前に、84歳の生涯を閉じたジェフリー・バワ。
彼が永眠するルヌガンガ ガーデンは、「ほんとにここでいいの?」と不安になるような
ジャングルと沼地と小さな村を幾つも越えた細い1本道の奥に、ひっそりと広がっていた。
ルヌガンガ ガーデンを作るのに影響を与えたともいわれる
バワの兄べヴィス・バワ(彼も多彩なアーティスト)の作ったブリーフ ガーデンも
やはり密林の奥の奥のまた奥に、眠れる蛇のようにそっと潜んでいた。

あのじゅじゅっとした湿気を孕んだ熱帯樹林の一本道を そろそろと進むさなかにも、
車中にエンドレスで流れていたのは、やっぱり ビリー・ホリデイだった。

次回は、スリランカロードムービー3 城塞都市ゴール散策のお話をしたいと思います。
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スリランカ ロードムービー1 南西海岸編

2010-12-29 00:15:54 | Travel 国内外猫の目紀行

一週間というのは、普段通りに過ごしていたら、記憶の渦潮に呆気なくのまれていってしまう。
けれど、もしそのとき琴線に触れる「旅」をしていたとしたら、それがたった一週間だったとしても、
心身に刻まれて決して消えない。うつくしい瑕のように――

この12月に訪れたスリランカの旅は、まさにそんな体験だった。
旅本の取材で行ったので、私的旅行のように気のおもむくままというわけにはいかず
しかもスケジュールはてんこ盛り。ジェフリー・バワ建築の取材担当だった私は
他の取材チームと完全に別行動で、深夜、コロンボ空港に到着するなり ひとりぼっちに。
ナビ役の現地ドライバー チャミンダさんがいい人で ほっ。(ちょっとチャーリー・ブラウン似)

空港にほど近い漁港ニゴンボの鄙びたビーチサイドホテルで、暗闇から聴こえてくる波音をBGMに
きしむ天井扇を眺めながら眠りに落ち、翌朝目覚めたら、ホテル前のビーチに ニゴンボ名物の白い
カタマランが、生あたたかな潮風に帆を膨らませているのが見えた。その瞬間から、スリランカの
南西海岸沿いを北からひたすら南下する ロードムービーな旅がはじまった。

宿泊ホテルでは、国土がマンゴーの形をしたスリランカのマップを花の置かれたベッドに広げ
走った道筋をペンで辿りながら毎晩うたた寝。。滞在中は、持参した音楽もほぼ聴かなかった。
毎晩天気が悪く、熱帯樹の大きな葉っぱを打つ激しい雨音が、不思議と心地よかったから。



ニゴンボからゴールまで、南西海岸沿いに走る道の名は、ゴールロードという。
ゴールロードと並行して線路が走っており、時おり汽車(電車ではない)がガタゴト。。
6年前のクリスマス明けに大津波の災禍に遭ったのもこのエリアだが、今はその痕跡も薄れ、
大渋滞のコロンボを過ぎれば、ひたすら長閑な風景が連なるご機嫌な一本道だ。
そんなゆるドライブの途上でしばしば目にしたのが、牛、牛、牛。みーんな、瞳がやさしい。
あんまり目が合っちゃうと何だか申し訳ない気がして、現地滞在中はビーフを一切口にせず。


リスもよく見た。シンハラ語では「レナ」と呼ぶ。恐ろしく鋭敏だが、やっぱり目がかわいい。
思うに、スリランカの人は生きものにとても寛容だ。もちろん、人に対しても。
昨年訪れた時もしみじみ感じたことだが、そのおっとり穏やかな国民性と
日本人観光客ずれしていないピュアさが たいそう新鮮で心地かった。


野良犬も大勢いる。ハイクラスホテルのカフェテラスにもちょろちょろ遊びにくる。
一方、蒸し暑いのが苦手な猫は、家の中で飼われていることが多いそうで、
牛や犬や蚊ほど多くは見なかったけれど、出逢えばどの子も人懐っこくて。
猫はシンハラ語で「プーサ」という。猫を見つける度に「プーサ!」と叫ぶ私に、
行き交う人はみなおかしそうに笑った。↑写真の妙にリラックスしたわんにゃんは、
ビーチサイドのレストランでランチ中に遊びに来た子たち。ただし、彼らもさすがにカレーはNG。
ちなみに、現地の人たちは、三食カレーが基本。私も少なくともランチは100%カレーだった。
でも、野菜豊富で何種類もの多彩なカレーをお好みでいただけるので、とってもヘルシー。
「これ辛い?」と訊くと、相当辛いものは現地の人が一瞬ニヤッとするので避けやすいし(笑)



南下しながら幾つかホテルを転々とした中で、最後の宿泊地となったのは、ゴールのやや東にある
ウェリガマの港に面したホテルだった(冒頭写真はそのバルコニーからの早朝風景)。
早起きして砂浜に出ると、漁師さんが「ウニ食べる?日本人、ウニ好きでしょ」と
その辺にぼこぼこ転がっているウニを気さくに勧めてくれたり。ちなみに、この漁師さんの
愛用しているトゥクトゥクの座席には、ボブ・マーリーの特大七色シールが貼ってあった。


このウェリガマビーチの側には、タプロベーンアイランドと呼ばれるそれはそれは小さな島がある。
島に行きたいというと、濡れてもいい恰好で来なさいという。干潮時には歩いて渡れるけれど、
満潮になると、泳いで帰るしかない島なのだ。私は一眼レフをジップロックに封印し、
コンパクトデジカメを片手に、短パンに裸足で浅い浜をとことこ。想像したほどは濡れなかったが。

タプロベーンアイランドはかつてポール・ボウルズが所有し、ここに滞在しながら『蜘蛛の家』を
執筆したといわれる。八角形の建物が連なる不思議なヴィラは、リニューアルの真っ最中で
廃墟のような様相を呈していたが、それがかえって美しかった。ポウル・ボウルズが愛用していた
部屋には半壊した古いベッドがあり、そのヘッドに施された黄色い蝶のレリーフが妙に印象的だった。


タプロベーンのガーデンで、白い蝶を見かけた。
ふと、なぜだかこの島にひどく心奪われている自分にきづいた。
ポール・ボウルズが、このひそやかな島に魅了された理由が、理屈ではなく解る気がした。
この日の夜、初めて夕刻になっても天気が崩れず、ゴールロードから夕陽を拝むことができた。


ちなみに、南西海岸をひた走ったドライバー チャミンダさんの愛車は、中古の日産ツインバード。
ナビも思いっきり日本語。インド洋沿いを走っているのに、表示はなぜか太平洋だったり、
川崎をしれっと表示していたりして、見る度に大爆笑(ナビの横に鎮座するプチ仏像もナイス)


そんな道中、チャミンダさんがかけてくれたビリー・ホリデイが
今も写真を眺めていると頭の中にぐるぐる回る。。。
次回は、スリランカロードムービー2として、取材で廻った建築家ジェフリー・バワの世界を。
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サイクルダイアリー@軽井沢 新緑編

2010-06-04 09:42:23 | Travel 国内外猫の目紀行


目覚めたら、鳥たちのさえずりがこだまする木立の中に居た。


寝ぼけまなこで、緑の眩しい光線が差し込むウッドデッキのテラスを歩く。
前夜は星野温泉の露天風呂でとろとろになったので、身体が軽い(露天にカルガモもいた!)。
すぐ近くでウグイスがホーホケキョッ。生まれたての雛なのかな、ケキョケキョッって、練習してる。


そう、先週末は軽井沢に 逸楽の逃避行。
東京とはあきらかに分断された、長閑な時間。
キムリエさん&キムナオさんのおうちSTUDIO TORICO で迎える朝は、今年2度目。
前は極寒の2月だったので、庭も雪に覆われ、周囲の木立も氷の世界だったけれど、
今は旺盛な花と緑の浄土! キムリエさんに案内してもらいながら庭の花々をパパラッチ。

なんだかふと、何十年後もキムリエさんと一緒に
きゃふきゃふ山野草を愛でてまわっている様子が目に浮んだ。
ほんとにそうだったら、いいな。


つやつや伸びるゼンマイや、ぷっくり膨らんだ山芍薬の蕾のさなかに、
‘60年代のイタリア映画でしかお目にかかれないような とっぽい車を発見!
噂に聞いていたキムナオさんのもうひとつの愛車 FIAT124ピニンファリーナ・スパイダー。
若き日のマルチェロ・マストロヤンニがローマのヴェネト通りとかで乗り回してそう。。



