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ネイチャー・センス展、黒澤画コンテ、R70

2010-10-10 04:37:15 | Art

9月末、打ち合わせ帰りに恵比寿でオーリエさんと久々邂逅した折には
東京中の雲という雲が秋風に一掃され、ミニチュア模型のような東京が
ディテールまでくっりきりパキッと眼下に広がっていた。

が、10月頭に母と海抜250mの東京シティビューから見下ろした東京は
ミルキーホワイトな霧雨の海に首までたっぷり浸かっていた。
でもそれはそれでミスティックなあやなし眺め。


そんな中、森美術館で開催中の「ネイチャー・センス展 吉岡徳仁 篠田太郎、栗林隆」
母とみて来た。森羅万象を感知する潜在的な力=ネイチャー・センスを喚起させる
3人3様のインスタレーション、非常に冴えていた。
(ちなみに森美術館はフラッシュ&三脚さえ使わなければ写真撮影もOK)


のっけから、吉岡徳仁作品に引き込まれた。
吉岡徳仁「スノー」2010

雪のように舞うのは羽毛。アクリルに映る人影も、作品の一部と化している(左)。
写真のシルエットは母。母も私も雪国出身なので、雪にはことのほか深い思いがある。
雪は、昏く美しく恐ろしい。ふしぎなことに、この作品の雪はとても温かく感じられた。

同じく吉岡徳仁の「ウォーターフォール」(右)は、
外界との境界を美しく蕩けさせ、曖昧化する絶妙な作品。
素材はスペースシャトルにも使われている特殊ガラスなのだそう。
このガラスも、なぜか視覚的に温かく感じられた。


京都の東福寺にある重森三玲設計の庭「銀河」をモチーフにした篠田太郎の「銀河」(左)も、
凛と研ぎ澄まされた作品だった。天井から時折り注ぎ降る滴によって、
液面に星座が一瞬浮かび上がり、即座に消える。あの重森三玲の枯山水の宇宙観を
こんな風に解釈するなんて、心ふるえた。ただ、上から注ぐボトルが視界から見えないように
セッティングしてくれたら、もっとよかったような。

一番最後は、ジャンクな家具とネイチャー関連本(閲覧OK)がインスタレーションされた
「ネイチャー・ブックラウンジ」(右)。こんな図書館があったらいいのにな。

現代アートとかデザインとか、狭量なカテゴリーをしなやかに軽やかに超越して
新鮮に愉しめる企画展だった。 小雨降るなか 行ってよかったねー、と母娘でしみじみ。


先週は写美の学芸員さんと打ち合わせした後、仕事冥利でご招待いただいた
秀逸な企画展を幾つか堪能。一つは「オノデラユキ写真の迷宮へ」。

非常に深淵でコンセプチュアルなアプローチながら、インターフェイスがコマーシャルと見紛うほど
エレガントでスイート。それらのエレメントは、ガーリィともいえる。
でもパリ発のお洒落さんで終わっていないところが、この人の真髄。美しくて、深い。
初めてちゃんと対峙したけど、かなり好きになりました。

古着のポートレート 1994(左) Transvest 2009(右)

ピンクの背景にキッチュなオブジェ群が並ぶ12枚の連続写真は、
よく見ると、オブジェに紛れた中央の丸鏡にフォンテンブローの森が映っている。
一見スタジオ写真と見まごうが、実は森の中で撮影されていることを
“鏡像の森”が唯一証明している。この人のギミックはどこか痛快だ。

12 Speed 2008

同じく写美で10/11まで開催中の「黒澤明生誕100年記念画コンテ展 映画に捧ぐ」も観てきた。
昔、父に見せてもらった『影武者』の画コンテ集で、黒澤のただならぬ画才に驚愕したものだが
生でみると、さらに迫力。黒澤の脳内にはクランクイン前からパーフェクトな映像が
存在していたということだ。黒澤映画は捨カットが無く、1カット1カットの画作りの濃密さたるや
いちいち溜息ものだが、画コンテの段階で既に溜息ものの完成度だったわけだ。
会場をじっくり巡りながら、黒澤フリークだった亡父に、心の中で何度も話しかけた。
『乱』より
『影武者』より

『影武者』や『乱』で主役を務めた仲代達也のインタビューを、昨日たまたまスカパーで見たのだが
彼は『七人の侍』に通行人のエキストラで登場していたよう。監督からなかなかOKが出ず、
そのわずか3秒ほどのカットのために、スタッフ数百名で半日を費やしたという。。恐るべし、黒澤。
仲代氏いわく「役者は楽器。役柄に合わせ、声色も当然変える。役者は芸術家ではなく、芸人だから」
写美の会場には、F.F.コッポラとJ.ルーカスの“黒澤を語る”みたいな映像も流れており、
これもかなり興味深かった。特に『影武者』におけるコッポラの勝新太郎と仲代達也論、必聴です。



少し遡るけれど、銀座で開催していた「前衛★R70展」も拝見。赤瀬川源平、秋山祐徳太子、
吉野辰海などなど、70歳以上の前衛芸術家たちの“前衛”っぷりを、たっぷり堪能した。
池田龍雄に至っては、17歳で敗戦を迎えた80代の元特攻隊員。存在自体があるいみ“前衛”だ。
みなさん、全然枯れていない。悠々自適なアヴァンギャルド爺たち。恐るべし、R70。

その足で銀座ライオンへ。日本で初めて飛行機を操縦した女性・原野先生も、
元NHK大河ドラマのディレクター清水さんもやはり70代ながらへたなU30よりきらきらパワフル。
そういえば、清水さんのお父様は黒澤映画『野良犬』に刑事役で出演されていたっけ。
大好きな原野先生が喜寿を迎えた記念のお誕生日ケーキ、美味でした。
ちなみに 私の母も古希を過ぎているけれど、心身ともに劇的に若い。
足るを知るR70の在りようは、歳を経ることの豊かさを身を持って教えてくれる。



先週末、プチ取材かたがた代官山の西郷山公園へ。
ただでさえ香る金木犀のアロマが ここは一段と濃密だった。
加えて、所々にオシロイバナも満開で。拙宅のベランダにもあやのさんから分けていただいた
かわいらしいオシロイバナが楚々と咲いているけれど、公園のは もっと獰猛な咲き乱れ方だった。
日が高いうちは蕾だが、夕暮になるといつの間にか開花。ジャスミンのような香りを放って。


遊歩道を下っていくと、幼稚園の裏に猫さん。そっと近づくと、随分甘えん坊だった。
黄昏時には、方々にぽっと灯るように咲いている彼岸花の朱が一段と艶やかに見えた。




幾つか原稿を書かせていただいている熊野&南方熊楠特集の文芸誌『Kanon』vol.20 が発売に。
南方熊楠顕彰館の理事 田村義也氏の熊楠についてのインタビューは、私自身も目からウロコでした。
論旨が非常に鋭利かつ明快なので、熊楠初心者にも熊楠マニアにもおすすめ。
また、東大前の喫茶「こころ」でお話を伺った哲学者 内田節氏の森についてのお話も
たいへん興味深い内容です。お読みいただくと、ちょっと世界観が変わるかも。
「自分を捨てきれない人に“悲しきもの”を見る日本人の自然観」――実に奥深いです。
高橋大輔さんの写真集を撮りおろした斉藤ジンさんの熊野フォトにも吸い込まれます。




夏に代官山のヒルサイドフォーラムで開催されたモールトン自転車展の図録も遂に完成!
キムナオさんの撮りおろし写真も、キムリエさんの編集も、早川さんのデザインも完璧です。
私も幾つかのインタビュー記事などを書かせていただきました。
詳しくはスタジオトリコのモールトンBOOKサイトを要check!


書きたいことがまだまだあるけれど、長くなるのでまた追って――
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マン・レイ展、こころ、東大総合研究博物館

2010-08-22 08:51:58 | Art






黄金の唇、青いハート、眼球のオブジェ――
先日、新国立美術館でみてきた「マン・レイ展」の残像は、いかにも“マン・レイ”なのだが
今展のサブタイトルが「知られざる創作の秘密」だったことを、私は行くまでうっかり忘れていた。
そこでみたのは、私がよく知っていると思っていた写真家マン・レイとはまったく別の芸術家だった。
(*引用作品はマン・レイ展図録より)


遡ること、学生時代に観たマン・レイ展は、ポストカードになるような代表的写真が中心だった。
当時は、大辻清司先生の授業に触発されて写真を撮り始めたばかりだったので、マン・レイが好んだ
「ソラリゼーション」(モノクロ写真を現像する際、通常より過度の露光で白黒が反転する現象)や
「レイヨグラフ/フォトグラム」(カメラを用いず、印画紙上に直接物体を置いて感光させる表現)の
写真を1作1作穴があくほど眺め、最後は眩暈を覚えるほどへとへとになった記憶がある。
大人のためのアルファベット(レイヨグラフ1970)


これはパリ時代、マン・レイの愛人だったキキ・ド・モンパルナスを
モデルにした有名な実験フォト「黒と白」(1926)

現代なら、フォトショップで瞬時に加工できてしまうのかもしれないが、
もし現代にマン・レイが生きていたら、もっと凄い実験フォトを編み出していたのかもしれず。
芸術上の“実験”は、常に時代と共に存在価値じたいが変容していく。


ちなみにマン・レイが手がけた肖像写真は、キキをはじめ、ピカソ、ピカビア、サティ、
ジャコメッティなどなど時代の寵児ばかり。なぜかカメラ目線でないショットが多い。
あくまでも私見だが、アンリ=カルティエ・ブレッソンの肖像写真と比べると、
人物を瞬時にとらえるブレッソンの圧倒的な迫力に、マン・レイの肖像写真は遠く及ばない気がした。
まあ二人とも、時代も畑も違うのだけれど。


マン・レイは写真でも絵でも立体でも、しばしば「手」をモチーフにしている。
デッサンは、その人の“天才度”を最も端的に示すもの、と私は勝手に思っているのだが
彼の素描はひどく魅力的ながら、決して天才の域には届かない。
ただ、マン・レイの描く「手」にはどれも、不思議な生命力が宿っている。
手の習作(年代不詳)

マン・レイとマックス・エルンストによるフロッタージュ(1936)も非常に魅力的。
NYからパリに移って来た時代のマン・レイ作品の多くには、あたらしい勢いがある。



1920年代に、棄てられていたランプシェードをヒントに創ったオブジェ(当時、美術館のスタッフに
ゴミと間違われて棄てられてしまった……といういわくつきの作品)を、彼は1960年代に
「未解決の耳飾り」という名のアクセサリー作品としてリメイクしている。
ちなみに、「未解決の耳飾り」を着けて微笑んでいるのは、カトリーヌ・ドヌーヴ。

マン・レイは生涯を通じて、自作のリメイク作品を乱発するが、
それはミロやキリコが晩年に自作を模倣したようなアイデアの枯渇に起因するものではなく
常にオリジナルにこだわらず、スタイルに溺れず、人生が実験道場であり続けたマン・レイという
永遠のダダイストであり、永遠のシュルレアリストの“実験”の延長だったのかもしれない。


ピカソ同様、麗しきファム・ファタルたちとの蜜月と別離を多くの作品に転じてきたマン・レイだが、
彼の最後のミューズとなったのが、LA時代に出逢ったモデル、ジュリエット。

最後のコーナーには、ポップなサングラスをかけて、マン・レイの晩年を実に幸福な面持ちで語る
お婆さんになったジュリエットの秀逸なドキュメント映像が上映されていた(これ、必見)。
会場では他にも 20年代の実験映画「ひとで」「エマク・バキア」などが同時上映されていた。
高校時代に観て以来 内容はすっかり忘却の彼方だったのだが、改めて観るとひどく懐かしかった。


今回のマン・レイ展、もの凄くざっくり言ってしまうと、商業写真で稼ぐことをよしとせず、
一つのスタイルに拘泥することなく、アートとしての実験映像や絵画、立体作品などを模索し続けた
芸術家マン・レイの試行錯誤の足跡を体感できる絶好の企画と思った。
(ちなみに8/16まで併催していたオルセー美術館展は長蛇の列だったが、マン・レイ展はそんなに
混んでいなかった。ただ、作品保護のため会場が冷蔵庫並みに寒いので、薄着に注意です)



暮れなずむ生温かな夏の黄昏時、新国立美術館を後に、オーリエさんと六本木から恵比寿へ。
メトロの中で、キュートな眠り姫たちに遭遇した。2010年、終戦記念日前夜の平和な一瞬。

恵比寿の心地よいレストランで、畏友オーリエさんとささやかなお盆休みナイト。
実に一カ月以上ぶりのオフに、安息の乾杯。


マン・レイ展に触発され、帰宅してから不意に懐かしくなって学生時代の写真ファイルを探すと
あったあった、ソラリゼーションやレイヨグラフを試して遊んでいた頃の印画紙がわさわさと。
ベタ焼きに写っている当時の風景や友人たち、下手っぴなセルフポートレートに、しばしくらくら。。

自分でフィルムを現像したり、印画紙に焼いたりしたのは、結局この頃だけ。
デジタル化した今では、貴重な体験だったのかもしれない。
暗室の酸っぱいにおいが懐かしいな。。




