5/30 Sat. [ 本日の起床時刻 6:15 AM ]
◇ 現役にこだわる 工藤公康投手にエール!
過般のスポーツ欄に、現在横浜ベイスターズに籍を置く 工藤公康投手が何と2年ぶりに勝ち星を挙げたことが記事になり、思わず拍手を送ったところです。
工藤投手は、1963年の生まれで、愛工大名電高(イチローの先輩)を卒業後、社会人野球に進むはずが、当時の根本コミッショナーに口説かれて西武ライオンズ入りし開花、その後はFAで福岡ダイエーホークス~読売ジャイアンツと在籍、その都度優勝に貢献してきました。
現在は横浜ベイスターズのストッパーとして、老練ともいうべき投球術でチームに貢献しています。
横浜ベイスターズといえば、「ハマの番長」こと三浦投手が有名ですが、工藤選手が横浜へ移籍後間もなくのインタビューで「工藤さんはハマの何とお呼びすればイイですか?」の問いに「んじゃ‘ハマのおじさん,でイイです ^^」と答え、以来ファンに親しみをもって接しているそうです。
工藤投手のすごいのは、移籍先で必ず結果を出す実力と、何といってもその現役生活の長さでしょう。
何でも今年で現役生活28年を数えるとのことで、それだけに記録づくめ、現役最多勝利を初め、40歳以降年齢別最多勝(42歳で11勝・44歳で7勝)、40歳以降2ケタ奪三振試合数、変わったところでは同一背番号(47番)の着年数記録も持っているそうです。(26年間)
生まれたのが1963年ですから、私より1歳しか違わない46歳(!)・・・それなのに、浮き沈みが大きく厳しい環境のプロ野球界にあって、800人にもなろうとする日本人選手の中で埋没することなく存在感を示し、いまだに輝き続けることは、並大抵の努力では成し遂げられない偉業だと思います。
工藤投手を初め、タイガースの下柳・金本選手や、NYメッツで1勝を挙げた高橋投手など、ベテラン健在の感です。
マ、私も同年代の者として(工藤選手と比べるのは‘オジョコ,ですが ^^;)いつまでも社会で活動し続けられるよう努めてゆかねば・・・と思いを新たにしたところです。
私は、大切なのは‘その年なりの輝き方,を模索する努力、ということではないかと思います。
周囲にも高齢なのに魅力的なおばあちゃんがいらっしゃいますが、肩ヒジ張らず伸び伸びと日々を過ごしていらっしゃいます。
おそらく工藤投手も、若い選手といたずらに張り合うことなく、マイペース調整で結果を出していることと思います。
イイ意味で「細く、長く」自分自身をわきまえつつ、今後も一生懸命日々を重ねていきたいと思ったところです。
◇ オ マ ケ の 課題・・・長野駅の連絡通路(コンコース)の‘使い方,
善光寺御開帳もいよいよフィナーレを迎え、7年に一度の大催事も幕を閉じようとしています。
この間、長野には多くの観光客が訪れ、つかの間活況を呈したところです。
その結果や成果については、後日市の方から報告があるでしょうから、今後検証をすすめたいと思います。
先日(平日)JR長野駅の‘東西連絡通路,を通ったところ、平日にも関わらず多くの歩行者が歩いていました。
また在来線の改札口の前には、ながの観光コンベンションビューローが臨時設置した‘善光寺御開帳案内所,が設置され、参拝客のインフォメーションに務めると同時に、私が通ったときは‘ちょっとひと休み,と高齢者の仲良しグループが仮設ベンチでくつろいでいました。
今月をもって御開帳も終わり、ナガノはまた日常の社会生活に戻るのでしょう。
で、私いつも気になっているのですが、御開帳の最中は臨時案内所の設置で活用された改札口前の広場が、以前から、夜、それも深夜にかけて、若者達のストリートダンスの‘メイン会場,になってしまっていることなのです。
御開帳の最中は、‘ダンス会場,も臨時案内所の設置で‘手狭,になっていましたが、それでも代わる代わる若者がパフォーマンスを繰り広げており、御開帳関連施設の傍らでクルクル回る若者の姿は、何ともミスマッチの感でした。
御開帳が終わり日常を取り戻すナガノですが、このコンコースの占有状態はいかがなものか・・・と思わずにおれません。
私は、決してストリートダンスそのものを否定するワケではありません。けれど‘長野市の玄関口,である駅の施設が、夜とはいえ そのことだけに占有されてしまっていることに、いささか憂いをもって見守らざるを得ないところです。
かといって‘見られてナンボ,の若者達に、誰もいないトコで壁に向かって踊ってろ、といっても無理でしょうし・・・
御開帳が幕を閉じるにあたり、やや関連のない場面で、今後に課題を感じたところです。