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サメ、プロミネンス、蝉時雨絶好調

2009-07-26 15:04:17 | Art
蝉時雨が始まり、「今日も暑いですねえ」という台詞が挨拶になる日々がやってくるといつも、
熟んだ真夏の夢のなかを どこまでもどこまでも回遊しているような気分になる。
ぐるぐるぐるぐる。夢の出口はどっちだ。

              
               ――サメの独りごと@数寄屋橋


22日は皆既日食だったけど、東京は曇天。しかも私はうっかり徹夜原稿明けで、頭も曇天。
太陽の見えない窓外をチラ見しつつ、ソファに横たわってNHKの生中継をうとうと眺める。
各都市の映像(一部は日食中継ではもはやなく、暴風雨中継っぽかったけど)が流れる中、
ピーカンだった硫黄島の皆既日食の瞬間、その神々しさに一気に覚醒。
というか 予想外の突発的落涙。


太陽の絶対的存在と、太陽を覆う影によってその存在を知らしめる月。
おてんとうさまとおつきさまへの畏怖と慈愛が、陰陽ぴたりと交わる恍惚の瞬間というか。
アマテラス神話も皆既日食の暗喩という説があるが、
地動説も電気もオゾンホールも無かった時代の方が、太陽と親密に生きていたのかもしれない。

これは超高感度カメラが捉えたプロミネンス(紅炎)。
どんなアートも、これには敵わないかも。


実は呑気にも前夜になって日食観察アイテムを渋谷の東急ハンズや電気量販店とかで探したら
案の定すべてSOLD OUT。この不況でメーカーも慎重に作り控え、店側も買い控えたのだとか。
「マスコミが変に騒いでるけど、日食が終われば一個も売れないからねえ」と某店スタッフ。確かに。
まあ、メディアでは次の皆既日食は26年後と煽っているけど、それは日本に限ったお話。
たとえば来夏イースター島に行けば、皆既日食が見られるチャンスはあるわけで。

専用眼鏡の代りに、ポスター用の筒を使って即席ピンホール望遠鏡を前夜にちゃちゃっと作った。
底にはBLUE NOTEのコースターをテープで貼り、中心に開けた小さな穴から三日月型に欠けた
陽光を投影するつもりだった…が、曇天で叶わず。ただ、東京の部分日食が最大になった11時台、
妙に肌寒さを覚え、慌ててパーカーを羽織った。薄暗さまでは感じなかったけど。
左は数年前に古書店で見つけた1999年8月11日の皆既日食がテーマの写真集[Le 11 aout 1999]。


作者はフランスのカルチャー誌パープルの初代アートディレクター、クロード・クロスキー。
実はこれらは本物ではなく、メディアの風景写真や広告写真をいじってドラマティックな
皆既日食シーンを捏造し、大量に消費される皆既日食映像を逆説的にパロディ化しているのだ。




日食の翌日、お隣の柿の木から今夏初の蝉時雨が聞こえてきた。
田町で打ち合わせ後、半年毎の検診でかかりつけの歯科医院へ。全個室の診察室すべてに
異なる天井画が描いてあるのだが、この日はとても夏らしい天井画の部屋だった (左)。
帰りに銀座のボザール・ミューで開催中の佐山泰弘さんの個展へ(右)。
看板の下には、またもや看板猫のシーちゃんがふっかり爆睡していた。


これらは全部、実在する猫をモデルにした粘土作品。仕草や佇まいのリアルさには毎度驚かされる。

(佐山さんの作品については以前書いたblogをご参照ください)

夜は赤坂でレイちゃんと打ち合わせwithビオワイン&イタリアン。帰ってから原稿を書くつもりが
大爆睡。眠っても眠っても不思議と眠かった。日食や低気圧の余波?