残暑たけなわの先週半ば、本郷にある東大前の老舗喫茶店「こころ」にて、
40年間この店に通い続けているという哲学者 内田節先生のインタビュー。
創業55年のこのお店、名前の由来はもちろん漱石。
戦前はここに新宿中村屋本店があったのだとか。
店のご主人は、私が店内のステンドグラスを撮っていると、
「これ、東大の先生に描いてもらった贋物なのよ」と教えてくれた。



東大の赤煉瓦を臨む窓辺の席で 内田先生から伺った森のお話はとても深く印象的だった。
7月に取材した南方熊楠関連の記事と共に、9月発売の季刊誌「Kanon」の熊野特集に
掲載されるので、また追ってご紹介します。



取材後、少し暑さが和らいだので、東大の中を久々に散策。駒場といい、本郷といい、
旧前田公爵家阯はつくづく贅沢だなあ。内田祥三による図書館や医学部系の建物も存在感が違う。




「東京大学総合研究博物館」も東大の穴場だ。常設展「キュラトリアル・グラフィティ」に加え
「火星 ウソカラデタマコト」展と、「昆虫標本の世界」展も併催していたので寄り道。

エントランスにいきなりリアルなスカルがどーんと展示されており、それが妙にスタイリッシュだった。
大森貝塚から出土された土器の破片の展示も、アイウエイウエイのアート作品のような風情だし、
真っ赤な壁にずらりと並んだ人骨も、静謐なインスタレーションの如し。
考古学的な専門知識がないので恐縮だが、秀逸な展示デザインだけでも一見の価値あり。
ただ、骸骨にはやっぱり最後にそっと合掌してきました。


その奥の「火星」展もまたシャープな展示だった。
ちなみに火星人がいるという言説の源は、19世紀イタリアの天文学者スキャパレリが火星観察図に
「Canali(溝)」と書いたところ、仏語や英語に「Canal(運河)」と誤訳されてしまったことから、
「火星には運河を作るような高度な文明があるに違いない」という妄想に発展したのだとか。
非常に知的でクールな展示の中で、なぜか古典的なイカorタコ型宇宙人の模型が
ひたすらくるくる回っていたのに大変うけました(笑)



「昆虫標本の世界」展は、入口にいたスタッフが「蟻の標本、ぜひ見てくださいね。
ぱっと見ると何もないように見えるけど、よーーく見ると1mm以下の蟻がちゃんといますからね」と
悪戯っぽく教えてくれた通り、米粒に文字を書く芸に匹敵するほど細密な蟻標本に呆然。。

幼い頃、父が採取したオオムラサキを丁寧に標本にしているのを目の当たりにしたことがあるが
標本とは残酷な棺桶ではなく、生の形を永遠に留めておく魔法の箱なのだと その時理解した。
それにしても、かつてオオムラサキが世田谷区にも飛んでいたとは驚きだった。

しかし、蟻といい、骸骨といい、子供時代にはいずれも一番苦手だったものたち。
前者は映画『黒い絨毯』の、後者は手塚治虫の短編漫画によるトラウマなのだが、
実は今もスカルのデザインは大の苦手だし、蟻がうっかり手についたりすると悲鳴をあげてしまう。

けど、蝉は大好き。博物館の入口に、生きている蝉がいて少しほっとした。
といっても、もう飛び立つ力もなく、短い生をここでまっとうしようとしているようだった。
辺りに鳴り響く激しい蝉時雨の下で、この蝉に なぜだか ありがとう といいたくなった。




帰りに本郷通りで薬局前で今度はインコに遭遇。カゴの前にはなぜかペットボトル入りの
ペンペン草が供えてある。サトちゃんも含めたこの絶妙な配置、何かのインスタレーション?



帰途、「ルオー」の前を通ったら、つい寄り道したくなり、アイスクリーム休憩。
2階には私以外誰もおらず、ルオーの複製画のピエロだけが所在なさげに佇んでいた。


店を出る頃には頭上に夕暮が迫っていた。
まだ蒸し暑いのに、生温かな風からは うっすら秋の匂いがした。
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森村泰昌 なにものかへのレクイエム

2010-04-24 00:10:18 | Art

数日前、朝一取材に向う電車でうつらうつらしていると、
突如、ビー玉が勢いよく飛び込んでくるみたいに、
小学生の一群がキラキラ乗り込んできた。
「えんそく?」「うん、多摩動物園に行くの!」
あー 私も一緒に行きたいーー。ライオンバスに乗りたいー・・・



ぱたぱたしていてちょっと間が空いてしまったけど、まずは先日行った
「森村泰昌・なにものかへのレクイエム」@写美(東京都写真美術館)の感想をさくっと。
(余談ながら、バッグをロッカーに預ける際、指に挟んでいたチケットが天井の換気口にひらんと
巻き上げられ、あわや吸い込まれそうに。これを取り戻そうと「えいっ」と垂直ジャンプした瞬間、
折悪しくロッカールームにおじさま数名が入ってきて、何かのパフォーマンスかと勘違いされる・・)


20世紀を振り返るセルフポートレートをテーマにした今回の展覧会、
ポスターやチケットに使われたアイコンは、1945年に「TIME」誌に掲載された“決定的瞬間”の
換骨奪胎(あるいは擬態、引用、再現、寄生、侵入、陵辱、憑依、追体験、リミックス e.t.c…)。
戦争終結を祝して熱烈に接吻する水兵&ナースはもちろん、背景の群衆たちもすべて森村その人。
今回の森村展は、この作品のように報道写真を題材にしたものが私には図抜けて面白かった。


<なにものかへのレクイエム(ASANUMA 1 1960.10.12-2006.4.2)>2006年
1960年に浅沼社会党委員長を17歳の刺客 山口二矢が襲った決定的瞬間も
登場人物はすべて森村。わーお。同様の作品としては、ケネディを狙撃したオズワルドが
護送中に暗殺される瞬間のショットなどもあり。
「ぼくがやりたかったのは、あのテロの瞬間に手を触れる感覚です」by森村:美術手帖vol.62


「そこまでやるかっ!」と呆気にとられ、それが失笑、苦笑、脱力等々を経て、
やがて「快哉!」と化すのが森村ワールドの醍醐味(私にとっては)なのだが、
20世紀を象徴する決定的瞬間のただ中に入り込んだ今回の作品たちは、
今までの名画の登場人物や女優になりきった作品群とは決定的に異なる印象を受けた。
(今回は今までのように女ではなく、20世紀の男をテーマにしているということもあるが)




アインシュタイン、ガンジー、ゲバラ、毛沢東、ヒトラー(またはチャップリンの独裁者)…。
国籍も思想も超越し、いかなる20世紀のイコンにも森村は化ける。昭和天皇だって例外じゃない。
ヒトラーに至っては、大阪弁まじりのタモリ的いんちきドイツ語でアジる動画作品もあった。
鍵十字マークは「笑」という字をもじったロゴにするなど相変わらず芸も細かい。
自身の身体をメディアとした歴史への侵入。あらゆるイデオロギーの完膚なきまでの粉砕。




ダリ、イブ・クライン、ピカソ、ウォーホール、ジャクソン・ポロック、手塚治虫…。
20世紀のなみいるマエストロたちも、気がつけば森村ワールドの住人に。
ポロックのアクションペインティングショットの前では、たまらず噴き出してしまった。
ウォーホールはちょっとハズしたかな(笑)。映画「バスキア」でウォーホールを演じたD.ボウイより
似てない。まあ、この微妙に似ていないブレ感こそが、森村作品の真骨頂でもあるのだが。 


<創造の劇場/ヨーゼフ・ボイスとしての私>2010年
ヨーゼフ・ボイスに扮した森村の背景の黒板にびっしりしたためられているのは、
森村自身が5時間かけて書いた宮沢賢治のドイツ語訳詩らしい。
よく見ると随所に悪戯がしてあった。ぜひ探してみて。ちなみに美術手帖によると
森村は「言うたらなんやけど、ボイスより男前やねん(笑)」と発言していた模様。


展示会場前のCaféに掲げられた大スクリーンからは、三島由紀夫に扮した森村の檄が飛んでいた。
まさに「そこまでやるか!」の極致。唖然としたまま10分近い映像に見入り、
やがて脱力しながらも微笑している自分に気付く。ロケ地は今はなき市ヶ谷駐屯地にあらず@大阪。
森村がアジったのは、三島のような日本再建の決起にあらず、芸術上の決起。
ただし、衣装は実際の「盾の会」の制服を借りたらしい。

<烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)>2006年

大阪出身の森村は高2の頃に三島文学に開眼、大阪万博に沸く'70年、
三島の自決に万博など吹っ飛ぶほど影響を受けた。
西洋美術史をテーマにした作品を作り続けていた彼は
どうしたら日本に戻れるかを思案した時、真っ先に三島を思った。
ゆえに、20世紀の歴史に触れるシリーズ「なにものかのレクイエム」を
始める際、その出発点として、三島事件を選んだという。


ふと、去年犬島で見た柳幸典のインスタレーションを思い出した。
日本の近代化遺産である犬島精錬所の中に、日本の近代化の矛盾の象徴である
三島由紀夫をモチーフに配された柳のインスタレーションは、十代の頃から三島文学には別格の
領域を認めている私には、鳥肌が立つほど美しかった。犬島についての拙ブログはこちら


80年代半ば、ゴッホの自画像になりきった作品を発表し、'86ヴェネツィアビエンナーレでは
マネの笛吹く少年のセンセーショナルなパロディで現代アートの寵児となった森村泰昌。
当時、私はそれをアートというより、一発アイデア的なお笑いエンタテインメントとして享受していた。
が、たぶん私は誤解していたのだと思う。彼の方法論やコンセプトに拘泥する前にまず
彼自身の存在自体が理屈抜きに“ザ・アート”なのだということに気付いていなかった。
時を駆ける美術 (知恵の森文庫)
森村 泰昌
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「まあ、ええがな」のこころ
森村 泰昌
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時間、空間、文化、民族、国籍、ジェンダー、年齢、思想、主客、虚実e.t.c…
あらゆる差異を 自身の身体を通して解釈・超越していく森村アートが向う宇宙はこの先何処へ?
「そこまでやるかっ」と、また性懲りもなく呆気にとられる瞬間を期待してやまない。



今年はなにかと恵比寿にご縁があるような気がする。
一昨日も恵比寿ガーデンプレイス側のスタジオで終日取材だった。
晴れ渡った空に、群れなす鳥たちが見せる無限のアートにしばし見とれる。



今週、文芸季刊詩「Kanon」の取材で松岡正剛氏をインタビューした。
テーマは土門拳のライフワークだった「室生寺」。シブい。実に素敵にシブい。
森村アートに耽溺する間もなく、先週は土門拳&セイゴオをフルチャージ。
実は個人的に土門拳は敬遠ぎみだったので、思いがけず土門と真剣に向き合う絶好の機会となった。

松岡正剛氏が所長を務める編集工学研究所は、以前TVで見た通り、書物の迷宮に覆われた
至福の空間だった。編集の権威にお話を伺うのは恐れ多かったけれど 話の飛躍も流石の幅広さで
非常に興味深かった。(原稿にまとめるのはウルトラ高難度かもですが。。。がんばります!)



先々週、代々木上原で毎春期間限定で開催されているチュニジア雑貨「さらは」さんに
遊びに行ってきた。十数年前にローマから姉とショートトリップで訪れたチュニジアは
いつかきっとまた訪れたい国のひとつ。さらはさんで、クスクスのランチと一緒に
懐かしいチュニジアンティーをいただき、その思いをまた強くした。





先週末、拙宅にて、ライター仲間のちよさん、フォトグラファーのみっちゃん、
映画ライターのたがやさん、デザイナーのふくちゃんと共に、私のお宝DVDでもある
イタリア'60年代のお洒落おばか映画「女性上位時代」を堪能。友人たちと観るとまた違う発見があり、
超年齢的ガールズトークも含めてめちゃめちゃ楽しく、最後はちよさんと朝まで猫談義。

同じ日の夕方、ご学友ひだかが上原で体験取材した際に作ったというフラワーアレンジメントを持って
遊びに来てくれた。しばしほっこりお喋り。この日は折りしもちょうどニキの月命日。
ニキに素敵な花を捧げられてよかった。ひだか ありがとう!



