ここ数週間、間隙を縫って数本の試写へ。睡眠削っても映画は別腹。
まずは、来年1月公開予定のフランス映画『きつねと私の12か月』
監督リュック・ジャケの少年時代の体験を基に、フランス・アルプスの四季を背景に繰り広げられる
野生のきつねと少女の友情物語…と映画紹介記事風に書いちゃうと、なんだかミモフタモないけど。。
私は映画を観ている間中ずっと、危ういほど無垢な生きものたちの交信を 密やかに見護る
森の精霊みたいな気分だった。
時に親密で、時に牙を剥く自然の営みへの畏敬が、ワケ知り顔の大人の観念的な視線ではなく、
きつねと少女の心情と瑞々しくオーバーラップして描かれていた。
野生の生きものと心通わせることの歓喜と禁忌。愛するとは、相手を所有することではない。
「大好きだから、さようなら」――単なる友情譚を超えた深遠な哲学がそこにはあった。
☆
お次は、只今“ニャンダフル全国ロードショー”中の『グーグーだってネコである』。
これは晩夏になぜか中野サンプラザで試写を観た。原作は下手な純文学より数段深い大島弓子。
監督は大島漫画ファンの犬童一心。映画は原作を基に 良くも悪くも脚色されていたが、
大島弓子がグーグーと暮らす前に13年連れ添った猫サバが冒頭でそっと亡くなるところは同じ。
大島さんは実際、サバの死をきっかけに食べられなくなり寝られなくなる。いわゆるペットロス症状。
映画では、サバの後にやってきた仔猫グーグーの愛らしさをこれでもかと見せるが、
その実、映画の本題は“サバとの内的訣別”にある。主人公は夢の中でサバと邂逅し、サバは云う。
「ありがとう、たのしかった」と。主人公はそこで酷い自責の念から救われ、初めて涙をおとす。
(ニキも亡くなる数日前、同様のメッセージを全身全霊で伝えてくれた。
寝たきりのままサイレントにゃあを繰り返し、涙で潤んだ瞳でまっすぐ私を見つめて)
そんなわけで、このシーンにはちょっときました。シンプルなことばに宿る、ピュアな思い。
映画のラストで、主人公は漫画のモノローグと同じ台詞を云う。
寿命の違う生きものの生を慈しむ もうひとつの生きものの 最もシンプルな思い。
☆
続いて、先週観た『崖の上のポニョ』。これは試写ではなく、カッシーのお誘いでキムリエさんと
3人で観にいった。宮崎アニメを映画館で観たのは正直これが初めて。んー、押井守が云っていた通り
因果律も何もめちゃくちゃ。でも、物語は5歳児の目線で語られているのだから、当然てば当然。
私も5歳の頃からあるイミ変わっていなかったりする生きものなので、実はかえってしっくりきた。
宮崎駿いわく「世界は生き物だ。それを小さな子供はみんな直観的に分かってる」と。すごい核心。
物語の破綻も確信犯。ただ、ポニョの母がポニョを「半魚人だけど」呼ばわりしたり
ポニョがその「半魚人」から人間になりたがったりするのは、個人的には相容れず。異種のまま
堂々と交流すればよいのに、って。 あ、矢野顕子が演じたポニョの妹たちの「声」は必聴(笑)
ちなみに、5歳児の主人公は随分と理知的な子なのだが、ポニョが失神した時は激しく動揺する。
「ポニョォーっ!死んぢゃったのぉおっ?」って。死は、とくに子供にとって、底知れぬ恐怖なのだ。
『きつねと私の12か月』では、血まみれで失神したきつねを前に、少女は激しく放心する。
『グーグー』では大島弓子がサバの死に際し、猫と人の寿命が違うことを嘆息するモノローグがある。
寿命の違う異種の生きもの同士には、蜜月があれば 必ず惜別もある。
