倉野立人のブログです。

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〈憤(いきどお)りの理由〉

2012-07-11 | インポート

ここ数日〝いじめ自殺〟への対応について、某市教育委員会が非難の声にさらされています。

一連の報道によると、恒常的な、それもひどい いじめ の実態がありながら、被害者生徒や家庭の訴えを学校が真剣に受け止めず、あげく事(こと)が起きてからは〝調査〟を行うものの、その結果を正確に公表しないばかりか、「 加害者の人権 」 などの 歪曲発言 ・ 生徒への口止めなどの 隠ぺい ・ 会見内容がコロコロ変わる 変遷 などを重ね、その一連の対応は、当事者ばかりか社会全体の怒りを買い、今や大きな社会問題に発展しています。

・・・これって、東京電力の原発事故後の対応に似てますよね。

なぜ、私たちは、この手の〝対応〟に憤(いきど)りを覚えるのでしょう。

私は、これは 「 保身 」 に他ならないと思います。

大きな事件・事故が起こってしまった。

百歩譲れば、起きてしまったことについては、後戻りはできないでしょう。

しかし大事なのは、その後 です。

関係者や責任者が、潔(いさぎよ)く事実を認め、潔(いさぎよ)く謝罪したとすれば、人はこれほど怒ることはないと思います。

「 どうやって責任を逃れよう、どうやってコトを正当化しよう 」 との〝保身行動〟が見えるから怒ると思うのです。

しかも、その〝保身行動〟の当事者が 「 聖職(せいしょく) 」 のハズの教育委員会であったり、社会インフラに責任を負う電力会社であれば、憤りの度合いはさらに上がるものです。

この連中の所作を反面教師とし、せめて私たちは、保身に走り、自分の身の安全だけを最優先するような社会生活は送りたくないものです。

あと、もうひとつ懸念材料が。

今回の いじめ事件 のように、生徒(子ども)が加害者となる事件があります。

その際、民事裁判に発展したとき、当然、加害者生徒・加害者家族にも弁護人が付くでしょう。

で、当然、弁護人は、加害者の責任を軽減させるべく、法定闘争に臨みます。

私が懸念するのは、そのときの〝創意工夫〟です。

加害者生徒は、実際には いじめ に手を染めていたとしても、弁護人や家族、いわゆる大人の〝入れ知恵〟により、例えば 「 あれは いじめ  ではなく、遊びの延長だった 」 などと、表現の仕方を〝工夫〟することで、罪の軽減を図ります。

そして万一、それらの〝工夫〟により罪が軽減されたとすれば、その瞬間に、その子どもには 「 なるほど、悪いことをしても、こうやって言い逃れれば、罪は軽くなるんだ・・・」 との〝悪知恵〟が備わってしまうのではないか、と思うのです。

〝未来ある子ども〟の将来を案じる親心が歪曲し、あの手この手で事実を曲げ、罪の軽減を勝ち取る・・・一見は 「 良かったヨカッタ 」 ですが、実際にはどうでしょう。

要領のイイ、世渡り上手野郎 の一丁あがりです。

「 悪いことは悪い、やってしまったことは潔く謝れ!」 しつけの原点に立ち返るべきと思うのは、私だけではないでしょう。

でも、一連の事件現場は、それを教えるハズの、学校 であり、家庭 なんですよね・・・。

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