土曜は神楽坂のアグネスホテルで女優さんの対談取材後、メトロで谷根千方面へ。
言問い通りのゆるい坂を上っている途中、お寺の庭に美しい蓮の蕾が見え、思わず立ち止まる。
上野方面に曲がると、小さな広場で流し素麺をやっていた。ちょっと生ぬるそうだったけど(笑)


東京芸大前にある築100余年の市田邸に着くと、塀から何かどろりと。。
これは昨夏に続き 芸大生が中心になって企画している「続・続・続」展(7/18~26)の
作品のひとつ。融けた氷が溢れ出しているイメージだそう。庭には同じ作者(森一朗氏)の鯉も。


着物姿の若尾文子がつつつ..とやってきそうな廊下の奥には、古箪笥の置かれた小さな蔵があり、
そこで谷中の建物についてのインタビューを上映していた。といっても古い建物を擬人化し、
あたかも建物自体が語っているように映像を加工してあって面白かった。


でもって、こちらが大平龍一氏の作品[Semishigure]。昨夏の同展では、この黄金の蝉4444匹が
市田邸の塀にびっしりへばりついていて呆気にとられたけど、今度はお座敷を占拠していた。
しかも床の間前には、巨大な蝉のご神体が鎮座し、スピーカーが内臓されたその頭部からは
リアル蝉時雨をアレンジした蝉テクノがミンミンジージーシュワシュワ聴こえてくるというあんばい。
その響きが案外クセになる快さで。CDがあったら欲しいかも(笑)



市田邸を後に、SCAI THE BATHHOUSEに寄り道したりしながら
日暮れ前の夕焼けだんだんやよみせ通りあたりをお散歩。


帰りに千駄木の「やなか珈琲店」で休憩。ここには、お店のパッケージでお馴染みの
本多廣美画伯の版画作品が数多く飾ってあると伺ったので訪ねてみたしだい。
2階の喫茶室に行くと、まるでギャラリーみたいに本多さんの作品がずらり。
満員のテーブルを縫ってたまたま座った席にあったのが、この画。
題名は[月光採集の夜]。捕虫網で月明かりを採る猫に思わず微笑。
帰宅後、窓を覗くと、暮れたての西空に 生まれたての細い細い三日月が浮かんでいた。


これは先日、並木通りのギャラリーGKから連れて来た本多さんの版画[猫と女学生]
おまけにいただいた過去の個展案内用の葉書。すべて和紙に手刷り。手触りも味わい深い。



最後に、今日も炎暑なので、ローマで開催されている世界水泳2009の涼しげな画像を――
上はフランス、下はスペインの美女たちによるシンクロナイズドスイミングの艶技。
ただ・・フランスのはテーマが“虫”で、スペインはタイトルが “恐怖の館”。えーっ?!
確かに水着は骸骨柄だし、メイクもなんだか「デトロイト・メタル・シティ」ばりにまがまがしく、
音楽も動きもおどろおどろしくて、アップ映像は気の弱い幼児だと泣いちゃいそうな迫力だった。


ローマも暑そうだなあ。

本日も、蝉時雨が絶好調。

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Double Rainbow

2009-07-20 18:06:51 | Scene いつか見た遠い空
日曜、うちであれこれ作業した後、スカパーで『喜劇 駅前団地』(‘61年)を観る。
その辺の時代の原稿を書いていたこともあり、当時の東京にぜひタイムトリップしてみたいなー
と思いつつ窓外を見やると、夕空が妙に美しい。そこでルヴァンに買い物がてら散歩することに。

外に出ると むわっとした空気を縫って、ぽつんぽつんと少々間延びした間隔で雨雫が。
傘を取りに戻ろうか否か逡巡しつつ振り向くと、天空にぎょっとするほど巨きなダブルレインボウ!
足もとからくっきり架かった二筋の虹は思いのほか空に長く留まり続け、
ほーっ..と立ち止まって眺める人々はみな 少し夢のなかにいるみたいな表情をしていた。

東の空に虹が融けた後、夕暮れの精が西の空を速やかに席捲した。
ジョビンの「Double Rainbow」を鼻ずさみながら井の頭通りをてくてく。
虹の後のマジックタイムは熟れた夏の果実のように濃く澄んでいた。




先週末は池袋での取材後、せっかくサンシャインに来たのだし、とプラネタリウムに寄り道。
私が見た回のプログラムは、皆既日食のスペシャル番組と夏の夜空を彩る天の川についてだった。

天の川が東京で見えなくなってから、36年経つそう。
高度成長期の頃を境に空が濁り、街が不夜城化したことがその一因のよう。
人工的な夜景も面白いけど、天の川に勝る煌きはないなあ…と、CGの天の川を眺めつ溜息。
しかし、天の川って銀河系を真横から見た図なんだと初めて知った!


