先日 私は父を失いました。皆様にはその節 たいへんお騒がせいたし恐縮に存ずるところであります。
顧みれば、父は、七年前に頸椎損傷で倒れて以来 要介護生活を余儀なくされました。本人は終の棲家とした須坂市の自宅生活に強くこだわり、そのため伴侶が面倒を看る典型的な「老老介護」を送りました。
本人にはかねてより肺炎の兆候があり、限りある人生でした。そのため家族も本人の意志を尊重し、食事はもちろん入浴やリハビリもできるだけ自宅で行い、箸を持つ手もままならなった最後の一年は、まるで赤子を看るが如くで、今となっては試行錯誤、泣き笑いの介護生活でした。
また、ハンデを持つ家庭が地域で暮らすためには、ご近所の手助け、すなわち「隣人愛」が何よりありがたいことも実感しました。たまたま実家の隣には、頼りになるおばちゃんが居られ、回覧板から雪かきまで面倒を見ていただき、多くの無償の善意を頂戴いたしました。
私は、要介護者の父親と看取る母親と共に過ごした時間を通じて、改めて高齢者介護社会の実態に触れ、介護の大変さ、また家族を看取ることの大切さ、また高齢者を尊厳をもって見守ることの意義や近隣の支えあいのありがたさなど身をもって学ばせていただきました。
申すまでもなく高齢化社会を迎えた昨今、これからの真の地域福祉がどのようにあるべきかを、つたない経験を活かしながら、今後、私なりに諸課題に取り組んでまいりたいと存じます。
高齢者福祉の向上のためには、国を中心とした制度整備や、自治体での策定計画、また社協等既存の社会福祉団体、さらには進行しつつある住民自治協議会等における取り組みがリンクしてこそ実効あるものになります。
残念ながら国の制度については、これまでの国の医療制度が疲弊し始めたことにより、少子化に伴う人口減少社会を見据え「持続可能な社会保障の維持のための国民皆保険」の名の下、四月から新たに「後期高齢者医療制度」が施行されることとなりました。
この新たな制度は、七十五才以上のすべての国民が、新たな医療広域連合に加入し、新たな保険体制の下、医療を受けることになるものです。
これに対し、本市においては先の十二月議会で、地域の高齢者団体の代表者が、多くの高齢者の不安の声を代弁し、高齢者に過度な負担を強いないことを求める主旨の請願を提出されました。
その際、請願者や関係の高齢者は「私たちは、今のままの医療制度では社会保障が維持されないことは充分承知しており、高齢者といえども、将来に亘り社会保障を享受するためには、負担を担うことは全くやぶさかではありません。
しかし、今回の制度は、平成十八年に策定されたとはいえ、その内容が二転三転し、自治体をも振り回したあげく、情報不足のまま施行をむかえることとなり、これでは高齢者は不安を抱かざるを得ません。
せめて、私たち市民に最も身近である長野市議会におかれては、社会負担に理解を示す私たち心ある高齢者の心情を察していただき、現時点では今後 制度がどうなっていくか分からないものの、せめて負担は適正なものにとどめ、制度がきちんと整備されるよう常に見直しを念頭に今後の推移を見守り、高齢者の立場に立って、国に声を届けてほしい。」と切実に訴えておられました。
私たちは、負担もやぶさかでないとする高齢者の意識の高さを実感すると同時に、新たな社会医療制度を今後もしっかりと検証してゆくことこそが、市民の声に応える議会の責務だと考えたところです。
しかしながら、先日、継続審査となっていたこの請願が一転不採択になったことを伺い、慚愧に堪えないと同時に、その結果をお伝えした際「こんな、せめてもの年寄りの思いも通じないのか」とのつぶやきを聞き、議会人として大きな責任を感じたところです。
国は、社会保障維持の立場から四月をもって制度化に踏み切りますが、全く新しいこの制度については、被扶養者の医療費徴収に暫定措置がとられるなど不確定な面があり、本市議会としてもその推移を見守り、検証を重ねるべきでありました。そのために、十二月の時点ではその主旨に則り継続としたものを、制度施行前のわずか数ヶ月をもって不採択としたことは早計の極みであり、これでは長野市議会が、高齢者や市民の社会不安の声を汲み取っていないと言われても仕方ありません。
