倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈力(ちから)の差〉

2011-09-30 | インポート
新聞記事によると、民事再生手続きを進めていた千曲市の建設機械メーカーを、中国のメーカーが買収する形で支援することになったことが報じられました。
これは、民事再生を申請後、M&A(企業合併・買収)助言会社に、国内外を問わずスポンサー企業探しを依頼していたものが実を結んだもので、小型機械の製造を期していた中国メーカーとの思惑が一致した、とのことです。
この買収により、千曲市のメーカーは経営再建に光が射(さ)し、中国メーカーは日本の高い技術力を得ることができることになります。
今回の「買収劇」は、企業間に結ばれた〝良縁〟といえるでしょう。
その一方で、現在の国際競争力の現実・・・行き詰まる日本と、成長を続ける中国との力(ちから)・勢いの差を実感させられるものでした。
このように、現在わが国は、(円高も手伝い)産業面では拠点の中国大陸流出が進んだり、中国人資本による日本の土地買収、また観光面でも中国人富裕層観光客誘致に努めたりと「中国頼み」の面が否めない傾向にあります。
今後は、隣国中国との友好関係を維持しつつ、しかしながら〝席巻(せっけん)〟までは許さないよう、日本側も地力を失うことのないよう「体力づくり」に努めるべき、と記事を読みながら思いをいたしたところです。
この日の夜、地域みなさんが会合を開かれ、出席させていただきました。
あらゆる面でカオの広い T さんのお計らいで設営された、地元の居酒屋サンでの会合、定時に訪れるとすでにメンバーが揃っておられ、しかも「貸し切り」の優遇をいただいていました。
みなさん口々に「クラちゃん、おめでと!」と声をかけてくださり、みなさんのご厚情の〝厚さ〟を実感します。
どうやら T さん、ご口上(こうじょう)の原稿までしたためてこられたようで、何ともソツなく会を進行されていました。
私の立場からも御礼を述べさせていただき盛大に「かんぱ~い!」となり、後は和気あいあいのうちに時間を過ごしました。
私自身、正直いって4月からの「出直しの旅」は、逆風の中の厳しいものでしたが、そんな中でもみなさんは温かく励まし続けてくださいました。
また、後援会活動には「組織化」が必定とされていますが、こちらのみなさんは組織や形式にとらわない〝横のつながり〟による「仲間づくり」を実現してくださいました。
私の仕えた北沢参議院議員も「たとえ100人の敵がいても、10人の腹心がいれば危機は乗り切れる」を持論とし、実際に危機を乗り切ってこられました。
この日集っていただいたみなさん、私を温かく見守ってくださる一方で、これからのまちづくりや地域福祉のあり方について忌憚のない意見をいただき、これからの私の政治生活の「羅針盤」となっていただけるものと期待を寄せるところです。

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あと、こちらのお店の料理・・・伺えば東京仕込みだそうで、和風をベースに一品ひとしなに心を尽くしてくださり、箸を進める毎(ごと)に「おいしい!」が口(くち)をつきます。
選挙後、何かと慌ただしく推移していますが、この夜ばかりは身も心もくつろげた感、だったのでした。
あ、そいうえば、こちらの屋号「くつろぎ」でした。

