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オリーブ、二十世紀肖像、猿楽祭

2010-11-01 03:16:58 | Book 積読 濫読 耽読

ベランダから南天に向ってぼうぼう伸び放題だったオリーブの枝を思い切って剪定したら
伐った枝先にコロンと大粒のオリーブが2粒ばかりなっていた。
今年はならないなぁと諦めていただけに、むしょうにうれしい。
指でつまめるほどのささやかな緑の小宇宙――この実が人知れず つやつやぷくぷく
膨らんでいたであろう 初夏から晩秋の日々に思いを巡らす。

・・が、そんな悠長なことをしている間に、怒涛の年末モードにのまれつつある。
お陰でブログ更新がさらにさらに滞りがちに。。
(云いたいことがあり過ぎるがゆえになかなか書けないメールみたいなもの?<言い訳)

そんなわけで、11月の暖簾を潜りつつ、神無月をざっくりプレイバック。


一気に初冬めいた空気感になったが、つい2、3週間ほど前は
金木犀アロマがたいそう心地よい秋日和が続いた。
それは、都心が排気ガス臭から唯一逃れられる 貴重なひとときだ。
246沿いを歩いている時、満開の金木犀が香る垣根を見上げると、
メタリックな高層ビルのしじまに超然と佇むフクロウとミミズクが。
一瞬、『ブレードランナー』のタイレル社を彷彿。



夕暮の打ち合わせ帰り、雨上がりの代々木公園を歩いて帰る。
この季節は秋蟲たちのスティーブ・ライヒ的アンサンブルと
樹々の湿った息遣いが恐ろしく快い。
酷暑で青息吐息だった薔薇たちも、葉脈の上に
澄んだ甘露を湛えて「ふうぅ」と和んでいた。





この秋は打ち合わせや取材で代官山や恵比寿にビアンキでしばしば出没。
ライター稼業はうっかりすると運動不足になりがちなので、
近場はできるだけ自転車で動くことにしている。
机上でただじーっと考え込んでいるより、サイクリングとかお散歩とか適度な運動をした方が
リアルで胆力のある言葉が湧いてくるような気がするから。

恵比寿ガーデンプレイスの一角で、チャーミングなニットを纏ったベンチを見つけた。
(その時は少々暑くるしそうに見えたけど、あっという間にニットが恋しい季節に突入した)


恵比寿の東京都写真美術館で10月から始まった
「二十世紀肖像 全ての写真は、ポートレイトである」を取材した折には
寛大な広報担当者さんのはからいで、一人貸切状態で見せていただいた。
お仕事で書いている別のブログでも紹介したのだけど、
この企画展は写美ならではの秀逸なコレクションを贅沢に堪能できる絶好のチャンス。
毎度ながら、展示の編集も絶妙です。

膨大な作品の中でも 個人的に特に惹かれたのは、植田正治をはじめ、セバスチャン・サルガドの
[エチオピア(毛布にくるまる3人の子供)] 1984(左)や、須田一政 [秋田 湯沢] 1976(右)。
陽光に浮かび上がる毛布のケバ、陽を透かした夏帽子のツバ、そして図らずも
子供の印象深いカメラ目線。その圧倒的な瞳と光の力、もはや理屈じゃない。


島尾紳三 [生活 1980-1985より] 1980-85シリーズにも いたく惹かれた。
やはり子供のカメラ目線。猛烈なスピードでメタモルフォーゼしている子供の一瞬の瞳には、
「?」や「!」の銀河がきらっきら渦巻いている。



10月半ばの連休には ヒルサイドテラス一帯で開催された
「猿楽祭 代官山フェスティバル2010」を覗いてきた。



ヒルサイドテラスの間にひっそりと佇む「猿楽神社」は、古墳時代の円墳に立つお社。
そのこんもりした塚山が「猿楽塚」と呼ばれていたことから、代官山一帯の地名が
「猿楽町」になったらしい。千数百年以上も昔の名残が今も渋谷区にひっそり息づいているなんて
奇跡に近いことかもしれない。実際、この塚に足を踏み入れると、空気がまったく違う。



広場の出店を覗きつつ、ヒルサイドライブラリーにも立ち寄ってみた。


このブログでも何度か紹介しているけど、今夏ヒルサイドテラスで開催された
アレックス・モールトン自転車展をコンプリートした『モールトンBOOK』(スタジオトリコ発行)
ライブラリーに早速登場していた。素晴らしい本なので、ぜひ手にとってみてね。

このライブラリーの奥には、アーティストや文化人が選ぶ「私の10冊」というコーナーもある。
絞り込まれた10冊に、選んだ人の本質が垣間見えるようでとっても興味深い。
例えば、森山大道氏が選んでいた本のひとつは「アッジェ 巴里」。なんだか妙に納得する。


隈研吾氏は、10冊の中に自著『負ける建築』を選んでいた(左)。今年、隈さんの取材をした折には
『自然な建築』も気に入っていると仰っていた。どちらも非常に明快でラジカルな氏の傑作。
(10冊には選ばれていなかったけど、『新・都市論TOKYO』の隈さんの代官山論
「凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア」も膝を打つ面白さ。必読)

敬愛する陣内秀信氏(右)が選んでいた芦原義信の『街並みの美学』『続・街並みの美学』は、
亡父が私に薦めてくれた本でもあり、私自身の愛読書でもある。うれしいシンクロニシティ。
以前、陣内さんに「世界中で一番好きな街は?」と伺った時、「南イタリアのチステルニーノ」と
即答されていたが、そのチステルニーノのこともこの本にはしっかり書いてある。


代官山の旧山手通には大使館が幾つか集中しているが、
いつも気になるのが、このデンマーク王国大使館のエントランス。

どう見ても秘密倶楽部のような怪しさ。駐日大使の趣味なのかなぁ?
麻布の中国大使館前のピリピリ張り詰めた物々しさなんかと比べると、同じ大使館でも別世界。


帰り、旧山手通沿いのカフェでカプチーノ休憩。西郷山公園に寄り道して帰る頃、
夕映えを呑みこんだインクブルーの空に、くりっとしたプチ三日月が見えた。



三日月が半月になり、オーリエさんとうちで夜通し映画鑑賞会したのを境に
仕事がごごっと密度を増してきた。その間隙を縫って先週末、ちづこさんたちと谷根千散策。
谷中のスカイバスハウスに向う途上、谷中墓地の中空に ふわっと発光する満月を目撃。
日々出くわす月の満ち欠けで、月日の素早さを思い知る。(谷根千散策日記は長くなるので次回に)

と、右は 谷中発祥の珈琲豆専門店「やなか珈琲」のビジュアルでもおなじみ本多廣美画伯の
版画 [薔薇と珈琲]。今夏、銀座のGKギャラリーで開催された本多さんの個展で心酔し、
先週、とうとううちに連れてきたのだ。円いテーブルに赤い薔薇と珈琲、円い窓に円い月。
何気ないけれど、モチーフが全部ツボ。恐ろしいほど幸福な瞬間の縮図。
画の前に立つと、つい微笑んでしまう。猫撫で声ならぬ、猫撫で顔とでもいうのかな。



追記。先日、レイちゃんの取材に便乗して下北沢散策した折、とあるカフェで売っていた
80年代のミュージックマガジン。背表紙に並んだ固有名詞の濃さにくらくら。。

例えば‘83年1月号は「坂本龍一/横浜銀蝿/三波春夫/ジャム/アラブ歌謡」って(゜o゜
懐かしいやら、恥しいやら、愛おしいやら。どこかに「Phew」の名前も見えた。
そうそう、Phewが今秋リリースしたオールカバーアルバム「FIVE FINGER DISCOUNT」は、
‘80年に出した坂本龍一プロデュース「終曲/うらはら」の水脈を思わせる怪作。
Thatness and Therenessのカバーを聴いていると 一寸気が遠くなる。
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大乱歩、大佛次郎、ゴリラ、MJ

2009-11-20 09:42:17 | Book 積読 濫読 耽読
「あれは夢だったのかしら、それとも、
だれかのいたづらに、うまく一杯かかったのかしら。」

――江戸川乱歩『人間椅子』の草稿冒頭より



ここのところずっと、原稿を書いてはソファーでうたた寝し、また起きては原稿に向かうという
日々だったので、朝も昼も夜も、寸断されたゆめとゆめの間に間に漂っているような感覚だった。
先週はとうとう一歩も外に出ず、書き続けていた。おかげで、あれやこれやの入稿や校正は
無事済んだけど、ブログは随分間があいちゃったなぁ。。

日曜、まる一週間ぶりに小休止して外出。どうしても観たい催しが2つばかり、
この日が最終日だったので、見逃すわけにはいかなかったのだ。

まず向かったのは、横浜元町。ちょうど去年の今頃、横浜レトロ散歩取材を楽しんでいたので
懐かしい。あっという間の1年。今年はいろいろ考えさせられる深い1年だった<既に回顧モード。
と、これは山手 港の見える丘公園で目に留まった薔薇。その名も、「カトリーヌ・ドヌーヴ」!


