報恩
5/18 Sat.
地域を「改めてのご挨拶回り」に歩いています。
伺ったお宅での反応や、かけていただく言葉は様々(さまざま)で、その度に内省を深めるばかりです。
夕刻に伺ったお宅では、奥様は笑顔で迎えてくださったものの、当主の御主人は「もういい、帰ってくれ!」とピシャリ。
その背中に、私に対するお怒りがにじみ出ているのを見て、私には ただ頭(こうべ)を垂れるしか術がありませんでした。
その心情を、奥様が代弁してくださいました。
「ウチの人は、それは熱心に倉野さんを応援していたの。もとより生真面目なひとなので、中途半端な思いではなく、それこそ真面目に応援していたのよ。
それが、倉野さんがあんなことで挫折することになってしまって、それはそれはショックを受けていたわ。一緒に応援していた方から電話が来たりすると、涙まで流して悔しがっていたの。
そう、今日の主人の応対は、失礼な面もあったかのしれないけど、いままでの倉野さんへの「思い」への裏返しと思って堪忍してね。」
私は その心情に触れ、それが御主人のみならず、多くの方々が同様に抱く「思い」であると感じ、心底申し訳ないと思うと同時に、改めて自分の愚行に後悔と反省と贖罪の思いを深め、そのうえで決意も新たにいたしました。
私のことを当初からご支援いただいてきた方々におかれては、私に対し それ相当の期待をかけていただき、私もそれらを背に活動を重ねてきました。
それが、私の自覚のなさから軽率な行動に走り 全てを失うことになったのですが、その「喪失感」は、当の本人同様、イヤそれ以上に、私をご支援いただいたみなさまが抱かれたものであったのでした。
「覆水盆に返らず」の如く、今となっては如何ともし難く、過去を消しゴムで消すことはできませんが、せめて私とすれば、それら様々な 私に対する「思い」に、今後 全力で応えてゆくしか道はない、と改めて強く思うところです。
それは即ち、再び地域に貢献することであり、その私の行為そのものを、かつてご支援いただいた方々に再び見ていただくことこそが、いずれ「報恩」につながるのではないか、と。
私に対し言葉をいただき 居間に戻る御主人の背中を目に焼き付け、自覚を新たにさせていただいた 大切なひとときだったのでした。