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〈あの人 この方〉

2011-09-29 | インポート
この日は、各界・各層の方々(というと大げさですが ^^)に会い、会話をする機会に恵まれ、目からウロコが落ちたり考えさせられたり・・・の日でした。
朝、日頃お世話になる、豪快磊落(ごうかいらいらく)な M さんのお引き回しで挨拶回りをさせていただきました。
くだんの M さん「おめえ」が枕につく癖があり、わたしに会うなり「おめえ、ヨカッタな! おめえ、たいしたもんだ!」と、痛いくらいの握手をしてくれ、背中をドンと叩かれました。
私は川中島町を地盤としていますが、M さんは他地区に住んでおられ、そちらの方面からも多くの支持者を紹介していただいており、いわゆる「積み上げ」の原資となっていただいています。
で、この日の午前中は、M さんを通じて支援の輪を広げていただいた皆さんを訪ね、改めて御礼を述べさせていただきました。
最初に伺った、N さん宅、チャイムを鳴らすとご夫婦でお出ましいただき、笑顔で喜びを共有しました。
ところが、その笑顔もつかの間、N さんのご主人「ところでクラノさん、会派はどうするんだ?」と厳しい表情で問われます。
実は N さん、非常にリベラルな考え方の持ち主で、高齢者にありがちな保守的な考えとは明確に一線を画しておられます。
「クラノさん、あんたは多くの票を得たけれど、市民があんたにどのような期待を寄せているかをヨク考えたうえで行動しとくれや。」と申され、私も「それどころじゃありません。しっかり自覚しながら行動します。」と応じました。
そのうえで N さん「最大会派だけはダメだぞ。あそこが長野市の水流を澱(よど)みに変えてしまっている。」とぴしゃり。
私自身、最大会派の健全な対抗軸になることを決意し活動を重ねていることから、そのことは明確にお応えさせていただき「ヨシ、がんばれ!」と、改めてご激励いただきました。
市民の声、私に寄せる期待を総じてくださった N さんだったのでした。
その後、クルマは小田切新橋へ。
小田切ダムのさらに上にある保養施設を訪ねました。
そこには御年90才の T さんが待っていてくださり「おお、おめでとう!」と歓待してくださいました。
伺えば T さんはこの施設の常連サンで、この間ズ~っと、来場するおじいちゃんおばあちゃんに「クラノをよろしく!」と声をかけ続けてくださったそうです。
そのせいでしょう、職員サンをはじめ、広間でテーブルを囲む長寿者のみなさん「あ、あんたがクラノさんかい。」と笑顔で手を差し伸べてくださいました。
そして皆さんからは異口同音に「年寄りにも優しい長野市にしとくんなして。」との言葉がきかれ「福祉」をキーワードに掲げる私に新たな決意を促してくれたのでした。

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お昼には、中央通りにあるアンテナショップ「ひっぱりだこ」で談笑する女性の輪につかの間加わらせていただきました。

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こちらの女性陣のリーダーもイニシャルは M さん。
優しい物腰ながら明確なポリシーを抱かれ、女性の視点で世相を見つめておられます。
「長野市の政治には〝心〟が足りない。今のまま〝費用対効果〟だけの視点では、わたしたち市民は市政からどんどん離れていってしまうわ。どうか「人に優しい政治」を実現してちょうだい。」と、私の目をしっかりと見据えながら話してくださいました。
さらに M さん「私たちのような女性の心を理解して政治に臨んでね。期待しているわ。」と言葉をかけてくださいました。
数々のボランティア活動を先導され、未だ現役、真の女性パワーに触れた感でした。

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夜は、後援会の会合を終えた後「長野市役所第一庁舎・長野市民会館建設基本計画決定に関する市民説明会」を傍聴しました。

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これは、未だ数々の問題を内包する両施設の建て替え問題における市民の疑問に議会が主体となって応えようという好企画です。
私が市議会を離れていた際の企画のため、いち市民として傍聴させていただきました。
市民からは、市の示した資料の根拠や、将来に向けた稼働率などに関してさまざまな質問が出され、担当の総務委員会や各派代表者が、議会人の立場で答弁を重ねていました。
が・・・聞いていると、議員側の答弁、それも最大会派の受け答えがちぐはぐで、論点があっちへ行ったりこっちへ来たりで、参加者が納得されたかは懐疑的でした。
いずれにしても、建設を急ぐ最大の理由である「合併特例債」の発行期限が5年延長されたことから、いま一度立ち止まって議論を精査することが可能になりました。
この日傍聴した市民の疑問点に応えることはもとより、議会の中でも論点を整理し、話しがあさっての方にいかないよう、しっかりと箍(たが)をはめていかねば、と責任感を新たにしたところです。
それにしても、相変わらずの古参議員の固定概念・・・市民感覚はどこへやら、質問者と議論がかみ合わないこと度々でした。
この〝護送船団の船長〟との丁々発止は、かなりの(要らぬ)労力を要する・・・と、思わずにおれない〝試合風景〟でした。
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〈楽しい回顧〉