公園の奥の神奈川近代文学館の前には、サンザシの実がぷりぷり鈴なりになっていた。


どうしても観たかったというのは、こちら。


しかし「大乱歩」とは、よくいったもの。
展示物にあった『三角館の恐怖』の新連載開始告知にも、「大乱歩遂に沈黙を破る!」とある。
他にも「大快報」「熱賛驚嘆」「大反響」と、まあ 煽る煽る(笑)
ちなみにこれは1951年に面白倶楽部に連載していたよう。
私は小学時代にポプラ社版の『三角館の恐怖』を所蔵していた。

↑これは小説名からがして『大暗室』ですからね。しかも「大長編大探偵小説」「大確信」と
やはり「大」の大連発。この作品は1936~1938年「キング」に連載していたよう。
私はやはり小学時代にポプラ社の『大暗室』を愛読していた(今も本棚にある)。
『大暗室』というインファンテリズムあふれる造語の響きには、当時からうっとりだった。


「大乱歩展」は最終日とあって予想外に混んでいたけど、同時代に乱歩作品と親しんだと思しき
往年のファンらしき姿もちらほら。たとえ白髪で腰が折れていても、
食い入るように展示物に見入るまなざしは、少年のそれだった。

↑ベレー帽で相好崩す乱歩先生を囲む 同時代ファンの少年少女たち。


乱歩という人は恐ろしく几帳面だったらしく、都内を転々とした足跡を解説付きの詳細地図に
したためていたり、自身の手書き年表(鳥瞰図と乱歩は云っている)をこと細かに残していたり、
とにかく偏執的記録魔だったようだ。そんなマニア垂涎の資料の中には、こんな嬉しいものも。

左は『人間椅子』の生草稿!(1925年に連載された発表稿とは設定などがかなり異なっている模様)
右は『押絵と旅する男』の橘小夢によるオリジナル挿画(丸尾末広風味ですが..)


乱歩の全集は春陽堂をはじめ、さまざまな出版社からが出ており、どれも装幀が凝っている。
1931~1932年に出た平凡社版の全集には『探偵趣味』なる付録小冊子が付いていたよう。
竹中英太郎が手がけた挿画(2号以降)は、どこかアールデコの匂いもして洒落ている。
ただ、最終号の『犯罪図鑑』は生々しい図版が多く、風俗壊乱のかどで発禁になったのだとか。。



大乱歩展を大満喫した後、すぐ側に「大佛次郎記念館」があったので、ついでに立ち寄ってみた。
大佛次郎といえば、自分の棺に自著ではなく猫を入れてほしいとのたまったほど大の猫好き。
記念館のエントランスや館内にも彼が収集した麗しい猫オブジェが何匹も。


正直、鞍馬天狗など大佛次郎の時代小説は未読ながら、エッセイ集『猫のいる日々』や
そこに入っている童話『スイッチョ猫』のような猫モノは、愛猫家にはたまらない快作かと。
しかし、生涯500匹もの猫たちと暮らしたり餌付けしたりしてきたという大佛次郎大先生の
まなじりの下がりきった猫愛で顔は、どうにもひとごととは思えないものがある。。

平凡社『作家の猫』より


閉館時刻の17時には、すっかりとっぷり陽も落ち、ヨコハマタソガレ。

この後、元町通りの老舗 喜久屋洋菓子舖の2F喫茶室に立ち寄り、コーヒー&レモンパイで一寸休憩。
すぐ背後の初老のご婦人が、まるで秘密の恋話でも打ち明ける女子高生みたいな調子で
小娘時代の奇妙な心中未遂の顛末を朗らかに話していて、ついつい耳ダンボに。。
大乱歩先生、大佛先生、事実は小説より奇なり、ですねえ?


その後、横浜から新宿に出て、大学時代の先輩、芝田文乃さんの写真展
「TOKYO-KRAKOW,COME AND GO vol.10 いったりきたり日記/2008年版」へ。
こちらも最終日滑り込みだったけど、無事に観られて ほっ。

東京とクラクフを往復しつつ、過去1年に撮ったスナップショットの中から約30枚を選び、
時系列に展示するという毎年恒例のこの写真展、今年でなんと10年目だそう!
継続は力なり。気負わず、どこかユーモラスでシュールな文乃ワールド、
クセになる面白さがあり、今年も興味深い傑作が多々あった。
これはそのひとつ、今回の案内葉書などに文乃さんが使用した写真。

私はてっきり森の中でマントのような衣をまとってしゃがんでいるお婆さんかと思っていたのだが、
上野動物園のゴリラだったよう!! いわれてみれば、確かにゴリラなのだが。。
文乃さんいわく「お婆さんと思っていた人、これで4人目です」(笑)
でもってこのゴリラ、本を読んだり携帯メールを打っているようにも見えるという。。


文乃さんも会場(サードディストリクトギャラリー)でゴリラと同じ読書ポーズを
してくれたので、パチリ。 来年もまた楽しみにしています!



そして今週半ば、オーリエさんリスペクトの全世界同時公開映画「This is It」を
まいかさんと3人で観てきた。もっともシンプルな感想をいうと
「どんな先入観があっても構わないから、とにかく一度体験してみるべき映画」
私もオーリエさんもまいかさんも決してMJ信者ではないが、観終わった後しばし放心――

稀代のエンターテナーMJの天才っぷりを、ことさらに大仰な演出をすることなくリアルに描き出した
この傑作ドキュメンタリー、本来はロンドン公演の圧倒的熱狂のフィナーレがクライマックスとなる
予定だったのかもしれない。が、その本公演は もはや永遠に実現しない。
リハーサルやオーディションなど、本公演の裏側のみを追った映画の中で、MJは最後まで
本公演で着る予定だった衣装で踊ることもなければ、フルヴォイスで歌うこともない。
しかし、そのソフトな歌声こそが、オーリエさんいわく「まるで妖精みたい」に美しい。

スキャンダラスな伝説の数々に、MJを長らくモンスター的に捉えていたけれど、
映画の中のMJは、その一挙一動も、スタッフに発する言葉も実にエレガントでスウィート。
そのしなやかな痩身から湧いてくる無邪気なI love Youがフィルムから溢れ出していた。
「MJはこの感覚を世界中に伝播するために逝ったのでは?」byオーリエさん。
たぶん、彼はもはや生死を超えた永遠の妖精なのだろう。

映画を観た後、オーリエさんちでまいかさんと3人で朝まで盛り上がる。
↓初対面とは思えないほど意気投合するまいかさん&オーリエさん♪


少し曇った朝、紅葉の代々木公園をてくてく通過して帰宅。
冷涼な11月の朝の空気に凛とたたずむ、散りかけの薔薇たちが愛しい。
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絵本徒然

2009-02-26 11:41:27 | Book 積読 濫読 耽読
先週末届いた荷物のクッションにたまたま使われていた英字新聞。なんだか棄てられない面構え。


気がつけばもう月末。ゆるゆるひたひた密やかに3月へと疾走する日々。
さて、遡ること日曜は ご近所newportで行われたフリマへ。夕刻、キムリエさんと現地合流。
(フリマって久々。数年前えとさんが出店してた代々木公園のフリマにはよく遊びに行っていたけど)

その日手に入れた品のひとつ、大好きなミナ・ペルホネンのレースのリーフと黒ピン。
出品していた方が手放す瞬間、「あ、もうお別れなんだ…」と寂しげに呟いた。
ミナの葉っぱ、ずっと大切にしますね。


フリマとは別に、お店でたまたま売っていた旧い絵本『理想の庭』もひとめぼれ購入。
擬人化された花々が奏でる音楽が 確かにこの表紙から聴こえてきて――


頁をめくるたびに深い溜息。。残念ながらドイツ語は解らないけど、イマジネイティブな
挿画から勝手に物語を妄想――ハンモックのアゲハ、蝶々の帆船、シャクナゲの子どもたち。。





父が生きていたら、ぜひ訳してもらいたかったな。。

フリマではほかに、手乗りサイズの植木鉢に入った“屋久杉栽培セット”も衝動買い。
完全に売れ残っていたようだったけど、ふつう買うでしょ?!(笑。栽培日記はまた後日)。
夜はプレザランでキムリエさんとゴハン。幸福な日曜の午後、ふと湧く謎のインスピレーション。。


雨の月曜はずっと自宅で作業。翌火曜は、神保町での打ち合わせ帰り、久々に馴染みの古書店巡り。
フリーランスになる前は神保町のど真ん中にあった制作会社に居たので、当時はランチのついでや、
資料探しで、暇さえあれば古書店巡りを愉しんでいた。今思えばなんて贅沢な環境だったんだろう。
日々移り変わる古書店の棚の品揃えは、株価の変動より遥かにエキサイティングで。。


しかし神保町は来る度に変っている。「キャンドル」や「キッチン山田」があったのはもう遠い昔。
特に店の入れ替わりが激しいすずらん通りにて、渋いニットウエアのサトちゃんが妙に愛おしく。



夕刻、神保町界隈に住む大学時代の友人おかじ先生&まつださん宅へ遊びに。
と、こちらがお出迎えのうるたくん。 かわいくてつい不躾に撫でたら「しゃあっ」と軽く威嚇され。


メインクーンの風格ある猫さん。何してらしても所作が優雅です。
しかし足でかっっ。

ささやかなおみやげのおまけに、文房堂で見つけた石膏像シリーズのガシャポンを。
恐る恐る開けたら念願のマルス! ヒゲのモリエールじゃなくってほんっとよかった~


おかじ先生&まつださんと久々に楽しくゴハンを食べた後、夜はレイちゃんとオハナアダンへ。
リュートや琵琶のルーツともいわれるアラブの弦楽器ウード奏者の常味裕司さんと
インドの打楽器タブラ奏者の吉見正樹さんによるアラブ・インド音楽セッション。


その昔カイロのホテルで、深夜にもかかわらず婚礼の宴が催されていて、その艶やかな
祝福の音楽が今も耳について離れないのだけど、あの幻想的な夜がまざまざと蘇った。
といっても単なるエキゾチズムだけでなく、地中海からアラブ~アジアと時空を軽々と越えた
音楽のDNAを、頭ではなく全身で感じた。独特の音色を奏でる楽器の素材や造形も魅力。
アラベスク柄が美しいウード。ちょっと顔っぽい?


昨日は昼は浜松町、夜は恵比寿のアイロン・ママで打合せ。
一昨日 神保町の小宮山書店で買ってきた本のひとつがあまりにかわいいので持参。
猫とみみずくというカップリングがまずいい。しかもこの後姿!
原題は「The Owl and The Pussy-cat」。
ⓒ1961 by Barbara Cooney

「奇妙なとりあわせの2人連れの、なまめかしい航海のお話」とは、カバー折り返しの紹介文。
エドワード・リアのシュールな詩と、バーバラ・クーニーの描く猫のコケティッシュな姿がツボ。


タガタ氏が「ぼくも欲しい!」とネットで調べたけど、1978年の絶版本なので入手困難のよう。
森山大道や三島、澁澤本などの合間にひっそり居たのを見つけたのだが、出逢えてよかった。


先日、イームズの記事を書いた「モダン・インテリア」no.15が発売に。
在りし日のニキもなにげにちょこっと登場しています。

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雨と兎と猫と

2009-02-01 04:22:53 | Book 積読 濫読 耽読
雨模様だった週末、浜松町で打ち合わせ後、レイちゃんと貿易センタービル上階の
レストラン レインボーでしばしコーヒーブレイク。眼下に広がる雨の芝離宮。

猫あし風の脚がついたこのシュガーポットとクリーマー、腰に手を当ててお喋りをしている
リスとかそういう小動物たちに見えちゃうねと、とふたりで大笑い。


レイちゃんに名古屋取材のお土産をいただいた。アトリエ風のブティックで見つけたそう。
白い革の小箱に、白い華奢な蝋燭。なんだか三月兎の持ち物みたいな、寓話的たたずまい。


この日はいったん帰宅して仮眠。21:30ちょうどにレイちゃんからナイトコール。
慌てて起きて一段と雨脚の強まった渋谷へ。このアンテプリマの傘、先日見つけたんだけど、
ぱっと見、目玉親父がびっしりいるみたいに見えない?


実は兎とクローバー。この無数の兎たち&レイちゃん&ハカセと共に、久々のThe Roomへ。

沖野兄弟のDJは去年のCrossover Jazz Festival以来。エフェクトのかけ方がツボ。
(沖野さん、シャンパンごちそうさま!) ROOT SOULのLIVEも激しくかっこよかった。
すっかりあがったまま、雨をものともせず帰路にあるNightflyに寄り道。既に深い時間で、
BEAMS RECORDS青野さんのDJがあまり聴けなかったは残念だったけど、
久々にお話して面白かった。沼元画伯っぽいスタイルもナイスでした(笑)


さて、すっかりへんな時間に目覚めた土曜。二日酔いのまま、おシゴト原稿にすぐ着手できず、
最近入手した絵本を開く。 ウクライナ民話を題材にしたアルビン・トレッセルト作『てぶくろ』。
ヤロスラーバが描く 男の子の涼しげな切れ長の瞳とチャーミングないでたちにうっとり。


これは最初の見開き。右頁に書かれた3文字を見て一瞬、息が止まる。
え。よく見えない?


クローズアップ。
えーっ!?

物語の舞台はロシアの森。そこで男の子が手袋を落としてしまい、
その手袋を見つけた動物たちが次々と暖をとりにやってくる。
ねずみ、かえる、うさぎ、ふくろう、きつね…果ては オオカミ、イノシシ、クマまで!

弱肉強食の世界とは一線を画する共生の縮図?私もその手袋にもこもこ入ってみたくて仕方なく(笑)
私がいつか落とした手袋も、そんなことになっていたら楽しいな。


これは先日、上原の古書店で見つけた猫本たち。猫専門の出版社が引っ越し、
蔵書をその古書店にごっそり置いていったのだとか。なので、なかなか希少な猫本がざくざく。。

詩人 工藤直子(松本大洋の母)の『猫はしる』も出色の一冊。
表紙以外は一切 猫が描かれていない挿画も、いい。

これは本ではなく、先日ちよさんにいただいた在りし日の月丸さんのカレンダー写真集。
ふわっふわでまるっまるの白猫さん。眺めているだけで目尻が下がってしまう。


と、こちらは昨夜ハカセにいただいた写真集『本日のスープ』。帯にもあるけど、劇的な目ぢから!

