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ポランスキー、アニエスの浜辺、ポー川のひかり

2009-07-11 04:21:23 | Cinema
             
今日、病院の帰りに見た夕暮れ。実は週半ば、暑さと卵にあたってちょっとぐったりしていた。
点滴をしたのはむかーしエジプト旅行から帰って来た時以来。もう脱水症状は脱して復活傾向。

そんな中、今週はいい月を何度も目撃した。

と、これは私の撮影した月ではなく、ロマン・ポランスキーの映画『吸血鬼』の冒頭シーンの月。

最近、スカパーでポランスキー特集をしていたので、久々に観たのだが、スタッフ名にぽたりぽたり
血のしずくがしたたるアニメーションのオープニングと、それにかぶさるコメダのジャズにぐいぐい
引き込まれた。すっとぼけた助手役で出演している若き日のポランスキーも、
後に彼の妻となるシャロン・テートも実に初々しくて。


シュールな『タンスと二人の男』や、不条理でアンニュイな『水の中のナイフ』の後に
ドラキュラを換骨奪胎した『吸血鬼』みたいなお笑いスラップスティックを作った多才ぶりはさすが。
他にも、カトリーヌ・ドヌーブの怪演が光った『反撥』(‘64)や、ドヌーブの姉である
フランソワーズ・ドルレアックのコケットリーな魅力溢れる『袋小路』(‘66)を久々に再見。
反撥
袋小路

いずれもポランスキーお得意の 閉鎖的な空間で次第にひずんでいく人間関係や
スリリングな緊張感が絶妙。ドヌーブの狂気の演技も実に怖い。
ちなみにフランソワーズは『袋小路』の翌’67年に交通事故で急逝しており、
ポランスキー映画においてフェリーニとニーノ・ロータのような関係だったコメダも
『ローズマリーの赤ちゃん』の音楽を手がけた翌’69年に夭折している。さらに同年、
妻のシャロン・テートもC.マンソン一味に殺害されており、現実は映画より奇なり。。


在りし日のフランソワーズとカトリーヌ姉妹が共演した『ロシュフォールの恋人たち』も
私の大好きな作品。この映画のメガホンをとったジャック・ドゥミの妻であり、
彼をテーマにした映画も撮っているアニエス・ヴァルダの最新作『アニエスの浜辺』の試写会に、
今週行ってきた。かねがね「何歳だからどうだ」と人を齢で横切りにするのは筋違いと思っているが、
80歳でこの瑞々しく清新な感性には驚いた。全然枯れていない。それが彼女のナチュラルなのだ。

彼女が出逢った浜辺を軸に語られる、戦争、ヌーヴェルヴァーグ、フラワーチルドレンという時代や、
夫ドゥミをはじめ、ゴダール、ドヌーブ、ジェーン・バーキン、ジム・モリソンなどなど多彩な
面々とのエピソード。それらが過去映像とキッチュな再現映像との大胆なコラージュでテンポよく
描かれており、アニエス クロニクルにして、映画を巡る20世紀カルチャー史ともいえる珠玉作だ。
10/10~岩波ホール他で公開予定。映画館で観た後は、DVDでも持っておきたい1本。


若き日のアニエスが映画を撮るのをサポートしたのはアラン・レネ(映画にももちろん登場する)。
彼は5月に開催された第62回カンヌ映画祭で功労賞を満場の拍手と共に贈られていた。
私はたまたま授賞式を深夜に生放送で観ていたのだが、この人もダンディで枯れていなかった。
レネの『去年マリエンバードで』は、私が十代の頃から愛してやまない映画のひとつでもある。


カンヌで女優賞を受賞したシャルロット・ゲンズブールも両親と共にアニエス映画に登場している。
シャルロットは授賞式の時も 母ジェーンと父セルジュへの愛に満ちたコメントでしめくくっていた。