プラネタリウムといえば、今はなき東急文化会館の五島プラネタリウムが懐かしい。
初めて見たのはまだ幼稚園の頃だったが、天球に煌く無数の星たちの棲む世界にいたく心酔し、
自分もそこの住人であることにわくわく心ときめかせた。と同時に、
自分という存在など星屑よりもちっぽけな宇宙のアクタなのだと幼心に思い知った瞬間でもあった。



週末から弟の竜ちゃんが研究会で泊まりに来ており、岡山名産の白桃をお土産にくれた。
普段食べている桃を遥かに凌ぐ甘美な香りに、またたびを嗅いだ猫みたいなうっとり貌に。。
糖度センサーで選別されたものらしく、頬張るとコクのある果汁の甘みがただちに全身に行き渡る。
ありがとう!

ピーチつながりで、Natural Calamityのアルバム“PEACH HEAD”の
とろーんとしたメロディを久々に聴きたくなった。


最近は ひとりでぼーっとするとき、昔のミニマルミュージックをよく聴いている。


テリー・ライリーの「A Rainbow in Curved Air」は、以前も書いたことがあるような気がするけど
雪の日にむしょうに聴きたくなる。昨日虹をみたせいか久々にかけてみた。
同じくライリーの「Last Camel in Paris」は夜明け前あたりになるとなぜか聴きたくなる。
ジョン・ハッセルの「Power Spot」は、学生時代から真夏の夜になると辿り着いてしまう音楽のひとつ。
どこか深い深い深いところへと連れていかれる感じがたまらないのだ。



今日明日は家でゆっくり原稿書きの予定。22日朝は太陽の下でスタンバるつもり。
皆既日食はさすがに経験ないけど、部分日食は子ども時代に校庭で下敷き越しに見たことがある。
でもあれって目を傷めるからしちゃいけないことだったのね。いまさら知りました。
だから視力が悪くなっちゃったのかなああ?

皆既日食デイ、天気予報に反してどうか晴れますように。


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鬼灯、ロータス、木版画展

2009-07-17 03:00:44 | Scene いつか見た遠い空
鬼灯(ほおずき)は旧盆に死者を導く提灯ともいわれる。
先週土曜、キムリエさんのお誘いで芋洗い坂の途上にある朝日神社のほおずき市へ。
前日には軽い脱水症状で近所の病院で点滴をしていたというのに、この日は嘘のようにけろりと回復。
というかむしろ前より元気に。ヒトの身体って、つくづく丈夫にできているものだなあと妙に感心。

神社では宮崎県日之影町直送の鬼灯を入手。南国育ちは実が大きい! 思わず一個、剥いてみた。
――幼い頃、高い木の枝に巣を張っている鬼蜘蛛が、何かの拍子で地面に落下し、
蜘蛛の腹からこんな朱い珠ともう少し小さな緑色の珠がとろんと流れ出てくるのを見たことがある。
長い間、いきものの魂とは、こんな朱い珠なんだと信じていた。



芋洗い坂を下り、キムリエさん&レイちゃんと麻布十番でおいしいパンを買い食いしたりしながら
古河橋まで歩いてクーリーズ・クリークへ。この日は昨年末のアダン・オハナ以来の
ドイス・マパスLIVE(正確にはユニット名が「木下ときわ」名義に)。
8/9日発売される新作アルバム「海へ来なさい」の曲を中心に、ボッサでもフォークでもない
独特の音楽世界を楽しませてくれた。井上陽水や矢野顕子などのカバー曲もある中、
「団塊少女」というオリジナル曲がなんともアイロニカルかつチャーミングで、らしいなあと。


♪犬の散歩をしませた後に テレビ見て 戦争の国を 心配してた
 いつかつつまれる 世界がキノコ雲に 私 気にしないわ あなただけ ずっと一緒
 定年になれば 熱帯だね サルバドール マニラ メコンリバー
 定年になれば 熱帯だね ここにはもう戻ってこない... ♪ 「団塊少女」より  

 ね、いろんなイミですごいでしょ(笑)


翌日曜、都議選に行った後、自転車で駅前の商店街に出ると、
あろうことかヤギやら羊やら兎やら鶏やらポニーやら! 
夏祭り企画とか。しかし川崎の牧場からやって来たという動物くんたち、少々面食らいぎみだった。
駅前牧場。

