goo blog サービス終了のお知らせ 

だって見たいんだもん!

映画と共に生きてきた私。大好きな映画と芝居と絵画をメモします。

タマラに会いたい。

2010-02-10 18:15:23 | 展覧会
かつて“ロリータ・レンピカ”というブランドがあって、洋服やバッグ、小物、アクセサリーなどを百貨店で見ました。今、ブランドショップは見かけないし、ネットで検索してもかろうじて香水がヒットするくらい。

そんなブランド、知らない?それはともかく、なんでそんなことを思い出したかというと、渋谷のザ・ミュージアムで開催の、「美しき挑発 レンピッカ展」のポスターを見たからなんです。ちょっと似てる?こちらは画家。

タマラ・ド・レンピッカ。ポーランドのワルシャワで1898年、弁護士の父と上流階級出身の母の間に生まれました。本名はマリア・グルスカ。スイスの全寮制学校で学んだタマラは、祖母との旅行でイタリアへ。

そこで巨匠たちの絵画に触れます。その後、両親の離婚で移り住んだロシアで、弁護士のレンピッキ伯爵と結婚しますが、ロシア革命を逃れてパリへ。そこで生活を立て直すために、画家になる決心をします。

彼女は1920年代のパリで女性の自由を実践して生き、独自の作風を生み出します。それはポスターの絵を見れば、一目瞭然!日本初公開『緑の服の女』(1930)、その圧倒的な存在感。彼女の作品は、自画像だと言います。

キャンバスから飛び出さんばかりの人物像。金属的な光沢のある肉体、そして今流行りの3Dのようなイメージ。うむ、それこそがレンピッカの作風。作品もですが、モデルのなった人物もわけありの人たちのよう。

今回の展覧会では、日本初公開の『イーラ・Pの肖像』(1930)、『シュジー・ソリドールの肖像』(1933)、『ロシア人の踊り子』(年代不明)、『パンジーを持つ女性』(1945)をはじめ『ピンクの服を着たキゼット』(1926)

キゼットはタマラの娘。夫をモデルにした『ダデウシュ・ド・レンピッキの肖像』(1928)、『サン・モリッツ』(1929)、『修道院長』(1935)などの他、自身の写真『ロングドレスを着たタマラ』(1929頃)も。

タマラは、1980年82歳で亡くなります。ジャック・ニコルソンもマドンナもファンという、タマラ。ぜひ見ましょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする