goo

紫陽花の饒舌

2011-07-08 05:31:28 | Scene いつか見た遠い空

この初夏は、旧交を温めたり、新しいご縁が生まれたり、そんな時間がとても多く。
懐かしい笑顔や新鮮な世界に触れた帰りに、梅雨で洗われた都内の公園をしばしば漫ろ歩いた。
湿った木立の間を抜けながら、ここ2,3か月の間に書棚から発掘しては読み散らした
濫読のかけらが、アブクのようにふつふつ浮かんでくる。

「科学技術が鳴らす警笛の破壊的な音に包まれ、
グローバリゼーションという新たな奴隷制度と貪欲な権力争いに侵略され、
収益優先の重圧の下に崩壊する世界であっても、友情と愛情は存在する」

――アンリ・カルティエ=ブレッソン 1998.5.15
『こころの眼 写真をめぐるエセー』(岩波書店)より

どんな過酷な世界にも、友情と愛情は存在する。
だから私はこうして生きていられる。
 

夏闇の中で出逢う花の色は、どこか青褪めていて、
夕暮れや夜明けの空色がそのまま染み込んだように見える。


そういえば、先日 カラーコーディネーターの人にみてもらったら、
私に合うカラーは四季でいうと青みがかったサマー系なのだそう。
クリアなシルバーやラベンダー、サックスブルー、ローズピンク、オフホワイト…みんなすきな色。
  



すっかり葉桜となった代々木公園のソメイヨシノ(左)にはかわいい実がぷくぷくと。
自力では結実しない筈なので、別の桜の花粉を受粉したらしい。烏のいいおやつになるね。

拙宅のベランダの枇杷の木も今年は去年より豊作に(右)。何度もブログに書いているけど、
12年前に食べて植木鉢に捨てた茂木枇杷の種が、私の背丈より伸びてここまで成長したしだい。
まだ小ぶりの時に烏が味見しに来たけど、2粒と食べなかったので、よほど渋かったのかと
思っていたら、、実がふっくら熟した頃、うっかりしている間に全ての実が忽然と消えていた。
烏の冷静かつ手際のいいシゴトっぷりには、実に学ぶべきものがあるなぁ。(ぽかん)

・・・


少し遡るけれど、6月直前、取材で今年3度目の軽井沢STUDO TORICO合宿に。
到着日はまたもや霧模様。それでも軽井沢は訪れる度に新緑が深まり、花の彩りが増していた。
恒例の星野温泉トンボの湯であったまり、ストーブを囲みながら
キムリエさん&キムナオさんたちと夜更けまでお喋りする時間はとても愉しく。
目覚めは、木立に響き渡る小鳥たちのさえずり。


取材翌日はキムリエさんの案内で雨上がりの旧軽井沢を散策。昔ながらの別荘地の小径には
アジェ風の二股道が多い。アラーキーじゃないけど、“旧軽アジェ”な光景が現れる度、わくわく。
雨に濡れた新緑の間に間に見える別荘は、年季の入った昭和モダンな匂いのするものに魅かれた。


今春逝去したソニー元会長大賀典雄氏が建てた 軽井沢大賀ホールの前を通ると
ちょうどホール内で演奏中だったらしいレクイエムが聴こえてきた(左)。
美智子さんの皇室ロマンスで知られるテニスコートの横には、ヴォーリズなどが設立に尽力したと
いわれる木造の「軽井沢ユニオン・チヤアチ」があり(右)、染み込む光がふうわり柔らかかった。



軽井沢時間ともいうべきゆるやかなときは、東京の街なかに戻ると
魔法がとけてしまうようにあっという間に消えてしまうのだけど、
なにかいい夢を見て目覚めたような清々しい後味だけは、不思議と残る。

・・・

毎年楽しみにしていたギャラリー五峯の北欧アンティークフェアが、今年で終わりと聞き
6月最終日に駆けつけた。大好きなスティグリンドベリやロールストランドなどの掘出物に包まれ、
しばし忘我。『かもめ食堂』に出てくるキノコみたいな柄の絵皿はアラビアのアンティークとか。
ウィンクしているフクロウはリサ・ラーソンの猫より好みだった。刺繍や硝子、陶器オブジェの
モチーフも、蝶や小鳥など小動物系が多く、とにかくツボ。友人への贈り物用に幾つか入手した。
自分用には大好きなグスタフスベリのカップ&ソーサー〈ROSA〉を連れ帰り、家で早速コーヒーを
いれてみた。〈ADAM〉や〈ROSENFALT〉なども愛用しているけど、北欧のアンティークは
実用的なアートだと思っている。実際に使うことでますます魅力が増してくる。

 

・・・
6月は、うれしいことにイタリア料理店にしばしばご縁があり。
VMDの山川さんのお誘いで、神楽坂にできた
「トラットリア フィオリトゥーラ」のオープニングパーティへ。
オープンキッチンを囲むカウンター席が目を引くお店のデザインは、
マリメッコ(表参道)などの店舗を手掛ける小林恭氏とか。ここではなかなか面白い方々と出逢った。
レイちゃん&オーリエさんとも久々に合流した勢いで、表参道に移動して朝までお喋り。



さらにその翌週、赤坂の南イタリア魚介料理店「ラ・スコリエーラ」で行われた、
プロのバリスタさんによるカッフェ教室へ。実際に淹れていただいたエスプレッソを
クレマ、アロマ、ボディ、フレーバー、アフターテイストの5点に留意してテイスティングしたり、
カプチーノにお絵かきしたり。イタリア取材経験も豊富な“Signora”と、すぐに歌いだすバリスタさんの
トークも楽しく、南イタリアの雰囲気溢れるお店でのフレッシュな魚介満載のランチもBuonissimo!!

私の初挑戦お絵かきカプチーノ(右)。奥の性悪そうなウサギは『時計仕掛けのオレンジ』のイメージ。
(実はお絵かきするより、淹れたら一刻も早く飲んだ方が、より美味しくいただけるそうですが)


お店の厨房にあるエスプレッソマシン(左)は、例えるなら「フェラーリ級」のスペックだそう。
それを使ってプロのバリスタさんが淹れるESPRESSOは、鼻に抜ける力強いアロマも
飲み終えた後の余韻も見事。やはり自宅で私が使い込んだビアレッティのマキネッタ(右)で
淹れるMOKAとは全然違う。マキネッタはそれはそれで味わい深いのだけど、
例えるなら、F1とは無縁の少しへこんだ旧型チンクエチェントといったところか。


さらにこの翌週には、上京したキムリエさんやカッシー、レイちゃんと
予約のとれない店の予約がとれたので、久々に「ベットラ」へ。おなかいっぱい。


これはベットラではなく、オーリエさん&レイちゃんと打ち合わせ帰りにお茶した
原宿のラヴァッツアァで食べた南イタリアの名物焼き菓子スフォリアテッラ。
三葉虫みたいな外形だけど、甲羅のような皮はカリッ、中はリコッタチーズがトロリで美味。
…と、まるで食べ歩きライフを送っているかのように見えたら、それは誤解なので念のため。
この蒸し暑い中、日々最もよく食しているのは自宅で作る蕎麦&ソーメンと茗荷&新生姜のピクルス。
シンプルなのが夏の信条です。

・・・

3.11後、自分のなかで時間の流れ方がどこか変わった気がする。
自分の内奥へ内奥へと掘っていく流れと、自分の外にどんどんコミットしていく流れ。
いまはまだうまくつかめないのだけど、もうすぐ身近に新たな動きもある。
続きは週末に。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは」

2011-05-21 04:48:33 | Scene いつか見た遠い空

5月。誕生日の翌々日、小雨上がりの夕刻。
急いでシャワーを浴びて友人の誘いに外へ繰り出すと、
雲の裂け目から天使が舞い降りてきそうな夕映えが広がっていた。
放射能雲といってしまえば、ミモフタモナイけど。
ただ、自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。



春先までの息もつけない仕事漬けの日々とは打って変わって
ご褒美のような休日を満喫することができた黄金週間。そのほんの断片を。


5月2日、友人夫妻の住む江の島へ。海は本当に久しぶり。
3.11の津波映像のショックから、海を以前のように見られるか自分でもよく分からなかった。
が、海は拍子抜けするほどあっけらかんと長閑だった。
じゃれては逃げる仔猫のような波が、獰猛で巨大な獣と化す。理屈では分かるけれど、
自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。


海には 無数のサーファーが浮かんでおり、浜には名産のシラスがずらり干されていた。
町には 屋根より高い鯉のぼりが 仲良くたなびいたり、ややこしく絡み合ったり。
将来、コイノボリ的アートな風力発電装置ができたら面白いだろうな、と夢想。
(明和電機さん、どうでしょう?)


家々の軒先には藤や小手鞠が満開で、ほんのりいい香りがした。
(拙宅のベランダの小手鞠も開花中)



腰越の友人宅では、旬の野菜満載のフルコースをいただき、久々に会うご学友たちと
愉しい時間を満喫。うれし恥ずかし十代の頃を知る間柄というのは、つくづく貴重です。


ひだかのお言葉に甘えて一泊させていただいた翌朝、目撃したご近所猫。
ゴハンが出てくるまでお行儀よく玄関で待つ まあるい後ろ姿にじーん。。




5月4日は、オーリエさんと邂逅@国立新美術館。
地震で行くのがのびのびになっていた「シュルレアリスム展」へ。
遠い学生時代の授業をなぞるような懐かしい気持ちで、作品たちと対峙した。

「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは、
おまえが容赦しないということなのだ」

1924年 アンドレ・ブルトン著『シュルレアリスム宣言』(巖谷國士訳)より
――ポスターやチラシに引用されたブルトンの言霊、みるたびにぞくぞくする。

今展のポスターの顔となったのは、ルネ・マグリットの〈秘密の分身〉(左)。
ブルトンとはそりが合わなかったマグリットをシュルレアリスムに走らせたのは、
ジョルジョ・デ・キリコの絵だった。そのキリコが無名の頃、いち早く彼の才を見出したのが、
詩人のアポリネール。キリコ初期の傑作〈ギョーム・アポリネールの予兆的肖像〉(右)は、
今回の出展作の中でもやはり傑出していた。絵の巧い下手ではなく、天才度の濃さという点で。

余談ながら、この絵が描かれた1914年、キリコは最高傑作〈通りの神秘と憂愁〉を描いている。
キリコが最も輝いていた時代を代表するこの絵(今展には出ていないけれど)は、
中学生時代の私に強烈な影響を与え、芸術の概念を決定的に変えた。

「もしうちに持って帰っていいなら、これ欲しいねえ」と、オーリエさんとハモったのが
マックス・エルンストの〈キマイラ〉と、ジョアン・ミロの〈シエスタ〉↓ 

エルンストの寓話的世界観、ミロの無垢なインファンテリズム。
色彩感覚もあまたのシュルレアリストたちとは比べものにならない突き抜け方。
それにしても、個人的に十代の頃にシュルレアリスムにどっぷりはまった体験から、
どうしてもシュルレアリスム作品を見ると、十代ちっくな胸騒ぎに回帰してしまう自分。
初めて見る作品も、デジャヴのように懐かしかった。


国立新美の後は、ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開催中の
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」へ。’80sイタリアの革命的なデザイン集団
「メンフィス」のエッセンスを詰めこんだタイムカプセルみたいなこの企画展もまた、
うれしはずかしポストモダ~ンな’80s気分に回帰しながら、懐かしく堪能した。
安藤忠雄の空間と、ソットサス&倉俣作品のマリアージュも、いとをかし。


左は倉俣の「KYOTO」、右は倉俣の「Miss Blanche」、下はソットサスの「Carton」
あの頃も激しく魅了されたけれど、21世紀に見てもオーラは失われていない。
どれも どこか演劇を匂わせる存在感。それが置かれた場所を、
瞬く間に“舞台”と化してしてしまうような魔力がある。
デザインとかアートとか どっちでもいいじゃない――そんな声が聴こえてくるような。



会場で流れていたソットサスと倉俣のインタビュー映像にも、いたく感動した。
当時、メディアで見るソットサスや倉俣は、もっとキザな印象があったのだけど
映像の中の二人はどちらも凄く人間臭くてチャーミングだった。

映像の中で倉俣は、戦時中、米軍機が電波妨害のために錫の破片を落とすさまを目撃し、
月光に照らされた錫がきらきら幻想的に舞っていた光景を、「不謹慎かもしれないけれど、
あまりの美しさに子供心に魅了された」と語っていた。その瞳の輝きは、まさに子供だった。
倉俣の作品に息づく澄んだインファンテリズムの所在を目の当たりにしたような気がした。
'91年に急逝した倉俣について、ソットサスはこんな風に述懐していた。
「彼は本当のエンジェルになってしまった」
ソットサスの表情はまるで、息子を失った父親のようだった。



5月連休明け、再び取材で軽井沢へ。1か月前に訪れた時はまだ裸木の森だったけれど、
この時は透き通った新緑がわっと芽吹き、つつじや梅や水仙や芍薬が一斉に開花していた。


あいにく濃霧と雨続きだったが、幼少期に初めて軽井沢を訪れた時もやっぱり
霧雨の5月だったことを懐かしく思い出した。当時、持ってきた服を全部着込んでも
寒いと震える私のコートの背中に、母が仕方なく弟の未使用紙オムツを入れたという笑い話が。
5月でも朝晩はストーブがないとまだまだ冷える軽井沢だけど、あの頃もいまも
変わらず心地よい。木立に抱かれた風景は、どんなに寒くても心融かす。


取材先のおうちは、北アルプスを見晴らす絶景ビューだった。
現れたアビシニアンの美少女マキちゃんを、取材そっちのけで撮影しまくる私。


そのうちに、美少女マキちゃんをテラスからむーんと眺める外猫さんも登場。
しかしそんなことはおかまいなしで、カメラに鼻ちゅうしまくるラブリーマキちゃん。



翌朝は、東御市の「梅野記念絵画館」へ。湖沿いに佇むここのロビーホールもまた絶景。
キムリエさんとコーヒーを飲みながら打ち合わせ。



館内では黒澤映画の美術監督も務めていた画家・久保一雄展を開催していた。
大好きな『素晴らしき日曜日』の美術コンテを思いがけず目の当たりにできて感動!
別の展示室で開催していた「早世のアーティストたち展3」でも、ぞくぞくするような
眼差しを秘めた油絵や版画と出逢い、思わず見入ってしまった。

上は後藤六郎「猫と鳩」、下は島村洋二郎「少年と猫」。
特に黒猫を描いた作品が胸に深くささった。



5月18日は、故ニキータの三周忌、ニキキだった。
あのふわふわあたたかな黒猫はもういないのだけど、
私の中でニキは永遠にふわふわあたたかい。
それは、「愛しい想像力」であり「容赦しない想像力」でもある。

在りし日のニキータをひとつ。
背景は、奇しくも世界中のあらゆる発電所が示されたポスターです。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

越境3.11。「せめて頭を」

2011-04-13 04:11:04 | Scene いつか見た遠い空


まるで何ごともなかったかの如く、東京の桜は2011年も満開を迎えた。
春を春として謳歌する森羅万象。それを穢す存在は毛ほども見えず無味無臭。
とまれ、咲き誇る桜に何の罪もなく。梢を見上げ、果敢に生きようね、と励ましあう。


東日本大地震で被災された方々 ならびに被災地に所縁の深いみなさまに
心よりお見舞い申しあげます。あなたに、私に、世界中のいきものに、
ひねもすのたりのたり平穏なときが訪れることを心底祈っております。

東京は一部を除き比較的軽微な被害で、私自身は怪我もなく無事でしたが
地震後にお見舞いのご連絡をくださった方々や、長らくブログを休止していることに
ご心配いただいたみなさまのお心遣いに感謝いたします。



3.11から1か月。
日々暗澹と憂える情報津波の渦中で、心の整理はつかない。けれど、
さしたることもできないと自分を卑下してうじうじ落ち込んだり
現実の辛さから誰かの思想にうっかり乗っかって思考停止したり
すべて見て見ぬふりのカラ元気でけろりと現実逃避し続けたり
凄絶な映像や悲痛な声に愕然と涙することでちゃっかり自己浄化したり
税金や株価の変動とか経済効率だけにちくちく目くじら立てたり
全て誰かや何かのせいにして 自省なく天や他者をどろどろ恨み続けたり
まして対岸の火事目線で社会をしれっと論じたり、
――そんなことだけは 決してしたくない、と思う。

今日も元気に生きのびているというシンプルな奇跡に感謝し、
はかり知れない恐怖と喪失のいたみのなかにいるひとの心に
温かな光が灯るような世界をつくっていく一助になりたいと願ってやまない。
たとえそれがどんなにささやかな灯であったとしても
この気持ちの灯をずっと絶やさないようにしていきたいと思う。

・・・

都心の地下鉄構内やビルの内部は、いまやローマのメトロみたいに薄暗いけど
外はうららかな陽気に包まれ、一見、大震災も原発事故も幻だったのでは?
と錯覚するような「日常的」のどかさだ。


だけど、ちがう。
3.11の昼下がりを境に、ゆるゆると緩慢に永続するように思われた世界は、一変した。
破滅の恐怖と復興への希望にゆれるアンビバレントな日々の中で
かつての「日常」は、突如目覚めた獣のように別の時代に飛び移った。
映像でいうならば、情緒的なフェイドアウトではなく、容赦ないカットアウト。
まるで、三島由紀夫の短編小説のラストシーンみたいな、唖然たる幕切れ。
まさか、自分が子供の頃から享受してきたこの国の「平和ゆるボケ」な時代が、
こんなカマイタチみたいなカットアウトによって、ばっさり暗転するとは!

・・・
取材と原稿の嵐でブログを全然更新できないまま3.11以降の世界に突入してしまったが、
極私的な3.11当日のことと、3.11の3日前にたまたま出張で訪れた
福島のことを書いておこうと思う。
――いま思うと、3.11直前には幾つも不思議な暗示があった。


3月8日、私は福島に日帰り取材に行っていた。せっかく福島に行くのだからと、
福島の観光情報をネットであれこれ調べていたものの、忙しくて結局トンボ帰りとなった。
取材を終え、福島から東京に帰る新幹線やまびこの中で、野坂昭如の『終戦日記』を開き
「日本人は戦争を天災の類とみなしている」という一文を反芻しながら
車窓に映る逆光のなだらかな山容を眺めて思った。
「福島にまた来たいなぁ」と。


連日の寝不足続きでうつらうつらしているうちに夕暮れが迫り
ふと目を上げると、気怠い寝ぼけまなこに澄んだ夕陽が沁みこんできた。
なんだかあったかい気持ちになって いつまでも車窓をぽーっと眺めていた。

この穏やかな黄昏どきには夢にも思わなかったことだが
この日に取材した歌人の朝倉富士子さんから伺ったお話は、
奇しくも その後の福島の運命を暗示するものだった。    

翌3月9日、まさのそのインタビュー原稿に着手しようとしていた矢先
三陸沖を震源とする震度3の地震が福島で起こって新幹線が止まったというニュース知った。
自分の中の見えない弦が幽かに鳴るような不安に駆られた。


3月11日朝。朝から取材が入っていたため、珍しく早起きをした私は
出がけにコーヒーカップを水道でじゃぶじゃぶ洗いながら、ふと思った。
「水を平気で使えるなんて、ありがたいことだなあ」と。
自分でも不思議だった。なんでこんなことを思うのだろう、と。

その日の取材場所は、神保町の学士会館だった。私好みの昭和初期 傑作レトロ建築だ。
(かつて私のいとこもここで結婚式を挙げた。とても素敵だった)
学士会館が着工したのは、1923年の関東大震災後。
設計者は、耐震工学のエキスパート佐野利器と、
彼の門下生であり、震災復興に貢献していた高橋貞太郎。
当時の耐震・防災技術を結集した重厚かつモダンな学士会館は、
まさに震災復興を象徴するモニュメントでもあったらしい。取材でも、そんな話を伺った。
後になって思えば、この取材も極めて暗示的なものがあったような気がする。