『地下鉄のザジ』に登場するガブリエルおじさんことフィリップ・ノワレも
アニエスの映画『ラ・ポワント・クールト』(‘54)がデビュー作だったよう。
『ザジ』は作品誕生50周年を祝して完全修復ニュープリント版が今秋公開予定らしく、
その試写も先日観た。その昔ビデオで観たことはあったけど、相変わらずばかばかしくて楽しい。
50年前のパリ観光を楽しんでいるみたいな気分になるし、何もかもがキッチュでチャーミング。

ルイ・マルは、あのアンニューーイでメランコリックな『死刑台のエレベーター』や『鬼火』の間に
この『ザジ』を撮っていたわけで、先のポランスキーのどたばた『吸血鬼』しかり、
天才とは決して自分のスタイルに溺れないものだなぁと、再認識。



今週前半、もうひとつ試写を観た。
エルマンノ・オルミの最新作にして人生最後の長編劇映画『ポー川のひかり』だ。
↓は鑑賞後にカフェでカプチーノを飲みながら資料を眺める私を久々に会ったナクロプさんが撮影。
どんなアングルですか。

『ポー川のひかり』には、まさに大河の流れに衝き動かされるかの如く、心揺さぶられた。
ボローニャの大学の古い歴史図書館で、夥しい神学書が床や机に太い釘で磔にされているのが
発見されるという サイコサスペンスじみたショッキングなシーンから映画は始まる。
書物を生きがいとしていた老司教は「殺戮」と嘆き、駆けつけた検事は「天才芸術家の作品のよう」と
呟く。私も検事とまったく同じ感想で、その磔にされた書物の群がヴェネツィア・ビエンナーレの
アペルトのインスタレーションといわれても大いに納得する「作品」と思った。

原題は『百本の釘』。本に釘を打ったのは、キリストに似た風貌の哲学教授。彼が全てを棄て、
ポー川沿いの朽ちた小屋で過ごす中で出会う人々とのエピソードが、新約聖書の寓意に重なっていく。
よく作品にハクをつけようとして聖書の物語にオチをいただく粗末な映画があるが、この映画は違う。
書物や教義だけを愛し、人や自然を愛さないのは本末転倒だというメッセージが根底にある。
「人間が中心にいないならば、宗教は世界を救えない。人間の価値とは知識ではなく、他人と分かつ
愛と真の人生を理解する能力によって決まる」とオルミはインタビューで云っている。
試写直後、後ろにいたイタリア人の女性が「Troppo bella!(美しすぎる)」と呟いていた。
8月1日~岩波ホールで公開されるので、ぜひ。知識と情報に疲れた人に観ていただきたい1本。


東劇に行く道すがらにある築地川公園に群生したローズマリーに白い小花がたくさん
ついていた。こんなにいい香りの公園で、なぜみんな煙草を吸うのかな。もったいない。
試写室の冷房があまりに寒かったので、身体を温めるために東銀座から日比谷までてくてく。
数寄屋橋公園の噴水前に出た頃にはすっかり汗ばんでいた。
 

泰明小学校の裏道で、暑さにすっかりだれきっている猫たちに遭遇。
近寄っても小首を一寸あげるだけ。そこから日生劇場前まで歩いてメトロで帰宅。



これはもう過ぎちゃったけど、近所のカフェの七夕飾り。願う前にまず感謝。いいね。
七夕の夜は眩い十五夜だったが、アルタイルやベガはどこにも見えなかった。


私が最後に天の川を見たのは、もう十年以上前、ケアンズ郊外の高台だったと思う。
零れるような無数の星々の連なりを目の当たりにし、涙腺が壊れたみたいに涙が流れた。
それは自分の中から湧き溢れてくるというより、天から滴ってくるもののようにも思えた。



最後に、暑い日々が続いているので、一服の清涼剤に、レニ・リーフェンシュタールの遺作
『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』を。これも最近スカパーで観たのだが、
レニの美への無邪気な歓びに溢れた作品。魚たちと戯れているのは100歳のレニその人。
アニエスといい、オルミといい、レニといい、彼らの年齢を語ることこそ愚かなんだろうな。

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