いずれにしても、新制度は高齢者の不安を抱えたまま四月からスタートします。今回の所管委員会の裁定は残念に尽きないところでありますが、制度施行を目前に控えた本定例会にあたり、広域連合長でもある市長におかれては、国の指導下ではありますが、高齢者の切実な声をかんがみ、新たな制度で高齢者医療が低下しないよう、また高齢者への負担は適正なものにとどめられるよう、そして今後も、制度が高齢者の生活を圧迫し、資格証明書が多発され、結果的に医療連合においても収入未済額が増えるような事態にならないように円満な高齢者医療制度の実現のため、改めてご所見を述べていただくようお願い申し上げます。
さて、地域における福祉向上のためには、私なりの経験からも、地域での隣人愛、すなわち「共助の精神の醸成」が大切であると実感したところですが、これらの形づくりのためには、先ほど申し上げたように、構築されつつある「住民自治協議会」の活動との兼ね合いが重要であり、そこでいくつかの点について述べさせていただきます。
まず「住民自治活動の「目やす」について申し上げます。
政信会の視察で訪れた飯田市は、県内でも住民自治活動の先進市であり、かつて本市でも区長会等を対象に講演会を開催したり、団体の見直し取り組み等、本市の都市内分権のお手本になっていることが伺えました。
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飯田市は市自治協議会を基幹団体とし、新たに設置した自治振興センターを中心に住民自治活動を行っております。そして特徴的なのは、飯田市の歴史の中で かねてより地域に活動が根ざしている公民館を自治活動の前面に据えて活動を活性化していることでした。
このように、飯田市であれば公民館活動 というように、地域の歴史の中で、住民生活に根ざしている活動を「目やす」とし、それをテキストとしてそこに新しい感性を加えてゆくことで、住民自治協議会に対する市民理解が深まると存じます。本市においては、例えば社会福祉協議会の活動などが地域に根ざしており「目やす」として適当ではないかと存じます。
これまでも、大きな理想の下に市民理解を求めている住民自治協議会活動ですが、理解を深める市民がいる一方「総論は何となく理解するが漠然としていて分かりにくい」という市民が、未だに多数を占めていることも事実です。
社協を「目やす」に、は ひとつの事例ではありますが、折しも、この三月に「ささえあいプラン21」が発行されたとこともあり「地域づくりはすなわちささえあい、助けあい」という観点から、このようなレジメが有効であろうと存じます。
このように、住民自治協議会の一層の啓発のため、地域の歴史に則した既存の活動を目やすとして示し、市民理解を深めるよう努めることについて、ご所見を伺います。
さて、住民自治協議会活動は、私たちの認識以上に、地域住民の皆様は強い使命感と自主性に燃えて活動を始めております。
市の提案に対して、当初は不安視していた住民も、いったん腹をくくり「どうせやるなら、よりよい成果を導き出そう」と一生懸命になっておられます。それだけに様々な課題も発生しておりますが、市が火をつけた施策なだけに、努力する市民の熱意に水を差すことのないよう、市としても全力を尽くされることを期待するものであります。
そこで現在、私が承知している課題についてご所見を伺います。
まず、活動の脆弱な地域への支援について伺います。
住民自治協議会は、市内の各地域で次々に産声があがり喜ばしい限りですが、まさに育児と同じで、産み出すことが目的の達成ではなく、これから元気な子どもに育てていかなくてはなりません。そしてそれには「担い手」の存在が不可欠であります。
私の住む地域は、比較的人口が多く、年齢層も多岐に亘っておることから、住民自治協議会も、活動の具体化に向けて、七つの部会を設け、それぞれに十五人から三十人の委員が集まり検討を開始しています。
そこでの活発な議論を見るにつけ、逆に、高齢化の進む中山間地域や、市内中心部であっても認知度が低かったり活動が弱い地域は一体どんな状況だろうか、と思いをいたさずにはおれません。
私としても、身近な地域しか見ておらず検証が浅いところではありますが、伺うところによると、地区によっては、とにかく住民自治協議会を発足させることに追われ「子どもを産むには産んだが、どうやって育てたらイイものか…」と悩む地域も少なからずある、とのことであります。
そして、やはりそこには、なんらかの行政の手助けが必要ではないかと考えるとことです。
