倉野立人のブログです。

日々の活動を みなさんにお伝えしています。

〈 ~のために 〉

2013-06-30 | インポート
6/29 Sat. [ クラちゃんの起床時刻 4:55 AM ]
地域の少年野球チームが主催する少年野球大会が開催され、開会式にお招きをいただきました。

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大会会場となっているグラウンドは、隣接の団地の雨水を貯留する目的をもって造られました。
所管は長野市河川課で、管理は体育課となっています。
そのうえで こちらのチームは、率先して 「 グラウンド愛護会 」 を設立し、自主的にグラウンド整備を担っていただいています。
もとより、土日の子どもの 「 過ごさせ方 」 が大切とされている中、野球を通じて子どもたちの健康な身体と、集団行動による社会性を〝仕込んで〟いただいており、そのうえで、子どもたちがより良い環境で白球を追うことのできる環境整備にも汗を流していただいており、頭の下がる思いです。
子どもたちの笑顔のために、労を惜しまない大人の方々の不断の取組みは、しっかりと ちびっこ選手の心に届き、感謝の思いを全力プレーで示してくれることでしょう。
主催チームのキャプテンくんの選手宣誓が、整備の行き届いたグラウンドに 爽やかに響いていました。

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開会式を済ませ、用務のため一旦帰宅せんと移動中、近所の公園の一角で、区長さんたちをはじめムラの住民の方々が〝閣議〟を開いておられました。

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「 いかがなされた?」 とカオを出すと、これから公園入り口の花壇に花を植える作業をする、とのことです。

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住民自治協議会の環境部会の Y サンが丹精込められて育てた幼花のポットを、円形の花壇に 環状に植えていきます。

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色とりどりの花たちが、みなさんの手により次々と植えられ、そこにたっぷりの水がくべられます。

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みなさん、花々に「キレイに咲けよ」と声をかけておられるよう、丁寧に移植ゴテで穴をあけ、ポットから取り出した花をいけておられました。

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何かと慌ただしく、また 何かと世知辛い昨今、花を愛(め)でる感性は とっても大切なことだと思います。
それも、自分の庭だけを奇麗にするだけでなく、公共の場をみんなの手で美化することは、まちへの愛着にもつながるももでしょう。
自分のためではなく、みんなのために汗を流すことは、一見 労を外へ逃がしてしまっているようですが、その実は、公共に尽し 他愛の精神を抱かれたことで、その方ご自身の心を豊かにし、結果的には満足度も倍増することと思います。
当該の公園入り口は交差点に面しており、道を急ぐドライバーや、学校を行き来する学生などが往来する場所なのですが、そんな忙しい日常の中でも、信号待ちなどで この花壇を目に留め、きっと一服の涼とすることでしょう。

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まるでアート作品の如く、奇麗に植栽が完了、花の可憐さと 「 みんなのために 」 イイ汗を流した参加者のみなさんの笑顔が イイ感じで重なり合っていたのでした。

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〈 痛風(つうふう)の辛さ を伺い知る 〉

2013-06-29 | インポート
6/28 Fri. [ クラちゃんの起床時刻 6:15 AM ]
新聞で 「 痛風(つうふう)」 について触れた記事があり、以前 聞いた知人の〝それは痛い体験〟を回顧しながら目を通しました。
「 痛風 」 は〝風に吹かれただけで痛む〟というほどの症状から付けられた疾病で、主に成人男性が罹患するそうです。
私自身は その経験はありませんが、何人かの知人が〝やられた〟経験があり 「 痛ぇなんてもんじゃね~ゼ 」 との実体験を聞かされ、その辛さは いかばかりかと思いました。
くだんの氏は、ある日、足の甲の部分に 突っ張るようなチクチクするような痛みが起こり、忙しさに紛れて我慢していたら、痛みはたちまち強くなり、やがて足全体がむくんだ状態になり、靴が履けなくなってしまったそうです。
その間の痛みはハンパではなく、それこそ何かにわずか触れただけで激痛が走り、しばらくの間は足を地面に着けることができないほどだったそうな。
「 オレもいろいろ痛い思いをしたけれど、あれほどの痛みは特筆モノだったゼ。」 としみじみ語られたものでした。
記事によると、2010年に厚労省が調査したところ 「 痛風で通院中 」 と答えた人は全国で実に95万7千人もおり、1986年の25万4千人に比べ、4倍近くにまで増加しているそうで、発症年齢も それまでの50代中心から、30代にまで罹患者が広がっており、今や現代病のひとつにランクインしているようです。
「痛風」の原因には諸説あるそうですが、一般的には体内の尿酸値の上昇に伴い、限界値を超え 体内で溶けきれなくなった尿酸が針状の結晶となって間接部分に溜まり、それが何らかの原因で剥がれ落ちると、それを異物と認識した白血球が攻撃し、その戦闘?によって激しい炎症が起こり 激痛を引き起こすそうです。
で、その背景には、遺伝的要素に併せて 「 食生活 」 に原因があるそうです。
具体的には、食事の際 「 プリン体 」 の摂り過ぎがよろしくないそう(プリン体は体内で分解されると尿酸に変わる)で、動物の内臓・魚の干物・白子(しらこ)・ビール などが挙げられています。
実は、これらはみんな、私の大好物ばかりなのです。
自分の健康は自分で管理することは、生きていくうえでの自己責任の最たるものですが、飽食の時代と言われて久しい昨今、私もおよばずながら どうしても食べ過ぎ・飲み過ぎの傾向にあり、内省せねば、と思うところです。
嗜好品もほどほどにしつつ、いつまでも元気な健康ライフを送りたいものですネ。

