大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

歴史(思い)を語り継ぐ

2015年07月23日 | 労働者福祉
「労働者自主福祉運動のすすめ」で中央レベルの歴史を探訪しています。
すると当然ですが、静岡県内の労福協活動の原点にも興味が湧いてきます。
総会議案書や記念誌などでその概況はわかりますが、その時を生きていた人の証言が聞けるとさらに理解が進みます。
今日は、県労福協の事務局長を昭和62年から10年間務められた「菅沼 隆」さんにお越しいただき、お話を聞かせていただきました。

聞きたいポイントは4つありました。
ひとつは、「県労福協の存在意義」について。
ふたつめは、県労福協発足前から活発に活動していた「労働部会の存在」について。
みっつめは、「中国浙江省などとの友好交流」の始まりについて。
よっつめは、「勤労者美術展」の始まりと経過について。

まずは菅沼さんは、県労福協発足当時の立役者である初代会長「木村愛一」さんや、県同盟会長(当時)「野口武利」さんらの話から始めてくれました。
木村さんが県労福協結成前の「福対協」の活動に手弁当で走り回ったことや、県労福協結成前は「労働部会」が相当な対県折衝を担ったことなど、様々な裏話を交えてお聞きしました。
聞けば聞くほどもっと知りたくなるのが人情です。

今度は、中央とは異なる静岡式「福対協」の歩みや、静岡独自の「労働部会」の歴史を探らなければならなくなってきました。
さてさてどう進めていきましょうか?