猫の瞳孔がマックスで見開いているときは、恐怖の表情でもあったりするのだけど
これはどうも興味津々の目のように見える。こんな瞳で見つめられたら、おちるなぁ。。

ちょっとニキに似ていて どきどき。


こちらは在りし日のニキ。晩年は、じっと見つめても 眼差しが柔らかかった。

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モルフォ、どこでも古書店

2009-01-06 10:28:18 | Book 積読 濫読 耽読
遅ればせながら、2009年もよろしくお願いいたします。

年末年始は実家で家族とともにのんびり。年明けからは弟夫婦も一緒だったので一段と楽しく。
大晦日、父の形見の蝶標本の樟脳を取り替えた。今までは母がしていたので、実は初めての経験。
密閉された標本箱を開ける瞬間、パンドラの筐を開けるような気持ちに。


買ってきた蝶もあるらしいが、ほとんどは登山好きの父が若い頃に野山や高山で採集した蝶たちだ。
30~40年経た今も変わらぬ姿のまま たくさんの標本箱に眠っている。


ガラスの蓋を開け、蝶をじかに観察して驚いた。メネラウスモルフォ(Morpho Menelaus)の翅が、
まったく色褪せていないどころか、今にも飛び立ちそうに鮮烈な輝き放っていたのだ。

あまりの美しさにそっとピンを持って、冬晴れの庭に翳してみた。
かつて南米の森の木漏れ日を湛えて煌めいていたであろう そのエレクトリックブルーの翅が、
ひんやりした真冬の空気に幽かにふるえた。

モルフォの鮮烈なブルーは、鱗粉自体の色ではなく、光の干渉により現れる構造色らしい。
ゆえに、角度を変えると、こんな風に 翅はたちまち枯葉のような茶色に変貌して見えてしまう。


一部、翅が落ちてしまった蝶がいて傷ましかったので、とれた翅とともに標本箱から取り去った。
それらを小さな箱に集めて夜の庭に降り、夜空に向かってそっとはなった。
白や黄色の花びらみたいな翅が、いつか飛び回った空に帰っていくようにひらりひらりひらり…
大晦日の夜に目撃した、ぞくっとするほど美しい翅の舞い。不意に涙がつっと零れた。


明けてお正月。母のお雑煮。代々伝わる味とかではなく、母のオリジナル。
具だくさんでお餅がよく見えないけど、とても味わい深い。



実家では、父の書棚を物色するのも 密かな愉しみのひとつ。
ありがたいことに、家の中が“どこでも古本屋さん”なのだ。


父の学生時代の本など、もうぼろぼろで変色しているのだが、独特の味わいがある。


大岡昇平は父が最も敬愛した作家だった。あいにく私は戦記ものに疎く、中原中也について
書かれたもの以外はあまり読んでいない。「幼年」「少年」もつまみ読みしかしていなかったが、
今回は熟読。年上の従兄に触発された文学少年時代の克明な読書回想は実に面白い。
漱石の影響も大きく。芥川を「ちゃがわ」と読んでしまったなんてかわいいエピソードもあったり。


また、大岡が幼少期から住んでいた渋谷界隈のリアルな描写も闊達で引き込まれる。
昭和初期、渋谷駅から今の文化村通り側の空き地には、うらぶれた曲馬団の小屋があったとか、
そこへ中原中也と一緒に遊びに行った(その時は既に中也は詩「サーカス」を書いていた)とか、
今の宇田川町交番側に越してきた竹久夢二の家の裏窓に愛人のお葉さんが佇んでいたとか、
渋谷史としても文芸史としても興味深いネタ満載。


全集に挿し込まれた小冊子には、澁澤龍彦からの少々アイロニカルなオマージュがあった。
サド裁判をきっかけに仏文の先輩である大岡と知り合ったようで、大岡の調べ魔ぶりを賞賛している。

書棚の隅からは 1970年代初期の週刊誌も発掘。


三島由紀夫事件の特集を組んだ1970年12月13日発行のサンデー毎日には、
「ボーナスで買う100枚のレコード」なる牧歌的なサブ特集記事も。

ロック、フォーク部門では、ビートルズ「レット・イット・ビー」や、サイモン&ガーファンクル
「明日に賭ける橋」などが、ムード、ラテン部門では、「バート・バカラック・ゴールデン・プライズ」、
セルジオ・メンデス・ブラジル66「ライブ・アット・EXPO’70」などが挙がっていた。
いろんな意味で、象徴的な時代だったんだなぁ。


4日には高校時代によく行った喫茶店ですみ太さんと会った。お店はリニューアルしていたけど
当時よく頼んだウィンナーコーヒーは、懐かしさ溢れる“喫茶店テイスト”で。
あの頃みたいにコーヒーをおかわりして、すっかりしみじみ長話。
お向かいにいつの間にかできたスタバじゃこの時間は味わえなかったかも。




そうそう、お正月には姉が昨夏遊びに行ったイタリアの写真整理を手伝った。
これはプロチダ島の夕暮れ。バカンス特集の扉写真とかにも使えそうな。


これはカラーブリア近辺のバカンス直前のビーチとか。
真冬にこの誘惑的風景、たまりません。
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熊蟄穴、カロリーヌ、ノワロー

2008-12-14 03:38:00 | Book 積読 濫読 耽読
ここのところ、冬とは思えぬ妖気、もとい陽気。
寒がりゆえ ついコートを着て出かけるも、結局お荷物に。。
土曜の夕方は渋谷、原宿で幾つか所用を。表参道の欅並木沿いに、点々とキャンドルが。
原宿表参道欅会の人が灯しているこのキャンドル、巷に溢れるLEDの硬い光と好対照。

この時季は「熊蟄穴=くま、あなにこもる」ともいわれるけど――


街なかには、まあいろんな熊がいるもんです。


金曜は横浜へ。遅刻を赦してくれたカッシー&キムリエさんにひたすら感謝(涙)
久々の中華街→麻布十番のスタジオトリコ→ミッドタウン→鳥居坂のカフェで夜ゴハン。
深夜、納車されたばかりの素敵なキャンピングカーでキムナオ夫妻に家まで送っていただく。

この日は巨大な満月と何度も目があった。思い切りジャンプすると飛び乗れそうなほど巨きな。

――アポロ11号が人類初の月面着陸を果たしたのは約40年前。
スプートニク2号が宇宙に巻き毛のライカ犬を打ち上げたのはそのさらに10年前。
(余談ながらMoonRidersの『歩いて、車で、スプートニクで』は永遠の名曲ね。
Pupaのアルバムにもライカ犬を歌った『Laika』という曲があり、高橋幸宏さんを
以前インタビューした際も、このライカ犬のことをせつなげに話してくれた記憶が)


『カロリーヌ シリーズ』は、そんなスプートニクやアポロの時代に描かれ、
今も各国で翻訳され読み継がれている絵本。

作者はフランス人のピエール・プロブスト(Pierre Probst)。
元々は絹織物の下絵や広告の図案を本業としており、
『カロリーヌ シリーズ』は愛娘シモンヌのために個人的に描いたものだったよう。

幼少期、家の書棚にずらりと並んでいた小学館版『世界の童話全集』の中でも
このカロリーヌシリーズのひとつ『カロリーヌのつきりょこう』が大のお気に入りだった。
(後年、BL出版から『カロリーヌ つきへ いく』に改名され再発)


主人公はカロリーヌと 彼女の友達である仔猫×2、仔犬×2、仔熊、仔豹、仔ライオンの7匹。
ブリューゲルの群像画みたいに、アニマル各々のキャラが挿画だけで微笑ましく伝わってくる。
当時とりわけ好きだったのが、お茶目で悪戯ものの黒猫ノワロー(旧小学館版ではノアロー)。


月面でノワローが、宇宙人だよーん。。みたいな感じで


みなを驚かす悪童っぷりは、幼な心にツボだった。


思えば、童心のノワローには、ニキの原型があったのかもしれない。
ちなみに、ノワローの相方の白猫プフもなかなかいいキャラ。



あ、日曜はぐんと寒くなるようなので、どうぞご自愛を。
私は、熊じゃないけどたぶんこもって原稿書き。
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ベッドの下のテレーザと濫読休日

2008-11-17 07:25:50 | Book 積読 濫読 耽読
宿題(原稿)も約束も予定も入れずに迎えた静かな土曜。遅ればせながら、冬支度に着手。
といっても、クローゼットの冬物と夏物の位置を入れ替えたり、寝具を冬仕様に替える程度なのだが
ついでにベッドの下にしまっている旧い資料を引っ張り出して整理したり、入念に掃除してみたり。

そうしたら、ベッドの下から数冊の本と、このポストカードが↑
ベルニーニの代表作のひとつ「聖テレーザの法悦」。その昔、ローマの教会で入手したもの。
(この彫像、ちくま文庫版バタイユ『エロティシズム』の表紙にもなぜか使われていたりするのだが)
いつ、どのタイミングで落っこちちゃったんだろう? ベッドの下のバロック。

で、こっちが救出した本たち。再読しようと思って枕辺に無造作に重ねていたのが、
寝ている間に落としちゃったらしい(寝相はいい筈なんだけどな)。
で、結局、土日はこれらの本をつらつら読んで過ごした。
(仕事で資料読みに時間を割かれることが多いので、こういう時間は天国に思える)

デュラスの『モデラート・カンタービレ』は、中身を見事に忘れていたお陰で、新鮮に堪能。
鷲田清一の『モードの迷宮』は、10年程前に読んだ時とはまた別の感慨があった。
モードの軽やかさに惹かれつつ、その「せつなさ」や「残酷さ」を哲学的に紐解いた名著。

出色は四方田犬彦の『人間を守る読書』。古典からサブカル本まで155冊を紹介した書評集なのだが
どれも快哉! E.サイード、岡崎京子、種村季弘、秋山邦晴、マルクス・アウレーリウス、ダンテ、
三島由紀夫の著作について語った文が個人的に特にヒット。実に冴え冴えと明快。

11月14日のblogでブラッドベリの絵本について触れたが、彼の傑作『華氏451度』は
本を読むことが禁じられた近未来のお話。私は学生時代、原作を読む前にトリュフォーの映画で観たが
焚書の影で、本そのものを丸暗記して諳んじる人々の存在が示唆されるラストにいたく感動したものだ。
四方田氏も先の本で、同様のことを書いていた。究極的に、書物は活字ではなく声なのかもしれない。

寝入りばなには『おはようライナス君』をつらつら。PEANUTSシリーズは小学時代のバイブルのひとつ。
いまやフェティシズムの代名詞となっている“古い毛布”が姉ルーシーに略奪され、あろうことか
そのフェチの対象を埋められてしまったライナス君の騒動は、今読んでも傑作。谷川俊太郎訳だしね。




土曜、近所に買物に出かけた際、なんか気になって路地裏を覗くと、茶トラ猫がいた。


「にゃ(こんばんは)」と呼んだら、くるっと振り向きざまに「みゃおわあ(あーただれ?)」

ルヴァンで買ったばかりのカボチャパンをちぎってあげたら、匂いを嗅いで猫またぎ(笑)
猫にかまけているうちに小雨が。よかった、家の側で猫に遭遇したお陰で、すぐ傘をとりに戻れた。


日曜朝、ルヴァンのパンをいただく。猫はお気に召さなかったようだけど、至極美味しい。
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マスケラ、豆腐の角、今江祥智

2008-08-01 06:55:56 | Book 積読 濫読 耽読
相変わらず、灼熱の日々。外出するときはもちろん、ちょっとベランダで植物をいじるときも
帽子は欠かせない。愛用の帽子のひとつにベルギーレースの蝶をつけてみた。

☆☆
キムリエさんから、先週末いっしょに行った取材先のヴェネツィアンビーズ店で遭遇した
マスケラ(仮面)の写真が送られてきた。私のカメラはバッテリー不足で撮影できなかったので。

実はこれ、キューブリックの遺作『EYES WIDE SHUT』に登場した仮面と同一のものだそう。
この仮面はあの映画のもうひとりの主人公でもあった。うーん、それにしてもただならぬ妖気。。

☆☆
月曜は日本橋三越の「なだ万」にて、対談取材2本。三越といえばライオンだが
猫恋しい身の私としては、この姿をみると顎を掻いたり、肉球に触れたい衝動に駆られて仕方なく。。


取材後、千疋屋総本店で「究極のモンブラン」をいただく。あれ?前より甘みが強くなった?


帰り、なんだかあっさりしたものが欲しくなり、デパ地下で笹乃雪の絹ごし豆腐をゲット。

「人はなんだこんなものと通り過ぎるかもしれず。僕は笹の雪流な味を愛す。」と云ったのは漱石。
「豆腐の角に頭をぶつけて死んで来い」と宿題を忘れた生徒に云ったのは、高校時代の国語教師。
その先生による漱石の『それから』の講義は実に興味深かったが。。豆腐の角を見て思い出した(笑)

深夜、なにげにスカパーをつけたら、市川崑の『愛ふたたび』(’71)を放映していた。
ついつい書こうとしていた原稿を放置して観てしまう。。だって、市川崑だもの。

これはラストシーン@羽田。右はヒロインの浅岡ルリ子。左は飛行機に乗る寸前、恋人のもとに
駆け戻るルノー・ヴェルレー。『地獄に堕ちた勇者ども』『個人教授』にも出ているフランス人俳優だ。

それにしてもこの映画、パリの街角を闊歩する浅岡ルリ子のまぁお洒落チャーミングなこと。
微妙にすれ違う男女の会話や、男が女のもとへと車を疾走させるシーンなど
ルルーシュの『男と女』(`66)を意識した演出も多々。脚本は、なんと谷川俊太郎!
浅岡ルリ子の妹役はぽっちゃりめの桃井かおり。デビュー作ながら、既に謎の存在感。

☆☆
火曜は南平台町で取材した後、碑文谷の出版社で『モダン・インテリア』の色校。
少々無謀な気もしたけど、自転車で南平台町から代官山を抜け、目黒通りを碑文谷まで疾走。
真夏の蒸した駅をあちこち乗り換える労を思えば、自転車は風を切ってマイペースで案外快適。

帰る頃には日も暮れ、道すがら 夏祭りの提灯を横目に流しつつ。

中目黒から代官山に抜ける途上、COW BOOKSに寄り道し、この2冊を入手。

児童文学者 今江祥智と詩人 谷川俊太郎は、いずれも小学生の時に出逢って以来 敬愛。
とくに今江祥智の本は、古書店で見つけたら必ず買う。装幀も凝ったのが多い。

これらは随分前に方々の古書店で見つけた今江祥智の本。少々傷みが目立つけれど、
右の2冊は装幀が宇野亜喜良。素描タッチの猫の挿画がまたいいのだ。内容も深い。

左の『大きな魚の食べっぷり』は裏帯に「児童文学の海に一滴の毒を落す意欲作!」と刷ってあるが
云い得て妙な傑作。ブリューゲルの絵をモチーフにした杉浦範茂の装幀もアート。

☆☆
色校で一緒になったちよさんに、安曇野で手摘みしたというブルーベリーをいただいた。
一部煮詰めてブルーベリーコンフィチュールをつくり、ヨーグルトに入れたら美味!


紅花も一緒にいただいたので、ニキコーナーに。
 またひとつ、夏の色。
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澁澤龍彦と堀内誠一 旅の仲間

2008-07-13 22:09:30 | Book 積読 濫読 耽読
先週は怒涛の原稿締切ラッシュでほぼ連日缶詰。おまけにエアコンが効かなくなり
今日、エアコンを付け替えてもらった。エアコンぎんぎんはとても苦手だけど、
亜熱帯化した東京でノーエアコンというのは、限りなく“修行”に近い。

土曜から母が泊まりに来ており、昨日は母の友人と3人で新丸ビルにてお茶した後、
和田倉噴水公園に水の涼をもらいに。水飛沫のカーテンに小さな虹が架かっていた↑
お正月のblogでも書いたけど、ここは三島由紀夫の珠玉短編『雨の中の噴水』の舞台になった所。

夜は母と近所のHakuju Hallへ。クジラの体内に呑みこまれたみたいなデザイン(?)