寒暖差も 日々の営みも緩急はなはだしい4月は、空も心も照ったり降ったり。
今週は取材や打ち合わせが瞬間立て込んだせいか眠い。。。
でも昨日、キムリエさんとあれこれじっくり話して、いろんなことが腑に落ちてきた。



ベランダの植物を時々整えながら、土や緑に触れることで、
自分の中でふと蘇るものを感じる瞬間がある。

深呼吸。

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六本木アートナイト散歩

2010-03-29 01:07:30 | Art

夜空に月がふたつ。
「六本木アートナイト」でのできごと。


3/27土曜。日没後、ミッドタウンの桜の下にて、レイちゃん&ハカセと合流。
相変わらず肌寒い中、周囲には既にかなりの人垣ができていた。
ほどなく、桜並木の向こうから、巨大な“白い人たち”がふわりふわり登場――

人垣がすごすぎて足下を撮影できなかったのだけど、
彼らは竹馬のような花魁のぽっくりのようなかなり細長ーい上げ底状の足で
キリンのように二足歩行していた。


この“白いひとたち”こと、フランスのパフォーマンス集団「カンパニー・デ・キダム」の
パフォーマンス〈ハーバードの夢〉は、’97年以来、世界各国で披露されている演目だそう。

‘80年代、頭に大きな目玉マスクを被った目玉親父みたいな人々がタキシードで踊る
謎のパフォーマンス集団「ザ・レジデンツ」が来日して話題になったことがあったけど、
あのなんともいえない脱力系のノリにどこか似ているように感じた。

’80年代なら、恐らく「ブキミー!」といわれながら愛でられたであろう存在感。
大真面目なんだかふざけてんだか、アートなんだか大道芸なんだか…という微妙な臨界点がミソ。


彼らは妖しいバルーンオブジェがゆらめく芝生広場をしばし回遊。
そうこうするうち、巨大な頭部がやおら ぽわっと発光した。
すぐそばにいたお子さまが「ぴっかりん!ぴっかりん!」と大興奮。



頭部を時おり明滅させながら、月と東京タワーを背景にふわふわ踊る“白いひとたち”。
やがて、彼らの親玉のような大きな白い玉が、宙に向かってゆっくり放たれると
ベールを脱いだ白い親玉は、夜空を浮遊しながら もうひとつの月になっていった。

白いひとたちは、月の使者だったのかもしれない。



昨年から始まった「六本木アートナイト」は、国立新美術館、東京ミッドタウン、六本木ヒルズ、
森美術館などなど 界隈のアートトライアングルをつないだ一夜限りのオールナイトアート祭り。
気取ってスカした敷居の高いアートではなく、もっと卑近にアートを楽しもうという意図は
あえてキンアカチラシ的な看板やポスターなどのデザインからもむんむん伝わってくる。

メインデザイナーの北川一政氏いわく「スタイリッシュでソリッドで今っぽいシャレたものだけが
デザインなんだという概念や意識には、つねづね疑問を持っています」byアートナイト公式HP

私たちは 他の日でも観られる美術館などのハコモノにはあえて入らず、
この期間しかお目にかかれないものを中心にゆるゆる観て回った。


これはミッドタウンのキャノピー・スクエアにあった映像制作集団「WOW」の映像スカルプチャー。
巨大な円筒に投影された映像メタモルフォーゼに、なにげに見入ってしまった。
こういうのって案外退屈な場合があるけど、これはアイデアが濃密で見ていて飽きなかった。


左はミッドタウンOPEN3周年アニバーサリーの巨大ケーキオブジェにて
ポンチョの私とレイちゃん。 右は六本木ヒルズにいた巨大薔薇オブジェwith月。



左はヒルズ内で見つけた〈六本木の猫道〉というインタラクティブアートby浅野耕平。
実在する猫たちの映像が、ベンチや自転車の周りになにげなく点在していて、微笑ましい。
真ん中は市川 武史のインスタレーション〈オーロラ’10 Roppongi〉。昨夜たまたま
ノルウェーでオーロラを見た方の記事を書いていたので、なんとなく重ね合わせてしまう。

右は桜もいい感じに開いた毛利庭園。池にはチェ・ジョンファのキッチュな蓮〈ロータス〉が
時おり蠢いており、芝生にはBoConcept の真っ赤なロング・ソファにはべった人々が
ムカデのように連なっていた。庭園前は屋台が賑々しく並ぶ夜店状態で、北海道名物イカめしの
滋味深いアロマが一帯に濃厚に漂っていた。私たちもそれにつられて夜桜withイカめし(美味)。


アートナイトは全体にキッチュな印象だったが、
中でもアリーナは郊外の遊園地的様相を呈していた。
そしてここにも、イカめしアロマがしっかりと充満しているのだった。

真夜中以降は53Fの東京シティビューをオールナイトで開放していたので、
そこで夜明けを見る手もあったけど、よいこは早めに帰ることに(笑) 
松蔭浩之氏の最強キッチュ(とおぼしき)作品を体験できなかったことは心残りでしたが。

帰り、界隈の路肩でも幾つかキッチュオブジェに遭遇。
廃材の玩具を再構築して怪獣に仕立て上げた藤浩志の作品のディテールが面白かった。

しかし、背景がなんとも六本木だなあ。。



先週は随分と寒い日が多かったけど、
桜はめげずに着々と開花に向けてシゴトしてたらしい。
私もがんばろううー。
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Romantic Forever!内藤ルネ「かわいい」の源流

2010-02-10 03:10:15 | Art

ラヴもロマンティックも フォーエヴァーです。もう 臆面もなく。
予告通り、先週末行った内藤ルネ展「“ロマンティック”よ、永遠に」@大丸ミュージアムのお話。


中原淳一に心酔し、19歳のとき彼に招かれて上京し、「それいゆ」や「ジュニアそれいゆ」で
華々しく活躍した昭和7年生れ(私の父より1つ上)の内藤ルネ。本名は功。いさおさん。
ルネとは、憧れの映画監督ルネ・クレマンにちなんだペンネーム。

↑1959年

彼をいまだ女性と思っているファンもいるのだそう。確かに晩年の彼のポートレートは、
お婆さま以外のなにものでもない。しかも全身からラヴを発している老淑女にして、永遠のガールな。
アートの世界でゲイは珍しくないが、彼もトランスジェンダーな表現者のひとりだった。

↑ジュニアそれいゆ表紙1960年


会場には、ルネが「それいゆ」などで提案した手芸も再現されており、
そのかわいさにかなり萌えた(笑) 彼の作品に度々登場する黒猫モチーフも萌えポイント。
しかし、、彼の描く男子の髪型の多くは あろうことか角刈りやリーゼントや短髪系で、
長めの前髪が額にはらり系が好きな私としては残念ながらスルー。

左:それいゆ 1955年/右:それいゆ ジャズムードのれん 1958年


ルネは「私の部屋」や「服装」といった女性誌ではインテリアコラムも連載。
白塗りにした医療戸棚を流行らせるなど、’60年代 白い家具ブームの火付けとなった。
彼がデザインしたテーブルウエアの原型はヨーロピアンなものだが、
どこかファンシーになるのがルネ風。

1966年 ↑あ、これ、草間彌生作品じゃないので、念のため。。


ルネが「それいゆ」や「ジュニアそれいゆ」で活躍していた時代はさすがにリアルタイムでは
知らないけれど、'70年代のルネには馴染みがある。このパンダ貯金箱、確か姉が持ってた。
でも実はこのパンダキャラ、'70年代に日中国交回復でパンダブームが来る前に考案していたよう!

商品化される前の原画(右)にも、ファンタスティックな人柄がにじみ出ている。。。


でもって、このシール!! これは幼児期に姉におねだりしてもらった覚えが…。
'70年代少女だったひと、絶対これ持ってたでしょ?壁とかに貼ってお母さんに怒られてたでしょ?



そんなファンシーグッズで一世風靡する一方、こんなアンリ・ルソーの画のような、或いは
澁澤龍彦んちに飾ってある金子國義の画のような世界観の幻想絵画や絵本も手がけていたルネ。
1973年


図録も充実内容でした。裏はトレードマークの黒猫さん。


図録に収録されていた精神科医 香山リカ氏の文章(ルネ没後直後の2007年の朝日新聞記事)に
私の言いたいことが集約されているので、少々長くなるけれど、下記に要約引用します。

〈'50年代~'70年代のルネブームと最近のブームとでは、その意味合いがかなり違ってくる。
最初のルネブームのとき、日本の少女たちは自分の価値が「美しく、しとやか」ではなく、
「かわいく、元気」であることに気づいたが、あくまで本人たちの間だけにとどまっていた。
しかし今、未成熟で自由で元気な少女たちを描いたその作品世界は改めてアートや文化として
解釈されようとしている。’80年代半ば以降の日本を特徴づける「カワイイ文化」の
原形がここにあると考えられている。~中略~「カワイイ」には、成熟や責任を回避するという
マイナスの側面もあると同時に既成の価値観やヒエラルキーを無視して同じ土俵で「カワイイ/
カワイクナイ」という単一基準で格付けしようとするという 破壊的な力も秘められている〉

同じく図録に掲載されていた美術評論家・椹木野依氏の文章も
21世紀における内藤ルネの価値をもっとも簡潔に明言していると思うので、下記に引用します。

〈少女ポップにおいて戦前と戦後を、美術からサブカルチャーへ、サブカルチャーから
ネオポップへと円環させる回路を開いたのは、ほかでもない内藤ルネである。〉


たぶん、ルネの全盛期はまだ、「カワイイ」がイノセントだったのだ。
海外のブティックの店員までもが「カワイイネ」とカタコト日本語を操るようになるずっと前のこと。。



ルネ展の後、同じ大丸東京店の10アートギャラリーで、新進気鋭の画家 渡邉貴裕の
花札をテーマにした日本画展を開催していた。ローマと東京を拠点に活躍する彼の作品は、
卑俗なオリエンタリズムとは一線を画すパワーとエレガントさがある思った。


ルネ展も渡邉貴裕展も、今週で既に終了。あしからずです。。



ルネ展に行く前に、渋谷の喫茶店ParisにてNODE編集部の宮崎さんと打ち合わせ。
北風吹きすさぶ窓辺に並んだシクラメンやテーブルの上のカランコエの生真面目さが愛しい。



これは先日、目黒駅のお花やさんの軒先で見つけた生ガーベラ図鑑。
スリラー、ギャラクシー、スタスキー、ヌーベルヴァーグ、ミッドナイト、サガ、ウィズアウト・ユー…
ガーベラって、こんなにいろんなキャラがいたのね。



先月のニキの月命日に飾っていた薔薇が、とうとうこんなドライフラワーになった。
でもこれはこれで うつくしい。
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医学と芸術展、 木村伊兵衛とブレッソン展

2010-02-08 06:21:06 | Art

昨日はすごい突風が吹いていた。いろんな思いがびゅんびゅん飛んでいく。
自分ごと飛ばされないようにしないと。

先週はシゴト的には、ほっと一息だったので比較的ゆるゆる過ごした。
日曜はオーリエさんと幾つかの企画展を見て回った。
まずは「ミナ ペルホネン と トラフの新作/習作」@クラスカのギャラリー&ショップ ドー。



ファブリックはもちろん、リンゴみたいなコネクティングシェルフや、
温かな手触りのテーブルウエアまで、ミナの世界観そのままのインテリアがとても心地よかった。
ちなみに、クラスカの2Fはトップ写真のようにスカーンと何もないスタジオになっていた。
なんにもない空間というのは、実は奇妙なほど雄弁。勝手にいろんな思いがフラッシュバック。


クラスカを出て、今度は六本木の「G tokyo 2010」@森アーツセンターギャラリーへ。
アイコンになっていたのは、杉本博司《放電場128》ギャラリー小柳


東京の先鋭的な15のギャラリーが一堂に会すアートフェアゆえ、日本の現代アートの今をさくっと
俯瞰できて便利なのだが、各々まったく異質の尖り方をしているので、一気に見ると
ビュッフェ料理をてんこ盛りにして食べてしまったみたいに、少々胃もたれする。
個人的に印象に残ったのは、先述の杉本博司、タカ・イシイギャラリーの畠山直哉、
アラタニウラノの横山裕一でした。昨夏見た越後妻有トリエンナーレの「FUKUTAKE HOUSE」
(廃校になった学校の各教室がアジアの先鋭ギャラリーになっている)をちょっと思い出した。


せっかくなので、さらにその上にある森美術館で開催中(~2/28)の
「医学と芸術展 生命の愛と未来を探る」にも足をのばした。

もっとも身近かつ未知な身体を、〈医学と芸術〉〈科学と美〉という切り口で問いかけた
森美術館らしい野心的な企画展で、3部構成の第1部「身体の発見」では、
芸用解剖学の先駆的なダ・ヴィンチ(中央:頭蓋骨の習作15c)も、
円山応挙(右:波状白骨坐禅図18c)も、ウォーホールの描いた《心臓》も並列で見せていた。大胆!


第2部「病と死と闘い」では、アート作品と見まごうような奇天烈な医療装置や器具に並んで、
デミアン・ハーストや やなぎみわの作品が展示されていた。これまた独自解釈で大胆不敵。



ヴァルター・シェルス「ライフ・ビフォア・デス」2003-2005(↑)は
ホスピス患者の許可を得て、亡くなる直前の顔と亡くなった直後の顔を左右に並べた写真作品。
眠るような死顔のリアリズムに、しばしその場を動くことができなかった。
さらに、頭蓋骨を擦って描いたというフィリピン人作家の作品は、視覚より何よりその骨の匂いが
辺りに充満していて絶句した。凄絶な「メメント・モリ(死を想え)」。


第3部「永遠の生と愛に向かって」は(「未来館」の企画展みたいなネーミングかも?)は、
デカルトからF.ベーコン、ヤン・ファーブルなどなどが時空を超えて蒐集されており、
あまりにジャンルも解釈も超越的で面食らったが、全体的には非常に興味深かった。

最後の最後に、この企画展に多大な医学資料や美術作品を提供した英国のウエルカム財団の
コレクションを使って、あのクエイ・ブラザーズ(!)が作成した短編「ファントム・ミュージアム」
を上映していて、個人的にすごくうけた。


この作品は大好きなDVD「QUEY BROTHERS SHORT FILM COLLECTION」にも
収録されているのだけど、よもやあのマニアックな迷宮的映像と
ここで再会するとは ゆめゆめ思わなかった。


帰りに、マドラウンジでオーリエさんとゴハン。
ここのところ、彼女と深遠な会話をする機会が多い。

月はどっちに?


