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摂氏35℃の色即是空

2010-07-28 11:59:47 | Luna もの思う月

寝入りばな、窓にぬうっと現われた金色の満月と目が合って、
思わず「ひっ」と小さく叫んだ。
とっさのルナティックな瞬間。

ついこの前まで、日暮れとともに こんな透き通った
生まれたての三日月が出ていたというのに。



先週、銀座と新橋で見上げた月は、まだ猫の瞳のようなアーモンド形だった。



地球上で火山爆発があった年は、空が美しく澄むのだとか?
真偽のほどは分からないけれど、確かに今年はボルケーノ騒動があったっけ。
ともかく、今夏は連日の澄んだ夕映えを観るのが楽しみでしょうがない。
近くの陸橋で夕空を撮っていたら、「わぁ」と通りすがり女の子が眩しげに溜息をもらしたり
「おっ」とおじさんが立ち止まって携帯で撮影したり。今夏の夕空には不思議な魔力が宿っている。

キムナオさんにデジカメ写真を見せたら、「フォトショップで画像修正してる途中みたい」と(笑)
確かに 刷毛でサッと描いたみたいな暮色や、イレーサーで消すのをミスったみたいな夕雲が。。
でも、もちろん画処理は一切なく、まんまの夕映えです。



またどかんとブログに間が空いてしまったので、例によって近況をさくっとプレイバック。

まずは、先日みっちゃんと「ちいさな薬膳料理教室 鳥の巣」を主宰している
鳥海明子さんご夫妻のおうちへ。

和のしつらえが心地よい部屋の窓から見える夕景色がしだいに濃く染まっていくなか
振舞っていただいた手料理の数々は、暑さにふにゃっとなっていた夏の身体をはっと目覚めさせ、
五臓六腑にしみじみ沁みこんでいくような絶妙な風味食感だった。ご馳走さまでした!
こんなに愛情深い料理を魔法のようにささっとできる奥さん、私も欲しいかも!


こちらは先週末、近所のSPBS(渋谷ブックセラーズ&パブリッシング)で行われたトークイベント
「動き出した電子書籍『AiR』、その表も裏もぜんぶ話します」の模様。
作家の瀬名秀明氏、桜坂洋氏、北川悦吏子氏などなどのぶっちゃけ話、なかなか面白かったです。

紙媒体と電子書籍は決してヴァーサスではなく、いい意味で棲み分けていくのだろうな
と改めて確信。どっちかだけにこだわっていても 楽しい未来は拓けないはず。


その翌日、軽井沢から日帰りで来ていたSTUDIO TORICOのキムリエさん&キムナオさんと
ご近所のNEWPORTへ。トリコチームと話していると仕事の話もほんと楽しい。
バックにホルガー・チューカイやアート・オブ・ノイズやトーキング・ヘッズや
マイケル・ナイマンの「ZOO」サントラがかかっていたりして、風景が一瞬にして80sに。
あ、STUDIO TORICOでは、先日取材した「モールトン展」の本も鋭意制作中なのでお楽しみに!


7月は取材集中モードなのだが、いろんなインタビューの中でもとりわけ印象深かったのが
中央大学名誉教授の小山田義文先生と、南方熊楠 顕彰会理事の田村義也先生。
小山田先生の著作『世紀末のエロスとデーモン』は取材内容とは直接関係なかったけど
86歳にしてなお、花のエロティックな暗喩について嬉々と語る教授にしびれました。
また、南方熊楠研究者の田村先生による熊楠像や、エコと熊楠を巡る緻密な検証も大変興味深く。

で、数年ぶりに 水木しげるの『猫楠』を書棚から引っ張り出してきて読み返したのだけど
天才なんて枕詞をつけるのが気恥ずかしくなるほど人間離れしているね、熊楠も水木しげるも。



仕事の間隙を縫って、銀座のギャラリーGKで開催していた「本多廣美作品展」(写真右・中)と
ギャラリー小柳の「須田悦弘展」にも行ってきた。全然毛色は違うけど、前者は木版画、後者は木彫と
どちらも木を自在に操るアーティスト。本多さんは不思議な幻想譚の挿画のような世界観が魅力。
須田さんは楚々とした草花そっくりの木彫による利休的インスタレーションが心憎い。