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〈 ボランティアの潜在的な真価 〉

2013-06-28 | インポート
6/27 Thu. [クラちゃんの起床時刻 4:45 AM ]
所属する 「 長野中央ライオンズクラブ 」 の、次期 「 指導力育成・会則附則委員会 」 の役員会議が行われ、私は 次期 第三副会長 の立場で出席させていただきました。
奉仕を旨とする ライオンズクラブ は、年間を通じてさまざまな アクティビティー(活動) を展開しています。長野中央ライオズクラブ においても、献血・献眼、フード ドライブ(食の寄付活動)、障がい者支援、ごみゼロ運動など、各委員会ごとに計画を立て、社会への奉仕に資するべく、それぞれの アクティビティー を展開しています。
その中にあって、この 「 指導力育成・会則附則委員会 」 は、アクティビティー(活動) こそ表(おもて)に出ないものの、会員の維持や会員の意識向上、会のルールの規定など、いわゆるクラブの根幹を成す、何というか、建築物に例えれば基礎部分を担う、地味だけど大切な委員会と申せます。
そのうち 「 指導力育成 」 については、これからのライオンズクラブ運営の中では、やや視点を変えて取組むべき、との意見が出されました。
いわゆる 「 指導 」 というと、学校の授業のように 「 教える 」 というものですが、今後のライオンズ活動においては 「 意識を共有する 」 といった感性で臨むべき、というものです。
この議論の中では、話しは 「 民族学 」 にも及びました。
すなわちライオンズクラブ発祥のアメリカは 個人主義 であるが、日本は 組織主義 であり、それら民族性にも配慮する必要があるのでは、というものです。
すなわち、日本におけるライオンズクラブ運営においては、組織型運営に配慮しつつ、今後は個人の意見も反映できるような態勢づくりが肝要、ということで一致したところです。
さらに、この委員会で 「 第三の柱 」 と言うべき 『 アラート活動 』 が議論され、今後の展開に焦点をあてるべき、という点でも一致しました。
『 アラート活動 』 とは、あらかじめ消防局などの関係機関と連携をとり、災害などの際、直ちに支援活動を行うものです。
昨今の自然災害が頻発する状況下においては、災害発生時に いかに迅速に、いかに有機的に対応体制をとるかは非常に重要です。
その体制づくりを、行政などの公的機関に任せきりにするのではなく、民間の有志がその一翼を担うことは、社会的においても意義深いと申せます、
ただし、日頃の計画なしに、災害が起こった時点で 思いつきのように支援活動に名乗りを上げても、状況によっては〝親切の押し売り〟になりかねません。
そのためも、日頃から計画立(だ)てて災害対応を考えることは、現下の社会情勢に鑑みても、各ライオンの意識高揚にも資する 意味 もあることでしょう。
この件についたは、一朝一夕に為せることではありませんが、もしかしたら、今後のライオンズクラブの真の意義、ボランティアのもつ 「 潜在的な真価 」 を図るテーマになるかもしれない、という点でも一致しました。