2月2日の朝、東京にほんのり雪がトッピングされたが、
翌日には全部消えてしまった。




日曜、「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン――東洋と西洋のまなざし」@写美の
最終日に滑り込み。2007年に竹橋の近代美術館でブレッソン展を見た時も最終日目前で
大混雑だったが、今回もかなりの混みようだった。でも彼らの写真と対峙していると
スーッとその世界に入り込んでしまうので、意外と気にならなかった。


木村伊兵衛(左:ブレッソン撮影)も、ブレッソン(右:木村伊兵衛撮影)も
非常に共通点が多いが、通常は見られないフィルムのベタ焼きも含め
あらためてふたりの作品とじっくり向き合ううちに、ふたりの足音が聞こえてきた。

伊兵衛の足音は「たたた、つつつ」、ブレッソンの足音は「ひたひたひた」。
木村伊兵衛の視点は、軽快な黒子を思わせ、
ブレッソンの視点は、流麗な透明人間のよう。


(左:浅草1953年/右:江東界隈 1953年 木村伊兵衛)



(上:セビーリャ、スペイン 1933年/下:イエール、フランス 1932年  ブレッソン)

伊兵衛の空間はブレッソンに比べると、快いゆるさがある。
ブレッソンの構図は伊兵衛に比べると、より絵画的な快さがある。
過去の写真展や写真集などで見知っている作品も多いのだが、
それでも、何度見ても、彼らの写真からは 写真の根源的な快さを感じる。


実は、恵比寿の写美に行く前日、
内藤ルネの「“ロマンティック”よ、永遠に」(~2/8)にも足を運んでいました。
この話は 次回に。
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NO MNA'S LAND 創造と破壊@旧仏大使館

2010-02-02 00:57:56 | Art
窓外に雪が舞っている。明朝、東京は白く浄化、あるいは白く糊塗されているのだろう。
ゆきぐにうまれゆえ雪に驚きはないけれど、東京が白く染まる風景にはやはり心ゆれる。
ただ、雪雲の奥にある満月に、今夜は逢えない。


今日は予告通り、先週末行った「NO NAN'S LAND」創造と破壊@旧フランス大使館の話を。
これはフランス大使館の建替え移転に伴い、1957年にジョゼフ・ベルモンが設計した旧庁舎を
内外のアーティストに全館隈なく開放したアヴァンギャルドなアート企画展。


作品数は(作品と呼べるか否かのキワモノも含め)実に膨大で、
3時間以上かけてじっくり周ったけど、果たして全部見られたのか否かは判らない。


まあ、あだこだ言うより、写真をざっと並べたほうが一目瞭然かと。
(個々の作品やディテールを語ってもあまりイミがないような気がしたので、
あえて作家名や作品名は挙げないことにしました)


天才も秀才も凡才も玉石混交。個々の作家や作品云々ではなく、
主役はあくまで取り壊し寸前の旧フランス大使館。既に廃虚化した空間は
時に先鋭的なギャラリーのようであり、時にサイコ映画の舞台のようでもあり、
まさに創造と破壊の獰猛なせめぎあい状態だった。
キモは各アーティスト(或いはその卵たち)が、この〈時空〉をどう解釈したか。


もちろんトイレ(中央)も例外なくキャンバスになっていた。
見学に来ていた女子高生も なんだかマイクロポップの作品のように見えてしまい。。



階段の一角に、ニキのふわふわ尻尾をデフォルメしたみたいな黒いファーの尻尾オブジェ(右)が
電動でぐるぐるぶんぶんうねっていて、極私的にちょっと萌えた(笑)



観客が思いつくままにフランスのイメージを書いた紙片が壁にびっしり貼られた「日本フランス屋」
という部屋があり、あるいみ最もイージーな手法なのかもしれないけど、シンプルに面白かった。

個人的には、おフランスといえば〈シニフィエー〉かな('80sなひとだなぁ..笑)

創造と破壊は2/18までです。ぜひ。
それじゃ、ボン ニュイー。


雪の夜、ひとひらの甘い夢を。
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2009年の終わりのファンタジー・ランドスケープ

2009-12-31 10:24:14 | Art

やっと年賀状のプリントが終わったー、とほくほく眺めていたら、全部「2009」って刷っていた!!
そんな愉快なサザエさんみたいな年の瀬。ここへ来て思わぬ忙しさに見舞われ、ぱたぱたと。。
一寸前に観に行った「ヴェルナー・パントン展」にあった柔らかなグロッタともいうべき
〈ファンタジー・ランドスケープ〉(1970)にでも こもって ぽーっとしたい気分。


けど、いまぽーっとしてると、来年に持ち越しになっちゃうので、
パントン展の感想を さくっと。
←パントンさん
パントンといえば、パントン チェアが有名だけど、
ヤコブセンのエッグ チェアをもっとラブリーにしたみたいな
このハートコーン(1958)のほうが私的にはツボ。


とはいえ、パントン チェアはやっぱり20世紀のエポック・メイキング。

去年、パントン チェアをネタに雑誌でコラムを書いた時もあらためて感じたのだが、
S字型チェアは数あれど、パントン チェアほど官能的なラインはないのではないかと。

たとえばこんな感じで、ヌーディなケイト・モスにもぴったり。



パントンが手がけたホテルやレストランなど商業施設の空間デザインも、
オーガニックなフォルムと色彩の洪水。さながら60~70年代のSF映画のセットの如し。

これはデンマークのヴァルナ・レストラン(1971)
キューブリックの映画とかに出てきそうな世界観。
現存していないのがつくづく残念!


ハンブルグのシュピーゲル出版社(1969)は、社屋まるごとパントン ワールド炸裂。
もう ここに就職したくなってしまうほど(笑)、どこもかしこもフォトジェニック。
特に惹かれるのが、この妖しいスイミング・プール。ここで思う存分背泳ぎしたいわ。



パントン展の会場の一角では、パントンのインタビューや作品を紹介した映像が上映されており、
そこには、バーバレラが寝転んでいそうな こんな波打った3Dカーペット(WAVE)が敷かれていた。
私も寝転んでみたら、うとうとしそうになるほど快適だった。
猫をいっぱいここに放ったらまたすてきな光景になりそう。
ニキならまず間違いなく爪とぎするだろうけど。



こちらは、二層の椅子(1973)に座るパントン夫妻。理想の2ショットだなあ。
実際に自分たちの作品に包まれた空間で暮らしていた夫妻は、
あるいみ誰よりも“パントマニア”だったわけで、
彼ら自身も家具(あるいは彫刻)の一部のように
しっくり溶け込んでいる。



上記でご紹介したパントン作品の写真は、すべてパントン展の図録より。
ちなみに図録にもパントン・チェアのミニチュアストラップがおまけに付いていました。




最後に、年の瀬に会ったたいせつな友人たちのことを。
先週はオーリエさんさんちにお邪魔してまいかさんと3人でお鍋。
彼女たちとはひたすら話が尽きないので当然オールナイト。朝になってもまだまだ元気な私たち(笑)

オーリエさんのお仕事で取材したRINKOさんの作品パンフレットも無事に完成!
これは私にとって非常に意義深いお仕事になった。


その翌々日は、レイちゃんたちとスリランカ通信の打ち上げ。
さらにクリスマス明けにはみっちゃんちで恒例のパーティ。相変わらずすごい人数。
ちよさん&さんぺいさん、レイちゃん&ハカセたちと美味しい手作り料理やワインをいただきながら、
わいわい楽しかった。途中、フィギュアスケートを真剣にTV観戦。みんな好きなのねー。


部屋に飾ってあったフォトグラファーみっちゃんの写真作品がすてきでした。
みんな帰った後もみっちゃんとお話していてまた夜明けに。。


その翌日、というかその日の夜には今度はふくちゃん&vonちゃんと渋谷でゴハン。
ノンストップな超年齢的ガールズトークがほんと楽しい。




さらに翌日には、キムリエさん、カッシー、レイちゃんと近所のアヒルストアでゴハン。
どの料理もさりげなく美味かつリーズナブルで、メニューの半分以上は頼んだような。。
このお店はワインリストがなく、お店にずらりと並んだボトルと
そこに下げられた手書きコメントを見て選ぶのだが、
コメントがなにげにおもしろいのだった。


この後、同じくご近所NEWPORTに流れ、さらにうちで朝までお喋り。一晩が短すぎるっ。


連ちゃんの最後は原宿で、今年よくお世話になった編集者のすぎえさん&みずもとさんとゴハン。
サンフランシスコ帰りのすぎえさんの旅話も興味深く、これまた話は尽きず。。


それにしても撮った写真がなんだかスイーツばかりだなあ。
まあ、日々甘い甘い気持ちだったということでしょう。
その間、年明けの超タイトな仕事スケジュールが発覚し、「ひゃ~」となっていたりもしたけど
なんとか大掃除ならぬ小掃除も済ませ、失敗した年賀状も2010年に刷り直した(笑)

部屋にもあちこち2010年のカレンダーを貼った。
これはデザイナーのおかじせんせいからいただいた恒例の卓上カレンダー。とても使いやすいのだ。


びっくりするほどいろんなことがあった2009年から2010年宇宙の旅へ。
2010年はどんな宇宙に飛び込んでいくのか。
わくわくするようなファンタジックなランドスケープが見えるといいな。
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シネフィル魂と新月のDARK BOX

2009-12-18 05:49:13 | Art

ぐっと冷え込みが増し、双子座流星群が降って、新月が明けた。
一寸のんびりしようかと思っていたのだけど、そうもいかないのがシワスの宿命。
そんな中、2つの展覧会へ。一つは戦後に数々の傑作映画ポスターを描いたGデザイナー野口久光の
「生誕100年記念 野口久光の世界 香り立つフランス映画ポスター」展@ニューオータニ美術館。

「大人は判ってくれない」(1959)のポスターも彼の代表作の一つ。
アントワーヌ・ドワネルことJ.P.レオーがセーターに貌を半分埋めたこの画は、
ヌーベル・ヴァーグの決定的なアイコンとなっている。
これを目にしたとたん、シネフィル魂がきゅんきゅん鼓舞される。

トリュフォー自身もこのポスターをいたくお気に入りで、
「二十歳の恋」にも登場させたほか、自室にも終生飾っていたらしい。

ちなみに、「大人は判ってくれない」の原題は、直訳すると「400発の殴打」。
邦題の方がベタだけど、多感な少年少女(かつてのも含めて)の心にぐさり刺さる言霊がある。
野口の手描き文字もたまらなく味わい深い。フランソワ・トリュフォーのクレジットの頭に
「鬼才」とわざわざ書き込んであるのもなんだか微笑ましい。



「禁じられた遊び」(1952)のポスターも野口作品。ポスターを見ただけでナルシソ・イエペスの
ギターが聴こえてくる。。私が映画好きになったのは、子供の頃に観たこの作品の影響が大きい。
何度も観たが、その度に父はラストシーンで眼鏡を外して涙をごしごし拭っていたっけ。



「いとこ同志」(1959)のポスターは、あえて色味を抑えた感じがいい。しかし当時の映画会社の
方針とは思うけど、「運命の非常…肉親のいとこを殺すか、自分の命を絶つか…
善良な心が選ぶものは?」など、ネタバレになる説明的口上がどのポスターにも見られて可笑しい。
しかし「いとこ同士」というと、ムーンライダーズの名アルバム「Nouvelle Vague」にある
同名曲が頭にぐるぐる巡る廻ってしかたがない。



「可愛い悪魔」のBBも、「ノートルダムのせむし男」のジーナ・ロロブリジーダも、
リアルな写真とはまたひと味違う品格が漂う。


雑誌の表紙も、この人の手にかかると、シンプルなのにどうしてこんな惹きつけられるのかな。
‘50年代に朝日新聞社から出ていたらしいバンビ・ブックの端整なオードリーさん(1957)に、
またまたワイルドなキネ旬表紙のBBさん(1961)。



「道」のジェルソミィナことジュリエッタ・マシーナや、
F.シナトラのアルバム ジャケットのさらっとした素描もいいなぁ。



川喜多かしこ夫妻がきりもりしていた東和商事時代の野口久光氏。彼の美校時代の映画ノートも
展示してあったが、タイトルやキャストも克明に書き出してあり、後のポスターに通じるような
見事なレタリングが随所に見られた。この人があれだけ魅力的な映画ポスターを次々と描けたのは、
何より映画を愛していたからに相違いない。器用で巧いだけじゃ こんなには愛されない。

*上記の野口久光の作品・肖像はすべて「野口久光の世界展」図録より。

帰り、赤プリ(言い方がバブルっぽいかも…。今はグランドプリンスホテル赤坂っていうらしい)の
窓にクリスマスツリーが浮かんでいた。緑や赤の部屋は、中からはどう見えるのかな?