そして昨日は馬喰町のオーガニックカフェ ハスハチキッチン(左)で超ロングミーティング後、
「馬喰町ART&EAT」などをオーリエさんと散策。昭和レトロな雑居ビル特有の
昭和的モダニズムを活かしてリノベーションされたお店やギャラリーは、
アンティークのあしらいがいちいち巧いなぁ。



そういえば、故ニキの月命日前夜17日、
たったいま生まれたばかりのようにつややかな漆黒の翅をひらめかせて私を先導する
麗しいカラス揚羽に出逢った。
ふと、かつてニキを動物病院に連れて行った時、眼前をふらふら横切っていった
枯葉のようにぼろぼろのカラス揚羽のことを思い出した。
おわる命とはじまる命、それぞれの瞬間。

                      ↑熊谷守一の〈鬼百合に揚羽蝶〉

7月20日は高校時代からの盟友みるの10回目の命日だった。
その日の空も、彼女が大好きな深い深いブルーだった。
その青はやがて、潤んだ緋色の空へと吸い込まれていった。
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満月、満開、蜜蝋猫

2009-03-15 05:07:13 | Luna もの思う月
月光のもと、うちのベランダジャングルにも春の兆しが刻々と。
グミもコデマリも新葉が一斉にふきだしてきた。
そんな中 うっかりしていたら、週半ば過ぎからプチ〆ラッシュでひどい寝不足続きに。
でもまあ そのおかげで、未明に向かって夜空を滑り降りていく美貌の満月を
何度も拝めたのだからよしとしよう。

そんな満月ウィークの先週、月のエキスのような花が遂に満開に!
そう、先日も書いたHairSplashさんの「幸福の木」。
週明けから定休の火曜を挟んで、連夜「幸福の木」ウォッチングに伺う。


満月と満開には何か相関関係があるのかも。満開の花にはえもいわれぬ引力がある。
私はさしづめそれにふらふら引き寄せられる蜜蜂の如し。
しかし何が凄いって、プルメリアとバニラをブレンドしたみたいなその濃密な芳香!
香りが嗅げるYOU TUBEとかあったらアップしたいほど。


木全体にもふしぎなオーラが。
花が鈴なりについた枝は、開花の約1カ月前から一気に にょきにょき伸びてきたのだそう。
小林さんが「普段は地味なのに、或る日突然 度肝を抜くような芸を見せるヒトみたい」と
云っていたけど、まさに。灰かぶり姫とか座頭市みたいな?(<たとえがふるいって)


週半ば、波寄るシゴトをぶっちして夜の神保町へ。界隈に住むおかじせんせい&まつださんと
渋い小料理屋さんでゴハン。龍泉洞の水を使った純米酒にお刺身が美味っ。
さらにふたりのおうちでハーゲンダッツを食べながら うるわしきうるたくんいじり。

そう、彼のことを前にスコティッシュフォールドと書いてしまったけど、メインクーンの誤り。
blogを寝ぼけ頭で書いて、後で誤りに気づくこと数知れず、反省。うるたくんにも叱られました。
(この上から目線のまま ピンポン大のまるい手で私の頭をぱしっと猫パンチ。案外気持ちいい)


で、翌日も、前夜からほぼ徹夜のまま、約10時間ノンストップで仕上げた原稿をメールし、
再び夜の神保町へ。この日はart bookshop & café でキャンドルライブ。
到着した時には既に、ちねんさん手作りの蜜蝋キャンドルがほのほの灯る中、
ボッサテイストの甘い歌声が。