人垣の中でぽつねんとしていた亀さんの周りだけ、違う時間が流れていた。ちょっと気の毒。。


商店街のスーパーの軒先では、ここ最近売り出し中の鈴虫に、クワガタムシも加わっていた。
しかし、ペナペナのお惣菜用の容器におが屑を詰めて売られたクワガタは、
まるでキナコに埋もれて潰れた小豆おはぎみたいで、こちらも気の毒。。



商店街を抜けて代々木公園の遊歩道を自転車で疾走中にすれ違った眩しい金色のハンゴンソウ。


数頭のアオスジアゲハが乱舞しているのにも遭遇。恐ろしくすばしっこくて
一瞬のうちに視界から消えてしまうけれど、昔からこの蝶に出逢うとむしょうに嬉しくなる。


代々木公園から表参道を抜け、麻布にあるスタジオトリコの側に越したキムリエさんの新居へ。
マンションの下にツバメの巣があり、ふわふわの雛鳥たちがすごくかわいかった。
寺山修司の「天井桟敷館」跡地にも至近の地で、界隈は独特の雰囲気がある。
そこからキムリエさん、レイちゃん、カッシーと暗闇坂を上って、5月に[ROSALBAvol.15] で取材した
桐島かれんさんの期間限定(7/1~20)ショップ「ハウス オブ ロータスに。
今回のテーマはバリだそうで、その名も「BALI BALI LOTUS」。
築約80年近い洋館にバリ直送のユニークな雑貨が集い、かれんさん自らが蓮の蕾を
手作りで加工したディスプレイなど、相変わらず随所に独特の美意識が。


あれこれ迷った挙句、蓮の蕾のような小さな籠に入ったガムランボールのペンダントヘッドを入手。
唐草模様が彫られたシルバーの珠を揺らすと、しゃららん…と世にも涼しげな音が鳴る。


ハウス オブ ロータスを出て狸坂に出ると、坂の向こうに鬼灯の実のような色の夕陽が見えた。
夜は海の家みたいなゆるゆる心地よいキムリエさん&キムナオさんの新居で、
ベランダからちょこっと覗く東京タワーの先っぽと月を眺めながらわいわいゴハン(愉!)。
付近で見た変り種の紫陽花?

余談ながら、麻布というのは、江戸川乱歩の少年探偵団ものに頻出する場所。
「麻布の、とあるやしき町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。
四メートルぐらいもありそうな、高い高いコンクリートべいが、ずうっと、目もはるかにつづいています。いかめしいとびらの門をはいると、大きなそてつが、どっかりと植わっていて、そのしげった葉のむこうに、りっぱな玄関が見えています。」
――『怪人二重面相』より


麻布の大きな洋館から純情可憐な子息や令嬢が誘拐されるというのは、乱歩の常套句。
松山巌は『乱歩と東京 1920都市の貌』で、開放的な下町に比べ、隣人が何を生業にしているか
不明な山の手の閉鎖性の怖さと、そこに勉強部屋を与えられて囚われる少年たちの怯えを、
麻布に代表される寂しい屋敷町に跋扈する怪人への恐怖に共鳴させていると指摘している。
今では○○ヒルズ的なタワーがキノコの如く乱立しつつある界隈だが、
それでも細い坂の途上に、乱歩的風景の名残がふと垣間見えた。



月、火はこもって旅関係の原稿と水関係の原稿書き。
水曜は表参道で取材後、NODE編集者さとうさんとランチ。トニー・レオン好き同士で盛り上がる。

午後は銀座界隈のギャラリー巡り。まずはINAX GALLERYの「考えるキノコ展」へ。
その不思議な造形に魅かれてやまない輩にはユートピアのような空間。キノコは存在自体がアート。
さらにボザールミューで開催の「元祖ふとねこ堂個展 猫世草子」へ。江戸をテーマに擬人化された
猫画がいとをかし。ギャラリーの案内版下では、看板猫のシーちゃんが爆睡していた。

