倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈支援の在り方〉

2012-07-23 | インポート
7/22 Sun. [クラちゃんの起床時刻 4:40 AM]

地方議員を対象にした〝セミナー〟が行われ、行事中の記念講演で 「 特定非営利法人(認定NPO法人) JEN 」 の木山啓子理事に、この団体が手がけるさまざまな支援活動について拝聴する機会をいただきました。
この「JEN」は、世界中のあらゆる国や地域で、災害や紛争に見舞われ困窮する住民を支援しており、さきの大震災においてもいち早く被災地に入り、「支援のプロ」として具体的・実質的な支援を展開しています。
木山氏は、普通のOL然とした容貌から想像できない鋭い感性と具体的な切り口で、支援のあり方について論を張られ、その話の内容は、これまでの支援やボランティアの概念を変えさせられるものでした。
支援の実績などについては、例えばアフガニスタンの命がけの支援や、ソマリアでのギリギリの状況での支援、また東北被災地での心温まる支援など、感心させられるばかりのレポートでした。
その支援の内容については送るといたしまして、今回は、その多岐に亘る活動に基づき 「 JEN(=木山理事)」 が〝達観〟した、支援のあり方・概念について非常に勉強になったところから、かいつまんでですがレポートさせていただきます。
まず、“支援“には 「 緊急時支援 」 と 「 自立支援 」 があることを伺いました。
すなわち、その場限りの支援か、息の長い支援か、ということです。
前者の場合は、例えば支援物資を届けたり慰問を行うことが目的であり、もっと言えばモノを届け 「 ガンバってね。 」 と肩を叩けば支援終了、となるでしょう。
ところが後者の場合は、支援する方々が自立できるまでは、たとえ時間がかかっても長い目で見守っていこう、というもの、で、この日ご講演いただいた「JEN」は、まさに 後者 に当たるのです。
その 「 自立支援 」 に立って木山氏は、支援の際に“間違えてはいけないこと“を伝えてくれました。
ひとつは「支援する方々を“支援漬(づ)け“にしてはいけない」とのことです。
すなわち、至れり尽くせりの支援をいつまでも続けていると、やがてそれが当たり前になってしまい、自立するどころか支援される側の“要求“がエスカレートしてきてしまう、というのです。
したがって、子どもが自転車に乗れるように仕向けるが如く、徐々に手を離すつもりで支援することが肝要、とのことでした。
そして木山氏は 「 そのためには、ときには 言いにくいこと も言わなければなりません。」 と続けます。
例えば被災地で、農産物や製品を作ったとします。
厳しい状況を乗り越えて生産にこぎ着けたことは素晴らしいことであり、称賛に値するものでしょう。
しかし、もしその製品が消費者ニーズに合わなかったり、例えば美味しくなかったりしたときには、ハッキリと指摘することが、真の自立支援になる、とのことです。
「 同情心からの購買は長続きしません。最初はご祝儀で買ってくれた方も、ニーズに合わなかったり不味(まず)かったりすれば、やがて手を出さなくなります。
で、それを指摘されないまま相変らずの仕事を続けていれば売り上げも先細りとなり、もって自立の道を妨げることになってしまう、のです。」
支援する方々の真の支援を願うのなら、無用な同情心は捨てて 「 ここ、直した方がもっと売れるんじゃない?」 というような〝敢えて言う勇気〟を支援する側がもつことも大切、との示唆なのでした。
また、一定の支援を行った後、その〝相手方〟が自立したか否かを判断することが肝要、すなわち 「 円満・良好・発展的に手を引く 」 べきときを計ることが求められる、ということです。
その定義は 「 今後の活動に目標・課題を自ら設定できること 」  「 その目標・課題に向かって自らが行動・課題解決できること 」  「 活動に周囲を巻き込めること」 であるとのことです。
被災直後は支援を頼りにするも、時間経過と共に〝体力〟を回復し、やがて自分の足で歩くようになること、そのことを支援して、初めて真の支援といえるとのことです。
また、支援される側の方の〝自立のバロメーター〟は 「 誇りの回復 」 とも述べられました。
いかなる災害でどんなに打ちのめされても、やがて立ち上がることができ、自分の尊厳を回復できたなら、たとえ家は壊れたままでも 「 自立できた 」 といえるそうです。
やる気・元気の源は〝自己肯定〟から始まる、との示唆でした。
最後に木山氏は、政治に携わる者への お願い として、次のことを述べられました。
「 人類は、民族ごとや地域ごとにまとまり、国家や自治体を形成してきました。そしてそこには 「 憲法 」 や 「 条例 」 を定め、そのルールの下に住みよい社会を構成してきたハズです。繰り返すと、そのルールは、人が社会で住みやすくすることを目的につくられているハズです。
しかし、災害などが発生すると、その〝ルール〟のおかげで復興に制約がかったり、すぐやるべきことが古い規制によりできなかたりと、かえって〝足かせ〟になっています。
みなさんのように政治にかかわる方は、ルールづくりをするときに、その前提として、あくまで住民が暮らしよくするための制度設計、逆にいえば、役所が仕事をしやすくするためのルールづくりではない、ということを忘れずに取り組んでください。」 とのことでした。
木山氏の講演は 「 JEN 」 の実践に基づき、私たちに支援のあり方を問い直すものでした。
支援の手が、真に支援を必要とする方々のためになるよう、心して対応せねば、と学んだひとときだったのでした。

