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「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは」

2011-05-21 04:48:33 | Scene いつか見た遠い空

5月。誕生日の翌々日、小雨上がりの夕刻。
急いでシャワーを浴びて友人の誘いに外へ繰り出すと、
雲の裂け目から天使が舞い降りてきそうな夕映えが広がっていた。
放射能雲といってしまえば、ミモフタモナイけど。
ただ、自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。



春先までの息もつけない仕事漬けの日々とは打って変わって
ご褒美のような休日を満喫することができた黄金週間。そのほんの断片を。


5月2日、友人夫妻の住む江の島へ。海は本当に久しぶり。
3.11の津波映像のショックから、海を以前のように見られるか自分でもよく分からなかった。
が、海は拍子抜けするほどあっけらかんと長閑だった。
じゃれては逃げる仔猫のような波が、獰猛で巨大な獣と化す。理屈では分かるけれど、
自然の魔力には抗えず。しばし 一切を忘れ「ほう」と見とれた。


海には 無数のサーファーが浮かんでおり、浜には名産のシラスがずらり干されていた。
町には 屋根より高い鯉のぼりが 仲良くたなびいたり、ややこしく絡み合ったり。
将来、コイノボリ的アートな風力発電装置ができたら面白いだろうな、と夢想。
(明和電機さん、どうでしょう?)


家々の軒先には藤や小手鞠が満開で、ほんのりいい香りがした。
(拙宅のベランダの小手鞠も開花中)



腰越の友人宅では、旬の野菜満載のフルコースをいただき、久々に会うご学友たちと
愉しい時間を満喫。うれし恥ずかし十代の頃を知る間柄というのは、つくづく貴重です。


ひだかのお言葉に甘えて一泊させていただいた翌朝、目撃したご近所猫。
ゴハンが出てくるまでお行儀よく玄関で待つ まあるい後ろ姿にじーん。。




5月4日は、オーリエさんと邂逅@国立新美術館。
地震で行くのがのびのびになっていた「シュルレアリスム展」へ。
遠い学生時代の授業をなぞるような懐かしい気持ちで、作品たちと対峙した。

「愛しい想像力よ、私がおまえのなかで なによりも愛しているのは、
おまえが容赦しないということなのだ」

1924年 アンドレ・ブルトン著『シュルレアリスム宣言』(巖谷國士訳)より
――ポスターやチラシに引用されたブルトンの言霊、みるたびにぞくぞくする。

今展のポスターの顔となったのは、ルネ・マグリットの〈秘密の分身〉(左)。
ブルトンとはそりが合わなかったマグリットをシュルレアリスムに走らせたのは、
ジョルジョ・デ・キリコの絵だった。そのキリコが無名の頃、いち早く彼の才を見出したのが、
詩人のアポリネール。キリコ初期の傑作〈ギョーム・アポリネールの予兆的肖像〉(右)は、
今回の出展作の中でもやはり傑出していた。絵の巧い下手ではなく、天才度の濃さという点で。

余談ながら、この絵が描かれた1914年、キリコは最高傑作〈通りの神秘と憂愁〉を描いている。
キリコが最も輝いていた時代を代表するこの絵(今展には出ていないけれど)は、
中学生時代の私に強烈な影響を与え、芸術の概念を決定的に変えた。

「もしうちに持って帰っていいなら、これ欲しいねえ」と、オーリエさんとハモったのが
マックス・エルンストの〈キマイラ〉と、ジョアン・ミロの〈シエスタ〉↓ 

エルンストの寓話的世界観、ミロの無垢なインファンテリズム。
色彩感覚もあまたのシュルレアリストたちとは比べものにならない突き抜け方。
それにしても、個人的に十代の頃にシュルレアリスムにどっぷりはまった体験から、
どうしてもシュルレアリスム作品を見ると、十代ちっくな胸騒ぎに回帰してしまう自分。
初めて見る作品も、デジャヴのように懐かしかった。


