倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

2011-07-31 11:32:52

2011-07-31 | インポート
盛夏を迎え、じき8月を迎えんとする列島に、まるで梅雨を思わせる前線が横たわり、西方に韓国における大洪水を持ち込む形で、ときならぬ豪雨を降らせました。
新潟県三条市では、わずか3日間で年間平均降雨量の2ヶ月分が降ったそうで、悟道路の冠水や河川の決壊が発生、15万人近い住民に避難指示・勧告が出されました。
このニュースを聞き、また、さきの大震災による津波被害などを目のあたりにし、今年の列島は、特に「水」に影響を受けている・・・と思うのは私だけではないでしょう。
周囲を海に囲まれ、また、列島の「背骨」でもある山岳地帯から豊富な水が供されるわが国は、まさに「水と共に栄えた国」と言えると思います。
その一方で、多発する水害は私たちの生活を脅かし・・・何というか「宝と凶器」の両面を持ち合わせるのもまた「水」の持つ力(ちから)と言えます。
ところで、最近「気がかりな社会問題」が。
それは、わが国を取り巻く、水に関する「国際問題」と言える〝他国による水源の買い占め〟です。
今後、地球的規模の環境問題により、水の値段が石油を上回ることが予見されることから、中国をはじめとする投機筋が、北海道や山林の水源を買い占めていることは、最近、密かな「国際問題」となっているところです。(ただし、さきの原発問題で様相はやや変わっているようですが)
「水」を取り巻く日本の抱える課題・・・いかに水害から身を守り、またいかにして命を支える水を守るか、私たちの永遠のテーマ、とも言えるかもしれません。

2011-07-30 11:33:16

2011-07-30 | インポート
長野市役所第一庁舎と長野市民会館の建て替え問題について、これまでの議論に加え、市民グループの住民投票の直接請求の動きなどから、市民の世論が喚起され「長野市の主要話題」になっています。
それを受ける形で、長野市議会でもその対応に注目が集まっています。
〝市長派〟である最大会派は、住民投票に否定的な市長に迎合する形で、議会での議論を待たずに、住民投票の直接請求を「否決」することを言明しています。
私は(前にも触れましたが)時間経過・時代の趨勢(すうせい)と共に社会は〝動いて〟おり、市も市議会も、今回の市民運動の胎動(たいどう)を真摯に受け止めるべきと思っており、とりわけ市議会は、今回の市民活動については、市長と一緒になって「門前払い」の形を取るのではなく、何らか市政に反映させる努力をすべきと思っています。
そんな中、最大会派においては、市民会館問題に併せて「9月の市議選以降に、常設型の住民投票条例を盛り込んだ「自治基本条例」の制定をめざす」ことを表明しました。
このことは、一見すると、今回の市民運動を反映させた前向きな取組みに見えますが、ヨク考えてみると、これは〝争点ぼかし〟に他ならず、何というか煙幕を張って、まさに「煙(けむ)に巻こう」という(分かりやすい)作戦であることが感じられます。
今回の議論は、市役所第一庁舎と市民会館の建て替えをどうするかを議論すべきものなのであり、住民投票は、そのための「手法」なのです。
しかし、最大会派は、その「手法」の方にピントを合わせ、本来のピント(建て替え問題)から目をそらす形で幕引きを図ろうとしています。
確かに、最大会派は「われわれは否決!」という〝姿勢〟は示していますが、肝心なのは、これまでの経過は踏まえつつも、市民意識がここまで昂(たか)まっていることを議会としてどう受け止めるか、ということであり、そこを「もう議論を尽くしたこと」として打ち止めにするのは〝市民代表〟としての感性が疑われる、といっても仕方のないところでしょう。
また、市議会としても、今回の両施設建て替えの関連予算を可決している、とのことですが、これまでの関連予算は「現在の市民会館の廃止」までのはずですので「新たに造るかどうか」については、これからの議論に委ねられるところであり、すなわちこれまでの採決内容=両施設建て替えにはならず、今後も、最近の市民意識の昂まりを踏まえ、こと市民会館の新設については再考する余地は十分にある、と言えるのです。
市議会においては、建て替え問題と住民投票条例を「ないまぜ」にすることなく、論点を整理して議論してもらいたいと思います。
いま議論すべきこと…〝一時間目の授業〟の課題は、両施設の建て替え問題について市民の意識が昂まっていることをどう受け止めるか、であり、住民投票についてどう考えるか、は〝二時間目の授業〟で議論すべきなのです。

