倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

2013-01-31 08:31:30

2013-01-31 | インポート
1/30 Wed. [ クラちゃんの起床時刻 5:05 AM ]

1/30(水) )~ 31(木)、所属する「観光戦略特別委員会」の行政視察に参加しています。
この日は、世界遺産である『熊野古道』を中心に “まちじゅう観光“を実践している「一般社団法人 田辺市熊野ツーリズムビューロー」の取組みを伺いました。
田辺市は、市町村合併を経て現在に至っておりますが、その際に合併市町村が観光振興の重要性に鑑み基金を創設、後のビューロー活動に充当しているとのことです。

当地域の観光の“目玉”である『熊野古道』ですが、世界遺産に認定された直後は多くの観光客が来訪するも、その後は時間の経過と共に右肩下がりの傾向が見られたことから、一過性の ブーム に終わってしまうことに危機感を抱き、いわゆる 地に足の着いた 「着地型観光」をめざし活動を本格化させています。

視察内容につきましては後日談とさせていただきます。


〈 便利な一方で 〉

2013-01-30 | インポート
1/29 Tue.  [ クラちゃんの起床時刻 5:00 AM ]
実家のオフクロに買い物を乞われ、市内のスーパーに立ち寄りました。
自動ドアをくぐって店内に入り、目的の商品を探すべく歩を進めると、店内の正面中央にあるエスカレーターの前に、おじいちゃんが佇んでいます。
見るともなしに見ていると、何だか前に進もうにも進めず、足踏みをしているよう・・・さらに見ると、どうやらエスカレーターの回転ペースに歩みが間に合わず、ステップに乗りあぐねているようなのです。
何というか、初めて幅飛びを経験するとき、踏み切りで飛ぶに飛べないで〝あぐねている〟ようです。
そのまま無理して乗れば、拍子によっては後に転倒してしまう、と、ワタクシにわかに心配になり、声をかけようと近寄ると、くだんのおじいちゃん、意を決したようにピョイと乗り、2階へと進んでいきました。
その後、降りるときも心配と、おじいちゃんの後をエスカレーターに乗り、距離をおいてついていきましたが〝降車〟は順調、やや安心して階段で下に降りたものでした。
社会インフラは、あらゆる面で利便性が進み、自動ドア・エスカレーター・エレベーター・自動洗浄・自動△△・・・便利が常識になっている 現世 です。
その一方で、そのペースについていけない市民もおられ、社会インフラのせいで場合によっては危険に遭遇する場面も散見されます。
あまねく市民の利便性と安全性を担保する、総合的な見地での整備が肝要、と実感した、おじいちゃんに教えてもらった感でした。
議会