この日は晴天。絶好の自転車日和。東京より少々肌寒かったけれど、自転車を漕いでいると
身体がぽっぽしてくるので、かえって好都合。野鳥たちやテントウムシ君に見送られ、
いざ自転車3台連ねて軽井沢サイクリングに出発♪



まずは、あさま山荘事件のあったレイクニュータウンに向う途上にある、
キムリエさんたちおすすめの喫茶店ばおばぶへ。水辺に佇む緑陰のロケーションは恐ろしく心地よい。
しかも、’80年代の「別冊 太陽」や、'70年代末の「ロードショー」や「スクリーン」が
なにげにどっさり置いてあって、泣ける(表紙がテイタム・オニールとか故ファラ・フォーセット!)。


そこから今度は軽井沢高原文庫のある一角までぶーんと疾走し、
有島武郎が「生まれ出づる悩み」を執筆したという浄月庵(三笠から移築)もチラ見。
彼が心中したのも、5月の軽井沢だった。

「生まれ出づる~」を読んだのは高校時代。
当時、白樺派には傾倒しなかったのだけれど。


旧軽井沢に向う道すがら、雲場池にも立ち寄った。
木立の奥に鏡のようにつややかな池が広がっていて、胸がすくほど清々しい。
ちょっと上高地を彷彿。




なんと、蛇くんもにょろり!

ぱしぱし接写していたら、三脚を持ったおじさまに「あなた怖くないの?!」と引きつった顔で言われた。
案外かわいいですよー。幼児期、動物図鑑が愛読書だった私は、蛇の頁もフェイバリットだったのだ。
といっても、パイソンのバッグや財布などはぞっとするほど苦手だけれど。


旧軽井沢通りを抜け、さらに木立を行くと、明治創業の「万平ホテル」に到着。
箱根宮ノ下の富士谷ホテルを思わせるレトロなメインダイニングも素敵なり。
資料館には、かつて使用していたバスタブの猫足もいろいろ展示されていた(猫足萌えなもので)。



1952年5月の宿帳には、三島由紀夫のサインが!
「美徳のよろめき」も、万平ホテルを舞台に書かれたのだとか。

「美徳~」も高校時代に読んだが、白樺派より断然好みだった。
背徳的なよろめき女子高生だなぁ(頭だけね)。


帰途、キムリエさんおすすめの女街道をひた走り、
昭和の香りがする「珈琲テラス 街道」前に自転車3台止めて、ひと休み。


キムリエさん&キムナオさんの自転車はモールトン。私も試乗したけど乗りこなせず断念。
ちなみにキムナオさんはモールトン博士を撮影したこともある。その写真がまたいいのだ。
(今月末には代官山のヒルサイドテラスでモールトン自転車展も開催予定だそう)

私はアップダウンで太腿じんじん、このとき既に全身よれよれ状態。。

'70年代当時のままのしつらえがたまらない喫茶店内で、
庭で収穫したというブルーベリージャムを惜しげもなくかけたアイスクリームをいただきながら、
店主のおばあちゃんに昭和の軽井沢史を地で行く話をいろいろ伺った。

若い頃は美智子さんと皇太子がテニスをする姿をうっとり眺めていたものよ、とか、
浅間山が噴火した時は川の字になって寝てたら 窓硝子が全部吹っ飛んじゃって驚いたわよお、とか、
あさま山荘事件の時はおっかなかくてたまらなかったねえ…などなど。
写真がお好きじゃないとのことだったので撮影は遠慮したけど、ほんといいお顔だった。

お店の入口や裏の庭にはスズランやサツキをはじめ、
オオデマリ、オダマキ、イチゴなど百花繚乱だったので見せていただくと、
花を幾つかさくっと抜いてお土産にくださった。ありがとうございます!




軽井沢で過ごした時間は、またもや命の洗濯だった。新緑にいのち洗われる快さ!
生まれたばかりのやわらかな若葉の匂い、鳥たちの甘いさえずり、毅然と潔い翠の風。
3人で自転車を連ね、凛々と生い茂る木立のラビリンスをびゅんびゅん疾走しながら、
心に積った澱や瘡蓋がみるみる剥がれていくのを感じた。


いただいたスズランとオダマキ、ありがたく部屋に飾っている。可憐!
オオデマリはニキキに飾っていた黄色いピンポンマムと一緒に挿した。



今も目を瞑ると、緑のパースペクティブが視界を果てしなく走っていく。
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南イタリア脳内トリップ、ひこにゃん、フリージア

2010-03-21 08:15:57 | Travel 国内外猫の目紀行
すごい突風が吹いている。西風ゼフュロスが女神フローラをさらっていく図を妄想byボッティチェッリ。
ここのところスケジュールが瞬間風速的にびゅうって加速してパタパタしてる間に はや春分。


少し遡るけど、先週、「Decore プロジェクト」のレセプションでレイちゃん&オーリエさんと
九段下のイタリア文化会館へ。一時期、物議をかもした真っ赤な外観、私は好きです。


エントランスの一角にはボッチョーニの未来派彫刻を象ったデザインが。
(’09.10/5のZIGZAGイタリア@日本科学未来館のブログにボッチョーニについて書いてます)


「Decore プロジェクト」とはイタリア ロンバルディア州の職人を中心とした室内装飾のイベントで、
来日していたマエストロたちによる実演や展示も妙にニッチ&マニアックで面白かった。


この日、個人的に最も楽しみだったのは、陣内秀信教授の講義。イタリアのまちや建築に関する
陣内さんの著作は気取らずさくさく核心を突いていくのでとても快く、昔から愛読している。


ご本人も、少しももったいぶったところのない明朗な方で
この日は、イタリア各都市のファサード装飾について 豊富な実例を写真で見せながら
さくさく軽快&濃密にレクチャーしてくれた。


イタリア人シェフによる料理&ワインが並んだパーティでは、
ヴァルポリチェッラ片手に陣内さんともお話。本当に気さくな方。
個人的に一番好きなまちは南イタリアのチステルニーノだそう。(やっぱり南なんだ!)
陣内さんがヴェネツィアやローマに留学していた1970年代に訪れたという南イタリアの話は
もうあまりにツボすぎて、陣内さんの生徒になりたい!と本気で思った。




そんなわけで、先週末は原稿の間隙を縫って、うちにある陣内さんの著作を読み返したり
南イタリアを旅した時のアルバムをめくったりして しばし南イタリア脳内トリップ。
このブログでもしばしば懐かしい旅の断片を呟いているが(これとかそれとかあれとか)
アルベロベッロやマテーラなど南イタリアのまちは、ひとつひとつがまったく異なる世界観を持った
小宇宙を形成しており その迷宮にはえもいわれぬ蠱惑的な魔力が宿っている。
陣内さんも『南イタリアへ!』で「一度この地を知ると虜になってしまう不思議な魅力がある」と
述べている通り。思うに、一度でもこの地を彷徨すると 魂の一部を そこに永遠に置いてきてしまう
のかもしれない。南イタリア旅行の拙アルバムより↓




なにもかも、つい昨日のことのように鮮烈に覚えている。
乾いた石の匂いも、少年たちが蹴るボールの音も、旅先で交わした他愛もない世間話の内容も、
穴のように深い自分自身の影の色さえも。



と、イタリアから急に話は飛ぶけれど、先日、歴史学者 横田冬彦氏と俳人の方の対談取材で
彦根に行ってきた。ひこにゃん、案外いないなあと思っていたら、彦根城の一角で発見。
ひこにゃんの猫耳みたいな角は、井伊直弼の兜からインスパイアされてたのね、知らなかった。
<駅前の井伊直弼像

日帰りだったので、ほぼトンボ帰りだったけれど、彦根城内の風流な茶室が取材場所だったので
そこから天守閣もチラ見。帰りは有名な冬桜やいろは松も拝めた。黒鳥に逢えなかったのは残念!
<天守閣、遠すぎてちいさっ



取材と原稿と打ち合わせの間に間に
軽井沢から出てきたキムリエさんとランデヴーしたり
まいかさんとオーリエさんちでまたエンドレスに話したり、
お世話になっている『kanon』と『Rosaba』の打ち上げを楽しんだり、はたまた
3000字近い対談原稿を締切り当日に仕上げたのに、別の対談原稿をうっかり上書きして真っ青になり
ショックで気を失う前にがんばって復元(早い話が書き直し)したり。。。


そんななか、部屋のあちこちに挿したフリージアがふっと香る瞬間
何かがすこしづつ確実に動いているのを感じる。
ニキの月命日も18日で22回目を迎えた。もうすぐ、2年になるんだなぁ。

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盛岡、猫毛フェルト、4回転ジャンプ

2010-03-01 01:50:15 | Travel 国内外猫の目紀行


週末、車窓を流れる青褪めた霧の木立を眺めながら 不意に深い穴に堕ちるような睡魔にとらわれた。
ぁあ、気がつけば2月もお終い。夢の深淵に立ち込めているような霧の向こうに 辿り着けるかな。



ミモザ!ミモザ!ミモザ!

