倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈立場変われば…〉

2012-07-05 | インポート
7/4 Wed.  [ クラちゃんの起床時刻 4:55 AM ]
市内のホールで 「 第35回 人権を尊重し合う市民のつどい 」 が催されました。

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聴講に足を運んだワタクシ、冒頭だけ聴いて失礼するつもりだったのですが、その講演の〝当事者目線ぶり〟に、つい引き込まれてしまい、退席予定時間をオーバーしてしまったのでした。

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配布されたレジメには 「 長野市は、平成8年に 『 人権を尊び、差別のない明るい長野市を築く条例 』 を施行し、内在するあらゆる差別の解消に向け、鋭意 取り組んでまいりました。」 とありました。
しかし、同和問題などの、いわゆる 差別事象 や、道路の段差の遍在や障がい者インフラの未整備などの問題など、条例施行後の 「 成果 」 は上がっているか、といえば、答えは 「 否 」 ということになろうと思います。
そのことについての状況分析は今後に譲るとして、とにかくこの日は、記念講演として来駕された講師の方の話が興味深く、思わず笑ってしまったり、目からウロコが落ちたり、の連続だったのでした。
 
講師は、毎日新聞 論説委員の野沢和弘さん。
ご自身のご長男が重度の障がい者で、実感をもって障がい者問題、障がい者差別問題に取り組んでこられたそうです。
その活動の中で、在住する千葉県に 『 千葉県障害者差別をなくす条例 』 を制定させるまでの〝試行錯誤〟の体験談が、講演の内容となっていました。

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くだんの野沢さん、社説などの筆を執る仕事柄、さぞかしカタイ論調になると思っていましたが、案に相違したのでした。
講演の総てを、ここでレポートすることはできませんが、披露された体験談の中で 「 ナ~ルホド・・・」 と思えた話題を紹介します。

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障がい者差別の存在を問題視し、この際、自治体に条例を制定しようという中で、懇話会が設置されたそうです。
その会で、図らずも野沢さんは座長に就くことになり、関係者、とりわけ障がい者と意見交換する機会ができたそうです。
ある日の定例会議で、委員を務める聴覚障がい者が、突然怒り出したそうです。聞けば 「 私はいつも、会議のために手話通訳者を同行させている。これはおかしい。なんでいつも私自身が手配しなければならないんだ。」 とのこと。
それを聞いた野沢さん、心の中で 「 それはアナタが聴覚障がい者なのだから仕方ないでしょ。」 と反論したそうです(面と向かっては言わなかったそうですが)
で、笑えない笑い話はこの後です。
後日、野沢さんは、聴覚障がい者の集会に、パネラーとして招かれ、会場に足を運びました。
すると、会場では、全ての参加者が自由に手話を操り会話を成立させており〝会話〟が理解できないのは野沢さんだけだったそうです。
そこで思わず 「 私のために手話通訳者は用意してくれていないのですか?」 と問い合わせたのですが、質問をぶつけたその瞬間、さきの会議で健常者の中に独り参加した、くだんの聴覚障がい者の気持ちが判った、とのことでした。
つまり、野沢さんが出た聴覚障がい者の集会においては、耳が不自由で、手話で会話する方々が〝普通の存在〟で、手話ができない野沢さんは〝一部の存在〟にすぎなかった、ということなのでした。

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また、ある日の会議の後、全盲の方に、真顔(まがお)で〝出馬宣言〟を聞かされたそうです。
くだんの方曰(いわ)く 「 地域には、障がい者が一定数は存在するものの、全人口の過半数には至っていない。
でも、もし、私のような盲人が多くを占めるような自治体があれば、私は市長選に立候補し、必ず当選する自信がある。」 とのことです。
そして、その後を聞いた聴衆は、笑いと共に、何というか苛(さいな)まれるに至るのでした。
「 昨今の厳しい財政状況の中、自治体に占める福祉関連の予算が減り続けています。
私は市長選に臨むにあたり、ここにメスを入れ、福祉予算を倍増させることを公約とします。
その際、増やした分の財源はどうするのか・・・。私に考えがあります。
幸い、この市の殆(ほとん)どの方が盲人なので、私は、市内の施設の明かりのスイッチを全てOFFにし、照明にかかる電気代をゼロにし、そこで節約できたお金を他の福祉施策に回します。
私たち盲人には、そもそも明かりが不要なのですから。」とのこと。
そして、この話しには〝オチ〟があるのでした。
「 しかしながら、もし市内の明かりを全て消したら、きっと目の見える市民から抗議の声が挙がるでしょう。
でもゴ心配なく。私は答弁のことばを既に用意してあります。
私は冷静に答えます 「 それは少数意見でしょ。」 と。」

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世の中は、いわゆる 「 五体満足 」 の者が大勢を占めており、障がい者はほんの一握りの存在です。
したがって、行政施策は、いわゆる〝健常者が過ごしやすい社会づくり〟をめざしており、障がい者へのサービスは、いわば〝特別な手当〟と位置づけられています。
野沢さんは、自身の体験を通じて、その発想そのものが間違い〝実は、障がい者は特別な存在ではない〟ということに気づくべき、そしてその気づきによって、真の障がい者支援、真の差別解消につながる、ということを言わんとしていると感じ取りました。
立場が変われば、こちらが少数派、世が世なら、隅に追いやられるのは私たちの方なのです。
ある意味でいう〝逆転の発想〟社会活動の何たるかを改めて教えられたような、貴重な時間となったのでした。
また、野沢さんは、いわゆる新聞記者の視点で、障がい者支援事業の〝盲点〟を指摘していました。
それは、いわゆる〝補助金行政の脇の甘さ〟です。
障害者支援事業に対し、国などから補助金が支給されますが、事業者によっては、その〝趣旨〟を逆手に取り、障がい者を〝囲い込む〟ことで補助金を懐(ふところ)に入れるも、実際には生殺(なまころ)し状態に陥らせ、障がい者の自立を促すどころか、障がい者を補助金獲得の種(たね)に悪用している輩(やから)がいるそうです。
で、この手の、非社会的行為は、当事者が知的障がい者の場合、自分がどのような扱いを受けているのか、その善悪が判断できず、ズルズルと囲い込まれ続けるケースが散見されるとのことです。
誰もが当たり前に幸せに暮らせる社会をつくるために、それぞれがどう取り組むか、適切な施策・適切な支援活動、そして(当たり前ですが)その取り組みは 「 良心 」 の基にされなければならない・・・まさに人の 心 が問われるところです。
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