1/28 Thu. [ クラちゃんの起床時刻 4:20 AM ]
◇ 「中山間地域市民会議」が開催され、
地域の積極的な取り組みが披瀝(ひれき)されました。
この日は、市民会館集会室で、市域内にある、いわゆる「中山間地域」の代表者が一同に会し「市民会議」として、それぞれの地域の代表的な取り組み状況が報告され、傍聴させていただきました。
長野市は、さきの「新たな合併」を経て、市域面積が約834k㎡と広域化しましたが、そのうち約7割が「中山間地域」で占められています。
そんな現状下において求められる「市の活性化」には、市域面積の比率同様〝中山間地域の活性化〟への〝期待感の比重〟が大きくあり「中山間地域が元気になれば、市全体が元気になる」といった感 です。
私が入室したときには、ちょうど信更地区の「地域活性化アドバイザー」の方が、市長はじめ多くの聴衆を前に、やや緊張の表情を浮かべながら説明を行っている最中でした。
昭和41年に合併を果たした〝先輩地区〟の信更地区は、時代の潮流の中で課題は多いものの、特産のリンゴのブランド化の取り組みなどにより、活性化の道を模索していることが伝えられました。
また、今回発表を行った「地域活性化アドバイザー」の方の真摯な姿勢が伝わってきて、その「効果」に甲乙みられるアドバイザーですが、成果の創出のため一生懸命に取り組んでおられることが感じ取られました。
氏は、最後に「地域の〝便利屋〟としてガンバリたい。」と締めくくり、盛んな拍手を浴びていました。
次に登壇したのが、平成17年に合併した鬼無里地区の取り組を紹介する方々でした。
このグループの特徴は、プレゼンターが全員女性だったこと。
口火を切った「地域活性化アドバイザー」の方も女性、続いて具体的な事例発表を行ったのもみなさん女性で、何というか、地域を守り、育てている包容力のようなものが伝わってくる、温かみのある発表となりました。
鬼無里地区の発表は、それら女性パワーがいかんなく発揮された、「食文化」に基づく新商品開発による地域活性化の好事例の披瀝(ひれき)でした。
鬼無里の食文化といえば、私は先(ま)ず「いろは堂のおやき」を思い浮かべますが、今回は、それに劣らず成果を挙げている、地元農産物の「えごま」や「味噌」を活かした新商品開発の経緯についての説明です。
古代から食用油や薬味として栽培されている「えごま」を、もっとメジャーにしようと、結成された「鬼無里えごまの会」は、地区内の企業の協力を得て、難作業であった粒の選別作業の省力化に成功、現在は、若い世代や女性に人気の「ラスク」に「えごま」を混ぜ込み「えごまラスク」として世に出し、今や「えごま」が地区内の生産量では間に合わないほどの「人気ブランド」になっているそうです。
また、鬼無里の米と大豆を使用して味噌を醸造する「鬼無里手づくりみその会」は、醸造の課程で、純度の高い沖縄産の塩を用いるなどの「こだわり製法」により自他共に認めるオイシイ味噌づくりに成功し、直売所などで人気を博しているとのことです。
さらに「えごま」同様「みそラスク」にも着手、和洋あいまった独特の味わいにより、こちらも人気を博しているとの発表が、実際に「現場」に立つ女性ならではの実感の込もったことばで話され、場内の興味をそそっていました。
少子長寿化が進行し、中山間地域にあっては「過疎化」だの、昨今は「限界集落」などと言われるほど厳しい環境と言われて久しいところですが、この日の発表のように、自分たちで創意工夫を重ねることで、少しずつではありますが着実に成果を生み出しておられることは、非常に心強い限りだと思います。
この「中山間地域市民会議」は、複数の地区が一同に会し、それぞれの取り組みを披瀝(ひれき)することで、意識の共有化と情報交換、それにイイ意味での切磋琢磨をねらいとして開催されていると感じるところですが、今後も、より自立した中山間地域づくりに向け、それぞれの地域が特徴を活かしながら、前向きに歩んでいただくことを期待して止まないところです。