2011-07-29 13:13:49

2011-07-29 | インポート
夜のニュースで、作家の小松左京さんが逝去されたことが報じられました。
小松左京さんといえば、希代のSF作家として一世を風靡し、数々の話題作を供してくれました。
この度の訃報に接し、私は即座に、映画『日本沈没』のシーンが脳裏に浮かびました。
『日本沈没』が上映されたのは、確か中一の頃だったか・・・とにかく、友だちと映画館に足を運んだはイイが、日本が沈没してしまうという恐怖感を〝体感〟し、青くなって映画館を後にした覚えがあるのです。
小松左京さんは、この作品に「成長の果実に浮かれたままで推移する日本社会への深い憂慮と警鐘を込めた」とされ、発展ありきで走るばかりの社会に疑問符を投げかけていたのでした。
折しも、列島では未曾有の大震災や大津波が発生し、それに伴う原発事故が深刻な社会問題となっています。
また、隣国の中国では、異常ともいえるペースで高速鉄道網を延伸し、その結果常識では考えられない車両追突事故やずさんな事故処理が物議を醸しています。
まさに、小松左京さんの鳴らした警鐘が、やや形は異なるものの、現代社会の〝ネック〟となったものであり、私たちはここに至り、小松氏の感性に立って社会を見つめ直すべき、と言えるのかもしれません。
「将来に禍根を遺(のこ)さぬよう」ということばがあります。
小松左京さんは、高度成長に沸くただ中にあって、それに対し警鐘を鳴らし、かの作品を通じて世論に訴え、それが今になって「現実」のものになりました。
私たちも、小松氏の薫陶(くんとう)を受け「今が良ければヨシ」とか「先のことは後世の者が考えろ」というスタンスに立たず、私たちの為(な)すことが、将来にどのような影響を与えることになるのか、を熟慮したうえで今を生きるべき、と思いをいたすところです。

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〈静かな夏・・・セミの「声」が聞こえない〉

2011-07-28 | インポート
日中、汗を拭き拭き歩いていると、何だか雰囲気が違う。
先日は「スーパーマーケット」で、「目で見て」違和感を覚えたものですが、この頃の違和感は「耳」からです。
日差しが照りつけ暑さを体感してはいるのですが・・・今年は、その暑さに追い打ちをかける『蝉(セミ)の〝声〟』が聞かれないのです。
どこかテレビ番組でもやってましたが、どうやらこれは全国的な傾向のようです。
私の住む地域は、農地と宅地が混在しており、緑(みどり)豊かな木々もそこここに葉を揺らしています。
夜には「カエルの合唱」が鳴り響き、それはそれで「夏の風情」を醸し出していますが、日中の「静けさ」には、気づいてみると不思議な感じがするところです。
聞けば、今年はセミの繁殖の〝はざかい期〟だとか、また震災の影響だとか、諸説あるそうです。
自然界の〝気まぐれ〟に翻弄(ほんろう)される この頃ですが、猛暑・酷暑と言われる暑い夏・・・セミ界にとってはイザ出番!のハズですが、まさかこのまま夏を終える、なんてことはないでしょうネ。
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〈長野市役所第一庁舎・長野市民会館 建て替え問題〉