日曜、「河口龍夫展 言葉・時間・生命」が最終日であることにはたと気づき
慌てて竹橋の東京国立近代美術館へ。

ポスターやチラシに採り上げられた「関係-蓮の時・3000年の夢」(1994年作)は、
縄文遺跡から出土した蓮の種が発芽したというニュースに触発された作品のひとつ。
鉛で封じ込められた蓮の種がベッドに人型の空間を形成しており、
3000年の眠りに就いていた蓮のメタファーとなっている。


河口先生には、筑波時代に幾つか授業を受けたことがあり、中でも「遊戯装置」という名の授業は、
課題制作こそ大変だったが、とても触発された。今も当時の命題について思いを巡らすことがある。
学生時代には意味が解らなかった命題が、今頃になって作動しているというか。
あるいは、その時に蒔かれた種が、知らぬ間に自分のなかで育っていたというか。

「DARK BOX」1975~

「真っ暗な中で、鉄の箱を開け、闇の中でその蓋を再び閉じてボトルで締める。つまり、その箱の
中は、物理的には空っぽだけど、その瞬間の“闇”が封印されているわけです」
――授業で河口先生がこの作品について語ってくれた時、すごくわくわくした。
これらの箱は、寓話的でロマンティックな闇の儀式の記録なのだ。儀式は定期的に続いていたようで、
美術館で密閉されたという2009年のDARK BOXのお隣には、2010年や3000年の闇を入れるための
BOXまで用意されていた。年代物の“ヴィンテージ闇”と“未来の闇”のための箱が整然と並んだ
インスタレーションに やっぱりわくわくしてしまった。


「関係-無関係・立ち枯れのひまわり」1998

カリカリに枯れ、種子の零れたたひまわりが、棺のように収まっている。
生と死を包括した匣とでもいうべきか。それが奇妙に美しい。

ふと、真夏に逝った親友のことを思い出した。彼女の棺に、その時うちに咲いていたひまわりを
切って供えようと思ったのだが、夏を謳歌しているひまわりの命をまっとうさせたくて
思い留まったのだ。来年、久々にまたひまわりを植えよう、と思った。


左:「ラベンダーのプール」2009  ほのかにラベンダーが香る水面に浮かんでいるのは、
鉛に包まれたラベンダーの種子。私は部屋で毎日ラベンダーの精油を焚いているものだから
このプールのラベンダー臭では物足りなかったが、ラベンダーマニアのツボを突く作品かも。
右:「7000粒の命」2009  これもすべて鉛で包まれた蓮の種子。奥にいるのは河口先生。
この種がすべて開花した図を想像すると壮観。一粒一粒がとても愛しく思えた。


*上記の河口龍夫作品の写真はすべて会場図録・チラシより。


先週末からずっと家で電話取材しながらひたすら原稿を書いていたので、
シチューとかポトフとかじっくりコトコト煮込んでは あったまっている。
材料や調味料の量はいつもながら適当。たいていハーブどっさり具だくさん。玉葱あまあま。




一昨日、新月の“闇”を、ベランダのオリーブやグミの樹越しにぱちり。
カメラ(camera)とはラテン語で「部屋」を意味し、写真機をカメラというのは、
素描用の光学装置「カメラ・オブスクラ(camera obscura)=暗い部屋」に由来するが、
真っ暗な部屋に吸い込まれた、真っ暗な夜闇は、「DARK BOX」の中身のようでもあり。


写真には写りそこねたけれど、
ほんとうはここに、美しい星がきらきら瞬いていた。
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文士とカストリ-林忠彦写真展

2009-12-10 05:32:24 | Art
むかしむかし中学2年の時、国語のM先生に呼び出された。すごく怖いことで有名な先生に。
放課後、誰もいない教室におずおず入っていくと、先生に1冊の文庫本を手渡された。
「これを読んで感想文書いてみないか」「え、宿題…ですか?」
「いや、おれが読んでみたいだけだ。自分が書きたいことを好きに書いていいから」
――文庫本のタイトルは『人間失格』。そのようにして、14歳の私は太宰と出会った。

いわゆる太宰の“はしか”に罹ったのはもう少し先の高校1,2年の時。とりわけ『晩年』が好きだった。
今年は太宰の生誕100年とかで、太宰の写真をしばしば目にする。
中でも有名なのが、銀座のBARルパンで1946年に撮られたこの写真。撮影したのは、
まだ駆け出しだった林忠彦。「俺も撮れよ。織田作ばかり撮って」と酔っ払った太宰にせがまれ、
林は引きで撮るため、バーのトイレから便器に跨って撮ったという。
太宰が椅子に無造作の載せている足には、妻が購入したという47円の配給靴。
煙草を挟んだ繊細な指が妙に印象的だ。太宰はこの約1年半後に 逝った。

林忠彦は、数十年経てなおこの写真が代表作といわれることについて、
写される側の力がいかに強いかを物語る一枚であると述べている。

先日、そんな林忠彦の写真展「新宿・時代の貌-カストリ時代・文士の時代」
@新宿歴史博物館に行ってきた(~12/19)。
これは林忠彦その人(右)だが、本人もただならぬ存在感。
いつも着こなしが贅沢でダンディだった、と植田正治が証言していたが、まさに。


しかしただならぬ存在感といえば、林忠彦の撮った坂口安吾と檀一雄は唖然とするほど凄い。
くちゃくちゃにまるめられた原稿の渦、万年床、山盛りの灰皿、破れた襖、澄んだ眼光―――
まさに“ザ・無頼派文士”。この圧倒的なリアリズムがかえって、
漫画的にカリカチュア化されているようにさえ見える。

安吾の仕事場は妻にも見せたことがなかったらしい。掃き溜めのような聖域に思いがけず踏み込み、
こんな風にきりとってしまう感性。撮るほうも撮られるほうも、やっぱりただものじゃない。
堕落・安吾も火宅・檀一雄もやっぱりだいすきな作家。決して一緒に暮らしたくはないけれど(笑)


こちらは、もはや妖怪のようにも見える内田百。小鳥を愛でる貌がなぜか苦悶系。
百と同じく猫好きな大佛次郎も林忠彦はよく撮っており「作家の中で一番ダンディだった」
と評している。部屋の散らかり具合も安吾や檀一雄と比べると、どこかエレガントだったりする。



佐藤春夫は十代の頃に読んだ「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」が何やら退屈で、それきりだったけれど、
彼は太宰や檀一雄にも慕われていた人物。林忠彦いわく、佐藤春夫のことを
「暗闇から出てきたキリンのよう」と評し、邸を「江戸川乱歩の探偵物に出てきそう」と例えている。
確かに写真からは、江戸川乱歩作品に迷い込んだような異様な妖気が。。



「僕が撮ったなかで一番難しい顔の持ち主だった。名声にまだ顔がついていかなかった
といえばいいのか」と林忠彦にいわしめたのは、三島由紀夫。
「もし背伸びしないですむような肉体を持っていたら、ああいう自決の最期も
起きなかったんじゃないか」という見解には、実は私も同感だったりする。



ひとの貌というのは、生まれついての造作より、どう生きてきて、今どう生きているか、が
逃げ隠れできないほど刻印されるものなのだと思う。特に慧眼のフォトグラファーの前では、
どんなに繕おうと、培われた佇まいと瞳の光輝に、虚実のすべてが写りこんでしまうように思うのだ。


文士のポートレートと同時期、戦後の粗悪な安酒を象徴するカストリ時代の写真にも
林忠彦独自の視点が宿っている。1946年、三宅坂の参謀本部跡で撮った「犬を背負う子供たち」に
ついて林は「自分の食いものもろくにないというときに、イヌにたべものを分けてやっている。
こういう優しさを持った子供がいれば、将来の日本はまだ大丈夫だと気を強くした」と述べている。

1947年に高田馬場で撮った「焼け跡の母子」も、やや傾いだアングルに「初戀とは~」の殴り書きと
途方にくれたような母子の後姿が、ネオリアリスモ映画のワンシーンのように強烈な印象を残す。

(以上、林忠彦の写真と「」内の林忠彦コメント引用文はすべて同展の図録より)

新宿歴史博物館の地下展示室の入口には、太宰と記念撮影できるフォトスポットも設けられていた。
一人でじーっと見ていた私に、スタッフのおじいさまが飛んできて「お撮りましょうか?」と
声をかけてくれたけど、もう17歳のはしか娘じゃないので、丁重にお断りしました(笑)


外に出るとすっかり真っ暗になっていた。新宿歴史博物館の向かいの建物の壁一面が
紅く色づいた蔦でびっしり覆われており、暗闇に灯った無数の焔のように見えた。




先週はプチ忘年会的な集まりが幾つか。
週半ば、13年ぶりに復活したという表参道のイルミネーションを縫って
青山のAWkitchen figliaでデザイナーのシンシマさんやまいかさんたちとゴハン。
美味しいイタリア料理を食べるとほんと元気になる。




週末はユミさん&セージさんご夫婦のラグジュアリーなおうちへ。
ここで会う方々はみんな面白い人ばかり。左写真の手前のpucci帽の方は敬愛するオーリエさん。
ユミさんもオーリエさんと同じくインテリアデザインのプロなので、空間もしつらえも心憎いほど
心地よい。ファッションデザイナーのセージさんのドレス作品も初めて拝見。素敵でした。




そして日曜午後は、ちよさん宅でお鍋。ますます猫娘なこなみちゃんにもいっぱい遊んでもらった。
映画ライターたがや女史セレクト抱腹絶倒シネマDVDもあれこれたっぷり観賞。
その感想は長くなりそうなので、追って書きます。


帰りに、ちよさん&みっちゃんの韓国取材みやげのカラフルなお菓子をいただいたので、
翌日さっそくおやつに。穀類の素朴な味わいで、甘さも上品。ごちそうさまでした!

ちなみにこの蓮の葉皿は、盟友えとさんの誕生日プレゼントに選んだものだけど、
あまりに気に入って自分用にももう1枚連れてきてしまったのだ(去年も確かそうだった。。)


こちらはシンシマさんが先日みんなにプレゼントしてくれたBABBIの
BUON NATALE (イタリア語でMerry Christmas) チョコ。おしゃれ&ドルチッシモ!



と、これは最近、近所にオープンした成城石井で見つけた和三盆糖のポルポローネ。
コーヒーと好相性。パープルの蝶の器はレイちゃんにいただいた北欧もの。どっちもお気に入りです。


でもって、こちらは昨日ひだかから届いた贈りもの。シックな古布に付いた猫のひとのブローチと、
彼女の知り合いのカメラマンさんが作ったという在来野菜のタネテヌグイbyかまわぬ。
たまたま昨夜、仕事で加賀野菜や江戸東京野菜などの伝統野菜について書いていたので奇遇!




幾つか原稿を書かせていただいているNODE最新号が発売になりました。
10月末に取材した布施英利さんのアイウエアにまつわるインタビューも面白いのでぜひ。
いわく、「土門拳の写真集『風貌』の中には、壊れた眼鏡の縁をテープで無造作に留めた
細菌学者・志賀潔のアップがあるが、外見など気にしない強さはまさに格好良さの極致」と仰っており、
先の林忠彦の撮った文士たちのポートレートにも通じるものがあると思った。

しかし、布施さんはあらためて藤田嗣治そっくり。そういえばこの時、芸大の授業で使うためとかで
レプリカ骸骨パーツを鞄いっぱいお持ちで、「いま職務質問されたら大変」と仰ってました(笑)



昨日、赤く膨らみつつあったシャコバサボテン(クリスマスカクタス)の蕾が遂に開花!
7年前、取材の帰りに、寒風の中で命の灯火のように赤々と咲き誇っていたこの花に目を奪われ、
思わず連れてきて以来、毎年クリスマスシーズンになると律儀に咲く、というか灯る。
そう、この花を見つけたのは、父が亡くなる前夜だった。


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旅する写真

2009-11-28 09:43:51 | Art
いつか南イタリアのマテーラで逢ったバンビーナ。カリーナだったか、はたまたナタリーナだったか。
彼女は風に向かって何か語りかけていた。歳を訊いたら、かわいい指を4本立ててみせた。
今ごろは美しいシニョリーナになっているだろうな。

これはうちに飾ってある写真のひとつだが、
思いがけず撮った旅の写真って、何年経って見ても 心ときめく。
絵葉書みたいなただただきれいなショットより、旅先で出逢った心震わす存在に向かって、
夢中でシャッターを切ったショットに惹かれる。それが自分の写真であれ、誰の写真であれ。


日曜、「旅」をテーマにした写真展の第3部「異邦へ」を見に、写美(東京都写真美術館)へ。
(夏に第2部を見た感想はこちらをお読みください)
ポスターになっていたのは、渡辺義雄が1956年に撮った[イタリア]シリーズのひとつ、
フィレンツェのウッフィツィ美術館にあるミケランジェロのダビテ像ショット。