ちなみにこのart bookshopは手芸専門書店。絵本やアート、建築関連の本もあり、セレクトが面白い。

ここでは*Atelier-Hauyne*のちねんさんたち3人による「さくら展」(~3/17)を開催しており、
桜をテーマにした繊細な作品がいろいろと。ちねんさん新作の蜜蝋猫キャンドルも、かわいいです。
奥のグレーの子はちねんさんちの「noa」ちゃんで、この黒い子は「niki」なんだそう!
もちろん、連れて帰りましたとも。でも、かわいくて永遠に火を灯せないな。


shopの地階に主のように佇んでいた青耳のクマくん。ニット作家さんの編んだウエアも素敵です。

アート本のあるこの一角にはアンティークな革張りソファがあり
このクマくんの書斎でくつろいでいるみたいな気分で本をゆったり閲覧できる。
帰りに、久々に会えたヤオちゃんとすずらん通りの昭和な老舗「スヰート・ポーヅ」でゴハン。
時を経ても変わらない佇まいのお店で、餃子をさかなにバブル時代の話に花が咲き。


土曜は、メグちづこさんと写美で開催中の「APAアワード2009」へ。
ちづこさんの甥っ子春日君の入選作をはじめ、きょうびの広告写真をあらためて堪能。
写真とキャッチコピーの妙もたまらない。私も広告のキャッチコピーはたまに書くけど、
長文を書くときと使うアタマがちょっと違う(広告のキャッチ制作って、実は結構萌えるのだ)


昼下がり、ちづこさんとガーデンプレイスで楽しくランチ。お元気そうでよかった!
突風が吹いた朝の奇妙な天気から徐々に回復しだした恵比寿上空より、白金方面を臨む。

こんもり見える森は国立科学博物館付属自然教育園。
昔ながらの東京の植物群落が保存されていると聞く。
行こう行こうと思いつつ、幼稚園の時に連れてきてもらって以来行ってないなあ。
もし東京って放っておくと、こんな森で埋め尽くされちゃうのかな。
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モスクと三日月とコーヒー解禁

2008-12-05 04:57:16 | Luna もの思う月
今週は金星と木星と三日月がちょうど笑った顔に見える「スマイリームーン」が臨めたらしい。
でも、曇っていた2日夜に代官山でオーリエさんと打ち合わせした以外は
ずっとうちで原稿を書いていたので、残念ながら見そびれちゃった。
けど、4日夕刻、郵便を出しに外出したついでにちょっと散歩したら、
既にスマイリーではなくなった月と金星と木星がずーっと着いて来た。

で、ぽーっと月と星を眺めながら井の頭通りを歩いているうちに、東京ジャーミイまで来てしまった。
三日月と星ってイスラム教の象徴でもあるだけに、モスクにお似合い。

(9.11の直後、故 筑紫哲也氏がNEWS 23でこのミナレットをバックに立ち、
イスラム教徒すべてを敵視する米国の極端について警鐘を鳴らしていたっけ…遠い眼)

途上の高架下に描かれていた冬羽のコサギ。いいな、この響き。コサギ。


せっかくジャーミイまで歩いたので、帰りにダリオルールで名物のビスキュイを買って帰る。
週末にちよさんちで開かれるクリスマス三毛猫集会に持参しよ。



ここんとこ寒いので、野菜をざくざく入れたスープをとろとろに煮て、
ポークと生姜を詰めたロールキャベツと一体化して食べてみた。
ちょっと盛りすぎだけど、野菜があまくてあったまるー。


実は…カミングアウトすると、先日、渋谷区民検診でバリウムを飲んだら「要精密検査」に!
すごいへこんで、即、胃カメラを初体験。そしたら大病じゃないけど胃が少し荒れているとの診断。
そういえば胃が最近重いかもと自覚し(指摘されたとたん痛い気がしてきたというか。。)
医師の言う通り、お酒・コーヒー・香辛料をしばし自粛。。しかし! お酒と香辛料はともかく、
コーヒーのない日々は、新月でもないのに月が見えない夜のように つくづく物足りない。。

…で、そろそろいいかなと思い、昨日、約10日ぶりにコーヒー解禁!

いきなりエスプレッソをトリプルで。涙が出るほど美味しかった。<ラマダン明けの人か(笑)

おまけ。これは週明け頃にころころ炒ったぎんなん。


でもぎんなんて、お腹痛くなるから1度に10個以上食べちゃいけないんですって?!

