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将棋を教える~Fくんの場合

2008年09月25日 | 将棋
将棋を教えるというのは、つくづく難しいと思う。

最近、私が将棋を教えている・・・というか、目をかけているのは3人。
カラオケと恋愛の師匠Fくん、将棋部のTくん、NEC将棋部に勉強に来ているAちゃんの面々。

Fくんは、居飛車党で矢倉をよく指している。町道場の二段くらいだろうか。
平手で指す時は、後手番で矢倉に追従することにしている。
後手のこちらは、よくある△5三銀と上がる専守防衛タイプに、8五歩+9四歩型。
先手のFくんは、4六銀+3七桂+3八飛の攻撃型から、▲6五歩とする最新の定跡。
大体、私が△3三桂と反発する形になるのですが、Fくんは▲6四歩と突き捨てる指し方でなく、▲6六銀~▲5五歩のように動いて、以降、何故か自玉頭を開拓しようとする。
結局、こちらの銀桂を全て捌かせることになり、Fくんの攻めの銀は取り残されて、終局になる。
「矢倉というのは、いかにして、攻めの銀と守りの銀をぶつけるか、というゲームなんだ」
「良く分かりました」
うーん。毎回同じことを言っている気がする。
「オレが将棋を教えている3人は、ちっとも上達しないよなぁ・・・」
「いえいえ、そんなことないですよ。かなり強くなってますって!」
「来年は、私の飛躍の年になりますから!!」
Fくんの前で、ちょっとグチってみると、自信満々でこう返してくる。
リップサービスもここまで言えれば、大したもんだ(笑)

私は、将棋を教える時、具体的な手順はくどくど説明しない。
先生の言う事を、一言一句暗記出来るような生徒はいない。
だから、これだけは覚えてもらいたいということを、1つか2つ、心に響くような言葉を選んで、話している。
矢倉だったら「攻めの銀と守りの銀をいかにぶつけるか」
定跡や棋譜で銀がぶつかる形は暗記出来るが、未知の局面になったとき、まず「銀がぶつかるにはどういう手順を踏むべきか」という方針に沿って考えることになる。
この「方針を示す」ことが「教える」ことであり、「方針に沿って考えることを繰り返す」ことが「上達」なんだと思っている。
方針を教えた直後は、「何だか分からないけど言われた通りにしてみよう」状態。
方針に沿って考えることを繰り返すと、それが実感として分かってくる。それが身に付くことであり、「上達」という訳。

方針、考え方と言えば、6枚落ちの下手にも必ず覚えてもらいたいポイントがある。
「数多ければ勝つ」「駒得」の2つ。
これが実感として分かれば、6枚落ちは卒業と言ってもいい。
端に駒を集中して、飛を成るのが、縦に数を足すこと。
飛を成ったあとは、と金を作って、竜とと金のコンビで守備の金銀に向って寄せる。
駒得を狙うと同時に、横の数の攻めでもある。
竜と馬を作って、振りまわしているだけの下手は、どんなに「教えて下さい」と言ってもご遠慮願うだけ。
そんなのは、ハンデをつけた勝負以外の何物でもない
教えるのは、私にとっても有意義だが、「ハンデをつけた勝負だけ」というのは、全く意味がない
下手は学ぶつもりがないし、こちらも何も得るものがない、与えるものもない。
勝負するなら、平手の方が面白いに決まっている。

ついでにもう1つ。
飛落ちの上手は、お神酒指しが最強と言っている人がいる。
しかし、私は、駒落ちは下手の上達がメインと思っているので、お神酒指しは絶対使わない。
駒落ち定跡というのは、駒落ち定跡によって、手筋や考え方や間合いや感覚を学ぶためのものであり、駒落ち定跡を使うから下手の上達があると言っていい
お神酒指しは、負けたくない上手が定跡を外しているだけ。何も残らない。全くもって不毛だと思う。
余談だが、飛落ちの右四間定跡だけは、学ぶ価値がない
あれをマスターしたところで、考え方は学べない。
意味があるとすれば、攻めが止まったら負け・・・調布将棋センターの頃の言い方だと「息を止めて攻める」と言うのですが、それを実体験出来るぐらいか?

Fくんの話に戻って、彼には毎回同じことを言って、毎回分かったという。
しかし、彼は、多分わざと玉頭を開拓しようとする。
すごくむなしい。
腰をひねって体重の乗ったパンチを打つような先手矢倉の攻めは、将棋の醍醐味の1つ。
「今、腰の入ったパンチが打てたよな!」
・・・って実感出来れば、今よりもっと矢倉が、将棋が面白くなるはずなんだけど。
何とかして、この醍醐味を彼に味あわせてあげたいと思っている。
でもなぁ~。う~ん。

#残るTくん、Aちゃんの話は、また別途。

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