13時半過ぎに取材を終えた私は、その足でレンブラント展の内覧会@国立西洋美術館に
向かう予定だった。が、この日はちょうど昨年末のスリランカ取材をまとめた
地球の歩き方gem stoneシリーズのスリランカ本の発売日でもあり
せっかく神保町に来たのだからと、書店を幾つか回ってみることにした。
(奇しくもスリランカといえば、2003年のスマトラ島沖地震の津波で壊滅的な被害を受けた国。
私が昨年末取材したのは、まさにその被害から復興した南西海岸沿いのリゾートだった。
この話はまた別の機会に詳しく触れます)


大きな揺れを感じたのは、まさに書店の中で本を探しているときだった。
あまりの激しい揺れに、本の雪崩に遭いそうな危機感を覚え、
側にたまたま居合わせた見知らぬおばさまと手をとりあって神保町の交差点に飛び出た。
歩行者はみな立ちすくみ、地面が大きく揺れる度に悲鳴があがった。
細長いペンシルビルが、羊羹でも振ったみたいにぶるんぶるん揺れており、
そのてっぺんのアンテナにとまったカラスだけが、
左右に大きく揺れながらも平然と下界を見おろしていた。

とっさに、これは東北の方はただごとではないのでは、、と直感した。
携帯で速報をチェックしていた見知らぬ人がいち早く「震源地は東北みたい」と教えてくれた。
猛烈にいやな予感がした。
とまれ一刻も早く家に帰ろうと思い、交差点に居合わせた見知らぬ人たちと
「電車止まってるから歩くしかないですね」「気を付けてくださいね」と言い合って別れた。
ああいうときって、他人同士でも本能的に気持ちが寄り添うんだなあと思った。

途中、九段会館の前を通ったとき、救急車や白バイが何台もやってきて
異様にものものしい雰囲気だった。ここで命を落とされた方がいたことを
その数時間後にニュースで知った…。心よりご冥福をお祈りいたします。


靖国神社の狛犬の側を通った時、再び大きく揺れ出し、警察官に「神社に逃げなさい!」と
叫ばれたけど、靖国にはどうしても足が向かず、逆の半蔵門方向に走って逃げた。
道路にはビルから避難してきた人が溢れ、イタリア文化会館の前やイギリス大使館の前でも
毛布をかぶった人などがみな不安げな表情でひそひそ話をしていた。

これは千鳥ヶ淵の側の交差点。一見、お花見の行列のようだけど
ヘルメットを被ったり、非常持ち出し袋を背負った人がかなりいた。

青山通りに出ると、「地震情報やってまーす!」とカフェの呼び込みをしている人や
道の縁にへたり込んでピンヒールから室内履きに履き替えている女性がいたり。。
その辺りまでは目立った損傷を感じるビルは見当たらなかったが、
表参道のルイ ヴィトン前を通過した時、軒先から水がぽとんぽとん零れていた。
原宿駅から明治神宮にも人がわらわらいた(写真だと土日の原宿にしか見えないけれど)


ずっと冷たい風が吹きまいていたけれど、
2時間ずっと足早に歩き通しだったせいか、寒さをまったく感じなかった。
代々木公園に入ると、樹木のしじまでほっと気がゆるんだのと
自宅に近付いた安心感で、目尻に涙がにじんできた。


拙宅は無駄にちまちました飾りものが多く、本棚の9割はガラス戸付なので、
大惨事になっているのではないかと戦々恐々でマンションに入った。
戸棚に置いてあった蓮の花と葉の陶器が床に砕け堕ちており
本棚代わりに重ねてあったワインの木箱が2つばかり崩落し、本が100冊位飛び散っていたけれど
あれだけ揺れたにもかかわらず、この程度で済んだことに むしろほっとした。
三陸沿岸の被災地の惨状を思えば、こんなのは被害ともいえない。

・・・
3月8日に取材した福島市に住む歌人 朝倉富士子さんの安否が気になり電話したけれど
まったくつながらなかった。心配になって編集のさとうさんに確認すると、
被害もなくお元気というメッセージがあったそうで、ほっとした。

富士子さんは古希を過ぎているとは思えないほど心身若々しくチャーミングな方で
石川啄木、室生犀星などをテーマに今まで何度もインタビューさせていただいている。
3月8日のインタビューのテーマは「戦争と広島」。
福島で彼女から伺った話は、その後のことを思うと、
あまりにも暗示的で衝撃的といわねばならない。


「40年前、近所に広島出身の女性が嫁いできたのですが、被曝差別が怖くて
 出身地を秘密にしていたことを告白され、非常にショックを受けました。
 実は、福島にも原爆が落とされる可能性があったという説があり、
 紙一重の違いで福島と広島は命運を分けたのです。
 もし福島に原爆が落とされていれば、私の命もなかったでしょう。
 そう思うと、偶然にも幸運のくじを引いて恐ろしい難を逃れた福島は、
 広島に対して贖罪をしなければならないだろうと感じました。
 また、戦時中は日本でも原爆の研究をしていたわけで、
 これは敵味方ではなく人間全体の連帯責任ではないかと思いました。
 私たちは、何も手を汚さなかったわけではないのです」

そうした思いから、約40年前に富士子さんは広島を訪れ、戦争と広島をテーマにした
「せめて頭(こうべ)を」という一連の歌を詠んだ。

〈流灯のうるみて美しき水の面明日へひそかに怒りをつなぐ〉
彼女は云う。「美しい水が流れる自然の中で、苦しみを抱えつつ明日も生きていく時、
人の痛みを理解しない人間の傲慢さに対して怒りを秘めていなければ」と。

〈あかつきのひかりも冷えて降るものを せめて頭をあげて発つべし〉
 この歌も、40年前に詠まれた歌。でも、思いは今も一貫して変わらないと彼女は云う。
「私たちは何もできないかもしれない。けれど、せめて頭をあげて
 前を向いて生きていくべき。単にかわいそうねと同情して涙を流したり、
 憐れむことによって優越に浸るのではなく、生きものとしてどうあるべきか
 という哲学と敬虔な姿勢を持つことが大切。どんなに悲惨な事態に直面しようと、
 人間はうなだれてはいけない。花が咲けば、散って、実って、地にこぼれていく。
 今という現実の時間が永遠に続くわけなどないのです。
 だから、死を恐れるのではなく、せっかくいただいた命を精いっぱい生きたい」

40年近く前に富士子さんが無我夢中で詠んだという歌。そこに込められた深い洞察。
3.11直前に福島で彼女が話してくれたことは、戦争という過去の話ではなく、
実は目前の未来に向けて語られた、本人も意識せざる予言的な「言霊」だったのだと思う。

「今という現実の時間が永遠に続くわけなどないのです」
「私たちは何も手を汚さなかったわけではないのです」
富士子んさんのこの言葉に、あのとき私は深く深く頷いた。
どこかでこのカタストロフを無意識に予知していたのかもしれないけれど
想像をはるかに超える現実の残酷さに、いまはまだ愚かに動揺するばかりだ。

いま、富士子さんがこよなく愛し、歌にも詠んでいる福島の里山を思うと
はげしく憂えるけれど、そのたびに彼女の言葉を思い出す。
彼女は数年前にも広島で被曝しながら生き残った木々を樹木医と共に見てきたようで、
「人間が一番悪さをした木にも、ちゃんと新芽や美しい実がなっていたのよ!」と
目を輝かせて話してくれた。いま、すべての森羅万象に どうか人間の悪さに負けないで
果敢に生きてほしいと切に切に願う。

震災一週間後、地球に最接近したという巨大なスーパームーンは
自然のごく一部である人間に、無言で多くを語りかけていた。
それは、暗く深い穴で震える私たちを、
いままでとはまったく違う世界へといなざう
眩しい出口のように見えた。
goo | コメント ( 1 ) | トラックバック ( 0 )

Merry Christmas!

2010-12-24 17:06:58 | Scene いつか見た遠い空


6年前のクリスマス明け、インド洋の津波から奇跡的に救われた城塞都市ゴールフォート。
写真はゴールフォートのそばにある海岸で、この12月、帰国する日の朝に珍しく早起き散歩した時のスナップ。
そこで言葉を交わした人に、砂にメールアドレスを書いて教えてあげたのだ。

ぁあ、すっかりクリスマスですね!

大変ながらくブログを放置していたにもかかわらず
多くのみなさまに日々閲覧していただき、心から感謝いたします。

11月半ばにそろそろブログをアップしようか、と思ったまさにその夜に
愛用パソコンが不意に意識混濁して立ち上がらなくなってしまい、
PCは速攻で買い替え、旧PCものちに無事回復して戻ってきたものの、
年末進行の激務が容赦なく訪れ、さらに12月頭にはスリランカ出張に一週間出ており
ブログを落ち着いて書く気持ちになれないまま、年の瀬を迎えてしまいました。
ふぅ。

ようやく出口が見えてきたので、晩秋以降の徒然ブログと
スリランカの回想ブログを年内に書きたいと思ってます。

ではでは、こころあたたまるクリスマスを!
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

うみ・ねこ・くらげ

2010-09-27 07:28:23 | Scene いつか見た遠い空

9月も半ば過ぎになって、やっと海に行けた。辿り着けた、という方が近いかも。
ここ数年、恒例になっている夏の終わりの くれない埠頭にて
潮風にふきっさらされる快感。♪泣きながら 泳げ スイマー by Moon Riders



右に夕陽、左にお月さま。波の向こうにラッコみたいに浮ぶサーファーのシルエット。
鵠沼海岸て、ゴールドコーストみたいなのね。昔、オーストラリア取材の時、
ゴールドコースト在住の真っ黒に日焼けした人に云われた。「あなた、とけちゃいそうだね」
ええ、たぶん私は灼熱の太陽の下では生き延びにくい生きものです。海月みたいに。

だからこそ、先日の失速した夏と覚醒した秋のはざ間の夕暮れの海は、恐ろしく快かった。
裸足を洗う波は思いのほか冷たく、胸がきゅっとなった。


8月頭から何度も「今週は原稿が終わらない…でも、くらげが出る前に必ず海に!」と
メールし続けてかれこれ一ヵ月半、やっと海辺に住むご学友ひだかに逢えた。
この日も随分陽射しが強く、日除けにストールを顔に巻いて歩くひだかは
どうみてもマレーシアの人のようだったw



本鵠沼で落ち合い、レトロな商店街をぶらり散歩。味わい深い看板や建物が多く、ツボること多々。
創業60年という「スワン洋菓子店」もそう。いまどきの洒落たスイーツ店じゃないところがみそ。
ここで、当時のままの味というシュークリームとエクレア、マドレーヌを入手。


その足で昭和レトロな「あとりえ梅庵」へ向かい、
縁側でカスタードクリームたっぷりのシュークリームを頬張る至福。


向田邦子ドラマの舞台みたいな和室でいただいた元喫茶店の古本屋「余白や」さんの珈琲も美味。
「銀幕の夢」をテーマに往年のハリウッド映画本が並べられていたが、これが和室に妙にしっくり。
写真、藍染め、古書、カフェなどなどが集まった期間限定のイベント中だったのだが、
親戚の家に遊びに行ったみたいな心地がした。


この夜はひだか&まきさんと地もののおすしを肴に
心底なごめるひととき。夏おさめに最高の一日でした。
ありがとうう!!!!! 



