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オリーブ、二十世紀肖像、猿楽祭

2010-11-01 03:16:58 | Book 積読 濫読 耽読

ベランダから南天に向ってぼうぼう伸び放題だったオリーブの枝を思い切って剪定したら
伐った枝先にコロンと大粒のオリーブが2粒ばかりなっていた。
今年はならないなぁと諦めていただけに、むしょうにうれしい。
指でつまめるほどのささやかな緑の小宇宙――この実が人知れず つやつやぷくぷく
膨らんでいたであろう 初夏から晩秋の日々に思いを巡らす。

・・が、そんな悠長なことをしている間に、怒涛の年末モードにのまれつつある。
お陰でブログ更新がさらにさらに滞りがちに。。
(云いたいことがあり過ぎるがゆえになかなか書けないメールみたいなもの?<言い訳)

そんなわけで、11月の暖簾を潜りつつ、神無月をざっくりプレイバック。


一気に初冬めいた空気感になったが、つい2、3週間ほど前は
金木犀アロマがたいそう心地よい秋日和が続いた。
それは、都心が排気ガス臭から唯一逃れられる 貴重なひとときだ。
246沿いを歩いている時、満開の金木犀が香る垣根を見上げると、
メタリックな高層ビルのしじまに超然と佇むフクロウとミミズクが。
一瞬、『ブレードランナー』のタイレル社を彷彿。



夕暮の打ち合わせ帰り、雨上がりの代々木公園を歩いて帰る。
この季節は秋蟲たちのスティーブ・ライヒ的アンサンブルと
樹々の湿った息遣いが恐ろしく快い。
酷暑で青息吐息だった薔薇たちも、葉脈の上に
澄んだ甘露を湛えて「ふうぅ」と和んでいた。





この秋は打ち合わせや取材で代官山や恵比寿にビアンキでしばしば出没。
ライター稼業はうっかりすると運動不足になりがちなので、
近場はできるだけ自転車で動くことにしている。
机上でただじーっと考え込んでいるより、サイクリングとかお散歩とか適度な運動をした方が
リアルで胆力のある言葉が湧いてくるような気がするから。

恵比寿ガーデンプレイスの一角で、チャーミングなニットを纏ったベンチを見つけた。
(その時は少々暑くるしそうに見えたけど、あっという間にニットが恋しい季節に突入した)


恵比寿の東京都写真美術館で10月から始まった
「二十世紀肖像 全ての写真は、ポートレイトである」を取材した折には
寛大な広報担当者さんのはからいで、一人貸切状態で見せていただいた。
お仕事で書いている別のブログでも紹介したのだけど、
この企画展は写美ならではの秀逸なコレクションを贅沢に堪能できる絶好のチャンス。
毎度ながら、展示の編集も絶妙です。

膨大な作品の中でも 個人的に特に惹かれたのは、植田正治をはじめ、セバスチャン・サルガドの
[エチオピア(毛布にくるまる3人の子供)] 1984(左)や、須田一政 [秋田 湯沢] 1976(右)。
陽光に浮かび上がる毛布のケバ、陽を透かした夏帽子のツバ、そして図らずも
子供の印象深いカメラ目線。その圧倒的な瞳と光の力、もはや理屈じゃない。


島尾紳三 [生活 1980-1985より] 1980-85シリーズにも いたく惹かれた。
やはり子供のカメラ目線。猛烈なスピードでメタモルフォーゼしている子供の一瞬の瞳には、
「?」や「!」の銀河がきらっきら渦巻いている。



10月半ばの連休には ヒルサイドテラス一帯で開催された
「猿楽祭 代官山フェスティバル2010」を覗いてきた。



ヒルサイドテラスの間にひっそりと佇む「猿楽神社」は、古墳時代の円墳に立つお社。
そのこんもりした塚山が「猿楽塚」と呼ばれていたことから、代官山一帯の地名が
「猿楽町」になったらしい。千数百年以上も昔の名残が今も渋谷区にひっそり息づいているなんて
奇跡に近いことかもしれない。実際、この塚に足を踏み入れると、空気がまったく違う。