残念ながら、去年は大満開だったうちのベランダのミモザが今年は一向に咲く気配がない。
去年ハッスルしすぎたのかな。。でも今週はいろんなとこで大好きなミモザの洗礼を受けた。

先週半ば、春のような陽気の昼下がり、この4月 丸の内にオープンする三菱一号館美術館の
高橋館長にインタビュー後(すごく面白かった。詳細は4月末発売の『NODE』を乞ご期待)
あまりに気持ちが良い日だったので、ミモザが満開の代々木公園を散策しながら帰った。

小学1年生位の子たちが、地面から生えた何かの根っこを必死の形相で引っ張っていて
なんだかシュールな光景だった。あれはいったい 何の根っこだったんだろう?




遅ればせながら、紅白梅も拝むことができた。ほんのり甘酸っぱい香り。
梅の季節になる度、子供の頃に家族で行った水戸偕楽園を思い出す。
当時、父が愛用してたニコン一眼レフのシャッター音が今も間近に聴こえてくるような気がする。



週末、取材で盛岡へ。昨秋の石川啄木本の第二弾で、今回も石川啄木記念館の学芸員であり
啄木博士の山本さんが啄木ゆかりの地をガイドしてくださった。

この日は小雨模様で、2月の盛岡~渋民村にしては比較的暖かいということだったけど、
寒がりの私には十分寒かった。。でも、啄木の足跡を巡る旅はとても興味深く
盛岡を流れる中津川ではシベリアに発つ直前の白鳥たちとも邂逅できた。


日暮れと共にどんどん霧が深くなり。。啄木記念館のすぐそばの生命の森には
まだ灰色がかった白鳥の赤ちゃんが数羽遊んでいた。無条件に愛しい光景。



土曜はレイちゃん&ハカセと「茶房高円寺書林」で開催していた“猫毛祭り”へ。
“猫毛祭り”とは文字通り、猫毛を梳いた時に出るリアルファーを生かした猫毛作品の展示会。
実はこのイベント、先週行った軽井沢の古本屋さんで教えてもらったのだ。
↓これももちろん、リアル猫さんたちの毛でできている。


この日はたまたま猫毛フェルト指人形劇団の公演日だったようで
脱力モードなリアル猫ファー指人形をしばし楽しんだ。


↑ヒゲの猫がニャン・コルレオーネ。左の黒猫がアル・パーチーノ役のマイケル(笑)

数年前、猫の毛対策ついて取材記事を書いたことがあるが、こういう猫毛活用法は当時まだなかった。
猫毛フェルトに魅かれたのは、ほかでもないニキが生前に梳いた毛が
仔猫一匹分ほど軽くあるので、それで何か作れるかなーという下心から(笑)
実際、↓こんな利用の仕方があるのね。参考になります。


故ニキは表面的には黒猫だったけど奥の毛はチャコールグレーだった。
↓半ばフェルト化したニキ毛。これ、触ると恐ろしくあったかいのだ。



猫毛の後は、みんなでお隣の阿佐ヶ谷にあるきゅうちゃんのおうちへ。
テーブルには満開のミモザ。初夏にパリに留学する彼女はとても輝いて見えた。

きゅうちゃんちの愛猫コトラくん(20歳)をぎゅっと抱かせてもらった。ありがとう、コトラくん。
(この直後、コトラ爺さん、うっかり放尿。。幸い、私には被害がなかったけど:笑)



あ、そうそう、今日でバンクーバー五輪もお終いですね。
フィギュア、男子も女子も例年以上にレベル高くて萌えました(笑)
審美的な評価は毎度のことながら審査員によって評価が分かれるので仕方ないけど、
個人的には4回転とかトリプルアクセルとか、より高度なジャンプをする人が評価されてこそと思う。
器用で無難な演技を完璧にこなす秀才より、リスキーでもより高度な技に挑む天才肌の方が
魅かれるし、仮に失敗しても愛しく感じる。

下手の横好き
だからというわけでもないけど、先週ミッドタウンのスケート場でレイちゃんとひと滑りしてきた。
前に滑ったのは日比谷にあった冬季限定のスケート場だったはず。十数年ぶり!
感覚を取り戻すまでに一寸時間がかかったけど、身体が思い出すと勝手に滑っていく。
とはいえ、2度ばかり転倒して 今も尾てい骨と膝の打ち身痕がじんじんする。。
こんなつるつるっの所で3回転とか4回転とか、天使のしわざとしか思えません。

と、天使といえば、トリノの時も思ったのだけど、スノボのハーフパイプで軽々と2連勝した
ショーン・ホワイトくん、彼も相変わらず異次元に棲む天使の飛翔でした。


もちろん、天使たちが天使たるゆえんは、恵まれた才能と共に凄絶な努力のなせる業。
「最強の敵は 自分のなかにある」というビートニクス「Left Bank」の歌詞がしばしば頭をよぎった。


1月に取材した建築家 隈研吾氏のインタビュー記事が掲載された
Kanon vol.18 が発売になっています。ぜひ、ご一読を!
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早春トリップ 軽井沢

2010-02-26 03:03:25 | Travel 国内外猫の目紀行

零度の空気。迷走をのみこむ青空。
冬木立の向こうの半月が「サイレントにゃあ」のかたちをしていた。


先週末、ユミさん&セイジさんちで、いつものユニークなメンバーと春の宴を夜遅くまで楽しんだ翌朝、
珍しく早起きして高速バスで一路、「STUDIO TORICO」のキムリエさん&キムナオさんが棲む
軽井沢へ。(トリコは昨秋、麻布十番から軽井沢にお引越ししました)


ふたりの新居は木立の中にある心地よいおうち。
広いデッキテラスに掛かっているキムナオさんの写真が目印。
テーブルやカウンター、戸棚などなど、どれもキムナオさんの手作り。とても温かな仕様。
大きな硝子ベースにキムリエさんが近所で拾ってきたという いろんな小枝たちがいた。


お昼はキムナオさんの快適なキャンピングカーで小諸へ。ランチは当然、小諸蕎麦。
懐古園前のお蕎麦やさんに近所の猫さんが遊びにきていた。にゃあにゃあ語でご挨拶。
食後はキムリエさんおすすめの「べにや喫茶」で珈琲タイム。
久しぶりにいろんなことを差し向かいで話した。冬の陽だまりのような心ゆるむ時間。



昼下がり、ふたりの案内で、小諸駅方面へてくてく。
融けかけた雪の中にドライフラワーになった紫陽花(?)が。なんだか草月流の作品みたい。



旧い町並みが残る北国街道小諸宿に出ると、無数の雛人形や吊るし雛を
道沿いの商家に飾ったイベント「お人形さんめぐり」(2/20~3/7)の真っ最中だった。
江戸時代からある享保雛も間近に拝めた。お人形たちもなんだか喜んでいるように見えた。



明治や大正の趣ある佇まいをそのまま残した建物が多く、独特の陰影が美しい。
掘出し物が眠っていそうな骨董店も、元は和洋折衷様式の銀行だったのだとか(一番下の写真)。






小諸から追分の古本屋さん「追分コロニー」に寄り道。なかなか掘出し物多し。
町の方々で見かける薪の山に近寄ると、清浄な木の香りがした。



そんな中、ひょんな話からあさま山荘事件の現場が改築されつつ現存しているという話題になり
酔狂にも見に行くことに。。。'70年代当時に別荘地として開拓されたそのニュータウンエリアには、
うねうねした山道のえぐれた谷間に沿うように 保養所や別荘が点々と佇んでいた。
しかしオフシーズンで人けもなく、ちょっとしたゴーストタウンだった。「シャイニング」っぽくもあり。。

アイスバーンになった山道の傾斜はかなり激しく、みんなで滑らないよう慎重に歩を進めていく。。
結局、旧あさま山荘は特定できなかったけど、類似した建物も多々。。
奇しくも2月末といえばまさに事件と同時期。その凍るような空気感に背筋がぞぞっとした。

