スマホの初期化をしたことでリセットされた「謎解き江戸のススメ」の広重江戸百景のアプリ。「江戸の足あと」が気になって仕方ない。もう一回歩いてみたい、今度はちょっとゆっくりで良いかな。ってことで日本橋と三越の近くだけ、、、のつもりだったが、、気がついたら8か所も廻っていた。次のポイントまで500メートル以内だと次に行きたくなることを発見(笑)
まずは日本橋の交差点の起動すると,1000m以内にこんなにある!!一番近いのは「日本橋通1丁目略図」
「白木屋」は近江から日本橋に出店してきたとの事。賑やかなのは大道芸「住吉踊」です。
百景のトップを飾る「日本橋雪晴」はまさしく日本橋。海産物を積んだ船が沢山市場に集まってくる。この碑がまさしくこの写真。ここから築地に移転してこれからは豊洲に移るのかな?
この辺りだとARカメラはこんな感じで、もう行くしかないでしょ、、ってなる(笑)「越後屋呉服店」は三越の前身。この辺りが当時「駿河町」と言われたのは富士山がよく見えたから!
三越の裏側の地下鉄の駅辺りに行くと「八つ見のはし」ポイントが出てきて、ちょうど貨幣博物館の裏の常盤橋がポイントのようです。当時この辺りに多く堀があったそうで、それかかる沢山の橋が見えたとか。これから先は徳川家の重臣の屋敷があったそうで、遠方には江戸城が見えます。
ここからは「鎌倉橋」に向かって歩いていき、「大手町川端緑道」をぶらぶら、それで帰る予定だったんですけど、「神田」はもうすぐそば。挫折したけど(笑)ブリッジに通った「JR大人の休日倶楽部」の入っているビル。神田駅西口のヨモギライダーのバイト先だった「ジョナサン」はつぶれたのかスポーツクラブになっていました。
「神田紺屋町」はその名の通り藍染の職人が多く住んで染めた布を屋根の上の物干しで乾燥させていたということ。
ここから首都高速1号線の向こうに次の「大てんま木綿店」ポイントは、はっきりと覚えていました。「小津和紙店」はまだ工事中ですが、昨今の「和紙ブーム」で来春になったら「和紙博物館」に行ってみようかな。以前は宿場だったようですが、千住が宿場として栄えるようになると、伊勢、尾張、三河から木綿店が出店して「江戸店」と呼ばれたそうです。小津和紙店も元は木綿から鰹節まで手掛けるお店だったようです。
今でもある「大伝馬町本町通り」を過ぎてなんでもないビル街の辺りが「大伝馬町こふく店」です。この絵の「大」は大丸百貨店だったようで、明治末にいったん閉店したが、戦後東京駅八重洲に出店して今では東京駅の顔です。行列は上棟式の様子でおめでたく賑やかなのは広重様の復興支援モードだったかな?(深読み)
この途中にスカイツリーがきれいに見えます。今日なら眺望100%なのに(-_-;)
さて、ここから帰宅となると自動的に「馬喰町」となります。せっかくなのでもう一か所ゲットしましょう。と日曜なのに横山町の問屋街に人込みが、「問屋祭り」らしく、最終日の終わりころということで「どれでも5枚で1,000円で良いよ」だったりする。ちょっと見たけど5枚も選べなくて断念。繊維業界も大変です。素敵なセーターがあればと思ったけど、うーん、寒くなってきたから帰ろう。と言いつつ、ちらちらお店を見たりするので300m圏内のポイントになかなかつかない(笑)
やっとのことで「馬喰町初音の馬場」です。馬喰町は馬の取引をした町、家康が関ヶ原の出陣の際に「馬揃え」(出陣式)をした場所のようですが、広重様の描いた250年後には物干し場や子供たちの遊び場だったようです。ちょうど「軍師官兵衛」の関ヶ原とリンクしたなぁ(笑)
ということで今日はここまで、結局本日8か所ゲットで残り110か所(笑)馬喰横山(新宿線)→神保町(半蔵門線)で帰宅。すずかけ村の駅前のツリーも点灯していました。