
昨日、フォトグラファーみっちゃん宅のパーティで、心理学を勉強しているという女性に
「木」を描くという心理テストをしてもらった。ほろ酔いの私が紙いっぱいに描いた木は
ちょうどこの写真のような構図だった。ただし葉はなく、実だけがぶら下がった早春の木を描いた。
一見 裸木のようだけど、神経のように伸びた枝々には新芽が内蔵されている、というイメージ。
描いた木は、実は描き手自身が投影されたメタファーなんだそう。なるほどー。
「枠にはまらない世界観があるんですね。あ、でも、最近辛いことがあった?」と訊かれた。
図星。だって3.11後の世界を生きるのは、耳をびんと立てて尻尾がマックスに膨らんだ
臨戦状態の猫のような(あるいは耳をマックスに倒して後ずさる猫のような)気分だもの。
自然に対する愛しさと畏怖。自然(人も動物もいきもの全部)が穢されることへの底知れないいたみ。
絵だけじゃなくて、写真にもそういう気分が無意識に表れているかもしれない。

黄金週間が始まる二週間ほど前、打ち合わせに乗じて軽井沢に脱出した。
まさに、新芽を内包した木立の中で、1か月ぶりに大深呼吸。空気がおいしすぎる。
スタジオトリコチームとのお仕事なので、心底なごむ。
テラスにはいろんな野鳥が続々と!これはイワツバメ?
お皿についている飾りの疑似鳥には目もくれず、餌にまっしぐら。かわいすぎる。

心理テストで描いた裸木の実のイメージは、これに近い。何の実かな?


翌朝、星野温泉に浸かった後、急坂をふうふう上って2つの教会に足をのばした。
北原白秋や島崎藤村、内村鑑三が集った芸術自由教育講習会の流れをくむ
「軽井沢高原教会」(左)の入口には、花で覆われた巨大なイースターエッグが飾られていた。
内村鑑三記念堂「石の教会」(右)は、ジブリ映画に出てきそうなオーガニックな佇まい。


キリスト教をはじめ、全てのイズムから解き放たれた純粋な祈りの空間は、恐ろしく心地よい。
自然と寄り添う造形は、あのジェフリー・バワ建築を彷彿させる。


☆
軽井沢から戻った翌日、母が遊びに来たので、3.11当日に内覧会を見る予定だった
国立西洋美術館のレンブラント展へ。薄暗がりに細密なリトグラフが並んでおり
目がしょぼしょぼに。。わずかな光を描くために描写される、圧倒的な闇の分量。
レンブラントが20世紀に生まれていたら、天才写真家になっていたような気がする。

翌日はお仕事冥利で、母とウェスティンホテル東京でプチバカンス。
汗ばむような陽春の都心は、自粛ムードからそっと解き放たれたゆるさを湛えていた。
夕刻前、白金の自然教育園を散策。透き通った新緑の遊歩道を漫ろ歩きながら
山野草に詳しい母が、楚々とした花々を指差してはその名を教えてくれた。
私が幼稚園児の頃、家族でここに遊びにきた時のことを母とあれこれ回想する楽しいひととき。
武蔵野の植生が息づく奥深い森は、めまぐるしく変化する東京にありながら
そこだけ時間が止まったような別世界だった。


園内でもひときわ目を引く「物語の松」と名付けられた巨木に、なぜかとても心惹かれた。
さながら双頭の竜が天にぐんぐん昇っていくような 伸びやかな枝ぶり。
漆黒のうろこのような木肌に触れると、ほっと温かく優しかった。

☆
翌日は、母とさくっとイスタンブールへ。


…というのは嘘で、代々木上原にある東京ジャーミィへ。うちの近所なのに
なぜか中に入ったことがなく、今回、母と初めてモスク内に潜入してみたしだい。
ちょうどお祈り中で、女性見学者はスカーフで髪を覆うよう指示があった。
右の女性は敬虔なイスラム教徒…ではなく、母。なぜかすっかりなりきっている(笑)


思えば、9.11直後に故・筑紫哲也氏がこのモスクの前から生中継していたなぁ。。
(ビンラディン暗殺についての筑紫さんの異論反論オブジェクション、聞きたかったなあ)
この夜、いとこの伊東家から美しい満月写真がメールで届いたので転載させていただきます。
アイフォンと双眼鏡のコラボ(?)によるミラクルショット。月に手が届きそう!

☆
4月末には代々木公園でアースデイ。初夏めいた陽気の中、音楽を奏でる人、踊る人、午睡する人。。
草木も人も犬も烏も、園内はやんわりゆるいパラダイスと化していた。


そんな中、エネルギーシフトのデモ行進に遭遇。汚染された土壌を浄化するともいわれている
アブラナがアイコンになっていた。内田樹氏いうところの“荒ぶる神”は決してすぐには
鎮められない。だからこそ、徐々に別の自然エネルギーにシフトしていくべきと私も思う。


震災関連のNPOなども目立った。福島避難地域の動物たちを果敢に保護している支援団体の人から
いろいろ話を伺った。その行動力にありがとう!と感謝してささやかな募金や保護活動に賛同する
署名などをするものの、残された動物たちのあまりに理不尽な状況にやりきれないかなしみを覚える。



ガイガーカウンターで代々木公園の土の放射線量を計測していた人がいたので見せてもらった。
35CPM(≒0.28マイクロシーベルト)だから、この日の文科省発表数値の約4倍。
雨の翌日ということもあったかもしれないけど、地表の線量は東京でも結構高いらしい。
(ふと妄想…。もしも放射性物質が大好物で、体内で無害化してくれる猫がいたら、
至る所が「猫町」と化すわけで、それはちょっと見てみたいかも…不謹慎で恐縮です)
なんとも長閑な代々木公園を回遊しながら、不意にある光景を思い出した。
震災直後の週、原発の爆発と計画停電の報道で、みな蜘蛛の子を散らすように
家路に散って行った夕刻、血が滲んだような空に覆われた代々木公園は、
同じ場所とは思えないほど、人々が落としていった暗澹たる吐息に包まれていた。

それから何週間も経ったアースデイの代々木公園は、
かつてよく目にしてきた平和そのものの世界に戻っていた。
現実なのに、ひどく懐かしい夢をみているような気がした。