『動物の寿命』(ズーラシア園長 増井光子監修/素朴社刊)によると
ホンドギツネは6~12年、猫は12~18年(最高齢は36歳とか!)、半漁人ぽいジュゴンは70年。
驚いたのは金魚10~30年、イエバト35年、中・大型インコ20~80年!という小動物の長寿ぶり。
ロバ26~31年、ワニガメ47~58年といった妙に細かな数値が時々あって気になりますが。。
☆
これは先週、日本橋で撮った青銅の「麒麟」。古代中国では幸をもたらす聖獣だったとか。
明治末期設置のこの麒麟は、今年で御年97歳(しかも重文)。デモーニッシュな翼がかっこいい。
同じく日本橋にて伝統工芸展を観た後、メグ千鶴子さんといただいた まさかの「お子さまランチ」。
サンプルにはケチャップライスの中央に傘があったけど、お店の人が変に気遣ってか付いておらず。
日本橋中央通りにも秋の風が。いつもは人工的に植えられた花がただお行儀よく並んでいるだけの
退屈な花壇が、ぼうぼうたるエノコロ草(猫じゃらし草)に見事なまでに占拠されていた。
壮観。よほど秋らしい。
☆
週末は一気に秋の気配が深まった。朝と夜の間に間に、またしても家にコモって原稿三昧。
ベランダ越しに染み込んでくる、あかい木漏れ日。ふと気づけば、暗くなるのが随分早くなった。
土曜は秋の空気が気持ちよくて、窓を少し開けて仕事していたところ
夜半にソファでうっかりうたた寝してしまい、ぞくぞくする寒さで目醒めた。
寒くなると、よくニキを懐に入れて天然湯たんぽにしていたな。。
これは仔猫時代のニキ。最初は抵抗するけど、しばらくすると気持ちよくなってくるのか
ごろごろいいながら、だぶだぶの古着カーディガンの懐にすっかり収まっていた(遠い目)。
これは件の『きつねと私の12か月』のワンシーン。巣穴で眠るきつね親子。
一緒にまるまりたいー
まずは、来年1月公開予定のフランス映画『きつねと私の12か月』
監督リュック・ジャケの少年時代の体験を基に、フランス・アルプスの四季を背景に繰り広げられる
野生のきつねと少女の友情物語…と映画紹介記事風に書いちゃうと、なんだかミモフタモないけど。。
私は映画を観ている間中ずっと、危ういほど無垢な生きものたちの交信を 密やかに見護る
森の精霊みたいな気分だった。
時に親密で、時に牙を剥く自然の営みへの畏敬が、ワケ知り顔の大人の観念的な視線ではなく、
きつねと少女の心情と瑞々しくオーバーラップして描かれていた。
野生の生きものと心通わせることの歓喜と禁忌。愛するとは、相手を所有することではない。
「大好きだから、さようなら」――単なる友情譚を超えた深遠な哲学がそこにはあった。
☆
お次は、只今“ニャンダフル全国ロードショー”中の『グーグーだってネコである』。
これは晩夏になぜか中野サンプラザで試写を観た。原作は下手な純文学より数段深い大島弓子。
監督は大島漫画ファンの犬童一心。映画は原作を基に 良くも悪くも脚色されていたが、
大島弓子がグーグーと暮らす前に13年連れ添った猫サバが冒頭でそっと亡くなるところは同じ。
大島さんは実際、サバの死をきっかけに食べられなくなり寝られなくなる。いわゆるペットロス症状。
映画では、サバの後にやってきた仔猫グーグーの愛らしさをこれでもかと見せるが、
その実、映画の本題は“サバとの内的訣別”にある。主人公は夢の中でサバと邂逅し、サバは云う。
「ありがとう、たのしかった」と。主人公はそこで酷い自責の念から救われ、初めて涙をおとす。
(ニキも亡くなる数日前、同様のメッセージを全身全霊で伝えてくれた。
