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この週末、奈良市において全国の県議会の交流行事があり、参加してまいりました。
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行事そのものは和気あいあいのうちに行われ、相互親睦を深めるイイ機会とさせていただきました。
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そのうえで私は、行事の余時間で立ち寄った寺社仏閣で、心の深淵に触れることになったのです。
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場所は、奈良市斑鳩(いかるが)にある「中宮寺」です。
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かの聖徳太子の母君 穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の御願で建立されたとされる中宮寺は、灼熱の奈良の陽を受けつつ、静かに佇んでいました。
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そして建物の中に足を踏み入れた先に座する像の表情を間の当たりにし、私は何ともいえない感慨に浸ったのでした。
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私の眼前には、飛鳥時代の彫刻の最高傑作と言われる(国宝)本尊如意輪観世音菩薩半跏像が「アルカイックスマイル(古典的微笑)」をたたえ、私たちを〝受け入れて〟くださっていました。
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(中宮寺HPより)
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というのも・・・。
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実は、つい先日、私たちの中~高校生の同窓生だった男子が、齢47才にして急逝してしまい、私たちは驚きと同時に、大きな悲しみに包まれたのでした。
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その彼は、何というか「ガキ大将」的存在、いわんや私たちの間でも最も勢いがあり、病気などとは無縁のはずの存在でした。
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社会人になった後も、不定期にやはり同窓生の営む飲み屋に集まっては酒を酌み交わし「あの頃のまま」の交流を深めていたのです。
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それが、よもやの旅立ち…人生にしてみれば「道半ば」としか言うことのできない40代での逝去を聞き、私たちは、何とも脱力感に苛まれたものでした。
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聞けば、自分の定めを悟った彼は、枕元に座る母親に向け「先に逝くようになっちまってワリィな…」と語りかけたそう、聞く者の涙を誘いました。
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私も3年前、肉親を看取った者として、その悲しみはいかばかりかと思ったところです。
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そんな出来事があり、心に「穴」が開いた状態の中、訪れた中宮寺での菩薩半跏像…訪れる者を包み込むその微笑みは、現世と来世を越えた「慈(いつく)しみ」を全身から発しているよう、私は感慨に浸らずにはおれませんでした。
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その微笑みの向こうに、私は併せて、急逝した彼の薫陶(くんとう)を感じ、涙が溢れるのを禁じ得ないのでした。
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人は、それぞれの人生の中を精一杯に歩んでいます。
そこには〝紆余曲折〟が付きものですが、それなりに懸命に歩みを進め、その一生を全うしていきます。
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但し、その人生…とりわけ〝物質的人生〟においては「長い・短い」があるのは、いた仕方のないことかもしれません。
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私の同窓生君は、こんなに早く〝物質的人生〟を終えることになってしまいましたが、まさに彼の分を、現世にとどまる私たち縁(ゆかり)のあるものが〝代わって〟全力を尽くす、そのことこそが、彼に対するイチバンの供養になる、そう思うところです。
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中宮寺の菩薩半跏像の微笑は、訪れる者に慈愛を与え「しっかり生きよ。」との示唆を与えてくれていました。
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旧友の旅立ちを心に抱え、これからも全力を尽くしていく旨、改めて誓ったひとときだったのでした。
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