ほくほく美味しくてつい20個は食べちゃいましたよ。。意外と平気だったけど。
師走は胃腸を酷使しがちなので、気をつけなくちゃね。
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月のまなざし、夜のスイッチ

2008-11-14 02:15:07 | Luna もの思う月
13日の夜明け前、ベッドに入ろうとしたら、零れるような真珠色の月あかりに息を呑んだ。
その眼差しは、巨きな龍の瞳のように見えた。或いは、片目のアルカイックスマイル。しばし陶然。


気がついたらもう週末! 早すぎでしょお??
10日月曜は両国でおぢさまたちを取材後、水天宮のネオ・コミさんの所でさくっと打ち合わせ。
帰りに、箱崎公園で噴水越しに十二夜をキャッチ。



11日火曜は前夜に書いた原稿の件でOxyオーリエさんから昼ごろに電話。その電話で目覚めた私、
結局この日は彼女と仕事の話を逸脱して盛り上がり、まる半日電話で話していた!
その後、朝まで2本の原稿をノンストップで書いてメール。自分でも謎の集中力(笑)


お隣の柿の木。借景として密かに気に入っているのだが、
特にこの季節は橙色の柿の実が視界に美しく。


底冷えのした水曜。夜は松涛のポルトガル料理屋さん「マヌエル・ゴジーニャ・ポルトゲーザ」で
オーリエさんたちと会食。ご紹介いただいた方々がみな実に魅力的で、心身共にすっかり温まり。

みなでつついたデザート。真ん中のスイーツは「らくだのよだれ」!
ネーミングに思わずひいたけど、実体は後を引くほど美味なキャラメルムース。
ネーミングってば、「ゴジーニャ」っていう響きもいとをかし(ゴジラ風の猫を妄想中…)

帰りに、文化村通りから富ヶ谷に抜ける途上に最近できた「STAND S」でオーリエさんと
さらにワインを一杯。彼女とは不思議なシンクロニシティがたくさんあり、話が尽きない。

バックがサウナっぽいけど、杉の廃材を使っているそう。お店は山本宇一氏プロデュースとか。


13日水曜は、終日原稿書き。途中、やぼ用で渋谷に自転車で行った際、渋谷ブックセラーズに寄り道。
この店は前にもブログで書いたけど、書籍も雑誌も古書も年代別に絶妙なセレクトで並んでいる。
空間マルチクリエイターのオーリエさんに指摘されて初めて気づいたのだが、陳列棚も各年代に
流行った名作家具がなにげに用いられている。で、またいろいろ本を買ってしまった。

そのひとつ、レイ・ブラッドベリ文 マデリン・ゲキエア画『夜のスイッチ』。


真っ暗な「夜」が大嫌いな男の子のお話。夜も煌々と電燈を灯す彼のもとにある日、女の子が訪れる。
「わたしはおろち」もとい(笑)、「わたしの名前はダーク」と、その子は云う。

「ダーク ヘアに、ダーク アイ、ダーク ドレスに ダーク シューズだった。
でも、顔は月のように白く、目はきらきらと白い星のように輝いていた。」

ダーク嬢とともに、夜のスイッチを入れて回る男の子。ここ、すごい。
「<夜>のスイッチを入れた。闇のスイッチを入れた。」


闇ゆえに初めて気づく未知のあれこれ。明るいだけじゃ知りえない深淵な世界。蘇る懐かしい感覚。
さまざまなメタファーを夜の子供たちに投影したブラッドベリの珠玉の絵本に、しばし陶然。
(余談ながら、いまDJ FOODの♪「Dark Lady」を聴いてます)


さて、今夜も夜のスイッチを入れてと。
満月の影響か、夜食は蜂蜜たっぷりまんまるのホットケーキwithカプチーノ。

「今夜はドデカ満月ですよ」というレイちゃんのメールに微笑しつつ、朝までおシゴト原稿書きますよー。
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柔らかい月

2008-09-21 05:35:14 | Luna もの思う月
一週間近く缶詰になって原稿に追われ、やっと休息が訪れた週末の夜、弟が遊びに来た。
土曜は一緒にミッドタウンへ。ガレリアやガーデンに毒キノコ、もとい、草間彌生の作品が。

