倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈〝つながり〟あれこれ〉

2010-10-31 | インポート
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10/30 Sat.  [ クラちゃんの起床時刻 4:45 AM ]
この日、イベントあれこれ、人と人との〝イイつながり〟を実感することとなりました。
午前中、川中島中学校体育館を会場にし、地域の授産施設が中心になって行われた「ハーモニー夢まつり」に伺いました。

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第7回を数えるこのイベントは「障がいのある人もそうでない人も、共に支え合いながら元気に暮らそう」をキャッチフレーズに、普段は施設で過ごす授産施設利用者の皆さんがボランティアのサポートで体育館まで「外出」し、来場者と一緒の時間を過ごそうというものです。
見ようによっては、単なるバザーに映りますが、施設から出て時間を過ごすというのは「冒険」であり、周囲の理解と協力が不可欠です。
会場には、先日のトレッキングイベントで「まなかい班」で活躍された女性陣をはじめ、地域でボランティアを積極的に行っておられる皆さんがこの日も出られ、マンツーマンで施設利用者の皆さんをサポートし、何というか「一日ママ」という感じで優しく連れ添っておられました。
また、会場となった川中島中学校の生徒もボランティアで裏方を務めており、多くの〝支え〟でイベントが運営されていたのでした。
この日は、戸外は風雨が荒(すさ)ぶ天候でしたが、幸い会場は体育館。
何だかこれも、屋根によって「守られている」感がして、開会式の祝辞で思わず「天候は屋根に「支えられ」参加者については多くのボランティアに「支えられ」…もってこのイベントの素晴らしさを象徴しているようですネ。」と述べさせていただくと、後で〝一日ママ〟のお一人から「今までボランティアの気苦労について触れてくれる来賓がいなかったの。クラちゃんはみんなの前で披瀝(ひれき)してくれてウレシかったわ。」と声をかけていただき、冥利(みょうり)に尽きたのでした。
会場にはさまざまな手作り品がバザーとして出品されており、ブースごとにボランティアの方と川中の生徒が協力し合いながら「いらっしゃいませ~。」と明るく〝接客〟していました。

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このイベント、将来ある生徒たちにとっても、ボランティアの経験とノーマライゼーション社会の構築の大切さを知る「生きた学習の場」になっており、まさに〝多面的な意義〟を有していると申せます。

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「人と人の、垣根を越えた〝つながり〟の場」として定着しているこのイベントを通じて、この地域から「誰もが明るく暮らせる社会づくり」のオーラが発信されることを期待して止まないところです。
夜は、地域の公民館に「信州粉食の会」のメンバーが集い、来月行うボランティアの「試食会」を行い〝気のおけない仲間〟が懇親を深めました。
夕方〝開店〟した一行は、仕込みをしながら「キッチンドリンク」を楽しんでいます
と、そこにたまたま地元の少年野球チームの会合があり、数十人の保護者が集まってこられたのでした。
そこで「せっかくだから皆さんに〝お振る舞い〟をしよう!」ということになり、田中チーフの号令一下(いっか)〝緊急デリバリー作業〟とあい成りました。

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で、その瞬間、メンバーに〝エンジン〟がかかり(^^)まさに阿吽(あうん)の呼吸での作業開始です。
田中チーフの指示で、鍋に火が入れられ、沸騰を待って麺入れ、タイマーの音と共に〝切れ味鋭い〟湯切りがされます。

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傍らではメンバーが待機、素早くトッピングをし「お待ちど~さま!」と隣室へ配達します。

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少年野球チームの保護者会の皆さん、想定外の〝出前〟を受け、最初は「?」状態でしたが(^^)善意のデリバリーと知ってくださり、次々と箸が動き「おいしい!」と言ってくださいました。

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作業の最中(さなか)私は「やっぱり「粉食の会」のみんなは〝動くのが好き〟なんだなァ」と微笑ましく実感したところです。
これから本格的に粉モンを通じたボランティア活動を展開していくところですが、その「気持ち合わせ」として、イイ予行演習になったような気がしました。
保護者会のみなさんは、帰りに口々に「おいしかった!ごちそうさまでした!」と丁寧に礼を述べてくださり、私たちも冥利に尽きないところでした。
たまたま居合わせた者同士が、ラーメンによって〝つながり〟を持つことができ、そして何より「粉食の会」のメンバーが、再び活動のきっかけをつかむ「つながりを確認」できたひとときでした。