2011-09-28 | インポート
昼間の会議を終えた夕方、あいさつ回りをしておりました。
立ち寄ったのは、地元支部の A さん宅。
御礼を述べ失礼しようとすると「クラちゃん、ウチがラスト?だったらクルマ置いて寄ってけや。」と笑顔で声をかけていただきました。
せっかくお声かけいただいたので、この日の予定の数件をこなし、クルマを置いて出直したところです。
こちらの A さん、後援会の地元支部長としてタイヘンお世話になっています。
それに加えてお世話になっているのが、A さんの奥様。
というのも、クラノ後援会の女性部は、男性陣を影で力強くお支えいただいたのです、
とりわけ、後援会事務所の「賄(まかな)い」で、それは素晴らしいチームワークを発揮され、連日に亘り心尽くしの手料理を振る舞っていただいたのです(有料)
この日も、曰(いわ)く「チャチャっと作ったのヨ。」と言われる、それはオイシイ肴(さかな)に舌鼓を打ちながら A さんと酌み交わすうち、3人でこれまでの後援会活動を振り返りました。
オトコの目線では、活動の成果について、やれ活動状況がどうだったとか、投票状況がどうだったとかの話しに至りますが、奥様は「結果が出た原因?そんなの決まっているじゃない。みんながまとまっていたからよ。」と笑顔で一言。
聞けば、後援会活動の中では、オトコショ(男衆)の知らない場面でオンナショ(女衆)の〝微妙な人間関係〟があるとのこと。
それがかみ合わなくなると、全体がちぐはぐしてしまうものですが、今回はそれが見事にかみ合い、毎日事務所に通うのが楽しみになったそうです。
後援会活動はとどのつまり、人と人とが力を合わせ、ボランティア精神をもって取り組んでくださるものです。
これが給与を得る仕事であれば、多少の人間関係は我慢してやり過ごすものですが〝究極のボランティア〟である後援会活動は、楽しくなければ意味がないとも言えるでしょう。
言われてみれば、今回の活動の中、後援会事務所は笑顔が絶えませんでした。朝会っては笑顔、昼に戻っては笑顔、夜、解散するときも笑顔・・・でした。
すばらしい成果が収められた主原因は、A さんの奥様の笑顔に象徴されていたのでした。
ちなみに A さんちにはワン(ゴールデンレッドリバー)がいます。
この日は既に夜でしたのでオ休みのようでしたが、普段はいつでも尻尾を振り振り愛嬌を振りまきます。
以前載せたワンの愛嬌ぶりです。

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〈責任の所在〉

2011-09-27 | インポート
市内をクルマで移動中、カーラジオをONにすると、ちょうど衆議院予算委員会の模様が放送されていました。
午後3時半ころ、野党第一党である自由民主党議員の関連質問のようです。
どうやら質問者は、福島県選出の議員のようで、原発問題に絡めて与党を激しく糾弾していました。
しかし私は、当該の福島県選出議員のボルテージが上がれば上がるほど、何ともいえない〝違和感〟を覚えました。
政権交代から約2年・・・逆に言えば、それ以前は、かくいう自民党が与党であったハズであり、1960年代に東海村で日本の原子力発電所が稼働して以来、営々と原子力発電を容認・推進してきたのは他ならぬ自民党政権であり、当の政権下での「主要事業」であったハズです。
政治、とりわけ国政というのは不思議なもので、何というか〝戦ってみせる〟ことで互いの存在感を示す帰来(きらい)があり、ある問題が生じた瞬間にどちらの立場にいるか(与党か・野党か)で、攻守の立ち位置が決められます。
しかし、今いる立場が野党だから、過去のことはカンケーなく攻めまくってイイ、という〝国会の論理〟は、われわれ一般国民には理解し難いものがあります。
今回の原発問題は、いわば国全体が招いた顛末であり、ことに永田町においては〝連帯責任〟として全ての議員がその咎(とが)を負うべきではないか、と思うところです。
この予算委員会で与党を責め立てる議員も、かつては与党議員として、まず間違いなく「原発補助金」をブラ下げてオ国入りし、やれ道路だハコものだと大判振る舞いをして〝原発の恩恵〟を甘受したハズであり、その、かつての原発推進路線を顧み反省することを抜きにして、事故が起きた瞬間に「国が悪い!」と叫び始めるのは、いかがなものかと思わざるを得ないところです。
私は「国難」に瀕(ひん)している現在、目の前の課題・問題の嵩(かさ)を計ると同時に、なぜこのような事態を招くようになったかの歴史的検証が必定と考えます。
そのうえに立って、これまで関係してきた全ての者が回顧・反省をし、その上で責任の所在を明らかにする作業を行わないことには、真の問題認識の共有・課題解決には繋がらないことでしょう。
何というか、さんざんツケ払いで食い散らかしたあげく、たまたまレジの前に立った者に全額支払え、というのは間尺(まじゃく)に合わなですよネ。
でも、そこは政治の世界・・・「支払えない(解決できない)なら、政権戻せ」という論理があるのですが。
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〈ふれあいまつり での「フードドライブ」〉