〈 観光戦略特別委員会 〉

2013-01-29 | インポート
1/28 Mon.  [ クラちゃんの起床時刻 5:55 AM ]
議会の「観光戦略特別委員会」が行われました。
この日は、JR東日本㈱ 長野支社 運輸営業部の A 販売促進課長を招き 「 新幹線の金沢延伸を踏まえた観光戦略について 」 というテーマで意見交換を行いました。
JR東日本㈱においては、同社の冨田社長がさきの会見で、新幹線の東京⇔金沢の全線開通を控え、広域観光ルートなど「沿線地域と協力して観光の活発化につなげたい」と述べておられ、今回の開業を契機に、さらなる観光産業の伸長に期待が寄せられています。
その一方で、これまでは終着駅であり、否応なしに下車駅となっていた長野駅が 「 途中駅 」 になることで、乗降客が減少してしまうのでは、という懸念が寄せられており、期待と不安がないまぜになっていると申せます。
今後の取組みの如何によって、プラス成果をもたらしたり、逆にマイナスに陥る可能性もあり、いずれにしても勝負はこれから、の感です。
A 課長によると 「 これまで、鉄路を使っての金沢⇔長野間は、利便性や所要時間は著しく悪く、来訪する観光客も、そのほとんどが陸路(クルマ)を使っているのが現状です。今後、新幹線が開業すれば、1時間前後で双方が結ばれることになり、利便性は飛躍的に向上します。長野市にも多様な観光素材があることから、この度の全線開業は、これまでの東京からの誘客はもとより、北陸方面、もっと言えば関西方面からの誘客を促す〝風穴〟となることが期待されます。」 とのことでした。
そのうえで、JRとしても、さまざまな商品を研究・開発し、長野駅への誘客向上にも資していきたい、とのことでした。
話しはいつしか 「 新長野駅ビル 」 に及び、新幹線開業に併せてリニューアルする新長野駅が、現在市が工事中の 「 駅善光寺口広場整備事業 」 と相(あい)まって〝街のカオ〟として効果的に機能することに期待が寄せられる旨 述べられたところです。
意見交換の中で 私は 「 新長野駅ビル の魅力が創出され、土産物や特産物が購入しやすい環境が整備されるのは喜ばしいところですが、その一方で、駅ビルの〝ワンストップ化〟が進むと、観光客は、その場で購買などの経済活動を 「 完結 」 してしまい、周辺の他の土産物店や、既存の商店での購買分が 吸収 されてしまうことが懸念されます。今後、新駅ビルの〝独り勝ち〟にならないよう、既存の土産物店や商店と連携も視野にいれて取り組んでいただきたい。 」 と述べさせていただきました。
それに対し A 課長は 「 新駅ビルが、長野の名産品の一部を紹介し、本格的な買い物は地元の店舗に足を運んでいただけるよう、購買のきっかけづくりになるような〝情報発信源〟となれれば、と考えています。」 旨を話されました。
今後、駅を降りた後の(バスなどの)二次交通の利便性向上を含め、大局に立って長野市観光をリードしていただきたいと、期待を添えたところです。
いずれにしても、住みよい街、訪れたくなる街をめざし、挙げての取組みが求められるところです。

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・・・・・・・
この日、

〈 前向きな人生 〉

2013-01-28 | インポート
「 100歳の詩人 」 で知られる、柴田トヨさんが、101歳で他界されたことが報じられ、寂しさを禁じ得ない感に至りました。
報道によれば、柴田トヨさんの人生は、喜怒哀楽に満ちたものでした。
明治44年、栃木市で豪商米問屋の一人娘として生まれたが、10代で家業が傾き、奉公に出て苦労を重ねます。その後20代で結婚と離婚、33歳での再婚と、いわゆる波乱万丈に人生を歩みます。
これらの多難・多感な経験は、やがて詩文として表現される原資となり 「 その時 」 をじっと待つことになるのでした。
やがて90歳を過ぎてから。母の独り暮らしを案じた長男に、詩作を勧められたのがきっかけとなり、平成16年、中央紙のコーナー 「 朝の詩 」 に投稿 「 みずみずしい感性は百歳を前にした女性とは思えない 」 と選者の絶賛を得たのです。
その後、98歳の時に、これまでしたためた37作品を 『 くじけないで 』 として自費出版、さらに大きな反響を招くに至るのでした。

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トヨさんの、その前向きな考えがしたためられた詩は、さきの大震災での避難所にも掲示されるなど、多くの被災住民の励ましにもなったそうです。
100年超を気丈に生き抜いた柴田トヨさん、その信条は 「 人生、いつもこれから。誰にも朝は必ずやってくる 」 だったそうです。
決して平坦でない人生の旅路を歩み、90歳を過ぎてなお、詩作に打ち込むその姿勢は 「 人生まだまだこれから 」 の、ポジティブに他ならないものです。
90歳にして開花した柴田トヨさんの人生は、多くの者に光を当てる、柔らかな陽射(ひざし)のようだったのでした。
合掌