広場の出店を覗きつつ、ヒルサイドライブラリーにも立ち寄ってみた。


このブログでも何度か紹介しているけど、今夏ヒルサイドテラスで開催された
アレックス・モールトン自転車展をコンプリートした『モールトンBOOK』(スタジオトリコ発行)
ライブラリーに早速登場していた。素晴らしい本なので、ぜひ手にとってみてね。

このライブラリーの奥には、アーティストや文化人が選ぶ「私の10冊」というコーナーもある。
絞り込まれた10冊に、選んだ人の本質が垣間見えるようでとっても興味深い。
例えば、森山大道氏が選んでいた本のひとつは「アッジェ 巴里」。なんだか妙に納得する。


隈研吾氏は、10冊の中に自著『負ける建築』を選んでいた(左)。今年、隈さんの取材をした折には
『自然な建築』も気に入っていると仰っていた。どちらも非常に明快でラジカルな氏の傑作。
(10冊には選ばれていなかったけど、『新・都市論TOKYO』の隈さんの代官山論
「凶暴な熊に荒らされる運命のユートピア」も膝を打つ面白さ。必読)

敬愛する陣内秀信氏(右)が選んでいた芦原義信の『街並みの美学』『続・街並みの美学』は、
亡父が私に薦めてくれた本でもあり、私自身の愛読書でもある。うれしいシンクロニシティ。
以前、陣内さんに「世界中で一番好きな街は?」と伺った時、「南イタリアのチステルニーノ」と
即答されていたが、そのチステルニーノのこともこの本にはしっかり書いてある。


代官山の旧山手通には大使館が幾つか集中しているが、
いつも気になるのが、このデンマーク王国大使館のエントランス。

どう見ても秘密倶楽部のような怪しさ。駐日大使の趣味なのかなぁ?
麻布の中国大使館前のピリピリ張り詰めた物々しさなんかと比べると、同じ大使館でも別世界。


帰り、旧山手通沿いのカフェでカプチーノ休憩。西郷山公園に寄り道して帰る頃、
夕映えを呑みこんだインクブルーの空に、くりっとしたプチ三日月が見えた。



三日月が半月になり、オーリエさんとうちで夜通し映画鑑賞会したのを境に
仕事がごごっと密度を増してきた。その間隙を縫って先週末、ちづこさんたちと谷根千散策。
谷中のスカイバスハウスに向う途上、谷中墓地の中空に ふわっと発光する満月を目撃。
日々出くわす月の満ち欠けで、月日の素早さを思い知る。(谷根千散策日記は長くなるので次回に)

と、右は 谷中発祥の珈琲豆専門店「やなか珈琲」のビジュアルでもおなじみ本多廣美画伯の
版画 [薔薇と珈琲]。今夏、銀座のGKギャラリーで開催された本多さんの個展で心酔し、
先週、とうとううちに連れてきたのだ。円いテーブルに赤い薔薇と珈琲、円い窓に円い月。
何気ないけれど、モチーフが全部ツボ。恐ろしいほど幸福な瞬間の縮図。
画の前に立つと、つい微笑んでしまう。猫撫で声ならぬ、猫撫で顔とでもいうのかな。



追記。先日、レイちゃんの取材に便乗して下北沢散策した折、とあるカフェで売っていた
80年代のミュージックマガジン。背表紙に並んだ固有名詞の濃さにくらくら。。

例えば‘83年1月号は「坂本龍一/横浜銀蝿/三波春夫/ジャム/アラブ歌謡」って(゜o゜
懐かしいやら、恥しいやら、愛おしいやら。どこかに「Phew」の名前も見えた。
そうそう、Phewが今秋リリースしたオールカバーアルバム「FIVE FINGER DISCOUNT」は、
‘80年に出した坂本龍一プロデュース「終曲/うらはら」の水脈を思わせる怪作。
Thatness and Therenessのカバーを聴いていると 一寸気が遠くなる。
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