55年も生きていれば、嫌いな人の一人や二人いるものである。
私の人生で、「大っ嫌いな人」というのは何人か存在した。
今現在はいない。
「大っ嫌いだった人」がいるだけ。
大っ嫌いだった人とも、縁が無くなればどうでもよくなる。
今再会したら、普通にわだかまりなく話せるんじゃないかと思う。
いい子ぶるつもりはないが、私には嫌いな人はあまりいない。
苦手な人はいるが…。
苦手な人イコール嫌いな人ではない。
どっちかと言えば嫌いだから、苦手ということもあるが、
立派過ぎて話しづらいとか…、そういう人は全然嫌いじゃなくても苦手。
私の場合、「ちょっと嫌い」からいきなり「大っ嫌い」に移行するような気がする。
好きじゃないけど、いいとこあるし…、みたいな感じで猶予期間が長いのである。
好きじゃないけど、嫌いとは言えないという…。
昔、友達に近所のおばあさんのことで愚痴を言っていたら、
「何て嫌なババアなの!?」と言われた。
「でも、いい人なんだけどな」と言うと、
「本当に悪い人なんて滅多にいないんだから、そういう人を嫌な人って言うの!」
なるほど。本当に悪い人なんて滅多にいない。
その通りだなと思った。
でも、ある人のことを「嫌い」と思うのと、「嫌いじゃないんだけど…」と思うのとでは、
私の心の中がずいぶん違う気がする。
誰かを嫌いになるのは、哀しいことだと思う。
嫌いな人には、近づきたくないと思う。
苦手な人なら、近づきたくない気分の時もあるが、苦手を克服しようと思う時もある。
嫌いな人が多いと人間関係が希薄になる。
もしかしたら私は、無意識にそのことがわかっていて、嫌いな人を作らないようにしているのだろうか?
まあ、そうだとしても悪いことじゃない。
やっぱり、私のことを傷つけた人のことは嫌いなんじゃないだろうか?
相手に悪気が無かったとしても。
うーん…。一概にそうは言えない気がするなあ。
好きな人に傷つけられたら、哀しいけれど、それでその人のことが嫌いになるわけじゃないもんなあ。
まあいいや。どうでも。
嫌いな人は少ない方がいい。
私の人生で、「大っ嫌いな人」というのは何人か存在した。
今現在はいない。
「大っ嫌いだった人」がいるだけ。
大っ嫌いだった人とも、縁が無くなればどうでもよくなる。
今再会したら、普通にわだかまりなく話せるんじゃないかと思う。
いい子ぶるつもりはないが、私には嫌いな人はあまりいない。
苦手な人はいるが…。
苦手な人イコール嫌いな人ではない。
どっちかと言えば嫌いだから、苦手ということもあるが、
立派過ぎて話しづらいとか…、そういう人は全然嫌いじゃなくても苦手。
私の場合、「ちょっと嫌い」からいきなり「大っ嫌い」に移行するような気がする。
好きじゃないけど、いいとこあるし…、みたいな感じで猶予期間が長いのである。
好きじゃないけど、嫌いとは言えないという…。
昔、友達に近所のおばあさんのことで愚痴を言っていたら、
「何て嫌なババアなの!?」と言われた。
「でも、いい人なんだけどな」と言うと、
「本当に悪い人なんて滅多にいないんだから、そういう人を嫌な人って言うの!」
なるほど。本当に悪い人なんて滅多にいない。
その通りだなと思った。
でも、ある人のことを「嫌い」と思うのと、「嫌いじゃないんだけど…」と思うのとでは、
私の心の中がずいぶん違う気がする。
誰かを嫌いになるのは、哀しいことだと思う。
嫌いな人には、近づきたくないと思う。
苦手な人なら、近づきたくない気分の時もあるが、苦手を克服しようと思う時もある。
嫌いな人が多いと人間関係が希薄になる。
もしかしたら私は、無意識にそのことがわかっていて、嫌いな人を作らないようにしているのだろうか?
まあ、そうだとしても悪いことじゃない。
やっぱり、私のことを傷つけた人のことは嫌いなんじゃないだろうか?
相手に悪気が無かったとしても。
うーん…。一概にそうは言えない気がするなあ。
好きな人に傷つけられたら、哀しいけれど、それでその人のことが嫌いになるわけじゃないもんなあ。
まあいいや。どうでも。
嫌いな人は少ない方がいい。