これは先月、谷中の猫町ギャラリーで入手したふとねこ堂さんの団扇。今夏、大活躍です。

さらに並木通りから細い通路にスッと入った所にある「ギャラリーGK」で
7/18まで開催中の本多廣美 「木版画展」へ。


本多氏は近年愛飲している やなか珈琲店のパーッケージ画で知った作家さん。
デ・シーカやフェリーニ、アントニオーニなどの旧いイタリア映画に、レイ・ブラッドベリや夢野久作などの
幻想小説が大好きだそうで、初対面だったのにいきなりその辺の話でどっぷり盛上がってしまった。
私が彼の作品に魅かれるのは、そうしたものに通じる匂いがあったからだったんだと妙に納得。
ただし、本多氏はそうしたものを直接の題材にして描くことはしないという。
いわく「既成の創作物はその人が既に作った世界だから、それを題材にしたら僕の創作じゃない」。
あくまでも独自の創作世界へのこだわりを 飾らない言葉で誠実に話してくれて、非常に鼓舞された。
本多廣美画伯
「猫と女学生」

展示作品の中でもとくに魅かれてやまなかった版画「猫と女学生」を連れて帰ることに決めた。
ちょっとレトロな匂いもするこの画、実は「今から2,3千年先の未来人が、《21世紀初頭の人々は
ケータイとかいうものを使って交信していたらしい》..という伝承を元に描いた想像画」という
コンセプトらしい(!)。ゆえに携帯も怪しい古代昆虫の姿をした黒電話にすり替わっている。

彼の作品によく登場する猫や月、星、蝶などは、“日常の中に潜む 非日常へと誘う存在”なのだそう。
私にとっても猫や蝶や月や星は、夢の此岸と彼岸を行き交うとくべつな存在だ。


帰宅後、本多氏の木版画がデザインされたやなか珈琲店の缶に入ったコーヒーを淹れる。
しみじみ、おいしい。
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ポランスキー、アニエスの浜辺、ポー川のひかり

2009-07-11 04:21:23 | Cinema
             
今日、病院の帰りに見た夕暮れ。実は週半ば、暑さと卵にあたってちょっとぐったりしていた。
点滴をしたのはむかーしエジプト旅行から帰って来た時以来。もう脱水症状は脱して復活傾向。

そんな中、今週はいい月を何度も目撃した。

と、これは私の撮影した月ではなく、ロマン・ポランスキーの映画『吸血鬼』の冒頭シーンの月。

最近、スカパーでポランスキー特集をしていたので、久々に観たのだが、スタッフ名にぽたりぽたり
血のしずくがしたたるアニメーションのオープニングと、それにかぶさるコメダのジャズにぐいぐい
引き込まれた。すっとぼけた助手役で出演している若き日のポランスキーも、
後に彼の妻となるシャロン・テートも実に初々しくて。


シュールな『タンスと二人の男』や、不条理でアンニュイな『水の中のナイフ』の後に
ドラキュラを換骨奪胎した『吸血鬼』みたいなお笑いスラップスティックを作った多才ぶりはさすが。
他にも、カトリーヌ・ドヌーブの怪演が光った『反撥』(‘64)や、ドヌーブの姉である
フランソワーズ・ドルレアックのコケットリーな魅力溢れる『袋小路』(‘66)を久々に再見。
反撥
袋小路

いずれもポランスキーお得意の 閉鎖的な空間で次第にひずんでいく人間関係や
スリリングな緊張感が絶妙。ドヌーブの狂気の演技も実に怖い。
ちなみにフランソワーズは『袋小路』の翌’67年に交通事故で急逝しており、
ポランスキー映画においてフェリーニとニーノ・ロータのような関係だったコメダも
『ローズマリーの赤ちゃん』の音楽を手がけた翌’69年に夭折している。さらに同年、
妻のシャロン・テートもC.マンソン一味に殺害されており、現実は映画より奇なり。。


在りし日のフランソワーズとカトリーヌ姉妹が共演した『ロシュフォールの恋人たち』も
私の大好きな作品。この映画のメガホンをとったジャック・ドゥミの妻であり、
彼をテーマにした映画も撮っているアニエス・ヴァルダの最新作『アニエスの浜辺』の試写会に、
今週行ってきた。かねがね「何歳だからどうだ」と人を齢で横切りにするのは筋違いと思っているが、
80歳でこの瑞々しく清新な感性には驚いた。全然枯れていない。それが彼女のナチュラルなのだ。