日本人写真家が海外で撮った写真を集めた今展は、世界中の観光客がカメラを向ける
エキゾチズムの対象を、名匠たちがどう料理してきたのかが私的見どころだった。


これは理屈抜きで好きだった作品のひとつ。
木村伊兵衛の「パリ・霧のメニール モンタン」1954年

初の海外旅行で、しかもブレッソンやドアノーの洗礼を受けたとはいえ、
人物を決定的に活写した木村伊兵衛の天才ぶりを垣間見るに十分なショットではないかと思う。


奈良原一高の[静止した時間]シリーズは、非常にシュルレアリスティック。
特に左は、フォトジェニックゆえに審美的敷居も高いヴェネツィアを切り撮った
アートとして、恐ろしく切れ味鋭い。



先ほどの渡辺義雄の[イタリア]シリーズの中で、最も惹かれたのがこの作品「サルデーニア」。
白と黒にくっきり分断された南イタリアの光と陰。こちらに注がれた女性の眼差しに射抜かれる。


同[イタリア]より。サン・ピエトロ寺院前の大通りを行く修道女3人の黒い衣のバランスが絶妙。


これも渡辺義雄の[イタリア]シリーズなのだが、こちらは図らずも典型的なローマ絵葉書的ショット。
ローマの名所でカメラを向けると、フォトジェニックゆえに誰しも撮ってしまう絵柄というか。
右はサン・ピエトロ寺院の中のバロックな螺旋階段。左はエウルの四角いコロッセオこと労働文明館。



↑ちなみに、右は うちの本棚に長らくたてかけてある自分で撮ったサン・ピエトロ寺院 の螺旋。
左は姉に撮ってもらったスナップ(下方に豆粒のような私..)。
オムニバス映画『ボッカチオ’70』で、フェリーニはこの四角いコロッセオに
ゴジラみたいに巨大化した妖艶なアニタ・エクバーグを絡めていたっけ。。


展示の最後にあった、港千尋の「バスク海岸、ビアリッツ」1986年

海はそもそもフォトジェニックな存在だけれど、凡百の海ショット以上の圧倒的な海の存在感を
焼きつけることは、実はとてつもなく難しいと思う。撮る側が小さいと、確実に負けてしまうから。
自称トラヴェリング・フォトグラファーこと港千尋のノルマンディー上陸作戦の海岸を撮ったこの1枚は
見る者を吸い込むような力がある。商業的な海写真に毒されていると、よけいに新鮮。

(と、毎度 終了してしまった企画展の話ばかりで恐縮です。。)


写美を出ると、ガーデンプレイスの一角に植えられたオリーブの樹にどっさり実がなっていた。
いいなあ&おいしそう。。うちのオリーブは、ぼうぼう枝が伸びるばかりで今年は結実しなかった。。


とはいえ うちのベランダの枇杷の木が、10年目にして初開花! 秋冬に咲く珍しい花。
枇杷に絡んだ季節外れの朝顔に触発されたのかな。来年こそ枇杷の実がなるとうれしいな。




先週末、弟の竜が研究会のついでにうちに来ていたので、中国通の竜おすすめの
西池袋ディープチャイナエリアにある中国東北地方の家庭料理店に足を延ばした。
竜から聞いていた通り、客もメニューも雰囲気も完全に中国。しかも身体に優しい味。
かつて北京留学中の竜と方々を巡ったことを懐かしく思い出した。
あれから約10年、中国は劇的に変わっている。

これは今年9月に竜が北京旅行中に撮影したスナップ。

右はレム・コールハースがデザインした中国中央電視台の新社屋。左はマンダリン・オリエンタル
…といいたいところだけど、今年2月に炎上してしまった後の残骸(高さ160m!)。
火災原因は花火だったらしいが、国慶節には懲りずに花火をばんばん打ち上げていたよう。
昔もいまも、かの国の人たちは、面くらうほどいきものとしてたくましい。

国慶節の練習用に打ち上げられた花火を 竜が激写。よく見ると、逆さスマイル!



火曜、乃木坂の仏料理店で対談取材後、ミッドタウンに寄り道。クリスマスデコレーションの
華やかさに比して、平日だからか人影もまばら。サンタの方がいっぱいいたかも。。
右下は写美の帰りに通ったガーデンプレイス。どこもLEDはきらきらだけど、不況の影は深い。





木曜、レイちゃんのお誘いで木彫刻師 岩崎努さんの個展を見に銀座の『サロン・ド・バーグレー』へ。
ここはオーダーメイドでお洋服を作ってくれるサロンなのだが、今回は期間ギャラリーとして開放。
作家さん自らが作業する姿も見られて面白かった。いろんな木を使っているそうで、サロン内にも
ほんのり心地よい木の香りが。私が特に気に入ったのは、この兎の彫刻。作家の岩崎さんいわく、
こんな風にむくむくの毛の量感や質感を表現する方法を「毛彫り」というそう。恐るべし、けぼり!


帰りにレイちゃん&山川さんとゴハン。VMDのプロ山川さんは最近靴作りも学んでいるそうで、
靴の皮革で手帖カバーも手作りしているのだとか。受注販売もするそうなので、
愛用のクオ・ヴァディスのレザーカバーを早速お願いしてみた。

↑山川さん手作りの上質レザーでできた手帖カバー。彼女のネイルもシックでした。



先週、ニキの1年半目の月命日にと挿していた白い百合が、10日も経つのにみずみずしく、
しかも1本から6輪も開花。残り2つの蕾も着実に膨らんでいる。濃く澄んだ香りに記憶がそよめく。
7年前の11月、父が逝ったときにも濃密に香っていた百合の芳香。


漱石の「夢十夜」の第一夜には、白百合の印象的な夢のラストシーンがある。
女の墓の側で百年待った男の鼻先に「骨にこたえるほど」匂う真っ白な百合が咲くのだ。

金井田英津子 画のパロル舎刊「夢十夜」より
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大地の芸術祭2009 @越後妻有 ②とどのつまり編

2009-09-04 00:03:12 | Art
大地の芸術祭2日目は、雨上がりのしっとり澄んだ空気の中、また方々の里山をうねうね。
眼下に臨める絶妙なフォルムの棚田は、ともすれば路傍に設置された作品よりもアートだったりする。
最初にこれを切り拓いた先人の労苦と執念には頭が下がるが、近年は高齢過疎化で後継者も絶え、
過去35年で500ha以上もの棚田が放棄されてしまったという。先人はどんな気持ちだろうか。
(担い手のいなくなった棚田の維持を支援する棚田バンクなるものもあるよう)



朝、松之山温泉から松代方面に向かう途上、浅葉克己がテキストデザインをした
ジョン・クルメリングの大看板「ステップ イン プラン」が見えた。よじ登って遊んでもいいらしい。
ちなみに’09芸術祭のポスターやチラシ、お土産Tシャツなどのデザインもby浅葉克己。

道すがら、朝顔の弦を美しく這わせた民家を見つけた。先日インタビューした日比野克彦氏の
“朝顔プロジェクト”も妻有が発祥。この家にも その種子が伝播しているのかもしれない。


☆空家プロジェクト

この日最初に訪れたのは、蓬平集落の一角にある古民家「繭の家」。
「繭の家 養蚕プロジェクト」by古巻和芳 + 夜工房)


1階には繭や養蚕に関わる器具などが展示。ぎしぎしきしむ階段を上ると、
2階の暗い室内に響く雨降りのような音とともに、不思議な世界が蠢いていた。


雨音のように聴こえたのは、実は1万匹の蚕が桑の葉を食む音を収録したものなのだとか!
作品名は「夜半の雨」。かつてこの地で盛んだった養蚕を営む農家では、夜半にしんと寝静まると
飼っている蚕たちが桑を食む音がまるで雨音のように家中に響いていたそう。
この作品は蚕たちの音に連動して 無数の繭がほのほの明滅する。
それは生命のたしかな記憶であり、集落から失われていくものたちへの鎮魂に思えた。


その傍らの床には、「雲の切れ間から」と題された小箱がぽつんと。
蓋を開けて中を覗くと、眼下に真綿の雪に覆われた蓬平集落のジオラマが。
白く発光する繭が置かれた所はかつて養蚕農家だった家々とか。
4年前に他界したこの家の主が天から故郷を眺めているイメージだそう。

雪国のお伽幻想をそっと垣間見るような 心ふるえる作品。

作家の古巻さんに直接いろいろお話を伺えたのもよかった。
(実はこのとき彼が作家本人と気づいていなかった私ですが。。)
1万匹の蚕というと、そのグロテスクな情景にちょっと尻込みするが、古巻さんいわく
「蚕ってね、掌に載せると大福餅みたいにひんやり柔らかくって気持ちいいんですよ」
大福、ですか…


蚕が桑を食む音が収録された「桑の葉を揺らす雨」も販売していたので迷わず連れて帰った。
なんとCDが蓬平産の真綿袋で包まれている! 触れるとふわっと滑らかで温かい。
夜半に静かな部屋で聴くと、やわらかな“雨音”がくせになる。。


「繭の家」では傍らの畑に桑を植え、かつての養蚕経験者の協力で蚕を育成し、
件のCDのような繭グッズも集落の人々と協働で作っている。
単に作品設置の場としてのみならず、温かな交流の拠点として会期後も運営される予定という。
埋もれていく集落の記憶を呼び覚まし、場と人の新たな関係性を紡いでいく作品のありように、
いたく心動かされた。越後妻有に行ったら、ここはハズせません。


この後もうねうねした小道を巡りながら空家プロジェクトを幾つか見学。
右はフィンランドの作家マーリア・ヴィルッカラの「TIRA MI SU3私を引き上げて―どうにかして」。
かつての住人が残していったものを取り込んだインスタレーションは他作品でも見受けられたが、
残されたモノそのそれ自体の存在感を、作家個々の解釈で浮き彫りにしていて興味深かった。

                   ↑この日立のキドカラーのTV、子供の頃うちにもあったなー。


こちらは今年のヴェネツィアビエンナーレ仏代表のクロード・レヴェックの少々ぶっとんだ
空家インスタレーション「静寂あるいは喧騒の中で」。のどかな山林にせわしなく響く
銃声じみたボールのドリブル音。赤、青、白のトリコロールカラーに席巻された各室内。
この赤い部屋の借景は古びた墓石。作家のメモの最後には、三島由紀夫『真夏の死』と…。
好むと好まざるに係らず、予定調和の世界観を覆すインパクト。
解釈は多々あると思うが、近隣のお爺ちゃんお婆ちゃんの忌憚なきご感想をぜひ伺いたし。



だんだんディープな世界に迷い込んでいく中、
美しいブナが連なる「美人林」に立ち寄って深呼吸。
腐葉土に覆われた足元がふっかふか!



そして再び松之山付近の空家へ。
これはクロード・レヴェックと並ぶ今年の目玉のひとつ、塩田千春の「家の記憶」。


一軒丸ごと黒い毛糸が蜘蛛の巣のように縦横無尽に張り巡らされた空間に、
雪ん子の正装“すげぼうし”が黒糸の迷宮の中空に浮かんでいたり、
古書が書棚ごと壁にぐるぐる封じ込められていたり。その糸カオスが奇妙なほど美しい。
使った毛糸は550玉=44km。制作は6人がかりで僅か6日間で仕上げたよう。
制作風景を後日TVで偶然目にしたが、作家は蜘蛛の化身かというほど見事な手さばきで
毛糸をすいすい巡らせていた。ひょっとして、青や白で編んだバージョンとかもどうでしょう?


ちなみに空家プロジェクトの入口で対応してくれるスタッフは、近隣のお爺さんやお婆さんが多い。
いわく「この辺じゃ百年位経った家は古いとはいわないよ」とのこと。なかなか言えない言葉です。


☆不在の気配

見れば見るほど深みにはまっていく大地の芸術祭。
ここに書ききれないほど多くの作品を見た中でも、最も揺さぶられたのは
C・ボルタンスキー+J・カルマンの「最後の教室」。


2003年大地の芸術祭で旧東川小学校に登場したこの作品のテーマは、人間の不在。
干草の臭気に満ちた体育館の暗闇は、足を踏み出すのもはばかられるような不安の
イニシエーションとなっている。よくこの場面がアイコンのようにいろんなメディアに
出ているけど、実はこれは ほんのイントロダクションに過ぎない。


干草を踏みしめ、中が真っ黒な額縁が連なる暗い廊下を進み、
どくっどくっという心臓の鼓動が大音量で鳴り続ける理科室に入ると、
さらに無数の暗黒の額縁が壁からじっとこちらを凝視する。
外光を閉ざされて蒸し暑いのに、背筋がぞくっと震える。
「やっべ こえーよ」「やだやだここやだっ」周囲からもお化け屋敷に居るかのような声が聞こえる。

さらに暗い廊下を進むと、主のいない机たちに真っ白な布がかけられた教室や
無造作に積み上げられた椅子に白布がかけられた教室が現れる。
そして、さらに行くと、白布に覆われた空間に、白く発光する透明なガラス箱が累々と。。
そこに棺のメタファーを見出してしまったのは、きっと私だけではないはず。


まるでキッチュなサイコホラーシネマの中に迷い込んでしまったかのような空間なのだが
校舎全体が“不在”を包む冥界となっており、見てはいけない何かを見てしまった恐怖に慄然とする。

幾つかの廃校や空家の作品を見てきたが、多くはある種の仄かな郷愁に満ちていた。
が、この「最後の教室」を色濃く満たしているのは、そんなノスタルジーなど消し飛ぶような
圧倒的で根源的な不在の恐怖。過疎や廃校の先にある不在という恐怖を鋭く突きつけているのだ。
参りました、必見です。ただし決して独りでは行かないように?!