2011-09-26 | インポート

秋の好日、市内の「若里公園」で『ふれあいまつり』が開催され、私は「長野中央ライオンズクラブ」の一員として参加しました。
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社会福祉協議会が中心となって行われるこのイベント、市内のボランティア団体や福祉団体がブースを出し、バザーなどを行います。
私の所属する「長野中央ライオンズクラブ」は、昨年から『フードドライブ』というボランティア活動で参加しています。
この『フードドライブ』は、アメリカを教会を発祥とする〝食の有効活用ボランティア〟です。
買ったまま家庭の戸棚に眠っている食品(保存食)を持ち寄り、それを必要とする家庭に持ち帰ってもらい、お互いムダを省いて有効な食生活を送りましょう、というものです。
例えば、パスタを買ったけれど使わなかったり余ってしまった、それをミサの日に教会に持ち寄って使用してもらえる方に持ち帰ってもらいましょう。
その代わり私は、持ち寄られた缶詰をいただいて、今夜のおかずにさせてもらうワ、という、いわば物々交換のようなものです。
日本でも、古き佳き昔は、長屋住まいの熊さん八っつあんが「オイ、しょう油貸してくれや。」などど気軽に横のつながりを生活に活かしていたものです。
ところが昨今の個人主義から互いにイイ意味で干渉することが少なくなったことから、ライオンズクラブのような奉仕団体が仲立ちをして、食の有効活用をしよう、となったところです。
ただ、今のところは『フードドライブ』の〝正しい意味〟が浸透するには至っておらず、現時点では、集められた食品は福祉団体にそっくり寄付する、という内容にとどまっているのです。
いずれにしても、この活動は、食の大切さを再認識することで意義深いことから、これからも息の長い活動としていこう・・・となっています。
会場のブースには、三々五々市民のみなさんが手に手に食品をもって足を運ばれ、善意の集積がされていきます。

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今期リーダーを務める、倉田市民奉仕・環境保全委員長も、笑顔で食品を受理していました。

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(この模様は「NBSスーパーニュース」で放映されました)
その後、本部前でフードの目録の授与が行われ、今期の野田会長からふれあいまつりの実行委員会と社協に贈呈がされました。

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と・・・実行委員会を代表して目録を受け取る方を見れば、何と、かつて「ラーメンクラブ」でゴ一緒した、岩崎じ~やんではありませんか!
聞けば、本イベントの「副実行委員長」をお務めとのこと「久しぶり!何だい、偉い人なんだ ^^ 」と笑顔を交わしつつ、お元気な姿に敬意を表したところです。
会場には、ガールスカウトの長野市内団 第19団の皆さんも来て下さり、リーダーちゃんの立派な作文が朗読され、イベントの格調を高めてくれました。

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贈呈式も無事終わり、場内を散策していると「クラノさん!」と声をかけられました。
見ると顔見知りの T さんで、そこは「手作りせっけん」の体験ブースでした。
ブースの主宰者は、臨床心理カウンセラーの五十嵐美智恵さん。
長野市民新聞にコラムを連載されている方で、この日は環境や身体に優しく〝癒し効果〟のある「椰子の実せっけん」の作り方を披露されていたのでした。

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私も誘われるままに実体験、ビニール袋に入れた椰子の実の粉末にハーブエキスを混ぜ、うどん粉をこねるが如く練ります。

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するとアラ不思議、何というか「おやき」のような形状の手作りせっけんができあがりました。

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お肌に優しく、男性はヒゲ剃り前後に使うとイイですよ、と勧められました。
さまざまな手法で〝癒し〟を施しておられる五十嵐さんの活動の一端を見せていただいたひとときでした。

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他のブースでも「クラノさ~ん!」と元気な声をかけられ、そこには「ふれあい福祉センター」の元気ママの T さんが。
「あと少しで完売なの。」との声に応えペットボトルの緑茶をまとめ買いさせていただき、完売記念にみんなでパチリ。

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今年の「ふれあいまつり」天候不順の折りでしたが大過なく開催され、それぞれの立場の方々が、それぞれの立場でイイ時間を過ごした、心温まるイベントだったのでした。
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