〈週末動静〉

2012-07-23 | インポート
7/21 Sat. [クラちゃんの起床時刻 5:05 AM]
一昨日のゲリラ豪雨を、何かのきっかけにしたが如く、長野エリアは不順な天候になってしまいました。
私的には、決して雨はキライではなく、むしろ踊る雨粒を楽しむ方なのですが、こないだの大雨みたく、何というか情緒のない雨にはさすがに閉口させられます。
御多分に洩れず、この日のお空に浮ぶ雲も、水分をたっぷり含んだスポンジのよう、いつ降り出してもおかしくない様相でした。
そのような空の下、さまざま動いて、週末の時間が過ぎていきました。
◇ライオンズクラブ「共生の森」整備作業に参加
午前中は、ライオンズクラブのボランティア活動として 「 共生の森 」 の整備作業に、先輩ライオンと一緒に参加しました。
この 「 共生の森 」 は、飯山市の山中の土地を、北信地区のライオンズクラブが共同で借りて、そこに桜の木を植え、やはり共同で管理しているものです。
2000年から整備を始め、2014年を一期と位置づけ、営々と手が入れられており、とりわけ地元のクラブはひとかたならぬ愛着をもっておられるようです。
この日は、泣き出しそうな天気に加えて、山特有の露じみた陽気になりましたが、各クラブの担当委員会のメンバーが集まり、共々に整備作業に臨みました。

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わが 「 長野中央ライオンズクラブ 」 は、私と S サンの少数精鋭参加 (^^) クラブの黄色いベストをまとい、作業に参加しました。

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ところが、やり出すと夢中になるクラちゃんは、初めのうちは鎌での作業で満足せず、持参した「ビーバー草刈り機」を駆使し、周辺の除草に汗を流しました。
やがて休憩タイムとなり、一服つけました。
実はこの樹林の片隅には、山の湧き水をそのまま引いただけの「蛇口」があるのですが、ひと汗かいた後のその水がウマイの何の!
渇いたノドに、天然ミネラルウォーターが心地よく潤いを与えてくれたのでした。
◇「都市型水害」被災想定箇所を見回り
作業を終えて“下山“し、午後の会合に臨もうとした時間、ィ昨日をほうふつとさせるような強い雨が降り出しました。
その雨足を見て、冠水の「多発地帯」の心配に思いが及び、会合は遅参を余儀無くされましたが、駆け足で地区内の課題箇所を見回りました。

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実は、私の住む地域でも 「 都市型水害 」 は大きな課題になっており、その対策として側溝の容量アップや、雨水桝(ます)の設置などの措置がされています。

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しかし、さきの震災ではありませんが、ややもすると自然災害は予想を超えてくることから、一定の措置を施したことで完結とせず、常に状況を見守ることが肝要、と思うところです。

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数地点を見回り、近所の家人の方に状況を伺いましたが、その時点では幸い大事には至っていませんでした。
いずれにしても、異常があったらご一報くださるようお願いし、ひとまず現場を後にしました。
◇「ぷれジョブ」ミーティングに参加
急な「見回り」となってしまいましたが その後、遅参をお詫びしつつ 「 ぷれジョブミーティング 」 に出席させていただきました。
「 ぷれジョブ 」 とは、軽度の障がいをもつ子どもが、それぞれの意欲に応じて仕事のお手伝いをし、その頑張りを褒(ほ)めてもらうことで、自信とさらなる意欲を育(はぐく)もう、というもので、地域の方々のサポートの下 行われる活動です。

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この日のミーティングでは、ナガノにおける「ぷれジョブ」について、まずは川中島地区において活動を緒につけましょう、ということになり「ぷれジョブ川中島」として支援の輪を広げる取組みをすることとなりました。
ぶれジョブに取り組む保護者や関係のみなさんは、代表のMさんをはじめとにかく明るく、打ち合わせも和やかな雰囲気のうちに推移していました。
また、この取組みにも、障がい者支援に心を砕く『ジョイン』のMサン、Kサンが参加されており、それぞれの多様な立場をもって「ぷれジョブ川中島」が広がりを果たすことが期待されると感じました。
私としても、あらゆる立場をもって、少しでもお役に立てるよう、共に歩みを進めていきたい、と、思いをいたしたところです。