実際、軽井沢は日が落ちてくると、昼間とはうってかわって恐ろしく寒かった。

キムリエさん&キムナオさんちに帰り、薪ストーブと石油ストーブであったまりながら
美味しいお鍋&赤ワイン。ふたりの心づくしに何よりほこほこあったまる。
スクリーンにはフェリーニの「道」。でも肝心のラストシーンがぶちっと切れてた!!(笑)


それにしても薪が燃える匂いや、煌々とゆらめく焔、時折りぱちんと薪が鳴る瞬間というのは
不思議なほど快い。ふと、むかし取材でモンゴルのゲルに泊まった時のことを思い出した。


あまりに楽しくて夜更かししてしまったせいで、翌朝はすっかり朝寝坊。
うす曇りの木立の向こうに、月のように白い朝の太陽が覗いていた。



朝食後、敷地内にせせらぎが流れる星野エリアの温泉へ。
入口付近でぽつんと寒そうにしていた雪だるまも入れてあげたいほど(?) いいお湯だった。



24時間余りの滞在だったけど、まさに命の洗濯。
ここ一カ月ほど迷走していた心が木立にとけていった。
キムリエさん キムナオさん、ありがとう!
 帰りのバスの車窓より。



高速バスの降車地はなぜか下落合。池袋駅は大きすぎて苦手なのでこちらを選んだのだけど
むかしよく訪れた懐かしい場所でもあり、ちょっとめくるめいた。

軽井沢から帰ってきてから、随分あたたかくなったが
自分の中でも何かがやんわり変った。
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空に吸われし十五の心

2009-10-31 04:24:19 | Travel 国内外猫の目紀行
あれこれあわただしいのだけど、そのひとつひとつが妙に楽しい日々。
ちょっと間が空いたが、先週末は取材で盛岡に一泊。
尋ねたのは石川啄木の故郷 渋民村。地元の人も滅多に見られないというほど
澄み渡った岩手山をスカッと拝むことができ、つくづく幸運だった。


渋民駅に降り立った瞬間から、何かの謎解きのように村の随所で啄木短歌に出逢う。
東京よりぐっと冷涼な空気に、切り絵のように浮かび上がる色づいた樹々。

冠雪も凛々しい岩手山の向かいには、すっとたおやかな姫神山が。
顔を右に左に動かし 2つの山を交互に眺めると、彼と彼女は静かに微笑みあっていた。


啄木が教員を務めていた渋民小学校の教室で取材&撮影。
障子窓の隙間から忍び込んだらしい糸トンボたちも一緒に参加。


教室の壁には、誰かが置いていったという素敵な帽子がかかっていた。
石川啄木記念館 学芸員の山本さんいわく、啄木は中折れ帽で蛍を採ったことがあるんだとか。
記念館には啄木がよく弾いたという旧いオルガンが。館内にはこのオルガンの音色を収録した
BGMがごく小さく流れており、妙に心地よかった。


寺山修司の「書を捨てて町に出よう」にも出演していたという元・天井桟敷の昆明男さんと
学芸員山本さんの対談は、おふたりのキャラが立っていて楽しかった。
なかなか長丁場だったけど、取材中もずっと、私の真正面には岩手山の威容がそびえており
夕暮れには、その迫り来るようなシルエットに思わず手を止めてほーっと見とれてしまった。


2日間に及ぶ取材の後、明治43年に東雲堂から発行された「一握の砂」の復刻版を
山本さんにいただいた。今回、啄木にまつわる本のお仕事で初めて啄木作品と真剣に向き合う
機会を得たわけだが、遅ればせながら、啄木がいかに天才だったかを思い知った。
中学時代に教科書で読み流していた3行詩のような短歌も、今改めて見ると平易な言葉の奥に
深遠な世界が息衝いており、ある種 彼は優れたキャッチコピーの天才でもあったのだと感じた。



それにしても、ご一緒できた方々がみな温かな人たちで楽しかったー。
編集のみずもとさんと共に、村の温泉でもほこほこあったまることができ、
スリランカと温度差約30℃もなんのそのすっかりなごんでしまったのだった(原稿もがんばろ)



土曜、久々にオーリエさんと邂逅。青山のCLEAR EDITION&GALLERYに寄った後、
例によってすっかり深く話し込み。彼女との新しいお仕事もわくわくする。
         時々口をつく博多弁も絶妙にチャーミングなオーリエさん↓




週明けは月曜から取材&打ち合わせラッシュ。火曜、修復中の東京駅の上に白い半月が浮かぶ頃、
待ち合わせ時刻にはしばし間があったので、一丁倫敦界隈をゆるゆるお散歩。


ながいながい自分の影に、のほほん顔で水を滑る鴨や白鳥たち。


夏以来、久々に訪れた和田倉噴水公園で、ぼーっ。。好きだなあ、やっぱりここ。


日没後、食育の取材で丸ビル35Fの仏料理店「サンス・エ・サヴール」へ。
窓辺に立つと眼下に、ついさっきまで居た和田倉噴水公園の水飛沫がちいさくちいさく見えた。
そして、夜の皇居は深い穴のようにくらいのだった。




その後2日間は部屋から一歩も出ず、時々ぱたっと寝てはまた起きて黙々と原稿を書き続ける。
もしも、誰かがその様子を覗いたら、変なネジ巻き人形みたいにみえたかもしれない。。


土曜、アイウエア関連の取材で布施英利さんにインタビュー。取材場所はたまたま近所のカフェ。
布施さんは去年も鼎談でお目にかかったけれど、やっぱり藤田嗣治画伯そっくり(笑)
さすが興味深い話もいろいろ。原稿を書くのが愉しみだなー。

これは、話のネタにでもなればと持っていったイタリアの眼鏡のヴィジュアル歴史本。
むかし、ローマの古書店で見つけた一冊なのだが、黎明期の眼鏡のクールさに驚く。




数日前、近所の花屋さんの軒先でピンポンマムの鉢植えを見つけ、迷わず連れてきた。
昔から、このまあるいかたちにたまらなく魅かれる。
そしてこの花をみるたび、ニキを思い出す。ニキが天国まで抱いていった花だから。


もうすぐ、満月。
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スリランカへ。

2009-10-15 17:05:26 | Travel 国内外猫の目紀行


アーユボワン(こんにちわからこんばんわ、さようならまで網羅する伊語のciaoみたいなシンハラ語)。

先週から今週頭にかけ、スリランカ取材に行っていた。
わずか一週間ながら、思いのほか濃い旅だった。
一緒に行ったのはレイちゃん&デザイナーのマイちゃん。
女子3人でミルクティーを何杯もおかわりしながら話した夜が、既に遠い昔のような。

5年前のモルディブ取材の際、コロンボに1泊したことはあるけど、
今回はキャンディと、シーギリヤ、ダンブッラ、ポロンナルワ、アヌラーダプラといった
文化三角地帯に初めて足を踏み入れ、この国の奥深さを思い知った。
アルカイックスマイルのような人々のほのかな微笑や、
自然と寄り添ういきものたちのいとなみや佇まいが
とてもシンプルでたいせつなことをたくさん思い出させてくれた。


膨大な写真の整理同様、自分のなかで熟成するにはまだいくらか時間がかかりそう。
ここにあるのは、たったいま私のなかにきらきら散らばっているイメージのピースたち。
(詳細は、11月発行予定の『スリランカ通信(仮称)』をぜひ!)











ダンブッラの遺跡に向かう階段途上で供花の蓮をスリランカモンキーに奪われた。
花芯だけ器用に毟りとってもぐもぐ食べると、花はぽいっと捨ててしまう。
それを拾ってまた階段を上っていくと、また別のサルが蓮を奪う。でも花芯がないと知るや
またぽいっ。。そんなことを繰り返していたら、とうとう花がくたくたになってしまった。


シーギリヤ近辺のレストランにいた猫さん、その名もキティ。首や顎を撫でたらごろごろ。。
ポロンナルワの一角に鎮座していた大きな仏像の貌にちょっと似ていた。
世界の何処にいても、猫と触れ合うひとときは聖なる時間。
世界の何処にいても、月や星をいとしく見上げるように。


往きの便では暇に任せてオセロに興じ(全戦全勝!)、帰りの便では5年前と同じようにテトリスに
はまりかけるも(テトリス狂なので)、後の疲れを考え自粛。まあそうでなくても爆睡だったけど。
着陸2時間ほど前から翌日に控えた取材資料の石川啄木歌文集を熟読していたら、
あっという間に成田に着いた。
「見よ、今日も、かの蒼空に 飛行機の高く飛べるを。」 飛行機 1911年TOKYO より



帰国後、メールチェックしたら、とてもとても懐かしいひとからコンタクトがあった。
不思議だな、スリランカでふとそのひとのことを思い出していたものだから。

アーユボワン。


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鎌倉、坂倉準三展、そして海。

2009-09-10 04:29:13 | Travel 国内外猫の目紀行
去る夏の尻尾に誘われるように、先週末、海辺を闊歩した。もちろん、裸足。
砂浜をとぼとぼ歩くスーツ姿の紳士とすれ違った。
その革靴、思い切って脱いだらきっと楽しいのに。



夏は終わった、とはいえ、日中は陽射しが夏模様の日も少なくないきょうび。
先週、取材で訪れた南大沢で、いっせいにうなだれた向日葵を目撃。

                                    どこかの党のひとたちみたい?


日曜、久々に鎌倉へ。去年5月、ニキが逝った直後に訪れて以来の鎌倉詣でだ。
あの時、悲しみの淵から息を吹き返したような思いで眺めた鶴ヶ岡八幡宮の蓮池が、
残暑の光線を浴びてこんなにわさわさ繁っていた。


この日は、レイちゃんと神奈川県立近代美術館の「坂倉準三展」へ(この日が最終日)。
近美は日本初の公立美術館であり、かつ坂倉の代表作(1951年)のひとつでもある。
1930年代パリ万博の日本館設計で脚光を浴び、戦中戦後~高度成長期を彩る数々の公共建築から
新宿の巨大ターミナル開発まで膨大な坂倉ワールドを総括する回顧展として実に見応えがあった。
作品だけでなく、几帳面に書き込まれた愛用のエルメスの手帖なども展示されていて興味深かった。


個人的には「東京日仏学院(‘51)」や「出光興産給油所(’57)」が好み(どちらも柱がキノコ風モダン)。
坂倉の作品年表に記されていた「喫茶 蕾」にレイちゃんとウケるも、この作品の詳細はなぞのまま。
誰か「喫茶 蕾」by坂倉をご存知の方がいたら、ぜひ教えてください!

蓮池を見晴らすピロティは、頭上にゆらゆら投影される水面のシルエットも
計算の上なのだろう。この美術館の真骨頂ともいうべきポイント。


ピロティの一角には、美術館で撮られた師匠ル・コルビュジエと坂倉の蝶タイ師弟ショットも。
師匠コルが、「ムッシュウSaka、イイシゴトシタネ」って云っているみたい?!


大谷石に囲まれた中庭には、イサムノグチの珍しく具象的な彫刻作品「こけし」が。
美術館のおヘソに当たるポジションにコレが立っていると、結構なごむ。
はからずも、以前 ル・コルビュジエやイサムノグチの記事を企画したこともあり
彼らの足跡に出逢うと、なんだか勝手に親近感を覚えてしまう。


2Fの喫茶室がまたいい。テラコッタの壁画は近年復元されたものらしい。
テラスでコーヒーブレイク。ここは少々陽射しが暑いけど、きらきらした蓮池が一望できる。



近美を出た後、駅裏の小道をゆるゆる散策。
玉石混交の古道具屋、レトロな大正建築、ひとけのない床屋、焼肉屋を改装した洋服屋さん・・・





散歩の最終目的地は、海。
解体中の海の家のデッキに腰掛け、散歩の途上で入手したピクルスや
チーズクラッカーを並べ、ハーフサイズのスパークリングワインで乾杯!
(下に敷いているのは、コーヒー休憩した「ミルクホール」の骨董店でレイちゃんが衝動買いした
塗り盆。ちなみにミルクホールは清順の傑作「チゴイネルワイゼン」のロケに使われた喫茶店)



晩夏と初秋のはざまに寄せ返す波打ち際で、
ファインダーを覗いたまましばし裸足で立ち尽くす。
まさに魔法のような海辺のマジックタイム。
足が波に洗われ、うそのように疲れがみるみる軽くなっていく。


砂浜では時おり、誰かがあげた花火がスパーク。夜空にはたくさんの星々。夏の大三角形も健在。
ふざけてバレリーナみたいなポーズをするレイちゃんの真上に、まんまるの満月が浮かんでいた。
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残暑ショートトリップ、芦屋~旧居留地

2009-08-20 13:39:09 | Travel 国内外猫の目紀行
トンネルの暗闇と暗闇の合間を縫って、列車の窓から鮮やかに飛び込んでくる海景色。
すぐ近くに在るのに どこか遠い。移動が多かった先週~週明けにかけ、そんな海景色を方々で見た。

お盆の一寸前に実家へ。夏に帰るのは数年ぶり。
玄関には、雨上がりの甘露を湛えた淡い紫のムクゲ。
足元には、ハート型をしたリーフの裏が血脈のように紅いシュウカイドウ。
まだ実の蒼いナンテンには、主翔った後の空蝉。
その頭上から降り注ぐ ドルビーサラウンドな蝉時雨。


庭には満開のサルスベリ。幼児期、この木によじ登ろうとしていたというお転婆伝もある。


家には母が庭からとってきたりしてささっと活けた花々があちこちに。
大仰に活けこむのではなく、手近な花瓶への気ままな投げ入れ。母娘、やることが似ています。


お墓参りに持っていった蓮の残り。お墓って、しっかり掃除すると随分きれいになるんですね。



お正月のblogにも書いたけど、実家には両親の書棚が方々にあり、どこでも古書店状態。
今回は、あまりにぼろぼろになっている本は思い切って整理したいという母を手伝った。


しかし父が若かりし頃の本は宝の山。見れば見るほど「おおっ」という本を見つけてしまうのだ。
重森三玲の「庭こころとかたち」なんて灯台下暗しもいいところ。なんで今まで気づかなかったの?
そんなわけで、今回はこんな本たちを十数冊連れて帰ってきた。


ついでに、膨大な数の父のビデオコレクションも場所をとるので三分の一ほど処分した。
いくら懐かしいといっても、ベータじゃ仕方がないし、もう父が逝って7年も経つし。
心の中で父に「もういいよね?もしよかったら、キジバトの声でも鳴らして合図して」と
呟いたところ、間髪入れず庭から「クウクウククーク」という長閑なキジバトの鳴き声がして驚いた。

ふと庭を見ると、キジバトの姿は見えなかったが、
植えた時には小枝みたいだったというトチノキが、真昼の炎天下にすっくとそびえていた。




実家から帰ってきてほどなく、今度は打ち合わせで神戸へ。日帰りの予定だったけど、
春に行った時と同じく 前泊して束の間の神戸散策を愉しんだ。
今回訪れたのは、芦屋。お盆ということもあり、商店街は軒並みお休みで人影もまばらだったけど、
芦屋川の畔では家族で水浴びしたり、BBQしたり、魚獲りしたりという長閑な光景が散見された。


灼熱の太陽が照りつける白昼、芦屋駅から芦屋川沿いに「ライト坂」と呼ばれる急坂を
日傘を片手にふうふう登っていくと、こんもりした緑の高台に、F.L.ライトが設計した
「ヨドコウ迎賓館」が見えてくる。たっぷりした大谷石の量感と、幾何学的なディテールは
まさに、ザ・ライトな外観。内部は写真撮影不可だったのでお見せできないのが残念だが、
端正さと自然の野趣を見事に融和させた空間美は、天才のしわざ。


大正末期に山邑家の別荘として建てられたこの邸宅は、戦後に淀川製鋼所の所有となり、
‘80年代に創建時の状態に大規模修復された。日本に現存する完璧な形のライト建築は
ここと目白の自由学園明日館だけというから、かなり貴重な存在といえる。
葉を象ったという緑青が印象的な窓の銅板も、
仏壇金物細工専門の京都の職人に復元させたのだとか。


そこから坂を下り、芦屋界隈を循環する乗り合いバスで、「芦屋市 谷崎潤一郎記念館」へ。


日本橋生まれでハイカラ趣味の江戸っ子・谷崎潤一郎は、関東大震災で関西に逃れたのを機に
芦屋をはじめとする関西に定住するようになった。記念館には、関西最後の住まいとなった
京都・下鴨の邸宅の庭を模した日本庭園があり、中の展示も非常に濃密なものだった。