そのうえで、私は行政に対して、地域の自立を促すことで〝役所が楽になる〟ことを良しとせずに、今まで以上に積極的な支援を行い、真に住みよい中山間地域の構築のため、一層の行政努力を傾注することを求めていきたいと思います。
ところで、会議を総括した鷲沢市長は、各地区の取り組みを高く評価すると同時に、持論である「食べていける(くらい所得が得られる)ような中山間地域づくり」に向けた、各地区の一層の取り組みと奮起に期待する旨のことばの後、今行われている「鬼無里イヤー」から派生(はせい)し、来年度の「松代イヤー」の次には「篠ノ井イヤー」を行う意向を「正式に」表明され〝隣りまち〟のこととは言え、わがことのようにウレシク思いました。
というのも、この「市長発言」を引き出したのは、篠ノ井活性化を期して地道に活動を重ねる「まちおこしクラブ篠ノ井」の、宮崎一(はじめ)会長(元市議)を初めとするメンバーの取り組み成果に他ならず、まさに「市民活動が行政を動かした」好事例と言えるものなのだからです。
篠ノ井活性化のために試行錯誤を重ねる「まちおこしクラブ篠ノ井」は、最近になって、篠ノ井が育んだ「書の大家(たいか)」である「川村麒山(かわむらきざん)先生」の足跡を足がかりに「書(しょ)のまち篠ノ井」をテーマに活動を展開しています。
昨年1月には、麒山先生生誕の地である、静岡県袋井市を訪ね、交流を深めると同時に、袋井市が、挙げて川村麒山先生を「ブランド化」して、展覧会はもとより、商工会議所と連携して「麒山」なる「地酒」を製造販売している積極的な取り組みを目(ま)の当たりにし、負けてはならじと市長や教育長に〝直談判(^^)〟長野市においても川村麒山先生の遺作品を地域活性化の原資として活用するべきことを熱心に申し入れたものでした。
その熱意が市長の心を動かし、今回の「公式発言」に至ったものです。
私は本来、地盤は〝隣りまち〟の川中島なのですが、こちらの「まちおこしクラブ篠ノ井」は、縁(えん)あって、いち会員として当初から活動に加わらせていただいており、先の〝直談判〟の折にも同席させていただいたところです。
また、今回の袋井市との交流の際には、このブログか効果を発揮…私が載せた記事内の「川村麒山」の表記が、袋井市の市議が検索した際ネット上でヒットし、私の方に連絡をいただいたことで、クラブの袋井市探訪を、先方の「麒山展」の日程に合わせることで、交流を深める一助になったところです。
いずれにしても「勝負はこれから」…これまでの鬼無里イヤーや、前回の松代イヤーの経過を見ても、市側は「イヤー」の〝認定〟は行うものの、後の取り組みは地域の機運に任せており、その期待に応える形で、各地域がさまざまな取り組みを自発的に行い、成果を挙げています。
篠ノ井についても、市側にぶらさがるのではなく「イヤー」にふさわしい自発的な取り組みが求められるところであり、逆に地域の「やる気」の程度が推し量られるとも申せます。
おそらく今後は「まちおこしクラブ篠ノ井」を中心に、住民自治協議会や地元商工会議所やJCなどを巻き込みながら活動を重ねることになろうと思いますが、かつて「中心市街地」として認知されながら活性化につながらなかった篠ノ井地区が「書のまち」として新たな魅力を創出し、ひいては再び活性化の灯が点(とも)ることを期待して止まないところです。
私も、同じ長野市民として、また「まちおこしクラブ篠ノ井」のいちメンバーとして、活動の活性化のお手伝いをしてまいりたいと思うところです。
その際は、ぜひ「川村麒山」先生つながりの袋井市とも連携し、地域間交流も果たせたらイイなァ…と思いをいたしたところです。
何と言っても袋井市の「麒山展」ポスター「KIZAN」のサブタイトルは「袋井市から信州へ」なのですから。(この「サブタイトル」は後日掲載します)