以下、報道内容です。
「 アメリカ原子力規制委員会は、東京電力福島第一原子力発電所の 事故発生直後の委員会内部のやり取りを記録した議事録を公表しました。
この中では、アメリカ当局が、事故発生から5日後には、最悪の事態を想定した場合、福島原発の3つの原子炉すべてがメルトダウンする可能性もあるとして、日本政府が付近の住民に出した避難・屋内退避指示よりも広い範囲の勧告を行うよう提起していたことが分かりました。」
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「 アメリカ原子力規制委員会は、21日、東日本大震災が発生した 去年3月11日から10日間にわたる、委員会内部の電話などによる緊急会議のやり取りを記した3000ページ以上にわたる議事録を公表しました。」
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「 それによると、事故発生から2日後には、福島第一原発の敷地内の周辺で セシウムなどが検出されたことが分かったことから、少なくとも原子炉内部で部分的な炉心損傷が起きている可能性があるとして、発電所から半径50マイル(80キロ)圏内に避難勧告を出すべきはないかと、幹部が原子力委員会に対して進言していたことが分かりました。
さらに、16日には、アメリカ原子力規制委員会の委員長が、最悪の事態を想定すると、3つの原子炉がすべてメルトダウンする可能性もあると指摘し、また「同じ事態がアメリカ国内で発生すれば、原発から50マイル以内には避難勧告を出すのが妥当だと思われる」として、日本政府が福島第一原発の付近の住民に出した半径20キロ圏内の避難指示、20キロから30キロ圏の屋内退避指示よりも広い範囲の勧告を行うよう提起していたことが分かりました。」
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「 この議事録からは、東京で対応に当たっている 専門家チームのメンバーが「とにかく注水を急ぐべきだ」としたものの、同じ日の遅い時間になって、「東京電力は、燃料プールに水が残っていないとは言っていない」という情報がもたらされ、委員長が、正確な情報を改めてスタッフにただす様子もうかがえ、生々しいやりとりが記述されています。」
また、報道は最後に「今回、公表された議事録は、アメリカの規制当局が福島第一原発の事故を受けて、どのような初動対応を行ったかを示す資料だけに関心を集めるものとみられます。」としていました。
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この報道を見て ( おそらく私だけではないでしょうが ) 深刻な危機に直面した際の、日米の認識の違いを実感させられたところです。
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「 大本営発表 〝我が損害 極めて軽微なり〟」 という過語があります。
申すまでもなく、さきの第二次大戦の末期、南洋で玉砕を重ねる日本軍の現状がありながら、現場の指揮官は、状況を粉飾し大本営に伝え、それを真に受けた(確信犯的に)大本営は、国民に対し、ことの深刻さを隠蔽(いんぺい)する報道統制を敷いた、というものです。
今回の福島第一原発事故に係る日米の対応の違い。
事故発生直後から情報収集に努め、起こっている事実を積み重ねたうえで対応を協議したアメリカと、事故の当事者であるにも関わらず(だからこそ、という論もありますが)情報収集が錯綜(さくそう)し、結果として議事録も無く、何が何だか分からない対応に終始した日本。
事故後のドタバタについては、この場では敢えて述べませんが、いずれにしても起こってしまったことを、認め・見つめ・然るべき対応に全力を尽くすのか、それとも 「 そんなハズはない 」 とばかり、とりあえずフタをしようとするのか、後の評価は大きく分かれるところでしょう。
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この 「 大本営発表的体質 」 からの脱却は、この原発事故に限らず、これからの社会の抱える課題に共通していえることだと思うのは、やはり私だけではないでしょう。
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