とかく将棋大会の参加賞は、扇子が多い。
しかし、自分自身、これは将棋界の悪しき風習・・・だと思う。
将棋も中級者以上になれば、対局時の小道具として、扇子は必需品とも言える。
プロは対局時に必ず扇子を持っているし、好きな棋士の書が入った扇子は守り神とも言える存在だ。
何より扇子という小道具を持っているとハクがつく。ちょっと強くなった気がするというわけ。
それでは、何故、悪しき風習なのか?
将棋→扇子というイメージは否定しない。しかし、それは本当にもらったら嬉しいモノなのだろうか?
例えば、春秋職団戦、朝日アマ、アマ王将、アマ名人、アマ竜王、赤旗名人、その他ローカル大会に出場すれば、参加賞の扇子が4本はもらえるだろう。
これらの大会に出る人は、毎年出るものだ。5年出れば20本はストックされる。
また、有段者ともなれば、必ずと言っていいほど、自分のお気に入りの一本がある。
要するに、全く使わない不要なものがやたら溜まるというところが、限りなく無駄と思うわけ。
更にタチが悪いのは、処分したいけど、扇子であるがゆえに処分しにくいこと。
私自身、これらもらいものの扇子が30本ぐらい溜まったことがあった。
はっきり言って、ゴミ箱にダンクシュートしたかった。
しかし、棋士が書して、モノにしたものである。ゴミ箱に放り込むのは躊躇ってしまう。
手紙をもやすことや埋める(?)ことは出来ても、ゴミ箱に捨てられないのと同じようなものだ。
それでは、参加賞には何が良いのだろう?
例えばタオルだったら、必ず使い道がある。キッチンや洗面所の手拭きにはちょうど良い。しかし「捻り」がないよね(笑)
私的には、布盤がベターなのではと思っている。
将棋の盤は、その大きさゆえに持ち運びが大変だ。でも布盤だったら、小さくて持ち運びに便利だから、居酒屋やカラオケボックスで指す時(おいおい)に便利だ。
それに持っている人も少ないので、需要はあると思って良い。
更に運営側は、コストが小さくて済む。
かなりの名案だと思う(マジ)けど、いかがでしょうか?
しかし、自分自身、これは将棋界の悪しき風習・・・だと思う。
将棋も中級者以上になれば、対局時の小道具として、扇子は必需品とも言える。
プロは対局時に必ず扇子を持っているし、好きな棋士の書が入った扇子は守り神とも言える存在だ。
何より扇子という小道具を持っているとハクがつく。ちょっと強くなった気がするというわけ。
それでは、何故、悪しき風習なのか?
将棋→扇子というイメージは否定しない。しかし、それは本当にもらったら嬉しいモノなのだろうか?
例えば、春秋職団戦、朝日アマ、アマ王将、アマ名人、アマ竜王、赤旗名人、その他ローカル大会に出場すれば、参加賞の扇子が4本はもらえるだろう。
これらの大会に出る人は、毎年出るものだ。5年出れば20本はストックされる。
また、有段者ともなれば、必ずと言っていいほど、自分のお気に入りの一本がある。
要するに、全く使わない不要なものがやたら溜まるというところが、限りなく無駄と思うわけ。
更にタチが悪いのは、処分したいけど、扇子であるがゆえに処分しにくいこと。
私自身、これらもらいものの扇子が30本ぐらい溜まったことがあった。
はっきり言って、ゴミ箱にダンクシュートしたかった。
しかし、棋士が書して、モノにしたものである。ゴミ箱に放り込むのは躊躇ってしまう。
手紙をもやすことや埋める(?)ことは出来ても、ゴミ箱に捨てられないのと同じようなものだ。
それでは、参加賞には何が良いのだろう?
例えばタオルだったら、必ず使い道がある。キッチンや洗面所の手拭きにはちょうど良い。しかし「捻り」がないよね(笑)
私的には、布盤がベターなのではと思っている。
将棋の盤は、その大きさゆえに持ち運びが大変だ。でも布盤だったら、小さくて持ち運びに便利だから、居酒屋やカラオケボックスで指す時(おいおい)に便利だ。
それに持っている人も少ないので、需要はあると思って良い。
更に運営側は、コストが小さくて済む。
かなりの名案だと思う(マジ)けど、いかがでしょうか?