彼女が出逢った浜辺を軸に語られる、戦争、ヌーヴェルヴァーグ、フラワーチルドレンという時代や、
夫ドゥミをはじめ、ゴダール、ドヌーブ、ジェーン・バーキン、ジム・モリソンなどなど多彩な
面々とのエピソード。それらが過去映像とキッチュな再現映像との大胆なコラージュでテンポよく
描かれており、アニエス クロニクルにして、映画を巡る20世紀カルチャー史ともいえる珠玉作だ。
10/10~岩波ホール他で公開予定。映画館で観た後は、DVDでも持っておきたい1本。


若き日のアニエスが映画を撮るのをサポートしたのはアラン・レネ(映画にももちろん登場する)。
彼は5月に開催された第62回カンヌ映画祭で功労賞を満場の拍手と共に贈られていた。
私はたまたま授賞式を深夜に生放送で観ていたのだが、この人もダンディで枯れていなかった。
レネの『去年マリエンバードで』は、私が十代の頃から愛してやまない映画のひとつでもある。


カンヌで女優賞を受賞したシャルロット・ゲンズブールも両親と共にアニエス映画に登場している。
シャルロットは授賞式の時も 母ジェーンと父セルジュへの愛に満ちたコメントでしめくくっていた。



『地下鉄のザジ』に登場するガブリエルおじさんことフィリップ・ノワレも
アニエスの映画『ラ・ポワント・クールト』(‘54)がデビュー作だったよう。
『ザジ』は作品誕生50周年を祝して完全修復ニュープリント版が今秋公開予定らしく、
その試写も先日観た。その昔ビデオで観たことはあったけど、相変わらずばかばかしくて楽しい。
50年前のパリ観光を楽しんでいるみたいな気分になるし、何もかもがキッチュでチャーミング。

ルイ・マルは、あのアンニューーイでメランコリックな『死刑台のエレベーター』や『鬼火』の間に
この『ザジ』を撮っていたわけで、先のポランスキーのどたばた『吸血鬼』しかり、
天才とは決して自分のスタイルに溺れないものだなぁと、再認識。



今週前半、もうひとつ試写を観た。
エルマンノ・オルミの最新作にして人生最後の長編劇映画『ポー川のひかり』だ。
↓は鑑賞後にカフェでカプチーノを飲みながら資料を眺める私を久々に会ったナクロプさんが撮影。
どんなアングルですか。

『ポー川のひかり』には、まさに大河の流れに衝き動かされるかの如く、心揺さぶられた。
ボローニャの大学の古い歴史図書館で、夥しい神学書が床や机に太い釘で磔にされているのが
発見されるという サイコサスペンスじみたショッキングなシーンから映画は始まる。
書物を生きがいとしていた老司教は「殺戮」と嘆き、駆けつけた検事は「天才芸術家の作品のよう」と
呟く。私も検事とまったく同じ感想で、その磔にされた書物の群がヴェネツィア・ビエンナーレの
アペルトのインスタレーションといわれても大いに納得する「作品」と思った。

原題は『百本の釘』。本に釘を打ったのは、キリストに似た風貌の哲学教授。彼が全てを棄て、
ポー川沿いの朽ちた小屋で過ごす中で出会う人々とのエピソードが、新約聖書の寓意に重なっていく。
よく作品にハクをつけようとして聖書の物語にオチをいただく粗末な映画があるが、この映画は違う。
書物や教義だけを愛し、人や自然を愛さないのは本末転倒だというメッセージが根底にある。
「人間が中心にいないならば、宗教は世界を救えない。人間の価値とは知識ではなく、他人と分かつ
愛と真の人生を理解する能力によって決まる」とオルミはインタビューで云っている。
試写直後、後ろにいたイタリア人の女性が「Troppo bella!(美しすぎる)」と呟いていた。
8月1日~岩波ホールで公開されるので、ぜひ。知識と情報に疲れた人に観ていただきたい1本。


東劇に行く道すがらにある築地川公園に群生したローズマリーに白い小花がたくさん
ついていた。こんなにいい香りの公園で、なぜみんな煙草を吸うのかな。もったいない。
試写室の冷房があまりに寒かったので、身体を温めるために東銀座から日比谷までてくてく。
数寄屋橋公園の噴水前に出た頃にはすっかり汗ばんでいた。
 