国立新美の後は、ミッドタウンの21_21DESIGN SIGHTで開催中の
「倉俣史朗とエットレ・ソットサス展」へ。’80sイタリアの革命的なデザイン集団
「メンフィス」のエッセンスを詰めこんだタイムカプセルみたいなこの企画展もまた、
うれしはずかしポストモダ~ンな’80s気分に回帰しながら、懐かしく堪能した。
安藤忠雄の空間と、ソットサス&倉俣作品のマリアージュも、いとをかし。


左は倉俣の「KYOTO」、右は倉俣の「Miss Blanche」、下はソットサスの「Carton」
あの頃も激しく魅了されたけれど、21世紀に見てもオーラは失われていない。
どれも どこか演劇を匂わせる存在感。それが置かれた場所を、
瞬く間に“舞台”と化してしてしまうような魔力がある。
デザインとかアートとか どっちでもいいじゃない――そんな声が聴こえてくるような。



会場で流れていたソットサスと倉俣のインタビュー映像にも、いたく感動した。
当時、メディアで見るソットサスや倉俣は、もっとキザな印象があったのだけど
映像の中の二人はどちらも凄く人間臭くてチャーミングだった。

映像の中で倉俣は、戦時中、米軍機が電波妨害のために錫の破片を落とすさまを目撃し、
月光に照らされた錫がきらきら幻想的に舞っていた光景を、「不謹慎かもしれないけれど、
あまりの美しさに子供心に魅了された」と語っていた。その瞳の輝きは、まさに子供だった。
倉俣の作品に息づく澄んだインファンテリズムの所在を目の当たりにしたような気がした。
'91年に急逝した倉俣について、ソットサスはこんな風に述懐していた。
「彼は本当のエンジェルになってしまった」
ソットサスの表情はまるで、息子を失った父親のようだった。



5月連休明け、再び取材で軽井沢へ。1か月前に訪れた時はまだ裸木の森だったけれど、
この時は透き通った新緑がわっと芽吹き、つつじや梅や水仙や芍薬が一斉に開花していた。


あいにく濃霧と雨続きだったが、幼少期に初めて軽井沢を訪れた時もやっぱり
霧雨の5月だったことを懐かしく思い出した。当時、持ってきた服を全部着込んでも
寒いと震える私のコートの背中に、母が仕方なく弟の未使用紙オムツを入れたという笑い話が。
5月でも朝晩はストーブがないとまだまだ冷える軽井沢だけど、あの頃もいまも
変わらず心地よい。木立に抱かれた風景は、どんなに寒くても心融かす。


取材先のおうちは、北アルプスを見晴らす絶景ビューだった。
現れたアビシニアンの美少女マキちゃんを、取材そっちのけで撮影しまくる私。


そのうちに、美少女マキちゃんをテラスからむーんと眺める外猫さんも登場。
しかしそんなことはおかまいなしで、カメラに鼻ちゅうしまくるラブリーマキちゃん。



翌朝は、東御市の「梅野記念絵画館」へ。湖沿いに佇むここのロビーホールもまた絶景。
キムリエさんとコーヒーを飲みながら打ち合わせ。



館内では黒澤映画の美術監督も務めていた画家・久保一雄展を開催していた。
大好きな『素晴らしき日曜日』の美術コンテを思いがけず目の当たりにできて感動!
別の展示室で開催していた「早世のアーティストたち展3」でも、ぞくぞくするような
眼差しを秘めた油絵や版画と出逢い、思わず見入ってしまった。

上は後藤六郎「猫と鳩」、下は島村洋二郎「少年と猫」。
特に黒猫を描いた作品が胸に深くささった。



5月18日は、故ニキータの三周忌、ニキキだった。
あのふわふわあたたかな黒猫はもういないのだけど、
私の中でニキは永遠にふわふわあたたかい。
それは、「愛しい想像力」であり「容赦しない想像力」でもある。

在りし日のニキータをひとつ。
背景は、奇しくも世界中のあらゆる発電所が示されたポスターです。
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