「うみ」の翌日は、ちよさんちに「ねこ」三昧。ちよさんちにやってきた黒仔猫のヤマトくんと
スウィートなこなみ嬢にたっぷり遊んでもらった。ヤマトくんはすばしっこすぎて
撮影が極めて困難だったけど、仔猫時代の故ニキを思わずにはいられなかった。
ヤマトくんはまたたびを思いっきり猫またぎしていた。お仔ちゃまにはまだわからない味?!

この日初めてお逢いしたMさんもどこか猫っぽくて、即なついてしまった私。
夜には映画ライターのたがやさんも参入。秋の名月にちなんだご馳走をいただきながら
「永遠のゼロ」を映画化した場合の架空の配役トークで散々盛り上がって楽しかった!

そして、久々に仕事を離れたこの2連休の後、夏は急激に断末魔を迎えた。


夏が去る直前、御茶ノ水での取材帰りに、市ヶ谷のミヅマアートギャラリーで始まった
松蔭浩之「KAGE」展に寄ってみた。彼の作品にちゃんと対峙するのは、
コンプレッソ・プラスティコ名義で出品していた1990年のヴェネツィアビエンナーレのアペルト以来。
エントランスのインスタレーションに使われていた’80sな12インチアルバムの数々
(JAPANのNight Porter、ロバート・ワイアットのNothing can stop usなどなど…)にいきなり
もっていかれ、個人的には大変興味深かった。賛否両論ありそうだけど、それこそが彼の持ち味かと。

まだほのかに蒸し暑い内堀通りをてくてく漫ろ歩きながら、1990年のちょうど同じ頃に訪れた
ヴェネツィアをぼんやり追想。。お堀が運河に見え、ボートがゴンドラに見えた。
ついでに、当時ビエンナーレでスキャンダラスに取り沙汰されていた
ジェフ・クーンズとチッチョリーナのキッチュな微笑が重なって見えた。



秋分の日とその前夜は、近所の神社で恒例の秋祭り。今年もお神輿にたくさん遭遇した。
毎年、家の真下を通るお神輿を、まんまる目で凝視していた故ニキの姿が今も愛しく懐かしい。


お祭りの帰り、箱根に向うロマンスカーが通り過ぎるのを待ちながら
踏み切りで満月と目が合う。まさに中秋の名月。
心の奥底まで照射するように冴えた光輝。



月が膨らみ、月が欠け、また膨らんで欠けて――
気がつけば もう今年もあと3カ月。唖然とするほど早い。
せつないほど早い。不思議に濃く澄んだ一季節がまた過ぎて行く。
ここのところ、ずっとリピートしているのは
『ドニー・ダーコ』のエンディングソング。うーせつない。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

エンドレスサマー2010

2010-09-13 02:14:50 | Scene いつか見た遠い空


ひまわりもぐったりするような酷暑の余韻がなかなか消えない。
台風で一気に終息したかに思えたが、晩夏の尻尾はおもいのほか太い。

7/11のブログにも載せた、代官山に突如出現したひまわり畑の
ひまわりたちも 旺盛に咲き誇った末、もはや青息吐息というのに。


東京都心では8月末に熱帯夜の日数が1994年以来の最多記録を更新したそう。
エンドレスサマー。もはやこの暑さをどこかで愉しんでさえいるような気がする。
とまれ、恐ろしく暑かった夏のことはいつまでも鮮烈に覚えているけれど、
冷夏のことはとんと覚えていなかったりするから
あと10年もすれば、この夏がきっと猛烈に懐かしくなったりするのかもしれない。ふぅ。


それでも、9月頭に恵比寿や代々木公園を行き来した折、
秋めいた羊雲が頭上にぽこぽこ群れなしていた。
薔薇園には、かわいた薔薇の代わりに、
夕陽に翅をきらきらさせた蜻蛉の群れが
羊雲の海を泳ぐようにすいすい飛び交っていた。




実は最近、仕事で別のブログを始めたこともあり、自分のブログ更新がめっきり遅れがち。
思いも写真も日々溜まり続けてはや9月。つらつら思い出しつつ、晩夏をプレイバック。



8月最後の週末、吉祥寺でコーチングの先生をインタビューした後、井の頭公園をしばし散策した。
といっても、この日も獰猛なまでの陽射しと熱気で、歩いている人はほぼ皆無。
鴨さんたち とても気持ちよさげだったけど、池もきっととろとろのぬるま湯にちがいなく。


晩夏の白昼に広い公園をそぞろ歩くと、懐かしさがふうっとこみあげてくる。
幼い頃、夏休みに家族とよく行楽に出かけた時の光に どこか似ているからなのか。



さかのぼることお盆あけ、木下ときわさんのライブ@クーリーズクリークへ。
レイちゃんてば、やっぱり「海へ来なさい」で落涙していた。
バックにピアノも入って一段とエレガントなパワーを増したときわさんのボッサと
クーリーズならではのモヒート&ゴハンで、仕事三昧の頭と身体に一服の涼と滋養。

この3日後、キムリエさん、ちよさん、マイカ社長と久々に集合。みんな、5年前に
とあるWEBサイトや雑誌の仕事で意気投合して以来のかけがえのないお仲間。
夜はうちでキムリエさんとまた夜明けまでお喋り。なんだか女子高生みたいな楽しい夜。



9/1、仕事で先日お世話になった南村さん(写真左。撮影してる金髪の方はアイロンママ田形氏)が
主宰する「Kitchen DOG!」のリニューアルオープンパーティへ。
骨董通り側にある心地よいお店には、「Red Lily Magnolia」も併設されています。
写真中央の方は会場で知り合った東京わん!Lifeペットシッターの國分さん。
バッグのわんちゃんは保護した子なのだそう。いい人に保護されてよかったね。

しかし、猫と長く暮らしてきた身としては、猫よりずっと華奢なわんちゃんたちが
みんなぬいぐるみみたいにお行儀よくしているのにびっくり! 
これがもし猫なら、パーティ会場はまさに 猫ふんじゃった状態で大騒ぎになりそうだもの。



とっくに終わっちゃったけど、銀座松屋で8月に開催していた「ゲゲゲ展」にも行ってきました。
エントランスから、デザイナー祖父江慎さんのワンダーチャイルドなアートワークが炸裂。


チケットブースも、ぬりかべ。

子供の頃は、墓石や卒塔婆の画も鬼太郎も怖くて、漫画もTVも横目でしか見ていなかったのだけど
あらためて水木ワールドを俯瞰すると、もの凄いクリエイターだなあと、今さらながら。
会場ではやっぱり号泣してるお子様がいたけど、水木しげるの描く目玉って
子供には妙に怖いのよね。


会場に隣接したグッズ売場には、猫娘の無添加ミスト、一反もめんタオル、目玉おやじプリンetc…
その見事な商魂と、グッズを大量に抱えてレジに並ぶ長蛇の列にびっくり。
ちなみに、ねずみ男グッズがほぼ皆無に等しかったのだけど、なぜ?所属事務所が違うの?



会場では、鬼太郎の原画の背景が恐ろしく細密で目を見張ったけれど、
帰宅して水木しげるの『猫楠』を改めて見ると、熊野の森の描写が驚くほど緻密。


そういえば、鈴木慶一が映画版「ゲゲゲの女房」の音楽を作ったよう。聴いてみたいな。



これも8月、近所のラムフロム・ザ・コンセプトストアで開催していた佐藤健寿「新・奇怪遺産」を
観てきた。世界中の奇怪な建造物を撮りおろした写真集の作品が中心だったが、これみよがしに
その奇天烈ぶりを暴くという作風ではなく、キッチュな建造物に実に淡々と向き合っている印象。


被写体としては既に見慣れた場所も多く、むしろ懐かしかったりもした。
イタリアのボマルツォオ怪物庭園もそのひとつ。ボマルツォへは澁澤龍彦も1970年に
嬉々として訪れており、「ヨーロッパの乳房」の冒頭でその仔細を語りつくしている。

と、これは随分昔にボマルツォ庭園に行った時のマイスナップ。佐藤氏の作品じゃなくて恐縮です。
下半身がないように見えるのは、黒いパンツが背景の黒にとけてしまったからです、念のため。
怪物くんの唇には「OGNI PENSIERO VOLA(全ての思考は飛び去る)」と彫られている。いいことかも。


ちなみにこの怪物くんを中から撮影すると、こんな感じ。案外かわいいのです。


この庭園の怪物たちはどれも、バロック萌えの私にはちっとも怖くなく、
むしろ飄々と牧歌的にすら見えた(遠い目)。




ラムフロムの斜向いにある図書館の隅に、夕涼みの猫さんが一匹。
この夏、野良猫たちを真昼にみかけることは皆無だったけれど、
みんなどこで涼んでいたのだろう。



――と、梨を食みながら久々にブログを書いているうち、
日付が変わる前はまだ蒸し暑かった夜風が
随分心地よくなっていることに気付いた。

ここのところ、母が贈ってくれた初秋の風物詩、
幸水を朝な夕なにありがたくいただく日々。
身に染み通るようなみずみずしく澄んだ果汁が、
体の内側から小さな秋を報せているのを感じる。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