泰明小学校の裏道で、暑さにすっかりだれきっている猫たちに遭遇。
近寄っても小首を一寸あげるだけ。そこから日生劇場前まで歩いてメトロで帰宅。



これはもう過ぎちゃったけど、近所のカフェの七夕飾り。願う前にまず感謝。いいね。
七夕の夜は眩い十五夜だったが、アルタイルやベガはどこにも見えなかった。


私が最後に天の川を見たのは、もう十年以上前、ケアンズ郊外の高台だったと思う。
零れるような無数の星々の連なりを目の当たりにし、涙腺が壊れたみたいに涙が流れた。
それは自分の中から湧き溢れてくるというより、天から滴ってくるもののようにも思えた。



最後に、暑い日々が続いているので、一服の清涼剤に、レニ・リーフェンシュタールの遺作
『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を。これも最近スカパーで観たのだが、
レニの美への無邪気な歓びに溢れた作品。魚たちと戯れているのは100歳のレニその人。
アニエスといい、オルミといい、レニといい、彼らの年齢を語ることこそ愚かなんだろうな。

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だまされて。神の手

2009-07-04 23:38:41 | Art
照ったり降ったりしながら、あっという間に7月。もう少しゆっくり回らないかな、地球。


ひたすら蒸した一週間。先週末から母が所用で泊まりに来ていたので、
ベランダのオリーブを伐ってわさわさ投げ入れた花瓶に、ウエルカムヒマワリ。
母は相変わらず若々しい。が、随分と早起きなので 私もつられて早起き& 少々時差ぼけな日々。。


月曜は、夏休みのこどもみたいなゆるい格好で 母と散歩がてらてくてくBunkamuraへ。
ザ・ミュージアムで開催中の[奇想の王国 だまし絵展]を観てきた。
「だまし絵」という夏休みのお子様も視野に入れたテーマなせいか、月曜の昼間でも案外混んでいた。
土日は相当の混雑になるらしい。いかに「だまされたい」人が多いのか。
あるいはトリッキーなCGに食傷気味の昨今ゆえ、「だまし絵」のアナログ感がかえって恋しいのか。

「だまし絵」「トロンプルイユ(目だまし)」とは、遠近法の誕生を機に確立したといわれているが
二次元にニセの奥行きを与える遠近法だって、ある種の「だまし絵」といえるし、
もっと遡ると、ポンペイ遺跡に見られる書割みたいな柱や庭園の壁画だって立派な「だまし絵」だ。
さらに巧妙な複製や画像処理が可能な今は、ニセモノとオリジナルの境界すら危うく、
そんな二項対立も成り立たないほど複雑怪奇だったりするわけで、
究極のだまし絵は、赤瀬川源平じゃないけど、偽札なのかもしれない。。

悪い癖です。話が少しそれました。。
今回の「だまし絵展」は、観る者を無邪気に「だまそう」とする古典的作品から、
観る者の「思い込み」をかく乱する現代アートまでとても分かりやすくまとめられていた。


目玉は、初来日となるアルチンボルド晩年(1590年)の傑作[ウェルトゥムヌス(ルドルフ2世)]。
アルチンボルドの作品の中でもとりわけ完成度が高く、グロテスクの極みにして非常に美しい。
鼻は洋梨、眼球はマルベリー、下唇は桜桃、髭は栗毬で、肩はキャベツとアーティチョーク…。
63個の全パーツ図解もあり、「えーっおデコはメロンなんだ~」などなど みなウケていた。

アルチンボルドからインスパイアされた映画を多々撮っているヤン・シュヴァンクマイエルの怪作
『オテサーネク』を最近観たばかりなせいか、ルドルフ2世が今にも動きだしそうに見えた。

アルチンボルドのようなダブルイメージの作品として、
江戸時代の浮世絵「寄せ絵」や「影絵」も紹介されていた。
「寄せ絵」は江戸的マスゲームとでもいおうか。一人一人、あるいは一匹一匹のポーズが絶妙。

歌川国芳の[みかけはこはゐがとんだいゝ人だ](左)、歌川国藤の[五拾三次之猫之怪](右)
国芳のはネーミングも洒落ている。


爆笑したのはこれ。江戸後期にブレイクしたという影絵を使った宴会芸ハウツー本の挿絵。
影絵そのものはなかなか風雅ながら、障子の奥では筋肉ぷるぷるのポージングで(笑)

歌川広重「即興かげぼしづくし」より、[鉢植に福寿草](上)、[梅に鶯](下)


その他、マグリットやダリ、エッシャーの作品も数点あったが、このあたりになるともはや
単純なだまし絵ではなく、形而上的で、虚実の錯乱を促す奥深い表現が面白いわけで、
もう少しバラエティに富んだ作品が並んでもよかったような気がした。
余談ながら、昔エッシャーの細密なジグゾーパズルにトライしたことがあるが、
完成するまでに本当に何度もめまいを覚え、脳味噌が捻転しそうになった。


年明けに惜しくも他界した福田繁雄の立体[SAMPLE](1977年)は、
フラ・アンジェリコの[受胎告知]に描かれた大天使ガブリエルを象ったブロンズ像の正面に回ると、
「SAMPLE」という文字がぱきっと浮かび上がるという、宗教画の神聖さを見事に換骨奪胎した
まさに福田繁雄らしいトリッキーでアイロニカルな作品。深い。



個人的に興味深かったのは、本城直季の「small planet」シリーズの写真作品。
画質を落としたweb画像では解りにくいけど、ミニチュア模型の渋谷駅前をなかなか
精巧に作っているなぁ…とまじまじ眺めているうちに、実はこれが実写の渋谷であることに
はたと気付かされる。わざとミニチュアのような手法とアングルで撮影し、
観る者の意識をスケールの著しく異なる虚実の間で二重に錯乱させているわけだ。
[2006年]


爽快にだまされた後、短歌関係のパーティに出席する母と別れ、
帰りに表参道ヒルズで開催していた[Blythe Fashion Obsession] に寄り道。
会場には各種ファッションブランドやクリエイターにこれでもかと凝ったスタイリングを施された
ブライス約100体がずらり。珍しい小動物でも観察するみたいに、つぶさに堪能した。
ファッションというのも美しい「だまし」プレイのひとつ。100通りに化けたブライスの
ほんとうの顔はどれなんだろう? たぶん、この答えは永遠に出ないと思うけれど。




火曜は母を東京駅まで見送った帰り、和田倉噴水公園で小休憩。
パレスホテルは建て替えのため、遂に跡形もなく消えてしまった。。
太陽が急に輝き始めた昼下がり、滝のように流れ落ちる噴水の裏側から、しばし世界を眺める。


パレスホテルや和田倉噴水公園が登場する三島由紀夫の短編『雨の中の噴水』を思い出し、
同じ10代の頃に傾倒していたケネス・アンガーの短編映画『人造の水』の場面を思い出し、
さらに映画の舞台になったローマ郊外のティボリ庭園に遊びに行った頃のことを思い出し、、
めくるめくぼーっとしていたら、細かな水飛沫でワンピースがしっとり濡れてしまった。
 



木曜は西麻布で取材後、STUDIO TORICOのすぐ側だったので、キムリエさんに電話して合流。
ちょうど側のギャラリー・ル・ベインで「触れる地球展」を開催していたので一緒に見学した。
手で押すとセンサーがキャッチして回転する実物の1000万分の一の地球儀と
それをさらに縮小した地球テーブルが展示されており、温暖化や異常気象も一目瞭然。
各都市のネット中継画像も見られ、地球儀の一挙一動に子供みたいに大反応してしまった。


神の視点で地球に触れる感覚とでもいうか、この惑星が妙にちっぽけで儚く愛しく思えた。
何億年前からのダイナミックな大陸移動の動きを眺めていると、
国境も国家も小賢しい文明も 砂上の楼閣だなあと。

その後、キムリエさんと広尾まで歩いてのんびりお茶し、さらにもう少し散歩したい気分だねと
骨董通りまでてくてく歩き、キムナオさんも合流して夜更けまで3人でゴハン。
いっぱい歩いていっぱい話した夏の午後。地球が静かに回転している間に――


6月後半は家にこもって原稿を書いていることが多かった反動か、
7月に入ってからよく歩いている気がする。雨予報では自転車にも乗れないからなおさら。
歩いているといろんなことを考える。それが楽しいからまた歩く。乗物の中とは違う思考回路で。

歩きながら時々、「ところであの猫はどうしているだろう?」と考えることがある。
そう思った瞬間、その猫が目の前に現れて驚くことが最近頻発。とくに黒猫。
ニキだけは 現れないけどね。
 
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