溜まり場だった喫茶店は、高校の近く。
うちの高校の生徒だったら、誰でも一回は行ったことがあるんじゃないだろうか?
それは言い過ぎかなあ?
同じ高校に通っていた姉からもその喫茶店の話は聞いたことがあったから、
私はそんな印象を持っていたけれど。
実際はわからない。
1年生のクラスの男の子には、そこの常連さんが多かった。
私も、クラスの子と行ったこともあったし、部活の先輩たちと行ったこともあった。
私がそこの常連になったのは、大学の4年生の時だ。
溜まり場を持っている人が羨ましくて、ふらっと行ってみた。
べーちゃんたちが、当時もそこを溜まり場にしていることを知っていたから。
べーちゃんとは、それまでどの程度仲が良かったのか、正直言って覚えていない。
べーちゃんは、クラスのツートップという感じの男の子で、
私がそういう目立つ存在の人と、それほど仲が良かったとも思えないのだが。
卒業してからも、べーちゃんからIGUちゃん情報をもらったことなど覚えているので、
そこそこ親しかったのかなあ?
たまたまクラスのコンパで会った時に聞いただけだったのかな?
とにかく、べーちゃんを始め、何人もの知ってる人がいつもいて、
私はそこの常連として快く受け入れられた。
喫茶店は、マスターと奥さまのマリコさんがやっていた。
お二人は、多分私たちより一回りくらいは年上だったと思うが、
べーちゃんとマスターはかなり親しくしていた。
後に、マスターとマリコさんは離婚されるが、その相談にものっていたらしい。
一時、マスターとマリコさんは、名古屋の繁華街でスナックをやっていた。
風営法のあおりとやらで、1年くらいで閉めてしまわれたが、
その間に、何回もべーちゃんたちと一緒に行った。
私の友達を誘って行ったこともある。
クリスマス・パーティーでは、全然知らない男の子と、ポッキーゲームをしたのもいい思い出だ。
その帰りにべーちゃんとよく近所のラーメン屋で台湾ラーメンを食べた。
台湾ラーメンは名古屋が発祥の地らしいが、その頃できたのかなあ?
おいしかった。
そこで、初めて「ニンニクの芽炒め」というものも食べた。
おいしかった。
マスターのスナックで飲んで、台湾ラーメンとニンニク芽を食べて帰る。
あの頃が一番楽しかったかもしれない。
その後、マリコさんは名古屋の少し郊外の方で別の喫茶店を始める。
お二人は離婚される。
マスターは、市外の大型ショッピングセンターで喫茶店の経営権を得たと言って、
悩んだ末、そちらに店を移された。
溜まり場は、自然に郊外のマリコさんのお店の方に移る。
私は結婚して、溜まり場には行けなくなる。
マリコさんは、拠点を私が住む町に近い方に変えられたので、
何回かはそのお店にいった。
でも、子供の成長と共に、顔を出す回数が減り、すっかり行かなくなってしまった。
マリコさんの消息は知っていそうな人もいるけど、
マスターのことは全くわからない。
ちょっと前にべーちゃんに聞いても、「全然わからない」と言っていた。
あの頃の、台湾ラーメンやニンニク芽の味ももう覚えていない。
でも、私は今もニンニク芽が大好きである。
初めて自分でニンニク芽を料理した時は、上手にできなかった。
炒めると、黒い灰汁のようなものが出てくるのだ。
焦がさないように火を通すのも難しかった。
今も上手とは言えないけれど、さっと揚げるような感じで料理する。
冷蔵庫の野菜室に、先日買ったニンニク芽が残っているのを見つけて、
これだけのことを思い出した。
うちの高校の生徒だったら、誰でも一回は行ったことがあるんじゃないだろうか?
それは言い過ぎかなあ?
同じ高校に通っていた姉からもその喫茶店の話は聞いたことがあったから、
私はそんな印象を持っていたけれど。
実際はわからない。
1年生のクラスの男の子には、そこの常連さんが多かった。
私も、クラスの子と行ったこともあったし、部活の先輩たちと行ったこともあった。
私がそこの常連になったのは、大学の4年生の時だ。
溜まり場を持っている人が羨ましくて、ふらっと行ってみた。
べーちゃんたちが、当時もそこを溜まり場にしていることを知っていたから。
べーちゃんとは、それまでどの程度仲が良かったのか、正直言って覚えていない。
べーちゃんは、クラスのツートップという感じの男の子で、
私がそういう目立つ存在の人と、それほど仲が良かったとも思えないのだが。
卒業してからも、べーちゃんからIGUちゃん情報をもらったことなど覚えているので、
そこそこ親しかったのかなあ?
たまたまクラスのコンパで会った時に聞いただけだったのかな?
とにかく、べーちゃんを始め、何人もの知ってる人がいつもいて、
私はそこの常連として快く受け入れられた。
喫茶店は、マスターと奥さまのマリコさんがやっていた。
お二人は、多分私たちより一回りくらいは年上だったと思うが、
べーちゃんとマスターはかなり親しくしていた。
後に、マスターとマリコさんは離婚されるが、その相談にものっていたらしい。
一時、マスターとマリコさんは、名古屋の繁華街でスナックをやっていた。
風営法のあおりとやらで、1年くらいで閉めてしまわれたが、
その間に、何回もべーちゃんたちと一緒に行った。
私の友達を誘って行ったこともある。
クリスマス・パーティーでは、全然知らない男の子と、ポッキーゲームをしたのもいい思い出だ。
その帰りにべーちゃんとよく近所のラーメン屋で台湾ラーメンを食べた。
台湾ラーメンは名古屋が発祥の地らしいが、その頃できたのかなあ?
おいしかった。
そこで、初めて「ニンニクの芽炒め」というものも食べた。
おいしかった。
マスターのスナックで飲んで、台湾ラーメンとニンニク芽を食べて帰る。
あの頃が一番楽しかったかもしれない。
その後、マリコさんは名古屋の少し郊外の方で別の喫茶店を始める。
お二人は離婚される。
マスターは、市外の大型ショッピングセンターで喫茶店の経営権を得たと言って、
悩んだ末、そちらに店を移された。
溜まり場は、自然に郊外のマリコさんのお店の方に移る。
私は結婚して、溜まり場には行けなくなる。
マリコさんは、拠点を私が住む町に近い方に変えられたので、
何回かはそのお店にいった。
でも、子供の成長と共に、顔を出す回数が減り、すっかり行かなくなってしまった。
マリコさんの消息は知っていそうな人もいるけど、
マスターのことは全くわからない。
ちょっと前にべーちゃんに聞いても、「全然わからない」と言っていた。
あの頃の、台湾ラーメンやニンニク芽の味ももう覚えていない。
でも、私は今もニンニク芽が大好きである。
初めて自分でニンニク芽を料理した時は、上手にできなかった。
炒めると、黒い灰汁のようなものが出てくるのだ。
焦がさないように火を通すのも難しかった。
今も上手とは言えないけれど、さっと揚げるような感じで料理する。
冷蔵庫の野菜室に、先日買ったニンニク芽が残っているのを見つけて、
これだけのことを思い出した。
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