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(この作品、メンマの〝枝毛〟が出てました ^^)
ひとしきり「昔取った杵づか」を振るい、何とも言えない達成感に浸りながら杯(さかずき)は進み、やがて行うボランティア活動も、きっとウマクいく、そんな予兆がしたこの夜だったのでした。
(終了後「全員写真」を収めたのですが、私のカオが何ともしまらなかったので割愛します ^^;)

〈〝TPP加盟〟に懸念〉

2010-10-30 | インポート
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最近、TVニュースや新聞紙面で「〝TPP〟に日本が加盟するか否か」が話題になっています。
「TPP」は、「環太平洋戦略経済連携協定」の頭文字略称です。
この議論については、菅総理の所信表明で触れられ、以来にわかに〝脚光〟を浴びることになりました。
TTPは、工業生産品・農業生産品などの「業種の別」なく、あらゆる物品の関税を撤廃する〝自由貿易協定〟で、ニュージーランドやシンガポールなどの太平洋に面する4ケ国加盟に端を発し、現在ではアメリカやオーストラリアなど9ケ国が加盟しています。
この協定が発効されれば、工業製品などの輸出産業においては、対輸出国の〝ハードル〟がなくなるため、わが国にとって有利に働き、現在海外での生産に依存度が高まっている「Made in Japan」が、名実ともに国内生産→海外輸出の健全な流通の図式が描けるようになります。
その一方で、コメなどの「保護農産物」にとっては、海外からの流入を防ぐ〝関税という堤防〟がなくなってしまうために、あたかも津波の如く海外農産物が日本国内に押し寄せ、ニッポン農業は崩壊の危機に瀕(ひん)する、という懸念が持たれています。
経済が〝頭打ち〟になっている日本経済を救うには、攻めの姿勢を貫くべき(主に工業関係者)という意見と、日本の基幹産業が海外に押しつぶされてしまう(主に農業関係者)が真っ向から対立し、価値観をどこに置くか、で取り組み方針が大きく異なることになります。
私は、将来的にはTPPへの加盟を進めるべきものの、まず自国の態勢づくり、とりわけ日本の基幹産業である農業の「足腰」を強めたうえで議論に臨むべきと考えます。
そもそも、食糧自給率のアップを、国を挙げて取り組むべき課題に掲げながら、その一方でニッポン農業に打撃を与えると判っているTPP加盟を推進するのは、何というか台風来襲が予報されているのに、わざわざ土嚢(どのう)を片付けるような愚行になりかねないと思うところです。
また、あるコメンテーターは「今こそ攻めの農業に転ずるべきとき!日本の農産品を海外に売り込むチャンス!」と息巻いていましたが、私は、その前に、地産地消などの「国内生産・国内流通」の基盤を確立することが肝要であると思うのです。
自国の農産物を食しない者が「攻めの農業!」と傾斜するのは「矛盾」と感じるものです。
いずれにしても、何だか「TPP加盟ありき」で議論が推移していることに、私は憂慮の念を抱かずにおれません。
無理をして加盟はしてみたものの、後になって「こんなハズじゃなかった・・・。」と頭を抱えるようにならないよう、しっかりと自陣を固めてから打って出るべき、と思うところです。
ゴルフでいえば、スコア100も切っていないのに、県アマに出ようとするような〝背伸び〟をせず、まずはじっくりと練習を積んで、地力をつけてから目を外に向けるべき、と思うのは、私だけではないはずですが・・・。
※先日、民主党長野県連から、来年4月執行の長野県議会議員選挙において、さきの補選
 に引き続き、民主党の公認決定をいただきました。
 改めて身の引き締まる思いです。
 地方議会の場で、与党民主党の政策を体現すると共に、一方で皆さんの声を国政に反映
 すべく、努力を重ねてまいりたいと、改めて思いをいたすところです。