FUJIFILM SQUAREで写真展「オランダ人が見た昭和の日々」を開催しており
昭和20~30年代の日本の風景が、単なる異国情緒を超えて活写されていた。
撮影者は日本に赴任していたオランダの銀行員。まるでマグナムばりのフットワークだ。
↓昭和35年 数寄屋橋の日劇前。雑踏の音がたしかに聴こえてくるよう。
ⓒエイスブラント・ロッヘ


ミッドタウンのとらやで開催中の「月と暦展」にも寄り道。月にまつわる和菓子の数々が実に風雅。
これは9月頭にレイちゃんと会った際、一足早くいただいたとらやの月見うさぎ饅頭と月の懐紙。
月を象った懐紙に 白雲にみたてた白い懐紙を重ね、月の満ち欠けを模して遊べる。
 
月なき夜は みたての月で 月を愛で。うさぎを寝かして寝待ち月。

これは、デザインが気に入って 夏にジャケ買いならぬパッケージ買いした「東京ブラック」。
雲間に浮かぶ満月を、腰手にきりりと仰ぐお相撲さんの画がいい。

ビールはお腹いっぱいになってしまうので、普段はほぼ飲まないけど
一寸味見したら、苦みばしった濃厚な大人味。


原稿に追われている間に 月も細ってきたけど、先週は中秋の名月だった。
これは14日午前1時すぎ、ベランダの月桂樹とぐみの梢越しに現れた ほんのり橙色の月。

この日は残念ながら夜は雨に。

17日、夜明け前にふと窓を見たら、十五夜ばりのきらきらつぶらな月と目があった。
旧い知己に遭遇したような懐かしさ。


17日、明け方の残月。みるみる透明になって消えてしまった。



初夏に一度大伐採した東向きのベランダのグリーンが、夏の間にすっかりまた藪と化してしまい、
伸び放題の朝顔が、階下のおうちの植物にも絡み始めたので、慌てて剪定。
しかし、うっかり開花直前の蕾までちょきんと。。
朝顔の弦を切花にするのは難しいだろうなあと思いつつ、硝子壜に挿してみる。

翌日、一番大きな蕾が開くかと思いきや、そのままポトリと堕ちてしまった。。線香花火みたいに。

2日目、小さかった蕾がふたつ、順調に膨らみ、3日目の朝にゆっくりゆっくり開花。


が、夕方にはついに開花しきることなく萎んでしまった。小さなパフスリーブみたいになって。

・・・来夏またね。


満月前後、ニキが近くにいるような気がした。
ニキが星になって4カ月。朝顔に代わって花も秋めかして。


こっちは去年のちょうど今頃の窓辺。ワレモコウと蓮。しぶい。


去年買ったまま忘れていたイタロ・カルビーノの「柔らかい月」を
昨日、書棚の奥から発掘。たぶん、本が呼んだのだ。「ここだよ」って。
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インタビューとArt誌『NODE』創刊

2007-12-15 20:06:45 | Luna もの思う月
薄暮から夜へと向かう一瞬のグラデーション。
その天辺には、かわいらしい獣の爪跡のような三日月が。

締め切りに次ぐ締め切りに、取材に、コンペ…と、年の瀬の立て込みモードでちょっと風邪ぎみ。
昨日の夕刻、「今夜は仕事パスね」とでもいうように、夕焼け空に大きなばってんが。。。


一昨日は海岸のスタジオで雑誌『モダン・インテリア』のインタビュー取材。
「朝日新聞 Jヌード」さんの取材や広告絡みの撮影もあり、代理店、クライアント、AD、
カメラマン、編集者、衣装、ヘアメイク、さらに多くのアシスタントさんたち etc…と、
大きなスタジオもぎっしり。

それだけ人数が居ると、「誰仕切り?」「え、いま何待ち?」みたいなことが時々あったりもして、
個人的には少人数での取材の方が集中できてよいのだが、こういうわさわさした現場は
ふと離れて眺めてみると、いろんな人たちがうごめいていて、なんだかブリューゲルの絵みたい。

通常、インタビューする際、こちらが妙に構えていたり、かちこちに緊張していたり、
先入観にとらわれていたりすると、それは必ず相手に伝わるので、
私はできるだけ肩の力を抜きニュートラルな気持ちで臨むようにしている。