〈 サタデー動静 〉

2013-01-27 | インポート
1/26 Sat.  [ クラちゃんの起床時刻 5:45 AM ]
今冬は、列島全体が幾度となく寒波に襲われていますが、この日は日本海側を中心に寒波再来、長野エリアも朝のうち雪化粧に覆われました。
そんな中、この日は松本市で「長野県ソフトテニス連盟」の常任理事会があり、長野市ソフトテニス協会々長の立場で出席しました。
私は出席時間に限りがあり途中退席となるため、他の役員サンとは別に、単身ハンドルを握って中央道を南下したのですが、途中、2つのトンネル、それも何(いず)れもトンネルに入って直(す)ぐの地点で自損事故を起こしているクルマが、発煙筒で車線規制をしている場面に遭遇してしまいました(幸い、NEXCOや警察が処理にあたっていましたが)。
どうやら何(いず)れの事故も、折からの北風に伴い、トンネル入口にうっすら吹きだまった雪にスリップして壁面に衝突したようです。
おそらく慌てたドライバーが、ブレーキを踏むか急ハンドルを切り、コントロールを失ったものと思われます。
そのような場面に遭遇したら、まずアクセルペダルから足を離すこと、そして急ハンドルは禁物、慣性に任せ、フットブレークではなくエンジンブレーキを使う(オートマの場合はDレンジをLレンジまで段階的に下げる)ことが肝要です。
さきの都内での降雪パニックもそうでしたが、立ち往生したクルマが脱出しようと、アクセル全開でさらにスリップしている様子が映っていましたが、これは逆効果、これは雪国のドライバーである我々は百も承知のところですよネ。
路面との摩擦を最小限に止(とど)めつつ、タイヤの回転を止めないことがスリップ予防の最善の策、私もかつて何度も滑った経験から会得した術です。
いずれにしても他山の石、気を入れ直して会場に向かいました。
◇ 長野県ソフトテニス連盟 平成25年理事会
県ソフトテニス連盟理事会での報告事項などを通じ、特徴的だった議事を何点か。
ハイスクールジャパンカップに 「 シングルス 」 部門の創設が報告されました。
本来、ソフトテニスは、ペアでゲームに臨む 「 ダブルス 」 が主流ですが、今回、1 対 1 の シングルス の創設は、時代の変遷とも申せます。
この背景には、ソフトテニスの多様な魅力を創出する狙いと、一方で、競技人口の減少があります。
ダブルスだけでは大会を維持できなくなることを見越してのシングルスの創設は、やや忸怩たるものがありますが、いずれにしても、硬式テニスにはない スピード感 と パワー感 を維持しつつ、ソフトテニスの新たな魅力につながることを期待して止まないところです。
その一方で、全日本シニア選手権に 「 80歳以上の部 」 を新設することが報告されました。
ソフトテニス競技に〝定年〟は無い!生涯スポーツを象徴する内容なのでした。
また、今後の事業計画の中に 「 ジュニア審判員普及促進 」 が挙げられており、その意義の大きさが感じられました。
ソフトテニスをはじめ、多くのラケットスポーツは 「 セルフジャッジ 」 が旨とされており、プレイをしながら公正なジャッジに努めることが当たり前になっています。
そのうえに立って、たとえジュニアといえどもしっかりとしたルールを覚え、他の選手の規範となる(ときには主審も務める)ことは、ソフトテニスを通じて、いわゆる 勝ち負け だけでない、選手の社会的な面の育成にもつなることから、この事業は大いに推進すべき、と思いました。
やがて私の退席時間が迫り、一路帰長、その後は行事の ハシゴ となりました。
◇ 少年野球チームの保護者会に陪席、教育問題「防止」 の根幹を見た思いが。
地域の少年野球チームの新年会にお呼ばれしましたが、あいにく時間が無く、それに先立つ保護者会々議に陪席し、かえって有意義な所感をいただきました。
私が伺ったときは 「 お茶出し当番 」 についての意見交換がされていました。
練習や試合の際に 「お茶出し 」 をするのは、地域スポーツ団体で半ば常識になっていますが、それが保護者の負担になるのでは、という話が出されていました。
それに対し、チームの監督が 「 かつての お茶出し は、監督やコーチにサービスするのが旨でしたが、今は、私はそれは違うと思うのです。お茶出しはあくまで名目であり、おうちの方々には、お茶出しを機会に、ぜひ子どもの頑張り、成長ぶりを観にきてください。子ども、とりわけ初心者の子どもの成長ぶりは目覚ましいものがあります。捕れなかったボールが捕れ、当たらなかったバットで打てるようになる、この感動を、ぜひ子どもと一緒に共有してほしいのです。お茶出し当番 は、グランドに足を運んでもらうための 理由 なのです。 」 と述べられ、私はここに、このチームの、真に子どもを思う 心 を感じたところです。