2010-10-29 14:25:31

2010-10-29 | インポート
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10/27(水)と28(木)は、大町市へそれぞれ日帰り行(こう)となり、「長野県戦没者遺族大会(27日)」ならびに「長野県戦没者追悼式(28日)」に参列させていただき、それと事(こと)を合わせて「命」について考えさせられる夜となりました。
第二次世界大戦をはじめとする戦争においては、長野県からも多くの出征があり、最終的に5万5千柱以上の県民が散華(さんげ)せられ、もって祖国の礎(いしずえ)となられたそうです。
理不尽に尊い命を失う戦争については、二度とあってはならないことは論を待ちませんが、現代のように平和意識が定着する遙か以前に「バンザイ」で送られ異境の地で命を落とすことになってしまった出征兵の方々の心中(しんちゅう)を察するとき、ことばにできない無念さが拝察され、いかばかりかと存ずるところです。
また、本当はそばにいてほしい家族(それも一家の大黒柱)が招集の憂き目にあい、二度と帰らぬこととなってしまった後の御家族の心中もまた、何ともやり切れないものがあったであろうと存じます。
出征兵の方々は、散華せらる間際には、間違いなく祖国に家族に思いを馳せたことでありましょうし、故郷で待つ家族も、片時(かたとき)もなく無事を信じていたことと思います。
2日に亘る遺族大会と追悼式に参列し、戦争で仲を裂かれつつも、愛情という絆で結ばれた者同士の〝つながり〟を実感し、これから私たちは、平和意識の醸成と共に、人と人との「心のつながり」を大切にする社会の構築に努めなければならない、と改めて思いをいたしたところです。
そんな、改めて学ぶべきところが多かった行事を終えて地元に戻ると、後援会の役員さんから、何と日頃からお世話になっている別の役員さんが旅先で急逝されたという電話が入り、驚きと共に悲しみにつつまれたのでした。
後援会では、つい先日「拡大役員会」を開催し、くだんの役員さんにもご出席をいただき、励ましのことばをかけていただいたばかりでした。
それが、こんな形で別れることになろうとは・・・ことばも見つかりません。
奇(く)しくも、戦没者の慰霊を通じて、逝く者、残される者の心中(しんちゅう)を推し量った矢先に、自分も同じ悲しみを受けることになろうとは思いもしませんでした。
悲しみは波のように幾重にも押し寄せてきますが、いずれにしても私たち残された者は、故人のご薫陶(くんとう)を胸に、これからもシッカリと生きていかなければならないのだ、と自分に言い聞かせているところです。
27日の帰途、遠く北アルプスに白いものが被(かぶ)り、冬の予兆が感じられました。

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また、途上の小川村には、大正9年に建てられた「知事公舎」が歴史を今に伝えていました。

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私たちは、歴史の上に立ち、旅立つ人を見送りつつ、自然という掌(てのひら)の上で精一杯生きる・・・そんな薫陶をいただいたような気がするのでした。

〈ブログ書く 花の手入れと 似たりけり〉

2010-10-28 | インポート
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周囲からヨク「クラちゃん、ブログよく続くねェ。」と声をかけられます。
その一方で、同業者?の方から「ブログの更新が大変で…。」と〝こぼす〟のも伺います。
遡(さかの)れば、たしか2007年から更新を日課とし、現在に至っていますが、おかげさまで今やすっかり私の日課となり(主に朝)日常的に更新するようになっております。
皆さんも、例えば花を愛(め)でる方は、毎日の水やりや雑草取りに、例えば金魚を飼っている方は毎日のエサやりに、例えば犬などのペットを飼っている方は毎日の散歩など、日常的にされていることと存じます。
私のブログ更新も〝それに似たり〟というところでしょうか。
(前述のとおり)人によっては、「義務感」に苛(さいな)まれながイヤイヤ?更新している方もいらっしゃるようですが…マ、ウチらの商売?は日々の活動を皆さんに伝える〝義務〟があることも事実ですので、何というか、終わりかけの歯みがき粉のチューブをひねり出すが如く「ネタを絞り出す」ことに汲々としていれば、楽しいはずの書き込みも、ややもすると「苦痛」になってしまうのかもしれませんね(^^)
また、花の水やりひとつでも、その花に愛情を注ぐか〝やっつけ〟で水くれるかで、花の咲き具合も変わってくるでしょう。
私とすれば、いわゆる「好きこそもののナントカ」…ブログ更新を楽しみながら、かといって立場上、とんちんかんな内容を漫然と載せるワケにもいきませんので、推敲(すいこう)を重ねながら、これからも肩ヒジ張らず、地道に更新していきたいと思います。
読者?の皆さんにおかれましても、これからもどうぞ気楽にゴ閲覧いただきますよう、お願い申し上げます。
☆ オ マ ケ ・・・ 「こちらも日課」 ☆
去る晴れの日に、コスモスにアブがとりつき、蜜のランチを食(しょく)していました。