「谷崎が愛した猫と犬」という特設展をちょうど併設しており、谷崎の猫崇拝ぶりを、
『猫と庄造と二人のをんな』をはじめとする作品を例につぶさに検証していて実に興味深かった。
『痴人の愛』のナオミも まさしく猫の化身だし、文豪を猫で斬ると また違う世界が見えてくる。
(余談ながら、内外の猫文学を採り上げた心理学者 河合隼雄の『猫だましい』でも、
「とろかし猫」という章で『猫と庄造と~』を徹底分析していて非常に面白い)

お土産に、谷崎作品の挿絵ポストカードを買ってきた。『蓼喰ふ蟲』は小出楢重、『鍵』は棟方志功、
『猫と庄造と二人のをんな』は安井曽太郎、新潮文庫の谷崎シリーズのカバーは加山叉造などなど
なんとも贅沢な面々。私が谷崎に夢中になったのは高校時代だが、家にあった筑摩文学全集に
こんな美しい挿絵はついていなかった。谷崎、久々に読み返してみよう。



夕刻には元町に向かい、旧居留地の散策へ。。が、ホテルでうっかりうとうとしてしまい
(部屋になぜかこじゃれたマッサージチェアがあり、肩を揉まれている間に睡魔に襲われたのだ)
慌てて外に出ると ちょうど夕暮れのライトアップが始まったいい頃あいだった。
日が落ちるにつれ雑雑としたものが夕闇に消され、
ローマやパリの街なかを闊歩しているような錯覚さえおぼえた。


ヴォーリズ設計の旧居留地38番館をはじめ 点在する近代西洋建築にはブティックやレストランが
建物の美観を損ねることなく佇んでおり、街並み全体の美意識の高さは想像以上だった。
この旧居留地といい、ライトのヨドコウ迎賓館といい、4月末に訪れた北野異人館街といい、
近代遺産を大切に修復保存している所には、何かとてもまろやかな気が流れていて心地よい。



旧居留地から南西にそれて南京町に入ると、風景は一変。中華街になる。
南京町は春にもながれさんに連れていってもらったが、夜はまた一段とお祭のように華々しかった。
居留地に住めなかった華僑の雑居地 南京町と、居留地から山手に流れた異人の街 北野。
旧居留地を挟んだ町と街のプロフィールが、あちこち練り歩いてみてようやく腑に落ちてきた。



翌朝は眠い目をこすりつつ、打ち合わせのあるハーバーランド方面へ少し早めに向かい、
明治期に建てられたガス灯や赤煉瓦倉庫が並ぶ埠頭をゆるっと散策。
ヨコハマにも似ているけど、シドニーの街の断片が不意に脳裏によみがえった。


埠頭の側には川崎重工のドックがあり、AFRICA云々と書かれた船が停泊していた。
この炎天の下ではたらくおじさんたちは大変だなあと眺めているうち…、誰一人として
微動だにしてはおらず、人形であることに気づいた! 誰ですか、この悪戯者は?(笑)

                                     ↑はたらくおじさん人形

でもって、ハーバーランドの遊歩道にはなぜかレイをかぶったプレスリー像が。
ネットで調べたら、実はこれ、このお盆直前に閉店した原宿のお店から連れて来られた模様。


その日、打ち合わせが終わったのは新幹線の最終間近。帰りの車内でカメラマンの方と
お弁当を食べながらMOON RIDERSの話で盛り上がり、あっという間に東京に着いた。

お盆明けの今週はいろいろ動き始めて慌しいし、相変わらず蒸し暑いけど
夏はしずかにしずかに終息へと滑り出している気がする。

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神戸 異人館トリップ

2009-05-03 22:07:06 | Travel 国内外猫の目紀行
5月最初の朝は神戸で迎えた。4月最後の夜、風見鶏の傍に
ひとひらの羽のような三日月が浮かんでいた。

遡ること4月30日、朝一新幹線で神戸へ。みっちり4時間あまりのミーティング後、
デザイナーさんたちとお別れして北野へ。兵庫は高校時代に親戚の家を訪ねて以来だし、
ここのとこ洋館取材続きで頭が洋館モードだったこともあり、
北野に一泊してさくっと異人館巡りを楽しむことにしたのだ。

シゴトからいっとき解放され、細い路地や坂道を思いのまま ねこねこ漫ろ歩くわくわく感!
日本でも海外でも近所の散歩でも、このわくわく感があれば、私は等しく“旅”だと思っている。


坂の途上に見えるフェンスや窓の表情にもわくわく。




ひと通り巡った中でも出色だったのは、「風見鶏の館」「萌黄の館」「うろこの家」あたり。
異人館のシンボルともなっている「風見鶏の館」(1909年、旧 ドイツ人貿易商G.トーマス邸)は
界隈でも群を抜く風格ある佇まい。重厚な中にもアールヌーボー風のエレガントな意匠が光る。



私的に好きだったのは「萌黄の館」(1903年、旧 米国総領事H.シャープ邸)。
白亜だった20年ほど前までは“白い異人館”と呼ばれていたようだが、
建築時の淡いグリーンに修復されてからは、この呼び名に変わったそう。
「風見鶏の館」の家のはす向かいにあり、赤煉瓦色と萌黄色のコントラストも美しい。

心地よいサンルームのようなベイ・ウィンドーからは、神戸市街が海まで一望できる。
この空間に入るとみな申し合わせたように「わぁ!きもちいい」というのが可笑しかった。

高台にそびえる「うろこの家」(1905年、旧ハリヤー邸)は、外壁を覆う天然石のスレートが
まさに銀鱗のごとし。館内にはマイセンを始めとする名磁器コレクションがずらり。
隣接する「うろこ美術館」では、ユトリロやキスリングなど趣味のいい名画にお目にかかれる。


十数軒の異人館をざっと巡って気づいたのだが、重文級の建造物の魅力もさることながら、
ディテールまでがっつりこってり作りこまれた室内ディスプレイが、都内や横浜の洋館に比べると、
もうだんぜんキッチュで濃いーのだ。

例えば、こちらは旧フデセック邸の「英国館」。1階のサロンはバロックやヴィクトリアンな調度家具で
統一されたシックなBARに。バスルームの猫脚バスタブにはなぜか特大ドンペリが横たわっていた。


2階にはロンドンのベーカーSt.221bにある「シャーロック・ホームズの家」が再現されており、
愛用のヴァイオリンなどのホームズアイテムが所狭しと。シャーロキアンは必見ね。
(私は小学時代、クールなホームズより、ちょっと天然なワトソン君が好きだったりしたけど)



こちらは旧ポジー邸の「仏蘭西館(洋館長屋)」。外国人向けフラットだったようで、
部屋割りが細かい。そんな中にも、ルイ・ヴィトンのアンティークな船旅用スーツケースや
フジタの絵に、ガレ、ドーム兄弟などの作品が方々にさりげなく飾られており。


こちらは元オランダ総領事邸「香りの家 オランダ館」。
今にも晩餐会が始まりそうなダイニングのお隣のサロンには やりかけのチェスが置かれ、
2階のベッドルームにはアンティークなシルクドレスがしどけなく脱ぎ捨てられていた。



さらに「プラトン装飾美術館(イタリア館)」じゃ、こんなメイド&執事がお迎えしてくれた。

元はイタリア人貿易商の住まいだったそうで、どの部屋にもルソーやコクトーの画をはじめ、
館長さん(執事コスプレの方)の18~19世紀のヨーロピアンな蒐集コレクションがみっしり。
香水瓶がきらきら溢れ返った絢爛ゴージャスなバスルームはさながらマフィア仕様。
ただ、アンティークなラジオからは、なぜか上方漫才がやんや流れており(笑)。

中でもえぐかったのが、英国の狩猟家ベン・アリソンの旧邸「ベンの家」(1898年)。
ワシントン条約など無かった時代とはいえ、世界中で仕留めた猛獣たちの剥製が累々と。。
居合わせた観光客のおばさまがぽそっと一言、「この子もこの子も、みんな生きてたのよねえ」。



異人館が並ぶ坂の途上では、剥製ではなくリアル猫にも時々遭遇。みなおっとり。
「リリィちゃあん」と猫撫で声で呼びながら、サバトラ猫を小走りに追う奥さまにも遭遇した。
谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のおんな」を思い出す。



