・
上野動物園に誕生した「赤ちゃんパンダ」が、残念ながら死んでしまったことが報じられ、驚きと共に、誕生の吉報の分、悲しみとの〝落差〟を感じたところです。
ここのところ感じさせられる 「 生命の機微 」・・・命ある者は、が故に、 この世に生(せい)を受けるも、遅かれ早かれ生涯を全うする運命の綾(あや)を実感し、何ともいえない思いに至るものです。
・
ところで、今回のパンダちゃんの 悲劇 にあって、それぞれの者の感じ方はさまざまなものがあろうと思います。
おそらく、当の母親 シンシン は、全くシンプルに、子を失ったことを実感し、いずれその事実を受け入れることになるでしょう。
その一方で、それをとりまく人間社会には、さまざまな思いが重なり合い、その悲しさの度合いや類(たぐい)が異なってこようと思います。
私は、その根底には 「 期待 」 という深層心理があるのでは、と思うところです。パンダブームの再来への期待、初の自然分娩の子を育てることへの期待、ヒトには 価値観 があるだけに、それぞれの価値観により、さまざまな期待を寄せることは必然のことでしょう。
・
生まれてきて、やがて死ぬ・・・この、全くシンプルな原理原則の上にたって、私たちは喜怒哀楽を味わいつつ時間を過ごしています。
わずか数日でヒトにさまざまな思いを錯綜させた子パンダちゃん、同時にさまざまなことを教えてくれたような気がします。
・
・