夕暮れ前、「最後の教室」の衝撃を乗り越え、さらにケモノ道のような鬱蒼たる斜面を登って
辿り着いたのが、蔡國強の「ドラゴン現代美術館」。福建省の登り窯を移築再生した空間を
美術館と捉え、館長の蔡國強自身が作品をキュレーション。今回選ばれたのは、階段空間に
墨汁を湛えた馬文の作品「何処に行きつくのかわからない、でも何処にいたのかはわかる?」。

ここを中心として、津南に「北東アジア美術館」を構想しているという。
まだ作品点数は少なかったけど、今後どんな風に変化していくのか興味深い。


☆とどのつまり

最後に訪れたポイントは、越後の端、長野との県境付近に位置する足滝集落。
そのロケーションから“とどのつまり(どんづまり)の郷”と呼ばれていたそうで、
それが後に妻有(つまり)と名を変えたのだとか。

この集落の一角に佇む黒い人影のシルエットは、実際に集落に暮らす住民をかたどった
霜鳥健二の作品「記憶-記録 足滝の人々」。2006年に設置され、会期後に撤去されたものを
住民たちの希望で今年再設置が叶ったよう。十日町までの道を尋ねたら親切に教えてくれた
お婆さんに似たシルエットもあった。よく見ると小さなカエルが作品にちゃっかり載っていた。
「ぼくも集落の一員だよ」とでもいうように。



大地の芸術祭を特集した「住宅建築9月号」に掲載の北川フラム(総合ディレクター)の弁によると
開催実現までには多くの反対があったそう。しかも“現代アート”と聞き及び、
地元の文化・美術権威者達からも猛反発を食らったらしい。
そうした困難を乗り越え10年目を迎えた大地の芸術祭。また行きたいな。

春の直島・犬島巡りに続いて綿密な計画を立ててあちこち連れていってくれた
竜ちゃん&はーちゃんには大感謝。方向音痴な私一人では、とてもこんなに回れなかったと思う。


帰り、十日町駅のホームに止まっていたほくほく線に大きく「愛」の文字。
駅の自動販売機にも「愛」の兜が貼ってあった。「天地人」の地元だものね。
しかしこの文字デザイン、戦国時代の産物とは思えないものがある。。



帰宅して、選挙に行って、一夜明けたら政権が変わった。わーお。
そういえば、妻有の田園で、「○○の家内でございます。どうか、どうか、○○をお助けください!」
と哀願する選挙Carとすれ違ったっけ。本当に助けられるべきなのは誰なのか。

総合Pの福武さんは「米国に端を発する金融資本主義の破綻が示すように、経済は文化のしもべ。
経済は手段であり目的は文化。アートは目的ではなく手段。重要なのは人々の暮らしや環境」と
のたまっているが、その“アート”は、“政治”とも置き換えられるだろう。

今週、台風が去って、蝉時雨が秋虫コードに変わった。
里山に舞っていたモンシロチョウやギフチョウの残像が
9月の声を聞いて慌しくなってきた日常の裂け目に ふっとよぎっていく。
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大地の芸術祭2009 @越後妻有 ①田園編

2009-09-03 03:58:27 | Art
夏があっけなく幕を下ろす直前、短くも濃い旅に――

8月最後の週末、出発ぎりぎりまでかかった徹夜原稿をちゅっとメールして
一睡もしないまま東京駅に走り、朝8時台の上越新幹線MAXとき に駆け込んだ。
シートに沈むや意識が薄れ、はたと気づくと窓外に、めくるめく田圃が広がっていた。
緑の大きな生きものの毛並みのような、ふっさふさの稲穂がゆれる田園が。

越後湯沢でほくほく線の電車に乗り換え、車内でまたうとうとしていたら、
トンネルに入った所で突如、天井に花火がどーん。しばし夢うつつのまま
美しき青きドナウなどのクラシックに合わせて上映されるヴァーチャル花火に見入る。
ほくほく線では定期的に上映しているよう。

十日町で下車し、別便で来た弟の竜ちゃん&はーちゃん夫婦と駅で無事合流。
名物のへぎ蕎麦(美味!)をつるんと食べ、レンタカーに乗り込み、
目指すはいざ「大地の芸術祭。越後妻有アートトリエンナーレ2009」。
といっても、会場は東京23区の1.2倍もの広大な越後妻有エリア760㎢っっ。
その集落や空家、廃校などに約350ものアートが散らばっているのだ。


最初に向かったのは、タレルの「光の館」がある川西エリア。
途中、こんな鳥男やウサギなどとすれ違った。芸術祭が始まった2000年に設置された
藤原吉志子の「レイチェル・カーソンに捧ぐ ~ 4つの小さな物語」。
農薬の弊害に警鐘を鳴らした「沈黙の春」以降も環境破壊が進む社会に疑問を呈した作品らしい。



そこからほどなくジェームズ・タレルの「光の館」に到着。
2000年に設置された瞑想のためのゲストハウスで、妻有の伝統的な邸宅がモデルに。
着想を得たのは、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」だそう。


和室の畳に寝転ぶと、開閉式の天井から移ろいゆく空の表情が臨める。曇っていたのに意外と眩しい。
至る所にほわっと温かな色彩の間接照明が仕込まれており、浴室にも不思議な光の仕掛けが。
直島で体験した幾つかのタレル作品にも通じる世界観。宿泊してこそ真価を実感できるのだろうが、
好みははっきり分かれるところだろう。

☆廃校

芸術祭のために新設されるハコもさることながら、私がこの芸術祭で最も興味深かったのは、
妻有の深刻な高齢過疎化の産物である「廃校」や「空家」を舞台としたプロジェクトだ。

これはそのひとつ、鉢のように丸くくぼんだ鉢集落にある旧真田小学校の「絵本と木の実の美術館」。
絵本作家・田島征三が 校舎を縦横無尽に駆使して稚気溢れる立体絵本に仕立て上げていた。

主人公である最後の卒業生3人の思い出が詰まった学校は、無人になってしまっても
決して“空っぽにはならない”という温かなメッセージが校舎の隅々に宿っていた。

校舎の裏では、水内貴英による虹を人工的に造り出す「虹色の蛇」が歓声を誘っていた。
夏草にきらきら降り注ぐ霧雨のスクリーンに浮かぶ大きな虹にしばしみとれ。。



鉢集落をあとに向かったのは、十日町エリアの旧名ヶ山小学校にある「福武ハウス 2009」。
ここには 芸術祭の総合プロデューサー福武總一郎氏の呼びかけで日本や中国・韓国の
先鋭ギャラリーが集結。音楽室はギャラリー小柳、体育館は小山登美夫ギャラリーなどなど
そのシチュエーション自体がひどくシュールで。

今春訪れた直島や犬島もそうだが、都市から発信されるのが当たり前のような現代アートを
過疎の里山から世界へ発信するという逆発想は痛快。各画廊の作品同士に脈絡はないのだが、
無関係なエッヂとエッヂがプリティな教室と教室で隣り合っているのは案外わくわくする。

帰りに、福武ハウスのカフェでいただいた地元産のフルーティなトマトのあまりの美味しさに、
思わずはーちゃんと驚嘆「えーっ」。あるイミ、これこそ“大地の芸術”かも?!


夕方近く、芸術祭のさまざまなエッセンスが集約された松代の「農舞台」方面へ。
ここでまず目につくのは、棚田で働く農夫たちのカラフルなシルエット。
2000年から設置されているイリヤ&エミリヤ・カバコフの作品「棚田」だ。
展望台から眺めると、稲作の情景を詠んだテキストとオブジェがオーバーラップする。



で、これは農舞台前の簡易トイレに入ろうとしている私を竜ちゃんがぱちり…ではなく、
雪深い妻有でよく目にするかまぼこ型倉庫をイメージした「かまぼこ画廊」。
作者はあの「なすび画廊」の小沢剛。中を覗くと、ちゃんといろんな作品が。。


農舞台の中では、筑波時代の恩師カワタツこと河口龍夫先生の作品に思いがけず遭遇。
「関係-黒板の教室」と題されたこの部屋は、壁も床も机も椅子も棚も地球儀も全部、黒板!
しかもチョークで落書きOK。せっかくなので、黒板にへなちょこサインしてきました(中学生かっ)



これは「農舞台」周囲の作品群でもひときわ毒々しい…否、華々しい草間彌生の「花咲ける妻有」。




夜は松之山温泉の宿で、熱々の源泉に浸かってとろとろに。草津、有馬と並ぶ日本三大薬湯らしく、
1200万年前の化石海水が湧出する90℃以上の自噴泉は、火山型温泉が多い日本では希少だそう。
朝も露天を堪能した後、せせらぎと湯煙に誘われるように宿の周囲を散策。


さらに、のんびりした朝の温泉街のお土産やさんをひやかし、
店先で津南名物の濃厚なにんじんジュース(美味!)を3人仲良く飲んだ後、
いざ、大地の芸術祭2日目に出発。
幸先よく、前夜から降り出した雨も宿を出る頃にはすっかり上がった。

「大地の芸術祭2009@越後妻有 ②とどのつまり編」へ つづく――

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アイ・ウェイウェイ、ナイトギャラリー、小林かいち

2009-08-25 22:58:49 | Art

新月の夜。思いのほか涼しい風が吹き巻く高い塔の上から 自分の棲む街を眺める。
ほんとうは、月も星も見えない夜空が地上で、星屑のように煌く地上が天空なのではないか?
と思いつつ 塔を降りようとした瞬間、「どん どどん」という破裂音。
どきっとして振り返ると、鮮やかな花火。場所は神宮球場あたり。花火ナイター?
屋上にはなぜか中国語の黄色い歓声。

なんだか、「電気羊はアンドロイドの夢を見る」な懐かしい気分に @森タワー スカイデッキ


先週末、西麻布でのながーい打ち合わせの後、
自転車で日が落ちたばかりの六本木ヒルズに立ち寄り、
「アイ・ウェイウェイ展 何に因って?」@森美術館を観てきた。

アイ・ウェイウェイといえば、北京オリンピックで注目を集めた奇抜なスタジアム「鳥の巣」の
設計者であり、建築や現代アートから家具デザインまで手がけるマルチアーティスト。
かつて寺山修司が「職業は、寺山修司です」と答えていたというのは有名な話だが、
アイ・ウィエウェイも「職業は、アイ・ウェイウェイです」というほかない類のひと。

「鳥の巣」の夥しい建設写真コラージュで覆われた美術館の入口。

驚くかな、森美術館では作家の同意の下 館内撮影を許可していた(ストロボ&三脚&動画撮影は×)。
海外の美術館では撮影OKなことが多いが、日本では外観撮影さえ×な所がある位だから英断かと。
記録のための写真なら図録で事足りるけど、作品をフレームに捉えようとすると、
ただ眺めるだけのときよりも、作品との対峙の仕方が明らかに変わってくるから面白い。

これは、中国ブランドの永久自転車をパズルのように組み上げた「フォーエバー自転車」。
本来の機能を見事に去勢されたナンセンスオブジェは、かつての自転車大国が
急速に車社会化する背景をシニカルに象っている。
マルセル・デュシャンのレディメイドへのオマージュでもあるよう。


左は プーアール茶を敷き詰め、プーアール茶で構築した「茶の家」。当然、辺りは猛烈芳香。
真ん中は 箪笥の円い空洞を覗くと 月の満ち欠けが見える「月の箪笥」。古代中国の寓話の如し。
右は 唐代の骨董にコカ・コーラのロゴを描いた「コカ・コーラの壷」。他にも新石器時代の壷を
工業用塗料で毒々しく染めた作品や、漢時代の壷を落として割る3枚の連続写真作品などもあり。


館内の監視スタッフ用チェアも、清代のアンティーク椅子という凝りよう。


アイ・ウェイウェイのアートは一見、非常に分かりやすく、クラフトマンシップ的な洗練度もあり、
欧米人好みのオリエンタリズムに満ちている。が、彼が政治的迫害によって少年期を新彊で過ごし、
青年期はアメリカで暮し、天安門事件後の‘93年から北京で活動している来歴ゆえともいえる
越境感覚は、土着のチャイナ・アヴァンギャルドとは視点が大きく異なる。
彼の作品モチーフの多くは中国というアイデンティティー抜きには語れないが、
彼にとって西洋は単なるアンチでも憧れでもなく、その視線は東西を超えた地平に注がれている。