真夏の真空地帯

2010-08-14 05:46:53 | Scene いつか見た遠い空

残暑お見舞い申しあげます。
今夏は海も野フェスもお盆もないまま、都心に引きこもり、ノンストップで取材と原稿の日々。
↑おうちでイタリアのイスキア島を舞台にしたヴァカンス映画『太陽の下の18才』を観ながら、
サンライト・ツイストなヴァカンスを夢想中。。BGMはもちろんこれ
(私がこの曲を初めて知ったのは、ムーンライダーズ「カメラ=万年筆」のカヴァー曲だった)
それにしても、この映画のカトリーヌ・スパークはキュートだなあ。当時まだ17歳だって。



さて、BGMをCHICANEの「Low Sun」に変えてと。

思うに、今年の夏ほど蝉時雨が待ち遠しかったことはないような気がする。
代々木公園など緑が多い所でも7月は蝉時雨がどこか控えめで、パンチが足りなかった。
うちに居てもちゃんと蝉時雨が聴こえるようになったのは、8月に入ってからのこと。
早朝、生まれたての蝉が深呼吸するように鳴き始める瞬間こそ、真夏の醍醐味。



オフのない日々、朝と夜の間に間に見上げた空はいつも、
真夏の真空地帯のようだった。
そこにあるのは、夢と現実が交わる深淵。
同じ空でも、同じ表情に出逢える奇跡はない。







昨夜も今夜もペルセウス座流星群が北東の空に流れているらしいけれど
都心の空は少し曇っていたのと、常夜灯の光のせいか、はっきりとは確認できなかった。
ただ、流れる雲の間に間に瞬く星たちの数は意外と多く、夜が明ける一瞬前には
いわゆる“限りなく透明に近いブルー(by村上龍)”が、星たちを静かに飲み込んでいった。





これは、先日ちづこさんのお友達が撮影したという 虹色に輝く珍しい彩雲の写真。
まるでサンタンジェロにいる天使の羽のよう。目撃するといいことがあるそうです。




台風が日本列島に接近していた日、
浜松町駅のコンコースで猛烈な蝉時雨を聞いた。
「ワルキューレの騎行」のクライマックスみたいな
それはもうファナティックな感じの蝉時雨が、
浜離宮恩賜庭園の方から間断なく。。

左手に東京タワー、右手にスカイツリー、真下に浜離宮が見渡せる某社の絶景会議室で
長時間ミーティングをして帰る頃には、蝉時雨もすっかり静かになっていた。



そういえば、先日取材で行った田町のタワーマンションも絶景だったが
もっと驚いたのはホテルのような吹き抜けロビー。奥にはシックなライブラリーもあり
さらに上層階にはカスケードが流れ、グリーンが生い茂るリゾートフルなラウンジが。。
しかも配置されている家具はすべてカッシーナの特注品だそう。ふしぎバブリー空間でした。




昨日、フラワーデザイナーの方のインタビュー記事をせっせと書いていたのだけれど、
彼女のネットショップに花を注文する人の中には、「愛してるよ」というメッセージ付きの花を
クリスマスに複数の女性に贈る男性もいるのだそう。ひえーっ(記事には書けない)。。
きっとその男の人は何もかも得ようとして、しまいには何もかも失ってしまうのね、永遠に。

取材帰りに見た、灼熱の太陽に焼かれた薔薇たち。
美しいものほど朽ちていく姿は壮絶だけれど、それもまた美の形。






そして今夏も、ワンデイ、ワンアイスクリーム。
注:ハーゲンダッツのビッグサイズはさすがに1日では消費しませんので、念のため。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ハーフタイムの朝焼け、菖蒲、TUTTO NERO!

2010-06-26 22:58:57 | Scene いつか見た遠い空

6月25日未明、ハーフタイムにはっと目撃した一瞬の朝焼け。すがすがし。
夏至ウィークの今週は、朝夕なんども薔薇色の空に出逢った。



先週は、明治神宮御苑の菖蒲田の花菖蒲がやっと満開になったようなので観に行った。
今年は例年より遅咲きだったよう。緑陰のしじまに広がる濃淡紫のたおやかな点描。



閉園間近の夕刻、都心とは思えない鬱蒼とした林は人影もまばらで、
木陰からきらきら覗く夕陽と、翠風にそよぐ葉ずれの音がおそろしく快かった。

清正井は昨今のパワースポット人気で見学規制されていたので、遠慮した。
花菖蒲も清正井の湧水を得て毎夏咲き誇っているわけで、
このみずみずしい花々の息吹を身近に感じられれば十分かと。


林の途上にキノコ発見。

明治神宮にも久々に立ち寄った。ここの境内で私が一番落ち着くのは、
この夫婦クスノキの大木のぐるり。



かわいい巫女さんも パパラッチ。

参道にはなぜか 仏ブルゴーニュから贈られたというワイン樽がごろごろ。
明治天皇がハイカラ趣味で葡萄酒がたいそうお好みだったからとか。
その向かいには日本酒樽もごろごろ。なんだか神妙にして豪気な参道。

それにしてもこの参道の砂利道をじゃりじゃり歩くと 決まって小学1年の遠足で
ここに来た時のことを思い出す。刺繍入りパフスリーブのシャーリングブラウス&
若草色のホットパンツにおかっぱ頭で(遠い眼)。。。


帰りは代々木公園をお散歩。
この日に限らず、ここのところ旺盛な植物から立ち上る香気に吸い寄せられるように
出かけると必ず代々木公園に寄り道している。薔薇はピークを過ぎたけど、まだまだ香り高いし。




紫陽花はただいま絶賛開花中。




公園の周囲にも、路傍のニッチな溝にも、雑多な工事現場にも、花と虫がしたたかに横溢。




あ、うちのベランダのクチナシも開花! この小さな花がひらくだけで馬鹿みたいに心ときめく。
クチナシ特有の濃厚クリーミィな香りが、子供のころからすきですきでたまらない。




週末はみっちゃん、まいかさん、ちよさんと久々に谷中の猫カフェ29へ。
猫さんたちが思い思いに闊歩する中で美味しい時間。

帰り、「のみすぎるにゃ」と猫さんたちにたしなめられ、反省。



W杯はあっという間に16強が決まった。前回決勝まで残ったフランスとイタリアはあっさり消えた。
とくに今回のAzzurriは、リッピがイタリアにFantasiaを忘れてきたから仕方ないのかなぁ。。
翌日のガゼッタ・デッロ・スポルトの一面に極太文字でどーんと踊っていた見出しは
「TUTTO NERO!(ぜーんぶ真っ黒!→お先真っ暗)」。
Azzurri(青ユニ)へのいかにもイタリアらしい辛辣な皮肉と罵倒。
4年前の天国から、地獄へ。カルチョの神様は、ジェラートのように甘くはない。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

夏至の赤い空、POST FOSSIL、マグナムサッカー

2010-06-23 02:27:48 | Scene いつか見た遠い空


夏至の黄昏時、まだ明るかったけど、ふと夕陽の熟れた匂いを感じ、PCを消してお散歩に。
日の傾きかけた通りには、梅雨の晴れ間に遊ぶ 生あたたかく湿った空気。
ふらりと立ち寄った近所の神社には、早くも茅の輪がお目見えしていた。


と、鬱蒼と生い茂った杜の参道に、黒や白のふわふわした塊が、勢いよく転がる鞠のように
いくつもぽんぽん飛び出してきた。…ワールドカップの観過ぎ?と思いきや
まだ生後2か月ほどの仔猫たちだった。そのあまりに無邪気な仕草とまなざしが
たえまない水しぶきのように私のまわりを跳ね続ける。
そのうちに母猫とおぼしき白黒猫が毅然と現れ、じっと私を見つめた。


夏至の夕刻の真空時間。なぜだか、不意につっと落涙。
振り向くと、木々の向こうに見える空が真っ赤だった。




帰途、またもや足下に素早く動く気配を感じて立ち止まると、今度は蛙くんだった。
実は蛙はたいへん苦手なのだけど、「だるまさんがころんだ」みたいに微動だにせず、
石に擬態している姿はなんだか憎めなかった。(この蛙くんの種類、わかるひといますか?)


ちなみに筑波に住んでいた学生時代、夏は毎晩のようにガマ蛙の輪唱を耳にしていたにも拘らず、
4年間ただの一度もその姿を拝むことはなかった。それにしても、懐かしいな、無数のガマ蛙たちの
無限アンサンブル。。。あれは、スティーブ・ライヒも顔負けの深遠さだった。


お散歩ついでに買い物しようと立ち寄ったスーパーマーケットの軒先に、今年も登場した鈴虫くん。
バーコードシールによると、「やさい」扱いらしい。餌は確かに胡瓜だけど。。
2匹で980円。佐藤錦より安価なり。

りりりりり・・・



少々遡るけど、先々週、雨上がりの週末、久々にレイちゃんと白金のクーリーズ・クリークへ。
流しに扮したあがた森魚さんが、クール5から松田聖子、ロネッツまで、カバー曲満載の熱唱LIVE。

ちなみに あがたさん、先週の日曜は渋谷で鈴木慶一氏とLIVEだったよう。
ふたりで何を歌ったのか、すごく気になるところ。



アポイントが妙に立て込んだ先週金曜、間隙を縫ってミッドタウン 21_21 DESIGN SIGHTで
開催中の「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」展へ。

↑安藤建築は、夜見るとこのままゴボゴボッと地中に格納されるように見える..。


↑これは展示作品の一つ、日常手にするさまざまな印刷物を色別にリサイクルした
ナチョ・カーボネルの一人用椅子、ベンチ、ラバーズ・チェア。

アート、デザイン、消費文化の関係性からトレンドを徹底分析し、次代の価値観を引き出す
トレンドクリエイターのリー・エーデルコートがディレクションした今回の企画展。
さまざまな価値観や既成概念が崩壊しつつあるいま、“デザイン”の根源に回帰することを促す
非常に興味深い内容だった。自然のエレメントやマニファクチュアな感触、オーガニックで泥臭い造形、
ただ研ぎ澄ますだけじゃないプリミティブなゆるさ、無骨で無垢な生きものの体温――

あくまでも私見だが、アートもデザインも、自然に勝る造形はないという大前提を受け入れた
瞬間こそが出発点なのだと思う。自然は凌駕する敵ではなく、共存・共鳴する仲間なのだと。
皮肉でも嘆息でもなく、こんな企画展を あのポストモダ~ンな’80年代に目撃していたら
人々は、私は、いったいどんな感想を抱いただろう? としみじみ思った。

「ポスト・フォッシル:未来のデザイン発掘」は今週6月27日まで。おすすめ。



先週末は、二夜連続で恵比寿のアイロンママさんにてがっつり校正だった。
土曜は帰りに、前日にミッドタウンで落としてしまったサングラスを回収しに乃木坂に迂回。
ちょうどW杯の日本×オランダ戦目前だったためか、ちょこんと覗いた東京タワーが
青くライトアップされていた。あ、“サムライ ブルー”っていうの?

