人が、自分以外の者にモノ言うことを「意見」と言いますよネ。
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しかし、その意見にも様々な〝形態〟があると思うのです。
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最も理想的なのは「面と向かって」述べられる意見。
これは直接対峙することから、場合によっては、意見の中身や言い方が琴線(きんせん)に触れ「何だとォ!」と、感情的な対立に発展してしまうこともあります。
しかし私は、お互い目を合わせてする「意見交換」は、モノの言い方などをさっ引いて、何を言わんとしているかを冷静に受け止めれば、感情論には発展せず、逆に「言いにくいことをヨク言ってくださった。」と感謝の念を覚えるほどです。
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その一方でヨクある形態は「本人不在の中〝陰でささやかれる〟意見」です。
従前に「世論」でも述べましたが、私自身は、あらゆる〝意見〟を真摯に受け止めるところですが、やや困るのは、それら〝陰の意見〟がエスカレートし〝誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)〟に発展してしまうことです。
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私が「困る」というのは、その〝陰の意見(=誹謗中傷)〟が、私不在の中、例えば私を支持していただく方の前で交わされたり、また全く関係のない方々に流出することで、気分を害される方が出てしまう、ということなのです。
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マ、こういう立場なので、私自身〝さらし者〟は甘んじて受けるところですが、何より私以外の、心ある善良な方々が傷ついてしまうことがあれば・・・忸怩(じくじ)たる思いが募るばかりです。
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「意見百出」・・・どう受け止めていったらイイのか、悩ましいところです。
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☆ オ マ ケ ・・・ 「玄関先の〝意見百出〟」
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伺ったオ宅の玄関先に、小さなスミレの群生が。
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私はついつい、スミレに〝人面〟を重ね合わせてしまうのですが、このスミレたちは、何というか「まとまりのない会議」のよう。
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「意見百出」を地でいくよう・・・「アゴ髭を生やし、眉間にシワを寄せ、耳に色をなした しかめッ面のオジサンたち」が、みんな私の方を向いて、言いたいことを声高にきゃーきゃー騒いでいるように見えたのでした (^^)
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