今回のインタビュー相手は女優のせとあさかさん。
ナチュラルで清楚で、芯の通ったしなやかな人だった。
瞳がほんとうにきれいで、自ら塗ったというフレンチネイルの指先も美しく。
2媒体のインタビュアーが同時に取材するスタイルだったが、撮影の合間に快く答えてくれた。

先日、新創刊のアート雑誌『NODE』 (本日15日創刊!)の記事で 椎名桔平さんを取材したときも
4媒体合同のインタビューがメインだったが、他の記者の質問や斬り込み方もまた新鮮で
その後の1対1のインタビューとはまた違う醍醐味があった。
この『NODE』では、SONYのプロダクツデザインを一手に統括している市川和男氏の取材も行ったが、
こちらは終始1対1のロングインタビュー。市川さんの取材も、椎名さんの取材も
非常に興味深いお話を引き出せた。ぜひご一読を!

『NODE』はまだ手探りの雑誌とは思うが、編集者の方々も非常に熱心かつ柔軟で、
私はインタビュー記事を含め、幾つかの記事を担当させていただいたが
どれも非常に愉しみながらできたお仕事だった。

..で、昨日はまったく別件のコンペがあった。インタビューは緊張しないのだが
コンペとなるとちょっと苦手。。誰かと予め競うのが前提というのがだめらしい。
トランプとかゲームなどの遊びは子供のころから大好きだけど、勝ち負けにはあまり執着がない。
なので、人に勝つことを期待されるコンペは少々しんどい。昨日はそのコンペでちょっとぐったり。
帰宅後にTVを点けると、映画「キャッツ&ドッグス」を放映しており、犬と猫もがっつり闘っていた。。
ふわっふわのブルジョワ白ペルシャ猫が演じる おまぬけな悪の権化キャラが効いていて笑ったけど。

さてと、これから明日のパーティ用に“バーニャ・カウダ”をつくらなければ。
先月、ベットラ・ダ・オチアイでこれを食べて、ものすごく元気になったので
同じように復活できれば願ったり。しかし、あんなにうまくできるかなあ?
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銀座六本木 猫の目彷徨と赫い月

2007-11-26 23:55:23 | Luna もの思う月
三連休は姉と一緒に銀座・六本木界隈へお買い物に。
歳末の三連休ときて どこもかしこも まるで下町の縁日。
中央通の歩行者天国は、さながら上海の雑踏のようでもあり。

私はフリーランスゆえ土日祝日がハレというわけでもなく
繁華街はたいていウィークデイの取材や打ち合わせ帰りに寄ることがほとんど。
なので、銀座にはウィークデイの比較的おっとりした(渋谷原宿新宿界隈に比して)
イメージがあり、肩をよけあう“江戸しぐさ”でぞろ歩く銀座には一寸面食らった。

しかし思えば幼児期に、当時はまだ珍しかった銀座のホコ天に
家族揃ってお出かけしたりしていたわけで。
夕暮れの銀座4丁目交差点を闊歩する家族連れに ふと遠い日の景色が重なった。


「銀座は世界で最も活気があり 将来性に富んだ場所」と云ったのは
先ごろ晴海通りに、他の海外ブランド旗艦店を圧倒する規模のタワーを打ちたてた
ジョルジオ・アルマーニ氏。

メディアで話題のスポットは えてして人だかりが猛烈なので(自分も記事を書いて
集客に加担していたりするけれど…)、私的にはどうも近寄りがたい。
が、縁日的銀座散策のついでに物見遊山で、かのアルマーニ御殿の
暖簾をくぐってみることに―。
―否、暖簾はさすがにないが、竹をイメージした外観や内装は、
驚くほどわかりやすい西洋的解釈の和モダンテイスト。

アルマーニ銀座タワーの内外装デザインを手がけたイタリア人建築家
ドリアーナ&マッシミリアーノ・フクサス夫妻はHPでこんなことを述べている。
「東洋の大都市の抗しがたい魅力は、急速なスピード感をもった
終わりなき変遷にある。こうした街は、生命をもつ有機体のように拍動し、
絶えず新しい居住者の需要に適合するよう変化を繰り返す。
非常に暗く、秘密めいていて、歴史に窒息させられそうになっている、
ヨーロッパの私たち自身の街とはまさに対極にある存在だ」。