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そう「食事」というのも大切な日課、欠かせないものですよネ。

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「ブログ書く 飯(めし)いただくに 似たりけり」 かな(^^)

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〈後援会ゴルフコンペを開催〉

2010-10-27 | インポート
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10/26(火)、南長野ゴルフ倶楽部において、後援会ゴルフコンペを開催させていただきました。
ゴルフといえば、青空の下、フェアウエイに向かってまっしぐらに球を放つのが醍醐味ですが、あいにくこの日は、秋雨前線と寒気がコラボレーションすることとなり(@@)(寒気で)寒い・(雨で)冷たい・(霧で)見えない…という〝三拍子〟そろった荒天となってしまいましたが、それでも約30組の参加者は、元気一杯スタートホールに立ち、ティーショットを放っておられました。

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この日ワタクシは段取りに追われ、画像を収める暇(いとま)がなく、もって一番スタートの本町(もとまち)チームとの一葉を代表写真とさせていただきました。

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コンペ終了後は、恒例の表彰式です。
クラノ後援会コンペにおいては「表彰式に本人が不在の際は、たとえ優勝でも賞品は〝没収〟」という厳格な(^^)ルールがあります。
で、その〝没収賞品〟は、後ほど成績にカンケーなく行われる「大抽選会」で〝山分け〟されるという「ガラス張りの表彰式」なのです。

そのせいか、名前を呼んでも本人不在のときには「はい。没収~!」という声が会場から挙がり、たとえ飛び賞に当たらない方もめげることなく、第2ラウンドを楽しみにされているのでした。
何とこの日は、飛び賞の自転車が2台も〝没収〟となり「抽選会第2ラウンド」は大いに盛り上がったのでした。
このような企画…というのも、不肖ワタクシ自身が、かつてコンペに参加するも、飛び賞に全く縁がなく、寂しい思いを重ねたことから、せめて自分のコンペでは、参加者全員に何らかの「お土産」を持ち帰っていただきたい…との、何というか〝外れた者の寂しさを共有したうえでの配慮〟をさせていただいているのです。
したがって、飛び賞で賞品を得た方だけでなく、外れた方も抽選で賞品をゲット、もって全員が賞品を獲得していただき、よかったヨカッタなのでした。
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Yuusyousya

また、参加賞に至っては「味噌・しょう油・出汁(だし)の素」…もらって困らない生活必需品にさせていただいています。
というのも、お留守番の奥様を尻目にゴルフに行って、やや後ろめたいものがあるパパが「はい、参加賞」とそっくり家計に貢献できれば、いくらか点数も上がるのでは、という「第二の配慮」なのです。
で、今回は、これに加え「生ラーメン」も付けさせていただき、まさに「家計に優しい参加賞ここに極まれり」の感なのでした(^^)
このように、皆さんに満足していただいているゴルフコンペを開催できるのも、経費節減のために手作り表彰式に努めていただく後援会の皆さんのご協力や、賞品にご協賛いただく企業・個人各位のご厚情の賜に他なりません。
私としては、イベントの都度に皆さんのご厚情に感謝しつつ、これからも一層ガンバらねば!と思いを新たにするところです。

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