レクイエムを中心とした選曲が興味深く。ラストはヨハネ受難曲。アーメンの合唱で幕。

☆☆
遡ること先週の日曜。ギャラリーTOMで開催していた「澁澤龍彦と堀内誠一 旅の仲間」展へ。
巌谷國士が編んだ「旅の仲間澁澤龍彦・堀内誠一 往復書簡」の出版記念を兼ねた企画だった。

ギャラリーの向かいは深緑の鍋島松涛公園。ときどき散歩する一角。
その昔、化け猫騒動で人々を震撼させた地でもある。残念ながらこの蒸し暑さで猫の姿もなし。

ギャラリーの壁には、1968年~1987年に澁澤龍彦と堀内誠一が交わした往復書簡がずらり。


たとえば、澁澤龍彦がヨーロッパ旅行中に出した絵葉書(画像は件の書籍より)。
『ヨーロッパの乳房』など、後の作品の契機となった旅の肉声が実に無邪気にしたためられ。


一方こちらは、堀内誠一のアエログラム(同書籍より)。さらさらと描かれた絵文は さすが!
澁澤龍彦いわく「貴兄の手紙をみると、絵描きは絵が描けていいなァ、と思います。」


奇しくも同じ1987年に同じ病で亡くなった澁澤龍彦と堀内誠一が交わした89通の親密な書簡には、
彼らが筆を運ぶ気配や息遣い、体温までもが時空を超越して息衝いていた。

堀内誠一(真ん中)と澁澤龍彦(左下)@鎌倉 澁澤邸1968年。すごくリラックスした表情!

堀内誠一といえば、こんな雑誌たちのロゴデザインでもおなじみのアートディレクター。
↓『雑誌づくりの決定的瞬間 堀内誠一の仕事』より。

このひとの仕事は、みればみるほど宝の山。

1964~65年に立木義浩と組んだ『平凡パンチ』メンズファッションのグラビアもしびれる。
名(迷)コピーも堀内誠一の仕事。↓たとえばこれなんて「シマでシマを着る。」ですからね!


堀内誠一は絵本作家でもあり、子供の本の表紙も手がけていた。
この1989年1月発行の月刊「たくさんのふしぎ」の表紙も、そう。
特集は、種村季弘の「迷宮へどうぞ」。


子供向けなので、「迷宮」という言葉にはすべて「めいきゅう」とルビが振ってある。
とはいえ、そこは種村さん。容赦なくマニアックなネタをいたいけなお子様たちに仕込んでいる。

最終頁で種村さんは子供に云う。「本も一種の迷宮なのです。迷宮も本もふくざつになればなるほど、
おもしろいんだ。 こんどはどんな本の迷宮にちょうせんしようか。」
この本に出逢った子供は、きっと幸福だ。
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エアニキと赤いぐみの日々

2008-05-30 16:28:25 | Book 積読 濫読 耽読
週明け、数日前まで青かったベランダのグミの実が急速に赤く色づいてきた。
透明なニキ(=エアニキⓒちよさん)も、きっと何処かからこの赤い実を見ている筈。

気がつけばもう5月もおしまい。激動の5月。しかし最終週は意外とゆるゆるフェイドアウト。
月曜はひたすら原稿書き。隣の部屋でニキがすやすや寝ているような心持ちで。

火曜は神田で俳優の寺田農さんインタビュー。美術や文学に対する造詣の深さは、聞きしに勝る。
夕刻、銀ぶら。時間があったので久々に台湾式マッサージを小一時間。至福。。

夜はサッポロビールさんの会合(私はビールあまり飲めないのだけど)。
春先に取材させていただいた元NHKディレクターの清水さんちの黒猫(その名もタンゴ!)も
1カ月ほど前に星になったそう…合掌。素敵なマダム千鶴子さんも多くの動物たちをみとっているそう。
温かな方々とお喋りし、しみじみ癒される。

千鶴子さんにニキそっくりの黒猫ぬいぐるみをいただいた。

いただいた黒猫たちが集う うちのニキコーナー。


水曜は、水天宮で取材。夜は代々木上原のイタリア料理店「casa vecchia」で
まいかさん、ちよさん、キムリエさんとゴハン。みんなと逢えてもうひたすら嬉しい私。

これは私がオーダーした押し花の手打ちパスタ。魚介ソースの澄んだ深みにくらくらっ。
この店のシェフは映画「グラン・ブルー」でジャン・レノが食べていたボンゴレのスパゲッティを
ロケ現場となったシチリアのホテル・サン・ドメニコ・パレスで当時、実際に作っていた方。
アンティパストからドルチェまで、完璧。Perfetta e Buonissimo!

その後は、歩いてうちへ。夜更けまでみんなとわいわい。「ニキいるねえ」「うんいるいる」
ちなみにエアニキ(ⓒちよさん)は化け猫にあらず。なんとなく感じるふわふわ優しい存在感。
なので、私はいまも不思議と淋しくはないのだ。まるでニキの魔法にかけられたような。
ニキはいつも のほほんとしていたけど、意外とサイキック猫だったのかも。
 ふっ。

木曜、新しい冷蔵庫が届いた。冷凍庫が冷えなくなって、急遽買い替え。やっとノンフロンに。
海外製のお洒落家電も考えたけど、大きすぎるし、配達に時間がかかるので断念。
なにはともあれ、いますぐアイスクリームを常備できる状態にすることが先決かと。

結局、こんな風に悪趣味にマグネットをぽこぽこ貼っちゃったりたりするわけだしね。。

☆☆ 今週の濫読コーナー

火曜に神田で寺田農さんを取材した帰り、ガード脇の古書店で本を何冊か購入。

寺田さんは名作の朗読も多数手がけており、ご本人も読書家。
乱歩好きで「D坂の殺人事件」も朗読されたそう。
取材直後、古書店で見つけた懐かしの乱歩短編集「D坂の殺人事件」を思わず購入。
小学生の時に読んだのも春陽文庫だったけど、これは挿画が隠微な新装版の方。

今週頭、ウィーン取材に再び飛んだレイちゃんから猛烈に面白い本が送られてきた。
タカラのリカちゃん課出身のイラストレーターさんが編んだ「想い出のリカちゃん」。
↓70年代の女児たちを熱狂させた懐かしの「リカちゃんハウス」! ぁあ、人形愛の時代(涙)

インテリアは着色された発砲スチロール、ロココな書割背景はボール紙、絨毯はビニルという
キッチュでチープなおうちだったけど、そこは童女の妄想力でファンタジックにカバーしていたっけ。

昔、姉が持っていた肌が小麦色のリカちゃんの正体が長らく不明だったのだけど、
この本で「素敵なバカンス娘」の「ピチピチリカちゃん」だったことが判明(笑) 

時代の流行に左右されつつ、乙女的妄想の産物が分裂増殖して次々に商品化されていたんだなぁ。。
リカちゃんについては数年前、タカラに取材させてもらったことがあるけど
スタッフもリカちゃん伝説の詳細は把握できていないようでした。

ちなみにリカちゃんの本名は、香山リカ。ママは服飾デザイナー、パパ「ピエール」はフランス人。
ただし、パパは行方不明。1989年に、長らく謎だったピエール(音楽家)が遂に現れたよう。
四半世紀もの空白期間、何処で何をなさっていたんでせうね、ピエールってば。


最後に、えとさんが送ってくれた町田康の「猫にかまけて」

この人の猫たちとのかかわり方がいい。飄々 淡々としつつ、根底にあるのは深い敬愛。
決して上から見ることなく、ただ猫かわいがりするでもなく、ことさらに崇めるわけでもなく。
「どうでもいいようなことで悲しんだり怒ったりしているとき、彼女らはいつも洗練されたやり方で、
人生にはもっと重要なことがあることを教えてくれた。」(あとがきより)

☆☆
先週の土曜、散歩帰りに買った白い百合が時々思いついたように開花する。たいてい夜更け。
真新しい花弁が開く瞬間、「ぷち」というほんの小さな音が聴こえる。
猫が寝起きに渇いた口中を舌で舐める時みたいな音。