日本人はその“暗く秘密めいた歴史の重厚な味わい”に魅かれて欧州に憧れたり
するわけで。。自分には無いDNAに魅かれあって異文化融合するのもまた一興だけど
かの御殿のデザインは、私にはなんだかお箸にご飯粒が所々こびりついちゃった図に
見えて仕方ないのだ(え、まさかそれも意図?!)…。


“生命をもつ有機体のように拍動する”都市といえば――

日曜に姉と行った六本木ヒルズ51F展望台からの眺望。
赤く蠢く首都高3号線がまるで、都市の血脈のように見えた。
タルコフスキーも『惑星ソラリス』のラストで、未来を象徴する画として
東京の首都高を使っていたっけ(ほんとは大阪万博を撮りたかったらしいが)。

日没直後の空には、ユニコーンの角のような東京タワーと
透け見える血潮ように赫い月。


モノクロームにして色彩の情報を消してみた。
blog用に落とした画像なので判りにくいが、レントゲン写真みたいに見える。
右手前の新国立美術館は 何かの生命体の卵のよう(故建築家に合掌)。
真っ黒な青山霊園に浮かび上がる 光のクロス。
新宿御苑も代々木公園も やはり真っ黒。
その向こうに 神宮外苑の絵画館、新宿の高層ビル群。

現都知事がTVで東京を「ゲロのような街」と称していたが、
夜闇は雪と一緒で、都市の穢れをそっと隠蔽する。
が、この煌々とした光輝にどれほどのエネルギーが消費されているのかと
思うと、このきらめきもまた、ある種の穢れなのかもしれないが。


展望台と同じフロアで開催していたMaxMaraのコート展も観覧。
工業製品とオートクチュールの概念を融合させたマックス・マーラ社の
創立55周年を記念し、同ブランドのアイコンであるコートにスポットを当てた
ユニークな回顧展だ。

アーカイブより門外不出だった1950年代から現代までのマックス・マーラの
コート約70点も「展示されており、まさに垂涎。50年前のビンテージコートも、
いますぐ着られるほどモダンかつシック。

『自転車泥棒』や『靴みがき』といったネオ・リアリスモの映画でも顕著だが、
イタリアは日本と同じく、敗戦後は赤貧に喘いでいたはず。
そんな戦後復興期に、あのようにエレガントで上質なコートを生み出していた
イタリアという国のお洒落魂には甚だ恐れいる。

時代と共に変遷するデザインや広告表現も興味深く、
襟や袖などを職人が巧みに裁断・縫製していくプロセスの紹介を見て
あの立体的なカッティングや美しいシルエットの秘密が少し解けた。


ひたすら歩き回った三連休。季節柄、クリスマスデコレーションは食傷するほど
観たが、私が一番反応したのは、これ。日本橋三越本店前のウィンドーに
浮かんでいたフライングキャット。

こんな感じで、東京上空を跳ね回れたらさぞかし楽しいだろうなぁ、と。
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柿の木になった月の実と乱歩

2007-11-12 00:11:32 | Luna もの思う月
            柿の小枝にちょうど三日月が。秋の窓辺の借景。
これはちょうど一カ月前のよく晴れた新月明けに撮影。今夜は曇っているので撮れそうにないが。。
本日、新月明け。ベッドサイドのつんどく本のひとつ「月の石」(トンマーゾ・ランドルフィ著)にでも
着手しようかな。

自分の名前にも「月」の字があるせいか
子供のころから、「月」にはとくべつな思いがある。

このブログタイトルの「ルナスービト」とは、私の仕事上の屋号でもあるが
本名の早月を、月=Luna、早=Subito とイタリア語にあてた造語だ。 

数年前、アッズーリの新鋭として未来を嘱望されながら、
その懲りない悪童っぷりでローマを追われるように去り、再びセリエAに舞い戻った今も、
ぶすぶすくすぶっている大好きなアントニオ・カッサーノ君が、二の腕にくっきり
“安東尼奥”(あんと~にお?!)というタトゥーを入れているのを見て爆笑したことがあるけれど、
ある意味、私の屋号も同じ穴のムジナというか・・・あんと~にお。