異人館巡りを堪能した後は、大阪から駆けつけたながれさんと、
元ギャラリーだったというキタノサーカスで絵本の打合せ。
ながれさんはなにわのアバンギャルドおじちゃん。いろんなイミで天才です。
と、打合せしていたら、急に店内でマスターがマダムとタンゴを踊りだし。。


そんなシュールな展開の後、昭和11年から三宮で営業する洋食屋さん「もん」で遅いランチ。
特大オムライスを撮る私をながれさんが激写。いわく「カメラ小僧やなあ」(お互いさまで:笑)。
(ちなみに通常は一眼だけど、食べ物などの接写はコンパクトデジカメで撮ってます)
さらにチャイナタウンの南京町にも寄り道。


ぁあ、饅頭までシュールっ。



実は神戸に行く前夜から喉が少々痛かったのだが、やり過ごしていたら帰宅後に発熱…。
なので この土日はうんと怠惰に過ごした。漢方薬を飲み、昏々と眠ったお陰でほぼ快復したが
昏睡中にみたシュールな夢のかけらが まだすこし眼裏にふわふわ浮かんでいる。

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春トリップ4 京都編

2009-04-08 22:51:51 | Travel 国内外猫の目紀行
春トリップ最終回は、「京都編」。3月末、りゅうちゃん&はーちゃんに見送られ、倉敷から京都へ。
昨夏取材で訪れて以来、約半年ぶりの京都は、行く先々で枝垂桜づくしだった(昨夏の京都旅blog)

↑これはちょうど一週間前、京都の3代目桜守・佐野藤右衛門さんの庭園でお目にかかった枝垂桜。
全国の名桜保存を担う桜守を継承する佐野さんは、イサムノグチによるパリのユネスコ日本庭園も
手がけており、先代は祇園 円山公園の名枝垂桜を育てたひと。
まさに桜の精のような桜守に代々慈しまれた枝垂桜は、どこまでもたおやかだった。


京都に着いてまず向かったのは、嵯峨嵐山は大覚寺の裏あたりにある瀟洒な和のお宅。
小娘時代に大変お世話になったハヤ先生のおうちだ。ちょうど庭の枝垂桜が満開だったので、
春光が降り注ぐ心地よいテラスにて、いまや翁の風格を湛えた先生と記念撮影。


先生宅には、総勢6匹の猫さんたちが気ままに闊歩しており、噂通りの猫ワンダーランド。
これは、鼻の下にちょんちょんとシンメトリーの黒ぶちが絶妙な元気くん


枝垂桜を眺めながら、思い思いのポーズで日向ぼっこするE.T.似のイーちゃん(上)とシオンくん(下)


到着するや、ハヤ先生&奥様のちえさんが、得意のイタリアンを用意してくださった。
メニューは、3種の凝ったアンティパストに、旬の京野菜たっぷりボッタルガのパスタ。
なんとレシピは私の№1シェフ、ベットラ落合さん仕込みだそう。美味しいわけです。


ご馳走さまでした!

キッチンの引き出しという引き出しには、ちえさんの素敵な器コレクションがぎっしり。
ただし、ルネ・ラリックのボウルもヴェネチアングラスも、軽々と猫またぎされ。。。


悠々自適で創作活動を愉しんでいる先生のアトリエも案内していただいた。
筆が描かれた筆立てや、トクサ柄の筆洗、ヴェネツィアのサン・マルコ広場が描かれた茶碗など
呉須で絵付けした古伊万里風焼き物の斬新なデザインはさすが。魯山人です。


午後は嵯峨野近辺をぶらぶら散策。二尊院の桜はまだ蕾だったけど、それはそれで趣き深く。
院内で、小倉餡発祥の石碑を見つけた。夜は先生ご贔屓の小料理屋さんへ。何を食べても舌踊る。


翌日は、久々に再会したデザイナーのながれさん(靴がピンク!)と猫絵本の打合せをした後、
相変わらず大阪弁がめっちゃおもろいながれさんに、重森三玲庭園美術館まで送っていただいた。
昭和のアヴァンギャルドな庭園家 重森三玲の旧宅だけに、ディテールまで芸が細かい。
茶室には親交のあったイサムノグチの「あかり」が。襖に描かれた市松模様の波もクールです。
近年ここはアクオスのCMロケにも使われたよう。



書院前の枯山水庭園には、咲き誇った枝垂桜がそよそよと。ミラノでランドスケープを学んでいる
カップルとたまたま一緒になり一寸お話したら、日本の庭園事情に詳しくてびっくり。



重森三玲庭園美術館のすぐ側には京大の時計塔が。しれっとしたコピーがたまりません。


鴨川と高野川が合流する三角州にある下鴨神社を目指して、満開のユキヤナギがそよぐ川沿いを
ひたすらてくてく。前方にこんもり見えるのは、ケヤキやムクの原生林が生い茂る「糺の森」。


カラスが飛び交う森に入り(ヤタカラスは下鴨神社の御祭神)、すーっと心浄まるようなせせらぎに
導かれ、朱塗りの桜門に出ると、色づいた山桜がくすくす笑いかけていた。


境内をゆるゆる参拝して回り、みたらし団子発祥の地であるみたらしの池で、しばしぼーっ。
恐ろしく澄みきった気配に あたまもこころもからっぽになる。


さて、これにて「春トリップシリーズ」は終幕。
次回は、東京に戻ってからの 桜トリップの日々を更新します――
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春トリップ3 犬島編

2009-04-06 17:47:34 | Travel 国内外猫の目紀行
これはどこぞの空爆跡――ではなく、犬島。 前回に続き、春トリップ第3弾は「犬島編」。

犬島精錬所は近代日本の経済を支えた銅精錬所として1909年に造られた近代化産業遺産。
精錬時に発生する煙害対策などから瀬戸内に建設されたものの、銅の暴落で栄えたのは僅か10年。
「犬島アートプロジェクト」第一期は、そのすっかり廃虚化した精錬所の遺構を、
三分一博の建築×柳典幸のアートワーク×岡山大理工学部の環境システムにより、
環境に負荷を与えない形で再構築しようという試みだ。

見学は人数制限ありの事前予約制なので、大混雑のテーマパークみたいには決してならない。
構内のサインはすべて赤錆びたレリーフで表示されており、ロゴも美しい。


精錬所跡は、さながらローマ遺跡の如し。
銅の精錬過程の産物である黒々としたカラミ煉瓦と瀬戸内の青い海景の淵には
廃虚化した人工物のまがまがしさと美しさが分かちがたく同居していた。




遺構を巡りながら、りゅうちゃんいわく「なんだかガス室に送られるような気分(笑)」
今にもくず折れそうな煙突からは、深い深い吐息が漏れ聞こえてくるような気がした。


面白かったのは、煙突を利用して精錬所内の気温調整ができる環境システムに基づいた
三分一博氏の建築と、柳幸典氏のエキセントリックなインスタレーションの絶妙な協働。
背後にマグマのような焔を従え、煙突上空に広がる天光を目指し、暗闇をうねうね練り歩く作品は、
鏡仕掛けの妖しい芝居小屋みたいでトリッキーなのだけど、自然エネルギーの摂理に適っており、
体験としてもなかなかエキサイティング。

驚いたのは、三島由紀夫が思春期から青年記に暮らした渋谷・松涛の家の廃材を駆使した
柳氏のインスタレーション。なぜ犬島でミシマ…?! しかもうちの近所の松涛の廃屋が何ゆえここに?!