原宿を突っ切って帰る途中、表参道はキャンドルナイトの真っ最中だった。
所々にほのほの灯る焔に、ついつい引き寄せられてしまう夜光虫のような性分の自分。。
やっと帰宅すると、マンションの駐車場に黒猫発見!悠々と毛繕いするさまに見入っているうちに、
じーん。。そんなわけで、自室に落ち着いた時には、既にハーフタイムになっていた。



猫といえば、先日えとさんにいただいたこの黒猫のキーホルダー。頭のスイッチを押すと
瞳がピカッと青光って、「みゅあ~んみゅあ~ん」と、たいそうかわいい仔猫声で鳴くのだ。
しかし、これがミッドタウンのトイレで不意に鳴ってしまった時は、周囲がぎょっとなって焦った。。

と、ミッドタウンで無事に回収したのが、この愛用サングラス。かなりぼろぼろのJILL STUART。
右目の下にいる猫は、いろんな所を一緒に旅してきた旅友。迷子猫さん、みつかってよかった!



6月半ば、FIFAワールドカップが始まった。
日本人だから日本を応援するというナショナリズム魂はもとよりないし、
個人的には、AZZURRIが4年前にまさかの優勝を遂げた瞬間、
「明日のジョー」の如く燃え尽きて灰になってしまったし(笑)、
今年のファンタジスタ無きAZZURRIには萌えられないし、フランスにもジダンはとっくにいないし
…というわけで、当初は冷静だったのだけど、始まってしまうとやっぱり面白い!

「人間が守るべき道徳と義務について私が認識している全ては、サッカーから学んだ」
アルベール・カミュ

たしかにあのわずか90分のゲームには、さまざまな哲学や美意識が凝縮されている。

久々に、愛書『マグナムサッカー』(2006年 ファイドン刊)を開いてみた。
マグナム・フォトの写真家たちによる珠玉のサッカースナップ集。
といっても登場しているのは無名の人々ばかり。



写真集の表紙は、ハリー・グリエールが1998年にカメルーンのカトリック布教区で撮影したショット。
同じくカメルーンのコムトゥでハリーが撮ったこの一枚に、私はなぜかとても惹かれる。
ここに写っている少年たちの姿に、カメルーンのアイコンであるエトー選手が重なる。

今大会のカメルーンはのっけから日本に負け、グループリーグ敗退が決まってしまった。残念。


これは、同じく『マグナムサッカー』に載っているポール・ロウの作品。
1994年、南アフリカにあるネルソン・マンデラの生まれた村クヌの風景。
一見、南イタリアにあるアルベロベッロのトゥルッリのような形態の家と、
牛糞を丸めたような小さな球に群がる少年たちの対比が鮮烈だ。

開催国の南アフリカも、ついさっきフランスと共にグループリーグ敗退が決まった。残念!


「さあ、若者よ 服を脱げ 身をさらせ たとえ荒天であろうとも 
 たとえ不運にして その身を野に伏すことになろうとも
 人生には ヒースの荒野に倒れるより悪しきこともある
 それに 人の人生など サッカーの試合に過ぎぬゆえ」
 ―――サー・ウォルター・スコット
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

ニキキと月と金魚まつり

2010-05-31 11:09:00 | Scene いつか見た遠い空
混沌、憔悴、再生、光輝、漸進…もろもろ、変速的な目まぐるしさでわわっと押し寄せ、
ブログ更新がすっかり間延びしてしまった。今週はたまった分を順次アップしていきたいな。


先日、ベランダでこんなハート形に合体したオリーブの葉っぱを発見!
なんてラブリーなの。


先週は折りしも満月ウィーク。思いがけずいとこの旦那様から、
こんなファンタスティックな月の画像が届きました。
先日5月16日のミラクルな金星と月のランデヴーショットと、珠玉の満月ショット。心底じーん。
携帯×双眼鏡でこんなクリアに撮れるんですね。ありがとうございます!!

fly me to the moon♪



金星と月のランデヴー明け、5月18日は、ニキキこと愛猫ニキの二回忌だった。
とてもおだやかなサツキ晴れ。今年もかつてニキの居た所に百合(ソルボンヌ)を活けた。
懐かしい香り。 2年前のはり裂けるような思いが嘘のように、穏やかな時間。

在りし日のニキと百合

かけがえのないものが消えた後に初めて、永遠に失われないものの本質を知る。
その失われないことこそが、原石のような現実であり、永遠にとけない魔法でもあるのだと思う。



ニキキ当日は、ニキの幼年期をよく知るひとと銀座でランデヴー。
ニキが狂喜しそうなお鮨をご馳走に。お刺身を食べると決まって見せたニキのキラッキラした
大満足顔が眼裏に懐かしく浮んだ。 懐かしい時間は、現実の時間と確かに繋がっている。
ふわふわ くすぐったいほどに。

ニキキナイトは蜜蝋キャンドルを灯して追悼。
プロコフィエフとショスタコーヴィチの琴線をゆさぶる弦の旋律に
たぶんニキも耳を澄ませていたと思う。


翌朝、キャンドルから垂れた蝋が三日月形にかたまっていた。
空から月が堕ちてきたのかと思った。





5月23日は小雨降る中、ご近所 代々木八幡宮の「金魚まつり」にふらりと。
正式名称は「五社宮祭」なのだが、金魚を飼うのが流行っていた大正時代には
金魚売の多かったこのお祭りを「金魚まつり」と呼び親しんでいたのだとか。


雨の中で金魚を眺めると、自分も一緒に泳いでいるような気がする。


参道でちょうど金魚みこしをかついできたお子様たちと遭遇した。
フードすっぽりかぶっちゃって、かわいい。
そこへ神主さんがたたっと現れ、お子様たちにお祓いの祝詞。
傍らにいた私も便乗お祓いされた?



65年前のちょうどこの頃、渋谷界隈は空襲で丸焼けになったと聞く。
神社の奥には、その時に焼け出された家々から拾い集められた無数のお稲荷さんが
ひっそりと奉られている。世の酷い不況も、戦火に比べれば、と思う。
金魚をのんびり愛でるような 平和な日曜を過ごせることに 感謝。



神社の裏道に回ると、高い石垣から身を乗り出すようにして薔薇が咲いていた。
真下から見上げると 頭上から、はらりはらり 濡れた花びらが舞いおちてきた。



帰りはわざと路地をうねうね回り道。
5月の雨に濡れた植物の葉や花びらは、生まれたての蝶の翅のように透明で心洗われる。
うちのマンションの植え込みの紫陽花もほんのり色づいてきた。




26日、OXY STUDIOオーリエさんちにトリコのキムリエさん&キムナオさんと寄った後、
浜松町で打ち合わせ→銀座で原野先生たちと会合と慌しかったけど、いい予感に満ちた一日だった。
27日、ほぼ徹夜で原稿をメールするや、池袋のホテルメトロポリタンに駆けつけ、
キムリエさん&キムナオさんと共に、濃密なロングインタビューを終えると、
その足で軽井沢トリコまで一緒にびゅーんと連れていってもらった。
高速に乗った瞬間、ふぅ~。

快適なキャンピングカーのバックシートより↓

このお二人とおシゴトすると、たとえどんなアウェイでも私にはホームになる。




朝日のような夕日を追って 軽井沢へとひた走る車窓に、薔薇色の雲からのびた天使の梯子を視た。
そういえば、その昔「朝日のような夕日をつれて」という演劇があったっけ('80s懐古)。


夕日が沈むころ、振り返ると、巨きな白い満月が追いかけてきていた。

――この続き「サイクルダイアリー@軽井沢 新緑編」も近日アップ、したいです。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )

百本の薔薇

2010-05-01 02:33:11 | Scene いつか見た遠い空

100本の薔薇が届いた。濃密な薔薇のアロマにノックアウト。







甘い薔薇の香りに包囲されながら、月曜はファッション系、火曜は松岡セイゴオ氏インタビューと、
まったく毛色の違うテキストに没頭。どっちも大変だったけど面白かった!
快い脱力感を携えたまま、銀座でイタリアン。なんなんでしょう? この不思議な心地よさ。
テーブルに猫のグラッパとスワロフスキーのイエローバタフライ。
そしてぐるぐる。。。

翌日、少し遅めの朝食。お土産のトマトの形のパンとプチクロワッサンが妙にかわいい。
BGMはいただきもののCDより、小野リサカヴァーの荒井由美「あの日に帰りたい」。



29日天皇誕生日はフォトグラファーみっちゃんちで恒例のパーティ。
ふくちゃんと西大井で待ち合わせ。駅前の花壇に猫さん。BunoGiorno!
風がやや強いけど暖かくて何より。


同じく西大井駅前のバス停にいた老夫婦。いいなあ、この不思議な一体感。
傍らには「ちょっと一服 しながわお休み石」。この和菓子みたいなゆるネーミングがたまらない。



この日はいかにも黄金週間な快晴! みっちゃんちの屋上でBBQ&e.t.c…
至福の痛飲により、この日の超満月を撮り損ね。。でもすごく楽しかった!!