真夜中に開く百合は、夢の匂いがする。
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「NODE」未来都市Tokyo

2008-03-21 03:14:13 | Book 積読 濫読 耽読
『NODE』の2号が発行され、昨日うちにも届いた。
創刊号の時とはかなり異なる様相。私も一部取材などで関わらせていただいたけど、
もし仮にそうでなくても、個人的にも読みたいテーマが多々。
ニキも にゃっ とリスペクト↑(笑)

今回の特集は“未来都市TOKYO”。東京タワーに代わって登場する下町の「新タワー」や、
東京駅の「グランドルーフ」など、近未来に東京上空に忽然と出現する新たな巨大モニュメントの
詳細に加え、安藤忠雄氏や、金沢21世紀美術館の元館長 蓑豊氏のインタビューなども興味深し。

特に、日本の現代アートのキーマンである蓑氏のコメントが、明晰で気持ちよかった。
 バブル期に日本中に誕生したメセナが、バブル崩壊と共に消滅したことについて――
「経済が文化を支えると考えるから、おかしくなるのです。これとは逆に、
文化が経済を支えると考える。私にとってみれば、これが一番清潔で健全な動きです」
 
 現代アートとは何か?という問いには――
「今、あなたが話していることが現代アートです」「今21世紀に生きている皆の一つひとつの
動きをフレームに収めると それが現代アートになります」と。

えてして、ことの本質がクリアに見えている人物に限って、平易な言葉で明快に語るように思う。
もちろん、そのシンプルな言葉に辿り着くまでには、めくるめく道程があったはず。
逆に、説明過多は その思考自体が中途半端な証ではないか、と自省も含め。。

前にblog「サイレント・ダイアローグ」でも書いたけど、
この号で私がインタビューさせていただいたICC学芸員畠中実氏はこんな風に語っている。
「誰もがおもしろがる、わかりやすいものをわかる人に届けるのは簡単なことです。そうではなく、
これはなんだろう?というものをあえて打ち出し、それをわかってもらうようにすることの方が大切」
―まさに。非常に共感した言葉。非常に難しいことでもあるのだけど。

この本では、東京都写真美術館で開催中の「マリオ・ジャコメッリ展」のReviewも
書かせていただいた。これについては次回。

☆☆☆
そんな折、、ニキの具合がまた悪くなり、今朝 急遽入院。。
手を伸ばしても、あのふわふわのあったかな存在が無いことに、
ひとしれず毛布を見失ったライナス状態。。

動物病院へ奔走する道すがら、ミモザの大木に幾つも遭遇し、
どれも黄色い小花が満開だった。うちの3年目ミモザはまだ咲かないので
帰りに花屋でミモザを買ってきた。ニキの居ない部屋に黄色い小花がほわほわ。。

盟友えとさんに以前もらった「超ニキニキーッ」に昨日も頬ずりしてた二キ。
がんばれニキニキーッ


☆☆
今夜、雨曇りで見えない満月を思い、Bill Evans のMoon Beamsをリピート。

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なぎ食堂と浅草十二階と渋谷ブックセラーズ

2008-01-28 23:21:30 | Book 積読 濫読 耽読
週明けから2時間睡眠のまま朝一打ち合わせに取材、そして試写会と慌しい。
しかし週末は一瞬の安息を楽しんでいた。ご学友ひだかのお誘いで「なぎ食堂」へ。
渋谷桜ヶ丘郵便局のお向かいに、昨年12月にオープンしたベジタリアンな定食屋さん。
いきなり迎えてくれたのが、この“裸足キッズ”。
垂れた鼻水も涎もいい塩梅で、ちょっと松本大洋風味。

「ねえ最近、音楽なにがキテる?」「やっぱ“かえる目”でしょ」「それって何系?」
「おやじ系ユーミンかな」「CD出てんの?」「うん、“主観”てゆうアルバム。ほらいまかかってるよ」
…てなことを喋ってるみたいにみえるキッズのひとりは、オーナーさんのご子息さくみくん1歳。

オーナーさんは、音楽や書籍のレーベル「COMPARE NOTES」を運営していて、
お店にもおもしろそうな本や雑誌、CDがいろいろと。件の「かえる目」のアルバム「主観」
実際にかかっていた。これがネーミングにも増して、ケロリとすごい! 

うっかり聴いていると、ジョアン・ジルベルトが日本語で歌ってるのかと勘違いするほど
いい感じなのだが、、よくよく耳を澄ませば、、、、
「♪カニづくし あなたは積み上げる殻のように うつろな人」とか
「♪ふなずし」がどうしたとか、そんな歌詞が連綿と(笑)

歌っているのは、こんな本も書いている学者さんとか。早速、アマゾンで即買い。
浅草十二階―塔の眺めと“近代”のまなざし
細馬 宏通
青土社

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カエル目こと細馬宏通氏は「浅草十二階(凌雲閣)計画」というサイトも運営しているよう。多芸!
乱歩の「押絵と旅する男」の舞台となった「十二階」は、私の中でもいっときマイブームだった。

さて、そんな「なぎ食堂」でいただいたのは、夕方6時まで食べられるランチ・プレート。
選べるデリメニューから、玄米ご飯、お味噌汁、香の物まで、どれもさりげなく主張のある味付け。
こんどは夜もよさげ。

渋谷から帰る途上、文化村通りから井の頭通りに伸びる道すがらに、
Openしたてのブックセレクトショップ「SHIBYA BOOK SELLERS」が忽然と。

例えば70年代のシェルフには、三島由紀夫の割腹報道の1970年の「サンデー毎日」などが
三島の著作に混じってなにげに置かれていたり、
`40年代のボリス・ヴィアンコーナーに、岡崎京子の漫画「うたかたの日々」も並べてあるなど、
独自観点の年代別にさくさく潔くセレクトされたジャンルレスな書物の森で、
ひだかとうふうふ戯れること小1時間。BGMにはグールドのピアノが心地よく響いており。。

店を回遊しながら、いつのまにかこんな本を買っていた。ブックカバーの包装紙も美しい。
ショップスタッフによると、ビームスのロゴも手がけたデザイナーさんの意匠なのだとか。
深夜2時まで営業しているそう。
リスペクト。

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少年少女文学と挿画の甘い罪

2007-12-19 20:47:14 | Book 積読 濫読 耽読
月曜、品川での打ち合わせ後、外苑前にある「ギャラリーハウスMAYA」の企画展
「本という宇宙 vol.1 L'innocente 文学にみる少年少女達の心のゆらぎ」(12/10~22)へ。
少年少女の物語をモチーフに、21人のイラストレーターが独自の切り口で
その作品からイメージする画を描きおろすという試み。

山本タカトによるコクトーの『恐るべき子供たち』(↑)、宇野亜喜良によるギュンター・グラスの
「ブリキの太鼓」、城芽ハヤトによるカポーティの『誕生日の子どもたち』などが、
個人的には意外性があってよかった。この『恐るべき子供たち』は、コクトーよりもむしろ
ベルトルッチの映画『ドリーマーズ』にイメージが近い気がしたが。
カポーティ作品の中でも私がとりわけ好きな短編『誕生日の子どもたち』は、
主人公である10歳のカリスマ的少女が コケティッシュなバレリーナ姿で描かれていて ぞくっとした。

先月、原マスミライブのブログでも書いたが、原マスミによる矢川澄子の
『ありうべきアリス』は、左右に三つ編を垂らした少女が、片方の三つ編みをちょきんっと
根元から切り落としている画だった。えもいわれぬアンビバレントな感覚。深い。


他にも 三島由紀夫の『午後の曳航』、太宰治の『女生徒』、マルグリット・デュラスの『L'amant』、
夢野久作の『少女地獄』、トーベ・ヤンソンの『誠実な詐欺師』、サガンの『悲しみよ こんにちは』、
ガルシア・マルケスの『エレンディラ』など、どれもフェイバリットな作品がモチーフになっているだけに、
見入ってしまった。期待していたアゴタ・クリストフの『悪童日記』は、
主人公である双子の兄弟のイメージ画がちょっとぴんとこなくて残念。。