無論、都市内分権の理想は「地域のことは地域で」であり、行政任せにならないための善後策としての施策であることは承知しておりますが、実際に活動が脆弱な地域に対しては、最低限の支援をしていくことが、一方での行政の使命であるとも存じます。
わたしの住む地域では「ウチのような人手のあるところはともかく、親戚の住む山の方をなんとかしてやってくれ」と言う方もおり、同じ長野市民として人ごとではないという思いやりのことばも聞かれました。
さきの市長の施政方針でも「中山間地域自治活動支援モデル事業」の披瀝がございましたが、中山間地域はもとより、市内においても活動の脆弱化が予想される地域の皆さんが、道半ばで息切れすることのないよう、適切な支援を講ぜられるようお願い申し上げ、事前の対策についての取り組み状況を伺います。
また、円滑な住民自治の構築のためには、地域住民であり、かつ市行政に明るい市職員の積極的な参加が期待されます。本市では「職員地区サポートチーム制度」を敷き、職員の積極参加を募っておるところですが、やや気になるのが、走り始めた住民自治協議会活動に、どれだけの職員が参加しているか、ということであります。
私の住む地域で見てみると、先ほど申し上げた部会の開催にあたり、支所の職員は担当として出席しておりますが、そこに暮らす住民としての職員の姿はあまり見受けないのが現状です。人口の多い地域でさえこの現状では、人口の少ない地域での状況が憂慮されます。逆に、互いの顔の見える中山間地域の方が参加意識が高いことも考えられますが、いずれにしても「どうせやるなら…」の精神で、多くの住民が、一日のお仕事を終えた後、手弁当で参加している中、市職員こそが他の住民に負けない積極性をもって地域づくりに参加することこそが、市に対する親近感や信頼感の醸成につながり、活動脆弱地区においては頼りになる担い手にもなろうと存じます。
そこで今後に期待を込め、現状における市職員のサポートチームの登録状況と、住民自治協議会への参加状況、また今後の取り組みについて伺います。
次に、自主財源の確保について伺います。
「地域のことは地域で」の住民自治活動の課題のひとつに「自主財源の確保」があります。
現在「ずくだし支援」を初め、地域の活動に一定の交付金がなされておりますが、自主財源確保の必要性についても、行政説明の端々に聞かれており、住民もそれを認識しながら、今後の活動の大きな柱に据えて取り組みを進めております。
そんな中、過般 環境第一課から「資源回収報奨金制度の見直し」の説明があったと伺いました。
この制度は、住民による資源回収の円滑化をめざし、環境部の指導の下、古紙・古布・びん類・アルミ缶・スチール缶の自主回収に対しキロ七円の報奨金を拠出しているもので、地区によっては住民意識も高く、協力しあって大きな成果を挙げており、今や、資源回収は自主財源確保の代名詞にもなっています。
そして、それら自主財源の確保のために大きな使命感に燃え、住民自治協議会の一翼を担い、張り切っている市民の方ほど、今回の値下げ説明に大きなショックを受けています。
環境部にすれば、この制度はあくまで「報奨金制度」であり、住民自治活動の財源とは質の異なる制度であること、さらに本市は他市より報奨金単価も高く、万一市況が下がっても不足を補填するなどの配慮をしており、加えて現在リサイクル市場が高騰して地域も恩恵を被ることから、報奨金の値下げは必然、ということであろうと存じます。
しかし、それを打ち出すには、この時期はあまりにもタイミングが悪い、としか言わざるを得ません。
市長を先頭に、市を挙げて住民自治協議会活動を推進し、その中で住民が実質的に財源確保の手段として取り組んでいる資源回収活動を、類が違うからといって今値下げを行うのは、住民自治の熱意に水を差す他ありません。
所管にすれば、この報奨金額のままで都市内分権が進めば、多くの地区で資源回収が推進され、結果報奨金の財源に困るようになるかも…という、理事者の立場での将来不安があろうとも存じますが、国の地方分権における自治体の心境と同様、都市内分権における地区の大きな将来不安もまた「財源の確保」です。
諸事情あろうとは存じますが、熱意ある市民のやる気を削ぐことにならないよう、報奨金金額の維持をお願い申し上げ、ご所見を伺います。
また、関連して、一