今日もミューズが微笑んで

歌うように暮らしたい。アートの道探しを楽しむJasmineのきままな日々。

自分の感受性くらい

2006-05-13 | 学び&読書・雑学

今年2月に亡くなった詩人の茨木のり子さんの詩集。久しぶりに取り出してみた。
この詩に出会ったのは20代の後半。

当時、仕事で社員教育のインストラクタをしていた。会社の本社と全国の支店から集まったメンバーが半年かけて養成を受け翌年の新人教育を担当する。その1期生だった。この詩集は、そのとき養成担当をしていた、外部の人材教育会社の先生が、私たちの任期の2年間が終わるときに皆にプレゼントしてくださったのだ。

詩集のタイトルになっている詩・・・

    自分の感受性くらい

    ぱさぱさに乾いてゆく心を
    ひとのせいにするな
    みずから水やりを怠っておいて

    気難しくなってきたのを
    友人のせいにするな
    しなやかさを失ったのはどちらなのか

    苛立つのを
    近親のせいにするな
    なにもかも下手だったのはわたくし

    初心消えかかるのを
    暮らしのせいにはするな
    そもそもが ひよわな志にすぎなかった

    駄目なことの一切を
    時代のせいにはするな
    わずかに光る尊厳の放棄

    自分の感受性くらい
    自分で守れ
    ばかものよ
                  (初出 1975年1月 「いささか」)
  
私が好きな詩は・・・

       知 命

    他の人がやってきて
    この小包の紐 どうしたら
    ほどけるかしらと言う

    他の人がやってきては
    こんがらかった糸の束
    なんとかしてよ  と言う

    鋏で切れいと進言するが
    肯じない
    仕方なく手伝う もそもそと

    生きているよしみに
    こういうのが生きてるってことの
    おおよそか それにしてもあんまりな

    まきこまれ
    ふりまわされ
    くたびれはてて

    ある日 卒然と悟らされる
    もしかしたら  たぶんそう
    沢山のやさしい手が添えられたのだ

    一人で処理してきたと思っている
    わたくしの幾つかの結節点にも
    今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
           
                   (初出 1976年8月 「新潮」)


仕事もプライベートも悩み多き年頃、ずいぶんと強烈な詩でグサリと来た。理解はするけど、けっこう読むのつらかったように記憶していて、一通り読んだ後は本棚にしまったままだった。

今なら読める。少しは成長したのかな。 たくましくなっただけなのか。

私は何かにつけて師には恵まれるようだ。


自分の感受性くらい 自分の感受性くらい
茨木 のり子

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