イタリアで「Luna Subito」と刷られた名刺を出すと、一瞬「は?」という顔をされる。
彼らには表意文字の感覚がないので、説明しても伝わりにくい。
でも、“安東尼奥”じゃないが、当て字の漢字やカタカナは大好きらしく
旅先で時々「俺の名前を日本語で書いてくれ」とねだる人がいて、
「マリオ」とか「魔狸男」とか書いてあげると、ものすごく喜んじゃってくれたりする。
(前に観た『かもめ食堂』でも似たようなシーンがあったっけ。舞台は北欧だけど)
くれぐれも、まんまタトゥーを彫らないことを祈ります。

話がそれたが、「月」。
「月」という字は三日月をかたどった象形文字として、文字そのものがひとつの画になっている。
その昔、「月」という字をデザインしたシルバーのペンダントヘッドをつくってもらったこともある。
「月」がつく言葉にも趣深いものが多い。「胸の月」「月夜烏」「月夜の蟹」…
仕事上欠かせない「推敲」の語源も「月下推敲」だったりする。

「Luna」が狂気に通じるというのは、古今東西よく引き合いに出されるネタ。
古典的ホラーからサイコサスペンスまで、恐怖映画の場面転換に満月の画というのもお決まり。
「さあ、ここからが見ものですぜ!」というお約束の記号なのだ。

たしかに、月には人のダークサイドを照射する“凄み”がある。
宵闇にぼっと浮かんだ満月と不意に目が遇い、その魔性の美貌に陶然とすることがある。
今夏出逢った満月にも、そんな“凄み”があった。

つい先日、NEWSで月の鮮明なクレーターの最新映像を観た。
クレーターには太陽光から常に死角になる一角があり、そこには氷が溜まっているかもしれないそう。
それを「永久日陰」と呼ぶのだとか(建築用語でもあるらしい)。
なんだか、「大暗室」とか「暗黒星」とか「陰獣」とか、江戸川乱歩の小説名みたいで、
そのネーミングがいたく気に入った。「永久日陰」。

乱歩の小説は、望遠鏡を逆さに覗いたような独特の視覚世界に支配されている。
そうした眩暈感覚を伴う乱歩ワールドは、月の光の幻惑感にひどく似ているように思う。
月光がフィルターとなって、リアルな世界がたちまち異界に変容する感覚。。
(むかし、卒論でもなんかこんなこと書いた記憶がある…)

ちなみに、乱歩は小学生の頃に夢中になってほぼ読破したのだが、
「大暗室」「押絵と旅する男」「パノラマ島奇談」「黒蜥蜴」「月と手袋」は、
その当時から不変の“永久好物”だったりする。
あの頃は、小林少年になりたかった!
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十五夜、そしてブログのデフォルト。

2007-10-27 03:04:29 | Luna もの思う月
東京はあいにくの雨。
十五夜も分厚い雲の向こうに一瞬、朦朧と透け視えただけ。
ちょっともの足りないので、過去の満月をアップ。

これは、今年8月1日の夜明けに出逢った珠玉の満月。正確には十六夜だったはず。
無数の絹糸のような月光に射抜かれ、不意にさららと涙が。

それは、いままで食べたことのない果実のような月だった。
思えば、この夏から秋も、奇妙な果実のような日々だった。
そういえば、ロバート・ワイアットの「Strange Fruit」を今夏よく聴いた。

金木犀の濃密な香りに包囲され、
しごとにあそびに忙しくしているうちに、まもなく11月。
あの満月からかれこれ100日近く経つ。なのに、
100日経っても、8月の満月の残像が、脳裏にくっきり。
100年経っても、それは煌々と発光し続けているのだろう。
100年経ったら、その意味わかる、と云ったのは
寺山修司(たしか『さらば箱舟』)と漱石(たぶん『夢十夜』の一夜目)。
どっちも十代の頃の記憶だから、少々あやしいが。。

まあいいや。とりあえず、デフォルトは満月から。
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