寝たきりのままサイレントにゃあを繰り返し、涙で潤んだ瞳でまっすぐ私を見つめて)
そんなわけで、このシーンにはちょっときました。シンプルなことばに宿る、ピュアな思い。
映画のラストで、主人公は漫画のモノローグと同じ台詞を云う。
寿命の違う生きものの生を慈しむ もうひとつの生きものの 最もシンプルな思い。
☆
続いて、先週観た『崖の上のポニョ』。これは試写ではなく、カッシーのお誘いでキムリエさんと
3人で観にいった。宮崎アニメを映画館で観たのは正直これが初めて。んー、押井守が云っていた通り
因果律も何もめちゃくちゃ。でも、物語は5歳児の目線で語られているのだから、当然てば当然。
私も5歳の頃からあるイミ変わっていなかったりする生きものなので、実はかえってしっくりきた。
宮崎駿いわく「世界は生き物だ。それを小さな子供はみんな直観的に分かってる」と。すごい核心。
物語の破綻も確信犯。ただ、ポニョの母がポニョを「半魚人だけど」呼ばわりしたり
ポニョがその「半魚人」から人間になりたがったりするのは、個人的には相容れず。異種のまま
堂々と交流すればよいのに、って。 あ、矢野顕子が演じたポニョの妹たちの「声」は必聴(笑)
ちなみに、5歳児の主人公は随分と理知的な子なのだが、ポニョが失神した時は激しく動揺する。
「ポニョォーっ!死んぢゃったのぉおっ?」って。死は、とくに子供にとって、底知れぬ恐怖なのだ。
『きつねと私の12か月』では、血まみれで失神したきつねを前に、少女は激しく放心する。
『グーグー』では大島弓子がサバの死に際し、猫と人の寿命が違うことを嘆息するモノローグがある。
寿命の違う異種の生きもの同士には、蜜月があれば 必ず惜別もある。
『動物の寿命』(ズーラシア園長 増井光子監修/素朴社刊)によると
ホンドギツネは6~12年、猫は12~18年(最高齢は36歳とか!)、半漁人ぽいジュゴンは70年。
驚いたのは金魚10~30年、イエバト35年、中・大型インコ20~80年!という小動物の長寿ぶり。
ロバ26~31年、ワニガメ47~58年といった妙に細かな数値が時々あって気になりますが。。
☆
これは先週、日本橋で撮った青銅の「麒麟」。古代中国では幸をもたらす聖獣だったとか。
明治末期設置のこの麒麟は、今年で御年97歳(しかも重文)。デモーニッシュな翼がかっこいい。
同じく日本橋にて伝統工芸展を観た後、メグ千鶴子さんといただいた まさかの「お子さまランチ」。
サンプルにはケチャップライスの中央に傘があったけど、お店の人が変に気遣ってか付いておらず。
日本橋中央通りにも秋の風が。いつもは人工的に植えられた花がただお行儀よく並んでいるだけの
退屈な花壇が、ぼうぼうたるエノコロ草(猫じゃらし草)に見事なまでに占拠されていた。
壮観。よほど秋らしい。
☆
週末は一気に秋の気配が深まった。朝と夜の間に間に、またしても家にコモって原稿三昧。
ベランダ越しに染み込んでくる、あかい木漏れ日。ふと気づけば、暗くなるのが随分早くなった。
土曜は秋の空気が気持ちよくて、窓を少し開けて仕事していたところ
夜半にソファでうっかりうたた寝してしまい、ぞくぞくする寒さで目醒めた。
寒くなると、よくニキを懐に入れて天然湯たんぽにしていたな。。
これは仔猫時代のニキ。最初は抵抗するけど、しばらくすると気持ちよくなってくるのか
ごろごろいいながら、だぶだぶの古着カーディガンの懐にすっかり収まっていた(遠い目)。
これは件の『きつねと私の12か月』のワンシーン。巣穴で眠るきつね親子。
一緒にまるまりたいー