みっちゃんちで仮眠し、早朝に帰宅。久々に朝の代々木公園を歩いて帰った。
薔薇園の薔薇たちは、蕾という蕾がしっかりスタンバイしていた。




遅めの八重桜も、新緑のソメイヨシノも等しく愛しい。


数日前の雨がつくったと思しき水溜りに、無数の花びらが浮かんでいた。
朝風にふるふるふるえる水面。タルコフスキーの『ノスタルジア』を思い出してめくるめく――



今週は、薔薇以外にもうれしい贈りものが幾つか届いた。
文乃さんの“Secret Garden”で生まれ育ったキバナコスモスとオシロイバナの種。
ありがとうございます。黄金週間に種蒔きして、大切に育てます。


イタリア文化会館からは、山猫書房発行のヴィスコンティ「ルードヴィヒ」。
黄金週間中、イタリア文化会館で開催中のイタリア映画ポスター展も行かなきゃ。



満月に見護られながら黄金週間に軟着陸。
たったいまも、薔薇の花びらのように澄んだ黄金の月が宙に浮かんでいた。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

秘すれば花

2010-04-10 19:33:59 | Scene いつか見た遠い空

桜シャワーを浴びながら、春の深部にゆるやかに向う日々。
時折り、清新な花の香りに包囲され、はっとすると、
たいていそこには目に見えない花の精が舞っている。
秘すれば花。見えないほどの幽かな動きの先に、ひらく蕾がある。



先週、ちよさん&さんぺいさんち前の公園で恒例のお花見会。都内の桜スポットと違って
大混雑していることもなく、絶妙な穴場。少々花冷えぎみだったけど、
みんな持ち寄りの美味しい手料理とお酒ですっかりあったまった。

私はブルスケッタのピンチョス風と、手製ジェノベーゼソースを隠し味にした
プチクレープサンドをこしらえ、チュニジア製の籠に詰めて持参してみた。
前夜にクレープを何枚もせっせと焼いているとき、なんだか妙にわくわく楽しかった。


夕刻からはちよさん宅にて引き続き宴。「めんこいにゃんこⓒさんぺいさん」こと こなみちゃんに
例によってまたいっぱい遊んでもらった。だいすきなこなみちゃん、いつもありがとね。
この写真は同じく猫フリークのハカセときゃふきゃふ追いかけっこして追い詰めたときなので
少し怯えた目をしていますが、決していぢめているわけじゃありません!

いつもながらほんと楽しい花見会だった。みんな、ありがとう&大好きです!

夜、代々木公園の遊歩道を歩いて帰ったら、
雨上がりの真っ暗な公園から 潤んだ夜の森の匂いがした。



水曜、久々にマイコミ編集のせきさんと再会。猫好きの彼女、ますますパワフルな猫さんに
なったように感じた。この日も帰りにまたなんとなく代々木公園に寄り道。
平日の夕刻、しかも花冷えの小雨模様。さすがに花見客もごくわずかでとても閑か。

地面はどこもかしこも花びらドット模様。白蝋のようなチューリップをそっと眺めていたら、
傍らを すらりとした黒人のアスリートが「えっ?」というような猛スピードで駆け抜けていった。
3倍速映像のような速さ。もし彼と一緒に走ったらきっと、プーマとちび猫だなぁ。。



木、金曜は2日連続で、朝から恵比寿で打ち合わせ。幸い、気持ちよく晴れたので
マイビアンキでびゅーんと向った。(…最近、世間で矢面のビアンキ。私のは万事快調ですが)
低血圧ゆえ朝はわりとぼよんとしている私だけど、自転車は身体を目覚めさせるのにちょうどいい。
木曜の打ち合わせでお会いした方はとても澄んだエネルギーがあり、いたく共鳴するものを感じた。
金曜にオーリエさんちのブランチミーティングでお会いした方も初対面なのに
なんだか旧知の友人のような心持ちに。素晴らしい人たちとの巡りあわせに感謝!


昼下がり、ガーデンプレイスをゆるっとお散歩しながら
花壇の花から花へ―。目線が蜜の匂いに誘われる“羽虫”に近い(笑)

写美で開催中の「森村泰昌 なにものかへのレクイエム」も観てきた。最高&爆笑!
(森村ワールドについては次回じっくり書きたいと思います)


帰りに代官山や東大、東海大学近辺をサイクリングしつつ帰宅。
桜ほど艶やかではないけれど、春の光と戯れる路傍の花々がむしょうに愛しく、
春風に散った花びらが描く一瞬のアブストラクトアートに、こどもみたくどきどき心ときめいた。






と、こちらはオーリエさんちに活けてあった花々。
天才花人・川瀬敏郎に師事するオーリエさんらしく、花がその生をまっとうしている。
背後の抽象画も彼女が扱っているアートの一部。飾り方を知っているプロはほんとさりげないなあ。




こちらは、拙宅の窓際。緑が一斉にふきだしてきたベランダジャングルにて、
元気のなかった鉢ものの植え替えをした際に剪定したものを棄てるのが忍びなく、
手近な器に挿してみたしだい。オーリエさんの花の後に見せるのもお恥しい投げ入れ方ながら。。
グミはかわいらしい白い小花がいっぱい咲いており、小手毬も挿している内に小さな蕾をつけ始めた。
決して華やかではないけれど、小枝の小宇宙もまたいとをかし。




最近、気がつくと春キャベツと苺を所望している。 なんだか 野うさぎにでもなった気分。
春キャベツは煮ても炒めても漬けても甘くて爽やか。先日、キャベツを剥いていたら、
芯の中にもうひとつ別のプチキャベツがいた!

苺は食後に一粒二粒あるだけでいいのだが、ないと微妙に口寂しい。
先日、中途半端に残ってしまったトマト&バジルをソースにして
故ニキがかつて大好物だったフィラデルフィアチーズ少々と、
姉のカラブリア土産の赤唐辛子を微量加えてペンネに絡めたら 想像以上に美味だった。

何かしなければいけないことからふっと離れ、
料理(といっても手早くできるものばかりだけど)をしている時って、妙に愉しい。
それはたぶん逃避というより、五感の快い解放なのだろう。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

虎穴に入らずんば虎子を得ず

2010-01-10 05:27:31 | Scene いつか見た遠い空

年明け、ベランダジャングルの侘びすけが、珍しくたくさん咲いている。
吉兆なら うれしいな。 新年早々、原稿ラッシュでぱたぱたしつつ、
2輪ばかり伐って部屋に飾った。ひとえの楚々とした佇まいが、愛しい。

すっかりあけてしまったけれど、新年おめでとうございます。
2010年もよろしくお願いいたします。


と、年末年始の回想をさくっと――
大晦日、なにやかにやで予定時間ぎりぎりになってタクシーで東京駅へ。
「えっ、渋谷から15分じゃ絶対無理っすよお」
「きっと大丈夫です。行っちゃってください」
15分後。運転手さんいわく「映画のTAXiみたかったけど、着くもんですねえ!」
そんなわけで、無事に予定通りの新幹線に乗り込み、即ZZZ...

越後湯沢で乗り換えたとたん、窓にみぞれ雪が。


雪景色は、いっさいの思考モードを変える。
私は5歳になったばかりの頃から数年、父の仕事の関係で東京にいたので
幼少期の鮮明な記憶はその頃に集中するのだが、もともとは雪国生まれ。
雪の下には言い知れない思いが永久凍土のようにきらきら埋もれている。


元日、実家の庭には、降ったばかりの新雪に山茶花の花びらが落ちていた。
地球温暖化で、雪国も近年は雪知らず。元日に雪が降るのはかなり久々のことだった。
弟の竜ちゃんも雪のために少し遅れて到着。母は「今年は手抜きだから」と言うけれど
幼い頃から馴染みのお雑煮やお節は、やっぱり何にも代えがたく美味しいし、ありがたい。

元日は満月だった。が、まさかこんな雪空で満月が拝めるわけもないだろうな、と諦めていた。
深夜、遊びに来ていた叔母を見送りに外に出ると、満点の星空に煌々と満月が浮かんでいた。
その月あかりに照らされた青白い雪肌の美しさに陶然と見とれる。写真を撮ることさえ忘れて。


正月2日。雪雲の向こうにうっすら太陽が透け見えた。夜明け空に消えかけた月のような。
夏に来たとき満開だった庭の百日紅の梢には、小さな実がすずなりになっていた。

時折はらはらと降ってくる風花に煽られるように、なじみの旧い神社へ初詣に。
狛犬がかぶった雪の綿帽子が妙に微笑ましかった。


意外とあたたかな真冬の午後。雪道から見えた金色のゆずが眩しかった。



正月3日。竜ちゃん&はーちゃん夫妻と一緒に、マニアックなレトロスポット散策。
まずは、某ドラマのロケにも使われているという風格ある昭和初期のレトロなオフィスビルへ。
実は亡き父が若い頃に通っていたビルでもあるが、中を探検したのは初めて。





戦後すぐにできたレトロ喫茶店にて休憩。
珈琲ゼリーになぜか白玉と苺が入っているのが泣ける。

さらに、駅前にある戦後の闇市跡へ。小さな飲み屋がひしめく路地奥の社に、
ホワイトタイガーをむぎゅっと圧縮したみたいなふくぶくしいシマ猫さんが鎮座していた。
2010年初の猫さん。おめでタイガー…・・


と、虎つながりで、竜のお土産のとらやの羊羹も、虎模様だった。


母がどこから見つけ出してきたのか、亡き父がその昔 出張土産で買ってきた
木彫りの親子虎を飾っていた。彫り物のテーマはたぶん「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。

すなわち ハイリスク ハイリターン。あるいは ノーリスク ノーリターン。
といっても、虎は猫科動物だから、行動パターンは猫と酷似。よく見るとかわいいのだ。
私としては リターンはいいから、虎穴で虎親子とぬくぬくまるまりたいかな。


驚いたのは、鏡餅の横にお雛さまとお内裏さまも飾られていたこと。
逢うのは十代のとき以来。亡き祖母が作ってくれたきめこみ人形で、
今回はそこまで飾られてはいなかったけど、全部飾ると五段の雛壇に
三人官女や五人囃に牛車などもずらり並んで とても壮観だった記憶がある。

つい先日も、お雛さまは1月から華々しく飾るという 元人形作家の方の取材をしたばかりだが
元旦からとは母も気が早い! 何年も飾っていなかった罪滅ぼしの意味もあるのかもしれないが。。
しかし、久々に見るしもぶくれのお雛さまのチャーミングなこと! 