2011-07-27 | インポート
長野市役所第一庁舎・長野市民会館建て替え問題について、その是非を問う住民投票を行う条例制定を求める直接請求が、市民グループから2万4千名以上の署名をもって提出され、長野市議会の遡上に上(のぼ)ることとなりました。
私は、今回の問題について、さきに在席した市議の頃から「市民意見を十分に聴取すべき」とのスタンスに立ち、これまでの経過を踏まえつつも、社会情勢の変化を見定め市民意見に耳を傾けて、将来に禍根を遺さないよう慎重にことを進めるべき、としてきました。
そのうえで、今回の両施設の建て替え問題は〝一緒くた〟にお膳に載せるのではなく、別々に議論すべき、とも申し上げておりました。
そもそも、市役所庁舎と市民会館は、その役割が異なっています。
今回の計画は、市役所第一庁舎の建て替えに端を発し、その工事の効率性をもって「この際 市民会館も…」という〝玉突き式〟となった経緯もありました。
しかし、ここは、本来の「各施設の異なる役割」に鑑み、それぞれの施設の重要性・建て替えの緊急性をもって別々に議論すべき、と考えるところです。
私は(これまでも申しているとおり)市役所第一庁舎は、さきの震災の影響などもあり建て替え止むなし、市民会館については緊急性が薄いことから性急にことを進めず、将来の少子化や現有施設のさらなる有効活用を踏まえたうえで時間をかけて議論すべき、それよりも学校などの公共施設の耐震化などを優先すべき、と考えています。
すなわち、もし住民投票を行うなら、市役所第一庁舎の建て替え・市民会館の建て替えを別々に市民に問う形にすることが望ましいと考えていました。
今回、市民グループは、両施設を一緒のものとして捉え、その建て替えの是非を問う、としていましたが、その一方で、提出条例案の修正にも応じるともしていましたので、ある意味での「歩み寄り策」として両施設の建て替えを別々に市民に問う方向にもっていければ・・・と思っていたところです。
その、私の思いが通じたのか・・・この度、住民投票条例案の上程にあたり、一部の現職市議が「両施設の建て替えについて、個別に住民投票を行う」という修正案を提出することが報じられ、私としても賛意を表するところです。
今後の展開は…最大会派が「端(はな)から」住民投票そのものに反対、という態度でいるため、この議会での可決は難しい状況ですが、今回、署名となって表された〝市民の「生きた声」〟が何らかの形で反映されることを願って止まないところです。
(以前も触れましたが)政治・・・とりわけ住民生活に身近な地方政治は、これまでの「良きにはからえ」的な無関心なものから大きく変化してきています。
市民の地方政治に対する関心は昂まり、それは「声なき声」として脈々と息づいていることを、行政に携わる者も、地方議会に携わる者も、感じ取る「アンテナ」を持たなければならないと思います。
今回、2万4千超もの署名が集まったことを、市も市議会も真摯に受け止めなければなりません。
この署名の結果こそが「声なき声」の集積であり、このことを無視…何というか、斜め読みしたあげく 丸めてゴミ箱に捨てるような扱いをもっての行政運営は、それこそ将来に禍根を遺すことになることは自明でしょう。
長野市政に関わる全ての者が、この「声なき声」…この大きなエネルギーをどう今後の行政に活かしていくか、と考えるべきでしょう。
にも拘わらず「今までこうだったから」とかの〝踏襲型政治〟を続けていれば、今回のことだけに止まらず、やがて市民は市政に背中を向けてしまうことになりかねないと思います。
・・・。
これまでの長野市政は「オリンピック招致」を大命題とし、市と市議会が一体となって取り組んできました。
それはそれで大きな成果を収めたのですが、問題なのは、その「一体化」が、今になっても継続されており、是々非々にはほど遠い「市=最大会派」の〝談合体質〟が未だに踏襲されていることが、まさに時代に合わなくなっており、もっといえば、今の長野市政の最大の弊害になっているのです。
今回の件は、残念ながら今の現職議員の間で採決されてしまうところですが、今後の市政運営にあたっては、市民感覚の変化(=成長)を踏まえ、私とすれば多様な市民意識が市政に反映できるよう、是々非々をもって取り組んでいきたいと改めて思いをいたすところです。
市民の皆さんにおかれても、今回の件で各議員がどのような意志を表ずるのか、すなわち各議員が、市民の方を向いているか、オ役所の方を向いているか…をチェックし、もって来る市議選の〝争点〟にしていただきたいと存じます。
単なる〝地縁・血縁〟だけで票を入れる時代ではない、と思うところです。