***
文学作品に描かれる登場人物の造形は、彼ら彼女らが魅力的であればあるほど、
それをヴィジュアライズするのは、ひとつの“罪”であるともいえる。

たとえば子供の頃、『不思議の国のアリス』を、オリジナルのジョン・テニエルの挿画本で読んだのか、
ディズニー絵本で読んだのかによって、アリスのイメージは全然違ってくる。
盟友えとさんの愛娘りんちゃんは、私のあげたシュヴァンクマイエルの『アリス』を赤ちゃん時代に
観ていたそうで、恐らくりんちゃんのアリスや三月兎のイメージは、通常よりかなり濃厚なのでは。。
↓ヤン・シュヴァンクマイエル 映画『アリス』より。

今夏『ヤン&エヴァ・シュヴァンクマイエル展』でついにこの実物の三月兎と邂逅できて感慨無量。
しかし、こんなに邪悪で凶暴でグロテスクな三月兎は、ルイス・キャロルも想定外だっただろう。

『星の王子さま』は、挿画も作者自身によるものなので、『アリス』以上に 挿画のイメージが大きい。
ぬいぐるみなどのキャラクター商品もあるほど、その造形イメージが定着している。
↓サン=テグジュペリ作『星の王子さま』挿画(岩波書店刊)

これは砂漠にいる星の王子さまが「一本の木が倒れでもするように、しずかに倒れました。」
というシーン。「音ひとつ、しませんでした。」と続く。王子の最後の登場シーンである、
この“倒れる王子”の画が 私はいっとう好きだったりする。
世の中、なにかと“王子”流行りだが、王子は 倒れてこそ(<?)。

『ポールとヴィルジニー』も、大好きな作品のひとつだが
「ブロンドに青い瞳、珊瑚の唇を持つ」少女ヴィルジニーと、
「日焼けした顔に黒い瞳、長いまつ毛が優しい陰をおとした」少年ポールのキャラクターイメージは、
このアンティークな18世紀風の木版挿絵によって決定づけられた。
↓サン・ピエール作『ポールとヴィルジニー』挿画(旺文社刊)。

(顔のあたりが、諸星大二郎の漫画みたいに見えなくもない…)

メルヘンを大人用に編集した澁澤龍彦訳『長靴をはいた猫』は、片山健による挿画がとても妖しく。
↓シャルル・ペロー作『長靴をはいた猫』のカバー画(河出書房新社刊)

これは、『アンアン』創刊号(1970年3月)から澁澤氏が連載していた翻訳をまとめた作品集。
その際、アンアンに掲載された片山健氏の挿画を 澁澤氏が大いに気に入って依頼したようだ。

↓こちらはポプラ社刊『江戸川乱歩全集』の裏表紙。
少年少女時代、乱歩にはまった人は、猛烈な既視感を否めないはず。
特大トランシーバーで話しているのは、たぶん少年探偵団の小林少年。当時憧れだった。
しかし、、少年なのに 休日のおやじ風コーディネートなのは なぜに。。


で、同シリーズの表紙をめくると、必ずこの方↓が ひらんと眼に飛び込んでくる。

マントにボルサリーノ(?) 結構ダンディ。これが怪人二十面相とはどこにも書いてないが
なんとなく怪人二十面相のイメージは これによって刷り込まれてしまった感がある輩も多いのでは。

小学6年生になって初めて、隠微で濃密なカバー画の春陽堂版 乱歩文庫を手にし、
子供向け乱歩を逸脱した瞬間、いままで夢中になって遊んでいた子供部屋に、
実は知らない通路が隠されていて、そこから妖しい迷宮がめくるめく広がっていた・・・
・・みたいな衝撃を覚えたことを 忘れない。挿画はつくづく罪つくり。ゆえに魅かれてやまないのだけど。
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「決定的瞬間」への逃避

2007-12-01 08:44:02 | Book 積読 濫読 耽読
仕事の調べものをしようと書棚を探っているうち、気がついたら好きな本を読み耽っていたり
画集や写真集に見入っていたり、ということはままある話で。
締め切りが翌朝に迫っていたりするときに限って、そういう衝動に駆られがちだ。

学生時代、テスト前夜に全然関係ない小説に突然着手し
徹夜で完読してしまったりする逃避行動とまったく同じ。
そして、そういう時に没頭したものに限って、
長く深く自分の中に残っていたりするから不思議だ。
一夜漬けでむりくり暗記した公式や年号なんて、すっかり忘れてしまっているのに。

今週の“逃避物件”は、こちらの写真集たち↑
左端の「桑原甲子雄写真集 東京長日」(1978年朝日ソノラマ刊)と、
中央手前「アンリ・カルティエ=ブレッソン近作集 決定的瞬間・その後」(1966年朝日新聞社刊)は
大学時代に写真の授業をとっていた時、父が膨大な蔵書の中から分けてくれたもの。
卒論でもお世話になった。私も父と同じく本に書き込む悪癖があり、所々にその痕跡が。。

中央奥は今春、東京都写真美術館で開催されていた「マグナムが撮った東京」展の図録。
右は、今夏、松涛美術館で開催されていた「大辻清司の写真」展の充実した図録。
大辻氏は、私が大学時代に受けた写真の授業の担当教授でもある。
写真への興味を深められたのは、大辻先生によるところが大きい。

彼は「実験工房」や「グラフィック集団」など、戦後の前衛美術と関わりながら写真表現を
追求した 日本の重要な作家のひとりだが、横顔が少し“ヨーダ”に似ていた(失礼!)
残念ながら、故人になられてから知ったのだが、実はうちの近所にお住まいで、
作品にもご近所風景が多々。

さて、これらの“逃避物件”には、はからずも共通点がある。
「決定的瞬間・その後」と「マグナムが撮った東京」は、当然、マグナムつながりだが、
それだけでなく、これらはいずれも撮影者が被写体に働きかけて演出することなく
撮った写真がベースになっている、ということ。(一部のモデル撮影や記念撮影は除く)
もうひとつの共通点は、これらの写真集の中には必ず
さまざまな時代の“東京”が どこか無名の街のように切り取られていること。

「なにかを見つけてハッと思ったとき、深くつきつめずに直感の命ずるまま、
ファインダーの中にその情景を切り取る」――大辻清司実験室⑨なりゆき構図 より

「私の写真を撮る態度は、基本的に対象の選択といったことにこだわらない」
――桑原甲子雄 パリから東京をかえりみる より

「彼の写真には、演出や、引き伸ばしのときのトリミングは決してない。彼のいう決定的瞬間とは、シャッターを切る瞬間に一切のものが決定していなければならぬ。その一瞬は絶対的に動かすことのできないものだ。後から手を加えることは、それを破壊することだという」
――木村伊兵衛 ブレッソン“人と作品”

ブレッソンは「忍者はだしの芸当©木村伊兵衛」で、被写体にぎりぎりまで気付かれないよう
忍足で撮影していたという。まさに報道写真家ならではのアプローチというか。

桑原甲子雄は、パリから帰国したばかりにしたためた「東京長日」の前書きで、「テーマは東京でもパリでもない。すこし気取っていえば、たとえば私という人間の、いま通り過ぎつつある生への呼び声であるといってもいい。そう願って写している気配がある」と述べている。

私が、彼らの写した写真にひどく魅かれるのは、彼らが「ハッ」とした瞬間の心の「呼び声」が
そのままシンプルに、そして「決定的」に映りこんでいるからなのだ思う。

いまは デジカメや携帯で誰でも簡便に安価に それなりの写真を撮れるけれど、
こうした「決定的」なものは、形だけ真似しても決して撮れるわけではない。
限りなく偶然に近い透明な芸術、とでもいうか。

一見なんでもないようなアングルだったり、なんでもない瞬間の動作や表情だったり。
技巧を前面に感じさせない写真に潜む、不思議な魔力に吸い寄せられ、
私はまた、開け放した書棚の前で、しばし仕事を忘れてしまうのだ。。
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