そのうえで、保護者会長サンが 「 家庭の事情や仕事の都合で、保護者の100%参加は叶わないかもしれませんが、そこはお互いにフォローし合いながら、フレキシブル(柔軟)にやっていきましょう! 」 と笑顔でまとめられていました。
今、子どものスポーツを巡って、その意義の大きさと、一方で 指導の加熱 に伴いさまざまな問題が発生しています。
その陰には、監督・コーチの封建的体質や、それに伴い 言いたいことも言えない雰囲気の蔓延 があり、この〝悪しき縦割り体質〟を打破することが肝要と申せます。
その点。こちらのチームは、監督はじめ全体が 「 横の連携 」 のうえに立ってチーム運営に臨む気運が醸成されている感、共に子どもの健全育成を望む者として、頼もしい限りだったのでした。
◇地区農政懇談会、明日の地域農業に向け忌憚のない意見交換が
保護者会にカオを出した後、地域の農業委員会が主催する農政懇談会に出席しました。
こちらの懇談会は 「 乾杯! 」 の前段に、農業関係の勉強会を行い、互いに造詣を深めたうえで酒席に臨もうという 伝統 があります。
これは、ややもすすると、寄れば直ちにカンパイ、後はただ飲んで酔ってオシマイ、となりがちな新年会になるところを、共通の識見もつ各位が、懇親に先立ち、改めて課題意識を共有する時間ともつという大きな意義があります。
今回は、JAグリーン長野の S 専務理事を招き、農協を取り巻く課題と将来像についての披瀝がありました。
S 専務理事は、いわゆる保守的な農協組織にあって、非常に前衛的な考えを有しておられます。
本来 「 農協 」 という組織は、農家が農業で利益を上げることができるようサポートしていくという役割を担っています。
しかし実際には、その〝本業〟以外の面の事業が全面になっていることから、S 専務理事は、今こそ農協自身が意識改革し 「 本来の存在意義 」 に立ち返って、農家支援に資する事業展開をすべき、という主張を述べられ、出席者の共感を得ておられました。
私も、意見交換の中で 「 農産物販売は、バナナの叩き売りになってはならないと思います。 」 と述べさせていただきました。
現下のデフレ状態からか、あらゆる小売品が「安かろう△△かろう」になっています。
しかし、そんな中でも、地域ブランドを自負する、たとえば果物などは、一定の水準(糖度(甘さ)・見た目)を満たしたものは、安売りラインに乗せず、敢えて高値で供出することで商品価値が上がり、そして、高いが故にかえって新たな購買意欲にもつながると考えます。
今、農業従事者がいない理由のひとつに 「 儲からない 」 それは即ち、経費をかけて作っても、安値でしか売れず利益につながらない、という深刻な問題があります。
その現状打破のためにも、農協組織は農家と連携しながら 「 イイ物を高く売り、もって消費者に喜んでもらう 」 ことに努めることが重要と思うところです。
今後、農協組織の〝自己改革〟と、各農家の成長に期待を寄せるところです。
この日の行事のハシゴのラストは、労働団体の新年交歓会、遅ればせながら伺いましたが、市内の産業を支え、働く方々の地位向上に取組むみなさんと、つかの間懇親させていただきました。
「 現場には現場の苦労があるよナ! 」 社会の最前線で汗を流す皆さんと意気投合し、今後も共々にガンバロー!ということで一致しました。
ハシゴはかけても、なかなか箸を付ける至らなかった時間が過ぎ、気がつけば空腹の極致に( @ @ )
たまらず長野駅前のラーメン銘名 「 いろはのい 」 に駆け込みました。

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カウンターに座り、とりあえずギョーザを頼んで、メニュー表を手にしようとしたら、ン?どうやら新メニューが出たようです。

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訊けば、魚介系のしょうゆ味で、ちぢれ細麺を使っているとのこと、さっそく作ってもらいました。

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供された作品は、見ためは塩ラーメンのようでしたが、食してみると 「!」 シッカリとし魚介系しょうゆスープがちぢれ麺に絡む、味わい深い一品でした。
慌ただしかった週末の夜、ようやく落ち着いた感 でした。
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この日