これは激しいスクラップ&ビルドを展開する北京の風景をコラージュした「暫定的な風景」。
十年ほど前、留学していた弟を訪ねて行った時の北京の風景は、いまはもうないんだろうな。
昨年観た激変する中国を捉えたドキュメンタリー映画「いま そこにある風景」や、
三峡ダム建設のために水没していく町を描いたジャ ジャンクー の「長江哀歌」を思い出した。
昨夏、「アヴァンギャルド・チャイナ展」「いまそこにある風景」「長江哀歌」の感想)でも書いたが、
伝統と革新が激しくせめぎあう今の中国からほとばしるアートの行方がやっぱり気になる。


アイ・ウェイウェイ展の少し前に、表参道のhpgrp GALLERY 東京で開催中の
元田久治展を観た。そう、こちらもモチーフは鳥の巣スタジアム。
ただし、描かれているのは、廃虚と化した鳥の巣なのだが。


元田氏の作品展は、昨年新宿で観た「VISION増幅するイメージ」以来2度目。
渋谷、銀座、六本木、秋葉原、東京タワー、鳥の巣。。。彼の描く廃虚画に不思議と魅かれるのは、
暴力の匂いがしないから。それはゴジラとか核爆弾などに荒らされた廃虚ではなく、
天災で人々が滅びた後、少しずつ自然に蝕まれていったような緩慢で静謐な廃虚なのだ。
“あと千年も経てば、いい感じの世界遺産に成長しそうな廃虚”とでもいおうか。
アイ・ウェイウェイ展と合わせて観ると、また面白い。
なによりアイ・ウェイウェイ自身に感想を聞いてみたし。



さて、アイ・ウェイウェイ展のすぐ側、麻布十番のSTUDIO TORICO では8/20~27まで
ナイトミュージアムならぬ、ナイトギャラリーを開催しており、17時~23時と
宵っ張り人間にはうれしい時間帯にオープン。


今回の木村直人写真展「gale」は、何かにフォーカスするのではなく、
gale(疾風)=カメラに任せて撮った新境地の作品が並ぶ。そのコンセプトに合わせて作られた冊子も、
配布しているので、ぜひ。手作りの内装も心地よく、キムナオさん&キムリエさんとついついまた
遅くまで話し込んでしまった。今度、トリコで写真のプリントもお願いするつもり。

ナイトギャラリーは今週8月27日(木)までなので急いでSTUDIO TORICOへ!!
(トリコへは麻布十番駅から徒歩約10分。六本木TSUTAYAからなら徒歩約5分と至近です)



日曜は、行こう行こうと思っていた「謎のデザイナー 小林かいちの世界」展の最終日であることに
はたと気づき、陽射しが少し衰えた夕刻前、赤坂のニューオータニ美術館へ。


小林かいちは、大正末期から昭和初期にかけ、
当時の女子に絶大な人気だったという京都スーベニールの牙城
新京極の「さくら井屋」の絵葉書や絵封筒の図案を多数手がけた木版絵師。
近年、その優美でメランコリックな作風が注目され、京都アール・デコとも謳われている。
よく枕に「謎の」とつくのは、経歴などが詳細不明であるがゆえ。


会場は、ほぼ妙齢の女子一色だった。夢二とか、中原淳一とか、内藤ルネとかに通じる
乙女系アーティスト作品には、時代を超えて女子心を虜にする決定的なツボが潜んでいる。
私はこれを“ガールツボ”と呼んでいます(笑)。かいちは模倣されることも多かったというけれど、
このガールツボがない輩が模倣していたら、きっとすぐに見破られたはず。

美術館の帰り、赤坂見附の弁慶橋から江戸の名残の弁慶濠を臨む。
紀尾井坂といい、この辺りといい、高層ビルや高速道路を傍目に妙に鬱蒼としていて
ヒグラシやツクツクボウシが先導する蝉時雨も、車の轟音に負けていなかった。


帰途、代々木公園を自転車で通過した時に見たオオハンゴンソウ(大反魂草)。
この日、たまたまTVでハンゴンソウは在来植物の生態系に影響のある特定外来生物ゆえ、
どこかの公園で大量駆除したというNewsを見た。生態系を慮れば仕方ないことかもしれないが、
せめて駆除した花は無残に捨てないで切り花として活けてあげてほしい。。と思った。
生命力が強いだけで、花そのものに罪はないのだから。(天ぷらにして食べると美味しいという話も)


薔薇はさすがに最盛期の美貌を保っているものはごく僅かながら、近寄ればやっぱりいい香り。
カナブンたちにたかられている薔薇の名は、シャルル・ドゥ・ゴールさん。



8月23日は故ニキの誕生日。生きていれば18歳だった。
先日ちねんさんから入手した蜜蝋で手作りした新しいキャンドルに火を灯し、
心の中でニキを抱きしめた。ニキのふわふわあったかな感触は永遠にここにある。


翌月曜は、夕方近くに凄いスコールが降った。終日、家で原稿を書くだけの日だったので
窓から眺める分にはすこぶる爽快だった。ベランダの木々も横殴りの雨にざあざあ洗われながら
歓喜していた。日没直前、不意に雨の上がった西空の美しさにみとれていたら
三日月が雲の切れ間から「やほっ」と貌を出した。
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センチメンタル・ジャーニー、エンドレス・ヴォヤージュ

2009-08-03 22:04:16 | Art
毎日ぱたぱたしている間に8月。
7月の終わりにみた薔薇色の朝焼けは、遠い旅の記憶のように、彼方へ――

☆TCJF 2009

週末金曜、新丸ビルの丸の内ハウスで開催された[Tokyo Cross Over Jazz Festival 2009]の
プレパーティへ。夜風の心地よいテラス席でレイちゃん&ハカセと楽しい時間。

仕掛け人は毎度ダンディないでたちの沖野修也さん。DJ歴20週年になるそう。
SOIL&“PIMP”SESSIONSの“社長”やquasimodeのTakahiro“Matzz”Mitsuokaさんの選曲も
渋くてよい感じだった。本ちゃんは9/11@ageHa(年々開催が早まるのね)。

☆ウナドス

土曜は「ウナドス」のライブを聴きにキムリエさんと自転車2台連ねてクーリーズ・クリークへ。
ウナドスはバンドネオンの早川純さんヴァイオリンの江藤有希さん
エレキ&アコギの中西文彦さんの3人ユニット。ユニット名も音楽もラテンなイメージだけど、
実はウナドスとは「鰻どす(京都弁で)」なのだとか!!


1stステージはジョアンをタンゴ的に解釈したエレガントなベサメ・ムーチョではじまり、
2ndステージの冒頭はピアソラの甘美なリベルタンゴ、アンコールもピアソラの鮫。
パット・メセニーのカバーや3人3様のオリジナル曲も実に艶やかで、またもや鳥肌ものでした。
2年前のライブの感想blogはこちら

江藤さんの奏でるどこまでものびやかな音色は、幼少期に少しだけヴァイオリンをかじっていた頃の
憧憬にいざなってくれる。江藤さんのblogのライブスナップには最前列で聴き入るキムリエさんと私が。
私は完全に魂をもっていかれて背中が幽体離脱ぎみ(笑)。
ライブの後、キムリエさんちに寄ってキムナオさんと3人でちょっとわくわくするトリコ真夜中談義。
あ、スタジオトリコでは8/20から久々にナイトギャラリーを開催するそうなので、要チェックです。

☆ホームとアウェー

日曜午後は、日比野克彦氏のインタビューで池袋の東京芸術劇場へ。
多彩なアートプロジェクトを全国で同時多発的に行っている日比野さんのエネルギーの発露を伺う。
彼は生きている時間軸も空間軸も ゆったり大きい。でも決して大仰じゃなく、いいイミでゆるい。
いわく、300歳まで生きる予定とか?! 彼の生き方自体が旅であることに気づいた。
詳細は9月発売予定の『NODE』をご覧ください。

                                     ↑日比野克彦氏@池袋WGP
帰りに編集のみやざきさんと最近のアートや音楽の話を肴にパスタ&コーヒーブレイク。
ジーンズの品質と歴史についてのマニアックな話も興味深かった。

東京芸術劇場で開催中(~9/6)の日比野さんのアートプロジェクト
「ホーム→アンド←アウェー」方式[But-a-I]の詳細はこちらです


☆Sentimental Journey

先週、東京都写真美術館で開催中の「旅」をテーマにした所蔵作品展(全3部構成)の第2部
「異郷へ 写真家たちのセンチメンタル・ジャーニー」(7/18~9/23)を観てきた。


「写真術は旅の中で育まれ、その伝播は写真家という旅人たちによってなされた」という
観点で編集された同展の第2部は、旧国鉄が“ディスカバー・ジャパン”キャンペーンを始め、
アンノン族が流行った’70~’80年に発表された9人の写真家たちの旅を巡る写真で構成されており、
牛腸茂雄以外は森山大道、荒木経惟、秋山亮二、北井一夫、須田一政などALL昭和2ケタ世代。
冷徹な観察、残酷な発見、甘い憧憬、ゆるやかな崩壊、昏い彷徨・・・
凡百の観光写真とは一線を画する、鋭利な視線に貫かれた日本の光景に何度も魂をつかまれた。

柳沢信1972「片隅の風景」岩国より
ポスターにもなっている柳沢信のこの写真、ありがちな修学旅行の一コマが、かくも儚く醒めた
光景になるのかと絶句させられた。白く消し飛んだ背景とやや傾いだアングルが絶妙。


森山大道1978木古内「北海道」より
これは森山大道が写真を撮れなくなっていた数年間、北海道を旅した時の希少な作品のひとつ。
この時期のゴツゴツやるせない大道写真に無性に惹かれる。彼のスタイルを真似る輩も多いが、
こうした根源の葛藤が無いとすぐばれてしまう。一朝一夕にはあんなアレブレ写真は撮れない。

荒木経惟1971「センチメンタルな旅」より
処女作にして代表作でもあるアラーキーの新婚旅行の写真集「センチメンタルな旅」に漂う
抗いようもなくせつない空気感は、まさしく旅そのもの。


北井一夫1971「沖縄県石垣」いつか見た風景より
旅行雑誌のどんな素敵なカラーグラビアより、引き込まれる1枚。
ゼラチンシルバーの皮膜に、旅の本質が埋まっている。

*紹介したモノクロ写真4点はすべて公式ガイドブック「旅する写真」の掲載作品より

ああ 書を捨てて旅に出よう、と またしみじみ思う。
まあ 今この一瞬も 極私的エンドレス・ジャーニーの途上なのだと思うけど。


☆野菜力

夏が深まるほど 身体がみずみずしい野菜を求めるのは常だが、最近は特に野菜づいている。
先週、写美に行った日、オーリエさんと恵比寿で会い、彼女おすすめのレストラン「農家の台所」へ。
生で食べられる茄子やトウモロコシ、びっくりするほどジューシーなトマトetc…が並ぶサラダバーの
野菜をバーニャカウダで賞味。フレッシュな野菜や果実が詰まったドリンクも五臓六腑にしみわたる。
↓ピンクのハンチングがチャーミングなオーリエさん@サラダバー


その後オーリエさんちでまたもや夜明け近くまでお喋り。彼女と話していると、力のある野菜を
しゃきしゃきかじった後みたいに心が不思議とみずみずしくなる。

そして昨日は新丸ビルで食育関連のイベント取材。
場所は食いしん坊のはや先生にもご馳走になったことのある、野菜が絶品のイタリアンAWkitchen。
農家の方々に話を伺うと、まるで愛娘のように野菜を大切に育てているのがひしひし伝わってきた。



お洒落なレストランに比べれば、絵づらはかなりジミながら、
自分ちゴハンもここのところ、夏バテ予防の医食同源メニューづくし。
昨夜は雑穀&生姜ご飯に刻みエゴマをたっぷり。鶏胸肉とピーマン、クコの実、椎茸の
カシューナッツ炒めに黒豆などなど。胡瓜とジャコに生姜と茗荷をあえた酢の物も定番。
真夏は鰻とかガッツなメニューも食べるけど、基本は野菜中心の無添加な粗食で浄化したい感じ。


☆ENDLESS VOYAGE

原宿駅で電車を待っているといつも 明治神宮に面した無人の臨時ホーム側の緑に目を奪われる。
先日は終わりかけた紫陽花の足元で、1本の百合がたいそう好奇心の強い子供みたいに
ホームまで迫り出しており、ちょっと微笑ましたかった。電車に乗ってどこか旅したいのかも。


ちょっと早いけど、りんどうを見つけたので連れて来た。楚々と地味ながら、子供の頃から
なぜか心惹かれる花。黄色い小ぶりの花瓶は20日に9年目の命日を迎えたみるの贈りもの。
二つばかり蕾が零れ落ちてしまったので、旧い薬壜の口まで水を注ぎ、そこに仲良く挿してみた。


緑地のプリントは、夏パジャマにしているTシャツのひとつ。
エンドレス ヴォヤージュってコトバが目に入るたび、くらっとなる感じがたまらない。
今日は珍しく早いけど、おやすみなさい。夢の向こうのエンドレス ヴォヤージュ
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