先入観を排除するため あえて予備知識を入れずに臨んだので、インパクト絶大。
三島の『太陽と鉄』にインスパイアされたり、最期の檄文の文字をヴィジュアル化した
4つのインスタレーションは、どれもアイロニカルな演劇の舞台空間のようだった。
日本の近代化の残滓である犬島の遺構で、日本の近代化の矛盾を象徴するアイコンとして三島を
モチーフにしたというのが、このインスタレーションの深層らしい。いやはや。

スタッフに訊ねたところ、福武總一郎氏が廃棄されかけていた旧三島邸の廃材を買い取って
このプロジェクトのために提供したのだそう。何から何までやってくれます、福武さん。
ちなみに、三島が12歳から25歳(1937~1950年)まで住んだ松涛の洋館とは、こちら。
『花ざかりの森』も『仮面の告白』も、ここで生まれたわけですね。
(渋谷区郷土博物館・文学館資料より)
このアーチ型玄関扉も作品に使われていた(扉にNHKシールが残っているのをりゅうちゃんが発見)。

それにしても、柳幸典氏の作品には既成概念を揺るがす諧謔パワーがある。
(直島のベネッセアートミュージアムにも彼の作品が幾つかある。そのひとつ、
「ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム」は、色砂で作られた各国の国旗に蟻を放ち、
次第に国旗が蝕まれていくインスタレーション。’90年代のヴェネツィア・ビエンナーレでも
ちら見したが、改めてこの時代に見ると感慨深いものがあった)


精錬所跡地見学後は、船が来るまで島の周囲を散策。犬島は直島同様、高齢・過疎化が深刻な島。
船の待合室のベンチにほこほこ置かれた手作り座布団に、なんだかほっとする。



犬顔のお役人が猫を駆逐しようと躍起になっている―そんな宮沢賢治の寓話的世界を勝手に妄想(笑)


真昼の春光にきらめく澄んだ海には、ラリックの硝子細工みたいな海月が2体、ゆらゆら漂っていた。


犬島から再び直島へ戻った後のくだりは、前回blogの通り。りゅうちゃん&はーちゃんのお陰で
寄り道も含めて非常に効率よく周れたし、ふたりの社会学的な見解もなかなか興味深かった。
そして何より一緒に旅できてすごーく楽しかった!(多謝)



折りしも週末から連日の花見三昧。その話は次回の旅日記が終わった後、追って更新します。
(次回は、倉敷から京都へ。春トリップ最終回「京都編」なり)
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春トリップ2 直島編

2009-04-05 06:30:24 | Travel 国内外猫の目紀行
さて、前回に続いて「直島編」。この島のアイコンと化している草間彌生のカボチャは
ストラップとかペーパーウエイトになっていまや直島の定番お土産になっていた。
このヘタが台風で2度ほど沖へぷかぷか流されたという噂だけど、無事回収したらしい。

。。。と、直島に上陸する前に、瀬戸大橋を渡って香川にあるイサムノグチ庭園美術館に立ち寄った。
せっかく香川に来たのだから讃岐うどんを食べない手はないと、美術館の予約時刻直前に駆け込みで
つるっと朝うどん。絶妙なアルデンテ。はーちゃんいわく讃岐うどん文化はなかなか奥が深いよう。

イサムノグチ美術館は、晩年のイサムがNYと往き来しながらアトリエ兼住まいとして
愛した空間に 生前のまま作品が展示されており、夥しい彫刻群の影からひょっこりイサムが
現れても不思議じゃない雰囲気。(館内は撮影ご法度のため写真はなし。これはパンフより)

とくに、見立ての川や滝をしつらえ、借景を取り込んで大胆な起伏を持たせた作品は、
庭園そのものが巨大な彫刻になっていて、回遊しながらその宇宙感をまざまざと体感できた。

昨秋書いた「モダン・インテリア」のイサム ノグチ特集(↓)のときにお世話になった
館長の池田さんのご厚意で、イサム家(や)の中なども特別に見学させていただけてよかった。


美術館の外にあったイサムの遊具と無邪気に戯れる我々いいオトナたち(笑)


午後は高松港からフェリーで一路、直島へ。快適なデッキから
屋島など瀬戸内の島々を眺めていたら、あっという間に到着。


直島は地中美術館、ベネッセハウスミュージアム、屋外作品群、家プロジェクトと見所満載なので
島に1泊して、じっくり堪能。まずは地中美術館から――ここも外観から撮影禁止ゆえ、写真はない。
といっても文字通り、ほぼ地中に埋まっているので外観はとらえどころがないのだけど。

しかし中に入ると、蟻地獄に落ちた蟻のごとく、周到な安藤忠雄ワールドにずんずんはまっていく。
建築家の世界観の強さは、金沢21世紀美術館よりもさらにさらに濃密。モネ、タレル、デ・マリアの
3アーティスト&安藤と、パトロンのベネッセ福武總一郎の呆れるほど完璧なコラボレーション。

自然光を間接的に取り込み、70万個の白大理石が敷き詰められたモネの白い部屋も
光との対峙をテーマにしたタレルの部屋も、空間そのものと一体化した作品となっていた。

特に魅かれたのは↑ウォルター・デ・マリア「タイム/タイムレス/ノー・タイム」2004
どこか異星の王宮にある秘められた祭壇のような、ホーリーな空気感が妙に心地よくて。
けど、あの球体がごろんごろん階段を転がってくるところを つい妄想。。ちなみに、花崗岩の巨大な
球体をどうやって入れたのかとスタッフに訊ねたら、まず球を上から入れてから屋根を覆ったのだそう。

地中美術館の快適なカフェで一息つくと、今度は地図を片手に屋外作品鑑賞の散策に。
ニキ・ド・サンファール「猫」1991
ニキつながりもあって、ニキの奔放な色彩と造形世界は大好きなのだけど、
等身大の作品が多く、も少し大きな作品がでんとあってもよかったような気はした。

まあニキや草間彌生の作品は遠目にも一目瞭然なのだけど、こういうのを不意に発見すると驚く。
岸壁に海景の写真が飾られているという案配。「え、まさかあれ?」となる瞬間のわくわくと苦笑。
 杉本博司「タイム・エクスポーズド」1991

ジェニファー・バートレット「黄色と黒のボート」
これも作品。砂に埋まった船を海辺に置いた大竹伸朗の作品もあった。
こうなってくると、至近でも作品か否かの判断に悩む。 
ただのひび割れた石の塊も作品に見えてきたりして
だんだん、アートのオブセッションに憑かれた懐疑的な探偵みたいな気分に(笑)
まあ、台座に置かれた作品をありがたく拝むだけじゃない能動的なアート体験という意味で
実に愉快なのだけど。


これは直島屈指のパワースポットなるポイントに設置された作品。確かに気が澄んでいた。
ここを見下ろすように、ミモザが大満開だった。中央は漢方薬入りジャグジーとか。
あいにく蓋が閉まっていたが。配された中国の奇岩はどれも何か生きものの形に見えて仕方がない。
蔡國強「文化大混浴」1998

夕刻にはホテル一体型のベネッセハウスアートミュージアムへ。
ここも安藤建築と作品の対話(或いは闘い)の妙が見もの。セレクションも総花的な現代アートではなく、
かなり先鋭的に厳選されている。屋外作品などと連動した関連作もあり、なかなか深い。
ブルース・ナウマン「100回生きて死ね」
暗闇にネオンが点滅するこの作品を観て、ちょっと『気狂いピエロ』のオープニングを思い出した。

安藤建築にも雑草が生えちゃってるねー、湿っぽいのかなー?とか言っていたら、
これも作品だった(笑)。なんと木彫り。なんだか好きだな、これ。
須田悦弘「雑草」

アートミュージアムのテラスからちょうどサンセットが臨めた。
夜はベネッセハウスのレストランで仏料理。ボリューミーだったけど美味!
これにて直島1日目は無事終了。



翌朝は船で犬島へ渡って「犬島アートプロジェクト」に(これは次回「犬島編」にまとめて書きます)。
午後は再び直島に戻って、「家プロジェクト」巡り。家プロジェクトとは、300年以上前から続く
直島・本村地区の集落にある高齢・過疎化で増えた空き家を活用したアートの試み。
例えば、元歯科医院の家も大竹伸朗の手にかかるとこんなキッチュに。室内にはロードサイドの
ビデオ屋のサインだったという巨大な自由の女神像が2階までぶち抜きで居たりする。
大竹伸朗「はいしゃ」

島の氏神様でもある護王神社もアートの手に。ここから振り向くと、瀬戸内海の海景色が
目に飛び込んでくる。地下の石室から地上へは、氷みたいな硝子の階段が伸びており、
作者の意図や解釈はいろいろあるようだけど、神がかりなアンタッチャブル感がいとをかし。
家プロジェクトは係のボランティアスタッフに声をかけると資料にないネタも訊けたりして面白い。
杉本博司「アプロプリエイト・プロポーション」

夕刻近くになって、猫の姿がちらほら増えてきた。うれしい限り。
この辺に多い焼杉板を背景に、けもけもの黒猫が「にゃおう」と見送ってくれた。にゃおう。


帰り際、海辺を歩くりゅうちゃん&はーちゃん。いいコンビです。
見た目は大学の先生というより、むしろ学生に近いんだけど。


夜は直島から岡山に戻り、ふたりの御用達レストランで中華薬膳を賞味。謎めいた未体験食材が
満載の薬膳スープを食べたら身体が熱くなって疲れが一気に解消。なんて感動的な医食同源体験!
(次回は「犬島編」なり)
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