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〈 「 親代わり 」 の大切さ・タイヘンさ 〉

2013-06-27 | インポート
6/26 Wed. [ クラちゃんの起床時刻 4:50 AM ]
保育園の園長を務める方と意見交換する機会があり、昨今の保育事業が今までの増して大きな役割を果たしていること、その一方で〝多様化の波〟により、苦労が絶えないことを拝察するに至りました。
ここのところの厳しい経済状況に伴い、特に若年ご夫婦の家庭は、共働きを余儀なくされています。
子供を抱える家庭においては、日中 わが子をいずこかに預けて働くところあり、その 「 受け皿 」 として 保育園 は存在しています。
従前までは、恙(つつが)なく お子さんを預かりさえすれば責務を果たしたとされた保育園でしたが、最近では 少子化に伴う わが子への愛情のかけ方の高まりなど、いわゆる保護者ニーズの多様化、また保育園自体の 保育メニュー のレベルアップ化に伴い、幼稚園と同水準、ときにそれ以上の上質の保育が行われるようになってきているそうです。
とより、保育園は、おゆうぎや 学びの時間と併せて、給食やおやつを提供し、お昼寝時間を設けるなど、保育士サンたちは、家庭生活に則した いわゆる 「 親代わり 」 として子どもと一緒に時間を過ごしてくれています。
核家族化の中にあって、集団生活を送りながら、何というか 大きな家族の一員として過ごす時間は、家庭では経験できないもの、園児たちは 保育園生活を送ることで、知らず知らずのうちに成長を遂げていくものです。
その 「 大きな家族 」 の中で、一人ひとりの個性を伸ばしながら 「 親代わり 」 を担う保育園ですが、昨今 にわかに課題として遍在するようになっているのが、いわゆる発達障害の子どもが散見されるようになったことだそうです。
一見、元気が過ぎる子どもとして見守ってみるものの、日常をかけて見つめていくうちに、ADHDやアスペルガー症候群などの症状が認められるようになり、これには 早期発見・早期対応が欠かせないそうです。
最近では、小中学校段階で症状が表に出る場合が多く、小中学校では副担任の役割強化など措置がされていますが、初期段階の保育園においては 保育士の加配などは保育園の裁量に委ねられており、各園や 各保育士サンたちの 目に見えない負担は大きくなるばかりだそうです。
「 昔はこんなこと無かったのに・・・。」 と聞かれるところで、その原因としては、一説には有機リン酸などの農薬の影響、また 携帯電話など高度通信網の整備に伴い発生する電磁波の影響 など、諸説あるところですが、いずれにしても、今や 「 社会の宝 」 となった子どもたちについても〝多様化〟が進んでいることは事実です。
それらの状況を踏まえて、所管する行政部局においては、新たな視点で保育行政を見つめ直す必要がある、ということで一致しました。
また〝多様化傾向〟は、保護者にも散見されるようになっているそうです。
くだんの園長先生 曰(いわ)く 「 いろんなタイプの親御さんがみえるようになりました。」 とのことです。
これは、核家族化により〝子も一人、親も独り〟の状況下では、いわゆる 「 おばあちゃんの知恵 」 などの、人生の先輩からの活きた情報が伝授されにくく、マニュアル本やメディアなどの情報を頼りに育児に悩む 独り親 が増えてきたことがあるのではないか、とのことでした。
「 子どもは保育園の中で集団生活を学びますが、親御さんも 機会を見つけて、親同士や私たち職員とコミュニケーションを取ってもらいたいものです。」 と、園長先生は 優しい表情を浮かべて結んでくれました。
保育園が担う 「 親代わり 」 の大切さとタイヘンさを垣間みたひとときでした。
そして、その不断の努力の中に、社会が求める 福祉の形を見た思いがしたのでした。

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〈 平和 を考える 〉

2013-06-26 | インポート
去る6月23日に挙行された 「 沖縄全戦没者追悼式 」 で披露された、ひとりの子どもの詩が、聞く者の胸を打ち、ときに涙を誘いました。
「 沖縄全戦没追悼式 」 は、さきの大戦において、沖縄県本土を戦禍に巻き込み、多くの犠牲を払い島を焦土とした 「 沖縄戦 」 が、昭和20年6月23日に 当時の陸軍司令官であった牛島中将の自決によって終結した、とされる日です。
沖縄県は この日を、日本軍の組織的戦闘が終結した 節目 として捉え 「 慰霊の日 」 に制定、戦闘によって奪われた20万人以上の戦没者の冥福と世界の恒久平和を願い、県民ひとりひとりが 「 平和 」 について考える日としています。
追悼式には、遺族をはじめ、総理外の来賓ら5800人が参列し、参列者は 改めて英霊に哀悼の誠を捧げておられました。
沖縄県の仲井真知事による平和宣言で 「 沖縄戦の教訓を継承すると共に、わが国が築いてきた平和主義の堅持を強く望む 」 とし、その発言の深層に、日本国憲法の基本理念 「 憲法9条で示す平和主義 」 を強くにじませたのが印象的でした。
そして、式典の最後に詠(よ)まれた、与那国町立久部良小学校 1 年生の児童による 「 平和の詩 」 に、ハンカチを目に当てた参加者から大きな拍手が送られたものでした。
「 へいわってすてきだね 」
へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。

せんそうは、おそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。

ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。

へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。

これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。

(原文のまま)

・・・。

無論、この児童は、戦争を知りません。

でも おそらく、ボク自身も 沖縄県民 として生まれ、おじいちゃんの そのまたおとおさんなどの 先人の痛烈な経験を、ときに当時の話を聞きながら、ときに親族の感性の中で〝戦争体験〟を感じ取り、それを 今ある穏やかな現代社会に重ね合わせながら、ボクなりに「平和」について思いをいたしたものでしょう。

わが国においては 今、平和と安全と水は〝タダ〟で享受できると言われています。

であるからこそ、将来に向けて この平和社会が継続されるよう、不戦を誓うことが肝要です。

この児童も結んでいます。

「 これからも、ずっと平和が続くように、僕も、僕のできることから頑張るよ。」

同感です。

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