帰りの電車にて、うとうとしながら車窓から垣間見た夕暮れに染まる雪景色。
この田園風景からすると、昨夏訪れた越後妻有あたりだったかもしれない。

やっぱり聴いてしまう Ben WattのNorth Marine Drive..


帰ってくるなり、原稿ラッシュで睡眠不足な中、時折うたた寝しながら
奇妙な夢をいくつも見てはすぐに忘れた。虎の夢もみたような見なかったような。。

↑在りし日のニキ、TVのホワイトタイガーにかたまる の図
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

薔薇の重力、温かい水

2009-10-22 02:25:01 | Scene いつか見た遠い空




スリランカから帰国してからじわじわ慌しい日々。一瞬 微熱のち、二日間大爆睡して復活。
そんなさなか、金木犀が濃密に香る雨上がりの代々木公園ですれ違った薔薇たち。
誰が誰だったか、薔薇の名前は全部忘れた。そんなこと いいじゃない、と薔薇たちが云うから。


先週、ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルのあの半月型のちょうど角にある
最上階のレストラン個室で、新井満氏と石川啄木記念館学芸員の方との対談を取材。
新井氏は啄木の墓前で啄木と会話を交わしたそう。いわく、啄木は早口で甲高い声だったのだとか(笑)
対談が終わる頃には港にぽつぽつとあかりが灯り、薄暮の遠景に富士山の威容がほの見えた。



14日、愛用の無添加ジザニアシャンプーを買いにスプラッシュさんに行ったら
ちょうどOPEN8周年記念日!NHKが手描き文字を特集した番組用にボードを撮影していったそう。

裏側にはスタッフの方が書いた一言が。一瞬、点取り占いの謎めいたコピーみたいだけど、、
私もそう思います、ほんとに。
近いうちに、髪を整えにスプラッシュさんに行かなきゃ。


日曜の夕方、イラストレーターあさみちゃんのお誘いで、ご近所NEWPORTのイベントに。
あさみちゃんのイラストは相変わらず突き抜けてかわいかった。
たいちゃん&あさみちゃんコンビ、ますますラブリーです。


NEWPORTで合流したふくちゃん、レイちゃん、やまかわさんと、新宿パークタワーへ向かい、
ハカセたちと5人でゴハン@新宿思い出横丁。路地が昭和の映画セットみたいでわくわく。




週明け、丸の内ブリックスクエアへ。9月頭にOPENしたこの空間には訪れるのは初。
ちょっと一丁倫敦な匂い。この一角に佇むmikuni MARUNOUCHIで食育イベントの取材。
江戸時代からある希少な東京の伝統野菜や、三國シェフが大使を務める福井県の米や魚、お酒の
豊かさに驚かされた。コシヒカリって、福井県発祥なんだそう!
それにしてもこの食育イベント取材は毎回 試食が実に贅沢(嬉)。
三國シェフの蕩けそうな牛フィレ&フォアグラ&トリュフに放心。。




昨日はメグちづこさんと下井草の「ギャラリー五峯」へ。
今回の展示は内野敦子さんの「服展」。内野さんが作る一点もののお洋服たちはどれも
凛とした美意識のなかに、不思議なあたたかさがある。まるで猫みたいな。
ブランド名は「TATOPANI」。ネパール語で「温かな水」というイミだそう。

(奥にいるのは、素敵なマダム メグちづこさん)

ギャラリーを主宰する大村さんが、ミントティーとハロウィンにちなんだカボチャのお饅頭を
ふるまってくださった。カボチャ大王、ごちそうさまでした!


昼下がり、キムリエさんから電話があり、渋谷へ。げんきそうでうれしい。
夜はバックパッカーみたいな出で立ちのキムナオさんも合流してゴハン。
最近、澄んだ高原に引っ越したふたりの瞳に、東京では決して見えない
満点の星空が映っているように思えた。



9月あたりから、懐かしいミオフーの再発版を妙にリピートして聴いている。
84年当時には収録されていなかったトラック「Happy Lucky Life」がついつい頭をぐるぐる。


♪Up&Down でも進む HAPPY LIFE
Two Step Turn でも口笛吹き 走り抜けるよ―――ミオフー「Happy Lucky Life」より
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

茜空、メンフクロウ、秋祭り

2009-09-24 21:03:36 | Scene いつか見た遠い空
こ数日は 心蕩けるような夕暮れに幾度も遭遇し、そのたびにいろんなことに思いを巡らせた。
古い貝に耳をあてるみたいに、染まりゆく鱗雲をほおっと眺めて。

シルバーウィークというフレーズにまだどうも馴染めないのだが(シルバーは大好きな色だけど)
この連休の回想をさくっと。


先週末、申請していた新しいパスポートを受け取りに都庁へ。
今までずーっと5年更新の紺色パスポートばかりだったのだけど、
今回は申請する間際、急に「赤にしよ」と思いつき、10年更新の赤パスポートを入手。
赤パスポートは実に卒業旅行の時ぶり(遠い目)。今ではICチップが標準装備だけど
高温多湿・直射日光・磁気に弱いって、、意外とやわ。


まあ、パスポート申請でもない限り行くこともない都庁に行ったついでだし、
次は10年後の更新時まで来ないないかもだし…と思い、都庁の展望台に初登頂(?)してみた。
代々木公園&明治神宮のこんもり緑のスペース、上空から見てもほっとする。
あの辺りから都庁まで自転車でゆるゆる15分ぐらい。意外と近いのだ。

黄昏色を帯びた初台から杉並方面を望む。幼児期、あの辺りにいた。
日々にょきにょきのびていく新宿高層ビルのシルエットを家族とわくわく眺めたものだ。


帰り、都庁の一角で巨大なテントウムシと遭遇。しばし見つめ合う。



さらに、パークタワー裏のペットショップの軒先でメンフクロウに遭遇!かわいくてのけぞる。
か、顔がふわふわのはーとですからもう。思わず頬ずりしたかったけど、
足元に餌の鳥か鼠の残骸が落ちていたので、我に返って思いとどまる。
以前もここでワシミミズクやモリフクロウに出逢ったけど、この子も先例にたがわず
カメラ目線がお得意だった。一瞬横を向いた隙に横顔を激写。どこから見ても感動的な造形! 


もしも、彼(彼女?)が解き放たれたなら、こんな風にはばたくのだろうか。
高層ビル群を悠々と睥睨しながら飛び去っていく姿を一瞬夢想。。
、<DVD「BBC田園のフクロウたち」より



土曜は東京ビッグサイトで開催していた「旅行博」へ。
世界各国の旅情報が一同に会すのでなにかと興味深いのだが、面白いからと資料をあれこれ
もらってしまうとすごい荷物になってしまうので、くれぐれも資料は厳選収集しよう…
と思って臨んだのに、結局こんなにどっさり持ってきてしまい、腕が筋肉痛に。。

↑7割はイタリアの資料

スリランカ大使の記者会見後、お台場から赤坂に送ってもらい、
レイちゃんと旅を巡る話をサカナにゴハン。連休初日のせいか
超満員のお店には、人々の解き放たれちゃったオーラが渦巻いていた。


日曜は終日原稿書き&スカパーで映画をつらつら(なぜか禁断の愛ものが多く)。
週明けは十数年ぶりに、LAから一時帰国した後輩のやまねちゃんや、昔お世話になった
映像ディレクターの山元さんと再会。 あかしさんやヤオちゃんも駆けつけてくれて、
セルリアンタワーで積もる話をサカナにわいわいランチ。

やまねちゃんの愛児アシュリーちゃん(もうすぐ2歳)は、恐ろしく人見知りでママ以外の人には
なかなか目を合わせてくれない。ただ、カメラに写った自分の姿だけは興味津々。
12kgの子を軽々と抱っこして歩くやまねちゃんは、46時間寝ずに運転し続けて
NYからLAまで引越したというツワモノ。その昔、空撮用ヘリコプターで東京上空を5時間も
旋回し続けた時、ぐったり蒼白な私とは対照的にけろっとしていた彼女のタフさは今も健在だった。




水曜と木曜はご近所 代々木八幡宮のお祭りで、朝から家の前を通るお神輿に何度も起こされた。
故ニキが居た頃は、いつも出窓からびっくり顔で神輿を凝視していたっけ。
夜、神社に出向くと、いつも閑かな参道には屋台や人がみっしり。


金魚すくいって、子供の頃から惹かれてしょうがない。じっと見ていたら、浴衣の小さな女の子が
驚くべき巧みさで金魚をひょいひょいすくっていた(尊敬!)。別の所では、イモリも紛れこんでいた。


江戸名物「やげん堀」の七味唐辛子の屋台も出ていた。「辛さ控えめで薫り高く」などと言うと
それに合わせて風流な口上もすらすら、見事な手さばきでブレンドしてくれる。
七味唐辛子について以前原稿を書いたことがあるが、昔は風邪薬みたいなものだったよう。
浴衣姿も大勢みかけたが、中にはハリーポッターな子や、ゴスロリな子などなどまあいろいろ。
フランスキャラメル(懐っ)の女の子にそっくりな子も発見(実はドイツの子)。
キッチュなおままごと道具にも時おり吸い寄せられるように女の子たちが。私も大好きだったな。


この手製パチンコ台みたいなのは、キャラからすると昭和30年代から使いまわしている可能性あり。

賑わった神社では、時々みかける黒猫もさすがにどこかに姿を消していたけど
うちの近所の白猫さんは、往きも帰りも同じ場所でころころはべりながら
「いってらっしゃいな」「あらお帰り」と目で合図してくれた。


翌日は近所に遊びにきてくれたキムリエさんとプレザランでランチをして
一緒に再び代々木八幡宮のお祭りへ。仲良く参拝して鳩ストラップ付の鳩みくじを引いていたら
ちょうど参道に宮入りのお神輿がやってきた。この日は代々木上原界隈を散歩している先々で
実にいろんなお神輿と遭遇。道行く人々もちょっと紅潮したハレ顔。世の中いろいろあるけど
なんだか平和だなぁ。。 よく笑ってよく喋ってよく食べて、ちょっと宿題(仕事)もした連休も終了。

今日もやっぱり夕陽にみとれた。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
« 前ページ